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#1 The Rising Force  by Dave Wolverton

ライジング フォース; 新生のフォース
記念すべきJedi Apprenticeシリーズの第一巻としてアメリカ、Scholastic社から1999年に、Star Wars EpisodeT;The Phantom Menaceの公開にあわせて出版されました。Ep.1は、ご存じの通り、Ep.4; A New Hopeの32年前の話という設定でEp.4で、孤高の最後のジェダイの一人として登場したオビ=ワン・ケノービが20代の若い姿で活躍します

原題のThe Rising Forceは「新生フォース」とか「新進の・・」「成長しつつある・・・」という意味になります。「新たなるフォース」でもいいのですが、Ep.4の副題にもあるので敢えて邦題はつけませんでした。

JAはEp.1を遡ること約10年、オビ=ワンが13歳になろうとしている時点から始まります。
Ep.1で初めて明らかになったジェダイ・オーダーの内部機構の一端が、マスター=パダワンシステム。共和国全銀河から候補生がごく幼少のうちにジェダイテンプルに集められてきます。選定基準は何か、具体的にどの様に選ばれ移動するのか、 などについては残念ながら今のところ述べられていません。(#9 the Fight for Truthで辺境惑星にいる赤ん坊がForce-sensitive ─フォースに感応する、という訴えが両親から出されて、それを調査に行く、そのような設定があります) 例の懸案のミディ・クロリアン測定値についてはJAでは何も言及されていません。

オビ=ワン自身は生後6ヶ月で親元から聖堂(ジェダイテンプル)へきた経歴の持ち主です。ただし時折の里帰りは許されていたようです。(#3 the Hidden Past) ここに集められた子供達は単に「Student」─生徒、学生と呼ばれています。もちろん出身惑星、性別などの区別なく共に訓練を受けています。ただし幼年組、学年などはあるようです。「○年年少の・・」とか「最年長組の」という表現がありますし、#7では保父さんジェダイが付き添う幼年組も登場します。

さて知識を蓄え、激しい肉体的訓練を積んで脱落せずに年長になるにしたがって、次の関門が生徒達の前に立ちはだかります。生徒達の最大最高の目標は一人前のジェダイナイトのパダワン(弟子)に選ばれることです。ここでマスター=パダワンシステムが明らかになるのですが、 銀河全体に2万人と言われるジェダイ、その中の一部が個人的な弟子をとるのです。一度に一人しかパダワンは持てません。しかも師弟関係は、パダワンが一人前のジェダイナイトになるまで継続するのですから、 1年や2年の短期間ではありません。つまり、マスターがパダワンを選ぶのはいわば結婚相手を選ぶのに似た(語弊があるかな?) 両者にとって、人生を決定するような重大事項なのです。ですから年長の生徒は何とか有名なジェダイマスターの目に留まろうと躍起になって自己をアピールして、熱いラブコール(?!)を送ることになります。

しかし何事もそう簡単に行く訳ではありません。生徒が聖堂に留まっていられるのは13歳までらしいのです。13歳の誕生日までにマスターに見初められなかった生徒は一生パダワンにはなれず、したがってジェダイナイトにもなれないジェダイとしては落伍者の道をたどらねばならないのです。

1はこのような設定でオビ=ワンが後、数週間で13歳になるのにまだ将来が決まっていない、不安定な状況から始まります。そもそも、このJAシリーズは9歳から15歳くらいの年齢をターゲットに書かれた小説ですから(アメリカの)、自然とその年代に分かりやすい設定を取っています。13歳というのは小学校から中学校へ進学する年でもあり、 思春期が始まる年頃でもあります。心理的にも不安定でいながら、無限の未来を夢見る余地は残っており、しかも自我に芽生えて自己の内奥をのぞき込む時期でもあるのです。こういった子供達が感情移入しやすい状況設定、子供達が直面するかも知れない、責任を問われる行動への意志決定、物事を達成したときの充足感、そして挫折・・・こういった現実的日常を SW世界に重ね合わせて、共感を得ようとしたと思われます。そして、それは大当たりをして子供のみならず大人の読者の鑑賞に堪えるものになりました。結末(Ep.1 を指す)を知ってしまった一種の安定感が、さらなる物語の重層化を求めたのです。

JAシリーズがこのように巻を重ねている理由の一つは、ストーリーの端々で語られるマスター、クワィ=ゴン・ジンとパダワン、オビ=ワン・ケノービの相互関係が魅力的だからです。Ep.1の悲劇的結末を迎える以前にあった、何年もの年月の蓄積を、そもそもの始まりから説き起こしているのですから、手放しで面白いのです。 Ep.1からのフィードバックも十分に行われてファンのトリビアリズムを満足させるようなサービスもあります。残念ながら邦訳は出版されていませんが(購買者数が少ないという採算上のこともあると思います)、原文そのものは理解しやすいので十分に楽しむことができると思います。
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