重治と漱石のこと    −漱石研究について−
                                                                                                                               藤 堂 尚 夫

 私はあまり熱心な中野重治の読者とは云えないのだか、私と重治との出会いは二回あった。一度は、高校時代、郷土の作家の作品として、『梨の花』を手にしたとき、もう一度は、大学の卒論で、夏目漱石について調べた際に、漱石をあつかった重治の文章を目にしたとき、である。
ここでは、二つ目の出会いに関して、思うところを書いてゆくことにしたい。

 周知のように、重治は「小説の書けぬ小説家」の中で、漱石について次のように述べている。(「改造」第十八巻第一号)

 彼は彼の「がまぐちの一生」を「吾輩は猫である」の千倍も輝かしいものに眺めた。そして、そのつど、日本の漱  石読者にひどい侮蔑を感じた。「てめえたちはな……」と彼 は彼らにいつた、「日本の読者階級だなんて自分で思 つてるんだろう?しかしてめえたちはな、漱石の文学を読んだことなんざ一度だつてねえんだぞ。てめえたちにや  そもそも漱石なんか読めやしねえんだ。漱石つてやつあ暗いやつだつたんだ。陰気で気違いみ  てえに暗かつた んだ。ほんとに気違いでもあつたんだ。ところがあいつあ、一方で、はらの底から素町人だつたんだ。あいつあ一生逃げ通しに逃げたんだ。その罰があたつて、とうとうてめえたちにとつつかまつて道義の文土にされちまつたん だ。(後略)……」

 この引用は、いわゆる「暗い漱石」を指摘した箇所であるが、漱石研究史における平野謙・荒正人・江藤淳らの仕事の位置を思い起こせば、この指摘が正鵠を待たものであることがわかるだろう。もっとも、漱石の暗さを指摘した最初のものが、この重冶の小説であるという一般の理解は厳密にいえば誤りである。そのことは、大正六年八月「アララギ」の新刊紹介に、折口信夫が赤木桁平(池崎忠孝)著『夏目漱石』に対して、<夏目さんの明るい方面の叙述のわりに、根本的愛執を起こさせる氏の暗面の記録或は直観のないということ。>を指摘していることからもわかる。漱石の死後、わずか一年に満たずに、すでに漱石の暗面を指摘する折口の漱石の作品に対する深い読みと、彼の直観とには驚くべきものがあるが、重治の小説中の呪文には、それ以上に迫力が感しられよう。それゆえ、漱石研究史のなかで、折口の指摘がほとんど忘れさられているのに対して、重治の指摘が、たとえば、平野謙が昭和三十年十二月の日付をもつ「夏目漱石T」(『芸術と実生活』所収)において、この箇所を引用して論を展開していることからもわかるように、多くの研究者や評論家に受け入れられているのである。
 では、平野の論を見てみよう。平野は、この小説の主人公の独白について、<一生逃げ通しに逃げた>という点について、まちがいを指摘する。漱石は、低徊趣味にのがれたにしても一生たたかったとしている。そして、「則天去私」が漱石のたたかいの結論であるゆえに、漱石が我執にみちた <暗いヤつ>だったとしている。
 平野の論は、<漱石の暗さがいかにその作品にまで転移され構想されているか>を明らかにするために書き進められる。
 平野と重治に通じるものは、「漱石神話」という、聖人君子といった観のある漱石像を生んだ、漱石研究・評論史に対する反抗であろう。

 私の胸の底には、いつも『こゝろ』をひとつの頂点として、『それから』から『明暗』 におわる作品群の印象がうごめ いていた。修善寺の大患とか則天去私とかいう有名なレゲンデを信じなかった。則天去私の心境に達した人が、
 『明暗』のようなエゴの剔抉を敢行するはずもない、と信じて疑わなかったのである。
                                                         (平野「夏目漱石T)
 重治のいう<道義の文士>という漱石像は漱石レゲンデがつくり出したもの、といってよいであろう。(もっとも、「道義」について、重治は「漱石と鴎外のちがひ」《「文学」昭和25・11》の中で、<道義の文上にされちまつた> という箇所についての間違いを明らかにしている。しかし、「漱石と鴎外のちがひ」は、漱石と鴎外が日本の道義の形成にどうかかわったかを論じたものであるために、自分の小説中の<道義の文士>ということばにこだわっているのであり、この小説の中だけでいえば、漱石は<道義の文士>というレッテルを、日本の読者階級に貼りつけられた、くらいの意味に了解されるのである。)重治は漱石の<陰気で気違いみてえに暗>い部分、<素町人>という性格(これは重治自身指摘するように、あたっていない。前掲論文参照)を読みとれない<日本の読者階級>への攻撃のことばを、主人公の口から吐かせているのである。ここには、「漱石神話」をつくりあげた<漱石の弟子や註釈者>に<人間らしいのが一人でもいたらお目通りだ>というように、それまでの研究家・評論家たちが作り上げてきた聖人君子的漱石像に、全く人間味が感じることのできない漱石の剥製という感じがつきまとうことに対して不満を感じている重治の姿を見ることができる。
 重治と平野の論に、「漱石神話」をつくりあげた研究・評論史に対する反抗がある、としたが、その反抗をささえるものは、彼ら自身の、漱石の作品に対する読みであろう。折口を含めて、重治・平野らの指摘に、それぞれの読みが深くかかわってていることは、いうまでもない。
 最後に、私にひきよせていえば、これらの論は、漱石を読むということの答えの一つでもあり、漱石を、研究が特に進んでいる現状において、改めて読むことの意義を問う、問いでもある。その中で、特に、重治が主人公に言わせた<てめえたちはな、漱石の文学を読んだことなんざ一度だつてねえんだぞ。てめえたちにやそもそも漱石なんか読めやしねえんだ>ということばは、私の心の中に、重く残っている。

                            (「中野重治研究会会報'86・bQ」(昭和61年2月20日発行)に掲載)



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