富士宗学要集第一巻

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百六箇抄

具謄本種(ぐとうほんしゅ)・正法実義・本迹勝劣正伝・本因妙の教主・本門の大師・日蓮謹て之を結要す 
万年救護(くご)写瓶(しゃびょう)の弟子日興に之を授与す云云。脱種(だつしゅ)合して一百六箇之れ在り。
霊山浄土・多宝塔中(たほうたっちゅう)中・久遠実成(くおんじつじょう)・無上覚王・直授相承(じきじゅそうじょう)本迹勝劣(ほんじゃくしょうれつ)口決相伝(ぐけつそうでん)の譜、久遠名字(くおんみょうじ)より已来(このか)た本因本果の主、本地自受用報身(じじゅゆうほうしん)の垂迹、上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮詮要(せんよう)す。
 
   〈本迹〉 〈本迹〉 
、理の一念三千・一心三観の本迹、  三世諸仏の出世成道の脱益(だっちゃく)寿量(じゅりょう)の義理の三千は、 釈迦諸仏の仏心と妙法蓮華経の理観の一心とに蘊在(うんざい)せる理なり。
   〈本迹〉 〈経の本迹は常の如し〉 
、大通今日法華の本迹、 久遠名字本因妙を本として中間・今日下種する故に、久成を本と為し、中間・今日の本迹を倶に迹と為る者なり。
 
、応仏一代の本迹、 久遠下種・霊山得脱(とくだつ)・妙法値遇(ちぐう)の衆生を利せんが為に、 無作三身寂光浄土()り三眼三智をもつて九界を知見し、迹を垂れ権を施し後に説く妙経の故に、今日の本迹共に迹と之を得る者なり。
 
、迹門為理円の一致の本迹、 松柏(しょうはく)風波万声一如、諸法実相の理上の観心は、応仏の域を引かえたる故に、本迹とは別れども、唯理の上の法相なれば本迹理観の妙法と顕す。迹化は付属無きが故に之を弘めず。
   〈母の義なり〉  〈地の義なり〉 
、心法即身成仏の本迹、 中間今日も迹門は心法の成仏なれば、華厳・阿含・方等・般若・法華の安楽行品に至るまで円理に同ずるが故に、迹は劣り本は勝るる者なり。
   〈女の義なり〉 
、心法妙法蓮華経の本迹、 山家の云く「一切の諸法は従本已来、不生不滅性相凝然、釈迦口を閉ぢて身子言を絶す」云云。
方便品には理具の十界互具を説く。本門に至て顕本理上の法相なれば、久遠に対して之を見るに、実相は久遠垂迹の本門なる故に色法に非るなり。
 
従因至果(じゅういんしか)中間今日の本迹、 像法の修行は天台・伝教弘通の本迹は、中間今日の迹門を因と為し本門修行を果と為るなり。
 
、本果の妙法蓮華経の本迹、 今日の本果は従因至果なれば本の本果には劣るなり。
寿量の脱益、在世一段の一品二半は、舎利弗等の声聞の為の観心なり。我等が為には教相なり。情は迹劣本勝なり。
又滅後・像法・相似・観行・解了の行益も以て是くの如し。南岳・天台・伝教の修行の如く末法に入て修行せば、帯権隔歴の行と成て我等が為には虚戯の行と成るべきなり。日蓮は一向本、天台は一向迹、能く能く之を問ふべし。
 
疏の九に云く「爾前皆虚にして実ならず、迹門は一虚一実、本門は皆実不虚」云云。
爾前二種の失の事、一には存行布故仍未開権とて、迹門の理の一念三千を隠せり、二には言始成故尚未発迹とて、本門の久遠を隠せり。迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て、爾前二種の失一つ脱がれたり。
本門に至て迹門の十界因果を打破る、是即ち本因本果の法門なり。実の一念三千も顕れず、二乗作仏も定らず云云。
世間の罪に依て悪道に堕ん者は爪上の土、仏法に依て悪道に堕ちん者は十方の土の如し。故は信心の根本は本勝迹劣、余の信心は枝葉なり。
 
、余行に渡る法華経の本迹、 一代八万の諸法は本因妙の下種を受けて説く所の教なるが故に、一部八巻乃至一代五時次第梯隥は、名字の妙法を下種して熟脱せし本迹なり。
 
、在世観心法華経の本迹、 一品二半は在世一段の観心なり、天台の本門なり。日蓮が為には教相の迹門なり云云。
 
十一、脱益の妙法の教主の本迹、 所説の正法は本門なり、能説の教主釈尊は迹門なり。法自ら弘まらず、人法を弘るが故に人法ともに尊し。
 
十二、脱益の今此三界の教主本迹、 天上天下唯我独尊は、迹身門、密表寿量品の「今此三界」は即本身門なり。
 
十三、脱益像法時尅弘経の本迹、 天台の本迹は倶に日蓮が迹門なり。時尅亦天地の不同之在り。 
 
十四、脱益の迹門修行の本迹、 正法一千年の修行の徳より、像法一日の徳は勝れたるなるべし。
 
十五、脱益迹門自解仏乗修行の本迹、 熟益は迹、脱益は本なり。之に就て之を思惟すべし。
 
十六、脱の五大尊の本迹、 他受用応仏は本、普賢・文殊・弥勒・薬王は迹なり。
 
   〈本迹天台〉 
十七、脱の真俗二諦の本迹、 天台大師弘通の本迹前十四品は迹門に約し、後の十四品は本門に約す云云。「是法住法位 世間相常住」文。
 
十八、前十四品悉く流通分の本迹、 如来の内証は序品より滅後正像末の為なり。薬王菩薩は像法の主天台是なり。密表の法師品に云く「今此三界」文。
 
十九、脱益理観一致の本迹、 「本迹殊なりと雖も不思議一」と云ふは、今日乃至中間の本迹は本迹と分別すれども、本因妙を下種として説く所の本迹なれば、迹の本は本に非ず云云。
 
二十、脱益戒体の本迹、 爾前・迹門・塾益の戒体を迹とし、脱益の戒体を本と為るなり。迹門の戒は爾前大小の戒に勝れ、本門の戒は爾前迹門の戒に勝るるなり。
 
二十一、脱の迹化七面の本迹、 像法には理観を本と用ふるなり故に天台は迹を本と為し、本を迹と行ずるなり。
 
二十二、脱の迹化本尊の本迹、 一部を本尊と定むるに前十四品は迹、後十四品は本と云云。是は一部八巻なり云云。
 
二十三、脱益守護神の本迹、 守護する所の法華は本、守番し奉る処の神等は迹なり。本因妙の影を万水に浮べたる事は治定と云云。
 
二十四、脱益山王の本迹、 久遠中間に受くる処の法華は本、夫れより守り来る所は垂迹なり、下種は本因妙なり云云。
 
二十五、脱迹十羅刹女の本迹、 久遠中間今日の理・事は本、中間大通今日出世冥守する処は垂迹なり、下種は前の如し云云。
 
二十六、脱迹付属の本迹、 脱益の迹化付属は中間大通を本とし、今日初住の終を迹とするなり、受くる正法は本、持つ方は迹なり。
 
二十七、脱迹開会の本迹、 大通の初を開と云ひ、今日初住の終りを会と云ふなり。本は大通、迹は初住なり。初顕を開と云ひ、終合を会と云ふ云云。案位も理上の案位なり。
 
二十八、脱益成仏の本迹、 寿量品は本、応仏は迹なり。無作三身寂光土に住して、三眼三智をもつて九界を知見す云云。
 
二十九、脱迹三種教相の本迹、 二種は迹無開会、一種は本有の開会なり。一種は開顕、二種は不開会、所従眷属の教相なり云云。
 
三十、脱の五味所從の本迹、 天台・伝教の五味は横竪ともに所從なり。五味は本、修行の人は迹なり。在世以て此くの如し云云。
 
三十一、脱迹父子の本迹、 応仏は本、迹仏は迹なり。「子、父の法を弘むるに世界の益あり」云云。
 
三十二、脱迹師弟の本迹、 義理共に上に同じ。「是れ我が弟子応に我が法を弘むべし」云云。
 
三十三、脱益感応の本迹、 久遠の天月の影を中間今日の脱益の水に移すなり。「衆生久遠に仏の善巧を蒙る」とは是なり。
 
三十四、脱益寂照の本迹、 理の上の寂照は妙覚乃至観行等の解了なり。理即の凡夫は無体有用の本迹なり。
 
三十五、脱益随縁不変の本迹、 在世と像法と之同じ。真如の義理なり。随縁も不変も共に理の一段の本迹なり。
 
三十六、脱益九法妙の本迹、 三法妙に各三法妙を具すれば九法妙なり、法中の心法妙より起る所の生仏二妙なり。本迹知るべし。
 
三十七、脱益八相八苦習合の本迹、 八相は本、八苦は迹。同体の権実是なり。
 
三十八、脱益の灌頂等の本迹、 灌頂とは至極なり。後世仏・菩薩の灌頂は法華経なり。迹門の灌頂は方便読誦「欲令衆生 開仏知見」なり。本門の灌頂は寿量品読誦「然我実成仏已来」なり。
 
             〈事戒〉 〈理戒〉 
三十九、脱益説所戒壇本迹、 霊山は本、天台山は迹、久遠と末法とは事行の戒、事戒理戒、今日と像法とは理の戒体なり。
 
四十、脱益三世三仏利の本迹、 世世番番の教主は本、所化の衆生は迹なり。世世已来常に我が化を受け、番番に出世し師と倶に生ず。
 
四十一、脱益証明多宝仏塔の本迹、 妙法蓮華経皆是真実は本、多宝仏は迹。迹門八品乃至本門之を指すなり云云。
 
四十二、脱益序正流通現文の本迹、 経文釈義の如く、理の上の正宗流通序文なれども本は勝れ迹は劣るなり。然るに迹は本無今有なれば、久遠の迹を脱として今日の本を説くなり云云。
 
四十三、脱益摂受折伏の本迹、 天台は摂受を本とし折伏を迹とす。其の故は像法は在世の熟益冥利の故なり。福智具足の故と云へり。
 
四十四、脱益二妙の本迹、 相待妙は迹、絶待妙は本。「妙法の外に更に一句の余経無し」云云、「独一法界の故に絶待と名く」の釈之を思ふべし。
 
四十五、脱益十妙の本迹、 本果妙は本、九妙は迹なり。在世と天台とは、機上の理なり。仏は本因妙を本と為し、所化は本果妙を本と思へり。
 
四十六、脱益六重所説の本迹、 已今を本と為し余は迹なり。「本迹殊なりと雖も不思議一」云云。理具の本迹なれば一部倶に迹の上の本迹なり。
 
四十七、脱益六即所判の本迹、 妙覚は本、余は迹なり。玄九に云く「初の十住を因と為し十行を果と為す、十行を因とし十廻向を果とし、十廻向を因とし十地を果とし、十地を因と為し等覚を果とし、等覚を因とし妙覚を果と為す」云云。
 
四十八、脱益十不二門の本迹、 理の上の不変の不二にして、事行の不二門には非るなり。
 
四十九、脱益十界互具の本迹、 理具の十界互具にして事行の互具には非ざるなり。九界の理を仏界の理に押し入るる方ならでは脱せざるなり。
 
五十、脱益十二因縁四諦の本迹、 経に云く、無明乃至老死云云、苦集滅は迹なり、道諦は本なり。
 
五十一、脱益の三土の本迹、 報土は本、同居方便は迹なり。
 
妙楽云く「雖脱在現」。本迹理上の一致なり、心は寿量品も文は現量なれども、上行所伝の本因妙を唱へ顕しての後は、只久遠の教相にて成仏肝要の観心には非ずと云云。
 
籖一に云く「本中体等迹と殊ならず」。脱益の妙覚乃至観行相似等の妙法蓮華経は理に即して事を含む、然も本迹一致に非ず、破廃立本云云。
玄七に云く「権実は智に約し教に約す」。化他不定の時、施す所の権実八教なり。「両所殊ならず」。久遠の本今日の脱益と両所なり。
 
籖七に云く「理浅深無し故に不殊と曰ふ」。本因本果の理を、今日中間にも寿量顕本の理に推し入れて顕すと釈するなり。
籖七に云く「経に約すれば是れ本門と雖も、既に是れ今世迹中の本を名けて本門と為す。故に知ぬ、今日正く迹中利益に当る、乃至本成已後倶に中間と名く、中間本を顕すに利益を得る者尚迹益を成ず。況や復今日をや」。
 
文の意は、久遠本果の迹を中間今日の本と為す。又久遠名字の妙法の影を中間今日に垂迹する故に、下種に対して脱益寿量を迹と得たる証拠に釈する是なり。
 
疏の一に云く「衆生久遠に仏の善巧を蒙る」。久遠下種、霊山得脱。
 
籖十に云く「故に知ぬ、今日の逗会は昔の成熟の機に赴く」。霊山下種、久遠得脱の益。
 
記二に云く「本時の自行は唯円と合す」。本時とは本因妙の時なり。「化他は不定、亦八教有り」。中間今日化導の儀式なり。
玄七に云く「迹の本は本に非ず」。今日の本果妙の事なり。「本の迹は迹に非ず」。本因妙の事なり。「本迹殊なりと雖も不思議一なり」。本因妙の外全く迹無きなり。迹門は即ち顕本の後は本無今有の方便無得道なりと。
 
中島の証俊に何と問はれし時、俊範法印答て云く、不思議一と。求めて云く、其の義如何。答て云く、文在迹門義在本門云云と。会して云く、迹門既に益無し、本門益有り、本迹勝劣不思議一と云云。
妙楽云く「権実は理なり、本迹は事なり」。天台云く「本迹を二経と為す」と。如来の本迹は理上の法相なり、日蓮の本迹は事行の法相なり。
以上脱の上の本迹勝劣口決畢ぬ。
 
、事の一念三千・一心三観の本迹、 釈迦・三世の諸仏・声聞・縁覚・人天の唱る方は迹なり、南無妙法蓮華経は本なり。
 
、久遠元初直行の本迹、 名字本因妙は本種なれば本門なり。本果妙は余行に渡る故に本の上の迹なり。久遠釈尊の口唱を今日蓮直に唱ふるなり。
 
、久遠実成直体の本迹、 久遠名字の正法は本種子なり。名字童形の位釈迦は迹なり。我本行菩薩道是なり、日蓮が修行は久遠を移せり。久遠本果成道の本迹、名字の妙法を持つ処は直体の本門なり。直に唱へ奉る我等は迹なり。
 
、久遠自受用報身の本迹、 男は本、女は迹、知り難き勝劣なり。能く能く伝流口決すべき者なり。
 
、久成本門為事円の本迹、 上行所伝の妙法は名字本有の妙法蓮華経なれば事理倶勝の本なり、日蓮並に弟子檀那等は迹なり。
 
、色法即身成仏の本迹、 親の義なり父の義なり、涌出品より已後我等は色法の成仏なり。不渡余行の妙法は本、我等は迹なり。
 
、色法妙法蓮華経の本迹、 男子と成て名字の大法を聞き、己己物物事事本迹を顕す者なり。又今日二十八品の品品の内の勝劣は、通号は本なり勝なり、別号は迹なり劣なり云云。
 
妙楽疏記九に云く「故に知ぬ、迹の実は本に於て猶虚なり」。籖十に云く「今日は初成を以て元始と為し〈爾前〉、迹門は大通を以て元始と為し〈迹門〉、本門は本因を以て元始と為す〈本門〉」。此の釈は元始・本迹・遠近勝劣を判ずるなり。
 
本果妙は然我実成仏已来、猶迹門なり、迹の本は本に非ざるなり。本因妙は我本行菩薩道、真実の本門なり。本の迹は迹に非ず云云。我が内証の寿量品は迹化も知らず云云。重位秘蔵の義なり。本迹と分別する上は、勝劣は治定なれども、末代には知り難き故云云。
 
、久遠従果向因の本迹、 本果妙は釈迦仏、本因妙は上行菩薩、久遠の妙法は果、今日の寿量品は花なるが故に、従果向因の本迹と云ふなり。
 
、本因妙法蓮華経の本迹、 全く余行に分たざりし妙法は本、唱ふる日蓮は迹なり。手本には不軽菩薩の二十四字是なり。又其の行儀是なり云云。
 
、不渡余行法華経の本迹、 義理上に同じ。直達の法華は本門、唱ふる釈迦は迹なり。今日蓮が修行は久遠名字の振舞に芥爾計も違はざるなり。
 
十一、下種の法華経教主の本迹、 自受用身は本、上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり。
 
十二、下種の今此三界の主の本迹、 久遠元始の天上天下唯我独尊は日蓮是なり。久遠は本、今日は迹なり。三世常住の日蓮は名字の利生なり。
 
十三、下種得法観心の本迹、 久遠下種の得法は本なり、今日・中間等の得法観心は迹なり。分別功徳品の名字初随喜の文の如し云云。
 
十四、下種自解仏乗の本迹、 名字の妙法を上行所伝と聞き得る方は自解仏乗の本なり。聞き得て後受持する我等は迹なり。故に伝教より日蓮は勝るなり云云。
 
十五、末法時刻の弘通の本迹、 本因妙を本とし、今日寿量の脱益を迹とするなり。久遠の釈尊の修行と今日蓮の修行とは芥子計も違はざる勝劣なり云云。
 
十六、本門修行の本迹、 正像二千年の修行は迹門なり、末法の修行は本門なり。又中間今日の仏の修行より、日蓮の修行は勝るる者なり。
 
十七、本門五大尊の本迹、 久遠本果の自受用報身如来は本なり、上行等の四菩薩は迹なり。
 
十八、日蓮本門弘通の本迹、 本因妙は本なり、我本行菩薩道は迹なり云云。
 
十九、本化事行一致の本迹、 「本迹殊なりと雖も思議一」云云。本因妙の外に並に迹とて別して之無し。故に一と釈する者なり。真実の勝劣の手本の義なり云云。
 
二十、後十四品皆流通の本迹、 本果妙の釈尊本因妙の上行菩薩を召し出す事は一向に滅後末法利益の為なり。然る間日蓮が修行の時は、後の十四品皆滅後の流通分なり。
 
二十一、下種戒体の本迹、 爾前迹門の戒体は権実雑乱、本門の戒体は純一無雑の大戒なり。勝劣天地、水火尚及ばず。具に戒体妙の如し云云。
 
二十二、本化七面の本迹、 末法には事行を本とし、在世と像法とには理観を本とするなり。天台の本書は理の上の事なれば一向迹門の七決、我家の本書は事の上の本なり。
 
二十三、下種三種法華の本迹、 二種は迹なり、一種は本なり。迹門は隠密法華、本門は根本法華、迹本文底の南無妙法蓮華経は顕説法華なり。
 
二十四、本化本尊の本迹、 七字は本なり、余の十界は迹なり。諸経諸宗中王の本尊万物下種の種子無上の大曼荼羅なり。
 
二十五、下種守護神の本迹、 守護し奉る所の題目は本、護る所の神明は迹なり。諸仏救世者現無量神力云云。
 
二十六、下種山王神の本迹、 久遠に受くる所の妙法は本、中間今日未来までも守り来る所の山王明神は即迹なり。
 
二十七、下種十羅刹女の本迹、 此の義理上に同じ。唯神明と十女を本迹に対する時、十羅刹女は本、神明は迹なり。
 
二十八、本門付属の本迹、 久遠名字の時受る所の妙法は本、上行等は迹なり。久遠元初の結要付属は日蓮今日寿量の付属と同意なり云云。
 
二十九、本門開会の本迹、 久遠の本会を本と為す、今日寿量の脱を迹と為るなり。妙楽云く、始顕を開と云ひ、終合を会と云ふ文。
 
三十、下種成仏の本迹、 本因妙は本、自受用身は迹。成仏は難きに非ず、此の経を持つこと難ければなり云云。
 
三十一、下種の三種教相の本迹、 二種は迹門、一種は本門なり。本門の教相は教相の主君なり。二種は二十八品、一種は題目なり。題目は観心の上の教相なり。
 
三十二、五味主の中の主の本迹、 日蓮が五味は横竪共に五味の修行なり。五味は即本門、修行は即迹門なり。
 
三十三、本種師弟不変の本迹、 久遠実成の自受用身は本、上行菩薩は迹なり。三世常恒不変の約束なり。
 
三十四、本種父子常住の本迹、 義理上に同じ。久遠の名字即の俗諦常住の父子は、今日蓮が修行に殊ならず。世間相常住是なり。
 
三十五、四土具足の本迹、 三土は迹、常寂光土は本なり。四土即常寂光、寂光即四土の浄土は、唯本門弘経の道場なり。
 
三十六、下種の感応日月の本迹、 下種の仏は天月、脱仏は池月なり。天台云く、不識天月但観池月云云。
 
三十七、下種の随縁不変の本迹、 体用同時の真実真如一口の首題なり。本有の迹、本有の一念三千是なり。随縁不変一念寂照の本迹なり。
 
三十八、下種の九法妙の本迹、 久遠下種の妙法は本、已来の九法は迹なり。
 
三十九、下種の人天の本迹、 久遠下種の妙法は本なり、已来の人天は迹なり。
 
四十、下種の八相八苦習合実勝の本迹、 脱の八相は迹、種の八相は本。脱の八苦は迹、種の八苦は本なり。煩悩即菩提・生死即涅槃・常在此不滅と云へり。
 
四十一、下種の最後直授摩頂の本迹、 久遠一念元初の妙法を受け頂く事は、最極無上の灌頂なり。法は本、人は迹なり。
 
四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり。〈上行院は祖師堂云云弘通所は総じて院号なるべし云云〉 
 
四十三、下種の寂照実事体用無上の本迹、 生仏一如の事の上の本覚の寂照なり。人は迹、仏は本なり云云。
 
四十四、下種の三世三仏実益の本迹、 日蓮は下種の利益、三世九世種熟脱本有一念の利益なり。天台云く、若しは破若しは立、皆是法華の意の修行の利益なり。
 
四十五、下種の証明多宝仏塔の本迹、 久遠実成無始無終本法の妙法蓮華経皆是真実は本なり、久遠の本師は妙法なり、本有実成の釈迦・多宝は迹なり。
 
四十六、下種の序正流通文底の本迹、 応仏と天台とは正宗一品二半を本門と定め、現文の勝劣。報仏と日蓮とは流通を本と定む。文底の勝劣なり。
 
四十七、下種の摂折二門の本迹、 日蓮は折伏を本とし摂受を迹と定む。法華折伏破権門理とは是なり。
 
四十八、下種の二妙実行の本迹、 日蓮は脱の二妙を迹と為し、種の二妙を本と定む。然るに相待は迹、絶待は本云云。
 
四十九、下種の十妙実体の本迹、 日蓮は本因妙を本と為し、余を迹と為すなり。是れ真実の本因本果の法門なり。
 
五十、下種の六重具騰の本迹、 日蓮は脱の六重を迹と為し、種の六重を本と為るなり云云。
 
五十一、下種の六即実勝の本迹、 日蓮は脱の六即を迹と為し、種の三世一即の六即、案位の理即は開会の妙覚、開会の理即は本覚の極果を本と為るなり。
 
五十二、下種の十二因縁の本迹、 日蓮は応仏所説の十二因縁を迹と為し、久遠報仏所説の十二因縁を本と定むるなり。
 
五十三、下種の十不二門の本迹、 日蓮が十不二門は事上極極の事理一体用の不二門なり。
 
五十四、下種の十界互具の本迹、 唱へ奉る妙法仏界は本、唱ふる我等九界は迹なり。妙覚より理即の凡夫までなり、実の十界互具の勝劣とは是なり。
 
五十五、下種の境智倶実の本迹、 脱の境智は迹、種の境智は本なり。名字即の境智は境智倶に本、観行即の境智は境智倶に迹なり云云。
 
意は十界の仏性只一口に呼び顕すなり。本因口唱の勝るる南無妙法蓮華経なり、初心成仏抄の如きなり。
弘一に云く「理は造作に非ざる故に天真と曰ひ、証智円明の故に独朗と云ふ」云云。久遠の理と今日の理と理に造作無し。然れども久遠は事上の理なり、今日は理の上の理なり。
故に知ぬ、本因妙の理は勝れ、今日本果妙の理は劣るなり。是理の本迹なり。是の故に独朗と云ふなり。又云く「独一法界の故に絶待と名く」云云。
 
天台は「唯大綱を存して網目を事とせず」。此の釈の意は大綱は本、網目は迹なり。天台・伝教の修行は網目、日蓮日興等の修行は大綱なり云云。
 
「如来秘密 神通之力」意得べし。是事理の如来の本迹なり。秘密の如来は理性の如来なり、我等なり。神通の如来は世尊なり。秘密は本地、神通は垂迹なり。世世以来常受我化。「我本行菩薩道 所成寿命 今猶未尽 復倍上数」云云。
 
本迹勝劣其理甚遠なり、仏若し説かずんば弥勒尚暗し。何に況や下地をや、何に況や凡夫をや。本仏本化乃能究尽云云。
妙楽云く「具騰本種」。本勝迹劣。「故に但名に於て以て本迹を分つ」。下種名字妙法事行の勝劣なる所を判ずるなり。
 
「本迹は身に約し位に約す」。久遠名字即の身と位との判なり。「本従り迹を垂れ迹は本に依る、迹は究竟に非ず」。
玄の一に「開示悟入是れ迹の要なりと雖も、若し顕本し已れば即ち本要と成るなり」。
 
籖の一に「若し迹中の事理乃至権実無くんば、何ぞ能く長寿の本を顕さん」云云。
 
已上種の本迹勝劣畢ぬ。
右此の血脈は本迹勝劣其の数一百六箇之を注す。数量に就て表事有り。之を覚知すべし。
釈迦諸仏出世の本懐、真実真実唯為一大事の秘密なり。然る間万年救護の為めに之を記し留む。
 
就中(なかんずく)、六人の遺弟を定むる表事は、先先に沙汰するが如し云云。但し直授結要付属は一人なり。
白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為して、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず、悉く付属せしめ畢ぬ。
上首已下並に末弟等異論無く、尽未来際に至るまで予が存日の如く、日興嫡嫡付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。
又六人の上首の外・或は我が直弟と号し別途の建立を構え六老僧をないがしろにする事なかれ、或は又末代において経巻の相承直授日蓮と申して受持知識を破らんが為めに元品の大石・僧形と成つて日蓮が直弟と申し狂へる癖人出来し予が掟の深密の正義を申し乱さんと擬すること之れ有らん、即ち天魔外道破旬の蝗蟲なり上首等同心して之れを責む可きなり。
 
又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり。
所以は何ん、在世滅後殊なりと雖も付属の儀式之同じ。譬へば四大六万の直弟の本眷属有りと雖も、上行菩薩を以て結要の大導師と定むるが如し。
今以て是の如し。六人以下数輩の弟子有りと雖も、日興を以て結要付属の大将と定むる者なり。
又弘長配流の日も、文永流罪の時も、其の外諸処の大難の折節も、先陣をかけ、日蓮に影の形に随ふが如くせしなり。誰か之を疑はんや。
又延山地頭発心の根元は日興教化の力用なり。遁世の事甲斐の国三牧は日興懇志の故なり。
 
編者曰く日辰上人・日我上人等古写本(巻頭に其写真を掲ぐ)に依って之を写し一校を加へ、又後加と見ゆる分の中に義に於いて支吾なき所には一線を引き、疑義ある所には二線を引いて読者の注意を促す便とせり。  

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