今回は平成8年11月10日発行された「みち」から一部を紹介します。

<目次>
あぜみちのシグナル(中川清)/百姓するて、大変なこっちゃなー、けどおもろいで(伊藤直史)/ゆとりと豊かさ(名津井萬)/私の夢(三木麻琴)/「引きこもる」という現象(細田憲一)/放言・妄言【四】(鋭角子)


あぜみちのシグナル
中川清

 この夏、地域の集団検診を受けたら、「少し異常が見られるので念のため精密検診を受けて下さい」という一通の手紙が来た。
 指定された九月上旬に日赤福井病院で、検査を受けた。
 いろいろ検査され、結果は「一週間後ですから聞きにきて下さいね」と云われ、稲刈りのメドがついた頃、仕事の途中に軽い気持ちで病院に立ち寄った。
 田中副院長から「胃にガンが出来ています。出来れば今日にでも入院し、事前調査後、早急に摘出手術を受けて下さい」と云われた。
 晴天の霹靂(へきれき)である。全く自覚症状もなかったし、健康にも自信があったので、予想だにしなかった結果であった。「ガン」の一言で、目の前が真っ白になった。
 ふと去年一二月に亡くなった家内からの「お迎え」がきたのかと思った。
 「先生、暫く時間を下さい。気持ちの整理をしたいです。」とだけやっと言えた。
 「じゃ、一週間待ちましょう。連休明け手術の予定をして、その間は通院して手術に備え、事前検査を受けて下さい。」という医師の声もうつろに聞こえた。
 一人で悩んでもしょうがないので、夜、家族に話した。心許せる人にも相談した。知り合いの医師や、看護婦経験者にも種々聞いた。
 そういう中で、かねてから「胃ガン」という噂のあった吉田市会議員のお通夜に行った。
 「今なら一〇〇%治ります。君のこれが治らなければ、今後、集団検診で早期検診早期治療の金看板を下ろさねばなりません。」この一言で決心して、入院の日を迎えた。翌九月一九日、手術。全身麻酔と硬膜外麻酔の併用でほとんど痛みは感じなかった。摘出された胃内壁は、素人目にはピンクで綺麗だった。
 体力のあるうちの手術であったためか、三日目には自分でトイレに立てるようになったし、四日目には手術で小さくなった胃に、初めての食事重湯を食べれるようになった。
 それから約二〇日間の入院中、健康についていろいろ考えさせられた。
 健康の喜びとは、まさに農村における収穫の喜びであると思った。喜びには二つある。
 一つは、皆が幸せになる、誰も傷つけない喜びである。健康とか、農村における収穫の喜びはそのさいたるものでしょう。
 二つ目は、有頂天になっての喜びである。これはお金が儲かったとか、勝負に勝ったとかの喜びで、その陰に誰か傷ついている人を忘れてはいけない。
 国際化社会の中で、日本がとかく問題視されるのは、日本人の喜びがこの二つ目のものでありすぎるのではないだろうか。
 共存という言葉が盛んに使われている。生産者も消費者も一緒になって喜びを分かち合いたいものである。
 今年も「あぜみちの会」の収穫祭が行われる。

百姓するて、大変なこっちゃなー、けどおもろいで
勝山市 伊藤 直史

 空前の大冷害の平成五年。かわいい、かわいいヒヨコちゃんが二回も野良犬?に襲われた年。三度目のヒヨコちゃんが成長し、卵を生み出したら、尻つつき。成鶏でのデピーク。
 平成六年の大猛暑。この年入れたヒヨコちゃんらが、大きくなってコクシが発病。いろいろあってえらいことですわ。
 そこで考え、つつき、病気対策にと育成鶏を入れたら、またまた平成七年の猛暑。ヒートストレスでみんなバテバテ。卵は産まんわ、死ぬわ、冬になったらIBの病気にかかるは、またまたえらいことですわ。ほんで十二年ぶりの大雪、北谷で雪が降るのはあたりまえです。でもでも多すぎる雪。あーしんど。
 大雪がおさまったら、鶏さんらみんな元気になって、卵の洪水。送れ、売れの毎日。えらいこと。そして、そしてロートルの鶏さん、涙々で、かしわ屋さんに引き取ってもらったら、今年も暑い夏。予想より卵の数が減って、卵の配達お休みの電話。またまた大変なこっちゃ。おまけにエサ代の値上げやら何やらいろいろあって、三年数カ月が過ぎました。
 けど、今自分で思てること、感じてること。
 百姓するて、命あるものと生活することです。その時々の条件で左右されるのがあたりまえと思う。小屋の中で走り回り、砂あそびしている鶏さん見て、そう思います。
 鶏さんの仕事して一番思うこと。
 彼女らは一生懸命生きてるを感じます。エサ食べて、水飲んで、青菜得て、日だまりでごろ寝して、力をこめて、卵産んでくれる。それ見て、あったかい卵集めてそう思います。苦しいのはおれだけとちがうと思います。
 今、日本の養鶏業界、倒産寸前らしいです。一億数千万羽いる成鶏めすにあたえる飼料代がおそろしく高くなっています。物価の優等生といわれるほど安い卵価、冷夏の後の三年連続の暑い夏。どことも赤字経営で、養鶏場があっちこちで倒産しているらしい。これからももっと苦しくなるらしい。でも日本の国に人口より多い鶏さんが、本当に必要やろか。スーパーの客寄せ、目玉商品としてしかほかしようのないほどの膨大な数量の卵がほんまに必要やろか。命ある鶏さん、せまいゲージに押し込めて、卵を産ますだけの最低最少のエサで育てて、何回も強制換羽かけて、ボロボロの鶏さんにして、卵を産ますだけ産まして、命すりへらさして、これでええやろか。だれがこんな養鶏業界にしたんや。みんな考えなあかんで。
 わが家の鶏さんらに喜び、与えているとは思えませんが、自分の体でエサと水とナッパ運んで、自分の手で卵集めて、自分で頭下げて配達して、お客さんに喜んでもらってお金もらってます。
 大変なこっちゃけど、鶏さんにも、お客さんにも、嫁はんにも喜んでもらえる様に、えらい思いもして、考えて鶏さんらとこれからも生活します。お百姓することって大変なこっちゃけどなー。


ゆとりと豊かさ
名津井 萬

 私の月々の行事予定を書き込む暦は、農閑期になると、会議や研修会などで黒く塗りつぶされて行く、よくもこれほど重ならないものだと感心する事があるほどだ。  殆どが酪農と稲作に関係するものであるが。
 私はそれらの会議や研修会には、出来るだけ出席する様に心がけているつもりだ。会議などで多くの人の意見や話を聞かせてもらい非常に勉強になっている。人それぞれだが、まったく逆の見方や意見を述べる人もいて、良くも悪くも成る程と思うことがある。
 研修会などでの講師の話は、何十年の歳月をかけた研究成果や経験を約一、二時間ほどで聞けることは、心して耳をかたむけるべきだと思っている。また色々な会議や研修会などで、多くの意見や話を自分なりに解決し、自分の知識にさせてもらっている。
 色々な人の意見や話が、いくつも幾つも重なり合って自分の知識となり、自分の意見、信念、哲学に連なって行くものと思っている。
 宮本武蔵のことばに「われ以外、すべて師」と言う言葉がある。
 会議や研修会などに出席する事は、私にとっては楽しみでもある。
 ゆとり、豊かさは人によって、それぞれ色々だが、私にとっては、会議や研修会に出席する事は一つのゆとりであり、豊かさである。そして、ゆとり、豊かさの中には楽しさが加わっているものと思っている。

私の夢
三木麻琴(見谷ナーセリー研修生)

 私の育った町、遠敷郡上中町は、山に囲まれた緑の豊かな町です。
 今、新しい企業がたくさん上中町へと進出してきました。これで若い人も都会に出ることなく、地元で就職できるでしょう。町もにぎやかになります。
 私は産業が活性化するのと同時に、農業も活性化することを願っています。その為には、今私が感じている「農業のすばらしさ」をみんなにも伝えることが必要だと思います。もし「私がしたい農業」がその役割をしてくれるなら、とてもうれしいことだと思います。
 私の夢は、私の町にたくさんの花を提供することです。まだ不安ながらに花苗の研修をしているけど、「実現できる力のある私」をつくることを目標として、後悔だけはしないようにと毎日を送っています。
 一年の研修期間もあと五ヶ月となりましたが、応援してくれる人のためにも、もちろん自分の夢を叶えるためにも、「ガンバロウ」と思います。

「引きこもる」という現象
臨床心理士・学校カウンセラー
細田 憲一

 新聞などのマスコミでは、平成六年の年末頃から、再び「いじめ・いじめられ」が取り上げられつつあります。いじめられている側の辛さ・苦しさは、以前にも増して深刻です。しかし、それに関連して気になりつつあるのは、人と接触することを極端に拒否して、自宅や自室に閉じこもってしまう引きこもりタイプの生徒が増加していることです。このような傾向を回避性傾向と呼んでいます。この回避性傾向は単に不登校生徒」だけの現象ではないと思われます。「オタク族・マユ族」などの言葉に反映されていますように、現在の日本の青少年全体の心理的行動特徴ではないかと考えられます。
 A男、高校二年生。新学期が始まって一カ月、父親に連れられて相談室に来ました。「学校を退学したい、すぐに辞めて歌手になりたい」と訴えました。自宅では、四カ月前から退学したいと母親に訴えていたといいます。A男は、幼少期から集団にとけ込めず、小学校高学年頃からいじめられ、中学校へ進むといじめがエスカレートしたのか、ナイフや刃物を持たないと外出できなくなったときもあったようです。度重なるいじめを受けたにもかかわらず、両親や教師には訴えることもありませんでした。高校進学に際しては、自分を知る人間が誰もいない離れた地域の高校を選びました。高校進学後は、いじめを受けた様子もなく、欠席もありませんでした。しかし、二学年への進級が確定した三月、突然担任のところにきて、「学校を辞めて、歌手になる」と伝え、それからのA男は、自室でファミコンをしたりCDを聞いたりの生活で、家族以外の者との接触を避けるようになりました。歌手になるとといっても、どこかへ練習に行くわけでもなく、何か資料を集めるわけでもありませんでした。
 B男、高校一年生。新学期が始まっても最初の三日間しか登校せず、母親が一人で相談に来ました。中学二年生から不登校状態であったようです。深夜遅くまでファミコンをしたり、CDを聴いていて、明け方になると眠って夕方になると起きて動き出すという生活でした。土曜日・日曜日には特定の友人が来ることもありました。しかし、昼間、明るい時間帯は外出しません。父親が帰宅する時間になると、避けるようにして自室に篭もってしまいます。母親が登校するように促しますと「学校を辞めて、プロのギタリストになる」と答えます。高校に合格した時、」買ってもらったギターはありますが、練習している様子もなく、どこかへ習いに行く気配もありません。
 C子、一年生。中学時代から、かたくなな表情や態度で、登校や授業を拒否する事が多く、高校入学後の生活が危ぶまれていました。中学時代から同級生がたむろするようなところへは一切でかけず、近所にも一人買い物に出かけることはありませんでした。高校入学後は、」クラスの子の誘いで放課後であれば相談室からクラスに入ることもありましたが、最後まで同世代の大勢の者がいる集団には参加しませんでした。
 ここで取り上げた三例は、いずれも回避性傾向を強く示しています。私の印象からすると、引きこもりは男性に多いもののようです。日本という社会が、男の子にとってより重い負担を感じさせているのでしよう。また、傷つきやすい場所、避けたい場所として、同年齢の集団をあげる者が多いようです。同年齢集団から自分の存在を隠すことによって、危うい自分の何かを必死で守ろうとしているとも思えます。
 では、それほどまでにして守ろうとしてるものは一体何なのでしょうか。私は自尊感情(プライド)ではないかと考えています。
現代の青少年は、私達大人が想像する以上に、もろく壊れやすい膨張したプライドを持っていると思われます。このもろいプライドを育て上げた大きな原因として、日本の少子化社会があげられます。現代の子供たちは、幼少期からまるで「王子様、王女様」のように育てられています。プライドが肥大しないはずがありません。そして、このプライドが最初におびやかされるのが、学校という特殊社会であろうと思われます。同年齢の者だけが集められた特殊社会への参加で、王子様達は一転して、まるで「兵隊にような仕打ちを受けた」思いになるであろうと思われます。
 回避性傾向の程度は、兄弟間の葛藤や、近所の子供達との遊びを通して、傷つきやすさへの抵抗を育てていた子供と、そのような機会に恵まれなかった子供との違いではないかと思われます。大人が必要以上に「いじめられないように、ケンカをしないように」と配慮し過ぎて、子供同士の自然な交流を妨げないようにしたいものです。

放言・妄言【四】
鋭角子

◆ものを作る人は減少し、ものを作れと指示する人は増加する。
◆理想と現実の整合性をどのように取るか、現世はあまりにも現実優先である。
◆緑あっての花の色、花一色になれば人は狂う。
◆プロの限界を打ち破るのはアマチュア精神である。
◆スポーツの番組におけるアナウンサーの興奮と絶叫の白々しさ。
◆山間集落の手入れの行き届いた野菜畑のなんと多彩なことよ!
◆気配り過剰の世界、官僚社会の体質か、農村社会の特質か。
◆一人の人間の思考、行動パターンはほとんど変わらない。スケールを違えて繰り返し現れるだけである。
◆紙のおしぼりとスパーで売っている薬味を出すようなソバ屋は駄目である。
◆技術開発には命の視点があるか。
◆どんな小さなことに対しても怒りを忘れてはならない。
◆放射能とO−157、見えないものへの想像力の欠如と異常な恐怖心。
◆都市の膨張はガン細胞の増殖そのものである。
◆農村・山村が都市を養う。
◆情報過多の中での情報不足、肝心の情報が隠される。
◆銅山跡の荒涼とした風景、後始末をしない人間社会の典型。
◆ダムは地域の持つすべての可能性を抹殺する。
◆人間は何ほどのこともできないが、可成りのことは出来る。
◆それぞれの地域がそれぞれの形で回っている。それを大事にしたい。
◆中二階はいらないという思想。
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