慟哭<2>







とんでもない勢いで開いた扉の向こうには、らしくもなく慌てた様子の玉鼎真人が息を切らせて立ち尽くしていた。
「やぁ、玉鼎。おじゃましてるよ」
寝台に横になったまま、太乙はひらひらと手を振った。勿論、まだ楊ゼンはのしかかったままだ。
「・・・・・・何をしている」
憮然とした面持ちでそう問うて来る玉鼎に、太乙はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「それ、どっちに聞いてるの?」
「………」
不覚にも、玉鼎は二の句が次げなかった。

 

 


目の前のティ-カップが、暖かな香りを部屋中に広げている。
「ああ、ありがと。・・で、お茶うけは?」
差し出されたカップを受け取って、太乙は図々しくもそう言った。
眉間にしわを寄せながらも、玉鼎は仙桃をいくつか皿に盛ってテーブルに置く。
律義な奴・・・。
自分で注文をつけたにもかかわらず、太乙はこっそりため息をついた。
まぁ、この律義さというか天然ボケというか・・・・。それが玉鼎の魅力と云えなくも無いかもしれない。
ちなみに、楊ゼンはこの場に居ない。泣き疲れたのだろう。先ほどの部屋でぐっすり眠っている。あどけない寝顔を思い出して、太乙は笑みを浮かべた。
「かわいい~ねぇ? 愛弟子くんは・・」
完全にからかい口調で言って、仙桃に手を伸ばす。
「゛怪我してるんですか? 僕の所為?また僕の所為?"」
突然、脈絡の無いことを言い出した太乙に、玉鼎は小首をかしげた。
一見しただけでは到底似合いそうもないしぐさなのに、実際目の当たりにするとこれが驚くほど良く似合う。
「・・・楊ゼンがそう言ったのか?」
「まぁね。っていうかさぁ~、このナリ見て何も言わない君のほうがすごいと思うけど?」
ボロボロになった袖をこれ見よがしに振ってみせる。
「あの結界を解いたんだろう。そのくらいなって当たり前だ」
「あっそ・・」
にべも無いその言い方に、面白くなさそうに仙桃にかぶりつく太乙。
「・・・・で? 『僕の所為』って、なに?」
絶妙のタイミングで、太乙は疑問を投げかけた。
「・・・・・・・・・・・」
「答えられないような事なんだ?」
少しばかり意地の悪い聞き方。
困ったようにため息をつく玉鼎の顔に、薄く疲労の色が広がる。
「・・・あれは・・・まだ幼い・・」
ふう、と息をついて、玉鼎はテーブルに片肘をついた。
「答えになってないよ」とぼやきつつ目を上げた太乙は、その袖口から覗く白い腕に、ある筈の無いものを見て目を見開いた。
「ぎょくてっ・・・キミ、その傷・・・っ?」
象牙色の美しい肌に走ったいくつもの傷痕。太乙の傷とは比べ物にならないほど深い。それを、ろくに手当てした様子もなく放っておかれている。
はっと慌てて袖をあげるが、もう遅い。太乙の眼にはその傷がしっかりと焼き付いていた。
「・・・どういう事?」
押し殺した低い声で問う。
何故手当てをしないのか、そして一体誰にそんな傷をつけられたのか。
いくつか考えられる事はある。だかそれは、あくまで憶測にすぎない。
明確な答えは、目の前の男が持っているはずだ。
「・・・玉鼎。どういう事なんだい?」
重ねて、問い詰める。
「・・・・・・たいした事じゃない」
「・・っどこが・・!」
ガタン、と音をたてて立ち上がる。
「十二仙ともあろうものがそんな傷つくって手当てもしないで・・っ・・!たいした事じゃない? ふざけないでよ・・?」
「・・・太乙・・」
疲れたように名を呼ばれて、ぐっと詰まる。
「・・・・丹薬と包帯・・・。とにかく、手当てしよう」
くるりと踵を返す太乙を玉鼎が引き止める。
「いいから、太乙。今手当てしても無駄だ・・・」
「無駄?」
怪訝そうに聞き返す太乙に苦笑を返そうとして、そのまま顔を強ばらせた。
「玉鼎・・?」
どうしたの?と続けようとして、太乙は体を二つに折った。
唐突に、吐き気が込み上げて来る。
「・・ぅ・・・・ぐ・ぅ・・」
胃の中の物がせり上がってくる感覚に、思わず床に膝をつく。
これは・・・・この感覚は・・・。
「すまない、太乙」
おざなりな謝罪の言葉を口にして、玉鼎は部屋を出ていこうとする。
「・・待っ・・・玉・・て・・い・・」
引き止めようとするが、体が云う事をきかない。
引き止めようとしたセリフは、どうやら彼には届かなかったらしい。
玉鼎はすでに部屋の中から消えていた。
「・・じょう・・・だん・・・」
額に脂汗が浮かぶ。
ねっとりと絡み付くような空気が、部屋の中に充満する。
この感覚は、まず間違いなく妖気だろう。誰が発しているのかは想像に難くない。
先ほど楊ゼンと話していたときも、この感じが無いわけではなかった。だがそれはごく微弱な物であったし、妖怪の幼子ならこんなモノなのだろうと思っていた。
しかしこれは、この感覚は、人の身にはあまりに強すぎる。
玉鼎とて例外ではないはずだ。
多少慣れたという事もあるだろうが、こんな妖気に触れ続ければ、間違いなく体と精神に異状をきたす。
こんな中を、あの馬鹿は、楊ゼンの部屋に向かったのだろうか・・・。
「・・なに・・・考えてるんだよ・・玉鼎・・」

 

 


玉鼎真人は一つの扉の前に佇んでいた。
辺りの妖気は一層濃くなってきている。
「・・・楊ゼン」
扉を開けて中に足を踏み入れる。
「楊ゼン。どうした?」
自分でも驚くほど優しい声が出る。
部屋の中には、半身を起き上がらせている楊ゼンの姿。その目はどこか遠くを見ていて、玉鼎すらその視界の中には入っていなかった。妖気は、ますます濃度を増している。
「どうしたんだ楊ゼン。私は、ここにいるよ・・・?」
優しく、楊ゼンの髪を梳いてやる。
紫色の瞳を覗き込むと、その瞳にゆっくりと光が戻ってきた。狂気じみた光。
「・・ししょう・・」
薄い笑みを貼り付けて楊ゼンが呟いた。
「・・良かった。・・そこにいらっしゃったんですね・・」
木の皮を削り出したような三つ又の手を、玉鼎の頬に添える。
どこか虚ろな瞳が、玉鼎を捕らえた。
「でも、貴方はホンモノですか?」
添えた手をゆっくりと引くと、指が辿ったところに赤い筋が浮き上る。
「ホンモノですか、師匠・・」
その手を勢いよく振り下ろすと、耳障りな音をたてて玉鼎の衣は引き裂かれた。
為すがままになっている玉鼎の肌に、いくつもの傷が刻まれていく。
そこから溢れ出てくる鮮血を、楊ゼンは音をたてて舐めはじめた。
「・・・っつ・・・ぅ・・」
出血の多さと、その妖気の濃さに耐え切れなくなった玉鼎は寝台に倒れ込んだ。長い黒髪が、複雑な流れを画いて寝台に広がる。
それを追うようにして玉鼎の上に乗り、血を舐め続ける楊ゼン。
あまりに現実離れした、異常な光景。
「ホンモノの師匠は、どうして何も言わないのですか? こんな妖怪の子供、早く捨ててしまえばいいのに・・」
自虐的な呟きに、玉鼎はさっきのようにその蒼く美しい髪を梳いた。
「・・・楊ゼン、それはありえないよ・・・。おまえが私を捨てない限り。・・・楊ゼン・・・」
愛しそうに名を呼ぶ。


どうすれば信じてくれるのだろう。私はもう、おまえ無しでは生きていけないのに。
どうすれば?


「楊ゼン・・・」

 

 

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<管理人>な、何だか切なく妖しい展開です。魅雁さまってばひかせるのが本当にお上手……(うっとり)
       ……とゆうか、こんな余計な感想を書いていいのか私……(汗)

 

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