悪略の代償<2>
「王サマー、王サマ………うーん、いないさねー………」
宮仕えの女人の集い部屋。奥まった石庭。まさかとは思うが執務室。
探してこいと簡単には言うものの、凄まじく広い城内のこと、どこから手をつけていいものやらわからない。
第一、天化はそれほど城の隅々にまで詳しいと言うわけではないのだ。
必然的に、幼少の頃からここで過ごしている武王に適うわけがないということで、
「王サマが隠れちまったら、俺っちじゃあ到底見つけられっこねーさ………」
はぁっ、と早くもうんざりしたような口調で愚痴をこぼしつつ、天化は花灯籠が朧く揺らぐ回廊をぺたぺたと歩んでいく。
「……………」
風が涼しい。こんな夜は嫌いじゃない。
そうして僅かに顔をほころばせつつ、中央の大庭園を取り巻く回廊の一角まで辿り着いたときだ。
「げっ」
一瞬にして、のんびりとした風流な気持ちが吹き飛び、天化はざざっと柱に身を隠す。
ちょうど真向かいの回廊から、見慣れた容貌が現れたからだ。
蒼い髪と紫の眼の………今、一番会いたくなかった人物。
書簡を携えながら、よりにもよってこちらに向かってきている。
(ま、マズイさっ!昨日の今日じゃあ更にマズイさ!)
とはいえ、この位置から顔を出せば、絶対見つかる。すぐに見つかる。だがこうして、ここでじっとしていても、結局は隣を通られることになる。
(あ〜もうッ!何で壁の方に隠れなかったさ、俺っちのバカ!!)
と、悔やんだところで今更だが、混乱した頭ではそんな事しか思い浮かばない。
その間にも、楊ゼンとの間合いは段々に狭まってきて、
(見つかる………ッ!)
そう思った瞬間。
「楊ゼン、ここにおったのか」
反射的に柱にうずくまってしまった天化の耳に、そらとぼけたような呼び声が届いた。
(師……叔?)
「え?………ああ、師叔。何か?」
今しも天化のいる回廊を曲がろうとしていた楊ゼンは、気づいたように踵を返して、逆の方向へと向かい出す。
「うむ、今何か火急の用でもあるかのぅ」
「? いえ、特には」
「そうか。それでは頼まれてほしいことがあるのだが………」
(あ、危なかったさ………!)
反対側の回廊でぼそぼそと会話を続ける二人をこっそり盗み見て、天化は背に汗しつつも、ばくばく鳴っている胸を撫でおろす。
昨日といい今日といい、どうも彼に関する悪運はいいらしい。
(……って、悠長に安心してるバアイじゃねーさ!とっ、とにかくどっかに……!)
わたわたと周囲を見まわして、天化は慌てて一本の通路に逃げ込んだ。いつ太公望との話が終わって、こちらに向かい出すかわからない。その前に、どこかに身をひそめておきたかった。
なるべく通路を右に折れ左に折れして、楊ゼンから遠く離れていく。
「あ〜、もうすっげえ情けねーさ………」
なんだって仲間、しかも男相手にこんなにびくつかなきゃいけないのか。………いや、わかっているだけに余計悔しい。
腕力も戦闘力も知力も、彼には何一つ適わないことが。
「ちぇっ………って、あれ?」
少し落ちこんだような表情で舌打ちして、天化はキッと足を止める。
右手前には、武王姫発の自室。いつのまにか、王族の寝室廊にまで迷い込んでしまっていたらしい。
「あっちゃ〜………まさか、ここにはいないさね………」
一番最初に調べなければ行けないところを忘れていたと、天化は額を抑えながら瀟洒な扉を叩こうとして、
がしっ!
「ぅわぁっ!」
いきなり背後から首を羽交い締めにされ、天化は大げさなほどに跳ねあがった。
(よ、楊ゼンさん………!?)
こんなに早く見つかるとは。って、そんなバアイじゃない。
飛び出そうになった心臓をどうにか宥めつつ、蒼白な顔でそぉっと後ろを振り向けば、
「よぉ、どしたんだぁ天化。俺の部屋の前で深刻そうなカオしてよぉ」
「お、王サマ!?」
それは間違いなく、酔っ払ってべろんべろんになった西岐の王、姫発だった。天化の四肢から、一気に力が抜け落ちる。
「も〜、驚かせないでほしいさ……王サマ、一体またどこに行ってたさ?俺っち、ずっと探してたさ」
「あ〜?そりゃ悪かったな………ちょいと一杯やってたのよ。こんないい夜に飲まねぇなんて、バカのすることだよ、あっはっはー」
「完全にできあがってるさね………ほら王サマ、わけのわかんないこと言ってないで。師匠が探してたさ。また執務をサボったって」
よっこらせ、と自分の肩にかかっていた姫発の腕を外し、天化はふらふらと危なっかしい彼の身体を支えてやる。
姫発はとろんとした泥酔状態特有の目つきで、ん〜?と天化を見上げて、
「ああ、あぁんな堅っ苦しいモンと四六時中向き合ってらんねぇよ。また明日やるさ」
「そんなの駄目さ〜。師叔はちゃんとマジメにやってるさ」
「あいつはもうトシだからな。俺はまだこぉ〜んなに若いんだぜぇ?やっぱ若いうちに遊んでおかねーと、勿体ねぇって。な、天化もそう思うだろ?」
一気にそうまくし立てて、またがはははっと酒臭い息を吐いて笑い出す。天化はそんな彼の様子に、諦めたような溜め息をついて、
「あーもうわかったさ。こんな状態で仕事しても、失敗するだけさ。俺っち、師叔に言っとくから、王サマ、もう寝るさ」
「え〜マジ?天化はやっさしいよなぁ。同じ注意しにくるんでも、あぁの性悪天才とは大違いだぜ」
どっくん。
言わずもがなな人物の代名詞に、天化は不自然に胸を弾ませる。今の心臓にはあまり良くない名だ。
「ま、まーそりゃ………えっと王サマ、部屋の鍵あるさ?」
「あー、コレ?それがどうかした?」
「どうかした、じゃねーさ。どうせ視界ぐらぐらで鍵もまともに開けらんねーさ?俺っちが開けてやるから」
「あぁ、そゆコト。さんきゅ」
くすくす笑いつつ、ちゃら、と姫発は天化の手に鍵を渡してくる。
それを受け取り、彼の腕を肩に担ぎながら、天化はかちゃっと扉を開けた。さすがに王の部屋。調度品はどれも一級品だ。それでも、亡き文王の精神を継いでか、他の王族よりは随分と質素な匂いがした。
「ん、しょ……っと」
彼をかつぎ直しながらなかに入り、ずるずると姫発の身体を奥に置かれた寝台にまで運んでいく。
そして、ようやく布の上に彼を横たえさせた。と思った瞬間。
「うわっ!」
離れようとした腕を、思いも寄らぬ程の強い力で引っ張られ、天化はバランスを崩して姫発の腕の中に盛大に倒れ込んだ。
「お、王サマ!酔ってるさ!?」
「い〜え、酔ってなんかいませんよ〜」
「どこが……じゃなくて……っ!」
いきなり何をするんだと上体を起こそうとしたが、天化を両腕で抱きかかえたまま、ごろりと反転され、あっという間に組み敷かれたような体勢になる。
実に鮮やかな手並みに、天化は呆気に取られたように固まってしまった。
「んー、天化は可愛いよなぁ。いい匂いがして」
そんな事に全く構わず、姫発はごろごろと天化の頬に顔を寄せてくる。予想だにしなかった展開に、彼はどう対処していいのかわからず、とりあえずされるがままになっていた。
驚きこそすれ、別に嫌な感覚は湧いてこない。
それどころか、彼との抱擁はとても心地よかった。
「王サマ……俺っち、香なんてつけてないさ……」
「ん?だからいいんだろ。初々しくてさ」
「………何言ってるさ…………もう重いさ〜、気が済んだら退いてほしいさ」
「へぇ、気が済んだらでいいのか?」
「………やっぱり今すぐどくさ………」
まるで漫才のようなかけあいに、天化は限りなく脱力しつつも、どこかほどよい安堵感を覚えていた。
飾るところのない、姫発のおおらかな性格に対して、なのかも知れない。
あの人は完璧すぎて、自分が補えるところなど何もなかったから。
………だから………こうして、自分を頼ってくれることが、とても嬉しかった。
「なぁなぁ天化。今日ここで一緒に寝ねーか?俺の抱き枕になってくれよ」
「そーゆーコトは女の人に頼んでほしーさ!あーもう、早く退………」
バタ……ン。
知らず苦笑しつつも、姫発の下から抜け出そうとして。
前方で鳴った扉の音に、天化は言葉を無くして凍りついた。
その場に静かに佇んでいたのは、紛れもなく今心中に思い返していた人物。
「よ…………」
「へぇ………随分と楽しそうだね、天化君」
またしても、こんな展開……余程好きらしいです(おい)
次回は、天化君にたっぷり泣いてもらう予定です(ふふふ)