第19回ちょっといって講座

 

自治体の力をつける政策法務

北村喜宣上智大学法学部教授

2001年11月16日(金)午後6時

国際交流会館 202号室

1・地方分権によって変わったこと

(1)国と自治体との対等関係の実現

地方分権によって、将来の仕事が特に変わったわけではないが、基本原理は大きく変わった。それは、国と自治体の対等関係の実現です。

地方自治を規定する憲法第8章の最初の条文である第92条は、「地方自治の本旨」に基づいて自治体の組織や運営についていろんなことを決めると書いてあります。この憲法どおりに物事が進められていたならば、地方分権などはする必要がなかったかもしれません。

成田頼明先生は、地方分権によって、やっと憲法の目指すべき状態ができたんだとおっしゃいます。では今までの50年間はなんだったのでしょうか。

(2)機関委任事務制度の廃止

機関委任事務がなくなったと頭では認識していても実態はどうでしょうか。委任事務は国の事務を自治体がするということですが、事務にはそもそも「国の事務」と「自治体の事務」がある。国会は国の事務、自治体の事務を法律で作るのです。国の事務の処理にはいくつかの方法があります。@国の事務は国が直接自分でする。国税の徴収、独占禁止法の執行などです。A自治体にしてもらうのですが、知事・市町村長に機関として、してもらうものが、機関委任事務、B団体としての県や市町村にしてもらうものが団体委任事務です。

国の事務を委任するのが委任事務です。機関委任事務については、自治体行政が担当をしていても国の事務です。国よりいろいろ指示が来て事務をする、他人の事務なのです。他人のものですから自治体は勝手には手を出せない。使勝手が悪くても我慢せざるをえなかったわけです。

知事は国との関係では下級行政庁であり、それを縛っていたのは通達でした。しかし、2000年4月より、国と自治体との関係では通達はなくなりました。

しかし、国の機関同士の関係では国家行政組織法第14条第2項にあるように通達は存在しています。

県では、8割が機関委任事務でした。これは自治ではないのではないかと考えられた。だから、機関委任事務は諸悪の根源と考えられていたわけです。90年代半ば以降、自治体

行政が出す分権に関する報告書では「 機関委任事務があるから自由なまちづくりができない。」と指摘されていました。建築基準法や都市計画法などに書いてある事は全国画一的 

            法律 

      

      国の事務                            自治体の事務 

           @直接担当

           A機関委任          法定受託事務

                    法定自治事務      自治体の事務

          

B団体委任 

           

になっているから、我が町にフイットする仕組みがないというわけです。今年・2001年7月に地方分権推進委員会が解散するにあたり、6月に最終意見を出した。その中で「平成12年度以降は、地方公共団体には、『国の事務』は皆無となった。」と言っています。全て自治体の事務になったといっているわけです。機関委任事務は、「法定受託事務」と「自治事務」にわけられ、すべて自治体の事務になったのです。

(3)国の関与のルール化

国の関与化のルール化ですが、法律により立法者が認めたもの以外は国の関与ができなくなった。法令の根拠が必要なわけです。

(4)国地方係争処理委員会の創設

            国       自治体 

         国会     市民    議会

         中央政府   事業者   地方政府

         司法府          

         

 

国地方係争処理委員会の委員長は塩野宏先生 という行政法学者ですが、さっそく、横浜市の勝馬投票券発売税の問題を扱っています。

さて、国家とは「国」と「自治体」で構成されています。 「市民 「事業者」は、国にも自治体にも属しています。国の中には国会・中央政府・司法府がある。自治体には地方政府・議会がある。なぜ、勝馬投票券発売税事件で横浜市が国と係争できるかというと、国と自治体が対等関係になったからです。

法律は国会がつくります。しかし、自治体にすれば大蔵省がつくる通産省がつくるという意識がありました。法律の解釈権は霞が関にあるように見えます。実態はそうでも、形式は、法律をつくるのは−国会です。勝馬投票券発売税事件係争では、地方税法に法定外普通税に関する規定がある。そこには、どういう場合には作れないのかが書いてある。これらの事項に当てはまらないときは総務大臣は同意しなければならないと列挙してあります。横浜市の条例がこれにあてはまるか、当てはまらないかは解釈です。横浜市議会はこの3項目には当てはまらないから総務大臣は同意すべきだと考えたわけです。( そこで、たとえば横浜市長がこんな条例はやっぱり不同意となると思えば再議に付するわけです。再議は2/3の議決がいります。実際には市長提案ですから、そんなことはありませんが。)ところが総務大臣は国の経済政策に抵触するから不同意だというわけです。地方税法を所管する総務省がだめだといっているのですが、横浜市はその解釈は間違っているといっているわけです。結局、地方税法は国会が作ったということですね。法律の解釈権は中央政府も地方政府も対等にある。最後に決めるのは裁判所ということです。以前の機関委任事務では、有権解釈権は国にありました。

条例をつくるときには法律解釈をしなければならない。都市計画法であってもそれは建設省が作ったのではなく、国会が作ったのだ。私たちがそれを解釈して何がいいかを決めるべきなのだということです。中央政府の解釈で条例制定権が決まってしまうのはおかしいのです。

2.地方分権で変わらなければならないこと

(1)職員の意識

首長は意識改革が大事だといいますが、改革が大事だというだけでは組織は変わりません。個人の意識改革を支える組織の意識改革が必要です。意思決定システムをどう変えるか、人事評価をどうかえるかです。そうした、組織の意識改革がないと、個人の意識改革はできません。不思議な事にそこまで考える首長はいない。そう考える副知事、助役や総務部長もいない。首長の「個人の意識改革」が空回りするだけが実情です。

機関委任事務の池に50年もつかっていたので、なかなか難しいと思いますが、正しい方向を向いて歩きはじめることが重要です。大きなビジョンを提起できるような政治的リーダーシップが必要です。

(2)住民自治・自己決定・自己責任という意味の理解

自己決定・自己責任といいます。自治体の事を自分で決めることです 。個人の場合、個人のことを自分で決めるにはあまりコストはかかりません。自治体のことを自分で決める事を自己決定といいますが、「地方政府 対 市民・事業者」「地方政府 対 議会」というように、内部関係が複雑なので、そんなに簡単な話ではありません。地方分権はその方向を向いているのですが、 なかなか大変です。分かっていっているのかです。

そのためにどうするかですが、四者がどう考えてするかですが、行政がリーダーシップをとりながらも、行政の位置を相対化して考えることです。これまでは福井県=福井県庁という考えがあったかも知れませんが、そうした市民の意思も変わらなければならない。お任せ自治を脱却することです。

(3)マジか毛針か、パートナーシップ

行政の文書にパートナーシップという言葉が良く書かれています。団体自治 というのは国家の中に、国家とは独立した自治体という意思決定の機関が保障されている。住民自治とはこの自治体の中で自分のことは自分で決定するということです。

パートナーというのは選び選ばれです。ところが、行政はそのようなことは全然考えていない。パートナーという言葉を使うなら、行政は市民から選ばれるかどうか逆の理屈もシリアスに考えるべきです。

市民参画についてです。意思決定の機会について、お互いの話し合いもせずに「ここ」と「ここ」と「ここ」に参加して欲しい行政側が一方的に決めています。その機会をたくさん設ける事が市民参画の機会をたくさん設けることだというわけです。

(4)「決め方」の「決め方」を決める主体

「決め方」の「決め方」をどういうふうに決めるかが問題になります。たとえば、環境行政の中で、「ライフスタイルを変えてください」ということをパートナーに求める。CO2の削減、ゴミの分別、再生品を使う等々ですが、市民からすると、「では、行政のスタイルも変えて欲しい」といいたい。そのような準備が行政の方にあるのか。パートナーシップというのはマジか毛針かですが、どうも毛針臭い。

(5)議員の意識

地方議会も重要な存在です。議員立法をしようという観点から、 1/8から1/12に緩和された。福井県議会では4人集まれば議員提案はできる。

『ガバナンス』という雑誌には各県の議員立法にどんな例があるかが書いてあります。

県によってばらつきがある。片山鳥取県知事は議会に「あんたらが立法者だからあんたらが作れと」いったとか。本来ならば議会の力が強まる事が求められているといえます。

このことを行政の立場からみれば、行政運営が不安定になる。先が読めないからです。トラブルを起こさないでうまく行政を転がしていくというこれまでの手法からすれば、自分で自分の首を絞めるようなものです。しかし、分権時代は不安定な状態に慣れることが大事です。

(6)不安定な状態にどう慣れるか

行政として安定したということがどういうことなのか、どういうコストが払われてきたのかです。

「透明性」という言葉が非常に重要な言葉としてあります。福井県の行政手続条例の第1条にも入っている。情報公開条例やパブリック・コメントにも入っている。ところが、議会に条例審査をするときに質問させない。変な質問が出ないように根回しにかかる。議員はそこで、「わしのところにちゃんと言いに来てくれる良いやつだ」といって“ハッピー”、委員会の委員長も“ハッピー”、本会議での議長も“ハッピー”とみんな“ハッピー”ですが、市民はいったい何が起こっているのか全然わからない。

安定化を図る事によって払われるコストということを分権時代にどう考えるかです。

何かをしようとすると当然プラスアルファになる。残業も増えるかもしれない。国が「だめ」といったときは、国の解釈に優るようなものを考えなければならない。

(7)政策法務とは

「政策」とは何かについては、政策評価法ができました。第2条に「政策」が定義されています。一方、「法務」とは何かですが、法令審査するとか、訴訟対応するとかは昔からありました。それがなぜ「政策」と結びつくのでしょうか。これまでは「政策」は国が作っていて自治体はそれを転がすだけでしたが、自治体も「政策」を作るぞという、分権時代の自己決定ということで注目されている。その「政策」を憲法違反・法律違反せずにきちんと条例化する一連の作業が『政策法務』といえます。地方政府についても『政策法務』が言えますし、議会についても『政策法務』がいえます。市民・事業者・ NPOについても自分達で条例案を作って議員提案してもらうとか、あるいは行政に提案する、または直接請求するとかもできます。しかし、当面は行政が中心となると思います

(8)対外的政策法務と対内的政策法務

政策法務には2つの局面があります。1つは 対外的なものです。もう1つは 対外的なものです。対外的とは行政が市民・事業者に働きかけるというものです。普通の政策法務というのはこれです。県民の生活に規制をかける、あるいは助成をするとか、行動を変えるためのアプローチをする条例です。

もう1つは「対内的」政策法務ですが、分権を推進するためには県職員の意識も変わらなければならない。対内的に地方政府内をいかに分権体質にするのか。福井県ではパブリック・コメントを制度化しています。そんなことはしなくてもいいといえばいいのですが、原案を出して県民の意見をもらう。それも、対外的であるとともに、対内的な政策法務の1つの現れであろうと考えています。原課の意思決定を いかに分権的にするか。たとえば、福井県では環境基本条例がありますが、そこでは、福井県として環境保全どうかかわるか、行政としてどうかかわるべきか、市民・事業者はどうやっていくかが書かれています。そこで、行政に対して議会は環境基本計画をつくれと書いてあるわけです。環境基本計画は行政が勝手に作った分けではなく、議会から権限を与えられて作られたものです。そこで、全自治体的な話になるわけです。

同じような発想で自治基本条例と自治基本計画をつくって、自治基本計画で多少具体的なことを書いて、庁内の意思決定・原課の意思決定がいかなる意味で自治基本条例・自治基本計画に適合しているか、いかなる意味で分権推進的であるかを説明させる。それを、 「分権的ボトルネック 」といいます。このボトルネックを通らないと先へ行けないという仕組みです。パブリック・コメントだって大変です。

コメントがくればリスポンスをしなければなりません。いかなる意味で適合しているかを考えなければなりませんから、この訓練も大変です。それによって、原課の考え方が分権モードに変わってくる。

“筋力養成ギプス”という漫画ですが、それをつけて活動していやっているうちに「自治力」がついてくる。そのための一連の作業が対内的な政策法務です。

3.拡大したのか条例制定権?

(1)拡大したといわれる意味

一番注目されるのが条例です。対外的政策法務の中心的なものですが、これからの条例とは 従来と何が違うのか。分権時代には、条例制定権が拡大されたといわれます。まず、機関委任事務が廃止された。機関委任事務は国のものでしたから、条例制定権はありませんでした。それが自治事務になる。自分のものになったわけですから、自治体に条例制定権があることになる。根拠は法律ですが、条例制定権が抽象的にはあることになる。

国の法律はこと細かく決めてはいけないルールがしめされました。地方自治法の第2条11項、12項、13項などです。規律密度の低下の要請です。法律や政令で決めてあることの密度が低くなれば、相対的に条例制定権の範囲が広がるわけです。

しかし、これは可能性が広がっただけで、議会が条例を作らなければ、いつまでも可能性のまま宙に浮いているだけです。2年目ですからそんなに出るとは思いません。パイオニアは辛いわけです。

(2)可能性を現実にするための方法

種はどこにあるかです。1つの種は「要綱」です。県では要綱を持っていますから、それを条例化できないかです。三重県の産業廃棄物税条例のようなものも出てきていますが、今考えられるのは「要綱」の条例化です。しかし、要綱もいろいろあります。要綱でしかできないこともあります。福井県でも産業廃棄物でひどい目にあっているようですが、要綱で定めた「同意制」の問題があります。同意書をもってこないと 産業廃棄物処分場の許可申請を受けつけないというものです。昨年、不作為違法確認訴訟で敗訴しました。宮城県の浅野知事が被告になった訴訟でも敗訴しています。同意書がないことを理由に申請書を突き返すことは十中八九負けるわけです。

同意書をどうするかは辛いことです。正面からは条例化できない。誰に聞いてもそうです。県レベルでは高知県が開発指導要綱的なものを条例化するので同意制をはずすことを決めています。横須賀市も開発指導要綱の条例化にともない、同意制をはずすこととしています。福井県でもこのあたりは議論となるのかと思います。

他では、地方税条例です。横浜市の勝馬投票券発売税は先ほど紹介しましたように国の同意は法律で定める3つの要件が必要ですが、条例化自体は法律に書いてあるわけですから、道があるわけです。しかし、開発指導要綱についての条例化については、条例化できるかどうかはどこにも書いてない。条例制定権の話です。憲法第94条は自治体の条例制定権を認めていることをご存知でしょう。  法律の範囲内において条例ができると書いてあります。また、地方自治法第14条第11項でも法令に違反しない限りと書いてある。条例は法律にも憲法にも違反できないことになっています。

法令に違反しないことだけを手がかりに自分たちの条例の適合性を主張しなけければなりません。これは道なき道です。きれいごとかもしれませんが、県民福祉の向上が図られるならば、そういう苦労もするということではないでしょうか。

(3)条例制定権に関する発想の転換

条例は法令には違反できない。法令に違反すると裁判所が解釈して、違法だといわれた条例もあるわけです。長崎県の飯盛町の旅館に関する条例や宝塚市のパチンコ店に関する条例が違法だといわれました。もちろん適法とされる条例は数多くあるわけです。いずれにしてもこれは解釈なのです。どういうふうに、憲法や法律を解釈して自分たちの政策を法政策にするかなのです。こんなところにはこんなものは無い方がいいとか、こういうものがあった方がいいとかを抽象的に考えるのが政策ですが、法的にどう表現するかが法政策です。政策は法政策に進化するわけです。

ではどういうふうに考えればいいか。分権改革は近代日本の3番目の大改革だといわれました。機関委任事務を廃止したのは大変なことですが、革命的だとすれば、法解釈も革命的に変わる必要があるわけです。ところが、それを支える法解釈は昔からの古典的なものです。新しい解釈が求められている分けですが、どこにかいてあるかというと、どこにも書いてない。学者もがんばらなければなりません。

行政法は判例が無いと発展しない傾向があります。奈良県ため池事件条例判決(最高裁)、徳島市公安条例事件判決(最高裁)などを、一般化したり、押し進めたりして学説が出来るのです。紛争が無いとなかなか学説は発展しません。

そこで、みなさん相談ですが、条例を作って欲しいのです。福井県×××事件判決というのが出ると福井県の名前は永久に残ります。もちろん大変ですが。

条例は法令に違反できない。条例を考えるときは、条例は日本の法秩序の中で、「法令」は通常都市計画法と農地法とかの個別法令を考えています。地方自治法第2条第11項、第12項、第13項 などは今度の分権改革で新しくできたものです。最初に今回の地方分権改革は憲法第92条が考えていた状態を実現したものだといいましたが、地方自治法の第2条第11項、第13項などは憲法第92条を具体化した規定といえるわけです。個別法も憲法には違反できません。第11項、第13項などが憲法から導き出されたとするならば、この全体を考えて法令と見るという考える発想は出来ないかです。個別法令は実質的には霞が関が作ってしまいますから、ここで詳しく規定され自治体の裁量がないように決められてしまった場合は、形式的に条例がその法令に違反できないとすると、条例の出来る可能性はかなり少なくなってしまいます。結果的に、霞が関が条例制定権の範囲を決めていた昔と変わらないことになります。 そうではなく、法令も憲法には適合しなければいけないことから、憲法を介して個別法令に影響を与える解釈ができないかです。法令について広義説をとることです。個別法令で詳しく書いてあるからアウトではなく、もう一歩踏み込んで憲法を含め全体から考える方がいいのではないかということです。現状を一歩でも進めるには、このように多少過激な学説も必要だと思っています。

産廃処理場の許可の同意についてですが、福井県は同意がないと不許可にするのでしょうか。釧路の産業廃棄物処分場を北海道知事は同意がないことを理由として不許可としましたが、札幌地裁・札幌高等裁判所判決では不許可処分が取り消され、結局産廃処分場はできました。愛知県の業者は70万円の国家賠償を勝ち取りました。とするならば、ある地域は外すという立地規制をすべきではということになってきます。敦賀の水源保護条例はそのような発想で作ったのではないかと思います。それを県条例でできないかというのは、これは解釈論です。産廃の許可処分は法定受託事務ですが自治体の事務です。法律・憲法に違反しないように自分たちが条件を加えることはありうる話です。次のことを考えるならば、かつて、厚生省の産廃室長にゾーニングをできるかと、聞いたことがありますが、結構な話だが、知事にそれが政治的にできるのかといわれました。 理屈はできるということでしょう。

条例というのは地方政府、地方議会の県民・事業者へのメッセージです。みなさんは自分の所管の例規集を見たことがあるでしょう。職員研修で、県条例の特徴を述べよというと、「分かり難い」という方が多い。職員が分かり難いものを、県民が分かるはずがありません。他課の所管の条例はほとんど分からない。条例で規定せず、規則にたくさん落としている。規則を読まないと何が行われているのか分からない。住民自治と言われていますが、相手方に自分たちの言うことが伝わらないのですから致命的です。どうするかというと、行政に聞きに行く。依らしめる行政の典型です。見て分かるのが透明性の重要な要素です。規則に沢山落とすと楽です。行政運営は安定します。自分たちで全部決められますから。しかし、政治的なことは政治に任せる。これが役割分担です。なるべく本則に書くことです。行政は余計なものまで背負い込みすぎています。政治的な決定まで背負っています。行政のスリム化も大切ですが、行政責任のスリム化という発想も重要です。条例にしても、「規則に定めるところにより」という条文で規則に丸なげされているところがずいぶんあるのではないでしょうか。条例の一番最後の条文で「知事はこの条例に必要な限り規則で定めることができる」と全部丸なげしているのですが、ひどいことです。昔からそうやってきたから、国の法律がそうなっているからというのですが、住民自治の大事なコミュニケーションの手段なのです。条例の在り方を根性を入れて見直す必要があると思います。

4.国とのおつきあいの仕方

(1)技術的助言と処理基準

自治体へは国からいろんなものが来ると思います。通達という形ではきませんが、技術的助言、処理基準等々です。通達と変わりがないような高圧的な書き方のしてあるものもあります。これは通達ではないので、とりあえずのガイドラインであり、自分たちで良いか悪いかを考えるべきです。国は都道府県が変わらないと変わらないし、都道府県は市町村が変わらないと変わらないのだと思います。

(2)気軽にされる調査依頼の扱い

よく国から調査依頼が来ます。3日後に答えろということで泣き泣き調査することがよくあります。これは従来サービスでやっていました。(法律の根拠があるものは別です。その場合には予算措置もされます。)法律に根拠のないものは、県民の税金を使うわけですから、金をもらわなければならない。国と委託契約を結んで委託料をもらって調査する。横須賀市は国・県から調査依頼が来たら原課で回答するな、行政管理・財政管理担当課の指示を仰げと総務部長通知を出しています。神奈川県は「お宅だけですよそんなことをしているのは」というわけですが、こうして初めて県も気づくわけです。こういうことをしないと変わらないのです。

(3)条例制定権防衛構想

条例制定権関係では県・市町村の関係も重要です。県条例の中で市町村に関係する条例を好き勝手には作れなくなりました。福井県でも改正の必要がある条例はかなりあるのではと思います。しかし、意識はなかなか変わらない。

ポイ捨て禁止条例を例にします。埼玉県内では、いくつかの市町村がポイ捨て禁止条例を持っています。罰則規定を持っているところもあります。しかし、埼玉県もポイ捨て禁止条例を持つ。これはどっちの事務かです。地方自治法第2条第5項ですが、県は広域的な事務・市町村の連絡調整事務・市町村の規模能力では不適当な事務を行うこととなっています。それ以外は市町村の事務です。ポイ捨て禁止条例が県の事務かどうか理解ができませんが、県が条例を作る場合は市町村の事務であるか どうかを考えざるを得ません。県の事務であるとしても市町村との関係をどうするか、県はフレームワークを作って、市町村に実施要領を作ってもらう。市町村との役割分担を踏まえた「協働条例」的な発想が必要です。

 

 


      協働条例のイメージ               県条例

 


                              市町村条例

   

5.自治体意思決定プロセス

(1)      パブリック・コメント制度

福井県はけっこう先進的に取組まれています。導入してから意思決定プロセスが変わってきているのでしょうか。横須賀市でも、条例に基づいてやりはじめるなど、意思決定システムは少しずつ変わることが期待されます。

(2)不作為のアカウンタビリティの制度化

何もしないときはそのまま置いておくということになります。要綱から条例へという世の中の流れですが、現在の要綱をそのまま置いておくとすると、なぜ要綱のまま置いておくのかということを原課に説明を求める仕組みも対外的な政策法務の1つです。

(3)「決め方」の「決め方」

 不安定になることは見えていますが、それを、住民自治の拡充という観点から行政がどう評価するかです。

 

6.自治体人材育成

人事評価とか組織の意思決定の在り方にまで及ばないとなかなか根づかないと思います。分権担当はどこがやっているのでしょうか。県では市町村課でしょうか。そこの担当者が原課に戻っても、「分権」・「分権」と思っているのでしょうか。原課に帰ると原課の色に染まってマニュアル人生をおくっているのではないのでしょうか。全庁的に戦略的なことを考える必要があります。研修担当―自治研修所の担当者も原課に戻ったらどういっているのでしょうか。研修所を三歩出たら内容を忘れる研修でいいのでしょうか。いかにフォローアップして日々の仕事の中で絶えず思い出して、考えさせる訓練が大事です。研修担当は講師が見つかれば8割仕事が終わったと思っています。後でフォローしようなどという研修所は見たことがありません。研修担当の意識も変えずに、知事の歯車が庁内に噛み合って、庁内の歯車が全自治体に噛み合って回していくということにはなりません。長期のスパンの戦略が必要です。「ハコモノ」を作るなら楽です。数年経てばできます。しかし、分権は長い話です。成果が何かよく分からない。在職中に何か成果が表れるか分かりません。今はトラブルも起こっていないしということですが、「今かく汗は孫のため」として、今は50年計画の2年目だ、この5年でこう改革していくという長期のビジョンで話をして頂きたい。これが首長のリーダーとしての役割だと思います。

 

質問

N:産廃ですが、「住民同意」の問題ですが条例化できないのかどうか。

これから、広域的な行政事務の団体がでてきますが、 [事務組合]の条例化のゆくえ。

交通のアクセス の問題ですが、 人の移動にからむ「権利」はどうなのか。今福井県では、私鉄が廃線手続に入りましたが、それを残すか残さないのか。  少なくと足を守りたいという住民の声ですが、儲かるか儲からないかの損得で議論がされていますが、「移動権」という権利はあるのかどうか。 

T:県と市町村担当で事務移譲の研究会 をしていますが、 どういった事務を県が、どういった事務を市町村がやるべきかです。

 

Y:集落では集会で並ぶ順番を含め全ての順番が決まっています。また、自治会費も班別割とか大きい家は沢山出すことをしています。自治といってもということです。

I:条例制定権 具体的にどこまでなら出来るのか。

M:都道府県と市町村の自治体の2層制についてまだ分権では手を加えられていません。2層制について考えを。 

 

北村:産廃の同意 については義務づけは法的には無理です。憲法違反です。では、なぜ同意制があるのかというと、立地により環境リスクが発生することがあるからです。そういうことを、業者と市民にコストを払わせてやるのがいいのかどうか。

  環境省にいわせると、1997年の法改正で、産廃処分場が水源地の上に立地することはなくなったはずだという見解ですが、もしもそうではないとすれば、立地規制しかありません。同意が取れたからいいのかというものではない。客観的に生活環境の保全と公衆衛生の確保という廃掃法の目的は  同意があろうとなかろうと、実現しなければならないわけですから、廃掃法が不十分ならば県が条例でやるべきです。

  広域は難しい。利害対立もあり、あまり利害がからまないように、関係自治体が同じような条例を作って結果的に広域的になるということがいいのではと思います。景観保全とか、水質の保全とかで各自治体が作ってその地域を同じ条例でカバーする。

交通:憲法上は交通権を権利として主張するのは難しい。憲法上の権利は国家に対するものですから。

何が県事務でなにが市事務かですが、 滋賀県はポイ捨て禁止条例を県条例で持っていますが、全県にかけるのではなく、琵琶湖の周辺にポイ捨て条例をかけています。全県的関心事かどうかでかけています。オール福井かどうかです。規制条例ならば、環境アセスメント条例は大規模なものです。 補助金とか、意識啓発をするとかもあります。「 協働条例」といことでの合体方式もあります。一種の条約方式です。

決め方の決め方をどうきめるかです。伝統的な決め方 がおこなわれていますが、この点では 法律は役に立たない そもそも論でしかいえません。分権は 多様性を認めることですが、その多様性ゆえに人権侵害が起こったり、非効率なことが起こったりということは具合が悪い。憲法の持っている住民福祉の向上を図る、住民福祉の向上とは福井では何かを議論し、近くしか見えない自分たちを相対化して考えて見る仕組みをつくる。オール福井の中で考えて見ることです。

条例制定権――越えてはいけない一線です。法令には違反できませんが、具体的には  水質の排出基準は全国的に決まっていますから、これを緩めるのは違法だといえます。

都市計画法の開発許可の基準ですが、建設省的解釈では条例をつくっていいよと書いてないのは違法だ、やっていいことは書いてあるというのが国のいいかたです。私はそうは思いませんが。

県の仕事として広域、連絡事務で何が残るかです。 土地利用計画では県では細かいものは作れるはずがありません。環境では市町村ごとにバラバラにつくって全体でハッピーになるかというとそうでもない。調整の必要があると思います。視点として広域・狭域があるとは思います。

 

 

 

講師プロフィール

  北村(きたむら)(よしのぶ) 氏

1960年 京都市伏見区生まれ

1978年 同志社高等学校卒業

1983年 神戸大学法学部卒業

1988年 カリフォルニア大学バークレイ校

大学院「法と社会政策」プログラム修了

 

1990年 横浜国立大学経済学部助教授

1991年 神戸大学法学博士

2001年 上智大学法学部教授

【著書】

『行政執行過程と自治体』(日本評論社)

『産業廃棄物への法政策対応』(第一法規) 

『環境政策法務の実践』(ぎょうせい)

『環境法雑記帖』(環境新聞社) 

『環境法入門』(共著:日本経済新聞社)

『自治体環境行政法』(良書普及社)

『自治力の発想』(信山社)

現在、「よりみち環境法」を『自治実務セミナー』に連載中

 

 

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