あまいろ
四話ー天色の麗仙





 
 永天の祭礼。

 娯楽の希少な仙人界で、最も格式高く、また規模の大きい祭事である。

 中でも、御使(ぎょし)と称されるものが披露する錦舞は、皆を幻想へ導くと言われているほど、極上のものであるとか………

 

 

 


「舞……って、し、師匠が………?」
 柄にもなく声を上擦らせ、楊ゼンは虚をつかれたような顔になった。
 当然かもしれない。
 今の今まで、師に雅楽の才があるなどとは聞いた事もなかったからだ。
 呆然と立ち尽くす楊ゼンに、しかし太乙は逆に驚いて、
「え、玉鼎。楊ゼン君に何も言ってないの?君が舞や弦楽の名手だって」
「………………」
 その台詞に、玉鼎はバツが悪そうに唇に手を当てた。
 できれば、この弟子だけには知られたくなかった事なのだ。
 僅かに目元を染めつつ、彼は重い唇を開いて、
「…………何故」
「え?」
「何故、今回も私なんだ?御使は続けて行わない形式だろう………第一、お前や公主と大勢無者はいるではないか」
 何もまた私が舞う必要はない、とどこか拗ねたような様子で言う玉鼎に、何を言ってるんだかと太乙は肩を竦めると、
「形式はあくまで形式だよ。一番の名手を放り出して、ぬけぬけと私達が舞えると思う?」
「そんなことは………」
「あるの。私の舞なんて君に比べたら子供の手習いみたいなものだよ。とても御使なんて大役、つとまりっこないさ」
 淡々と繰り広げられる会話に、楊ゼンはとてもついていけずぼうっとしていた。二人の口調からしてどうも祭礼の類らしいが、さっぱり内容が掴めない。いや、それ以前に師匠が舞を舞うとはどういうことなのか………
「あの太乙さま………一体何の話なのですか?初めて耳にするのですが………」
「あ、そういえば前回は楊ゼン君がまだ幼かった時だったっけね。えーと、永天の祭礼、って聞いたことないかな?」
「永天の……祭礼……?」
「うん。あぁそうだねー、どこから話そうかなぁ………結構長くなるけど、いい?」
 一も二もなくうなずいた。師に関することなら何だって知りたい。
「そう、じゃあね。えぇと、玉虚宮の大庭園は知ってる?」
 そう尋ねられて、楊ゼンは小首を傾げながら少し考えた。立場上、何度か師と共に足を運んだことはあるが………
「………あ、もしかしてあの花の尽きない見事な庭園ですか?」
 それならば覚えがある。と言うかあの景色は一度見たら忘れられない。
 確か、謁見の間の奥にあったように思うけれど。
「そうそう、あそこ。とんでもなく広いあの場所でね………」
 玉虚宮の誇る庭園には、ありとあらゆる樹花が在し、いつ訪れようとも花や薫香が満ち溢れている。澄み透った広い池には反橋が個所個所に設けられ、雅な散策に興じることが出来るのだ。
「………で、ちょうど百周期ごとにそこで祭礼が催されるんだ。永天の祭礼……っていう、要はつつがない時の流れに感謝する、なんて漠然とした目的の為のものなんだけどさ、仙人界には娯楽が少ないから、まあ公然な無礼講みたいなものかな」
 舞い散る花の中で酒をあおって、朝まで酔い明かす。皆ここぞとばかりにはめを外して戯れる。元は人であった者達が。
「だからほとんどの仙道が参列するんだけどさー………一番のお目当て、ってのがやっぱり錦舞なんだよね」
「錦舞……?それを師匠が?」
「うん。あそこの花々ってどれもすごい綺麗に咲くんだけどね、なかでも際立って目をひくのが水桜霊樹って名指される枝垂桜で、珍しいことに庭園の池のなかから生えているんだ」
 その樹が、祭礼の目玉。
 廻花と呼ばれる現象から、百年に一度の夜しかその花弁を開かない。
 永い間蕾を保っていた淡紅の花が一気に咲き乱れ、そして散りゆく様は、それはもう見事なもので、
「で、その霊樹の下に蓮をかたどった台座が浮かべてあってね、その上で御使が錦舞っていう祝詞舞を披露するんだよ。崑崙の仙道ほぼ全員の中で舞うんだから、そりゃもう一番の大役だよね」
「祝詞舞?」
「詩なり詞なりを吟じながら踊る舞、ってこと。ちなみに楽は私ともう一人の高仙が紡ぐんだけどさ。……長くなっちゃったけど、こんな感じで文献には記されてるよ。初耳だった」
「………はい、聞いた事もありませんでした」
「そっか………多分玉鼎が恥ずかしがった所為だろうねぇ。彼、すごいはにかみやだから」
「太乙!」
 にやにやと意地悪く笑いつつ、ちらりと目線を投げてくる太乙に、玉鼎は焦って叫んだ。
 あまり知られて嬉しい内容ではない。………ただでさえ、人目に晒されるのは苦手だというのに。
 元始天尊様が自分の師らしくもなく、毎回拝み倒してくるものだから………
「そんなに嫌がらなくたっていいじゃない。楊ゼン君、こう言っちゃなんだけど玉鼎の舞は凄いよ。御使は継続しないって言う形式を引っ繰り返して、いつも元始天尊様直々に頼まれてるんだから」
「太乙っ!そう語弊のある言い回しをするな!」
「何でさ、本当のことじゃない………君は自覚が無さすぎだよ、玉鼎。みんな君の舞が見たいから祭礼に出てくるのに」
「それはないと言ってるだろう。楊ゼン、あまり本気にするな。太乙は大袈裟に言いすぎるんだ」
 実際けしてそんなことはないのだが、玉鼎の性格から言って気づくはずもない。
 楊ゼンはまだ何かに憑かれたような表情でぼーっとしている。
 師匠、この人の舞。
 一体、どれほど艶やかなものだろう。
 想像の限界を越えて、楊ゼンはぶんぶんと首を振った。
「じゃ、そういうことだから。ごねたって無駄だよ。もうみんなに吹聴して回ってるしね」
「な………」
「楽しみだなぁ、玉鼎の艶姿。祭礼以外では、いくら頼み込んでもちっとも見せてくれないもんね。別に出し惜しむ必要なんてないのに」
「待て太乙、私はまだ承諾して………」
「ふーん、じゃあまた元始天尊様に泣きつかれてほしいの?あの人、君以外の舞手は認めてらっしゃらないもんねぇ」 
 祭主の意向に逆らっちゃいけないよ。
 さらっと釘を刺されて、玉鼎はぐっと言葉を詰まらす。確かに幾度か泣きつかれた前科があるだけに、もう勘弁してほしかった。
「祭礼は五日後だよ。それまでにちゃんと舞えるようにしておいてね。………ああでも君ならそんな必要はないかな」
 玉鼎の葛藤している様子を楽しそうに見つめて、太乙はよいしょ、と椅子から立ちあがった。
「じゃあね、玉鼎。楊ゼン君、君の師匠が逃げ出さないかちゃんと見張っておいてね」
「もうお帰りですか、太乙真人様」
「うん。一応祭礼の幹部だからさー、やることが結構あるんだ」
「そうですか………ではお気をつけて」
 儀礼的な見送りの挨拶に、それでも太乙は笑顔で返し、洞府を出ていった。
 そして、場に落ちるなんとなく気まずい沈黙。
 玉鼎は居心地が悪そうに髪を掻きあげて、席を立とうとした。
「師匠」
 が、それはまだ幼さを残す弟子の声に遮られる。
 仕方なくそちらに向き直れば、ずいっと楊ゼンが詰め寄ってきた。
「どうして僕に版は何にも教えてくれなかったんですか?百年も側にいるのに………僕、師匠の舞も歌も聞いたことなんてありません」
 その完全な責め口調に、玉鼎は萎縮したような様子になって、
「あ、と……それは……ただ………」
 言う必要もなかったし、何より気恥ずかしかった。
 人前で気軽に披露できるような自信があるわけでもなし、元々注目されるのを非常に不得手としていたからだ。
 まあ、時折十二仙の宴などで奏するぐらいはあったが………
「いや、すまない楊ゼン。別に隠しているつもりはなかったんだが………」
「本当ですか?
「ああ、元々たしなみ程度で覚えたものだったからな……人前に慣れていないんだ。だがお前が気を悪くしたと言うなら謝るよ。許してくれ」 ひょい、と楊ゼンの身体を掴みあげて膝に乗せ、玉鼎は申し訳なさそうな表情で笑う。そんな顔をされたら、彼はもう何も言えない。
「いえ、別にいいです………でも、その祭礼には僕も出ていいんですよね」
 ほぼ断定的な口調に、玉鼎は小さく眼を見張って、
「あ、ああ。勿論だとも」
「それなら許してあげます。師匠、昼餉にしましょう。僕お腹がすきました」
 にこっと現金に笑むと、楊ゼンは唐突に話題転換をしてきた。しかし、それに玉鼎は何となく救われたような気分になって、
「そうだな、今日は何が食べたい、楊ゼン」

 

 

 

 

 


 そんなささいな騒動があってから、二日後の昼。
 突然身支度を整え出した玉鼎に、楊ゼンは手にしていた書物から眼を外して、
「師匠?どこかへ行かれるのですか?」
「ああ……私用だ。夕方までには戻ってくる」
 ごく自然な感じを装った楊ゼンの声に、玉鼎はどこか歯切れの悪い応えを返した。いつもはちゃんとどこへ行くのか告げて言ってくれる彼である。
 …………しかし、そう言う玉鼎を、楊ゼンは月に幾度か見送ってきた。
 あえて何も問わずに。
 手本となるような、わきまえた弟子を演じて。
「………はい、お気をつけて師匠」
 その陰りを含んだ笑顔に、玉鼎は何の疑いも抱かず振り返ると、
「ああ、行ってくるよ楊ゼン」

 

 

 

 



 鳳凰山。
 この辺一帯は、特に雲霧の立ち籠め方がが激しい。
 玉鼎は視界を白い霞に邪魔されながらも、何とか黄巾力士を降り立たせ、霧の舞う地を優雅に歩いた。
 既に慣れた散策。
 やがて突き出た岩肌の向こうに、目的のものを見つける。
「…………」
 ふっといっそう穏やかな顔になって、玉鼎は足取り軽やかに岩を跳び登った。
 狭霧の所為か空気の冷たい岩山の上に、僅かに浮いて佇む翠帳紅閨。
 品のよい浄香………竜涎香が、玉鼎を静かに包み込んでくる。
 音を必要としないような、あまりに静謐に満ちた閨房。
 玉鼎は、その帳をそっと捲り上げた。
 途端、鮮やかな美貌が眼に飛び込んでくる。
 あつらえたような上等な作りの寝台に、寝息微かに横たわる一人の仙女。
 玉鼎は暫しどうしたものかと、その美仙を眺めていたが、
「竜吉………」
 と、酷く遠慮がちに声をかけた。
 すると、目覚めと共に開かれた瞳が、そのまま驚きへと変わる。
「玉、鼎………?」
「ああ。眠っているところを悪かった………具合が悪いのか?」
 ゆっくりと髪を流して起き上がってくる公主に、そんな労わりの言葉を投げ、玉鼎は褥の横に腰掛けた。
 仙人界きっての美仙と噂される竜吉公主。
 存在自体が神秘故に、滅多と公の場には姿を現さない。
 更に、その美貌に言い寄ってくるものは数多といたが、彼女はいっそ冷淡なまでに誰の誘いにも応じることはなかった。 
 理由は………至って簡単なことだ。
「ふふ、相変わらず心配癖は直っておらぬな。何も案じてもらうことはない………それより、もっと近う寄ってくれ、玉鼎」
 する、と絹の肌着を揺らせて、公主の白く細い指が玉鼎の頬に触れる。
 彼はそれを自分の手に取りながら、宥める様に小さく苦笑した。
「あまり婀娜な装いで私を惑わすな、竜吉。せめて単衣なり羽織ったらどうだ?」
 言われて、初めて気づいたらしい。
 自分が薄い肌着しか身に着けていなかったことに。
「あ…………」
 顔を赤らめながら、慌ててかけてあった衣を背から羽織る。
 そして、上目遣いに玉鼎を見上げて、
「………意地が悪いな、玉鼎。言うのが、遅い」
「はは、すまない。自分の格好を忘れている、とは思わなかったのでな」
 玉鼎の素直な謝罪は、確かに正論だった。
 訪ね来てくれた想い人に熱浮かされたのは他ならぬ自分だったので………
 ………第一、この男はそういった情を欠片も持ち合わせていないことを知っている。
 自分がどんな格好や態度で誘おうと、惑わされることなぞまずないだろうに。
 そう思って少し寂しくなったが、それよりも来訪に対する歓びのほうが大きかった。
 彼女は控えめに玉鼎の近くに移ると、
「そういえば、そろそろ祭礼の時季だな玉鼎。………また元始天尊にせがまれたそうではないか」
 身のない睦言の仕返しとばかりに、公主は玉鼎が苦手とするだろう話題を投げる。
 案の定、彼はすぐに居心地の悪そうな顔つきになった。
「………もう伝わっているのか?」
「私の弟子たちはまだ若いからな………美丈夫に関する噂話を好むのだよ」
 くすくすと笑いつつ、公主は玉鼎の肩に凭れかかる。
 少しの威圧感もない、ただ優美な仕草と安らいだ声色。
 こんな彼女を目にすることが出来るのは、後にも先にも玉鼎だけだった。
 いや、玉鼎の側だからこそ……と言った方が正しいか。
 まるで兄妹のように仲睦まじい二人。
 どちらも崑崙随一の麗人と囁かれるだけあって、きっとそれは誰もが羨む光景に違いない。
「またそういうことを………せめて肩代わりしてやる、ぐらいの労わりは見せてくれないか?」
「ふふ、そうしてやりたいのはやまやまなのだがな………私も久方ぶりにお主の舞で眼を楽しませたい。まあ、潔く諦めることだ」
「……………成程」
 お前にそうまで言われては仕様がないか、と玉鼎は話を打ちきって、サラ、と公主の髪に指を梳き入れてきた。
 彼女は一瞬眼を見張ったが、すぐにそれは恍惚としたものに変わる。
 僅かな逢瀬の中の、優しい時。
 幸せの波に簡単に呑まれてしまいそうで、時折それが怖くもある。
 こんなにも、この男に溺れてしまってよいのだろうかと。
 強く信じてはいるけれど、もしこの温もりを失ってしまったら自分は………
「………竜吉?」
 何かに、自分達の細い絆を断ち切られてしまう恐れ。
 だって、玉鼎は何よりも優しいから………
 優しすぎる故に、儚く思う。
 もう少し、情をあらわにしてほしいと。
 そう願ってしまうのは………多分自分の欲張りなのだろうけれど。
「玉鼎………しばらく、こうしていてくれるか………?」
 彼の広い胸の中におさまりながら、公主はどこか不安そうに呟く。
 いつになく必死な請いに、玉鼎は無言で少し力を込めて彼女を抱き寄せた。
 微かに揺れる、見事な黒髪と竜涎香。
 玉鼎はそのどこか眼に眩しい情景に、すっと静かに瞼を下ろして、
「ああ、勿論………ゆっくり休むといい」


 愛しい愛しい私の宝。
 お前にはいつまでもこのままでいてほしい。
 気高く美しい………存在のままで。

 

 

 

 




 鳳凰山から戻った頃には既に宵深く、森のしじまには透き通るような夜啼鳥の声が響いていた。
 黄巾力士から下りた玉鼎は、その足で急ぎ洞府へと向かう。
 もう青年に近い年齢になったとはいえ、やはり弟子のことが気がかりだったのだ。
 白い息を吐きつつ、ガチャ、と扉を開いて中に入れば、
「おかえりなさい、師匠」
 間髪を置かず、聞き慣れた迎えの言葉。
 玉鼎はらしくなく驚いて足を止めた。
「楊ゼン?こんな時間まで………先に休んでいてくれればよかったのに」
 それでも嬉しいことだが、と苦笑しながら楊ゼンに歩み寄って、玉鼎は彼の髪をゆっくりと撫でた。
 瞬間、楊ゼンの顔が鋭く強張ったことに、彼は気づいていただろうか。
「いえ。……眠る前に、師匠の顔が見たかったんです………ご迷惑でしたか?」
「?そんな筈はないだろう………私はお前の身体が心配なだけだ。ただでさえ、人一倍辛い修行をこなしているのだから」
 いつ身体に変調をきたすか、不安でしょうがない。
 過保護すぎるのは、自分でも十分承知しているのだけれど。
「だから、もうお休み楊ゼン………遅くなってすまなかったな」
 にこ、と上品に笑って、もう一度楊ゼンの頭を撫でると、玉鼎は奥の回廊へと消えていった。
 そして、


「……………っ……………!」


 残されたのは、心を突き破りそうなほど不快感と嫌悪感。
 胸中にどす黒い何かが次々と湧き上がってくるようで、楊ゼンは全身を震わせながらしきりに荒い息を吐き出した。
 わけのわからない激情に翻弄されて、視界が渦巻くように赤く歪む。
 師の衣に残っていた、高価な女物の香の匂い。
 園をつぶさに思い起こして、楊ゼンは再び激しい憤りを覚えた。
 対象の何もはっきりしない、ただ闇雲な怒りだけが全身を荒々しく駆け巡って行く。


 我慢できなかった。
 いつだって自分を抱きしめてくれていた腕で、他の誰かを包んだなんて。
 あの優しい声色を、自分以外に囁くなんて。
 そんなこと、考えただけでたまらなくなるのに。


「………師匠………師……匠……」
 ぶるぶると震える両の拳を眼に当て、楊ゼンは切れ切れの嗚咽をこぼす。
 まるで血を吐くような………憎悪の籠もった、声。
「…………嫌、だ………師、しょ………」


 嫌だ。
 お願いだから、自分から師を奪わないで。
 そのためなら、何でもするから。


 そう、何でも、できるから………


「師匠…………」

 

 

 

 

 

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何だかもう許せないほどに変な内容です。ああ申し訳ありません(TT)
ちなみに言えば公主と師匠は恋人同士ではないのです(笑)
楊ゼン君の壊れ方はまだ序の口です。最後には楊ゼンファンの方に殴られそうな程酷く……(汗)

 

翠帳紅閨(すいちょうこうけい)…身分の高い女人の寝床。

 

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