1

方 丈「探珠の間」へようこそ

方丈は「ほうじょう」と読み、禅寺での住職居室を指します。住職のことを「方丈さん」と呼ぶのはこれに由来します。龍泉寺の方丈には江戸末期の傑僧・永平寺60世臥雲童龍禅師の筆による「探珠」(たんじゅ・たまをさぐる)の額が掛けられておりますことから「探珠の間」と呼ばれています。



拙僧(わたくし)のプロフィール



左が拙僧、右は永平寺貫首の福山諦法禅師
(平成15年4月福井県名田庄村の宝積寺本堂落慶法要の折り)

上の写真と比べながら見て下さい。昭和34年(1959)7月、生まれてまもない私が福山禅師さま(当時27歳)に抱っこされている写真です。
福山禅師さまは私の父と永平寺で同安居(同級生)で、とても仲が良かったそうです。
父は先に修行を終えて龍泉寺に帰り(既に母と結婚しておりました)、この年の7月、福山禅師さまも修行を終え妙厳寺(豊川稲荷)へ帰られました。その途上、龍泉寺へ立ち寄り一晩泊まって父と旧交を温められた折に、慣れない手つきで生後間もない私を抱っこしているのがこの写真です。
あれから63年の歳月が流れましたが、禅師さまは私を抱っこされたことを鮮明に覚えていてお会いすると必ずその話題になりました。そんなご縁をいただき、まことに勿体無くも有り難く存じております。

大学4年生の時に金沢市北国講堂でブラームスのピアノソナタ第1番を演奏
   

氏名 山口正章(せいしょう)、青嶂、蘆雪、雪泥とも称す
年齢 63歳
家族 妻と男子1人女子2人、子の配偶者2人、孫2人、老母
これまで 武生に生まれ育ち、学生時代は音楽(ピアノ、ヴァイオリン、ホルン、指揮)に没頭。
武生高校〜金沢大学を卒業し、永平寺にて2年間余り雲水修行する。
24歳で龍泉寺住職となり、37歳で總持寺の役寮として上山し3年間勤務。禅師さまの侍者のほか、布教次長・人権室次長も勤める。
平成11年、寺に帰ってからは特派布教師として3年間全国を説教巡回。
この他、永平寺と大乗寺、北陸大学の非常勤講師も歴任。
平成14年12月、43歳のときに福井県の宗務所長に就任。
平成20年9月、49歳で再び總持寺へ役寮として上山し、出版部長・布教部長・布教教化部長・単頭・尚事・副監院を勤めて(12年7ヶ月間)62歳で退任す。
2回の勤務で合わせて約16年間に及んだ。著書12冊。
現在は 龍泉寺住職。總持寺御直末会副会長。
要請に応じ各地へ講演・布教に赴いている。
ライフワーク 歴史の彼方に埋もれてしまった祖師方の発掘紹介と顕彰。
「雪泥鴻爪」シリーズ。
得意技 ピアノ (大学生のとき金沢大学オーケストラとモーツァルトのピアノ協奏曲23を協演)
好きな言葉 「現成是れ何必」(げんじょうこれかひつ)と「道に礙えらる」。
道元禅師のお言葉だが一生かけて参学していきたい 。
好きなもの 藤袴や不如帰、ヒメウツギなど可憐な花、歌舞伎、落語などの古典芸能、クラシック音楽、特にBachの無伴奏Vnソナタ、Mozartの幻想曲K.475、オペラ「リゴレット」、Beethovenの後期Pソナタ、Ravelの左手のP.C、Rachmaninovの前奏曲、
P.C3、Elgerの交響曲No1、BrahmsのVnソナタ1、Mahlerの歌曲、
Schumanのダビット同盟舞曲集、フモレスケ、Cavatina が大好き、
駄洒落(ダジャレ、つまり言葉の知的遊び)
嫌いなもの すこ(里芋の茎の酢漬け)、冬(屋根の雪かき、参道の除雪で毎年苦労するので)


法話

百不当の一老(正法眼蔵 説心説性の巻)

「百不当」とは、例えていえば弓で的を射ることです。闇で的を射ようとしても一向にあたりません。百回やって百回とも当たらないのです。しかしその当たらない矢を諦めずに何本も放って修練を積むうちに、やがて当たるようになるのです。その的を打ち抜いた矢、つまり一当は、それまでの「百不当の力」であり「百不当の一老」「百不当の蓄積」であります。

                                              
今までの法話

ホームへ戻る