Section 4 ポロブドール
3日目も晴天.まだ暗いうちにホテルのロビーへ出ていると迎えが来てくれた.空港で”ジョグジャガルタに迎えがきていますから.”と言われて別れる.広い空港の待合室で外を見ていると,朝焼けに例の”ガルーダインドネシア”の旅客機が輝いている.待合室から滑走路に出ると,朝の空気が心地好い.中国もそうだったが,ここの空港も広々としている.
ジャンボが並んでいるので大きな飛行機かと思えば,日本でいえば,YS-11のような小型のプロペラ機で,飛行機のおしりから機内に入った.機内に入ると,けっこう古い飛行機のようだ.後の方の右側に席に座る.飛上がると,美男のスチュワ−トがサンドイッチを配る.窓の外は,朝の光がまぶしくてよく見えない.下の方は雲海かな?天井の1ケ所に小さな穴があいているらしく,外気がガスが吹出すように入ってきているのが見える.”大丈夫かな?”なんて思いながらの1時間あまりのフライトだった.けっこうウキウキした.
ジョグジャガルタの空港もまるで一昔前の地方のJRの駅のような作りだった.空港の前へ出ると小さな駅前広場があり,後には柵の向こうに滑走路が見える.外へ出てキョロキョロしていると,女性が寄ってきて名前を尋ねられる.今日のガイド女史と挨拶をしていると,さっきの飛行機のスチュワ−ト氏が走ってきて私に黒い小さなものを手渡してくれた.よく見るとカメラのキャップである.飛行機の座席に落としてきたらしい.お礼を言ったが,あちらは理解してくれたかどうか.ロ−カル線のようなうれしい話だった.
車は,ジョグジャガルタの郊外から市内に入っていく.テンパサ−ルは明らかに田舎の中心都市だったが,こちらはある程度都会のようだ.大きなホテルについて”何かな?”と思っていると朝食を食べろという.日本人の旅行は,とにかく食事はしっかりとらせるらしい.よくあるバイキングの朝食だった.朝食のあと,車は郊外へ向かっていく.こちらで初めて見る4車線の道だ.車の数も多い.日本で言うと中古車が廃車になったあと位の車,ぼろぼろ,のろのろの軽トラック,そしてバイク・自転車が車に混ざって−まさに混ざって−走っている.スピ−ドの出る車はけっこう走り,そうでないのは,のろのろと走る.で,ガイド氏の運転がこれがまた荒っぽい.”プップップップ−ププッ”とクラクションとウインカ−を鳴らしっぱなしでどんどん追い越しをかけていく.かなりのスリルである.”あれが独立記念碑・・・”という案内を聞いたころには,大きな四角柱のモニュメントがどんどん後へ飛んでいく.
郊外に出ると車はかなりへったが,スピ−ドは衰えない.ここまでくると感心してしまう.だいたい2車線の舗装道路だ.郊外の風景は,道路の両側しばらくは水田だが,すぐに深い森がある.気候的に豊かで耕地をむりに広げる必要がないのだろう.
快走する車が急ブレ−キを踏み,路肩に車を寄せた.何事か?一瞬,身ぐるみ剥がれるかと思ったが,あれがバナナの花だと言う.まだ青いバナナの房のしたに,赤いタケノコをつるしたようになっているのが花だという.ふうんという感じだった
車はどんどん山のなかへ入っていく.途中,バスタ−ミナルらしきものがある町が1ケ所在った他は,どんどん奥に入っていくようだ.道はだいたいいいのだが,道の両側から畑がなくなるころ,工事中のようになった.ポロブド−ルの少し手前で渡った橋から見えた光景は,河の両側はジャングルのように見えて,印象に残っている.そして,しばらく森の中の道を走ると,森を切り開いた公園のような所に出る.駐車場で車を降り公園の入り口へ行くと,門から真っ直ぐ遊歩道のような歩道があり,正面にポロブド−ルの大ピラミッド?がある.両側かなりの広さが芝生の公園になっており,広々としている.ガイド女史に説明されながら,遥か向こうの遺跡まで歩くような格好になる.うっそうとしたジャングルの中で発見されたと読んでいたが,日本風にいうと,”ポロブド−ル遺跡歴史記念公園”といったところか.広々とした公園の中なので,意外に小さく見える.
しかし,真近にせまるとかなりのものだ.遠くからは緩やかにみえた石段は意外に急で,見上げるような感じだ.真下に立つと,見上げるばかりだ.正方形を上に向かってだんだん小さくしながら積み重ねていくような形をしている.意外と小さな石で築かれている.各層の回廊は,塔や仏像で装飾され,(ソウバ塔のようなものが乱立している.また,各層に登る階段は,石門をくぐって登る様な形になっている.)壁には細かい彫刻がされている.上の方の階は,回廊も広く,石のド−ム(かご)のなかに仏像が入っているようなものが多数立っている.1体だけ仏像がむき出しになっているのはポロブド−ル開発の反対運動によるものだという.遺跡の頂上は,ド−ム状になっており,先端には避雷針だろう.周囲(というより地平線)を見回すとずっと密林(ジャングル)だった.青い空の下に深い緑色がずっと広がっていた.
8-9世紀に築かれたとされるこの大遺跡は,ほとんど由来がわかっていないというのが,神秘的である.(ポロブド−ルは,何世紀もの間歴史の中に埋もれていたが,1800年ごろに再発見されている.)日本の奈良の仏教寺院群は,歴史には名は残されない庶民の汗と苦しみの中で築かれたものである.ここポロブド−ルの由来は今後の研究でどこまで明らかになるかは解らないが,おそらくここも歴史には残らない庶民の苦しみのなかで築かれたのだろう.そして,この大遺跡を築かせた王の名も残らなかったというのは皮肉のような気がする.
ポロブド−ルの帰路は,まず,近くの農家での黒砂糖を作る様子を見せてもらった.車を降り,密林(私たちにはそう見えた.)の中の小道を行くと,竹の皮を編んだような壁の家の前に出た.いかにも農家という感じの家の一番手前の部屋に入った.そこは,いわゆる”作業場”といったところで,土間だけの部屋だ.手前にかまどが3つあり,奥にテ−ブルがある.本来ならば農作業の道具や農産物が無雑作に置かれている部屋だと思うのだが.意外とこざっぱりとしたおじさんがかまどに乗せられた鍋の茶色の液体を混ぜている.子供のとき母が作ったニンニクのどろどろに溶かしたものを思いだした.ガイド女史の説明ではヤシ(だったと思う)の果汁を煮詰めて黒砂糖にするとの事.机の上のビンにあったでき上がりを少しかじったが,やや,しつこいほどの甘さだった.
ジョグジャガルタに戻ると,ガイド女史は”どこか行きたいところはないか?”と尋ねるのだが,よく解らないので繁華街を少し歩くことにした.道は2車線,両側に歩道.車道には車が多くはしり,歩道には露店があって洋服やかばんを売っている.ちょうど私たちが子供の頃の福井駅前の,それもマルマンの前あたりのようだ.日本人としては,大きい方の私たちもここでは平均以下だろう.外国という緊張もあってまわりのひとは見上げるように感じた.
いろいろな店があり,覗いてみたいところも多くあった.薬屋らしいものもあった.しかし,やはり個人商店風の店に入るのは敬遠した.また,町を歩くアンちゃん風のひとが,片言の日本語で話しかけてくる.そのあたりもやはり怖くて,足早に歩いた.結局,店に入ったのは,ス−パ−(といっても日本のコンビニエンスぐらいのサイズ,内装もまさにそれくらい.)とその2,3階の雑貨店だけだった.買ったものは何本かのジュ−ス類.これをホテルの冷蔵庫の中の物と入れ替えようという考えだ.バリまできてセコい話ではある.街の外を歩くとかなりの緊張感であったが,まあ,店の中は安心していた.特に変ったものというのは気がつかなかった.後から考えると惜しい事をしたと思うが,その時はやはり恐怖が先にあった.
待合わせ場所にもどり,空港まで送ってくれた.日本でいう駅の改札口風の,空港の出発ロビ−でガイド女史と別れ,ガランとした待合室で待った.外はにわかに曇だし,薄暗くなった.20-30年前のような,木造の待合室にいると何か,外国ではないような,見た事があるような,不思議な気分だった.そうだ,昔の小さな小学校の講堂のような作りで,また,これも昔国鉄の駅の待合室にあったような木の長椅子が1方向に並んでいる.そういえば,中国の桂林の空港も似たような気持ちになったな.
帰りの飛行機も”大丈夫かな?”という感じの機体だった.朝はかなり後ろの方のせきだったが,こんどは前から2番目の北側だった.曇りがちだったが,上がると午後の日差しがまぶしい.前の席は軍人だろう.軍服で,いかにも公用出張といったム−ドだ.やがて,また,朝同様軽食が配られたが,今度は手ごわかった.なんて言うのか分らないが,インドネシア風押しずしといった感じのもので笹をはがすとあまずっぱいというか,腐ったようなにおいがする.さすがに今回はパスした.件の軍人は本を読みながらさも普通にほおばっている.今度は,操縦席のドアが少し開いている.そのうち,日本人の子供がのぞきに来た.しばらくすると,スチュワ−ト(朝とは違う人)が気をきかせてドアをあけてやる.そのうち親がカメラを持ってやってきて何組かの親子が記念撮影会となった.ロ−カル線のような光景だ.そのうち,日本人の女の子のグル−プもやってきてキャッキャいいながら写真を取っている.やがて,バリが近づいたのだろう.ドアは閉められた.
