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太鼓持ちの発生と歴史の流れ

(A)太鼓持の発生環境・室町時代/1333年〜

 

 


 

 

 貴族政治文化から武士政治文化への変革期・戦乱の世でありました鎌倉時代(1185〜)頃は、今までの価値観が崩れ不安定の中、新しい仏教宗派「浄土宗(じょうどしゅう)」の一派に、一遍上人(いっぺんしょうにん/1239〜1289)様によって開かれた「時宗(じしゅう)」は、何ものにも捕らわれない自由の境地を心のままに遊ぶ「遊戯三昧(ゆげざんまい)」を実践して、物や生活や自分までも捨てて「念仏踊り」をして日本全国を旅した宗派で、権力からは一歩身を引き、所有欲も権力欲も示さずに、各地の情報収集力と何ものにも捕らわれない心眼と洞察力と遊び心による独創的新しい文化を考え造り出す能力を持つ人達が、名前の下に「阿弥(あみ)」の号(ごう/呼び名)を付け、新しい武士の頭領であった室町時代(1333〜)歴代の足利将軍の側人「同朋衆(どうぼうしゅう)」として加わり、政治政策顧問や武家文化として日本の文化芸術に大きな影響を与えていきました。

 京都の金閣寺を造られた室町幕府三代将軍足利義満(あしかがよしみつ)様(在職1368〜1394)の時に、「能」の原形である「猿楽能(さるがくのう)」を同朋衆「観阿弥(かんあみ)」様が大成され、銀閣寺に象徴される「東山文化」の代表である八代将軍足利義政(あしかがよしまさ)様(在職1436〜1490)に仕えた同朋衆「能阿弥(のうあみ)」様(1397〜1471)は、(「太鼓持あらい」と同じ、現在の福井県福井市に拠点を持った)戦国大名朝倉氏の家臣だった「中尾真能(なかおさねよし)」様だそうで、幕府所蔵の書画骨董の管理を司ったり、水墨画「阿弥派(あみは)」の祖でもあり、棚に茶道具を飾る「台子(だいす)飾り様式を定め、「東山流茶道の祖」でもあり茶の湯の開祖と言われる「千利休(せんのりきゅう)」様(1522〜1591)へとつながって参ります。

 

 



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