『中野重治短篇集』を読む                                  藤堂尚夫

 昨年の「くちなし忌」に際して、研究発表ということで「『中野重治短篇集』を読む」と題して話をする機会に恵まれた。その時の研究発表に基づき、こ
の稿をなすことにしたい。

     一

 一九九一年八月に「中野重治研究会」編集『中野重治短篇集』(以下『短篇集』と略す)が発行された。稿者も編集委員の一人として、まことに微力
ながらも、編集に携わることができた。この『短篇集』が多くの読者に読んでもらえることは稿者の希望するところであるのだが、一般の読者にとって
は、ある分かりにくさがあるという事実もあり、親しみにくいという声もいくらか聞こえてきている。もっとも、中野作品の分かりづらさについてはすでに
色々と指摘があるところで、逆に言えば、中野作品の特質とも言えるのであり、作品集を編むにあたっては、決して避けられないものである。そうする
と、一般の読者にこの『短篇集』が受け入れられるにあたっての問題点は、この『短篇集』が読者にとってどのような魅力を持っているのかという点に
あるのだろう。そこで、この稿では、「読む」という観点から、一般の読者にとっての『短篇集』の魅力を考えていくことにしたいと思う。但し、この稿にお
いては、『短篇集』の「一部 小説」に収められた作品を中心に扱うことにしたい。

     二

 まず最初に考えるべきことは、この『短篇集』の編集の「基本的考え方」についてであろう。『短篇集』には、「うしろ書にかえて」という文章があり、そ
の中で編集の「基本的考え方」について、次のように書かれている。
 
 一つは、できるだけ多くの人に読んで欲しい作品で、 重治の特質がよくでている作品であること。二つめは、 入手しやすい文庫本などと重複する
作品はなるべくは ぶくこと。(これで、詩作品は全部除くことになった) 三つめは、重治の出身地丸岡で出版するのだから、郷 土との関わりにも留
意し、特色がでるようにしたいこ と。四つめは、読書会などのテキストとしても利用できるような配慮をするということであった。
 
 「基本的考え方」について、四点挙げられているのであるが、作品を読む際に考慮すべきは、第一点と第四点ではないかと思われる。(第三点につ
いては、「一部 小説」についても考慮されてはいるが、主に「二部 評論・エッセイ」の作品選択において考慮されたものである。)この「基本的考え
方」を稿者流に敷衍するならば、この『短篇集』を読むことよって、中野文学の特質の多くを掴み取ることができ、また、中野文学について、語る上で
も必要不可欠なものとなっているということになるだろう。そして、一般読者にも開かれた存在としてこの『短篇集』は刊行されているのである。
 次の記述も、今まで述べてきたこととほぼ同様なことを延べている。

 今、私たちが願うのは、この本に収められた作品を読むことが、一つの契機になって、更に多くの重治の作 品に親しんで欲しいということである。
 (中略)
 読者は、それぞれの立場で自由に重治の作品を味わっていただきたい。
 (「うしろ書にかえて」)

 中野文学の特質といっても、それを掴み取るには中野文学全体を対象とすべきことはいうまでもないのだが、ここでは、読者の自由な立場で中野
文学を味わうことが前提となっている。そしてこの『短篇集』によって中野文学を味わい、その上で中野文学全体へ読者の関心を向けることが願われ
ているのであるが、そうであれば、この『短篇集』に対する様々な読みの提示は、読者の中野文学への関心をもたらす一つの契機にもなるであろう
し、
稿者としては、稿者の読みを提示することによって、多くの読者が『短篇集』を読んで、自分の読みを持つ契機となることを願いたいと思う。

     三

 ところで、自由な立場で読むとはいうものの、各作品についてばらばらに考えているのでは、中野文学の特質を見い出すことは難しいだろう。この
稿では、『短篇集』に収められた作品群から、各作品に共通する構造を掴み出し、中野文学の特質をいくらかでも明らかにしたいと思う。
 構造を明らかにするための視座として、本稿では中野の「素朴」に対する考えを確認しておくことにしたい。中野は「素朴ということ」で、「素朴」が自
分の仕事の目標であると述べている。

 
  だいたい僕は世のなかで素樸というものが一番いいものだと思っている。こいつは一番美しくて一番立派だ。 こいつは僕を感動させる。こいつさ
 えつかまえればと、そう僕は年中考えている。僕が何か芸術的な仕事をするとすれば、僕はただこいつを目がける。もちろんたいていは目がけるだ
 けだが。   

 「素朴」が中野文学に占める位置がいかに大切であるか、この文章からうかがえるであろう。その「素朴」の内容を、中野は同じ評論の中で、次の
ように説明している。

  僕の好きな素樸ということは結局「中身のつまっている」感じであるということになる。この「中身のつまっている」感じというものをもう少し説明する
 と、それは僕のひとり合点では、中身のつまり方が実にかっちりしていて、そのためにあえて包装をしないというようなのが一番いいのだ。      
 (引用?)

 そして中身がつまつているということは、その仕事に当人が身を打ち込んでいること、全身で歩いているということにほかならない。僕の考えている
  素樸というのはそういう態度をさしている。 (引用?)
                 
 中野の云う「素朴」とは、「中味がつまつている」ことなのであるが、中野の美意識の核心としてのこのような「素朴」が、実際に作品中にも表出され
ている。
 木村幸雄氏は、引用??の記述が「街あるき」の魚売りの女(稿者註 「街あるき」の中では、この女の素姓は明らかではない。「農婦」と解釈され
ている場合もある。)の姿形(引用?)および態度(引用?)にあてはまると指摘したのち、次のように述べている。 

 したがって、中野重治にとって、ああいう魚売りの女に出会うということは、自分の美意識の核心に出会うということにほかならない。つまり、中野重
 治の「素樸」というものを核心とする独自な美意識は、あの魚売りの女に体現されているようなものをその根源として形成されているということである
 。
  (「美意識の構図」『中野重治論 詩と評論』所収)

 「素朴」ということを、作品中で体現しているのがこの「街あるき」に登場するこの女であるのだが、木村氏は、さらに「民衆志向について」(『中野重
治論 作家と作品』所収)において、安吉がこの女に感動する場面を「中野重治の民衆への愛着・民衆志向の原点」と指摘し、「まったく個別的なもの
具体的なものが一挙に一元的に社会的次元・政治的次元・思想的次元に結びつけられるところに中野重治の特質がある」という見解を示している。
 稿者は以前本会報('90・?6)に掲載された「『街あるき』論」で、この女を〈ある種の生活者〉の代表としてとらえ、この女との出会いを通して主人公
安吉が〈営み〉を体得したという見解を述べた。(「街あるき」に関する稿者の現在の考えはこの稿とほとんど変わっていない。また、「街あるき」に関
する私見の詳細は、前稿をご覧いただきたい。)このように〈ある種の生活者〉としての女が、「素朴」を体現しているということは、木村氏の指摘にも
あるように、中野文学の特質であるのだ。そして、それは中野にとっては作品の中だけで完結するものではなく、「素朴」の体現は現実の人間生活に
まで及ぶのである。

 僕のひとり考えでは、仕事の価値はそれがどこまでそ れを取りかこむ人間生活のなかに生きかえるかにある。
 (「素朴ということ」)

 この文章は、裏返して云えば、作品中に現実の生活にも劣らぬくらい〈生活〉〈営み〉が十分に描かれているという中野の自信に裏打ちされているよ
うにも思える。

  四

 このような〈生活〉が作品中に描かれているのは、各々の作品を読んでいけば、容易に納得されるものであるのだが、では、その〈生活〉が作品中
に描かれていることは作品の構造上、どういう意味があるのだろうか。そのことを考えるには、『短篇集』に収められた作品の結末部を考えてみるの
が有効だろう。

「春さきの風」
 強い風が吹いてそれが部屋のなかまで吹き込んだ。 
 もはや春かぜであつた。
 それは連日連夜大東京の空へ砂と煤煙とを捲きあげた。
 風の音のなかで母親は死んだ赤ん坊のことを考えた。
 それはケシ粒のように小さく見えた。母親は最後の行 を書いた。
 「わたしらは屈辱のなかに生きています。」   
 それから母親は眠つた。     
                         
 この作品は、三・一五事件の検束によって赤ん坊を失った大島英夫の一家に取材した作品で、中野にとってはプロレタリア小説の最初のものであ
る。一読して分かるようにこの作品では夫よりも妻に焦点が当てられており、
赤ん坊の死と母親の行動・心理を描いた作品といってよいだろう。
 この一家は検束され、母子は保護檻に収檻される。そこで赤ん坊の容態が悪くなり、医者を頼むが、亡くなってしまう。その子の葬式を終え、仲間う
ちで追悼会をするが、そこで検束される。母親は高等に平手打ちをくい、夜遅く留置所を出る。その後に続くのが、先に引用した結末の部分なのであ
るが、夫の収檻、赤ん坊の死、高等の暴力的な取り調べなど、この母親にとっては辛い出来事ばかりが続いた後の場面なのである。
 ここでは、まず「春かぜ」に注目しておきたい。高等の暴力的な取り調べから解放され、この母親が帰途についた時には、「寒い風」が吹いていた。
ところが、引用部分では、「もはや春かぜであつた。」ということになる。この間の時間差はあまりない。家に帰り、「未決」(夫のこと)からの手紙を読
み、返事をしたためようとする、それだけの時間差なのである。このようににわかに「寒い風」が「春かぜ」に変わるとは考えがたく、また、留置所を出
たのが「夜おそく」であることからも、
「春かぜ」が実際に吹いていたとは考えにくい。つまり、この「春かぜ」は母親の心象風景として描かれているのだ。「連日連夜大東京の空へ砂と煤煙
とを捲きあげた」激しい「春かぜ」は母親の中に厳しい認識を形作る。
先には「生から死へ移つて行つたわが児を国法の外に支えること」しか念頭になかった母親にとって、死んだ赤ん坊が「ケシ粒のように小さく見え
た。」というのは、ずいぶんな変わりようである。ここに、母親が醒めた認識に到達したことがうかがえるが、返事の最後の行に記した「わたしらは屈
辱のなかに生きています。」には、一人の労働者として現実を等身大にとらえ、その現実と闘う意志さえも読み取れよう。

「街あるき」

 太田に手紙を書いて森本に会うにしても、しかし彼は 太田を飛びこえて、つまり彼の手引きによつてという のではなしにじかに森本に会いたかつ
た。それはそう あるべきであつた。二、三の短篇を読んだだけで、相 手を軽蔑するということは許されなかつた。しかしそ れは、武藝者がよその
道場を訪問するようなものでな ければならなかつた。                その思いつきはそのため格別彼を昂奮させはしなか つた。彼はじ
つさい労れきつていた。それでも彼は、 不意に自然に出てきたこの思いつきを無理に捨てよう という気にやはり自然にならなかつた。      

 詳しくは前掲の拙論にゆずるが、この場面から、〈武藝者〉のごとき静的な〈たたかい〉を持続していこうという意識が読み取れよう。この意識は、
「街あるき」の物語を通って、ぼんやりした安吉が到達した意識であることを注意しなければならない。

「村の家」

 彼は、自分が気質的に、他人に説明してもわからぬよ うな破廉恥漢なのだろうかという、漠然とした、うつ けた淋しさを感じたが、やはり答えた、
「よくわかり ますが、やはり書いて行きたいと思います。」
 「そうかい……」
 孫蔵は言葉に詰まつたと見えるほどの侮蔑の調子でい つた。勉次は自分の答えは正しいと思つた。しかしそ れはそれきりの正しさで、正しくなる
かならぬかはそ れから先きのことだと感じた。彼は多少の酔いを感じ、 ふぬけのように労れた。
 「ふうむ……」 
  孫蔵は非常に興ざめた顔をして大きな眼を瞼の奥の
 方へすつこましていた。勉次はこの老人をいかにむご たらしく、私利私欲のために、ほんとうに私利私欲   妻をも妹をも父母をも蹴落とすような
私利私欲のた めに駆りたてたかを気づいていた。静かな愛想づかし が自分のなかに流れてきた。         

 この作品は勉次の転向後、父孫蔵から筆を折ることを勧められた際のやりとりを中心に描かれている。父の論理は、農村の家長としての体験の裏
付をもつ〈生活者〉としての論理であり、また、転向をした息子をおもんばかる愛情あふれた論理でもある。そして、この父の論理によって勉次は父親
や家族に対して責任を感じなかったことに気づき、父の論理に対して十分な理解も示すこととなる。しかしながら、勉次にとっては筆を折るというのは
どうしても諾うことのできぬことである。
 この作品の父は、〈生活者〉であるには違いないのだが、「街あるき」の女のような単純化された存在ではない。家の論理、村の論理、そして国家の
論理までもその背後に背負った家長としての〈生活者〉という存在なのである。その背後にある論理は、父の口から「罠」を勉次の周りにはりめぐらす
こととなる。その「罠」を感じる勉次の感性は、ずいぶん研ぎ澄まされた感性であろう。「彼は、自分が気質的に、他人に説明してもわからぬような破
廉恥漢なのだろうかという、漠然とした、うつけた淋しさを感じた」という孤独感にとわれるほどのものであった。他人からの理解をも拒絶するようなこ
のような感性を貫き通すことは容易ならざることである。
「よくわかりますが、やはり書いて行きたいと思います。」という勉次の答えは、周囲のすべてと闘うことの表明と云ってもよいのであり、「勉次は自分
の答えは正しいと思つた。しかしそれはそれきりの正しさで、正しくなるかならぬかはそれから先きのことだと感じた。」というように、この〈たたかい〉
の正しさすら確実に保証されていないのであるが、勉次は〈たたかい〉を志向しているのである。

 もし僕らが、みずから呼んだ降伏の恥の社会的個人的 要因の錯綜を文学的綜合のなかへ肉づけること、文学 作品として打ちだした自己批判を
とおして日本の革命 運動の伝統の革命的批判に加われたならば、僕らは、 そのときも過去は過去としてあるのであるが、その消 えぬ痣を頬に
浮かべたまま人間および作家として第一 義の道を進めるのである。
         (「『文学者に就て』について」) 
 文学者としての「第一義の道」を「みずから呼んだ降伏の恥の社会的個人的要因の錯綜を文学的綜合のなかへ肉づけること、文学作品として打ち
だした自己批判をとおして日本の革命運動の伝統の革命的批判に加わ」ることで進もうとする作家中野の決意が読み取れる。勉次も、ほぼ同様な
決意でもって、文学の道を進むことを、父親の前で明言したのであろう。

「五勺の酒」

 どうか共産党よ。このことを知つていてくれと叫びた くなることがあるということだ。実際ただ、天皇と天 皇制とまで行かねばすべてを取り扱う条件
ができぬの だ。しかし夜が明けてきて手もとが怪しくなつた。決 心をする決心をしたということを書いたが、そのこと は説明しずにしまつたようだ。
(中略)しかしほんと うに明けてきた。五勺のクダか。しかしすべての年寄 の冷や水が消え得るということも事実ではないか。そ してやはりこの項
つづくだ。           

 もとより『短篇集』で三十ページ以上におよぶ作品が、「五勺のクダ」と済まされるわけはないのであるが、この「五勺の酒」は様々な過去や社会現
象に対する中学校長(ひいては中野自身)の思いが十分に発露されるための有益な装置であることはいうまでもない。「五勺のクダ」によって「すべて
の年寄の冷や水が消え得る」には違いないが、それは一時の逃避としては有効であっても校長の思いを晴す根本的な解決にはなり得ない。根本的
な解決には「決心」が必要なのであるが、この作品では
「決心をする決心をしたということを書いたが、そのことは説明しずにしまつたようだ。」のであり、読者にその「決心」は隠蔽されたままで終わってしま
う。もちろん、作者は共産党員の手紙をこの作品に続けるつもりがあり、それが書かれなかったという作品成立の事情がこの背景にはあるのだが、
この「五勺の酒」という作品としては、語り手の意識の中に存在する「決心」をその存在をにおわせながら読者に隠すという行為を意図的にやってい
るようにも思われる。「この項つづく」は、冒頭近くですでに予定されいるのであり、「決心」の隠蔽も、語り手によって、作品の語り以前に予定されてい
たものであると考えられるのである。しかしながら、語り手の校長はこの「五勺のクダ」を「将来への、未来への未練」と語っており、この校長にとって
も、将来・未来は思慮の中心となっている。このような状況のもとであれば、校長の「決意」とは、かなり将来的な「決意」であろうし、この作品でいわれ
ている「クダ」の対象は、ほとんど社会事象全般に渡っており、それを解消するための「決意」であってみれば、それは相当な「決意」であることがうか
がわれる。

 この作にははじめの方と終わりに「この項つづく」と
 書いていて、「戦後最初の奇妙な十年間」という題の、 「中野重治全集」第三巻のうしろ書にも「これは、作 者としていえば前半分だけ発表された
ものである   往復あわせてが『五勺の酒』だった。返事の分が書か れずじまいのまま今日にきたのである。いまになお、 いまになっていっそう切
に、それの書きたい瞬間が瞬 間的にある。」(一九七七・四)と書いている。この 手紙を受けた共産党員の友人は校長の所感に返事を書 かねば
ならなかった。一九七七年の時期にも作者は右 のように書いたのだ。しかし「この項つづく」という のは作者自身の弁明でもあったような気がす
る。そう いうことを思いあわせると、「五勺の酒」の、校長の 手紙という設定と形式はこの作品の内容を最も自然に していて巧みである。そのあと
校長への返事は書かれ なかった。それは書かれなかったが、「五勺の酒」で 扱われた問題そのものについては中野さんは、その後 も執拗に指
摘をつづけた。中野さんほどこの問題につ いて鮮明な態度を示した人はいない、と云っていいか もしれない。このことの中に私は、中野さんの、天
皇 および天皇制についての心情をさえ伴った実感と、そ れゆえの屈折の末の強靭な精神をみる。      (佐多稲子氏『新潮現代文学 3 梨
の花 ある楽しさ中野重治』解説)

 校長が指摘する諸事象は、中野自身にとっても問題となるところであるのだが、佐多氏が見たような「中野さんの、天皇および天皇制についての心
情をさえ伴った実感と、それゆえの屈折の末の強靭な精神」をこの校長も持っているだろう。それは、自らの過去に照合しても、決して一元的に解決
できるものではない。たぶん校長が「決意」したところで、事態は変わらないだろう。「クダ」ではあっても、その背後では、かなわぬことを前提としなが
らも、校長は「決意」せねばならないのだ。

「萩のもんかきや」

 鼻の高い美人が  それは、あの肩つきからみて、背 も高い美人にちがいない。  戦死者の寡婦で「もん かきや」だということが、その「もんか
きや」という 仕事が、機械も動力も使わないまったくの手仕事だと いうことが、また紋つきの紋をかくというその商売が、 女の鼻が西洋人のように
高いだけにつらいものに見え てくる。「もんかきや」  言い方が古いだけ、その 分量だけ逆にあたらしい辛さがそこからひびいてくる ようにも思
う。いくらかだらけたような、気楽で無責 任な感じだつた私がいきなり別の気持ちになつたわけ ではない。それでも、「もんかきや、萩のもんかきや
 ……」といつた調子で私はいくらか急いで歩いて行っ た。

 気楽な旅を題材にした小説といった趣で始まるこの小説は、「もんかきや」の発見の後、突然調子を変える。「いくらかだらけたような、気楽で無責
任な感じだつた私がいきなり別の気持ちになつたわけではない。」とはあるが、
「それでも、『もんかきや、萩のもんかきや……』といつた調子で私はいくらか急いで歩いて行った。」と明らかに気分の変化がうかがわれる。
 「もんかきや」があるのは、萩の街の端で、町中とは様子が違ってきている。「もんかきや」を発見した後、その女をめぐる記述は『短篇集』で三ペー
ジ以上にも及ぶ。(この小説は、十二ページ)詳細な観察が記述されているわけだが、この仕事はこの女にとっては、「若い女らしいだけに、それがみ
すみすおろし金ですりおろされて行くように見える」ものであり、語り手から見ると、「商売としてのそれが、ひどくはかないものに思われてくる。」また、
「戦死者の家」という表札のようなものも目に入り、ますます語り手はこの女に「辛さ」を感じ取る。語り手の意識は、この女の辛い〈生活〉に向けられ
ているのであり、語り手の調子の変化は、女の〈生活〉を認識するところに起因しているのである。
 ところで、もう一つの「萩のもんかきや」が存在する。

 「もんかきや」という、よそで見られぬ昔風の看板の 言葉が、古めかしいだけそれだけ、かえつて新しい痛 ましさで頭からはなれない。
        (『萩民報』掲載「萩のもんかきや」)

 『萩民報』掲載のもののほうが、四百字詰原稿用紙三枚余りの随筆であり、その性質から直接的に「もんかきや」への思いが述べられているが、
「私がいきなり別の気持ちになつたわけではない。」というような物語を通った後の意識を冷めた表現で語るところも、(例えば、「街あるき」などのよう
に)中野作品の特質と言えるだろう。

「姉の話」

◎ 私はさつき言つてみた。
 「ねえさん、あなたはちようどこのうこん桜の花のよ うですね。」と。けれどもそれはほんとうにそうだろうか。私にはなんだか姉は決してうこん桜の
ようじや ないという気もするのである。
 「それにしても、姉はどんなふうにして私の家へ来る ようになつたのだろう。」
 それはついに私の知りえないことかも知れない。
 私には、姉を見る機会が、永久に二度とめぐつてはこ ないような気がする。
 「姉にたいして、私は決して悪い小舅ではなかつた。」
 このことさえ私自身にはつきりすれば、これを書いた 私の目的は達せられるである。

 中野の四高時代の習作に属する作品である。
 冒頭ですでに、「ねえさん、あなたはちようどこのうこん桜の花のようですね。」「どんなふうにして姉は私の家へ来るようになつたのだろう。」とあり、
この作品の基調は示されている。
 姉を「うこん桜」に重ねるイメージは、作品中に何度も書かれているのだが、結末近くになって「けれどもそれはほんとうにそうだろうか。私にはなん
だか姉は決してうこん桜のようじやないという気もするのである。」と疑問が提示される。語り手の物思いは、眼前の風景によって彩られているよう
だ。谷のいちばん奥にある寺で、「うこん桜」を見ている。「そのどことなく青みを帯びたうす黄色な花を眺めながら、私の物思いも、なんとはなくうす黄
いろくかすかに青みを帯びて行くのである。」
姉についての思い出は、断片的であり、ぼんやりした感じである。「どんなふうにして姉は私の家へ来るようになつたのだろう。」というモチーフで、こ
の青年は思い出を語ろうとするのだが、「それは思い出せないどころか、じつは始めから知らないのである。」とあり、この疑問に対して、いかに思い
出を語ろうにも答えを見出せないことは、所与の事実なのである。にもかかわらず、青年は思い出を語る。
 姉の思い出は、決して楽しい思い出とは云い得ない。むしろ辛い出来事の連続だと云える。姉はやるせない思いを抱きながらもけなげに生きてき
た。その思い出を語るのであるが、「あわれな話」であり、姉の辛さの追体験ともなっていよう。姉の〈生活〉の追体験によって、姉のイメージ「うこん
桜」に疑問が生じているのである。
明白に表現されているわけではないが、語り手の青年は姉の〈生活〉を通して〈生活〉の実態を知り、意識の変革を迫られているのである。

 以上、各作品について述べてきたが、共通する構造が認められよう。それは、登場人物が作品世界において、〈生活〉を知り、そのことを通して、結
末部分でなんらかの意識の変化が起こるというものである。この構造は他の中野作品にも認められ、中野作品の特質の一つであると言えるだろう。

 『短篇集』から読み取れる中野文学の特質とは、これだけではないだろう。研究発表で、稿者は「女」の問題を提示した。この問題については、考え
の纏まらないところも多く、ここで十分に述べることができない。他の問題と合わせて、『短篇集』についてさらに考え、他日稿を新たにすることとした
いと思う。
 
 


 
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