2日目 のページ

前日、現地時間夜中12:00に寝たはずなのに、朝7:00には、目覚める。

そして、朝食を食べに。

う〜ん、パリのホテルの朝食の方が、パンも、チーズも、おいしかった・・・

って思いながら、食べたけど、これが、イタリアの標準のおいしさなのだろうか・・・

確か、「イタリア料理は、おいしいよ」って聞いていたはずなのに。

 

少々の不満はあったけど、とりあえず、朝食を済ませて、いざ、ローマ第1日目、出発!

前日、「ローマはスリが多いから気を付けて」と言われていたので、思いっきり緊張しながら街中を歩く。

ホテルから、地下鉄の駅までは、歩いて約10分。建物、車1つ1つに感激しながら、「REPUBBLICA」駅へ。

本当は、ホテルから近い駅があったのだけれど、そこから乗ると、途中で乗り換えをしなければいけないので、

この駅から乗ることに。

この地下鉄の電車、「これは、ニューヨークの地下鉄じゃん」と、思うくらい、落書きだらけ。

(ちなみに、ニューヨークと言うところには、行ったことがないんだけど。)

同じ電車に、日本人の夫婦が。(私たちよりは、ずっと年上)彼らは、端から見ても、思いっきり気を張って地下鉄に乗っている。

彼らは、途中の駅で、下車。私たちは、ヴァチカンへ行くために「OTTAVIANO」駅へ。

地下鉄を、降りると、ローマ法王の写真入り旗(紙でできたやつ)なんかを持った人たちも、一緒に下車。

そう、今日日曜日は、サンピエトロ教会で、ローマ法王のありがたいお言葉を生で聞けるらしい。

私たちも、ローマ法王を見るため、おっと、拝謁するため、ヴァチカン美術館が閉まっているにもかかわらず

(さすが、キリスト教。安息日は、美術館でさえも守る!)ヴァチカンへ。

と、言うことで、彼らの後に付いていけば、必ずヴァチカンへ行けると信じて、後に従う。

地下鉄の駅を出る階段のところで、これがうわさの「ジプシーの女達の物乞い」に遭う。

と、言っても、通りすがりの人に、手を出して、お金をせびるだけだったけど。

しか〜し、彼女たちは、どさくさにまぎれてスリもするらしい。気を付けなければ。

 

ヴァチカンに入ると、楽団が、演奏の練習をしている。

それを横目に、サンピエトロ寺院へ。

サンピエトロ寺院は、入場無料だったけれども、入口に警備の人が立っていて、服装をチェックしている。

短パン、ノースリーブの人たちは、入れないらしい。

ノースリーブの人は、肩からスカーフを、短パンの人は、腰にスカーフを巻いている。

中に入ると、外の暑さが嘘のように、すずしい。大理石で出来ているから、だろうか・・・

辺りを見回すと、こっちでは、洗礼式、あっちでは、ミサをしている。

いろんなところを見回ると、1カ所だけ、入場料をとるところが・・・

そこは、「宝物館」。ローマ法王のお出まし(12:00)まで、時間があるし、だれもいなさそうだったので、入館することに。

6,000リラを支払い、中へ。しかし、薄暗くって、一人だったら、怖くて入れなかったかも。

各々の説明には、日本語は、ない。英語、イタリア語、フランス語等5カ国語だけ。

・・・もっと日本人に迎合してもいいんじゃないの?

そして、外へ出ると、さっき入場券を買ったところでは、人がうじゃうじゃと・・・

たまたま、私たちが入ったときには、混んでいなかったんだと分かって、静かに見ることが出来て、ラッキーだったのかな。

出口のところ(と言っても、入口と同じだけど)で、ここのガイドブックを購入。やっぱり日本語がない。

 

しばらく、寺院の中を探索して、のどが渇いたので、外でジュースを買うことに。

そしたら、値段を聞いたら、最初は、「3,000リラ」って言ってたのに、実際に購入するときには「5,000」リラも

ぼったくられた。自分の思うようにイタリア語がしゃべれたら、抗議ができたのに、言うなりに支払ってしまった

自分に、むちゃくちゃ腹が立つ・・・

 

ま、気を取り直して、もう一度、バチカンへ。

12:00近くになると、ローマ法王がお出ましになると言われている窓の近くには、わさわさと人だかりが・・・

私の後ろでは、楽団がなにやら練習をしている。

そして、12:00。ローマ法王が・・・おっとむちゃくちゃ小さくって肉眼では、見ることが出来ない。

用意してきた双眼鏡で見ても、はっきりと顔が分からない。

声は、マイクを通しているから聞こえるんだけれど、何を言っているのか分からない。

英語じゃないのは、確か。でも、あれは、イタリア語だったのだろうか・・・

途中、団体で来ていた人たちのことをローマ法王がおっしゃったらしく、「わーっ」って歓声が上がる。

そして、ローマ法王の最後の言葉は、みなさん一緒にご唱和。

これらが、だいたい10分くらいで終了。

私の目の前にいた2歳くらいの女の子も、静かにお父さんにだっこされながら、聞いていて、

最後には、ローマ法王に手を振っているでは!さすが、クリスチャン。

 

これで、今日のバチカン市国の用事は、終了。

と、言うことで、地下鉄に乗り「FLAMINIO」駅へ行くことに。

ここは、「ボルゲーゼ公園」の近く。

前日、ホテルで待っていてくれたガイドさんが、「ここはローマ全体が見れていいところですよ」って教えてくれたところ。

ところが、駅を降りたはいいけれども、方向を失ってしまう。

降りたところが、「ポポロ門」のそば、と言うことがやっと分かって、方向感覚を取り戻すことに。

後から分かったことだけど、「ポポロ門」を入ったところの「ポポロ広場」は、セリエAのローマが優勝したときに

ローマ市民が騒いだところ。らしい。

「ボルゲーゼ公園」に入ったはいいけれども、歩いても歩いても、上り坂。

バスに乗りたいけど、乗り方が分かんない。

結局、休み休み歩いたけれども、ガイドさんが言っていた「ローマ全体が見れる場所」を見つけることが出来なかったのは

残念。

ここって、日本人にとって、マイナーなところなんだろうか。ボルゲーゼ公園では、日本人を見かけることなく時を過ごす。

そして、ピンチアーナ門をくぐって、門づたいに、スペイン広場へ。

ここで、やっと、初めてのイタリア料理を。

ここの近くにおいしいお店があると、前もって教えて貰っていたので、そこへ行ったんだけど、日曜日だったので、

お休み。と、言うことで、隣のレストランへ。

アンチョビのピザとカルボナーラ、そして、デザートはもちろん、ジェラート。

これがまた、おいしくって。BUONO BUONO。(イタリア語で、おいしい)

 

このレストランを後にして、もう一度スペイン広場へ。

スペイン広場って、「ローマの休日」で、オードリーヘップバーンがジェラートを食べたところ。

スペイン広場の奥にある建物がスペイン大使館、だった(現在もかな?)ので、スペイン広場という名前になったらしい。

今は、ここで飲食は出来なくなっているみたいで、誰も飲食をしていない。

とりあえず、階段のところに座って、「ここがローマだ!」っていう実感に浸る。

ここで、日本人観光客を見つけて、初めての2人のスナップ写真を撮って貰い、

そして、別れに「お気をつけて」と、言って別れ・・・たのは、よかったんだけど

その言葉が耳に残っているときに、今回最初の事件が・・・(と、言っても事件は、この1回だけだったけどね)

階段を下りて、バルカッチャの噴水のところで、「NAKATA・NAKATA」って声をかけられる。

そして、相方の手首を取り「トモダチトモダチ」って。なんて人なつっこい人だろうって思っていたら、

英語だったか、イタリア語だったか忘れちゃったけど、(日本語じゃなかったのは、確か)

「イタリア語しゃべれる?」って聞かれる。

「NO」って答えると、いきなりミサンガを作りだし、「1,000エン」と手を出してくる。

突然、パニック!何がどーなったの?

相方は、お金を出し(もちろん1,000円も払うわけがない)、立ち去ろうとすると、「これでは、少ない」とジェスチャー。

そして、ごっつい体格の援軍が・・・相方のトラブルに気を取られていたら、あら大変。

鞄に巻き付けて置いた、BABY−Gが、いつの間にかなくなっている。(気付いたのは、その場を立ち去った後だけど)

この時計、最初の誕生日のプレゼントだったんだけどな〜。

とにかく、それ以上お金を出さずに、逃げ出すことに成功。

そして、地下鉄で、「REPUBBLICA」駅へ。

最初、「夜は、どこで何を食べる?」って考えていた頭も、どっか行ってしまうくらい、2人ともショックでショックで、

結局、そのままホテルで、ダウン。

後日、親戚の話を聞いたところ、十数年前に、ローマでぼったくりバーに連れて行かれて、15万円くらいとられた

って言う人が。だから、BABY−Gと、お金少々だけの犠牲でよかったんだよ。(それも初日に)

「片言の日本語でしゃべりかけてくる人には注意!」という教訓&ローマは怖いという緊張感を持って

次の日からの行動をとれたから、その日以外には、そんな事件に巻き込まれずにすんだんだって思ってるアタクシでした。

う〜ん、やっぱりパリの方が良かったかも・・・

 

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