「歌のわかれ」をめぐって    「歌のわかれ」というこの小説の題名は、意味のとらえにくい、不思議な題名である。また、この小説に対する印象としても、「歌のわかれ」がどういうことを意味するのかがはっきりしない。そこで、これから「歌のわかれ」という題名の意味を私なりに考えてみることにする。

   まず最初に「歌のわかれ」に対する見方を考えてみよう。
   周知のように、作者中野重治は,プロレタリア文学活動の中心として活躍した人物である。それゆえ、この「歌のわかれ」は、プロレタリア文学活動に向かおうとする中野の意志表明の作であると考えられがちであるようだ。しかし、このことには、疑問を感じる。「歌のわかれ」は、金沢四高生時代から大学生時代の初期の中野自身に近い青年片口安吾が主人公であり、自伝的小説なのであるが、この中で、安吉は社会主義の理論に対して、案外関心を示していない。たとえば、次のように書かれている。

ある日泉という学生が訪ねてきたことも安吉にとつては大事件であつた。泉はこの学校には珍しい苦学生というべ き生徒であつたが、安吉を訪ねてて社会主義の話をしかけて帰つて行つた。そういう学生をそれまでも見かけていたが、どれも軽薄な感じでいつこうに安吉は感服できないでいた。しかし泉だけは、そういう人たちとは派でもちがうらしく、話も大人びて、安吾が見当ちがいのことなどを言つてもほんとうの親切さで話の筋立てを直したりした。安吉には、一方では恥かしく,他方ではそういう話がよくわからねばならぬ義務のようなものが感じられるのであつた。社会主義のではなく、それが泉のような男をとおしてあらわれたことが彼にとっての事件なのであつた。

 この引用部から、安吉が理論としての社会主義には関心はなく、社会主義の話をする泉に対して,人間的な関心を示していることがわかる。そもそも中野は、社会の中で生きている人間に対する熱情のためにプロレタリア文学活動に踏み出した人物であるように思える。安吉にとって、社会主義が意味をもつのは,〈泉のような男をとおしてあらわれた〉場合だけである。

 もう一つ忘れてならないことは、「歌のわかれ」の執筆以前の昭和九年五月に、中野が転向していることである。すでに転向してしまっている中野が、はたしてストレートにプロレタリア文学に向かう意志表明ができたのだろうか。
 このことについては、中野自身の回想を考える必要があろだろう。
 つまりそこに、「指導」も,「教育」も、現にあるものをどう具体的に育てるかの問題としては全く存在しなかつた。そのためにそれは力となることができなかつた。
(中略)
その手のものと当時どこまでもたたかわなかつた記憶は、それの前身のようなものが高等学校の時期から私の中にあつたことを思い出させた。それがいわば出直しの問題として「歌のわかれ」に取りかかつたときの私にあつた一つの事がらだつた。(新版全集第五巻「著者うしろ書」)
まず当時の事情について補足説明をしておこう。中野が文学の道を歩みだす大学卒業の前後に、新人会の中には、文学否定論があり、中野にも打撃が与えられようとしたのであった。文学否定論の主張は、必ずしも運動家でない〈書斎派〉・〈文芸派〉に小ブルジョア性を指摘し、それゆえ、社会主義運動から排除しようということである。
引用部に即して、考えてみよう。まず,当時の社会主義運動における「指導」「教育」は、現実に対しては無力であることを指摘している。〈現にあるもの〉とは、文学否定論をぶつ運動家の目には見えてこないものであろう。中野は、〈文学をやることにたいする強硬な否定が不明瞭な背景から出てきて、結果からいえば、それがかえつて決定的に私を文学に向かわせた。〉(前掲「著者うしろ書」)と述べるのだが、〈不明瞭な背景〉に対する中野自身の〈たたかい〉が中野を文学に向かわせたのである。しかし、その〈たたかい〉は、充分なものではなかった。〈どこまでもたたかわなかつた記憶〉が中野の問題となるのだが、その前身が高等学校時代にあり、それを〈出直しの問題〉としている。「歌のわかれ」の問題はすでにプロレタリア文学へ向かう意志の有無にあるのではなく、転向を体験した中野が今一度自分の青春時代に存在した〈たたかわなかつた記憶〉を問い直すところにある。
 以上のことを踏まえたうえで、「歌のわかれ」の意味を考えることとしたい。
「歌のわかれ」の一般的な解釈は「短歌とのわかれ」ということになるであろう。もちろん、「歌のわかれ」には、「短歌とのわかれ」という意味が含まれているには違いないのだが,それだけではなく、また違った広い意味もあるのではないかと思う。
 次の記述を検討したい。
彼は袖を振るようにしてうつむいて急ぎながら、なんとなくこれで短歌ともお別れだという気がしてきてならなかつた。短歌とのお別れということは、このさい彼には短歌的なものとの別れということでもあつた。それが何を意味するかは彼にもわからなかつた。とにかく彼には,短歌の世界というものが、もはやある距離をおいたものに感じられだしていた。(傍線 引用者)
「歌のわかれ」が具体的に描かれている場面である。傍線部に注目したい。ここでは、〈短歌とのお別れ〉〈短歌的なものとの別れ〉とされており、また〈短歌の世界〉が〈距離をおいたもの〉ともされている。このように見てみれば、「歌のわかれ」をただちに「短歌とのわかれ」とだけ考えることが誤りであることがわかる。
「歌のわかれ」とは、〈短歌的なもの〉〈短歌の世界〉とのわかれを指すのであり、短歌にまつわるものとのわかれをその中に含んでいるのである。
 「歌のわかれ」が、一般の解釈より広い意味をもつことは明らかであるが、その広い意味について考えてみたい。
まず、中野の友人でもあった窪川鶴次郎の解釈を見てみよう。
それ(引用者註 当時の抑圧のもとで創作の対象を自己の青春の世界に求めたことを指す)は自身に対して妥協を許さぬ青春の理性・意志・正義と、青春の人間的純潔、まえへまえへと力強く思うままにすすまずにはいられない青春の情熱と勇気、そのような人間的な美しさをリアリスチックに追求した。「歌のわかれ」という題名は、そのことと血のつながりをもっている。(新潮文庫版「歌のわかれ」「解説」)
この解釈から思い浮かぶのは、『中野重治詩集』に収められた「歌」という詩である。


もつばら正直のところを
腹の足しになるところを
胸さきを突きあげてくるぎりぎりのところを歌え
たたかれることによつて弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気を汲みくる歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして激しい韻律に歌いあげよ
それらの歌々を
行く行く人びとの胸郭にたたきこめ

後半部の引用であるが、ここには、窪川が「歌のわかれ」に関して指摘している〈人間的な美しさ〉の追求が余すところなく盛り込まれている。と同時に、ここにはまた中野が歌わんとする「歌」の内容がはっきりと示されている。中野は〈あかまま〉などを歌う「歌」から、自身の胸の中に煮えたぎる熱情を〈行く行く人びとの胸郭にたたきこめ〉という性質の「歌」へと、「歌」の性質の転換をはかったのである。
 中野が歌わんとする「歌」が、このようなものであるならば、(特に「歌」の最後の四行に注目したい。)「歌」は表現者と受容者とのより密接な関係を求めるものであると言いうる。
中野の「歌」の内容を見てきたのであるが、小説中で問題となっているのは「短歌」である。
では、「短歌」の性質を考えてみよう。
安吉は、教員用便所でウォーカーと遭遇する。そのとき、安吉は、彼とウォーカーとが〈何の関係をも持たない〉ということを考え、次のように考える。
…こういう遭遇は、天の一方での、全然あとさきのない、純粋にeinmaligなものだろう。それははかないもので、彼がここ一、二年心をこめてやつてきた短歌のようなものを本質に含んでいる。‥‥
「短歌」は、〈einmaligなもの〉〈はかないもの〉とされている。このような「短歌」の性質は、中野のいう「歌」とは懸け離れたものであろう。
 ここには、表現者と受容者との関係は非常に稀薄である。その「短歌」を〈心をこめてやつてきた〉という安吉の思慮の中心には、次のようなことがある。
眼に見えるかぎり、風呂屋、桶屋、その他の店屋、豚や鶏、畑の野菜、川や用水や薮かげの村の家、それから谷あいの部落から尖つた杉の植林まで、動いている人のかげをも入れて眼に見えるすべては人の営みだつた。
「高等学校の生徒なんというもの、その落第生なんというものが何だろう…一面が営みであるなかで、おれには営みがない。」
自分に〈営み〉がないことが安吉の思慮を離れぬのであるが、この〈営み〉がないということは、「短歌」と密接な関係を持っているようだ。この〈営み〉について見ていきたい。
安吉が金沢の街の風景を見て、自分の思い出の中で、この街が、その自然以外に何もなく、自分がこの街で何もしなかったことに気づく。すなわら、自分と金沢の街との関係の稀薄なことに気づくのである。そのあと、佐野とのいききつを思い出す。佐野は不良グループのひとりであり、安吉をけむたがる様子であった。そして、酒場で会った際に、安吉を無視する無礼をはたらく。安吉は、〈「佐野の無礼は許せるが、佐野の無礼をお前が許すことは許せぬぞ。」〉と考え、鑿を持って佐野のもとに向かう。しかし、佐野には会えず、事は起こらなかった。
しかしはたしてあれが仕合わせだつたろうか。何か深い意味、たとえば摂理というような意味からいえば、一つの刃傷沙汰が避けられたというだけでも仕合わせだつたといえよう。しかし自分にとつて、どたん場まで行かなかつたことが仕合わせといえるかどうか。結局おれは、精神の貧弱さから知らず知らずどたん場を避け、また他の場合には、外からの偶然がどたん場に突きあたることから自分をよけさせこうして、「窮地」に落ちることなく一生過ぎてしまうのではないか。幸福といえる幸福、不幸といえる不幸を経験することなく、時々の小さな幸福を幸福と感じつつ、特に時々の小さな不幸をいくらかもつたいぶつて不幸と感じつつ、人間として低い水準をずるずると滑つて行くのではなかろうか。
ここには、先に見た〈どこまでもたたかわなかつた記憶〉につながるものがある。ここでの〈たたかい〉は、表面的には、佐野を敵としているが、安吉は〈佐野の無礼をお前が許すことは許せぬ〉と考えている。つまり,たたかわねばならぬのにたたかわないことが安吉にとっての敵となるのである。
 このことは、安吉にとっては人間としての生き方の問題であるのだが、〈人間として低い水準〉とされている生き方について見ておきたい。特に注目したいのは、〈時々の小さな幸福〉〈時々の小さな不幸〉という点である。これは、「短歌」にある「einmaligなもの〉〈はかないもの〉に通底している。安吉は、明確にではないが、「短歌」的な生き方を否定的にとらえるようになってきているのである。
もう一つ、ここで考えられねばならないことは、このような考えが、自分と金沢との関係の稀薄さに気づくところから始まっていることである。
これらのことを押さえた上で、〈営み〉についてより具体的に見ていきたい。
次の引用するのは〈営み〉について、もっとも具体的に触れられているところである。
いちばん手まえの土手と草、底い水面、煉瓦よりも紅の勝つた横の鉄橋、とくにこつち側の岸に、川の上へおおいかぶさるように生えた櫨の縦の並木、そうして向こう側のだんだんに遠くなる村々、それらすべてが、まだ芽の出ない櫨並木の大木に上を区切れて、一枚の額縁の中の絵のように安吉に美しく見えた。そしてその美しさそのものが彼に彼の時の浪費の後悔をそそつた。公園から眺めた山つきのほうとはちがつて、こちらの加賀平野の平つたい眺めはもつとあけつぴろげて人の営みを現わしていた。この営みの感じは、野の面から蒸気のようになつていつばいに昇つていた。
〈営み〉とは、このような風景の中にある。〈一枚の額縁の中の絵〉として安吉にとらえられている。土手、水面、鉄橋、櫨の並木、村、これらのものが、それぞれ〈絵〉の構成要素としてたがいに関係をもっている。構成要素の密接な関係のために、安吉は、この風景を〈絵〉と認識するのである。そして、この〈絵〉の中に〈営み〉を見い出すのである。〈営み〉とは、このように密接な関係の中にあるものである。このことは、先に「歌」に関して指摘した表現者と受容者との密接な関係と重なり合う。
 すでに「歌」が〈営み〉と重なり合うものであり、「短歌」的なものと相対するものであることは明らかであろう。
 安吉の心は「歌」と「短歌」の間を揺れ動くのであるが、この問題は、東京の生活にもちこされる。先ほど、土手からの風景に〈営み〉を感じたところを引用したが、その直後に東京の生活を思うところがある。まだハガキをよこしていない金之助の生活が、それが東京のなかに置かれていることだけで分明に生活として安吉に見えた。東京での大学生活が、どうせつまらぬというこれまでの意味ででなく、どうしたらよかろうかという圧迫的な不安として安吉の頭に浮かんできた。末ほそりで色もうすくなるようなものとしてそれが彼に考えられた。
東京の生活が〈圧迫的な不安〉〈末ほそりで色もうすくなるようなもの〉とされている。〈営み〉にある〈美しさ〉などとは、正反対のものとして、東京の生活はある。このあとに、有名な列車が登場する場面が続くのだが、「巨大な物神化された現代の象徴」(満田郁夫「『歌のわかれ』論)としての列車は、東京の生活につながっている。
中野は、金沢の生活と東京の生活について、次のように述べている。
金沢の生活はそれ以前の生活よりもずつと高級なものに見えた。東京の生活はいつそう変つて、またいつそう高級にも複雑にも私には見えた。そしてその複雑、高級というなかに、薄気味悪いほど下品なもの、恐ろしいもの、残忍なものも同時にあるらしかつた。(前掲「著者うしろ書」)
この部分は「むらぎも」について述べられているのであるが、「むらぎも」の題材となった時代についての自身の回想であるので、〈出直しの問題〉の問い直しという意図で書かれたこの小説とも、関係をもっていると思われる。
このような見方は、ストライキ労働者と〈人間としていつしよにくらす〉体験を通して得たものであった。彼らの生活には、〈営み〉があった。しかしながら、「歌のわかれ」の安吉はまだ、労勧者を知らない。
ここで〈高級なもの〉というのは、〈営み〉を指すのであろう。そして、東京の生活の中に〈薄気味悪いほど下品なもの、恐ろしいもの、残忍なもの〉があることに気づいたのである。このような東京の性質を顕著にあらわしているのが、共同便所で糞のかたまりにおそいかかられる場面である。
何の気なしに彼はひよいと下を見た。と彼は、「あツ!」と口のなかでひと声叫ぶといつしよに裾をまくつたまま外へ飛び出した。そしてあわてて裾をおろしながら、手も洗わず、あおくなつた顔をして逃げるようにとつとつと本郷の方へ駆け出した。それは安吉に、心の底からふるえあがるような光景であつた。彼が下をのぞいた時、彼のむきだしになつた尻の下で、円錐形をなして盛りあがつた壷のなかの糞のかたまりが、尖端を踏み板の平面上よりもずつと上まてのし上げて、ほとんど安吉の尻にすれすれのところまで伸びていたのであつた。そのまま尻をおろしていれば、それは完全に尻にくつついていたはずであつた。それを見つけた瞬間、それは大都市の亡霊ともいうべき無気味さで彼におそいかかつた。むき出しにした尻からおそいかかられたことで、安吉は敵しがたく脅迫されたのであつた。
この共同便所は、周囲の.地震からの復興気分の中で、〈地震直後そのままのような風情でまつぴるまのほこり風に吹かれていた。〉このような状況は、東京を特徴的にあらわしている。
 安吉は、祠の前で祈る女に、〈東京が伝統としての文化を持つていないところからくる一種の野蛮性〉を見、気違いじみた祈りを〈江戸からひきつづいた迷信、迷信とまじり合つた軽薄な淫蕩〉と考える。この祈は、気違いじみているだけに、祈る者は、他の何者とも関係をもたない。東京の生活は、復興が図られているといっても、このような関係の欠如に根付いている。換言すれば、東京の生活には〈営み〉がないのである。
 〈営み〉がないということは、すでに金沢時代から、安吉の問題であった。しかし、ここでは、問題の質が変わってきている。引用部の調子は、これまでになかったほど切迫している。糞のかたまりは〈大都市の亡霊〉であり、〈薄気味悪いほど下品なもの、恐ろしいもの、残忍なもの〉の象徴なのであるが、安吉に対して、鋭い攻撃性を示してい
 先に〈たたかい〉について触れたが、安吉は〈どたん場〉に突き当たらず、そのために〈たたかい〉を回避していた。しかし、この糞のかたまりが安吉の尻を撃うとき、彼は〈どたん場〉に突き当たっているのである。〈どたん場〉に突き当たった安吉は、たたかわねばならない。安吉の〈たたかい〉は、歌会で実現する。
 歌会での安吉は,攻撃的である。歌会の会場に入った際〈彼以外のものが互いに知合いであるらしいことに心で対抗〉し、中途半端な歌に対しては〈何かこつぴどく言つてやりたい〉と思う。ついには、女の歌をめぐって激しい批判を行なう。このような攻撃的な要素は、これまでの安吉には見られないものであった。
 また、この歌会は、金沢での歌会と対比させられている。金沢の歌会は、〈ムキ〉になって批評し、この歌会は社交牲を帯びている。〈ムキ〉な批評の場としての歌会は、それ自身〈たたかい〉につながるものをもっている。批評しあうものどうし、それぞれの関係を密接に保っている。しかし、社交の場としての歌会は、〈たたかい〉を最初から回避してしまっている。
 ここで、女の歌に対する安吉の批評についてを考えておきたい。
「われはただ人に知らえぬ白珠の人に知らえずいそしまむと思ふ」
「人に知らえず知らえぬもよしおのれ知れば心落ちゐて日々すごしつつ」
この二首が問題となった女の歌である。この歌には、本文でもいわれているように、もとになった歌がある。その歌を引用しておく。
十年戌寅、元興寺の僧自ら嘆く歌一首
白珠は 人に知らえず 知らずともよし
知らずとも 我し知れらば 知らずともよし
(『日本古典文学全集 万葉集 二』による)
女の歌は、この歌の模倣の域を出ていない。女は、質的に共通なものがあればよいと述べるが、安吉が問題とするのは〈あんな生悟りみたいな歌を模倣することが、歌つくりの心がけとしてよくない〉ということである。この歌は、作者と社会との関係をまったく断ち切ってしまうことを内容としている。この歌を模放することは、「短歌」的な世界に浸り〈たたかい〉を避けることを意味している。そのことを〈歌つくりの心がけとしてよくない〉というとき、歌つくりはたたかわねばならないという主張が自ずから含まれている。このようにして、この歌会は、安吉を〈たたかい〉へと向かわせるのである。
 では、「歌のわかれ」とは何を意味するのか。すでに見てきたように「歌」は〈営み〉を求めるものであり、「短歌」は〈営み〉を否定するものである。安吉は〈営み〉を求める〈たたかい〉の道を歩んでいくことになるのだが、これは、「歌」を歌うことへの希求でもある。それゆえ「短歌」的なものからは訣別せねばならない。満田は、〈歌自体の持つ別れの機能〉を指摘し〈歌がそれ自身の中に別れを含んでいる〉という。(満田 前掲論文)満田が「歌のわかれ」にどのような意味を求めているのか、私にははっきりとはとらえられないのであるが、「歌」を求めることは、必然的に「短歌」的なものとわかれをふくむというくらいの意味に解釈できる。転向を経験した中野が、「歌のわかれ」の中で〈どこまでもたたかわなかつた記憶〉を問い直し、ふたたぴ青春を生きたとき〈たたかい〉は、不可避なものとなっていた。そして、〈たたかい〉のなかで傷つくことも十分覚悟していた。中野は、単行本にこの作品を収録する際に、最後の一段落を付け加えているのだが、その加筆部分のニキビの消えた孔だらけの顔にその覚悟が象徴されている。そして、中野は、次のように「歌のわかれ」を結ばねばならなかった。
しかし今となつてはその孔だらけの顔の皮膚をさらして行くほかはなかつた。彼は兇暴なものに立ちむかつて行きたいと思いはじめていた。
 
 
 

 
 
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