悪略の代償<1>

 



 

 


「ん……ん、っく………」
 ぴちゃぴちゃと湿った音が明るい室内に響く。
 その音を聞きたくないと耳を塞ごうとしても、すぐにその指は下から伸びてきた腕に絡め取られ、結局はまた同じ体勢に戻された。
 肘辺りまでおろされた上衣。桃色に熟れた胸の突起を、さっきから執拗に弄ばれている。
「も……やめ、ろって言ってるさ、よぅ……ぜ、さんっ………!」
 舌で濡らされ、押し潰すようにいじられて、天化ははぁはぁと反らせた喉をひくつかせながら、眼前の端正な美貌をぎっと睨みつけた。
 だが生憎、そんな涙で潤んだ瞳ではなんの効果も得られない。どころか、尚更行為を助長させるだけだった。
「どうして?………ここのところ、お互いに忙しくて全然してなかったじゃないか。ヤメロ、なんて言われても聞けないね」
「…………っ!」
 彼の腰を跨ぐようにして取らされた立ち膝の格好。幸いにして、まだ下衣は身につけていたが、この状況ではいつ脱がされてもおかしくない。
何より、がくがくなる膝がもう限界だ。
 逃げれなくなる前に、早くやめてほしかった。
 お互いに忙しかったと彼は言うが………天化は忙しいふりをして、その実、彼との接触を避けていたのだから。
 …………その理由は……………簡単な、コト。
「やめ………ヤメルさっ!嫌だっ!」
 恥ずかしさの残る快楽に、それでも溺れることを恐れて、天化は渾身の力で楊ゼンから身体を引き剥がそうとする。
 が、やっぱり腰にがっちりとまわっている彼の手を緩ませることすら出来ない。
 それでも、楊ゼンに不機嫌な感情を与えることは、成功したようだ………
(………って、そんなん成功しても意味ないさ〜〜っ!!いや、むしろヤバい……!)
 などと焦る天化は無視して、楊ゼンは唐突に彼の下衣の中に手を突っ込んできた。
 ひやりとした細い体温を、直にきわどい部分に感じて、天化の身体はびくんっと大きく跳ねる。
「な………!」
「久しぶりだっていうのに、聞き分けがないなぁ。……今までだっていい方じゃなかったけど……そんなに、僕を焦らせて怒らせたいの?」
「ち、違………っ!」
 そんなわけがない。この天才道士を焦らせたり怒らせたりしよう、などと考えるほど、自分の度胸は座っちゃいない。
「お、俺っちはただ……」
 ただ………こんなことをしたくないだけだ。
 何でこの人ばっかりがキモチいい思いをして、そのぶんだけ自分が痛い思いをしなくてはならないのか、どう考えたって理不尽だろう。
 少し前まで毎日のようにしていても、あれだけ辛くて苦しくて痛かったのだ。ここ一ヶ月ほど肌をあわせていない状態で、いきなり突っ込まれようものなら……なんて想像するだけでぞっとしてくる。
(夜の生活がフツーになって、ようやく体調が良くなってきたって言うのに、また逆戻りなんて冗談じゃねーさ!)
 第一、自分が望んで始めた関係ではないのだ。最初の、あれはまるで強姦だった。酒をしこたま飲まされて部屋に連れこまれ、ほとんど丸め込むようにして抱かれたのだ。
 ………まあ、丸め込まれた自分もどうかしているとは思うが、それでも合意したことなんて今までに一度もない。
 いつだって好き放題遊ばれていた。
 寝台から動けなくなることだって、発熱だってしょっちゅうだった。
(それでも手加減なんて全然しようとしねーんだから………やっぱりこの人、性格悪いさ)
「ただ?何、ちゃんと言ってよ」
「…………っ」
 そんなの言えるんならとっくに言ってる。
 だが以前、うっかりそれを口にした所為で酷い目にあわされた……そん恐怖が天化の唇に歯止めをかけていた。
「な、何でもねーさ……」
「そう。じゃあ大人しくしててよ。………言っただろう?久々でもう我慢できないんだって」
 さらりと髪を流して、そんな直情的な台詞を吐いたかと思うと、腰に乗せていた天化の身体をそのままぐい、と後ろに押し倒した。
「ぅ、わ…………っ!」
 ばふっと手触りの良い布のなかに身体が投げ出される。
 そこにすぐ楊ゼンが覆い被さってきた。反射的に抗おうとする天化の腕を、筋を逆にし頭上で抑え込んで、性急に首に舌を這わせてくる。
 こんな体勢になってしまえば、もう逃げ道はない。元々腕力は彼の方がずっと上だ。
 生温かいその感覚が、天化に急激な嫌悪と恐怖とを呼びこんできて、
「やめ………っ!」
 切羽詰った涙声で、小さくそう叫んだ瞬間。



 コンコン。



 いっそ狙ってやったのかと疑いたくなるぐらい、絶妙なタイミングで飾り戸が鳴った。


「……………」
 熱くなってきた情欲を変に逸らされて、ぴっと楊ゼンの額に青筋が浮かぶ。
「おーい楊ゼン。太公望ンとこで会議やるってよー。まだ寝てねぇんだろ?出てこいよ」
 そんな室内の険悪ムードなぞどこ吹く風で、西岐の王、姫発の呑気な声が聞こえてきた。
「よ、楊ゼンさん………か、会議だって………」
 恐る恐る天化が彼の下から促せば、楊ゼンは完璧に機嫌を損ねた様子で、苛立だしそうに髪をかき上げ、寝台からおりる。
 そして、大して乱れてもいない服を正して、扉を薄く開けた。
「………何の会議ですか、武王」
「ああ、あのな。今度進軍する予定の………」



 

(た、助かったさ〜……)
 鬱血した胸を隠すように服を掻き集めて、天化は大きな溜め息を吐いた。幸いにして、この寝台は今二人が話している位置からは死角になる。でなければ、天化がこんなに落ち着いて(?)いられるわけがない。
 音を立てないように、急いで靴を履いて、彼は寝台からおりた。
 そして、近くの窓をそっと開くと、そこからなるべく静かに飛び降りる。
 今夜のところは、どうにか脱出に成功したようだった。

 

 

 


「………てな感じだ。お前のところにも重要な書簡幾つかいってる筈だから、それ持って来てくれ」
「わかりました。すぐ迎いますから、先に行っていてください」
 そっけなく言い捨てて、楊ゼンは早々に扉を閉めようとしたが、
「ああ……それと、誰かいたのか?さっき何か物音してたけど」
 とぼけた声で言われて、楊ゼンはちらりと反射的に寝台のほうに眼を向ける。
 この場所からでは、天幕が邪魔して中身は見えなかったが、傍らの窓が開け放してあるのを眼にして………
「いえ………誰もいませんよ」
「そうか。それじゃ、なるべく早くな」
 彼の声を背に、ばたんと重厚な音を立てて入り口が塞がれる。
 楊ゼンは無言のまま、ゆっくりと寝台に歩み寄った。
 確認するまでもなく、空になったそこ。
 自分が戻ってくるまで、どうにか繋いでおこうと思ったのに。
「…………まったく、どれだけお預けくらわされてると思ってるんだか………」
 窓からなびいてくる夜風に頬を撫でられつつ、楊ゼンは微妙な声色で嘆息すると、もう一度蒼髪をかきあげたのだった。

 

 

 

 



「あ〜えらい目にあったさ〜……王サマに感謝さね」
 ぽつりぽつりと砂利道を歩きながら、天化はげっそりした声音でそうひとりごちる。
 澄んだ夜の空気が、火照った肌にはとても気持ちよかった。
「今日は逃げれたけど……もー、明日はどうやってけむに巻くさ〜………俺っちが何企んだって、あの人に通用するわきゃねーし………」
 悪企みで、太公望と楊ゼンの性悪なアタマに適うわけがない。元より、天化はそういう知恵の応酬は得意ではなかった。
(だからって、楊ゼンさんの言うなりになるのだけは勘弁願いたいさ……) 
 今だって勝手に抜け出してきて……きっと彼はすごく怒っていることだろう。
 つまり、次に捕まろうものなら、イタイ目にあわされるのは必定ということで、
「………冗っ談じゃねーさ……絶対逃げ切ってやるさ。もう寝台の上で日がな過ごすような、情けない思いはしたくねーさっ!」
 よくない予感にぶるっと背を震わせながら、天化は月に向かってそう密かに闘志を燃やしたのだった。


 ……………結論から言って、かなり無駄な思いなのだが。

 

 

 

 




「師叔!!何か用事言いつけてほしーさ!」
 そして、翌日の夜。
 弟の稽古だとか理由をつけて、昼間を潰した天化は、太公望の執務机にばんっと掌を乗せながら、身を乗り出した。
 嘘ではなくすることがあれば、楊ゼンの魔手から逃げ切れる、という天化なりの考えからだ。……その時点で、かなり彼を甘く見ていることになるのだが、まあそれはともかく。
 その突然の切り出しに、太公望は一旦手を休めて、まじまじと天化を凝視する。
「………どーゆう風の吹き回しだ?いつもは頭でっかちな用事なんか嫌だと、ごねるクセに」
 かなり身に覚えのあることをずばっと指摘されて、天化はぐっと怯むが、ここで引いたら負けである。
「き、昨日は昨日、今日は今日さっ!それよりっ!どんなメンドくさい仕事でもするから、な、師叔。お願いさっ!」
 何やら切羽詰った表情で拝み倒されて、太公望は無言でぽりぽりと頬を掻く。
「まぁ………何かしてくれると言うなら、それにこしたことはないのだが…………おお、そうじゃ。それほどまでに言うなら、いっちょ武王をここまで引っ張ってきてはくれんか?」
 やおらぽんっと手を叩き、太公望はそんな事を口にする。
 随分と予測を外した命令に、天化はきょとんとなった。
「武王……王サマをここに?」
「そう、昨日は珍しく会議に出席したかと思えば、また今日の執務をサボりおってのう。大方、宮仕えの女人を口説いているとは思うのだが……」
「………相変わらず、お盛んな王サマさね………」
「まあ、そういうことで、見つけたら首に縄つけてでもいいから、ここで連行してくれ。とりあえず最初の仕事はそれじゃ」
 まがりなりにも王に向かってすごい物言いだが、天化にはさしてそれを気に留めた様子はなかった。
「ん〜……わかったさ。元々、王サマの目付け役俺っちだし。それじゃあ行ってくるさ」
「おお、よろしく頼むぞ」
 ぼりぼりと頭をかいて、天化はズボンに手を当てながら部屋を出て行く。
 やがて、ぱたん、と扉が閉まる音を確認すると、
「…………さて、と…………」
 細く長い溜め息を吐きながら、太公望はがたん、と椅子を立ったのだった。

 

 

 

NEXT→


ふみさま、楊天&裏裏というリクエストをどうもありがとうございました!
……などとか言いつつ、まだ触りだったりします(撲殺) ああっ!本当に申し訳ありません!
た、多分あと数回は続くかと思われます……(平謝り)
そして、最後はヒドイ内容になる予定です(笑)

 

ひとつ戻るTOPに戻る