ようこそ越前武生の古刹、願い事が叶う「戒壇巡り」のお寺へ
全国に9000の門末寺院を擁する通幻寂霊禅師の示寂地
(伝)紫式部の居住地跡
越前藩国老・本多富正公の菩提所
永平・総持の両大本山へ到る「第一の関所」(江戸時代)
絶滅危惧種「藤袴」フジバカマ(秋の七草)の群生地
永平寺や御誕生寺参拝の因みにお立ち寄り下さいませ

あなたは、人目のお客様です
これは平成18年に作った十五条衣 |
庫裏「白雲台」の座敷にて作製しています |
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「龍泉寺お袈裟の会」では「糞掃衣」(ふんぞうえ)を縫っています。これは現在のものとは違い、お釈迦さまが示された本当のお袈裟です。 ただ今は、「二十五条衣」に挑戦しています。 皆さんの家でタンスに眠る不要の着物は有りませんか?。もし有りましたら是非お袈裟の生地として活用させてください。用いるのは、大島・羽二重・繻子(シュス)・麻・男性物襦袢・男性物の昔の着物・ちりめんです。 但し、ウール地・銘仙は不向きです。 このような着物や布地をご喜捨くださる方はご連絡くださいますようお願い申し上げます。 |
連日の酷暑にて、屋根の上での作業は大変かと思います。 |
施行業者の(有)アルゴコーポレーションの大友さ ん達。市内の曹洞宗金剛寺の檀家さんです。 |
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102歳を迎えられ、益々矍鑠と過ごされていた大知老師でしたが、この夏の酷暑のせいでしょうか。老師は俄かに体調不良を訴えられ、病院に搬送されましたが、薬石効を奏さず遷化なされました。 葬儀は本寺の大野市・宝慶寺田中真海老師が大導師となり五仏事で厳修されました。 永平寺専使を師兄の松原道一師、総持寺専使を不肖が勤めました。 |
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建立して40年近く経ち傷みが甚だしくなりましたので瓦に葺き替えることにしました |
開山堂の内部。通幻・峨山・舜国の各禅師さまそれぞれ文化財に指定されています。 |
私一人では移動不可能。息子に手伝わせました |
無事、本堂に仮安置された3木像 |
運び出した後の開山堂。文字通りの「ガランドウ」 |
眼光ケイケイたる通幻さま |
通幻さまの帽子(もうす)。実は元々小松の妙覚寺にあった道元さま木像の帽子でありました。 |
峨山さま椅子の裏書。初めは開山忌に用いた礼盤を椅子の一部に造り替えたようです。 |
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恒季のお盆の法要「盂蘭盆施食会」を修行いたしました。 当山では棚経を7月に、施食会法要を8月に行っております。 この日は猛暑の中、60名のお檀家さんがお参りされ、ご先祖へ懇ろなる供養を営みました。 今年は法要の写真を撮影するのを失念してしまいました。 法要後の盛景寺・松原太流老師のお説教のスナップだけを掲げさせていただきます。 |
毎年この時期に行っています |
今年は私が担当いたしました |
和洋・大小さまざまの人形でした |
法要後、参詣の持ち主に法話をいたしました |
生前、親密なるご道情を賜りました |
五導師にて秉炬は永厳寺・池野秀一老師 |
本山から一日だけ休みをいただいて駆け付け |
最後のお別れをいたしました |
ご移転百年事業の一環として大祖堂で開催 |
僧侶や学生など1700人でぎっしり埋まりました |
司会進行を私が勤め |
「平和と宗教」という演題で1時間の講演 |
講演後、質疑応答も。聴衆8名から質問が |
その後、役寮と会食されて下山されました |
能登地震で崩壊したままであると今村祖院監院 老師より連絡を受け |
驚いて当寺が修復をさせていただきました。 そして偶然にも通幻禅師正当忌日の |
6月10日に修復が完了。右側は大徹禅師の塔。左側は不明 |
墓域は慈雲閣の傍でしたが、私は今までその存在すら知りませんでした。恥ずかしいことです |
先代住職の遷化に伴い、私の親友が新住職に |
大導師は福島県の鬼生田老師 |
お逮夜(4日)の説教も勤めました |
当日(5日)の本葬 |
総持寺の禅師様に代わり弔辞を奉読 |
お袈裟は勿論 新しい25条糞掃衣 |
札幌から翌日青森にフライト |
八戸市民会館で西有禅師の墨蹟について |
15点余りの墨蹟を解説しながら進めました |
なかなか解読しにくい墨蹟ばかり |
西有禅師お得意の「達磨画」 |
地元の人々の熱意には頭が下がります |
中央寺さんではお授戒会の最中でした |
150人余りの戒弟さんに加え |
驚いた事に随喜寺院は160ヶ寺との由 |
西有禅師の御一代記をお話しました |
大都会のど真ん中に聳え立つ巨大な伽藍 |
自坊の開山忌の後、10日間余り病床に臥せておりました。 ようやく床上げとなり、この日に福昌寺さんにお邪魔をいたしました。 初めて拝登しましたが、とても近代的かつ巨大な建物のたたずまいにビックリいたしました。 でも一歩境内に足を踏み入れるとそこは静寂の世界。 境内のあちこちに方丈様と寺族様の細やかな心遣いが感じられるお寺でした。 |
上空から見る伽藍(航空写真より) |
喧騒を感じさせない静寂なお庭 |
施食法要の因みにお話をしました |
皆さん熱心に聴いてくださいました |
ご住職の中根正賢老師 |
茶・華道に造詣の深いご寺族さま |
先ず25条糞掃衣を頭上に安置し搭袈裟の偈 |
お袈裟を搭けたら鼓一通が鳴り響きます |
「略出班焼香」の法要です |
室中の板橋禅師と松原老師も焼香 |
お経は楞厳呪 |
板橋禅師も行道されました |
行道のあと、参詣者全員の焼香 |
法要のあと、松原老師による説教 |
法要の最中、台所では昼食の準備が |
「五観の偈」を唱えてからいただきました |
山号は「青松山」 誰かの名前みたいですね |
長野県屈指の巨刹です |
釈尊降誕会のちなみにお話しました |
ご住職の牧野英俊老師 |
当日は40名弱のお参りがありました |
最初にみんな一緒に合掌三拝 |
般若心経を三返読んでご遺徳を偲びました |
最後に住職の法話 |
団子の原料を蒸します |
蒸しあがった物を棒状にします |
棒状になった物を一日乾燥させて |
翌日、棒状の物を包丁で輪切りにします |
出来上がった物を袋詰めします |
上手に出来上がったかな |
お檀家さんが知恵を出し合いました |
涅槃図にお供えしました |
先ずは般若心経で本尊上供 |
引き続き施食会を修しました |
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毎年随喜させていただいてます |
今回の説教師は安倍圭佑老師 |
副住職さん(馬込のやんちゃ坊)と松浦師 |
随喜の若手僧侶たち |
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前日から全国的に春雪が降りました |
本堂の須弥壇に安置された棺と遺影、位牌 |
同寺ご開山・天真自性禅師像も悲しげに |
小原巌雄老師の遺偈 |
先ずは鎖龕仏事、棟岳寺・宗清志師(近隣代表) |
次に移龕仏事、永春寺・佐々木泰三師(末寺代表) |
出喪。遺弟の小原一孝師が位牌を持って三匝 |
全国から集まった末寺住職が遺物を持ちました |
永平寺専使・今村源宗師の弔辞 |
総持寺専使・桑原伯州師の弔辞 |
福井県宗務所長・久我伸孝師の弔辞 |
宗議会議員・松原道一師の弔辞 |
福井県祖門会会長・池野秀一師の弔辞 |
そして奠湯仏事、萬慶寺・久我孝則師 |
久我師は元 永平寺副監院 |
次に奠茶仏事。若輩ながら不肖が勤めました |
天真〜通幻というご開山どうしのご縁により |
十三条の糞掃衣を搭しての法語 |
最後に炬火を執る大導師・盛景寺の松原太流老師 |
現・永平寺西堂として遺言により勤められました。故人と70年近くの道誼にて涙あふるる餞別の語 |
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昨年より取り組んできた「糞掃衣二十五条衣」がいよいよ完成に近づいてきました。 この日は役員10名が集まって、縁を縫う作業をいたしました。 完成したら5月の開山忌で初披着してお披露目する予定です。今から待ち遠しいです。 この後、次に取り組む糞掃衣も既に決まっており、皆さん益々熱を帯びてきています。 実は、次の糞掃衣は当会にとって一大節目になるビッグなものです。でも詳細はまだ秘密にしておきます。 |
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大祖堂には2500人もの参詣者 |
デヴィ夫人や白鵬関、石原軍団が豆を撒きました |
総持寺の若手役寮たちと。みんな血液型が一緒 |
年明け早々の寒波に見舞われました |
屋根瓦が何枚か雪に引きずられて落ちました。 「やぁね〜」 |
三休老人こと萬仭道坦禅師の「生死弁」。持っているだけではダメです。参究しなければ。 |
大正年間に信者から頂いた由。先日九州の方から譲り受けました。 |
大晦日から大雪に見舞われましたが |
幸い50余名がお参りに来られました |
ご本尊・釈迦三尊像に御札をお供えして |
最初に祈願文をお唱えします |
般若心経を全員で読みます |
みんな心を込めて大きな声で読みました |
ひとり10巻ずつ転読しました |
だ〜いはんにゃはらみったきょう と唱えながら |
ひとりひとり理趣文経で肩を打ちます |
皆さまの心願成就を念じて |
年頭の法話 |
庫裏座敷に移動し お汁粉を賞味しました |