地球郡アジア村字泊

日本海の小さな漁村からの発信

絵本『風の吹いてきた村』の紹介 

韓国船遭難救護記念事業実行委員会発行

このページは泊の歴史を知る会事務局が管理しています。


1900年1月、大韓帝国籍の船が遭難、泊村に漂着しました。日清戦争から日露戦争のまさに戦争の渦中、国同士の関係は厳しい中、泊区民は総出で救護に当たり誠心誠意の保護の結果、93名の韓国人全員が奇跡的にも本国へ帰還出来ました。 泊の船小屋の前の浜で別れるとき、韓国人は涙を流し、村の衆も袖を絞るほどに泣き、親子兄弟の様な別れをしました。当時の記録をもとに、『韓国船遭難救護の記録』(泊の歴史を知る会)と『風の吹いてきた村』(韓国船救護百周年記念事業実行委員会)を発刊しました。そして、歴史の現場に記念石碑を建立し「海は人をつなぐ母の如し」と刻んであります。

韓国船遭難救護の歴史 百周年記念行事 泊の歴史を知る会


★近況 

この話を作家 朴慶南 さんがご自身の新刊で紹介してくださいました。

「歴史のひとコマ、ひとコマから貴重な糧をすくい上げながら、横に並び合う多くの人たちとともに、前に向かって歩みを進めていきたい……。」本の帯より

「私以上でなもなく、私以下でもない私」(岩波書店) 

★朴慶南さんとの出会い 「風の吹いてきた村」編集者からのメッセージ

 2002年8月、丁讃宇さんが泊の記念碑前でバイオリン演奏をしてくださった日、新聞社のご友人と一緒に来てくださいました。韓国船遭難救護の歴史に関心をもたれ、2003年4月に再度小浜まで取材に来られました。そして、この新刊出版の直後、新刊を届けに来てくださいました。拉致被害者の地村さんのご実家の浜本雄幸さん宅にもご案内しました。翌日、私の勤務する下根来小学校にもお訪ねいただき、子どもたちの音楽演奏も聞いてくださいました。

 朴慶南さんの新刊「私以上の私でなく、私以下の私でない私」の中で26ページにわたって、小浜の話を紹介してくださっています。朴さんから取材をいただいて私がお話したこと、お渡しした資料、韓国船遭難救護の歴史を書いた本「風の吹いてきた村」を元に忠実に正確にご紹介してくださいました。

  歴史を調べ刻み伝えていくということは、未来に対して大きな責任を負うことになるのです。私は、朴さんの全国ネットの新刊でご紹介いただいたことにより、自分の書いたものにさらに大きな使命と責任を感じています。

 「風の吹いてきた村」は、地方で出版した本ですが、今後のの日韓日朝の歴史にお役に立てるものと考えています。昨年から全国の新聞紙上で多く紹介され注目されたので、なおさら責任を感じています。

 私は、朴慶南さんの本が多くの方に読んでいただけることを心から期待しています。人生の嬉しい出会いに感謝しています。

★この本「風の吹いてきた村」は韓国船遭難救護記念事業実行委員会による自費発行です。

この資料がご必要な方は、下記までご連絡、お問い合わせください。制作実費で配布しております。

メールは、記念事業実行委員会事務局まで  


ふるさと紹介
 私の村ご案内をします。若狭湾にのびる半島の先に私のふるさとがあります。夫婦亀や大門小門など天下の奇勝をほこる蘇洞門があり美しい風景に包まれています。磯見漁などの伝統漁法ものこる、海に生かされる村です。地蔵が微笑み平安と祈りのある村です。この豊かな自然や伝統や精神文化を未来に継承するために泊の歴史を知る会を結成し、酒事などの伝統行事民謡など民俗文化を記録したりかわらばんを発行するなどの活動を続けています。村の氏神様若狭彦姫神社の近くに名水まじょ川も復活しました。新漁港が完成し夕涼み会など新しい交流も始まりました。

歴史・国際交流 この村韓国船遭難救護の歴史があります。百周年記念行事で現場の海を望む海岸に海は人をつなぐ母の如しと刻んだ記念碑をたてました。そばに少年の像が海を見つめて立っています。海の少年は歌い続け、海風がオーケストラを奏でます。この美しい風景の中にこどもたちは遊び、祖先の魂も遊んでいます。記念碑の前で丁讃宇(ジョン・チャヌ)さんが「イムジ河」など美しいバイオリンを演奏してくれました。雨森芳洲の生誕地高月町雨森の小中生がサムルノリの演奏をしてくれました。公園にはムクゲが新しい芽をのばしています。今後、ムクゲを植樹し続けムクゲの公園を夢見ています。私の村は地球郡アジア村字泊(とまり)です。 

夢海道 若狭小浜は東アジアに海道がつづく海の玄関です。小浜水産高校の実習船雲龍丸で小浜から函館へ、隠岐へ、佐渡へ、十三湊へと海道をゆくで小浜を再発見しました。 2000年、ついに小浜から韓国への海道もつながり、高校生が小浜から韓国へ、韓国から小浜へと船で行き来して4年目となる。 朝鮮語の「ワッソ、カッソ」(行ったよ、来たよ)が「若狭」の語源かという説があるが、まさにこの交流はそれである。 この港は世界につながっていく夢海道である。人生に夢なくして航海はできない。夢あるところに海道は続く。


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