月下木蓮<2>



 愛してると告げられ、無理矢理に肌を重ねられた日から、まだ幾月とたってはいない。
 その夜以来、楊ゼンは玉鼎真人との情交を執拗に求めた。
 拒絶したところで、何の牽制ができたわけでもない。ただ戒められて一方的に嬲られるだけだ。
 辛い、苦しい、と。
 ……その憂いが、楊ゼンに伝わっていないはずはないのに。
 一日と置かず、昼夜を問わず、顔を合わせれば彼は自分に触れようとする。
 こちらの気持ちなぞ知ったことか、とでも言わんばかりに。
 ………耐えられなかった。
 幼少の頃の、愛しむべき追憶の情景が、がらがらと渇いた音を立てて崩れてゆく。
 弟子に何度も身をまかせる内、玉鼎真人は己の足元さえもおぼつかない状態になっていった。



 修行のため、日中のほとんどを楊ゼンは外で過ごす。
 だが夜になると、必ずといっていいほど律儀に洞府へと戻ってきた。
 ……そして師を求める。
 抗い、拒絶するのを力で捻じ伏せられ、幾度気を失おうと許される事無く……自力で起き上がることすら困難になって、そこでやっと玉鼎真人は楊ゼンから解放される。
 だがその疲弊も癒えきらぬ内に、また夜を共に過ごすことを強要されて、



 ………彼から離れられるならもうどこでもいいと、何時の間にか辿りついたのがその観月の岩場だった。
 昔から好んだ木蓮の愛香に触れると、僅かだが荒んだ心が癒される気がして……
 それから幾晩も続けて、玉鼎真人はその木蓮の元に足を運んだ。
 楊ゼンが怒ることを見越しながら、束の間でも心の安らぎを得たかったからだ。
 過去に流れた平穏の風を、再び胸に抱きたかった。
 ……虚しい切望であると、わかってはいても。





「………相変わらず、あなたは綺麗に泣きますね、師匠」
 苦しそうに接ぐ吐息の合間に、楊ゼンにそんなことを言われて、玉鼎真人は初めて自分の瞳が濡れていることに気づいた。
 嗚咽すらこぼさず、いつも彼は涙をこぼす。泣いているのだと、そう感じられないほど……静かに。
 楊ゼンは、師のそんな顔が好きだった。だがそれとともに、微かな憤りも覚えた。
 ………何故、そんな風に泣くのだと。
 怒りでもいい、憎しみでもいい………どんな感情でもいいから露わにして、己にそれを突きつけてほしかった。
「……師匠。もっと……泣いてくださいよ」
 貴方の感情の欠片でもいい……それが僕に伝わるように。





 何のために自分を抱くのか。
 愛しているから、と楊ゼンは言う。
 ……その言葉が、何よりも私を追い詰めることに、彼は気づいているだろうか……。





「紫木蓮……昔からお好きな花でしたよね」
 乱れた着衣を肌に纏っただけの格好で、楊ゼンは蒼い美髪を掻き上げながらそう呟く。
 身を起こすことすらままならない状態の玉鼎真人は、汗と涙で霞んだ瞳を、気だるそうに見開いて、
「……なぜ、それを?」
「嫌だな、忘れてしまったんですか? あなたが教えてくれたのに」
 楊ゼンは小さく微笑を浮かべながら、訝しげな顔つきの師に向き直り、枝だからこぼれ落ちた木蓮の花をスッと手に取った。
「……幼い頃、あなたに剣術で負けて泣いていた僕の髪に、こうして……」
 そして慣れた動作で、それを玉鼎真人に髪に結い入れる。
「差して、教えてくれたじゃありませんか。木蓮の香りは、悲しみに沈んだ心を慰めてくれると」
 まるで独り言のように語ると、楊ゼンは唐突に玉鼎真人の両脇に掌をつき、彼を真上から見下ろす。
 月を背負った、美しい道士。
 透った眼光に心ごと射抜かれそうで、玉鼎真人は目を逸らそうとした。が、それもまた顎を抑える指に遮られる。
 彼は怖いぐらいに真剣な眼差しのまま、
「……ねえ、師匠。他に行く場所はいくらでもあったのに、何故ここに?」
「……………」
「……まあわかってますが、ちょっと腹が立ちますね」
 低音で言い捨てて、そっと玉鼎真人の黒髪を一房掬い上げる。
「あの頃の僕は可愛かったですか、あなたにとって」
「………ああ」
「そうでしょうね……戻りたい、と願っているにちがいありませんね。貴方は、潔癖だから」
 玉鼎真人の返答を待たず、楊ゼンはその細髪に口づけながら、
「でもそれは甘い夢でしかありませんよ」
 冷然と言い放つ。途端、玉鼎真人の顔に、憂慮が色濃く影を落とした。
「僕はずっとあなたを見ていた」
「……………」
「ずっとずっと、ね……本当に貴方の弟子になれたことに感謝していますよ。昔からね、自慢だったんです。こんなにも美しく高潔な人が僕の師だったことが」
「楊ゼ……」
「そして思っていました。誇り高いその身体と心を力づくで汚したら、あなたがどうなってしまうか……今の師匠はとても脆く見えますよ。少しでも足元が崩れたら、簡単に堕ちてしまいそうだ」
「楊ゼン……もう、やめてくれ……」
 聞きたくない、と玉鼎真人は弱々しくかぶりを振る。
 今の自分の支えにすらなっている過去までを、現世(うつしよ)の闇に塗り潰されたくはなかった。
「そんなにショックでしたか?……気づいてないはずがないと思ったんですが」
 首を撫でていた楊ゼンの手が、する、とはだけた胸に降りる。
 それにギク、と緊張する玉鼎真人の額に、楊ゼンは笑いながら唇を落として、
「僕が貴方をどういう眼で見ているのか知って……あなたはずっと背を向けていた。信じたくなかったんですか?……それとも、怖かった?」
「楊ゼン……もう、いい……」
「駄目ですよ、師匠。僕の言ったこと聞いていましたか?」
「楊………」
「僕はね、今とても怒っているんです」
 何を言っても何をしても、あなたは僕と向き合おうとしない。ひたすら耐えて逃げて……事実から目を逸らそうとする。
 愛していると囁いても、返ってくるのは投げ遣りな沈黙ばかりで。
「師匠がそんな風に卑怯だから……僕はもっと卑怯になるんです。貴方が僕から逃げていかないように……」
「や…………」
「こうして……繋いでおかなきゃならない」
 紅い徒花の咲く身体を、細いが力強い腕の中に再び閉じ込められる。
 疲労困憊しきった真人の表情は、また激しい苦痛に歪められて、
「ん……っ……ぁ………」
 ………いつしか髪上の木蓮も、風に散り去っていった。

 

 

 

 

← BACK

NEXT → 

                                    


えーっと、とりあえずまだ2話目までですが、この後も続きます。
ひたすらマイナス思考街道突っ走ってる話ですね、これ……さあ、どうやって収拾をつけよう(脂汗)←馬鹿
玉鼎サマ受けは何はなくともそそられる……うっとり。(自分の世界)
ただ惜しむらくは、自分でそれを表現できないってことですね。(泣)

 

ひとつ戻る小説TOPに戻る