□■□■ よしなしごと5(隠岐の旅2…西ノ島) ■□■□
▼△▼△ 船上にて △▼△▼
西郷港を出たフェリーが西ノ島の別府港へと向かいます。前もって隠岐、特に島前は松枯れがひどいと聞いていたのですが、フェリーから眺める限りでは確かにそのとおりで、松の白骨が随所に見えました。私は山のことは詳しくないのですが、近年の温暖化の影響で松食い虫の被害が大きくなっているとのことです。また、確かにそのとおりだけれども、山の手入れが昔ほど行き渡らなくなったせいで被害が大きくなっているとも聞いており、環境のあるべき姿とか環境を守ることの難しさとかを考えさせられます。
また、同じく船上から架橋を目指す看板が目に入りました。島前は一つということで、西ノ島と中ノ島、西ノ島と知夫里島の間に橋を渡す計画のようです。我々部外者から見れば島が改造されていくようで幾分か寂しいのですが、橋がないと不便もいろいろとあると思われます。私以上に島が変わることへの寂しさもあるのでしょうし、またそれ以上に橋を願うのであれば、やはり必要な橋なのだと思います。
▼△▼△ 別府 △▼△▼
別府は西ノ島の東の玄関口であり、東の中心地です。島の東部はかつては黒木村であり、黒木御所跡などの後醍醐天皇にまつわる史跡があります。別府港近くの黒木御所はかつては松に覆われた厳かなところだったそうですが、今回私は特別感慨を抱くこともありませんでした。因みに後醍醐天皇の御所は島後の隠岐国分寺だったとの説もあり結論は出ていないようです。
それより別府で驚いたのは、飛行場跡地の碑が立っていたこと。こんなところに飛行場が!とびっくりしましたが(失礼)、地元の有志、安藤氏の働きかけで昭和10年から12年までですが松江まで水上飛行機による航空路が開かれていたそうです。
▼△▼△ 比奈麻治比売命(ひなまちひめのみこと)神社 △▼△▼
別府より東の方へは、物井、倉ノ谷、宇賀と集落があるのですが、倉ノ谷と宇賀の間の道路沿いに白い鳥居があります。済神社と書いてある鳥居を奥に進むとしばらくして社殿が見えます。正直言ってただそれだけのお宮さんなのですが、その実は古くからある由緒正しい神社でもあります。
比奈麻治比売命神社というのは長いので、地元では済神社(すみさん)と呼んでいるようです。済というのは西ノ島の東北端の地名のようで、島の隅っこだから済なのかなとは私の勝手な推測ですが、宇賀から4kmも行かなければならないところに元々ありました。かつて遣渤海使が闇夜で方向を失ってしまった折りに、この比奈麻治比売命の灯した火の光で無事漂着できたとのいわれがあるようです。その地に行って大海原を眺めれば往事の気分を味わえるかとも思ったのですが、道が分からずじまいでした。
▼△▼△ 焼火(たくひ)神社 △▼△▼
縁起書によれば、一条天皇の御代、海中で燃え続けていた不思議な火が飛び出して今の神社の場所に留まったとされているようです。また、後鳥羽上皇が嵐に遭い、かつ闇夜で方向を失った際に、この御神火に導かれて無事入島できたとのいわれもあり、爾後「大山」を「焼火山」と変えたと伝えられています。火は篝火でしょうし、航海安全の神様として信仰が篤いようです。ただ、焼火山は島前の最高峰で、島前はこの山を取り囲むようにしてあるのですから、航海以前にそれだけで信仰の対象なのかなと思います。なお修験者の霊場でもあったようです。
岩窟にめり込むようにして社殿があり一見に値しますが、山はやはり周りから愛でる方がいいように思います。
▼△▼△ 美田 △▼△▼
西ノ島で最も括(くび)れている辺りが美田です。尤も先に挙げた焼火山も美田に含まれるわけで、大字(或いは地区)としての美田は随分広いのだろうと思います。
括れから東の方に平野が広がっていてなんだか手足を伸ばしたくなる気分です。括れは開削されていて船引運河となっています。都合4回渡りましたが、下を覗くと水の色が綺麗で吸い込まれるようでした。
▼△▼△ 由良比女(ゆらひめ)神社 △▼△▼
美田から浦郷を抜けて車で行くと、由良比女神社の傍に出ます。神社は海の方を向いていて、いか寄せの浜と呼ばれています。これは烏賊が押し寄せるからで、言い伝えによれば、神様が海水に手を浸したところ烏賊に噛みつかれ、烏賊はそこことを詫びてこの浜に集まるようになったと言われています。烏賊は捕るというよりも拾うといった感じのようで、海中、鳥居の周りに烏賊を拾う人たちの人形が立てられています。境内の森には色とりどりの烏賊の幟と覚しきものがあり、ある意味安っぽく新興宗教の雰囲気すら漂います。
が、これは大変失礼な言いぐさで、隠岐でも屈指の由緒正しい神社です(新興宗教が安っぽいと決めつけるのも失礼な話です)。一時期衰退していたようですが、江戸時代に海上渡御が復活したそうです。
▼△▼△ 国賀海岸 △▼△▼
隠岐で一番と思われる観光地がここです。断崖絶壁が続き、特に海からの眺めが素晴らしいそうです。しかし私の行ったときには観光船が出ていません。陸の上での散策となりました。訪れるまでは「たかが観光地だろう」と、およそ観光客らしからぬ事を考えていたのですが、行ってみるとかなりいいところです。お勧めです。
隠岐は地味が豊かではないため、牧畑と呼ばれる営農法が古くから行われてきました。耕地を四つ(麦山、粟山、クナ(豆類?)山、秋山)に分け、秋山で放牧をし、四年周期で一巡させ地力を維持する農法らしいのですが、現在では殆ど行われておらず、ただ放牧だけ行われているようです。こんなことを書くのは、そう、国賀の一帯が放牧地となっているからで、牛馬の姿を存分に堪能することが出来ます。インターネット上で、隠岐では糞に注意、と見たことがありましたが、その意味を十二分に噛みしめるのもこの時です。
国賀海岸の頂点は「摩天崖」という標高257mの大絶壁で、その少し手前に駐車場があります。なんとちょうど摩天崖の上にはパターゴルフ場まであり(3ホール程度)、地元の漁師さんと覚しき面々が、大きい声を出して楽しんでおられました。周りは牛馬の糞だらけなのに!などとつまらないことを気にしていてはいけないのでしょう。恐らく。
崖の上から下を覗き込むと、吸い込まれそうになってあまり心臓によくありません。崖の凄さを知るためには上からだけでなく、角度を変えてみなくてはなりませんが、それにぴったりなのがハイキングコースです。といっても、特に道があるわけではなく、牧草地の中のそれらしいところをひたすら歩いていくのです。ちょうどぽかぽかと暖かい日差しだったため最高の散策となりました。逆に天候が悪ければこうは気持ち良くいかないでしょう。また、暖かくなるとひょっとすると蠅が鬱陶しいのかもしれません。
ハイキングコースは2時間かかるということなので、途中で折り返し車で国賀浜へ移動して通天橋を眺めましたが、ハイキングコースを国賀浜まで下って、そこから摩天崖の駐車場までタクシー頼めば良かったと、今更ながら後悔しています。
▼△▼△ 鬼舞スカイライン △▼△▼
赤ノ江(しゃくのえ)の集落から山中に入り、西ノ島の西部の尾根を縦走するのが鬼舞スカイラインです。牧草地で見晴らしも良く、満足のいくドライブコースです。国賀では牛の方が圧倒的に多かったのですが、こちらは馬も多くいます。
終点が鬼舞展望所というところなのですが、それがどこなのかはよく分かりませんでした。途中に小さな建物と駐車場があり道路の舗装も終わっている地点があったのでそこがそうなのかもしれません。車を止めちょっと小高くなったところを登って大きく呼吸をしていると、馬が遠くからこちらをじっと見ていました。
しかしここから知夫里島を眺めることは出来ず、また地図を見る限りではまだ南に行けそうな気がしたので未舗装道路に乗り入れることにしました。しかしこれが危機を招くことになるのです。
あまり車が乗り入れないせいか、今まで以上に馬が道沿いにいます。注意深く進んでいたつもりでしたが、その時、1頭の馬を驚かせてしまいました。すまんと思いつつも先へ進もうとすると、ちょうど道路に柵がしてあってこれ以上は行けないようです。方向転換をし今来た道を戻ろうとすると、さっきの馬がさっきの場所にまだいるのです。というかじっとこちらを見ているのです。知らんぷりして脇をさっと抜けようかと思っていると、そこにたまたまなのか仲間の馬が2頭寄ってきて、何やら会話を始め、3頭でこちらの様子を伺い出しました。静かにこちらが動き出すと向こうも路上をこちらに向かってきます。こちらは軽自動車。大きい馬3頭に蹴られたら大変なことになりそうです。お互い動き出せないまま暫しの時が過ぎましたが、こういう緊張に耐えられない私は、馬が何かで気を取られて脇見をしている間にゆるゆると発進し、横を過ぎたらエンジン全開で逃げてきました。今回の旅行で一番ほっとした瞬間でした。
▼△▼△ 国賀荘 △▼△▼
その後三度(みたべ)の集落を訪ね、急いで取って返して別府までレンタカーを返しに行きました。宿は浦郷の国賀荘だったので、それからまたバスで引き返しました。運転手が「会社が『終便を遅らせる』って言ってるけど、船便以後の乗客なんて無いよ」と言うようなことを、他の乗客と話していましたが、そのとおりだと思います。会社にはどんな算段があるのでしょうか。
浦郷についたときにはもう薄暗くなっていました。浦郷は西ノ島の西の中心地で、県下有数の漁港もあり、役場もあるところだったので散策したかったのですが諦めました。
国賀荘は国民宿舎で小高い丘の上にあります。暗くなっていたので登るのがちょっと気味悪い思いでした。宿は眺めもよく、親切でいいところでした。