慟哭<1>








玉泉山金霞洞。
そこの洞主である玉鼎真人が弟子を取った。という噂は、瞬く間に崑崙中を駆け抜けた。それもそのはず、乾元山の洞主で十二仙の一人でもある太乙真人が、歩くスピーカーと化してあたりに吹聴しまくったのだ。
噂の弟子を誰もが一目は見たいと思いつつも、あの玉鼎真人のところへ直に話を付けに行く根性がある者は居なかった。
・・・・ごく一部を除いて・・・。


「こんにちはぁ~。玉鼎いる~?」
その一部の人間である太乙真人が金霞洞に来たのは、目が痛くなるような青空の午後だった。
「おーい。誰もいないのかい?」
勝手知ったる他人の洞府。一応「おじゃましまーす」と声をかけてから、太乙は誰の了解も得ずに洞府へと足を踏み入れた。
いくら太乙とはいえ、普段ならそんな無作法な真似はしない。
だが、今回は話が別である。彼はどうしても『玉鼎真人の弟子』を見たいのだ。
小耳に挟んだ情報によればまだほんの赤子だとか・・・。
崑崙の中でも寡黙で無表情で笑ってるとこなんてめったに見せない゛あの"玉鼎真人が子供の世話をしている!
ぐずる子供をあやしたりご飯を食べさせたり寝かしつけたりしているんだろうか、あの玉鼎がっ?!
想像しただけで笑いが込み上げてくる。
「うぅ~、やっぱりカメラも持って来れば良かった」
にやける口元もそのままに、太乙は何のためらいも無く歩みを進める。
「・・・?」
ふと、太乙真人は廊下の真ん中で足を止めた。 そのままぐるりと周りを見渡す。あるのは木目の美しい廊下の壁だけ。
「・・・・気のせい・・か・・」
呟いて、また歩き出す。と・・・、
《・・・・しょ・・・・・し・・・・・ょう・・・》
「・・?!」
微かだが、今度こそはっきり聞こえた。まだ小さい子供の泣き声。
「嘘でしょ、・・なんで・・?」
もう一度周りを見回してみてもこの廊下見は何も無い。それこそ、扉も窓も何も無いのだ。
だが、その声は確かに廊下の゛壁の中"から聞こえてくる。
「・・ナニこれ・・・・・幻術?」
声が聞こえてくる壁に手をついて目を凝らしてみると、確かに太乙が手をついた辺りの壁が、周りと微妙ぅ~にずれている・・・・ような気がする。
こんな風に巧妙に隠すからには、誰にも見られたくない物を隠しているのだろう。
こういう場合は普通、見てみぬ振りをしてあげるもなのだが・・・。
「・・泣いてる・・よねぇ・・・」
こちらもずいぶん困り果てた様子。中から聞こえてくる泣き声が、太乙の母性本能(何だそれ/笑)をくすぐる。
「ま、いっか。後で言い訳考えよ・・」
ずいぶんアバウトな発言を残し、太乙は懐から一枚の紙切れを取り出して、持ってきといて良かった、と呟くとそれを壁に貼り付けた。
「こんなんで解けるかなぁ・・」
自信なさそうに言うと、口の中で何事か唱える。
パリ、と微かに火花を散らして、紙切れはキレイに燃え尽きてしまった。
後に残ったのは、さっきよりは微かに見やすくなった扉。少なくとも、「ここに扉がある」と自信を持って云えるくらいには成っている。
太乙は小さく舌打ちをすると、今度は少し青っぽい紙を貼りつける。さらに自分の掌を押し当てると、先ほどよりは声高に唱える。
「・・・疾・・・っ!」
ふわりと太乙の髪がなびいた次の瞬間、ガラスの砕けるような音と共に頑丈そうな扉が現れる。
ほっ、と息をついてからその扉のノブに手を掛けようとして、太乙は目を丸くした。
「・・・なにこれ・・」
自分の腕を見ての感想である。ゆったりとした黒い衣の袖はずたずたに引き裂かれ、中から覗く肌にも赤い線が走っている。よく見れば体中ボロボロになっていて、顔に指を這わせると、そこにも傷ができていた。
幻術をといた反動、・・・にしては大きすぎる。
「なに・・・結界まで張ってたわけ・・・?」
あきれたようにため息を吐く。たかが赤子を隠しておくために幻術に加え結界まで張るとは・・・。
ぶつぶつ文句を言いつつその扉を開けた瞬間、その憤りは跡形も無く吹き飛んだ。
小さな子供が、寝台に腰掛けて泣いていた。
蒼い髪をした見目麗しい子供。利発そうな顔立ちに、涙に濡れた紫色の瞳。
だが、その頭には硬質そうなツノがあり、涙を拭う手は人のものではなかった。
明らかに妖怪のそれ。
「・・・なるほどね・・・」
髪をかきあげて天を仰ぐ。
玉鼎真人が執拗に弟子を隠し続けたのはこのせいか、と・・・。
ため息と共にもう一度その子に眼をやると、太乙の存在に気付いたのか、大きく目を見開いてこちらを見ていた。
「・・あ、あの・・・・誰・・・ですか・・・」
消え入りそうなほどか細い声で、蒼い髪の子供はそう言った。
「・・誰・・・? 師匠は・・・師匠・・・」
どこか虚ろに呟いて、また泣き出してしまう。
「・・・・泣かないで。・・・師匠は・・お出かけ中だよ。今はね」
泣きじゃくる子にできる限り優しく声を掛けると、太乙はその隣に座った。
「すぐ帰るって言ってたよ」
ポン、と軽く頭に手を乗せて続ける。一応涙が止まったことに安心しながら。
「私は太乙真人。・・・君の名前を聞かせてくれる?」
「あの・・楊ゼン・・・です」
「いい名前だね。玉鼎がつけてくれたの?」
太乙の問いに、蒼い髪の子供__楊ゼンはフルフルと首を振った。
「父上が・・・」
「つけてくれた?」
「はい・・」
うつむいて、その拍子に太乙のずたずたになった服を見て、楊ゼンは慌てて顔を上げた。
「・・怪我してるんですか?」
「え? ああ、かすり傷だよ」
平気平気、と笑う太乙に、乾きかけていた楊ゼンの目に涙が浮かぶ。
「僕のせい? また僕のせい・・?」
「ええ? ちょっと待って、なんでそうなるの」
泣き止んでくれたことを密かに安心していた太乙は、またしても泣き出す楊ゼンを慌ててなだめようとする。
「これは私の不注意だから、君にせいじゃないよ。ええと、それにほら、ね、こんなの舐めときゃ治るって」
頼むから泣き止んでくれ。
心の中でそう付け足すと、太乙は笑顔を作った。
「・・・本当に大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫だよ。それに君の所為じゃなっ・・・・」
セリフはそこで途切れた。
楊ゼンが太乙の手の甲の傷を舐めだしたからである。
「わわわわわっ・・」
慌てててを引く太乙に、楊ゼンが不思議そうに顔を上げる。
「どうしたんですか?」 舐めれば治るんでしょう? と顔に書いてある。
「ええっとぉ~(汗) い、今はいいよ。帰ってから自分でするから」(←するのか?・笑)
「でも・・お顔の傷は無理ですよね・・・やっぱり僕が・・」
言って、太乙に顔を寄せてくる。
「っわ・・ちょっとまっ・・・」
楊ゼンから離れようとしてバランスを崩した太乙は、そのまま寝台に倒れ込んだ。
そこへのしかかるようにして、楊ゼンが傷を舐めはじめる。
(・・・・なんか・・・犬にでも懐かれてる気分・・・)
為すがままになっている太乙はそれと解らないようにこっそりとため息を吐いた。
「・・・・楊ゼン君、もう良いから・・・」
丹念に丹念に傷を舐めている楊ゼンを止めさせようとして肩に手を置くのと、壊さんばかりの勢いで部屋の扉が開いたのは、ほぼ同時だった。

 

 

                                                               <2>へ


<管理人>くあ~っ!楊ゼンが可愛い!ほのぼの(?)なさっててとってもいい感じです。
       この後……一体どうなるんでしょう……(うずうず)←するなって
       

 

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