念仏無間地獄抄

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念仏無間地獄抄の概要

 【建長七年、聖寿三十四歳】 
 
 念仏は無間地獄の業因なり。法華経は成仏得道の直路なり。早く浄土宗を捨て法華経を持ち生死を離れ菩提を得べき事。
法華経第二譬喩品に云く「若人信ぜずして此の経を毀謗せば。即ち一切世間の仏種を断ぜん。其の人命終して阿鼻獄に入らん。一劫を具足して劫尽きなば更生れん。是くの如く展転して無数劫に至らん」云云。
此の文の如くんば、方便の念仏を信じて真実の法華を信ぜざらん者は無間地獄に堕つべきなり。
 
 念仏者云く、我等が機は法華経に及ばざる間信ぜざる計りなり。毀謗する事はなし。何の科に地獄に堕つべきか。
法華宗云く、信ぜざる条は承伏なるか。次に毀謗と云ふは即不信なり。信は道の源功徳の母と云へり。菩薩の五十二位には十信を本と為し、十信の位には信心を始と為し、諸の悪業煩悩は不信を本と為す云云。
然れば譬喩品の十四誹謗も不信を以て体と為せり。今の念仏門は不信と云ひ誹謗と云ひ争か入阿鼻獄の句を遁れんや。
其の上浄土宗には現在の父たる教主釈尊を捨て、他人たる阿弥陀仏を信ずる故に、五逆罪の咎に依て、必ず無間大城に堕つべきなり。
経に「今此の三界は皆是我有なり」と説き給ふは主君の義なり。「其の中の衆生悉く是れ吾子」と云ふは父子の義なり。「而るに今此の処は諸の患難多し、唯我一人能く救護を為す」と説き給ふは師匠の義なり。
而して釈尊付属の文に此法華経をば「付属有在」と云云。何れの機か漏るべき。誰人か信ぜざらんや。
而るに浄土宗は主師親たる教主釈尊の付属に背き、他人たる西方極楽世界の阿弥陀如来を憑む。故に主に背けり。八逆罪の凶徒なり。違勅の咎遁れ難し、即ち朝敵なり、争か咎無けんや。
 
 次に父の釈尊を捨つる故に五逆罪の者なり。豈無間地獄に堕ちざるべけんや。
次に師匠の釈尊に背く故に七逆罪の人なり。争か悪道に堕ちざらんや。
此の如く、教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備て大恩の仏にて御坐す。
此の仏を捨て他方の仏を信じ弥陀・薬師・大日等を憑み奉る人は、二十逆罪の咎に依て悪道に堕つべきなり。
浄土の三部経とは釈尊一代五時の説教の内、第三方等部の内より出でたり。
此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず。三世諸仏出世の本懐にも非ず。唯暫く衆生誘引の方便なり。
譬へは塔をくむに足代をゆふが如し。念仏は足代なり。法華は宝塔なり。法華を説給までの方便なり。法華の塔を説給て後は念仏の足代をば切り捨べきなり。
然るに法華経を説き給て後、念仏に執著するは塔をくみ立て後、足代に著して塔を用ざる人の如し。豈違背の咎無からんや。
然れば法華の序分、無量義経には「四十余年未顕真実(みけんしんじつ)」と説給て念仏の法門を打破り給ふ。
正宗法華経には「正直捨方便 但説無上道」と宣べ給て念仏三昧を捨て給ふ。
之に依て、阿弥陀経の対告衆長老舎利弗尊者、阿弥陀経を打捨て、法華経に帰伏して、華光如来と成り畢ぬ。
四十八願付属の阿難尊者も浄土の三部経を抛て、法華経を受持して、山海恵自在通王仏(さんかいえじざいつうおうぶつ)と成り畢ぬ。
 
 阿弥陀経の長老舎利弗は、千二百の羅漢の中に智恵第一の上首の大声聞、閻浮提第一の大智者なり。肩を並ぶる人なし。
阿難尊者は多聞第一の極聖、釈尊一代の説法を空に誦せし広学の智人なり。
かかる極位の大阿羅漢すら尚往生成仏の望を遂げず。仏在世の祖師此くの如し。
祖師の跡を踏むべくば、三部経を抛て法華経を信じ、無上菩提を成ずべき者なり。
仏の滅後に於ては、祖師先徳多しと雖も、大唐楊州の善導和尚にまさる人なし。唐土第一の高祖なり云云。
始は楊州の明勝と云へる聖人を師と為して法華経を習たりしが、道綽(どうしゃく)禅師に値て浄土宗に移り、法華経を捨て念仏者と成り、一代聖教に於て聖道浄土の二門を立てたり。
法華経等の諸大乗経をば聖道門と名く自力の行と嫌へり。聖道門を修行して成仏を願はん人は、百人にまれに一人二人、千人にまれに三人五人得道する者や有んずらん、乃至千人に一人も得道なき事も有るべし。
観経等の三部経を浄土門と名け、此の浄土門を修行して他力本願を憑て往生を願はん者は、十即十生百即百生とて十人は十人、百人は百人、決定往生すべしとすすめたり。
観無量寿経を所依と為して四巻の疏を作る。玄義分・序分義・定善義・散善義是なり。
其の外、法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観念法門経、此等を九帖の疏と名けたり。
善導念仏し給へば口より仏の出給ふと云て、称名念仏一遍を作すに三体づつ口より出給けりと伝へたり。
 
 毎日の所作には阿弥陀経六十巻、念仏十万遍、是を欠く事なし。諸の戒品を持て一戒も破らず、三依は身の皮の如く脱ぐ事なく、鉢■は両眼の如く身を離さず、精進潔斎す。女人を見ずして一期生、不眠三十年なりと自歎す。
凡そ善導の行儀法則を云へば、酒肉五辛を制止して口に噛まず手に取らず。未来の諸の比丘も是くの如く行ずべしと定めたり。
一度酒を飲み、肉を食ひ、五辛等を食ひ、念仏申さん者は三百万劫が間地獄に堕すべしと禁しめたり。
善導が行儀法則は本律の制に過ぎたり。法然房が起請文にも書載たり。
一天四海、善導和尚を以て善知識と仰ぎ貴賎上下皆悉く念仏者と成れり。
但し一代聖教の大王、三世諸仏の本懐たる法華の文には「若有聞法者 無一不成仏」と説き給へり。善導は法華経を行ぜん者は千人に一人も得道の者有るべからずと定む。何れの説に付くべきか。
無量義経には念仏をば「未顕真実(みけんしんじつ)」とて実に非ずと言ふ。法華経には「正直捨方便 但説無上道」とて、正直に念仏の観経を捨て無上道の法華経を持つべしと言ふ。
此の両説水火なり。何れの辺に付くべきや。善導が言を信じて法華経を捨つべきか。法華経を信じて善導の義を捨つべきか如何。
夫れ一切衆生皆成仏道の法華経、一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜんの妙典、善導が一言に破れて千中無一虚妄の法と成り、無得道教と云はれ、平等大恵の巨益は虚妄と成り、多宝如来の皆是真実の証明の御言妄語と成るか。
十方諸仏の上至梵天の広長舌も破られ給ぬ。三世諸仏の大怨敵と為り、十方如来成仏の種子を失ふ、大謗法の科甚重し。大罪報の至り、無間大城の業因なり。
之に依て忽に物狂いにや成けん。所居の寺の前の柳の木に登て、自ら頚をくくりて身を投げ死し畢ぬ。邪法のたたり踵を回さず、冥罰爰に見たり。
最後臨終の言に云く、此の身厭ふべし諸苦に責められ暫くも休息無しと。
即ち所居の寺の前の柳の木に登り西に向ひ願て曰く、仏の威神以て我を取り、観音勢至来て又我を扶けたまえと。唱へ畢て青柳の上より身を投げて自絶す云云。
三月十七日くびをくくりて飛たりける程に、くくり縄や切れけん、柳の枝や折れけん、大旱魃の堅土の上に落て腰骨を打折て、二十四日に至るまで七日七夜の間、悶絶躄地しておめきさけびて死し畢ぬ。
 
 
 さればにや是程の高祖をば往生の人の内には入れざるらんと覚ゆ。
此事全く余宗の誹謗に非ず、法華宗の妄語にも非ず、善導和尚自筆の類聚伝の文なり云云。
而も流を酌む者は其の源を忘れず、法を行ずる者は其の師の跡を踏むべし云云。
浄土門に入て師の跡を踏むべくば、臨終の時善導が如く自害有るべきか。念仏者として頚をくくらずんば師に背く咎有るべきか如何。
 
 日本国には法然上人、浄土宗の高祖なり。十七歳にして一切経を習極め、天台六十巻に渡り、八宗を兼学して、一代聖教の大意を得たりとののしり、天下無双の智者、山門第一の学匠なり云云。
然るに天魔や其の身に入にけん、広学多聞の智恵も空く、諸宗の頂上たる天台宗を打捨て、八宗の外なる念仏者の法師と成りにけり。大臣公卿の身を捨て民百姓と成るが如し。
選択集(せんじゃくしゅう)と申す文を作て、一代五時の聖教を難破し、念仏往生の一門を立てたり。
仏説法滅尽経に云く「五濁悪世には魔道興盛し、魔沙門と作て我が道を壊乱し、悪人転た海中の沙の如く、善人甚だ少くして若は一人若は二人ならん」云云。即ち法然房是なりと山門の状に書かれたり。
我が浄土宗の専修の一行をば五種の正行と定め、権実顕密の諸大乗をば五種の雑行と簡て、浄土門の正行をば善導の如く決定往生と勧めたり。
観経等の浄土の三部経の外、一代顕密の諸大乗経、大般若経を始と為して終り法常住経に至るまで、貞元録に載する所の六百三十七部、二千八百八十三巻は皆是千中無一の徒物なり、永く得道有るべからず。
難行聖道門をば門を閉じ、之を抛ち、之を閣き、之を捨て、浄土門に入るべしと勧めたり。
一天の貴賎首を傾け、四海の道俗掌を合せ、或は勢至の化身と号し、或は善導の再誕と仰ぎ、一天四海になびかぬ木草なし。
智恵は日月の如く世間を照して肩を並ぶる人なし。名徳は一天に充て善導に超え曇鸞(どんらん)道綽(どうしゃく)にも勝れたり。
貴賎上下皆選択集(せんじゃくしゅう)を以て仏法の明鏡なりと思ひ、道俗男女悉く法然房を以て生身の弥陀と仰ぐ。
然りと雖も恭敬供養する者は愚癡迷惑の在俗の人、帰依渇仰する人は無智放逸の邪見の輩なり。権者に於ては之を用ひず。賢哲又之に随ふこと無し。
 
 然る間、斗賀尾の明恵房は天下無双の智人、広学多聞の明匠なり、摧邪輪三巻を造て選択の邪義を破し、
三井寺の長吏実胤大僧正は希代の学者、名誉の才人なり、浄土決疑集三巻を作て専修の悪行を難じ、
比叡山の住侶仏頂房隆真法橋は天下無双の学匠、山門探題の棟梁なり、弾選択上下を造て法然房が邪義を責む。
 
 しかのみならず、南都・山門・三井より度度奏聞を経て、法然が選択の邪義亡国の基為るの旨訴へ申すに依て、人王八十三代土御門院の御宇承元元年二月上旬に、専修念仏の張本たる安楽・住蓮等を捕縛へ、忽ちに頭を刎ねられ畢ぬ。法然房源空は遠流の重科に沈み畢ぬ。
其の時摂政左大臣家実と申すは近衛殿の御事なり。此の事は皇代記に見えたり。誰か之を疑はん。
しかのみならず、法然房死去の後も又重ねて山門より訴へ申すに依て、人皇八十五代後堀河院の御宇嘉禄三年、京都六箇所の本所より法然房が選択集(せんじゃくしゅう)並に印版を責め出して、
大講堂の庭に取り上げて、三千の大衆会合し、三世の仏恩を報じ奉るなりとて、之れを焼失せしめ、法然房が墓所をば、犬神人に仰せ付けて之れを掘り出して鴨河に流され畢ぬ。
 
 宣旨・院宣・関白殿下の御教書を五畿七道に成し下されて、六十六箇国に念仏の行者一日片時も之れを置くべからず、対馬の島に追ひ遺るべきの旨諸国の国司に仰せ付けられ畢ぬ。
此等の次第、両六波羅の注進状、関東相模守の請文等、明鏡なる者なり。
 
 嘉禄三年七月五日に山門に下さるる宣旨に云く 
 
 専修念仏の行は諸宗衰微の基なり。(ここ)に因て代代の御門頻に厳旨を降され、殊に禁遏を加ふる所なり。
而るを頃年又興行を構へ、山門訴へ申さしむるの間、先符に任せて仰せ下さるること先に畢ぬ。
其の上且は仏法の陵夷を禁ぜんが為、且は衆徒の欝訴を優に依て、其の根本と謂ふを以て隆寛・成覚・空阿弥陀仏等、其の身を遠流に処せしむべきの由、不日に宣下せらるる所なり。余党に於ては其の在所を尋ね捜して帝土を追却すべきなり。
此の上は早く愁訴を慰じて蜂起を停止すべきの旨、時刻を回さず御下知有るべく候。者れば綸言此の如し、頼隆誠恐頓首謹言。
 
 七月五日酉刻  中弁頼隆〈奉る〉 
 
進上天台座主大僧正御房〈政所〉 
 
同七月十三日山門に下さるる宣旨に云く、
 
 専修念仏興行の輩を停止すべきの由五畿七道に宣下せられ畢ぬ。且御存知有るべく候。綸言此の如く之を悉にす。頼隆誠恐頓首謹言。
 
 七月十三日  右中弁頼隆〈奉る〉 
 
 進上天台座主大僧正御房〈政所〉 
 
 殿下御教書 
 
 専修念仏の事、五畿七道に仰せて永く停止せらるべきの由、先日宣下せられ候ひ畢ぬ。而るを諸国に尚其の聞え有り云云。
宣旨の状を守て沙汰致すべきの由地頭守護所等に仰せ付けらるべきの旨、山門訴へ申し候。御存知有るべく候。此の旨を以て沙汰申さしめ給ふべき由殿下の御気色候所なり。仍て執達件の如し。
 
 嘉禄三年十月十日          参議範輔〈在り判〉。
 
 武蔵守殿 
 
 永尊堅者の状に云く、此の十一日に大衆僉議して云く、法然房所造の選択は謗法の書なり。天下之を止め置くべからず。
仍て在在所所の所持並に其の印板を大講堂に取り上げて、三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしめ畢ぬ。
又云く、法然上人の墓所をば感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしめ畢ぬ。
 
 嘉禄三年十月十五日、隆真法橋申して云く、専修念仏は亡国の本為るべき旨文理之有りと。
 
 山門より雲居寺に送る状に云く、邪師源空、存生の間には永く罪条に沈み、滅後の今は且死骨を刎ねられ。其の邪類住蓮・安楽死を原野に賜ひ、成覚・薩生は刑を遠流に蒙る。殆ど此の現罰を以て其の後報を察すべし云云。
 
 鳴呼世法の方を云へば違勅の者と成り帝王の勅勘を蒙り、今に御赦免の天気之れ無し。心有る臣下万民誰人か彼の宗に於て布施供養を展ぶべきや。
仏法の方を云へば正法誹謗の罪人為り、無間地獄の業類なり。何れの輩か念仏門に於て恭敬礼拝を致すべきや。
庶幾くば末代今の浄土宗、仏在世の祖師舎利弗・阿難等の如く浄土宗を抛て法華経を持ち菩提の素懐を遂ぐべき者か。
                            日蓮花押 

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