通幻禅師について

霊光殿の通幻禅師
霊光殿(開山堂)に奉安の通幻禅師像
禅師ご在世中・南北朝時代の作で武生市指定文化財

そのご生涯
龍泉寺を開かれた通幻禅師は、武生の地に元享2年(1322)お生まれになりました。そのご出生は不思議な伝説に包まれております。その昔,お腹に赤ちゃんを宿した女性が臨月ま近で亡くなり,近くの墓地に埋葬されました。それから数日たったある晩、町の「おおあめ屋」という菓子屋へあめを買いに来る女がありました。次の晩もまた次の晩も夜更けになると青白い顔をしたその女はあめを買いに来たのです。不思議に思った菓子屋の主人がある夜、女のあとをつけていきますと、町はずれの墓場でスッと姿が消えました。主人が翌日もう一度その墓場へ行ったところ、どこからか赤ん坊の泣き声が聞こえてきます。よく聞くと、それは最近葬られたお墓の下から聞こえてきました。早速、墓を掘ってみると中から男の赤ん坊が出て来て、そばには昨晩買ったばかりのあめが竹の皮に包まれて置いてありました。つまり、女性は亡くなった後に赤ん坊を出産し、お乳が出ないので幽霊となってあめを買いに町へ行き、赤ん坊にお乳の代わりに与えていたのでした。

その赤ん坊が少年になったとき、自分の出生の話を聞かされて、ポロポロと大粒の涙を流し「お母さんの菩提を弔うため、お坊さんになりたい」と出家の志を抱いたのでした。この少年こそ、後の通幻禅師でありました。
通幻禅師は19歳のとき金沢の大乗寺・明峰禅師の下で修行に入り、明峰禅師亡き後は能登の総持寺・峨山禅師の下へ転じて厳しい修行を続けられました。そして文和1年(1352)30歳のとき、「身心脱落」の話によって悟りを開かれて峨山禅師の法を相続し、やがて総持寺の第5世として、また曹洞宗一門の総帥として禅風を振るわれました。後に丹波(兵庫県)山中に永沢寺を開かれ、能登の総持寺と永沢寺を行き来するうちに、越前府中(福井県武生市)に守護の帰依を受けて、応安1年(1368)に「途中休息の地」として龍泉寺を開かれたのでした。

通幻禅師の下には全国から大勢の雲水が道を求めて集まりました。通幻禅師の修行僧に対する厳しい教育ぶりをうかがえる2つの故事が伝わっております。それは「活埋坑」と「文字点検」というものです。「活埋坑」とは、山門のところへ大きな穴を掘って新しい修行僧が入門を願いに来るとそこで挨拶を受け(禅問答を行なう)修行僧の真剣な態度を見てとれば喜んで受け入れるが、万一不真面目な態度があればたちまちその穴へ蹴り込んだといいます。また「文字点検」とは、5日ごとに修行僧の部屋を点検し持ち物の中から書物や筆・硯などを没収して焼却してしまったというものです。これは修行僧が文字言句にとらわれて坐禅に集中できなくなることを深く慮られたからであります。まことに峻厳極まる通幻禅師の辛らつな家風であります。しかしこのために真実の道を求める若い修行僧が続々と禅師の下に参じたのでした。

さて、明徳2年(1391)通幻禅師は体の不調を覚え、龍泉寺にて静養されておりましたが、薬石空しく5月5日端午の節句の日、修行僧たちへ次のような最後の説法を述べた後、午後1時頃静かに亡くなりました。
「吾れ去って後、汝ら諸人まさに万縁を屏息して一大事を究明し、洞上の玄風を地に墜ちざらしむべし。もし文字語言・名聞利養に貧著せば吾が徒に非ざるなり。時至れり。吾れ逝かん」
遺偈(辞世の句)は、「甲子を算計するに満七十年。末後の一句。両脚天を踏む」としたためられました。
遺骸はお生まれになった場所に埋められ、墓塔が建てられ「幻霊の塔」と称します。(境内伽藍の項に写真紹介)幻霊の塔は通幻派の聖地として、今でもその芳躅を慕う多くの方々がお参りに訪れます。

禅師亡き後は「通幻十哲」と呼ばれる弟子たちが全国に曹洞宗の教えを広め、爆発的に各地に寺院を開いて檀信徒を獲得していきました。現在では曹洞宗は全国に1万5千の寺院、そして800万人の檀信徒を擁し、日本最大の教団となっております。そのうちの実に9千ヶ寺が通幻禅師の流れを汲んでおり、「通幻派」として一大勢力を形勢しております。龍泉寺はその通幻派の本山として、丹波の永澤寺とともに、宗門に重き立場をなしております。また、折々の説法を弟子が書き留めた「通幻禅師語録」(寺宝の項に写真紹介)は現代の修行する者にとりましても貴重な指南書となっております。

通幻十哲とは
1 了庵慧明禅師 龍泉寺輪住第1世、神奈川県南足柄市の最乗寺開祖
2 石屋真梁禅師 〃第2世、鹿児島県川内市の福昌寺開祖
3 一径永就禅師 〃第3世、兵庫県姫路市の景福寺開祖
4 普済善救禅師 〃第4世、福井県福井市の禅林寺開祖
5 不見明見禅師 〃第5世、福井県武生市の興禅寺開祖
6 天真自性禅師 〃第6世、福井県今庄町の慈眼寺開祖
7 天鷹祖祐禅師 〃第7世、愛知県小牧市の正眼寺開祖
8 天徳曇貞禅師 〃第8世、福井県武生市の宗生寺開祖
9 量外聖壽禅師 〃第9世、鹿児島県蒲生の永興寺開祖
10 芳庵祖厳禅師 〃第10世、福井県武生市の願成寺開祖

この10人の偉大なお弟子たちが全国津々浦々へ禅の教えを広めていき、それぞれの地方における修行や布教の中心寺院となって現在の曹洞宗教団大発展の原動力となったのです。
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