これまでの法話

もろもろの衆生を救済せん。別願の一切は管せず

今から86年前の大正12年(1923)9月1日、関東地方をマグニチュード7.5の激震が襲いました。いわゆる「関東大震災」と呼ばれるものです。死者・行方不明者が14万人、焼失家屋が44万戸という未曾有の大災害でした。
 そのときに被災したのは日本人だけではありませんでした。混乱の中「朝鮮人が井戸に毒を入れた」など悪質なデマが飛び交い、多くの朝鮮の人が殺されたのです。しかも、虐殺を行ったのは主に一般の民衆でした。竹槍などで武装した民間の自警団が各地に検問を設け、朝鮮の人と見るや暴行や殺人を公然と行いました。まことに非人道的かつ恐ろしいことで、犠牲者は6千人ともいわれます。当時の日本は朝鮮半島を植民地化し抵抗する人々に弾圧を加えていましたが、その一方で仕事を求めて日本に渡ってくる朝鮮の人も大勢おりました。そうした時代背景の中でこの事件は起きたのです。

 在日コリアンの作家、パク・キョンナムさんは祖父が朝鮮人狩りに遭った話を伝え聞き、次のように述べております。 「もしその時、祖父が殺されていれば私は存在しなかったわけですから、代を継いで恐怖が私の中に棲みついている感じがします」。
 そのような状況下で、当時鶴見警察署所長で約3百人の朝鮮の人々を命がけで救った大川栄吉という方がおりました。「朝鮮の人が反乱し井戸に毒を投げ入れた」とのデマが流されて、多くの朝鮮の方が殺されましたが、大川所長は震災で焼け出された3百人の朝鮮の人を総持寺や鶴見署に保護しました。それを知った千人もの群衆が周りを取り巻いて「朝鮮の人を出せ」と要求しました。大川所長は「毒を入れたという井戸水を私の所に運んで来い。それを私が飲んでみせよう。異常が無ければ彼らを私に預けよ。それでも信用しないのならこの大川を先に殺せ」 「どこの国の人であろうと人の生命に変わりは無い。それを守るのが私の務めだ」と言い放って群衆を抑えたのでした。こうして一人の犠牲者も出さずに3百人を守り抜いたのでした。
 さて、表題は総持寺開祖・瑩山禅師さまの言葉です。 「すべての人々を救済したい。私の願いはただそれだけであって他に何の願いも持たない」という意味です。 群衆の行為は決して正当化できるものでありません。しかし、当時の異常な状況下で自分が同じ事をしなかったと誰が言い切れるでしょうか。殺害に加担しなかったとしても、暴騰化した群衆から朝鮮の人々を守る行為に出られたでしょうか。それを思うとき、「生命の尊厳」を心に強く持ち信念を貫いた大川所長の凄さに圧倒されます。シンドラーや杉原千畝の他にこのような素晴らしい人物が鶴見区に存在したのは誇るべきことであります。
 大川氏は後に「鶴見のシンドラー」と称され、鶴見区潮の東漸寺には在日コリアンにより顕彰碑が建てられております。
 (平成21年11月)


峨山越えを経験して

皆さんは大本山総持寺の二代様・峨山禅師にまつわる「峨山越え」の話をご存知でしょうか。峨山越えとは、峨山禅師が、総持寺と羽咋の永光寺の住職を兼務していたときに、両方の朝の行事を勤めるために、60キロもの山道を往復したという伝説です。
当時すでに65才という高齢ながら、峨山禅師は夜中に永光寺で朝のお勤めを済ませて1時頃に出発し、それから60キロを歩いて朝8時過ぎに総持寺に駆け付けたと云われます。そのため、総持寺では大悲呪というお経をゆっくり読んで峨山禅師が到着されるのを待ち、到着と同時に普通の速さに戻す、という独特な読み方を行っていました。この独特な読み方を「真読」といい、現在でも総持寺において毎朝行われている読み方です。

私は今年の春、実際に自分の足でこの峨山越えを2日間かけて歩いてきました。途中、ところどころに禅師がしばし休んで疲れを癒したという場所やお茶を沸かした古い茶釜などが残されており、禅師の息づかいを間近に感じることができました。そして、この峨山越えが単なる伝説ではなくて、本当に総持寺永光寺両方の行事を勤められたに違いない、との確信を得るに到りました。と同時に、峨山禅師の深いお心に感動を覚え、ただただ頭が下がるばかりでした。
 現在、地元では春と秋に峨山越えを行う催しが開かれていて、禅師の偉大な足跡を偲ぶとともに、「歴史を学ぶ道」・「心を鍛錬する道」・「健康づくりの道」、そして参加者同士が交流を深める「ふれあいの道」として大勢の参加者で賑わっています。歴史的な遺産としての峨山越えを現代に活かし、春は新緑の、秋は草花が咲き乱れる能登の山道を、皆さまもぜひ一度挑戦してみませんか。無事に歩き終え総持寺へ到着すると、修行僧たちによる大悲呪の真読で迎えていただき、参加者一同は大きな喜びに包まれたのでした。


                    宮崎禅師さまを偲び奉りて
去る正月5日早朝、108歳(茶寿)の初春を迎えられたばかりの永平寺第78世貫首・宮崎奕保禅師さまがお亡くなりになられました。平成5年に永平寺貫首にご就任以来、15年間の長きに渉り在任され、全国の僧俗たちをお導きいただいたことは言語に尽くせぬ法幸でありました。
私は昭和56年〜58年永平寺で修行いたしましたが、当時宮崎禅師さまは80歳代にて「監院」というお役をお勤めであられました。監院というのは、事務総長または執事長といった立場です。当時でも大変なご高齢でありましたのに、毎朝毎晩率先して僧堂裡に坐され、禅僧たる規範を自らお示しくださいました。そしてしばしば坐禅中に私たちへお話をしてくださいました。その謦咳は今も耳朶に焼きついていて忘れることはありません。
私は2年間余で永平寺の修行を終え龍泉寺に帰りましたが、そのときに宮崎監院老師から餞別に色紙をいただきました。そこには自筆で四つの文字が書かれてありましたが崩し字だったこともあり、何と書いてあるのかまったく読めませんでした。多分、雲水は誰も読めなかったことでしょう。
それが後々、「争假修證」(いかでか修証をからん)だと解ったとき、大変な感動を覚えました。なぜなら、こんな言葉を書かれる老僧はそれまで遇目したことがなかったからです。大概は花鳥風月など自然を詠ったり、やさしい禅語を書く場合が多いのです。中には首をかしげたくなるような墨跡を見かけることもままあります。しかし、こんな言葉を書くのは多分宮崎監院老師お一人だけだと今でも思います。これは道元禅師の「普勧坐禅儀」の冒頭の一句です。
人が書をしたためる場合、何の言葉、文字を書くかによって書き手の境涯やポリシー、信条などが窺えるものです。「争假修証」の意味については読者の皆さんがご自分で参究していただくとして、この文言こそ坐禅一筋の生涯を貫いた禅師さまに最も相応しい一句といえましょう。禅師さまの肉体は無くなられましたが、その法(教え)はしっかり生きておられます。果たしてその教えをどれだけの後輩僧たちがこれから受け継いでいくことができるでしょうか。禅師さまをお偲び申し上げると同時に、益々坐禅弁道に励まなければならない、と精進を誓う正月でした。


勤労感謝の日に想うこと
1123日の勤労感謝の日は「勤労を尊び生産を祝い、互いに感謝しあう」国民の祝日であります。インターネットの世界では「働かないで高額収入を得る方法を教えます」など怪しい歌い文句の広告が目に付きますが、果たして本当に働かないということが人間の幸せにつながるのでしょうか。禅門では「一日なさざれば一日食らわず」という有名な話があります。これは「労働をしなかった日には決して食事をいただきません」という自らを律する言葉です。これによく似たのに「働かざる者は食うべからず」というのもありますが、それは他人から言われる他律的な言葉であり、全くその意味が異なっています。「一日なさざれば一日食らわず」は、自分自身を律し生活の規範となる素晴らしい言葉であります。更に、曹洞宗の教えの中に道元禅師の「喜心・老心・大心」という三つの心構えがあります。これは、食事を用意する時にその心構えを説いたものですが、食事の時だけでなくどんな場合にも当てはまり、現代の私たちが大いに学ぶべき教えであります。とくに、最初の「喜心」とは喜悦の心を持ってすべての物事に対処することであり、働く事においても喜んでその仕事に従事することが何よりも大切なのであります。それは、単に「働いた後の結果だけを目的とし尊重する」のではなく「結果に至る行いそのものに意義を見出す」見方であり、「老心」や「大心」においても同じ事であります。如何なる仕事であろうと、毎日の生活の上に、また一切の上にこの「喜心・老心・大心」の三心を実行することにより、仏弟子の行事として勤め上げてゆこうではありませんか。(平成19年11月)


自然という事
皆さんは武満徹という方をご存知ですか。平成八年に六十五歳で没した現代音楽の作曲家です。現代音楽というと難解でとっつきにくい印象ですがそうではありません。彼は他に黒澤監督の「乱」や篠田監督の「心中天綱島」など百本もの映画音楽を作っています。私たちは知らず知らず無意識の内に彼の音楽に接しているのです。武満が生涯貫いたテーマは「自然との一体化」。その作風は西洋音楽と日本音楽という全く異なる音楽がぶつかったり融けあったりするものでした。ピアノの鍵盤には下のドから上のドまでに白鍵と黒鍵が合計十二の音があります。これを「平均律」といい西洋音楽の音の配列です。けれども日本をはじめ世界中の音楽には平均律ではない音の高さや調性があり、ドとレの間には無数の音の高さがあります。琴や三味線、長唄、清元、詠讃歌などの音程は西洋音楽のルールで完全には表現できないのです。五線譜に表わせない「さわり」「アヤ」などの音の高さ、揺れ、音色があるのです。そこに注目した彼は「この世のものとは思えない不思議な、まるで深海の底のような」作品を次々と世に送り出しました。「自然」という言葉は仏教では「じねん」と読み、人間も動物も山川草木も全てひっくるめた「存在そのもの」を指します。つまり「人為の加わらないあるがままの姿」です。ところが明治以降日本に入ってきた英語を和訳する際「nature」を「自然しぜん」と訳してしまいました。natureは「モノ」であり人間とは異なる世界です。西洋ではnatureを自分の向こう側にあるもの、支配し克服するものと考えました。例えば庭園は幾何学的、食べ物は調理が主体です。登山とは征服することでした。これは人間を中心とした見方です。それに対して日本人は自然との同一化を好み、庭の造りをあるがままにし、料理も食材本来の味を生かすことを求めました。山は六根清浄と唱えながら登りました。本山独住第十六世熊澤泰禅さまは新幹線の車窓から富士山をご覧になられ「富士山は登る山ではない、下から拝む山だ」と侍者和尚(お付きの僧)に示されたそうですが、これこそ人間中心ではなく他者を尊ぶ見方です。中世日本では「自然」は「偶然」「不図(ふと)」という意味でした。変化し続けて止まない世界でふと出会ったもの、人間の生死もふと出会ったものであるからこそ積極的に生きて行こうとしました。「無常観」は決してネガティブではなく肯定的なものでした。武満はそれを「始まりも終わりもない永遠に続く時間のある一部を切り取ってきたような」音楽で見事に表現しました。ですから彼の音楽には「無常観」や「宗教的情緒」が豊かに漂っております。さて、今年ブームになった歌に「千の風になって」があります。「私のお墓の前で泣かないでください/そこに私はいません/眠ってなんかいません/千の風になってあの大きな空を吹きわたっています/秋には光になって畑にふりそそぐ/冬はダイヤのようにきらめく雪になる/朝は鳥になってあなたを目覚めさせる/夜は星になってあなたを見守る〜」。この歌が身内を亡くし悲しみに浸る人々の心を捉えたのは、死者からの「私は死んでも生きている」という慰めのメッセージの故でしょう。注意すべきは「大きな空を吹きわたる」とは天に昇り天国に生まれ変わることではありません。それはキリスト教的発想です。そうではなく「死者の魂はお墓や天空のみならずこの世界全体に満ち満ちている」ということです。それを私たちの先祖は「草葉の陰から見守っている」という実に奥ゆかしい表現で伝えてきました。ひと昔前までは「亡くなった人の魂は山川草木鳥獣となって近くで見守っている」という概念を皆抱いてきたのです。この歌がヒットしたのも斯く概念が何百年にも亘って私たちの体や生活に浸み込んできたからです。八月といえば、総持寺五院・妙高庵開基の通幻さまがご開山・瑩山さまのご命日(旧暦八月十五日)に唱えられた「風は八月に従って冷やかに、月は中秋に到って明らかなり」(瑩山さまは既に姿を隠されたが悲しむことはない。瑩山さまは今もおわしますぞ。ほら、あの残暑を緩ませる風や皓々たる仲秋の名月にその面目が露われているではないか)という一句が思い出されます。大祖堂の正面には「現身説法」(永遠に真理を説き私たちを導いてくださる)の扁額が掲げられています。私たちのご先祖と同じように、仏菩薩・お祖師さまたちも自然に千の風に吹かれ私たちを見守っていてくださるのです。そういうお気持ちでお盆のお参りやご供養を修されたら如何でしょうか。

お授戒のすすめ

昨年の秋、私は自分のお寺の檀家さんを対象に「お授戒」を行いました。お授戒は、仏様の戒法を受けて仏弟子となり、仏様の子供として素直に教えを聞いていこうという儀式です。
 このお授戒に際し、ご婦人方が私の着けるお袈裟と檀家さん
60人分の絡子を新たに作って下さいました。お袈裟の材料となる布きれには、様々な使い古した物を使いました。これを「糞掃衣」といいます。糞掃衣は、誰も欲しがらない・見向きもしないような布切れを集めて綺麗に洗い、それを繋ぎ合わせるという、いわばお袈裟の原型です。このお袈裟は一枚の布地だけで成り立っているのではなく、大きい布きれと小さい布きれが何枚も交互に縫い合わされています。一つ一つの布地は周りの布地によって生かされ支えられています。同時にその布地はまた周りの布地を支えてもいるのです。そうやって対立することなく、生かし生かされて共に生きている姿を表現しているのがお袈裟なのです。ですから道元さまはお袈裟の事を「仏様の象徴というよりも、仏様そのものである」とお示しになられています。
 この事は、私たち一人一人も周りの人や環境によって生かされていると同時に、自分も人や環境を生かさなければ生きていけない事を示しています。

 お授戒に就くという事は、「仏様の教えを守って悪い心を起こさず、みんな仲良くやっていきましょう」という事に尽きるのですが、その根底にはこの世の中のあらゆる物事や出来事は、みんな繋がっていてばらばらではないのだ、という認識がなければならないのです

柳澤桂子さんと釈尊
さんは、柳澤桂子さんという生命科学者をご存知でしょうか。彼女が長い闘病生活を送りながら『般若心経』を訳した『生きて死ぬ智慧』という本が今注目を集めています。それによれば、釈尊は「ものを一元的に見た方」であるといいます。普段私たちは「自己と他者」というふうに物事を二元的に見ていますが、これに深入りすると執着が生まれ欲望の原因となります。科学的に見れば、この世に存在するものは全て原子や粒子から出来ています。その粒子の世界は一つに繋がっているので、私も貴方も海や山もみんな一つに繋がっているのです。これが宇宙を一元的に見たときの世界です。粒子の世界で一つに繋がっているから、貴方も私もなく老いも死もないのです。この真理に目覚めれば、私たちは全ての執着から自由になり何事も淡々と受け容れる事ができるようになります。そして「野の花のように生きる」事ができ、老・病・死を恐れる事もないのです。これを「永遠のいのちに目覚める」と言い、般若心経の説く「空」である、と彼女はいいます。さて、今月八日は釈尊成道の日です。釈尊は成道されたとき「何と素晴らしいことであろうか。一切衆生は悉く仏と同じ智慧や徳相を具えている」・「私が悟りを得たとき世界のあらゆるものも同時に悟りを得た」といわれました。釈尊と柳沢さんの言葉を照らし合わせ、私は次のように受け止めております。それは、「自己の立場に執着せず相手の立場に自分を置き、全ての人や物事に思いやりの気持ちを抱く」事が本当の生き方だと。

端午の節句
55日は端午の節句です。男の子がいる家庭ならば青空に鯉幟をはためかせ、甲(かぶと)が家の中に飾られる時節でもあります。ところで、この節句という字は{節目の節}に{俳句の句}と書きます。しかし、元々は節目の節にお供え}の供()という字を充てていました。それが現在のようになったのは、江戸時代の初め頃だといわれます。お供え}の供()とは食べ物のことであり、「共に同じ物を食する」ということでした。私たちはよく「同じ釜の飯を食べた仲」といいますが、そこには精神的な意味でも固い絆が養われたことを意味するのではないでしょうか。さて、私は数年前に石川県の津幡町(つばたまち)という処で、大本山総持寺の二代様・「峨山禅師ご誕生地の法要」に参列し、人々にお話をしたことがあります。お参りされた方々はほとんどが地元の真宗の門徒さんでしたが、集落挙げてのなかなか盛大な法要でありました。法要のあと、お供え物を下げてきて皆で分け合い、その年の当番となったお家で、お坊さんも地元の人も一緒に食事をいただきました。それは和気藹々として何とも心温まるひとときでありました。最近は、ご法事が済んだあとにお食事を皆でいただく、という光景も段々少なくなってきておりますが、「共に食する」ことの意義を今一度見つめなおしてみませんか。「供養」という字は、「お供え」に「心を養う」と書くのです。(平成18年5月)
けんちん汁は不殺生戒?
寒い時期の料理としてけんちん汁が知られておりますが、元々は禅寺の料理であったことをご存知でしょうか。昔、来客があったときに使った野菜の切れ端や皮、尻尾など捨てるような部分を細かく切って油で炒め、醤油で味付けしてそれを修行僧が頂いておりました。つまり「廃物を利用して作る」ことが、けんちん汁の原則であったのです。そこには、切れ端といえども仏の命として尊重して頂く、という「感謝の心」がありました。現在の私たちが一番欠如している心です。私たち曹洞宗の教えには「十重禁戒」という十種の犯してはならない戒めがあり、その第一番目が「不殺生戒」であります。それは「命あるものの殺生をいたしません」という消極的なものにとどまらず、「その命を守り育てていきます」という積極的な教えであります。
仏様に供養する花でも木そのものをなるべく傷つけないように採るとか、仏様の水を大地に還すときでも気の根っこに注いでその成長を育むような心がけで行ったならば、一杯の水といえども活かして使うことになるのです。品物でも大切に扱えば長年に亘って使用できますし、その品物の命を助長することになるのです。これが不殺生戒であり、全ての物事に通用する教えなのです。けんちん汁を通して、自分自身が毎日の生活上において保っていける不殺生戒の教えを学んでみませんか。(平成18年2月)
高校野球、駒澤苫小牧高の暴力事件に想う-虚心に諌めるということ
まだ記憶に新しい駒大苫小牧高の指導者暴力事件、さわやかなイメージが一変に吹っ飛んだ事件でした。問題となった苫小牧高校は、私ども曹洞宗が経営する駒澤大学の付属高校でありますので、余計に心が痛みました。暴力は決して許されるものではありません。しかし、敢えて「打つ、叩く」ということについて考えてみます。以前にも述べましたが、道元さまのお師匠・如浄さまは、坐禅中に居眠りしている僧を叱って打ちましたけれども、僧たちは如浄さまに打たれたことを涙を流して心から感謝したのです。なぜでしょうか?それは僧たちが、如浄さまの自身の「捨身の坐禅」を目の当りに見て感動しているからです。宗教に限らず学問でも芸術でも、とどのつまりは「信頼」であります。この方(先生)のためなら云々、という確信が無ければ弟子(生徒)は育たないのです。この方のためなら喜んで〜、という気持ちが起こらなかったら、師匠と弟子の信頼関係も成り立ちません。如浄さまには、それがあったのです。道元さまもまたその姿を如実に見られたからこそ、感激を以って、「如浄さまが僧を打った」情景を書物に書き留めておられるのです。如浄さまはまた、「僧を叱る場合、悪口をもって呵責してはならぬ」と説かれております。如浄さまも道元さまも、力点をおくのは「お互いに道心を持って修行しているか否か」ということなのです。この観点からこの事件を眺めた場合、容易なことではありませんが解決への道は少し見えてくるのではないでしょうか(平成17年9月)
冑仏(かぶとぼとけ)について
皆さんは冑仏、或いは兜仏というものをご存知でしょうか?昔、武将が兜や甲冑の中に忍ばせていた念持仏で高さ数センチほどの小さな仏像のことです。今まで古い文献には記されていてもほとんどその存在が知られていませんでしたが、近年静岡県金谷町の河村さんという方の研究によりその実態が明らかになってきています。私も年が明けてふとした機会から河村さんと知遇を得、以来、冑仏の世界に大変興味を抱いて色々と調べ始めております。武将たちはいつ命を失っても不思議ではないからこそ、篤く仏や神に帰依し、兜の内に仏像や守神を忍ばせて戦場に赴き、そのご加護を念じていました。この話を聞いて思い出したのは「二十歳」の読み方についてです。皆さんは「二十歳」と書いて「はたち」と読む由来をご存知でしょうか。「はたち」は元来「旗乳」と書きました。それは、戦国時代の青年武将たちが二十歳になると自分の背中に主君の紋所を染め抜いた旗をくくりつけて馬上勇ましく戦場を駆け巡ることができた由来によるものです。主君の御旗もろともいつ戦死しても一点の後悔もない、という覚悟の出陣であったのです。その旗の、竿に通す輪のことを「乳」といい、全部で二十個ついていました。現在ではお寺の播く神社の幟り旗・大相撲力士の旗にその名残がありますが、「はたち」は「旗乳」であったのです。つまり、「命を賭けた決断のできる年齢」を意味する言葉であったのです。それに対して現代は、いつ自分が死ぬかもしれない、という恐怖心(実際は医療の進んだ現在でも、世は無常ですが)が仲々持てず、神仏への気持ちも薄れ、日々を後悔なく一生懸命に生きていくことが行いづらくなっております。果たしてどちらが幸せな人生でしょうか。道元禅師の「正法眼蔵」中の「道心の巻」には「また一生のうちに仏をつくりたてまつらんといとなむべし」とあります。これは何も昔だけの話ではありません。現在の私たちも、自分の念持仏を一体ずつ常に持つ(体から仏様が離れない)ぐらいは心掛けたいものです。そうした志が起きてきたら「菩提心が身についてきた」といえましょうか。(平成17年3月)
平成17年の新春を迎えて
新しい年を迎え、私が山門脇の伝道掲示板に書いた最初の言葉は、高浜虚子の「去年(こぞ)今年、貫く棒の如きもの」という句です。とても有名な句ですのでご存知の方も多いでしょう。元旦と昨日と、ほんの瞬間のうちに去年〜今年という継ぎ目であり、去年今年と永遠に貫いていく棒の如きものがある。というもので、虚子の傑作中の傑作といわれております。この棒の如きものとは、永遠の真理とも言い換えることができましょう。年賀状にこの句を書く方もおられますね。さて、その一方で、私は玄関の色紙掛けに道元禅師の「前後截断」という言葉を掲げました。これは正法眼蔵の現成公案の巻に出てくるもので、前後截断とは「薪が燃えて灰となるが、その灰が元に戻って薪となることはない」と例え、「しかし薪は薪としての本来あるべき姿においてあり、灰は灰としての本来あるべき姿にある。そこに前があり後もある。しかし前後が在るといっても、その前後の際は断ち切れている。前(薪)は薪があるだけ、後(灰)は灰があるだけ。その前後関係は際断されているのである。それはつまり、どれが過去、どれが現在、どれが未来という関係はないのである」と示されたもので、古来より難解な言葉とされ、多くの学者がさまざまな解釈をしています。(つまり受け止め方がみんな違っていて参考にならない)ここでは薪と灰の因果関係を完全に否定しているのみならず、時間の経過も前後の相対関係も否定しております。道元禅師の物の見方というものは実はこういうものであり、既成概念を吹き飛ばすものです。更に道元禅師は、「冬があり、春があるというのは、冬が春になると思うべきでなく、春が冬になるとも言わぬのである」とも示されております。これこそ道元思想の真骨頂であります。だからといって、私は冒頭の虚子の句を否定するつもりは全くありません。道元禅師の示されるのは、薪と灰の例も、冬と春の例も、私達の生き様・有り様(つまり生死)を指している言葉であるからです。正法眼蔵にはこういう言葉が綺羅星の如く出て来て、難解でありながら読む者の胸をワクワクさせます。虚子の俳句もそうした観点で捉えると、また別の味わいも出てくるのではないでしょうか。(平成17年正月)
7/18の福井集中豪雨に想う
7月18日未明より福井地方を襲った集中豪雨は、瞬く間に川の堤防を壊し、市内へ濁流を押し寄せました。河川近くの建物はみな床上浸水となり、家財道具すべてを失う結果となりました。豪雨は河川の氾濫を招いたのみならず、山間部の地盤を緩いものにし、そこに住む人々の家屋を土石流が押し潰しました。死者さえ出した今回の被災状況をみて、私たちは大自然の脅威にただただ呆然と立ち尽すしかありませんでした。被災された皆様には心よりお見舞を申し上げ、一日も早い復旧を念じるばかりです。さて、かかる状況に私も翌19日より県内のお寺さんに声をかけてボランティア活動に加わり、被災家屋の泥の掻き出し、家財搬出のお手伝いをしてまいりました。最初、他のお寺さん方に一緒に行こう、と誘ったとき、中には渋々承諾した人も少なからずおりました。しかし、その日のボランティアが終わる夕方には、彼の顔はイキイキとした喜びの表情に変わっておりました。困っている人の為に自分が僅かでも何かお役に立てたのだ、という満足感で一杯になっていたのです。被災された方々には不謹慎な話かもしれませんが、人間の心というものは「他人の困っている状態に手を差し伸べて喜んでもらうことが、即ち自分自身の喜びである」ことの実証であったと思いました。最近の科学者の間でも、「人の細胞の中にある遺伝子(DNA)には、他人のために行動することに快感を感じる遺伝子が、誰にでも具わっている」と聞いたことがあります。同時に「他人の苦しむ姿や悲しい姿をみて快感を感じる悪い遺伝子」も具わっているのかもしれません。どなたかの言葉に「この体、鬼と仏と相い住める」という歌があります。私たちは、鬼みたいな心・鬼みたいな行いをする場合もあれば、仏様のような心、仏様のような行いをするときもあるのです。どちらも同じ「私自身」なのです。であるならば、なるべく仏様の顔を出すようにし、鬼の顔を出さないようにする心掛けが大切なのです。(平成16年10月)
衣更への時節に想う
「草の庵、夏のはじめの衣がへ、涼しき簾のかかるばかりぞ」
れは道元禅師さまが、衣がえの時節に詠われた、私の大好きな一句です。衣がえは旧暦では四月に行いましたが、現在では6月頃が夏の衣がえの時節ですね。京の貴族社会では、袿(うちぎ)の裏地に男性も女性も桜色を用いていました。袿は今でいうスーツに該当します。衣がえでは、袿は表を白、裏を緑に改めるのが一般でありました。当時はこの衣がえは実に雅なものであって、貴族たちはこの風習を大切にしていたのです。しかし、俗世間を離れた自分がまとうのはただ黒衣一領のみ。せめて庵室の板戸を取り去って簾をかけてみた。涼しげなる簾よ。私にとってこれが更衣だ、と道元禅師さまは詠っておるのです。貴族出身の禅師さまらしく、平生は僧の立場として枯淡な生活をしているが、その中にもやはり衣がえの時がきたら、それなりに風流にする。夏がきたら夏らしくするということなのでしょう(平成16年6月)
あのときの音色
中学生の娘が学校から帰ってきて私にこう言いました。「お父さん、公民の授業で《同情は差別なのか》をテーマに話し合いをしたが、身体障害者とよばれる方達に同情することは差別になるの?」私は答える代わりにある話をしました。それは、私があるピアノの発表会を聴きに行ったときのことです。何人もの子供が順番に演奏をし、次の女の子が拍手とともに舞台の袖から出て来ました。「あっ・・」誰もがそう思ったのでしょう。会場全体が一瞬息をのみました。小さな女の子が母親らしき女性に手を引かれてステージ真ん中のピアノの前に座りました。司会者が彼女は目が見えないと告げると聴衆は一斉に同情の目に変わりました。「鍵盤も何も見えないのに・・・、かわいそうに」と。
しかし、彼女がピアノを奏で始めたその瞬間、私は彼女の演奏にくぎづけになりました。「なんてきれいな音を出すのだろう」と。彼女の音色は素晴らしく冴えていました。演奏も完璧でした。
発表会のあとは、その子の話題でもちきりでした。それは「目が見えないのにミスタッチをしない」とか「目が不自由なのにあんなきれいな音はなかなか出せるものではない」という会話でした。確かにそうですが「目が見えないのに」という言葉は不要だと思います。なぜなら彼女の演奏は、もう充分に私たち健常者と対等であったからです。勘違いしてならないのは、身体障害者と呼ばれる方たちは、確かに身体に障害を持っていますが、でもそのことで健常者に劣ることはないのです。多少の不自由はあっても、健常者と同じなのです。対等なところにしっかりと立っているのです。健常者の上を行く方も沢山います。私は今でも、あの時の澄んだピアノの音色を思い出します。私たちは何の優劣もありません。私たちはみな同じなのです。(平成16年4月)
新年頭にあたり
平成16年の新春を迎えられ、皆様にとりまして幸多き一年になりますよう、祈念申し上げます。
さて、21世紀に入り、既に3年が経ちましたが、この僅かな間にニューヨーク世界貿易センターへの旅客機自爆テロや、アフガン戦争、イラク戦争など深刻な事件が相次いで起こっております。私たち日本も自衛隊の派遣が政府決定するなど身近な問題となっております。「21世紀は心の世紀であって欲しい」と誰もが強く願っていたにもかかわらず、現実には戦争や紛争が絶えません。特に「宗教と民俗」に関する対立が深刻の度を増していることは、大変悲しいことであり残念でなりません。
世界中のすべての宗教は「善い事をせよ、悪い事はするな」と教えていますが、「善悪の判断」は、それぞれの立場によって異なります。イラク然り、アメリカ然りです。テロといえども、お互いの主張する「善悪」が異なっているからです。しかし私たちの仏教のお釈迦様は、大自然を体(たい)とし、大宇宙を心としてお悟りを開かれました。「山川草木悉皆成仏」という言葉には、人間としての驕りの姿は見られません。人間もまた、広大な大宇宙の慈悲の一分であることを、改めて認識しなければなれません。
今のような争いを解決に導くのは、仏教の教えしかないと私は確信します。なぜなら、アメリカや西欧世界に象徴されるキリスト教・イラクや中近東世界に象徴されるイスラム教は、自分の神、教義しか認めない「一神教」であるからです。仏教は、いろいろな神や仏、考え方を認めます。これこそが、これから宗教や考え方の違う国と民俗どうしが仲良くしていける宗教ではないでしょうか。
幸い、私たちには「只管打坐」があり、「大自然の仏の智恵と慈悲」があります。今こそ、お釈迦様の教えに立ち帰り、「仏心に目覚めた生活」すなわち、「まごころを忘れず他への思いやりを抱いた日々を送るよう、精進してまいりたいものです(平成16年正月)
平常心とは発菩提心のこと
平常心は「へいじょうしん」とも言いますが、ここでは「びょうじょうしん」と読みます。禅門では昔からよく取り上げられる言葉です。総持寺開祖・瑩山さまは、師匠の徹通さまからこの話を聞かされて仏法の極意を体得されました。徹通さまが「どのようにわかったか」と問われると「真っ黒な玉が暗闇を走る」と答えられました。「不充分だ、更に言い直してみよ」と促された瑩山さまは「お茶が出たらお茶を喫し、ご飯が出たらご飯を喫します」と答えられ、満足された徹通さまから印可を受けられたのです。
中国の祖録にも、「ご飯が済んだら鉢を洗う」とか「昼寝から覚めたら顔を洗ってサッパリする。サッパリしたらお茶が欲しくなる」という故事で平常心が説かれております。即ち、ごく自然の行いを「ナンノ滞りもなくやってのける」ことです。道元さまは「たとえ未だ本当の菩提心が起こらなくとも、先に菩提心を発した仏様たちの修行の方法を学び真似しなさい。これこそが発菩提心であり、平常心である」と示されています。仏祖の法を習うこと、それが発菩提心であり、平常心である。つまり平常心とは仏道を習い歩んでいくことなのです。また、道元禅師は「(平常)心とは、行動をもって言うのであり、行動に示されるものである」とも、「一行に遇うては一行を修す」と、別の言い方で平常心を説かれております。味わうべき言葉ですね。話がいささか飛躍します、今、地球上では戦争やテロが続発し地獄のような世界が繰り広げられております。
中近東からは、毎日爆弾テロで人々が非業の死を遂げる暗いニュースが流れてきております。平和な日本に住んでいる私たちはこの状況に対し、何もせずに傍観しているだけでいいのでしょうか?。
かかる現代社会における「平常心」とは、具体的にどういう行動を指すのでしょうか。それに答を見出すことは大変難しいかもしれませんが、一度じっくり考えてみる価値はあると思います。

坐禅に親しむ方法を教えます
私は今、毎朝4時に起床し、洗面の後、30分間の暁天坐禅をし、引き続き朝課(朝のお勤め、読経)を行っております。
私が朝課の時に読むお経は、道元禅師の「正法眼蔵」や瑩山禅師の「伝光録」が主です。
曹洞宗は一般的に「般若心経」や「参道契」、「法華経」といったお経を朝課で読むものなのですが、私は道元禅師と瑩山禅師の教えを直接自分が声に出して読むことによっ
て理解を深めようと思い独自に数年前からこのことを始めました。初めの頃は坐禅をせずに、朝起きたらすぐ朝課にとりかかっていました。ところが「正法眼蔵」や「伝光録」を毎日声に出して読んでいくうちに、「坐禅をせずにはいられない心の状態」が段々と生じてきたのです。
私が好んで頻繁に読むのは、正法眼蔵
の「現成公案」や「弁道話」「摩訶般若波羅密」の巻です。するとそこに繰り返し述べられているのは「坐禅をしなさい、坐禅が仏道の最も大事な行いだ」という内容なのです。そうしますと、毎朝「坐禅をせよ」といった意味の経文を読んでいくうちに、坐禅をせずにはいられない心境になっていったのです。これは他人に強制されて、いやいや坐るのとは全く違います。ですから、例え5分間の坐禅であっても好い加減にはできません。むしろ嬉々と一生懸命に坐れるのです。まさに朝の充実したひとときであります。曹洞宗の教えや坐禅に関心を持ちながらも、「実際に坐禅するのはどうも・・」と躊躇している方にお薦めします。道元禅師や瑩山禅師の言葉を「原文で声に出して読む」ことに挑戦してみて下さい。 勿論、道元禅師の言葉は非常に難しいです。しかしそれを声に出して読んでいると、難解な表現がダイヤモンドのような耀きを発して迫ってきて心を撃ちます。いきいとした弾けるような精神の躍動があり、力強い言葉のリズムがあります。生きていく力が沸いてくるのを感じます。そして「坐禅をしよう」という気持ちになってきます。
因みに私は暗がりのうちから坐禅を始め、夜が明ける頃に終わるように時間を調整して起床しております。「暁天坐禅」の字の如く、やはり暗がりの時分から坐り始めないと気が落ち着かないのです。ですからこれから夏にかけて少し起床時間が早まるで
しょうし反対に冬だと今より遅く坐禅を始めています。いささか自慢めいた話になりましたが、これを読まれて「実際に坐禅をしてみよう」と思われる方が一人でも現れたら嬉しく思います。(平成15年5月)
新しき年を迎えて
新春明けましておめでとうございます。「今年こそ世界中が平和で人々みな幸せに明るく暮らせますように」と誰もが願う、毎年の元旦ですが、昨年も一昨年も未曾有の大事件が起こったり、不況で会社がどんどん倒産するなど、暗い世相が相変らず続いております。今年も年明け早々にアメリカがイラクに戦争をしかけるともメディアは伝えております。
「21世紀こそは心の時代に」と口ではみな唱えても現実には自国の利益、自分さえよければ他人の命はどうなっても構わない、という風潮は一向に無くなる気配がみえません。地球規模での環境破壊も根源は同じところにあります。ところで、750年前の道元さまが生きられたのは鎌倉幕府初期の動乱・殺戮の時代であり、600年前の龍泉寺開祖・通幻さまが生きられた時代も国内を二分して混乱していた南北朝の時代でした。いずれも私たちの生きる現代とよく似た社会状況でありました。。その頃、通幻さまは、ある年の正月に「新年と旧年と百福一清明。万物は嘉慶を亨し兆民は太平に沐す」と心境を述べられました。通幻さまが、元日の朝、禅堂の前にたたずみ諸堂にしんしんと降り積もる雪をご覧になりながら、人々の安寧を念じて述べられたものです。私は、戦乱の世にあって「兆民は太平に沐す」と説かれたところに、通幻さまの深い祈りが込められていると思えてなりません。通幻さまの言わんとしたことは、「他に対しては深い感謝の心を抱き、己に対しては誓いを新たにす」というものです。私たちも、今年こそ世界中の全ての人々が幸せになるよう念じ、その実現の為には自分が自己の立場・裁量で何ができるだろうか?という事を真剣に考えてそれを見つけ、実践してまいりましょう。それが「仏心に目覚めた生活」であり、「平常心是れ道」であります。まごころを忘れ、自己の利益しか追求しない思想・世界は、必ず滅びてしまいます。
他人の悲しみを自分の悲しみとし、喜びを自分の喜びとする生き方が、今こそ求められているのです。私の居室「方丈」に掲げられている「探珠」の額(このページの上段写真)。「珠」とは本当の自分、真実に生きる自分と私は受けとめておりますが、この二文字を仰ぐ度に「おまえ自身が何をすればいいのか、何ができるのか」と自問自答する毎日です。(平成15年正月)
「礼拝」ということ
礼拝とは、五体投地(ごたいとうち)、つまり両手両足、頭の額を地につけるという無我の姿です。そして仏様のお足を両手に頂戴する、手の平を上にして仏様をこの上に戴く様にするのが「仏足頂戴」の姿です。このとき、仏様と私達が繋がるわけです。植木の世界の言葉で、「接木(つぎき)をする」と云います。例えば渋柿の木に甘柿を接木をしたら、もう渋柿ではないですね。同じように、凡夫の私達が仏様を両手の上に戴いて繋がるということは、身も心も全部仏様になってしまうのです。それが本当の礼拝、五体投地ということになります。道元禅師は「本当に礼拝がこの世に行われている時は仏法が存続している証拠であり、礼拝が行なわれなくなったらお釈迦様の教えが消滅したのと同じである」(意訳、正法眼蔵陀羅尼の巻より)と示されておられます。礼拝が単なる形式ではなく、そういう形を通じて身も心も仏様に投げ入れる姿が大切なのです。「冬草も、見えぬ雪野の、しらさぎは、己が姿に、身を隠しけり」これは「礼拝」という題名の道元禅師のお歌です。一面の銀世界の雪景色の処へ一羽の白鷺が舞い降りてきます。雪も白いし白鷺も白い。丁度両者が一体となって己れを空しゅうして仏様の世界にすっかり入りこんでしまった姿を、こうお詠みになられたのです。普段、私達は合掌して礼拝するときにはともすれば軽軽に行いがちですが、そうではなく、口で「南無」と唱え、真心を込めて頭を下げて礼拝するという姿勢がとても大切になってくる訳です。すると拝む者も拝まれる者も一つになってしまうのです。これを難しく言えば「能礼所礼性空寂、感応道交難思議」(のうらいしょらいしょうくうじゃく、かんのうどうこうなんしぎ)と称します。礼拝が本当に身も心からも行なわれるようになると、親が子を拝み、子が親を拝む、先生が生徒を拝み、生徒が先生を拝みようになります。会社であろうがどこであろうが、お互いに拝み合う世界が現れてくると、世の中のたいていのもめごとは解決してしまうでしょう。私の尊敬する昭和の禅僧・金沢大乗寺の故・清水浩龍老師の「合掌の功徳」という言葉をご紹介してこの稿を閉じます。「神仏に合掌すれば信となり、父母に合掌すれば孝となり、お互いに合掌すれば和となり、長上に合掌すれば敬となり、無私に合掌すれば慈となり、自分に合掌すれば人造りとなる8月はお盆の時節、皆さんもそれぞれのお寺やお墓にお参りされる機会が多いと思います。どうか、そのような時には真心を込めて仏様やご先祖の精霊に礼拝を捧げていただきたいと思います。(平成14年8月)
子どもたちの環境を整えてやること
あなたは「楽しい」という漢字の、語源をご存知ですか?「楽」の真ん中に書いてある「白」は、太鼓をかたちどったもので、両側の「糸」という字は弦楽器のことです。そして下に「木」という字が書いてありますのは、楽器を載せる台です。台の上に載っている楽器を鳴らす。それを聞くこと、演奏すること、それが心を楽しくさせるということから、音楽という文字ができました。しかし、大和ことばの「たのしい」の語源の意味は違います。子どもがお母さんのお腹に入っている時には、手足を縮めて胎内におりますね。この手足を縮めている子がお母さんの胎内で手足を伸ばす時、それを「手伸ばし」「てのし」「たのし」というように変わってきたのです。つまり「たのしい」というのは、命が生き生きと伸び伸びと伸長していくことを、「たのし」と言ったのです。「たのし」は、普段縮まっているお母さんの子宮の中で手を伸ばす状態です。このことは、子どもにとって胎内か゜安全で安心できる環境であるからこそ、手を伸ばして伸び伸びするということが「たのし」ということになるのです。よくよく考えてみましょう。子供たちにいろいろな知識を与えたり、能力を与えたり、おもちゃを与えたり、栄養価の高い給食を与えたりすることよりも、あなたに一番して欲しいことは、子どもたちに安心のできる環境を与えてもらいたいということです。子どもというものは、大人が教えなくても、周囲のいろいろなことをやりながら、自分から学びとっていく力があるのです。赤ん坊にハイハイを教えたり歩くことを教えたり、言葉を教えたりしなくても、子どもは自分で「学ぶ」力があるのです。ご存知ですか?禅宗ではお経を読んだ後に「ご回向」といって読経の主旨を仏様に申し上げるときには、「種智を円かにせんことを」と言います。決して「幸せになりますように」とか「願い事が叶いますように」とは言いません。「種智を円かにせんことを」とは、「自分が先祖から代々受け継いできた、あらゆる困難に打ち勝っていくことのできる可能性をこの人生で円かに豊かに発揮できますように」と祈るのです。つまり、教育とは身近に学ぶ手本になる、「あなた自身」が重要になるわけです。「教育」の語源も「教え与えること」ではなく、「持っているものを引き出してやること」といわれます。現代は、いろいろな道具や器械を発明し、物質的な豊かさを背景に、有り余るものを与えながら教育しようとしていますが、物質的に与えるものは出来る限り少なくして、少なくすることによって食べ物は残さない、物は大切にする、同じに豊かな心配りを育て目ことが必要なのではないでしょうか。あまりにも過剰に教育を与えられたために、自分が自分の努力でハードルを越える訓練をやらせてもらっていない、自分が自分の力で吸収し人生を考えることを習っていない子どもたちや若者たちを見ていると、気の毒だと思います。それでは、「子どもたちへの環境を整えてやる」とは具体的にどういうことなのでしょうか?それは、広い意味でも狭い意味でも、とても難しい問題だと思います。しかし、常にそういう「問題意識」を持っていくことが一番大切なのではないでしょうか。(平成14年7月)
勉強とは
5月になり、とても過ごしやすい時節になりました。学年やクラスが変わって1ヶ月たちましたが、みなさんは新しい学校生活に慣れましたか?さて、今日は勉強について、少しお話をしてみましょう。みなさんは、「私たちは、なぜ勉強をしなければならないのか」と思ったことがありませんか?一度考えてみて下さい。それは、偉くなるため?いい大学に入るため?お金持ちになるため?でしょうか。答えはいろいろあると思いますが、気をつけなければならないことは、「いろいろなことを覚えて頭のいい人になるためではない」ということです。実は、勉強にはとても大きな目的があります。
思い出してみて下さい。この世に生まれてから、私たちの最初の勉強は、お母さんの話に耳を傾けることから始まります。お乳を吸いながら、やさしく微笑んだり、楽しそうに笑ったり、悲しそうな表情をして話かけてくれるお母さんの顔をじっと見つめ、その言葉を何度も繰り返し聞くことによって、私たちは感情を身につけ、言葉を覚え、人の話がわかるようになっていきます。世の中には、悲しい話や愉快な話などいろいろなお話がありますが、私たちはそれを聞くとき、お母さんの話を聞くときのように、話している人と心をひとつにして、喜んだり悲しんだりします。私たちの心は、そうすることによって段々と深くやさしいものに変わっていくのです。どんなに頭のいい人でも、他の人の話をやさしい気持ちをもって聞くことができなければ、その人は正しい人ではありません。私たちは、勉強することによって、このやさしい気持ちを身につけるだけではなく、「努力」というものを学ぶことができます。努力とは、なまけることの反対です。毎日勉強することは、大変で面倒くさいことかもしれません。けれども、勉強していて一番苦しいときに、ほんの少しだけ我慢をすれば、あとはらくらくと進んでいくことができます。この、ほんの少しの我慢を大切にしてほしいと思います。(平成14年5月)
「去りゆく人には幸せを」卒業・入学のシース゜ンに想うこと
「千里鶯啼いて緑紅に映ず」の好時節となりました。
卒業式や入学式、入社式があちこちで行なわれております。人生が人と人との出会いの積み重ねであることを考えれば、この時期は「人生の大切な節目、曲がり角」といえましょう。出会いの積み重ねは同時に「別れの歴史でもある」ともいえます。出会いには早かれ遅かれ必ず別れが伴うものです。
さて、中国に昔から「人生、別離足る」という言葉があります。作家の井伏鱒二さんは、これを「サヨナラだけが人生さ」と訳しました。実に名訳であります。その別れには様々な形があります。卒業し希望に満ちてそれぞれの道を新しく歩む場合があれば、愛する人との悲しい永遠の場合もあるでしょう。 
その時に「ありがとう。あなたに出会えてよかった。色々と親切にしていただいてありがとう。どうか別れてもあなたが幸せでありますように」と心を込めて祈り、また相手からも同じように思われるような生き方を、普段から心がけることが大切だと思います。
それを、中国の蘇軾という詩人は「人生に離別無ければ、誰が恩愛の重さを知ることができようか」と絶唱しました。離別があるからこそ、悲しみや憎しみ・相手からのご恩や愛情を深く感じることができるのです。そこには何とも言えない人生の味わいが出てくるのです。まさに「サヨナラだけが人生さ」であります。この時節、卒業・入学・就職・結婚を迎えるあなたに、次の言葉を贈ります。
「歩み寄る人には安らぎを、訪れる人には微笑みを、去りゆく人には幸せを」(平成14年4月)
外務大臣更迭について想うー「信なくんば立たず」
先日、突然私たちの耳に飛び込んできた田中真紀子外務大臣の更迭(解任)報道は日本中を驚かせました。余波は続き、テレビのワイドショーは連日「政界に激震が走った」と声高に取り上げております。どちらが正しくてどちらがウソをついているのか、真実は薮の中です。小泉内閣の支持率も急落しているようです。これを見ていて、私は現在福井で毎日再放送されている、かつての人気番組の最終回を思い出しました。それは「HERO」というキムタク主演のトレンディードラマです。木村拓哉扮する主人公・久利生(くりゅう)公平は、青森地検から東京へ移動になった検事。元ヤンキーで中卒。ジーパンとダウンジャケットで仕事をし、通販で商品を買う消費の達人であります。高視聴率をマークしたキムタクの型破り検事に相手役の松たか子などの豪華なキャスト。その最終回は次のような話でした。
総理大臣候補の汚職の証拠をつかみながら、効果的な時期まで告発を待っている若手代議士(三浦友和)が暗殺されそうになります。そして彼を守ろうとした見ず知らずのガードマンが代わりに殺されてしまいます。犯人は捕まらず、若手代議士はその後も証拠を握りながら告発の時期を待っています。事件の背景を知った主人公は彼のところへ会いに行き「そんな大きいことを狙わずに、身近な小さなことからして欲しい」と言い、彼を守ったために殺されたガードマンの子供に謝って欲しいと告げます。若手代議士は説得されて「私は政治の言葉で語ったが、彼は人間の言葉で語った」とつぶやきます。
さて、中国の孔子と弟子との間に交された次のような問答を、あなたはご存知でしょうか。弟子がある時、政治の要諦を質問すると、孔子は「食を足し、兵を足し、民これを信ず」と答えました。つまり、食生活の充実を図り、軍備をととのえ、民の信頼を得ることが政治の大事な要諦であると答えたのです。「ではその三つの中で最も大切なものはどれですか?」と弟子から更に尋ねられた孔子は、「兵を去れ、食を去らん。古えよりみな死あり。民信なくんば立たず」と答えます。最も大切なのは「食」でも「軍備」でもなく、「民からの信頼」であると説いたのです。半世紀前の日本は敗戦の際「食・兵・信」の三者のうち、先ず軍備を放棄しました。次に、食と信とどちらを選んだのか。軽々には論ぜませんが、「食うためには何をやっても許される」という風潮があったことは確かです。「食」は物質的繁栄を意味します。物質的繁栄を最高の幸福と勘違いして、家庭生活や教育を犠牲にして「食」の充足に狂奔したのが戦後の日本であったのです。「HERO」に出てくるような代議士が今どき日本に居るのかどうか判りませんが、孔子の言葉を読むと、信ずるに足る指導者と、そのもとで正しい行ないを育む精進が如何に大切であるかが実感されます。(H14年2月)
ある外国人親子の訪問を受けて
先日、私のお寺にベルギー人の親子4人が突然訪ねて来ました 。聞けば前日に永平寺に泊まり、坐禅を体験してきたとのこと。また仏教や曹洞宗、道元さまのお話をいろいろ伺ったとのことでした。彼らが私のお寺へ来た理由は、永平寺での話の中で、「人間は皆生まれながらに仏さまの本質を備えており、その身そのままで仏となることができる」というのを聞いて、「それならなぜこんなに厳しい修行をする必要があるのだろうか」という疑問を抱いたからだ、と言いました。  これを聞いた私は大変驚きました。彼らの抱いた疑問は、そのまま若き道元さまが抱かれたものと全く一緒だったからです。この疑問に対する答えは、後に道元さまご自身が「正法眼蔵」の中で「風性常住」(ふうしょうじょうじゅう)という問答を引用されてお示しになっておられます。 それは一言で申すなら、「暑いときに扇を使うと涼しい風が起こる」というお示しです。風の本質はどこにでも行き渡っているから、扇ぎさえすれば風が起こって涼しくなりますが、扇がなかったならそのまま暑いということです。 扇ぐことを修行に、涼しいことを悟りに当てはめてみて下さい。修行をすることがすなわち悟り・つまり仏の世界が目の前に現れてくるということになります。同時に、修行を止めたならば、悟りもまた現れなくなるということでもあります。つまり修行にはゴールというものがなく、いつまでもいつまでも行ない続けていくところに意義がある、という事になります。別の言い方をすれば、「スタート即ゴール」ということにもなりますね。これが、道元さまの気づかれた教えであり、仏法の真理であったのです。私は、仏教徒ではないベルギー人の親子が、素朴に抱いた仏道の核心に触れる疑問を感心するとともに、肝心の私たち自身はそのことを自身の問題として真剣に考えているだろうか、と反省することしきりです。 (H14年1月)                       

道に礙えらる(どうにさえらる)
私の一番好きな道元禅師の言葉です。「道」は「みち」と読んでもいいのですが、ここでは「どう」と読みます。「礙(さ)えらる」ということは、「邪魔される」という意味です。例えば目の前に茶碗があるとします。そこへ一枚の紙を茶碗の手前に立てて置きます。そうしますと、紙の向こうの茶碗は見えなくなります。それが実は「礙えらる」ということなのです。とかく邪魔されるというと、悪いものに邪魔される印象が強いものですが、良いものに邪魔される場合もあるわけです。そうなると、悪いものは無くなって良いものだけという「絶対的なもの」になります。つまり、仏道でも学問でもスポーツでも何でも習い事はその教えの中に我が身をどっぷりと浸していくということです。仏道でいえば、仏の教えに身と心を浸していくのです。これを「仏法漬け」という言葉で表現いたします。「ザルの中に水を入れる」という話がありますが、ザルにいくら水を注いでも溜まることなく下に落ちてしまいます。ではどうしたらいいか。それは至極簡単。水の中にザルを入れることです。ザルを私たち凡夫の世界、水を仏の世界に置き換えてみて下さい。私たちが日々の生活の中でする一つ一つの行為が仏の立場を備えている自分としての自覚から行なわれるものであるならば、それはもう既に悟りの世界が行ないの上に現れていることになります。そこには、悟ったとか悟っていないとかいう分別の入りこむ余地はありません。表題の言葉は、元々道元禅師が坐禅修行に励む僧に対して述べられたものではありますが、現代の人々にも学ぶべき一句だと私は思います。禅の教えは「修証一如」(しゅしょういちにょ)といいまして、修行(修)と悟り(証)は別々のものではなく、修行イコール証なのです。私たちの行き方に照らし合わせれば、結果だけを尊重するのではなくて、結果に至る行ないそのものに意義を見いだすということになりましょうか。(H13年10月)

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