慟哭<3>








気がつくと、そこは見慣れた自分の部屋だった。
「ああ、気がついた?この指何本に見える~?」
黒い衣をまとった仙人が、軽く笑いながら人差し指をひらひらと揺らす。
いな、目が笑っていない。鋭い光を湛えたまま玉鼎を射貫く。
平たく言えば、怒っているのだ。それもかなり。
「・・・・太乙・・?」
彼の怒りの理由がわからないまま、玉鼎は寝台から身を起こそうとして、身体中を駆け抜けた激痛に顔をしかめた。
「無理だよ、その身体で動こうなんて。半分死にかけてたんだから」
こともなげに、さらりととんでもない事を口にする。せめてもの嫌味だ。
「・・・・・・あの子は・・・楊ゼンはどうした?」
嫌味など大して気にした風もなく、それだけが気がかりだ、とでも言いたげな口調に、太乙は大きく溜息をついた。
「あのねぇ~・・・他に気にする事あるだろ?傷の具合とか、何でここにいるのかとか・・」
「後で聞く。楊ゼンはどこだ?」
にべもない言い方に、太乙は目を細めた。
気に入らない。
「・・・あのね、喧嘩売ってんの?」
幾分低くなった太乙の声音に、さすがの玉鼎も自分の失敗に気付く。
ここで太乙を怒らせるのは得策とは云えない。
「・・・いや・・すまない・・」
「・・いいけどさ。別に」
素直に非礼をわびる玉鼎に、いささか拍子抜けする太乙。
「あの子なら隣の部屋だよ。よく眠ってる」
「・・・・・・そう・・か・・」
安心したように息をついて、玉鼎は目を閉じた。
「それで?・・・何なの・・・あの子は」
ゆっくりと、太乙は切り出した。

 

 


あれから、すぐに周りは元に戻った。
禍禍しい気配が消え、涼やかな、いつもどうりの『正常な』状態に。
ふらつく足を叱咤して、太乙は玉鼎の元へと急いだ。
ようやくたどり着いた楊ゼンの部屋で、太乙は信じがたい光景を目にする。
自らの血の海に沈む玉鼎の姿。
「・・玉鼎・・っ?!」
慌てて駆け寄ろうとした太乙は、ぎくりと足を止めた。
振り返ると、戸口のすぐ傍には、べっとりと血で濡れた手で太乙をつかんだ楊ゼンが、薄い笑みを貼り付けて立っていた。
「・・楊ゼン・・・くん・・」
意味もなく名を呼ぶ。カラカラに乾いた喉が痛みを訴えていた。
不意に、ガラスだまの様に虚ろだった楊ゼンの目が太乙を捉えた。
「わたさない」
呟かれた台詞に太乙の身体が震えた。
何でもない台詞。幼い子供。
なのに何故。こんなにも恐ろしいのは・・。
それは、本能的な恐怖に近い。
「あの人はわたさない。・・・あれは僕のものだから。誰にもわたさない・・・・わたさ・・・な・・」
「・・っ・・」
ぐらりと倒れこみそうになった幼い身体を、慌てて抱きとめる。
「・・・・何なんだよ・・・」
混乱する。
感情がついていかない。
最初に見た楊ゼンと、今目の前に居る楊ゼンは本当に同一人物なのか。
まとまらない思考が苛立ちを呼ぶ。
だが今は、
「手当て・・しなきゃ・・・」
言い聞かせるように呟いて、太乙は動き出した。

 

 


そして、今にいたる。
「何なの・・あの子は」
もう一度、問いを繰り返す。
「元始天尊さまはご存知なんだろう?このこと・・」
「だろうな・・」
「覗きが趣味だからね・・」
溜息をつきつつ失礼なことを言う。
「太乙。あの子、楊ゼンはいくつに見える?」
「は? えっと……6、7歳くらい?」
関係ないんじゃないかと思える質問だが、一応答える。この状況で関係ないことを言い出すような馬鹿じゃない。・・はずだ。
「・・あれが私のところに来て、まだ一年と半年しか経っていない」
「・・・それで?」
「楊ゼンがここに初めて足を踏み入れたとき、あれはまだ自分の足で歩くことも出来なかったのだよ」
一瞬、白々しい沈黙が流れる。
「ええと・・、それはつまり・・・ハイハイも出来ない赤ん坊、ってこと・・?」
「ああ」
真顔で肯定する玉鼎に、太乙は眩暈をおこしかける。
「一年半であんなに成長したのっ?」
「そう云うことになるな」
「そーゆーモノなの、・・その、妖怪の子は?」
「いや、そんなことは無いはずだ」
「・・・・・・・・なんでそんなに冷静なのさ・・・」
「慣れることは大切だよ」
「・・・・悟らないでよ、そんな事で・・」
頭を掻きながら太乙は唸った。
「身体だけ成長してるの?頭の中は赤ん坊のまま?」
「言葉は理解できるようだがな」
「それでこの騒ぎ・・か・・」
溜息をついて、そのまま寝台に突っ伏す太乙。
つまり、あの麗しい幼子には、まだ理性が備わっていないのだ。気に入った玩具を取られて泣き喚く赤子と同じ。
ただそれを、あの子は『力』で表すのだ。
泣き喚くのではなく、生まれながらにして自分に備わっている力を使う。
それで周りがどうなるのかなんて考えもしない。考えるだけの知性がないから。
「・・冗談じゃないよ」
「太乙?」
突然立ちあがったかと思うと、そのままくるりと踵を返す太乙。
「どこへ行く?」
「愚問だね、玉鼎。わからない?」
肩越しに振り返って太乙は逆に問う。
「元始天尊さまのところか・・・」
「大当たり」
おどけたように肩をすくめて太乙は部屋を出た。
「あの子は、ここにいない方が良いよ」
一言、そう言い残して・・・。

 

 


「・・『いない方が良い』・・か・・」
自嘲気味に呟いて、玉鼎はゆっくりと身を起こした。
太乙はきっと元始天尊にこう云うだろう。
『今すぐあの妖怪の子供を玉鼎真人から引き離してください』
いや、もしかしたら殺せと云うかもしれない。だがその願いが聞き入れられることはないのだ。 あの子は『必要な子供』なのだから・・・。
「世界と・・・『私』にとって・・」
何故だろう。出会ってからまだたったの一年半。これまで生きてきた歳月に比べればあまりにも短い。
共有した時間はこれだけなのに、こんなにも愛しい。
あの子がいない生活なんて考えられない。それほどに楊ゼンの存在は自分の奥深くに入り込んでいた。
そう、奥深くまで・・・。
「・・・楊ゼン。そこにいるんだろう?入っておいで」
戸に向かって声をかける。やさしく、やさしく。これ以上ないほどの愛情を込めて。
楊ゼンは、素直に姿を見せ、玉鼎の傍まで歩みを進めた。
「どうした。眠っていたのだろう?」
「・・・・・師匠がいなかったから」
小さく呟かれた言葉に、玉鼎は笑みを浮かべた。
「・・・ここで寝ようか、一緒に」
コクンと頷くのを見て、玉鼎は身体をずらして楊ゼンが入れるスペースを作る。
そこに滑り込むようにして入って来た楊ゼンは、ぴったりと玉鼎に身体を寄せた。
傷が少し痛んだが、それよりも楊ゼンが自分を必要としてくれたことの方が嬉しかった。
「・・・師匠は・・」
「ん?」
「・・貴方は、僕のものですよね・・・」
いつも繰り返している言葉。
「僕だけのものなんでしょう?」
「そうだよ、楊ゼン。おまえが望むなら・・」
いつもと同じように繰り返す。
「じゃあ、あの人とはもう会わないで下さいますか?」
「・・・・太乙のことか?」
「そうですよ。・・あの人はきっと、貴方を連れて行ってしまうから・・・」
少しづつ、楊ゼンの目が狂気を帯び始める。
「僕だけを見て、僕のことだけを考えて、僕の為だけに生きてください。それ以外は・・・許さない」
ガリ、と音を立てて、楊ゼンの指が太乙の巻いてくれた包帯ごと傷口をえぐる。
唐突な痛みに顔をしかめた玉鼎の耳朶に、楊ゼンはゆっくりと唇を寄せた。
「いいですね、師匠」
それは問いではなくて、命令。
「ああ、わかっているよ。楊ゼン・・」

 


それでもきっと、おまえは私を置いていくのだろうけれど・・・。

 

 

<2>へ                                                             


<管理人>みかさま、ありがとうございました!!……何ていうか、玉鼎サマがすごく哀しい感じ……
       静かで切ない余韻を残す、とっても素晴らしい小説です。ああ見習いたい……(無理)

 

ひとつ戻るTOPに戻る