第27回ちょっといって講座

改正後の介護保険制度の現状と課題

介護保険改正と地域ケアシステムの構築

龍谷大学社会学部地域福祉学科  池田 省三 教授

2006年10月26日

私は、かつては自治労本部の書記でした。1973年に自治労本部に入り、最初に現業評議会を担当し、その後、調査局・社会保障局などを担当し、16年書記局にいました。ところが、私は「出過ぎた杭」で、「出た杭」は打たれると言いますが、「出すぎた杭」は抜くしかないということで、自治労の研究機関−地方自治総合研究所に移りました。そこに11年いました。1999年に研究所をやめ龍谷大学に移ったという大学人としては変わった経歴を持っています。27年間、自治労の一番いい時期を経験させていただきました。本当に感謝しています。

 

1 元気老人が多いが、給付が高い福井県

図 1

今日は介護保険改正の中身と、新しい介護保険はどちらを向いているのかということをお話しします。

まず、全国的にどうなっているかですが、介護保険はデータがコンピュータ処理されていて、医療保険などと比べると非常にIT化が進んでいます。リアルタイムでほとんどのデータが揃ってしまいます。平成173月の時点で、各都道府県の高齢者の元気度を調べてみました。「要介護度345」の認定率が手かがりです。軽い人は認定申請する人もしない人もあり、軽度要介護者の発現率と一致しません。だから、地域格差がきわめて大きいものとなっています。といって、重い人が多いかどうかを単純比較するのは正確ではありません。65~74歳を前期高齢者といいます(yang old)。75歳以上を後期高齢者(old old)といいますが、要介護になる率は全く違います。6倍以上も認定率が違うのです。高齢人口に占める75歳以上の割合を考えないといけません。そこで、年齢補正してみると、沖縄県は一番寝たきりになる率が多い。昆布・芋・豚をよく食べる健康長寿県と思われていましたが全然違いました。戦後、アメリカ軍の占領下で食生活がめちゃめちゃになったのでしょう。それとよく酒を飲む。平均寿命も落ちています。数字的に良い県は茨城県ですが、これはやや疑問が残ります。茨城県は日本で介護サービスが一番遅れていた県です。だから「かくれ寝たきり者」がいるかも知れません。次が香川県と福井県です。福井県はもともと健康県いうことでしたが、これで実証されています。群を抜いた元気老人県です。これだけ元気老人が多いということは、サービスもそれほどいらない。保険料も安いはずですが、給付も保険料も若干高い地域に属します。日本で一番保険料が高い県は徳島県です。徳島県は不健康な県かというとそうではありません。平均的な重度認定率指数になっています。

四国・九州・中国・北陸は給付が高く、東日本は青森県を除いて低い。何が原因かというとなると、施設の数です。施設は非常に金がかかります。在宅サービスはそれほどでもありません。施設が多いと給付が高くなり、保険料が高くなる。その典型が徳島県です。 最初の2年間は沖縄県がトップでした。沖縄は離島の集まりですから、離島は外にも出て行けないし、外からもやって来られない。そこで主要な離島には特別養護老人ホームなど施設が全部あるわけです。離島県は当然高くなります。沖縄県・鹿児島県・長崎県が3大離島県です。鹿児島は必死に給付の適正化をやって、やや高いというレベルにまで落ちてきました。元気老人が多いにもかかわらず、給付が高いというのが福井県の問題点です。

 

2 在宅・施設サービスの地域的偏在が見られる

日本で一番在宅サービスを使っているのは青森県です。青森県は突出して通所系サービスを使っています。一番使われていないのが茨城県です。高齢者1人当たりどれだけ施設を使っているかですが、抜群に施設を使っているのは徳島県・富山県・高知県・石川県・熊本県で、主に四国・九州・北陸地方に集中しています。使っていないのは埼玉県・千葉県・栃木県・神奈川県の関東です。これは施設が少ないからです。福井県は少し施設に偏っている。

 

3 大都市は訪問系、地方は通所系サービスが中心

図 2

在宅はどのように使われているかですが、横軸が訪問系の訪問系サービス、縦軸が通所系サービスですが、大都市は訪問系サービス、地方は通所系サービスが使われている。福井県も通所系サービスが多く使われています。都市は土地が高い。通所系サービスをやろうとするとデイサービスセンターがいりますから、作れない。もうひとつの原因は、人が家に入ることについて地方ではまだまだ抵抗が強い。大都市はそのようなことはない。

4 県民所得と介護保険利用は相関関係がない

1割自己負担がネックになって利用したい人が利用できないという話をよく聞きます。横軸に県民所得を取り相関関係を調べました。県民所得は産業の生み出した富もありますから、単純に県民の所得水準ではないのですが、大雑把には連動します。そうすると貧乏な県ほど介護保険を使っている。金を持っている県ほど使っていない。国税庁のデータなどと付き合わせてみましたが、県民所得と介護保険利用には何の関係もありません。9割引ということですから、1割の自己負担ではサービスの抑制は行われていないということです。

 

5 施設利用率と給付水準の相関関係が大きい

図 3

給付水準との相関関係が大きいのは施設です。全国の介護保険の保険者(市町村・広域連合)を点で表し、何パーセントが施設に入所しているかを示していますが、60.77%の相関があるということです。

お年寄りの元気度では、大都市の高齢者はそれほど元気ではない。大阪府は3層に分かれています。北大阪は元気だが南大阪は元気ではない。箕面市はすごく元気です。大阪市周辺はやや寝たきりです。私の仮説ですが、これは所得水準との関係があるのではないでしょうか。所得の低い地域は一般的に寝たきりが多い傾向があります。東京では、都心部が悪い。町田市・武蔵野市は介護サービスレベルが高い町とかいわれましたが、もともと寝たきりが多い。福井県は全国平均以上です。福井市は重度認定率指数の全国平均を100とすると89.0です。名田庄村・池田町(現地のイメージが掴めませんが)のような僻地の場合には、悪くなると町場の家族が引き取ってしまうから、元気老人が多いという結果になりますので、元気度と直結しない場合もありますから、ご注意ください。

福井県は全国有数の老人元気地域ということがわかりました。ところが給付が高いのです。給付が高ければ、保険料も高くなるわけです。これは施設のせいだろうと仮説を立てて分析してみました。福井県市町村の高齢者1人当たり給付指数(平成16年度平均)のレーダーチャートですが、訪問系サービス、通所系サービス、その他のサービス、特別養護老人ホーム、老人保健施設、療養型病床群について、つくってみました。黒い六角形が全国平均

図 4

100というグラフです。福井県では訪問系サービスは66.2とあまり使われていない。通所系サービスは1259ですからかなり使われている。その他在宅サービスというのは、ショートステイ、グループホーム、有料老人ホームなどですが、75ですから、あまり使われていない。特別養護老人ホームは127.8ですから沢山ある。老人保健施設は175.3ですから過剰ぎみです。療養型病床群は101.4ですから全国平均です。つまり、福井県の保険料を押し上げている最大の原因は老健と特養です。幸い、療養型病床群が全国平均と言うことが救われます。石川県や富山県を見て下さい。特に富山県は全国平均の2倍を超えています。だから富山県は非常に保険料が高くなっています。行き場のない人が老人病院=療養型病床群に逃げ込んでいるのです。ちなみにいくらかかるかですが、1ヶ月44万円もかかるのです。9割が介護保険から給付するので保険料を押し上げます。老人保健施設は34万円です。福井県は老人保健施設が多いということでまだ救われるわけです。特養も同様に33万円くらいです。

在宅サービスですが、介護報酬は単位数で表しますが、1単位は10円です。太い折れ線が全国平均です。「要支援」の利用額は3万円。「要介護1」で6万円、「要介護5」で19万円です。介護度が上がればお金も上がる。一番、在宅サービスを使っているのは沖縄県です。ただし、「要介護4」までは全国トップですが、「要介護5」になると落ちます。沖縄は離島県なので施設が沢山あります。割と楽に施設に入れるので、「要介護5」で在宅に残っている人は家族に介護力がある世帯だけです。次に介護サービスを使っているのが佐賀県です。一番使っていないのは岩手県、秋田県の順になりますが、在宅サービスはたいへん大きな地域差があります。福井県は「要介護5」は全国平均ですが、それ以外はけっこう使っています。在宅サービスを利用している人は少ないが、利用している人は全国平均以上に使っています。

6 2015年を見通した改革―超高齢化社会への準備

20004月に介護保険法が施行されましたが、3年単位で動きます。介護保険事業計画は3年単位です。制度の見直しはおおむね5年単位です。今回の改正は、向こう3年あるいは5年を見通した改正ではありません。もっと長いスパンで見ています。2015を想定して制度改正をしました。なぜ、2015年なのかというと、団塊の世代対策

図 5

です。1947年から1949年に生まれた第1次ベビーブーマーの世代です。戦争から男が帰ってきて一斉に子供が生まれます。これが団塊の世代です。私は1946年生まれで、団塊の世代ではありませんが、余波を受けました。小学校時代は1クラス60名でしたが、私の下の世代はプレハブ教室でした。午前・午後の入れ替え授業というのもありました。小学校4年生のときに家から5分のところに新しい小学校が建ちましたが、私たちは入れずに、下の世代からしか新校舎に入れませんでした。大学受験の時までは受験戦争はありませんでしたが、すぐ下が団塊の世代なので、何が何でも現役で合格しなければならないと言われたわけです。団塊の世代は来年から60歳になり、6年後には65歳になります。2012年から団塊の世代は高齢者に突入してきます。2022年には75歳になります。要介護になる率がグーンと上がります。そこを考えて今のうち制度を整備しておかないといけない。今介護保険を使っている人たちは1920年代生まれの人たちです。戦争体験があり,戦後の窮乏生活を知っています。サービスの利用の仕方もわりと抑制的です。団塊の世代は権利意識があります。悪く言えばわがままです。それがサービスを自由に使っていいということになれば大変なことになります。2015年までに制度をきちんと整備しておかないと,介護保険が崩壊してしまう。2030年を超えて、団塊の世代が死に絶えると日本は楽になります。穏やかになります。今の50歳以下の人たちの介護の世界はずいぶん良いものになるでしょう。

 

7 介護保険改正の基本的な目標は3つです

(1)持続可能な制度へ

 介護保険で使うお金は7兆円です。年金は40兆円です。医療は30兆円に近づいています。介護保険費を消費税に換算すると2.5%位です。しかし,団塊の世代が要介護状態になるといくらかかるか。10兆円か,ひょっとすると20兆円か。これまで,年金改革があって,介護保険改革があって,医療改革がありました。まず,制度の改革に手をつけて,来年の参議院選挙が終わったら消費税に手をつけるということです。財政的に持続可能な制度を作らなければならないということです。

(2)サービスの質の向上

介護サービスは非常に遅れています。前時代的です。これまで社会福祉の措置でやってきて,サービスの質の向上を考える必要がなかった。介護保険で普遍的にサービスが動き始めて,あまりにもひどいということが分かってきた。最初の5年間はサービスの量を増やすことに集中してきました。だから量は増えた。これからは中身を引き上げていく。そうでなければ団塊の世代は納得しません。

(3)地域ケアシステムの創造

 介護保険が始まってから,市町村の高齢者福祉は「眠りこんでしまった」のです。高齢者福祉を全部介護保険に投げちゃったのです。民間業者がやってくれるので,行政は何も考えなくてもよいという「寝たきり自治体」がけっこう出てきました。介護保険のやること(これは社会保険です)と。高齢者福祉のやること(これは社会福祉です)は違うのです。「市町村よ目を覚ませ」ということです。地域ケアシステムを市町村が主体的に作り上げていかねばならないという方向性が示されました。

 

 

8 具体的施策

(1) モラルハザードの防止と予防重視システム 

 モラルハザードとは倫理の欠如ということですが、美味しいとこ取りして、制度の趣旨をよく理解していない。利用者もあるし事業者の方もあります。要介護状態は医療のように良くなることを目的とはしませんが、悪くなるのを放って置くのではなく予防重視です。

(2) 社会保険と社会福祉の制度的役割分担

介護保険は社会保険であり社会福祉ではありません。介護保険を社会福祉だと思って、社会福祉の役割を介護保険に要求するという勘違いで、介護保険改正論議でも大変混乱が生じてしまった。2000年までは社会福祉でやっていたので仕方ありませんが、そこをはっきりさせようということです。

(3) 施設依存から在宅型介護システムへの転換 

 介護保険は「施設から在宅へ」を掲げたのですが、相変わらず施設依存の傾向が強く、介護保険が始まったら自由に特養に入れるので、門前列をなすこととなってしまった。なぜでしょう。在宅では満足なサービスを受けられないからです。そこで、本気になって在宅介護型サービスを作らなければならないということで、具体的な施策ができたわけです。

 

9 軽度向けサービスの見直しと予防給付

鹿児島県が調べたものですが、「要支援」と「要介護1」の人だけを分析しています。月何回ホームヘルプサービスを利用しているかで分けています。グラフは三色に分けられていますが、一番下は次の要介護認定で改善された人で、「要介護1」が「要支援」になった、あるいは「要支援」が「非該当」になったというものです。真ん中は変わらなかった人たちです。上の黒い部分が悪くなった人たちです。ホームヘルプサービスを使えば使うほど悪

くなっている。体を動かさないからです。これを廃用症候群といいます。

福祉用具ですが、横軸が次の認定更新の時に悪くなった人、縦軸が福祉用具の地区別の利用率ですが、福祉用具を使えば使うほど悪くなるわけです。何を使っているかというと軽度の人は車椅子と電動ベッドです。車椅子を使えば歩かなくなります。電動ベッドですが、実は私も先日道路で転倒して肋骨を折ってしまって電動ベッドが欲しいと思ったわけですが、電動ベッドを利用すれば腹筋を使わなくてもよいわけで楽なのです。こうしたことは我が国だけの現象ではなくて、イギリスもそうです。コミュニティ・ケア法を作ったときのことですが、おばあさんがやってきて、「最近歩くのが辛い、杖を支給して欲しい」といったので、直ちに福祉事務所は杖を支給しました。

図 6

図 7

次ぎに、「杖では遠くに行けない車椅子を用意してくれないか」というので車椅子を用意しました。しばらくして、「車椅子だけでは遠出ができない。ガイドヘルパーを付けてくれないか」というので、ガイドヘルパーを付けました。その結果、おばあさんは歩けなくなってしまったのです。それを“良い福祉”だと思っていたが、イギリスでは1980年代に反省されています。

図 8

「要支援」、「要介護1」の人の1年後の変化ですが、3割が悪くなっています。2年では5割悪くなっています。善意でやっていることなのですが、すごく変ではないかということです。介護保険は要介護者を作るために設けられた制度ではない。軽いところは可能性がある。それが介護予防です。

今回の制度改正で軽度系の見直しが行われ「要支援」は「要支援1」に、「要介護1」は「要支援2」または「要介護1」に分けられました。なお、認知症を持っている人は「要支援」にはなりません。

「要支援1」に関しては予防給付ということをはっきりさせて、訪問介護サービスは定額化し、週1回・週2回・週3回のサービスのどれかをやるということですが、週1回で十分なのです。行けば行くほど動かなくなるというのでは拙いわけです。

通所系のサービスも、運動機能向上・栄養改善・口腔ケアなど介護予防系のサービスを2階に積むということをしました。福祉用具貸与は車椅子・電動ベッドは「要支援12」、「要介護1」は使えなくなりました。つまり、軽度の人には厳しい内容を含んでいることは否定できません。 

「要介護1」の人は家の中では自立しています。しかし、風呂の掃除・重い荷物・遠出には難があります。家族で暮らしている限り支障はないわけです。そのような人たちがこのような使い方をしていてよいかが問われなければならないということです。私でも家事サービスを全部代わりにやって欲しいくらいですから。団塊の世代となれば、それは使いますよね。

一昨年の話ですが、私がそば屋に行ったところ、お年寄り2人と若い女性1人の3人組がやってきました。若い女性は水だけを飲んでいました。元気な老人は要介護認定を受けていて、若い女性は付添介護なのです。3人の会話は「今度、ケアマネジャさんに頼んで要介護3にしてもらう」というものでした。このような使われ方をしているのが、鹿児島県(奄美大島などを含む)をはじめ、西日本で目立ちます。

 

10 社会保険と社会福祉の役割分担が重要

社会保険はだれでも使えるわけです。一定の保険事故(医療の場合は病気・ケガ、介護保険は要介護状態か、要介護になる恐れのある状態)に相当する場合、所得、資産や扶養関係とは関係なく、必要な財・サービスを普遍的に給付します。財源は基本的に保険料です。決算主義です。

 

 社会福祉の場合は、所得・資産、扶養関係で選別し、特定の対象者に必要な財・サービスを給付する。財源は租税です。予算主義です。お金のない人、ひとり暮らしの人は大変だから、そこに給付の手を差し伸べるわけです。社会保険というのは金持ちも貧乏人も普遍的に給付するのです。

社会福祉は予算主義ですから、まず予算を立てます。たとえば5億円ですと、5億円の範囲内でサービスを提供します。社会保険は予算主義をとれません。たとえば、医療保険の場合、10億円の予算を立てたとして、12月頃までは順調に8億円使ったが、突然インフルエンザが猛威をふるい残り全部を使ってしまった。では、23月はどうするかです。「医者に行くのは4月以降にして下さい」とはいえません。赤字を前提に給付します。その赤字は、次の期に保険料を上げて負担します。

障害者自立支援法の前に、障害者支援費がありました。支援費は介護保険そっくりですが社会福祉です。それが最初の年度から赤字を出してしまいました。なぜでしょうか。決算主義で行ったからです。かたちだけ介護保険を真似ても、財政システムを変えなければ成功するはずがないのです。

社会保険でカバーするものと社会福祉でカバーするものは違います。衣食住は自己負担の世界です。ところが、要介護状態になり特別養護老人ホームに入れば、部屋代も食事代もいらない。在宅の者は食事代も部屋代も全部自己負担しているのですから、これはおかしい。なぜ、このようなことが起きたかというと、特別養護老人ホームなどの経営は社会福祉法人がしていました。介護保険施行以前は、低所得者は無料、一定の所得のある人は18万円〜20万円の自己負担を強いられました。介護保険はそれを一律1割自己負担にしましたが、食事代や部屋代は元々取っていなかったので取れないという時代がずっと続いてきたのです。

 

 衣食住は基本的に自己負担が当たり前ですが、負担の困難な人はいるわけです。その負担困難者は社会福祉で対応するのが普通です。要介護高齢者で施設に入れたら衣食住が保険で保障されるのは不合理です。保障すれば財政的にパンクします。介護サービスについてはみんな一律1割自己負担、食事代や部屋代は各自で払っていただきます。ただし、払えない人は社会福祉で対応しますというのが、本来の在り方です。

 

11 支援の順序としての補完性原理

 これは補完性(subsidiarity)原理といいますが、地方分権でよく使われる言葉です。住民に身近な仕事は市町村がすべて行う。しかし、市町村でできないものについてのみ広域の自治体である都道府県に委ね、都道府県でもできない仕事についてのみ、国に委ねるという考えです。社会保障にも補完性原理があります。これは支援の順序ともいうべきものです。

(1)自助 まず、本人の自助努力です。

(2)互助 次ぎに、家族、友人、近隣人・ボランティアがごく自然に手をさしのべる。それが互助です。互助とは個人の発意に基づいたインフォーマルな支援です。それほど大きな問題には対応はできません。

(3)共助 そこで、3番目に出てくるのが、共助です。共助とは一定コミュニティの中のシステム化された支援です。昔はムラがやっていました。ムラの共助システムから排除するというのが「ムラ八分」です。つまり共助シ

図 9

ステムから8割方追放する。ただし、二分は残している。火事と葬式は共助システムが動くということです。欧米では教会がこれをしていました。プロテスタント、カトリックごとに、教区の信者が集まり教会にお金を出し合い、労力を出し合って支えるシステムでした。

 近代化の中で、地域的なあるいは宗教的な共助システムは崩壊していきます。代わりに職域を通じた、仕事を通じた共助システムが再構築されていきます。健康保険組合がその典型ですが、年金もそうです。なぜ、地方公務員は県職員は地方公務員共済で、市町村職員は47の市町村共済に分かれているのでしょう。政令指定都市は勝手に個々の共済組合を持っているのでしょうか。そこに集まった人間の共助システムとして始まったからです。朝日新聞は朝日新聞健康保険組合、トヨタはトヨタでトヨタ健康保険組合を作っている。そこで、労働者側と事業者側が半分づつ金を出し合って運営している。共助システムは大きな仕組みですからかなりのところに対応できますが、そこから外れる人もいます。

(4)公 助 そこで、最後に出てくるのが公助―行政の支援です。

この順番と組合せが補完性原理です。人間はまず、収入が得られなければ生きていけません。収入は勤労という自助努力よります。しかし、専業主婦や子供は働いて収入を得ることはできません。家族、親族が互助しているわけです。ところが、大黒柱の父親がリストラされて失業した場合には、民間労働者は雇用保険から失業給付を受けます。サラリーマンだけで組織された共助システムが動くわけです。交通事故で重い障害になり働けなくなった場合には、国民年金から障害基礎年金が出ます。2級障害で6.6万円、1級障害でその1.25倍が出るわけです。さらに、公務員やサラリーマンは障害共済年金や障害厚生年金がその上に積まれるわけです。これは、自分たちが出し合っている保険料から出されるわけですから共助です。65歳以上になって働けなくなれば老齢年金が出るわけです。しかし、たとえば自民党の政調会長の中川昭一さんは国民年金を一度も払っていません。中川さんが交通事故にあって重い障害になっても障害基礎年金は出ません。義務を果たしていないわけですから給付はない。そういう人は少なくない。しかし、「野垂れ死にしろ」というのかというと、そうではありません。最後のセイフティーネットがあります。それが生活保護です。この順序がメチャクチャになると大変です。「もう仕事やめた、生活保護から金を出せ」といって、みんなが公助を求めたらその国は滅びます。

介護保険は社会福祉が介護保険になったのではありません。介護に共助システムがなかったので、そこに介護保険を作ったのです。そこで家族は重い介護負担から段々に解放されていきます。そこからようやく互助の立場に戻れるわけです。本人は金を持っていれば介護サービスは自費でいくらでも買えるわけです。これまでは行政が介護サービスを独占していましたが、市場に出ましたから買えるわけです。もちろんお金があればの話ですが……。しかし、命に値段はありませんが、生活には残念ながら値段があります。

これまで介護に共助システムが欠けていたので、別の共助システムが歪んで使われていました。医療保険・老人保健を使った社会的入院です。また社会保険と社会福祉をごっちゃにして、介護保険に社会福祉的なもの要求したら制度はめちゃめちゃになります。今回、ホテルコストといわれる室料・食事・光熱水費は有料になりました。しかし、低所得者対策は非常に手厚くなっています。国民年金の収入しかない人は補足給付で前よりも負担が下がっています。住民税課税世帯は一定程度負担を払ってもらうこととなりました。3世代同居なら、息子さんは働いていますから課税世帯です。ところが、特養にはいるとそこに住所を移しますから、そのお年寄りは単身世帯になります。年金を標準にもらっていても、奥さんの基礎年金部分6.6万円を引けば非課税世帯になって、減免されることになります。低所得者はほとんど影響受けていません。老人保健施設や療養病床では普通は住所を移しませんが、それをし始めています。安くなるからです。

 

 

12 施設依存から在宅型システムへの転換は可能か

現状の在宅サービスでは重度認定者の在宅生活は支えられません。「要介護45」の要介護高齢者への在宅サービスを基本的に考え直す必要があります。特に認知症ケアです。認知症ケアはまだ未開発です。家族は疲弊仕切っています。

今動いているサービスは旧態依然の保護型サービスが中心の家事代行サービスか下の世話です。本人が生きる気力・モチベーションを引き出すものではありません。これまでは寝たきりモデル・脳卒中モデルです。下の世話と家事代行サービスというのが2000年以前の社会福祉の措置の主流だったわけです。しかし、介護保険の蓋を開けてみると、認定された人の半分は軽い人なのです。「要支援」「要介護1」が半分です。この人たちに家事代行サービスを持ち込むと何もしなくなる、廃用症候群モデルです。介護予防の考えが必要なのです。半分が認知症です。ここに身体介護や家事代行サービスを持ち込んでも何の役にも立ちません。生活放棄になっている人もいます。アル中とか生きる意欲を失った人です。家の中がメチャクチャになっている。そこにケアマネジャが行ってもだめです。そこは行政が介入しなければなりません。

12 介護ニーズとケアモデルの標準化が求められている

ニーズとサービスのミスマッチをどう改善していくかですが、軽い人には、今までの保護型介護が依存をもたらし、生活放棄に陥る恐れが強いことから、「支援型サービスを」という哲学が強く打ち出されました。

ケアマネジャーは何をやっているのでしょう。「要支援」と「要介護1」がケアマネジャの作っているケアプランの何種類で作られているかを調べてみたところ、軽度は「1種類」か「2種類」でした。ホームヘルプサービスと通所サービスを組み合わせるとか、福祉用具と通所サービスを組み合わせる。このようなものはプランでもなんでもありません。これに1件あたり月8500円も払ったかと思うと納得できないでしょう。

介護保険で在宅サービスを使っている人は260万人います。それぞれいくら使っているかですが、どの要介護度においても、0円から支給限度額いっぱいまで使っている人は同じように分布しているのです。本来は、ある程度要介護サービスは標準化できるはずです。ある一定のところにまとまるというのが本来の姿です。全く、ケアプラ

図 10

 

図 11

 

ンが標準化されていないのです。重度の場合は逆に内側に湾曲したグラフとなっていますが、まとまりのない上にさらにまとまりがないことを意味しています。「要介護度345」の重い人の35%が10万円未満しか使っていませんが、それで生活を支えられるのでしょうか。このグラフの空白の部分は「家族が埋めているのでは?」と考えてみました。しかし、在宅で介護サービスを受けている人の1分間タイムスタディのデータがあります。筒井孝子さんです。在宅介護をしている世帯に乗り込んでタイムスタディをやったのです。48時間続けてお年寄りがどのようなサービスをされているかを1分間刻みで記録する方法です。高浜市とか大津市とかで行いました。その結果は、

○ 「在宅の介護時間は、その家族における家族構成員と高齢者の関係性によって任意に決定されて」おり、介護時間は「要介護度や高齢者の日常生活能力、痴呆症状の有無は関連していない」

○ 「家族介護者が在宅で提供している介護時間が少ない者が、介護サービスの利用率が高いという傾向は見られず、家族による介護提供時間の長さと利用する介護サービスの利用量との間には関係性は見いだせなかった」

 (「在宅介護についての専門家による他計式1分間タイムスタディ調査法による調査結果」 筒井孝子「高齢社会のケアサイエンス」から)

というものです。グラフの白い部分は何もしていないということです。13食を食べさせる必要はない。2食でも良い。場合によっては1食でもよい。寝かせっきりにして、123回おむつ交換すればよい。場合によっては2日に1回おむつ交換すればよいということです。そのような状態が残っているということです。

 

13 ケアマネジャ業務の見直し

家族も責められるべきでしょうが、ケアマネジャは何をやっているのかということです。そこで、今回、ケアマネジャの大きな見直し行いました。「要支援」「要介護1」からはケアマネジャは手を引いてくれ。中重度の「要介護345」でまじめに仕事をしてくれ、その代わり、金は付ける、標準担当件数も50件から35件に減らす。大転換を行いました。ご用聞き型のケアマネジャは辞めてくれといいたい。丁寧に重度の人30件ぐらいのケアプランを作っていたケアマネジャの報酬はぐんとアップしました。ケアマネジャは玉石混交です。8割は石ころです。ダイアモンドは1割あるかです。今回の改正に沿ってケアマネジャがちゃんとした働きをしなかった場合、5年後はどうなるかです。ケアマネジャは介護保険の最大の誤算でした。これほどひどいとは思わなかった。

 

14 サービスコストは妥当なのか

会場で、この1週間に2000円以上のランチを食べた人はいますか。誰もいませんね。ホームヘルパーの作るランチはいくらかですが、食事を作るのは訪問介護の生活援助ですが1時間未満で介護報酬は2080円です。30分ではランチはできません。材料費抜きでそのランチは2080円なのです。もちろん、多くのヘルパーは2食作ります。昼食と夕食を作りますと1時間ではできません。90分かかるとして、30分増すごとに830円足されます。2910円になります。1食約1500円です。370円の牛丼で昼食を済ませているサラリーマンがいっぱいいます。要介護高齢者の家事代行サービス・12000というのはおかしいのではないか。これを私は審議会でいいました。それを、某委員は「なんと冷たい言い方ではないか」といったわけですが、そうではありません。1ヶ月90食で材料費を除いて18万円にもなるのです。配食サービスでは1400円でかなりいいものができます。合理的に考えないと制度が持ちません。老人保健施設の通所サービスにはいくら金がかかっているかですが、通所リハビリ−「要介護1」で68時間で介護報酬+送迎加算+入浴介助加算+食事提供費で6990円+(470円×2)+440円+390円=8560円払われていたのです。100集めれば年に3億円です。これで大儲けした老人保健施設は沢山あります。ご用聞きケアマネジャに毎月18500円を払っていたこともおかしい。

15 介護の手間−ケア投入必要量とは

図 11

世界で最も介護福祉が進んでいるところはどこかですかというとデンマークという答えが返ってきます。デンマークでは、要介護度で分類して、標準的な手間で配分しようという方向に変わってきています。過半数のコムーネ(市町村)がやっています。リュンビュートアベック・コムーネというところですが、基準01234という区分でやっていますが、どの程度在宅サービスが提供されているかを1日単位にしてみました。基準0−身の回りのことはできる人(日本では「要支援」に該当)の1日に提供される在宅サービスは0.9分、つまり1分ないんです。1週間で7分です。2週間で15分です。つまり、2週間に15分程度なのです。基準4(日本の「要介護5」に相当し、自分で自分のことは何もできない人)ですが、1日に112.3分です。日本の「要介護5」なら在宅サービスは4時間は当たり前でしょう。

日本の要介護認定の基準はどうやって決めたかというと、良質なケアをやっている施設に入っている3600人を、3日続けてタイムスタディをしたのです。声かけとか食事介護とかを全部記録していって、いったいその人は1日に何分介護サービスを受けているかを統計処理しました。要支援・要介護15の段階を20分刻みにしました。一番重い人は110分以上です。特養の「要介護5」の1日の介護時間は110分強なのです。ぴったり合うのです。デンマークのやり方は、特別養護老人ホームの介護サービスを地域に広げたのものです。地域を飛び歩いているのです。しかも、簡単に飛び歩けるように、高齢者住宅を作って集めているのです。機能は特別養護老人ホームと同じです。

ところが、日本ではこうはいかない。家族代行サービスが多いのです。デンマークでは子供と一緒に住む高齢者はいないのです。高齢者世帯は単身か夫婦です。子供からの世話をだれも元々当てにしていない。だからこうした巡回サービスでいけるのです。日本の高齢者の半分は家族と住んでいます。だから家族の代わりをして欲しいというのがニーズの基本にあります。ホームヘルプサービスはレンタル家族の時間貸しのようなのです。すごい金がかかります。しかし、デンマークのサービスを日本に導入することはできません。ドイツもデンマークと同様の仕方です。

デンマークの税金は非常に高いものです。市町村民税・県民税・所得税で収入の53%にもなります。日本は所得税・住民税・社会保険料で収入の17%です。ヨーロッパはだいたい2527%です。北欧は50%を超えています。日本の消費税は5%ですが、デンマークは25%です。ヨーロッパは最低15%です。15%を割るとEUに加盟できません。平均1718%、北欧は25%の国が多い。ちなみに、デンマークに住むなら自動車を買うことを“お勧めます”。100万円程度の軽自動車を購入すると、付加価値税(消費税)25%。つまり25万円の税がかかります。次に自動車登録税が180% つまり180万円ですから、併せて305万円かかります。それだけ税金を取っても合理的なサービスなのです。

 

16 介護サービスモデルの開発が求められている

日本では介護の新しいモデルを作らなければなりません。現在のサービスは3種類に分けられます。

○従来モデル 措置型サービスです。集団処遇=管理型−性的虐待で報道された東京のさくら苑のホームページを読むと、措置型から脱却していない考えでした。

○改良型モデル 小さくして、個別処遇にして、グループホーム・個室ユニットケアがありますが、これが到達点ではないと思います。

○革命型モデル

 「処遇」という概念をやめ、1人1人が自分の生活を決定することを回復し、生活の再獲得するサービスをつくるということです。そのようなモデルを発見しました。山口市と防府市にある「夢のみずうみ村」のデイサービスです。新潟県長岡市にある「こぶし園」=高齢者の居住を用意してホームヘルパーが巡回サービスするものです。デンマークより優れている点は、直接、利用者とホームヘルパーが繋がっている点です。TV型携帯電話=利用者の居宅には据え付け型のFOMAがあります。ヘルパーはFOMAの携帯を持っています。利用者がベッドから落ちたりしたとき胸にペンダントがあって繋がります。ヘルパーはそれを見てすっ飛んでいくのです。島根県出雲市にある「小山のお家」=認知症対応のデイケアセンターです。本当にすばらしい施設です。福井県でも「敦賀温泉病院」の玉井院長は脳科学の専門家です。どこをどうやられたかによって症状は全く違ってきます。ある部分がやられると、見えないものが見えるということになります。認知症ケア対応を町ぐるみでやったのが若狭町です。

「夢のみずうみ村」にはデイサービスのメニューが200種類以上あります。このメニューを使って本人が1日のプログラムを作ります。この時間はこれをやると。地域通貨「ユーメ(yume)」というものを発行していて、バイタルチェックを受けると50yume、今月の目標を立てると200yumeもらえる。新聞を作って、地域の銀行にも張り出しています。片手で作る料理教室もしています。脳血管障害で半身麻痺の人も料理を作れます。教えているのは利用者です。教えられる人は40種類メニューをマスターすると師範代になれます。師範代になると教えることができます。食事はそれぞれ自分の食器を持っていてトレーに自分で配膳していきます。車椅子であろうが全員自分でやっています。食べ終わると水槽に入れて、スタッフが洗ったものを自分のケースに入れます。もちろん認知症の人は間違える場合もありますが、そのときはスタッフが直します。間違え方で認知症の進行度合いを測ります。魚釣りもできます。この車椅子のお年寄りは、始めて施設を利用したときは「要介護5」でした。それが「要介護2」にまで下がりました。しかし、寄る年波で現在は「要介護3」です。クルーザーまであります。酒井医療の筋トレマシーンとクルーザーとの値段はあまり変わりません。クルーザーは15分で帰れるところま出航します。かつてはそこで失語症のリハビリをしていました。カラオケを利用してりリハです。海の上ですからどんなに大声を出してもかまいません。発声リハビリです。3時からのもっとも人気の高いメニューがカジノです。麻雀教室もあります。もちろん賭麻雀です。ただしyumeを使います。ここで、すってんてんとなる人もいるし、大儲けする人もいます。貯まるとちゃんと「夢のみずうみ村銀行」で預かってくれます。お茶1杯飲むのに10yumeいります。yumeがないといろんなことができないわけです。射的も打ち落とすとyumeがもらえます。帰るときはマイクロバスです。認知症の人でも何とか分かるように番号と色で区別しています。その反応で認知症の進行度を測ります。

抱擁型のケアは時代遅れです。要介護状態になっても510年間も生きる人はいます。その様な人を10年間も抱擁しているのでしょうか。

新しい形としては、会員制ケアクラブという発想があります。一定の介護サービスを契約して その会員になってもらって、その代わり必要なものは包括的に受ける。特養も「要介護5」を扱ったらいくら、「要介護4」を扱ったらいくらです。それを地域で展開する。

 

図 12

階段状の棒グラフは要介護度ごとの支給限度額で、一番下が折れ線グラフが実際に使われている利用額の平均です。それ以外は施設と居住系サービスの介護報酬月額です。療養病床だけはぐんと高くなっていますが、6年後には介護保険からなくなります。老人保健施設・特養では「要介護345」では支給限度内に収まっています。

考えてみると、介護サービスに限ってみれば、同じサービスならば、施設より在宅の方がコストがかかるはずです。個別の家に行く方が高くなるのは当たり前です。だから、在宅サービスの基準限度額の9掛け、8掛けのところを施設サービスの介護報酬とするのが合理的でしよう。ちょうどその線に当たるのが小規模多機能拠点サービスです。個別に住む場合の金額と集団で住む場合の金額に分け介護報酬を払う、施設と在宅という二元論を克服していくならば、個住系、集住系に分け、包括的な報酬とすることが望ましいのですが、小規模多機能はその方向にあります。

家族介護と福祉介護、そして社会介護は違います。要介護高齢者にとって、介護保険だけが社会資源ではありません。地域にはいろんな資源があります。従来のあまり役に立っていないサービスもあります。それをスクラップアンドビルドして介護保険とどう結びつけるかが自治体の、介護保険者の任務です。介護保険ができるのは介護サービスだけです。家族の代わりはできません。家族の代わりは地域が動かないとできません。配食サービスを民間ができないというならば、行政が配食サービスをどう設計するか。共助としての介護と自助・互助・公助をどう作り上げていくか新しいケアシステムです。介護保険は進化します。これから1930年代生まれの人が要介護世代に入っていきます。この世代のヒーローは太陽族の石原裕次郎です。明らかに介護の文化が変わってくる。システムを変えなければならない。

その後に私たち戦後世代が来ます。全く違ったものになります。誰が紙風船バレーのデイサービスに行くでしょうか。私は絶対に行きません。しかし、「夢のみずうみ村」なら、私は毎日でも行きます。お金も当然払います。「夢のみずうみ村」は利用者の8割が男性です。しかも新幹線で2時間かけて来る人もいます。たとえば「夢のみずうみ村」のカジノは「バーチャル賭博」をツールにしたモチベーション回復のリハです。円を賭けると罪になりますが、地域通貨を使う分には問題はない。そこに秘密があります。

介護予防といっても筋トレだけで介護予防になるものではありません。楽しい生活をとりもどすために筋トレをやるのです。健康のために山登りをするのではなく、山登りをするために健康でいたいのです。楽しい生活をしたいから健康でありたいのです。健康でありたいために苦しい生活をしたいのではありません。

生きるモチベーションを回復する手だては「楽しい生活」です。おいしい「食事」が必要です。賭博は「競争心」と「自己表現」に意味を持ちます。もう1つは「性」の問題でしょう。お年寄りになっても「性」の意識が消えることはありません。この3つを軸にすれば引きこもりは解決します。

 

質問

M5年後の見直しはどうか、障害者自立支援法について

池田2005年の改正で積み残した課題は年齢制限の撤廃です。現在40歳以上の人が保険料を払っていますが、40歳以下の人にも被保険者を拡大し、すべての人に受給権を与えることです。障害者の人も介護保険に入るということですが、それがとんでもない誤解を生むこととなりました。障害者施策がそのまま介護保険に移行するという誤解です。65歳以上の障害者は介護保険に入っていますが、いまでも介護保険が先行して使われて、それでカバーできない部分は支援費で上に載せているのです。社会保険でカバーできない部分は社会福祉でということですが、それを65歳未満に広げればいいわけです。自立支援法はそのように動いています。仕掛けとしては平成21年度を目途に結論を出すこととなっています。介護保険でカバーできないところは新しい自立支援法で補完するということですが、強い抵抗を示しているのが経済界です。40歳未満の人の介護保険料の事業主負担が嫌だということです。日本経団連と健保連は強力に反対しています。市長会と町村長会もやりたくないのです。厚生労働省も誰が次官になるか担当局長になるかで変わります。今は厚生労働省も革新官僚の手から若干離れました。革新官僚は社会援護局にいっています。生活保護法の体系、障害者問題です。老健局は手薄です。しかも、参議院選後までは安倍内閣は消費税のことは一言もいいません。選挙に負けますから。選挙後に消費税に手をつけるでしょう。民主党も馬鹿でなければ、反対しないでしょう。いくらなんでも5%は安すぎます。上げるには理由をつけなければなりません。理由として、年金ですが、国民年金の国庫負担1312に引き上げることです。次が障害者自立支援費です。障害者を自立させるためには消費税を上げなければならないという理屈です。それで、介護保険には財源が来なくなります。下手をするとまた先送りになる可能性もあります。

2000年に介護保険が施行されたとき市町村ではほとんど混乱は起きませんでした。市町村の職員はこれほど優秀なのかと感心しました。その時、介護保険を立ち上げたのは福祉関係の人ではありませんでした。福祉畑の人たちが立ち上げたところはみすぼらしい介護保険になりました。やったのは企画・財政・広報の優秀な職員でした。だから、介護保険のカリスマ職員というのが全国で沢山でました。カリスマ職員の多くは自治労の単組役員でした。ところが、今の職員はルーティンで介護保険の運営を考えている。これは問題です。

 

:高齢者福祉の充実で地域にあったサービスの充実を重点的に考えることは

池田:地域包括支援センターは予防プランにみんな取られていますが、既にサービスを使っている「要介護1」「要支援」の人はそんなにサービスを変えることはできません。新規で入ってきた人、特定高齢者で被該当者から入ってきた人にモデル的な介護予防をやることです。

同時に地域包括支援センターは高齢者だけのものではあってはならないはずです。障害者施策と統合していける地域をつくっていくことです。すでにそのようなことをやっている自治体もあります。近江八幡市や埼玉県和光市などです。和光市は抜群です。政令指定都市では北九州市が群を抜いています。地道な山形県鶴岡市などの努力もあります。もっとも、地域包括支援センターがまともにできているのは12割でしょう。あとの8割はばたばたです。おそらく再構築になります。福井県で懇話会に出て言ったことはまず直営で始めろということでした。設計図無しに民間に丸投げすることだけはやめてくれということです。さしあたり、地域包括支援センターをきっちり作り、そこに障害者をはめ込める仕掛けを作っておくことが重要です。

要支援1.要支援2は次の改正で介護保険給付から外れる可能性が強い。社会福祉の仕事だからです。地域支援事業の方に入ります。自治事務になりましたからほとんど何をやってもよい。介護保険給付費の2.3%とか3%ととかいう縛りも、1号保険費を引き上げたり、公費を投入すれば一向にかまわないわけです。和光市は介護保険給付費の3%を大幅に超えて事業をやっています。そこに職員の知恵が回るか。この時代ですから、職員を新しく雇えません。和光市では地方自治法の改正で期限限定の職員を採用しました。人件費はそれほど考える必要がない。3年間、地域包括支援センターの職員として雇うわけです。3年間、そこできちんとケアマネジャとか社会福祉士の仕事をすれば次は引く手あまたです。そこの地域のリーダーになれるのですから。いくらすばらしい理論を並べても、その自治体を変えられなければだめです。その自治体を変えることこそ、自治体労働者の誇りとすべきです。

 

 

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池田(いけだ) 省三(しょうぞう)

1946年10月生 岐阜県生まれ。

中央大学法学部法律学科卒業 ・社会保障審議会介護給付費分科会委員

現在、龍谷大学社会学部地域福祉学科教授

【主な著書・論文など】

『介護保険法』(共著・法律文化社)、『VDU労働』(労働基準調査会)

「社会福祉政策を転換する介護保険」(『ジュリスト』)

「介護保険と地方分権」(『法学セミナー』)

 

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