あぜみちの会ミニコミ紙

みち40号

(2005.10.25)


シグナル40

福井市 中川 清

 環境のことを考えて、電気の消費を抑制しようと・・・ 紙の消費も同じ事がいわれています。
 しかし、一方では、電力会社を中心に、電気の消費を伸ばそうと電化をすすめています。
 紙の業界も、新しい紙の消費開拓をと、繊維の部門や、食器の部門にも、加工技術を駆使して、環境にやさしい新素材材開発をと・・・進出をしています。皆な、汗を流し一生懸命なのです。

 四月になりました。だんだん暑くなります。汗をかく時期になりました。
 近来、人は汗をかく事が(かく機会が)少なくなったとは思いませんか?
 至る所に冷房が効いている。そのうえ、勤労を(汗をかく肉体勤労を)何となく避けるので・・・汗をかくことを回避している気がする!
 人の体は、老廃物を排泄することによって、新陳代謝が活発になり若さを保つのです(献血をすると新しい血が殖えるの論理)。だから栄養を取るのも大事ですが、老廃排泄をきちんとすることが、実はもっと大事なことなのです。排便排尿だけでなく、深呼吸だって、目一杯息を吐いた後、深く息を吸い込むのが基本でしょう。医師は、排便・排尿・口臭などでその人の健康をチェックします。体のなかに、大事に古い汗をしまって置かなくってもよいのです。そんなもの捨てましょう。垢(あか)だって、雲脂(ふけ)だって捨てるんです。汗をかくことは大変な意義があるのです。今年も春の農繁期を迎えます。そこで太陽の下、健康的によい汗を思いっきりかいて体をリフレッシュ、若返りましよう。


楽しい収穫祭

越前町 北幸夫


 久々に晴れの日の続いた三月九日、片岡さんという女性に偶然出会い、「あら、あぜみちの会の北さんじゃないの」という事になり、実は、その時、私は春江町針原にて、昨年の台風で飛んだハウスの建て替えを頼まれ、作業をしていました。近くでハウス屋根用の特殊な手造りハシゴを見つけ、これは便利だと、そこの人に「ちょっとこのハシゴを見せて」とお願いしたら、そこが片岡さんの農場だったのです。「片岡さんはここの人だったの!」から始まり、昨年敦賀市木崎町の上野さん宅での収穫祭の楽しかったことが彼女の口からポンポンと出てきます。私も何年前からだろうか、彼女を知ったのは?片岡さんは収穫祭には必ず出店され、彼女にしか無い工夫した加工食品等を出品されています。

 彼女のことばの中に「私等の収穫祭はのぉ、お客さんからの話や語らいが何よりの収穫でぇ!それにも増して生産者のみんなにお会いできるのが1番の楽しみでぇ。皆に逢えるのが楽しみで頭張られるんですぅ。上野さんから何回も電話戴いたのも忘れられんわ」「体、かたかったさけ、ださせてもらわれたんですぅ」と、特に昨年は予想以上に売れて完売で、「あんなに楽しかった事なかったわ!」と話が続き、ご主人も加わり時の経つのも忘れて、何十年前からの付き合いの様に、最後にはねじ大根を沢山載いて帰りました。

 収横祭りはいろいろな出会いをつくるんですね!

 上野さんご一家にはご家族ぐるみの取り組みで大変なお世話になり表した。敦賀では最初という事もあり、心配もいたしましたが、幸い天の恵みもあり、暖かいハウスの中で、松井さん親子のやきいも、地元漁家の方々の焼きいか、焼きサバ等の熱も加わり、独特の雰囲気の中での収穫祭、本当に多くの人達にご来遊を楽しんでもらいました。

 私事ですが、敦賀の古田刈に娘が嫁いでいますので、小学生の孫三人も上野さんのいちじくアイスクリーム販売に参加させてもらいました。ことの外たくさん売れて、上野さんからお褒めのお小遣いまで戴いて大よろこびで、「来年も敦賀でやってよ!」とのこと。

 いろいろな多くの楽しみを残して、「'04 収穫祭 in 敦賀」は、ご参加いただいた皆さまの心に残る催しとなりました。

 主催された上野様のご一家、木崎の街のみなさまに感謝しながら、今年も今から計画を練り、久々に福井市内の方々にお願いして、開催できればと、話し合っているところです。昨年は度重なる災害にも遭いましたが、それを乗り越えて今年も楽しい収穫祭を迎えられます様にと願っているところです。

   


     福井の専業農家・その群像(第4回)
         義元孝司(54)米パン倶楽部・アジチファーム代表

                            (写真・文松田宗一)


 たゆとう九頭竜川
広がる田園地帯に
「米パン予約販売、宅配」の看板
農産物の直販店を中心に販路を拡大
開業から半年、米百俵から千俵の加工消費を
米作りに頼ることなく、米加工・蔬菜・果樹
地の利を生かしての直販も念頭に
能う限りの可能性と多面的な経営を目指す
サラリーマン生活23年間の夢は
「専業農家」だった
農政や補助金行政への異論は
実践で示すことから始まる
農の専門家を目指さない
自らの思いを農業に託す
そのことが生きる道だと
(写真・文松田宗一)




































《あぜみち中川賞応募論文》

      自然と人の和を求めて

                  敦賀市 佐々江良一


 「ささえたまご農園」の佐々江と中します。読みにくいところが多々あるとは存じますが、ご容赦下さいますようお願い中し上げます。

自然卵養鶏を始める
さて、この地福井県敦賀市は港で栄えた人口六万人の町で、海と山がとてもきれいな所です。その市街から約一ニキロ離れた旗護山の中腹に「ささえたまご農園」があります。
私がこの地で養鶏を始めたのは三年半前で、最初は会社を勤めながら五十羽から始めました。卵の評判も良かったので、会社をやめて専念することにしました。五年後をと考え準備していましたが、会社の制度の選択定年退職年齢が四十五才に引き下げられたのを機に二十七年間勤めた電力会社を退職しました。
その後、鶏の羽数を徐々に増やし、現在、約四百五十羽のボリスブラウンと百羽の烏骨鶏がいます。このボリスブラウンはとてもよく卵を産む鶏なのでこの位の羽数が適当かと考えています。烏骨鶏は健康食品として評判がよいので羽数を増やすためヒナから育成を手掛け、卵や酢卵の販売も増やして行きたいと思っています。
鶏の飼い方は、放し飼いでクズノコ発酵によるエサとたっぷりの野菜を与えた自然養鶏を行っています。おかげさまで病気する鶏はおらず、とても元気で毛並みもきれいです。卵としては、黄味の色が白っぽいとの意見が多々ありましたので、よもぎ粉末を入れて少し改善しました。
目標は、できるだけ多くの人達に、特に子供達に来てもらい、自然の中で鶏とふれあって"自然の恵みの大切さ不思議さ"を感じてもらえたらいいなと思っています。

ふれあい体験教室
養鶏を始めて、少し卵販売も順調になってきた一年後に、私の好きな"卵を使った料理教室"や女房がやっていた"トールペイント教室"を農園で始めることにしました。
その施設として農園にログハウス風の体験教室と合わせてバーベキュー場も作りました。また鶏とふれあうために草や野菜などを自由に与えられるようにしており、鶏が近くに寄ってくる様子がとてもかわいらしく子供連れで来られる人が増えています。卵拾い体験は予約制ですが、拾った卵が"温か〜い"と感激する子供達もいて、とても喜んでもらっています。
利用客も様々で、保育園の遠足、小学生の写生大会、生活学習そして親子の集い、子供会等の各種団体でケーキ作り、トールペイント、バーベキュー利用で一日のんびり過ごされる方もおられます。

ささえたまご工房始める
更にその半年後にはお菓子の工房を開き、プリンやチーズケーキの販売を始めました。福井新聞の「Fu」という雑誌に掲載されてとてもよく売れ、その作り方を教室で教えて欲しいという方が平日でも予約があるほどでした。この忙しさは二、三ケ月までと思いがんばりました。その後は、ぼちぼちの販売状況で、JAのファーマーズマーケットの加工品置場を利用させていただいたり、観光物産展に出品させていただいたりで、毎日ケーキ作りをして、農園に訪れるお客さんに即売できるようにしています。

廃鶏の利用
廃鶏については自分で全ての鶏をある期間に捌くのは難しいので、肉屋さんに捌いてもらって、おいしくいただいています。
できるだけ自分で捌きたいと思っていますので、肉屋さんと相談し最適な方法を模索している現状です。

卵の販売
卵の販売は、ほとんどが個人宅配で、あとは自動販売機や来客で何とか販売できています。配達では一軒の人が数軒分をまとめて買ってくださる人もいるので、配達軒数としてはそれほど多くはありません。また、お客さんとの会話でとても勇気づけられることが多く、地道に一人でも多くの固定客ができるよう定期的に「ささえたまご農園風だより」を出して、鶏の様子や卵の質問に答えるようにしています。昨年は農園案内のパンフレットやホームページを作成しました。パンフレットを配るようになってから少しづつですが、農園に訪れるお客さんが増えてきました。昨年末から鳥インフルエンザの影響で来客は減り、観光農園の道が厳しいものに思えていた矢先に、読売テレビ「どっちの料理ショー」という番組に取り上げていただき、現在はとても多くの方に来ていただき、ありがたく思っています。

夢の料理教室
養鶏の方が安定すれば、料理の方に力を入れて行きたいと思っています。そのため二十年ほど前に通っていた料理学校に再入学しました。一昨年より定期的に通い、卵や鶏肉を使った料理指導を受けています。また、ケーキの販売にあたっても色々のアドバイスをいただいています。まだまだ料理教室といっても体験教室程度のものですので、これを、しっかりしたレシピを豊富にそろえ同じ人が何度も来てもらえるような料理学校に近づけるよう努力したいと思っています。この夢を常に思いつづけていれば、どんな問題や障害も自分の試練として受け止めることができ、道は開けるものであると体感しております。

地域にとけ込む
私は岡山県出身ですので、特にこの地域の方との交流を大切に心がけて行きたいと思います。そのためにできるだけいろんな会に顔を出して人とのつながりを持つようにしています。今は二人の子供が中学生ですので、PTA活動や地区の壮年会活動に積極的に参加しています。また、交通指導員もさせていただいており、毎朝の一時間、学校前の交差点で交通指導と共に地域の皆様や子供たちに挨拶をしております。この一時間があれば、もっと自分の仕事でやりたいことができるのでは…と思うこともありますが、子供達の元気な挨拶が私の励みになっており、今もやり続けています。
まだまだわからないことだらけですが、気張らずゆとりを持って経験を少しずつ積みながら、充実したよりよい農園にしてゆきたいと思います。


《あぜみち中川賞応募論文》

      就農1年目です

                  若狭町 市川 昇

 皆さん初めまして。私は二年前の四月に、埼玉県から上中町へやって参りました。現在上中町の大鳥羽という集落で、一・八へクタールの農地をお借りして一人で農業をしております。さて生まれも育ちも埼玉の私が、何故この土中町に来て農業をしているのか?をこれからご説明していきたいと思います。

 私はデザインの専門学校を卒業後、実家のある埼玉で食品の販売の仕事に就きました。
 そこで二年間ほど働いたのですが、日々の会社勤めという生活の中で「自分にとってこの生活は何かが違う」と違和感を感じていきました。「自分は本当にこれで良いのだろうか?と毎日毎日自問自答していく内に、いつの日かひとつの光が見えて来ました。

 私は幼い頃から自然が大好きだった事もあり、自然に囲まれた所で自然を相手にする仕事で、成功も失敗も自分の頑張り次第という農業に、とても大きなやりがいと魅力を強く感じるようになりました。
その思いはどんどん強くなっていき、ついに「若いうちに思いきって、自分のやりたい事、興味のある事を始めてみよう」と思い立ち、会社を辞め、農業を始めてみる事を決意しました。

 会社を辞めた私は、まず就農先を探し始めました。色々探していくうちに、農業法人の合同会社説明会で、上中町の若い農業の担い手を育成する「かみなか農楽舎」に出会いました。ここで私は、今まで縁もゆかりも無かった福井県とつながりができました。とても運命的な出会いでした。

 「農楽舎」の研修生として迎え入れて頂いた私は二年間、農業を基本中の基本から学ばさせて頂き、今年の三月に無事卒業し、この春から新規就農させて頂きました。冒頭でも述べましたが、今年は一・八へクタールの農地をお借りして水稲一・三へクタール、大麦四十アール、菊とユリを合わせて十アール作付けしました。また現在三百六十平方メートルのハウスを一棟建て、そこで菊とストックを栽培しています。私は農楽舎での研修中に花の栽培にとても興味を抱き、これからもっと花の作付面積を増やしていきたいと考えています。私は水稲と菊を経営の柱とした農業をしていきたいと考えています。
 水稲は福井県での基幹作物でもありますし、何と言っても日本人の主食です。田圃も畑も無い所で育った私にとっては、自分で作ったお米を食べられるという事は、何とも言えない程幸せで贅沢な事だと感じています。農楽舎でみんなで頑張って初めて作ったお米を食べた時の感動は、今でも忘れられません。

 私が水稲と菊を選んだのにはもう一つ理由があります。
もちろん、ただこれを作っていたいとか、この作物を育てるのが好きだからとかいうこと以外に、収入や生活していく事も考えて、自分なりに妥協したり折り合いをつけたりしながら決めていった面もあります。ただ農業が好きだからとか、好きな事だけやって生きていけるほど、現実は甘くありません。でも自分の中で譲れない思いもあります。
 私は埼玉にいる家族には、自分の作ったお米だけを食べてもらいたい。だからこそ、できる限り低農薬、いずれは無農薬にも挑戦していきたいのです。また、自分のご先祖様には、自分の作った菊をお供えしたいのです。菊作りはとても難しく失敗も多いのです。

 経営的に安定しないかも知れません。ましてや素人の私では、なかなかきれいな花を咲かせる事もできません。でも下手なりに一生懸命育てた菊は、毎年実家に送っています。 お正月に帰省した時、実家の仏壇に私の育てた菊がお供えしてあるのを見て、とても心が安らいで静かな感動をしました。

 私は家族やご先祖様だけで無く、他から来た私を迎え入れて下さり、応援して支えて下さっている集落の方々、上中町の皆様のためにも一生懸命頑張って、美味しいお米、美しい菊を育て上げられるようになりたいです。



《あぜみち中川賞応募論文》

      「百姓」

                  若狭町 平岡 貴志

 それまで、私は自分のことしか考えていませんでした。損か得か。自分の立っている所が楽かどうかや、欲望を叶えられるかどうか、大半はお金でした。「お金があれば幸せになれる」と信じていました。また、一人で「なれる」ものだとも信じていました。
それが夢でした。

 男として実家に居るのが恥ずかしい年頃になり、家を出ました。そして、高額な報酬を手にできる職に就きました。
それは恥ずべき行ないをする職でしたが、私は自分の事しか考えていませんでしたので、心も咎めず、一生懸命に働きました。日に日に手にする報酬が増し、私の小さな欲望たちは、次々に叶えられていきました。部屋が小さく思え、どんどん部屋の数を増やしていき、身につけるモノを増やし、与えられる糧以上に食し、五感で感じられる快楽や、快感を追いかける欲望を、どんどんどんどん叶えていきました。その量も数も質も種類も増えていき、ついに飽和状態になりました。すると今度は時が欲しくなり、報酬を貯めるということを覚え、職を手放し、欲望を叶えるために時を費やしました。お日様やお月さんが昇って沈むまでです。

 私の信じていた幸せの案件がそろいました。私は夢を叶えたのです。それはとても楽しく、心穏やかな所のはずでした。
しかし、それは楽(ラク)ではありましたが、楽しくはありませんでした。それまで生きてきた時を否定されたように感じました。信じていたものが実は、ニセモノで、それまでの私もニセモノでした。同時に今までの恥ずべき行ないの「結果」が、返ってきました。報いと罰でした。そう気付いたのに、すぐには受け入れられず、その日暮らしを続けていました。

 年月が経ち、何もする事が無くなってしまいました。お金で遊べる事は一瞬で終わります。ただそれでお仕舞い。
その先に何もありませんでした。また職に就くことにしました。しかし、私の優先順位の一番最初がお金になっていたので、どんな職でも報酬があれば何でもよい、という事になります。職を探していても、目がいくのは報酬の額と如何に私にとって楽であるかでした。自分の優先順位のなんと貧相で絶望的な事か。私は何をしているのか?私は何をしていくのか?それでよいのか?笑っているのか?いけるのか?闇と向き合い、その中で色々な自問をしました。幸せとは、暖かなソファーの様なもので、手に入れることができると考えていました。そして、それがあると無条件で幸せを感じ続けられるのだ、と思っていました。しかし幸せとは、幸せだということを感じるかどうかなのだと覚えました。皆、幸せであって、不幸せから始まっているのではなかった。私は、今までも幸せであったのですが、幸せだということにあまり気がつかなかったようです。時を同じくして本当にやりたい事、無条件に楽しいことが、はっきりとわかりました。人の心を傷つけていないか、人の為にもなっているかを考えた上で、やりたいと心で感じた事を、自信と勇気と覚悟を持って、やりぬけば良いのだと。

 自分の中にあったのです。生まれてから二十六年が経っていました。
私はモノをつくることや、生き物や生き物の生きている近くにいることが大好きです。
私は糧を自分で育て、自分に必要だと感じるモノは自分で造ることにしました。馬鹿な私にもとても解りやすい流れです。何より、ただ自分のやりたい事をやっていくだけで、腹が膨れ、与えられた糧以上に授かったならば、隣人の腹も膨れる。私はあくる日、農業相談所を訪ねました。

 そして今、私は福井にいます。上中町のかみなか農楽舎という農業法人で、水稲を中心に研修しています。独立を目指して、よそから突然やってきた私に、若狭の方々は親身になって接して下さいます。福井にたどり着くまでに、短期間ですが、いくつかの農家さんで研修させて頂きました。

 初めに伺った香川農家の親方と、お酒を飲ませていただく機会がありました。私は、「お金なんて要らない。生きる糧と雨露をしのぐ家があればそれでよい」といいました。
親方は「あなたはそれでいいだろう。好きなことをすればよい。あなたの奥さんもそれでいいだろう。しかし、子供に手作りのカバンを持たせて、学校に通わせるのか」と仰いました。奥さんも子供も授かっていない身にもわかる、強烈なパンチでした。大切なことを教わりました。

 石川農家の親方やおかみさんは、}三度三度、ご飯を作ってくださり、車で寝泊りしながら研修に周っている事を話しますと、亡くなったお母さんの布団を下さいました。今でも使わせて頂いています。

 突然に訪ねた三重農家さんでは、なぜ農業なのかと聞かれ、「お金で遊ぶ事が、馬鹿らしく感じたからです」と答えると、「お米は短期間研修してもわからないよ。どこかに腰を据えて、しばらくやってみなさい。そうして車で研修に周っているのも、お金で遊ぶのと変わらないのでは?」と論して下さいました。もう何軒か農家さんに伺った身には、まったくその通りだと感じ、旅をやめ、福井に腰を据えました。

 福井に来てすぐのある夜、星が素晴らしかった。それは大気が澄んでいるからで、ということは山は山としてあり、山が山ならば、水は綺麗で、それを授かるすべての生物は健全てあると思い、幸せを感じました。そして今、私は福井にいます。「畦シート」と聞いても、どんな形のものか、どんな使い方をするのか、想像もつかなかった時から、トラクター、田植え機、コンバインなどを次々に田んぼにはめてしまったり、「物を載せたら重くなる」ということや「水は低いほうに流れる」など、当たり前のことなどが予測できなかったり、何故か畦を走ってギブスをする羽目になったり、はじめて米袋の山を見て食べ過ぎ、一冬で十ニキロも太ったり、稲の花に感動したり、猿に馬鹿にされたり、お皿を造ったり、猪や鹿を山から授かったり、餅をついたり、味噌を作ったりしながら、集落の野球チームでご三振したり、放生祭りの奉納太鼓を打たせて頂くなどして、若狭に来てあっという間に二年が経ちました。

 その中で福岡正信さんの「わら一本の革命」とも出逢い、まさにそのとおりだと感じました。当たり前ですが、稲も生きている。私は子育ての経験はありませんが、人の子も甘やかしたり、過保護であったり、潔癖であったりすれば、踏ん張りが利かず、逆境に弱く、体も強くならないと感じます。また、狭い所での過密な生活であったり、インスタント食品やコンビニ弁当を食べ続ければ、大半はどうなるか。稲もこれと同じだと感じます。無責任ではない、愛を持った放任が一番よいのでしょうが、甘やかさず、潔癖症にせず、狭い所より広い所で育ち、肉だけではなく季節の野菜も食べてもらう。不耕起であり、成苗植えであり、無農薬であり、疎植であり、有機肥料であります。佐渡でも不耕起栽培に取組んでいる方々がいらっしやると聞き、早速農閑期にお話を聞かせてもらいに行きました。佐渡農家の親方に、冬でも水を張り続ける、冬期潅水の田んぼを見せていただくと、田んぼのコマに排水ではない溝が掘ってあった。これは何ですかと尋ねると、水を落として作業する時に、田んぼで生活する生物が隠れる所だといわれた。

 とても心にゆとりのある方だと感じた。また、育苗や肥料なども事細かく教えてくださった。出し借しみなどされない方だった。次の年、早速成苗を育てようと思いました。福井の親方にその旨伝えると、快く了承してくれた。育苗中に追肥をやり、田値えの時にはもう一回目の分けつをしていた。風に当たり、雨に打たれたその苗は、苗と呼ぶにはあまりに丈夫でありました。
私が如何に考え、如何に上手に水をやったところで、自然が自然に育てた苗ができるはずもありません。収穫時には一穂に百五十を超える籾がついていました。粒が大きく、立派に見えて、気持ちがよかった。まだお米を作って二回目で、太い事をいうようですが、私のスタイルが見えてきました。

 稲が元気であること。お目様の天恵、稲本干しで乾燥する。くいしん坊なので、当たり前のおいしい米を食べたい。それを追求する。生物は健全であることが、一番強いと信じています。まだ、貸して頂ける農地も決まっていませんが、束年から独立して、水稲一本でやっていくつもりです。

 隣人にもおいしいお米を食ベてもらいたい。肩書きなし、掛け値なし、唯唯純枠にうまい米。そんな米を求める、くいしん坊に愛されるようなお米を作る。そんなお米に育ってもらう。これは、夢なのか、大きな欲望なのか、願望なのか、わかりませんが、私にはっきりと根付いている、私の軸です。




       五 育

                  福井市 名津井 萬

 最近、食育という宇句を見聞する事が多い。また私たち農業者間でも食育という言葉を口にする事が多くなってきた。
 知育、徳育、体育という言葉は良く聞き知るが、他に食育と才育があるそうだ。

 これを「五育」といって、明治時代に日本の教育の基本としたそうである。
今、日本人は自虐的な言動が多すぎる。何でも戦中、戦前の教育論を軽んじている気がしてならない。自虐的な言動は自信と誇りを無くしてしまう。

 五育の中の食育は徳育と体育にも通じるものがあると思う。
 私達の生活で食は欠かせられない。私達は米、野菜、魚、内など生あるものの命を断って生を受けている。そこには感謝の気持ちが生じなければならない。

 今日、飽食で無駄という考えのない食べ方で、食べ残し等が多すぎる。「もったいない」の気持ちと言葉が欠けている様に思えてならない。この「もったいない」の言葉が、今、国際語になりつつあるそうだ。いま日本語で国際語になっているのは、柔道の「一本」「技アリ」「マテ」などである。最近では「津波」の日本語が国際語になったそうである。「もったいない」は感謝、おもいやりが含まれていて徳育に通じる。

 食育は食べ物の生産過程を知り、体験する事で、感謝、感動の心が養われる。その心が徳育である。当然、食べ物の知識と理解は体育につながる。

 先日の新聞に、女性のダイエットが過ぎる様になり、生まれる子供の健康に影響が出ているそうである。
 私の酪農経営では年間、約二十五頭ほどの子牛が生まれる。その時、妊娠中、特に分娩前のニケ月間が大事である。
太っても、やせてもダメで栄養バランスの技術が要求される。

 本年の二月に、私は全国酪農中央会議より「酪農教育ファーム認証牧場」に認定された。
 酪農は、人間教育に最もふさわしい仕事だと自信と誇りを持っている。十数年前から地元の小学校や、近くの幼稚園の児童が、牧場見学や搾乳体験などで訪れて来てくれる。

 私も真剣に対応しているつもりである。それによって人間教育の一助になれば有り難いと思っている。
 日本には世界に誇れる、素晴らしい教育の基本が明治時代に設定されていたのだ。
 「食育、才育、知育、徳育、体育」の「五育」である。それは全世界に通じるはずだ。





       近頃思うこと

                  福井市 酒井 恵美子

 昨年の十二月三目、有機農業技術講座に出掛けました。

 「皆さんはなぜ米や野菜を作るのですか」これが第一声でした。「今、野菜が危ない」「皆さんの髪の毛からは必ず水銀が検出されます」との言葉には少なからず衝撃を感じました。農薬、化学肥料の過剰使用の問題は今に始まったことではありませんが「硝酸態窒素」とかいう耳新しい一言葉に不安を覚えました。

 その一つの例です。
 三月八日。一気に気温が十五度近くまで上昇すると農家の人は一斉に畑に出てきました。馬鈴薯の値え付けと玉葱の肥料まきが中心の作業です。
 地面にへばりついた草は簡単に除草できず、大根を引き抜いてからの耕起もなかなかはかどりません。有機肥料を入れて半月以上ねかせて等言っていては値え付けに間に合わないのです。ましてや休日農業ではなお更です。玉葱にはこれでもかと言わんばかりに化学肥料をどんと撒いて引き揚げていきました。体力づくりとか、土づくりは一朝一夕にできるものではなく、日常的な努力がいつの間にか実るものだと私は思っています。ですから、こんなことを毎年何年もの間続けていたら「硝酸態窒素」の弊害は当然すぎる程当然のことだと思いました。土には農産物の育てる力は、もう残っていませんし、農薬と化学肥料がなかったら作物を育てられないというのが家庭菜園を営む農家の実態かなとも思うのです。

 二つめは、
 先日、地域懇談会があり、JAの人がやって来ました。中藤支部の職員の中で農家の人はたった一人だそうです。
米や野菜はどっちを向いているかを知らない人ばかりで、農家を支えていけるのだろうかと足元の揺らぎを感じました。
一方、農協女性部の学習会は例年意気盛んです。月一回程度の集まりですが、その名称のつけ方が又、私を刺激します。最初は「セミナー」で次は「サークル活動」でした。そして、今年は「カルチャー」だそうです。その理由は、営農ぬきの活動ができることにあるそうです単なるカルチャーなら民間にいくらでもあるじやないですか。農業離れ農協離れはJA自身からとはならないかと考えてしまいます。これが福井市の実状なのでしょう。確かに私の周辺では大規模農家や認定農家は極端に少ないですが、自給用の農家は未だかなり残っています。自給の農家が元気にならなかったら、未来が期待できません。

 元気が出る食べ物から元気をもらい、生き生きと人生を全うする、この地域には福祉施設は要らない、と。こんな社会はもはや不可能なのでしょうか。



       ファームビレッジさんさん
             遂に新装開店


                          福井市 安実 正嗣
 URLは以下のとおりです。
http://www.fv-sansan.com

 去る三月三日、四年間の助走期間を終え、ようやく国道四一六号線沿いにオープンしました。総敷地面積(駐車場含む)千三百六十七平方メートル、建築床面積八十八坪、総工費(備品等含む)六千五百万円、斬新でおしゃれな店です。おおまかには農産物直売と米パン、更にバイキング形式のレストラン部門を併設したものです。

 農産物直売部門には冷蔵陳列棚を二機揃え、農畜・林・水産加エ品も展示し、従来の品揃えからみれば十倍増、総菜、おにぎりも陳列されています。米の販売は十六人まで陳列ケースに展示でき、食べ比べも可能です。入口正面には米パン工房を配置し、前面に並ぶ米パン各種には、これまでにない食欲をそそられます。特に従来の五十グラム生地を半分にした和菓子風パンは、誰もがつまんで食べてみたくなる新商品ばかりです。正面(南向き)右手には議論と研修を重ねたバイキング方式のレストラン(四十席)を配置しました。メニューは、料理研究家出倉弘子さん、シェフは藤間節二氏と豪華メンバーで作り出されます。月々に変化するメニューと、直売所に陳列される野菜を利用した料理は、こだわり農産物だけに食べる人に安心感を与えます。

 農業者のこれからの生き方を考えるために作られ、アンテナショップとしての任意組合ファームビレッジさんさんの立ち上げ(二千一年二月十日)から丸四年・・・黒字の年は一年もなし。続ける事、表通りに出店することを唯一の目標とし、仲間の結束を皆の会議の中で成し得た新装「ファームビレッジさんさん」を是非見に来て頂きたいと思います。

 初代代表中川清氏のあとを受けた見谷晴美代表は、女性の感覚での店作りと経営者としての感覚を充分に発揮し開店にこぎつけました。生産物の出品者も約百名をかぞえ、多彩な顔ぶれでお客様を待ちます。

 逆上って二月二十七日に行なわれた落成式には県知事、福井市長、市議会議長、あぜみちの会々長、地元自治会長、農家組合長等、百五十名の方々に落成を祝って頂き、心から感謝を申し上げます。前途を祝うかの様な晴天と風花、成功の内に終えた落成式でありました。

 ちなみに開店二十日間のレストラン来店者数は約二千五百人。順調な中に変化を作りだし、お客様に親しんでもらえる店作り、農業者の一助となれる店作りにこれからも頑張っていきたいと仲間一同心を一つにしています。



       やぎを飼います (連載その1)

                  福井市 土保 裕治

背景
 資料によると、山羊の数は明治時代から少しずつ増加して来ましたが、大戦前後の食糧不足から乳用山羊が一気に増加し、昭和三十年(一九五五)に六七万頭に達しました。ところが、それをピークに急激に減り、一九九七年にはついに二八、五〇〇頭にまでに減少してしまいました。農業の近代化により、商品価値の高い家畜(牛、豚、鶏)に集中したことが主な理由です。そう言えば昭和三十年代、私が子供の頃は見かけましたが、その後はテレビか動物園でしか見ていません。
 ところが最近になって、国連食糧農業機関FAOでは世界的な二十一世紀の食糧不足に備えて、ヤギや羊のような中小家畜の見直しが始まっていて、世界では増え続けているようです。ここ十年間で三〇%以上伸びて、七億四千万頭を超えたようです。目本国内でもヤギを復活させようとの動きがあり、全国山羊ネットワークという団体が掛け声をかけています。私はその全国大会に何度か参加し、福井でも増やしたいと考えています。

利点
・子ヤギを安く購入できるなど、お金が掛からない。
・ヤギは、エサが人間と競合しない家畜。牧草から木、残渣まで幅広く食べる。
・ 野山の草を有効利用するのに最も適した家畜=まるで草刈り機。
・ 小型で、おとなしいため、高齢者、女性、子供など誰でも飼える。
・ ヤギは愛らしく、人なつっこいため、子供たちの人気が高く、保育園、幼稚園や小学校で命を犬切にする教育に取り入れられている。
・ ミルクは人の母乳に近く、昔から子供の発育増進や老人の健康食として利用されて来た。牛乳でアレルギーを起こすアトピー子供たちに良い。

計画
 次のような希望を持っています。
・メス一〜二頭を夏から秋の間に購入します。
・飼育場所は親しい牧場(福井市内)にお願いしてあります。
・時々、連れ出して放牧させる。出来れば、定期的にどこかの小学校に連れて行く。
・なお、エサ代、飼育専門家や世話をしてもらう方へのお礼、将来の小屋建設費ほかお金が掛かります。
そこで、ただ単に飼っているだけではなく、山羊を使った事業を起こすことを考えています。
○除草作業の請負
○将来は乳製品の加工、販売

問題点
・放牧時、野犬に襲われ死ぬことがよくあるそうです。
・悪い草を食べて死ぬことがある。
・泥棒や子供のいたずらから守る。
・ 朝タ一日二回乳搾りをしなければなりません。
以上の理由から近くに住む必要かおるようです。私は里山に移り住んで、観光牧場を目指そうと考えています。
(つづく)
【エコプランふくい・情報誌「リレーションシップG」より転記】


《連載第六回》
    飛騨自由大学セミナー・講演録
          「人と人」「人と自然」の新しいつながりを求めて

                  福井市 玉井 道敏


 これは二年前に秋田の品評会を見に行きました。秋田では百二十年続いているんですね。今年が百二十五回目です。この時は百二十三回目でした。その途中、アツミカブラってあるんですね。山形県に温海温泉ってあるんですけれど、そこのカブラの産地を見に行った写真です。赤かぶです。こういう色をですね、飛騨の紅かぶと比べて、ちょっと紫がきついかなという感じがしました。大きさは、それほど大きいものではありません。それをこういう形で、塩漬けにするわけですね。あとは液につけて押して、そして今それを調整しておるところです。こういう形で出荷するということです。温海カブラの場合は、これも焼畑なのですけれども、ほとんど加工して出すと言っています。これは泊ったところの、風呂場ののれんに、かぶらの模様がありました。これは途中、秋田へ行く途中に、砂丘地帯で、こういう植物を見つけた。これはマメ科の植物で、クロタラリアという、センチュウ駆除の植物です。そこの家へよったら、ちょうどゴボウの選別をしておりました。例えば加工した温海カブラは一袋二百円か三百円だと思うんですけれども、これは大きな袋で六百円ですね。青果で出すとこんなもんです。

 これは無明社という、秋田県に出版社があるのですよ。あんばいこうという、おもしろい社長かおりまして、その人の所へ遊びに行った時の写真です。無明社。無に、明るい、社ですね。地方出版としては非常に有名な。これは種苗交複合の入り口ですね。品評会、実際は品評会なんですけれども、昔は種苗交換会だったんですね。ここへ種苗をみんな持ち寄って、交換をする。今は品評会が主です。こういう形で優良賞とかですね、こういうものがついてます。これは株のままでこういう稲が全部ぶら下がっているんですね、株で。これは子供達が一年間育てた記録を出している、展示してるところです。小学校。非常に優秀なものについては、こういう楯が贈られる。そのものは、例えばりんごであれば、その人のものはこういうものですよと楯に書かれています。ただ泥臭さがちょっと足りんなという感じがしましたね。非常にきれいすぎて。もうちょっと泥臭くてもいいんやないかなという感じがしました。今年は横手市で行われている。これは花ですね。こういう感じで種苗交換会を石川理紀ノ介という人が、百二十五年前に始めたということです。これは農機具の展示会なんてすね。非常に規模が大きい。別の会場でやっています。これは途中、山形へ移動する時に見た。これは大根と思うでしょ。これはカブラやと言うんですね。これは分かりますね。食用菊ですね。これは阿賀野川の河川敷で、たくさん作られています。こういうハウスでも作っている。ここへは七人で、二台の車で行きました。これは長井市というところがあるんですけれども、ちょっと南のほうですけれども、レインボープランというので聞かれたことがあると思いますが、生ゴミの循環を進めているところです。それのです。こういう感じで生ゴミを集めるわけですね。それを堆肥センターで堆肥にするわけです。その堆肥を使って作ったものには、こういうものをブランド化し、こういう標識を出すということです。

 これも食用菊の栽培です。こういう感じで集めるわけです。これを堆肥場へ持っていくわけですね。ここで堆肥にして、こういう堆肥として出てくる。長井市レインボープランコンポストセンター。これはダイズを作ってたんですけれども、非常に福井ではダイズの収量が低くて、困ってるんですけれども、ここの場合は背丈ぐらいあるぐらい、成長している。これはどっか、かぼちやですね、白いかぼちやです。レインボープランで、そういう堆肥で作った野菜とか、そういうのを売っている。そういう町に、こういうのぼりが立っている。そこでこの方にいろいろ話を教えていただいた。こういう感じで売っているわけですね。そういう店を市内に作っているわけです。
       (以下、次号)
















    「春の雪」
      
                  福井市 小林 としを


みずみずと菊菜に浚く積む斑雪払いて籠に春の香を摘む

早春の庭の日溜りさやさやと切干大根乾く風あり

配色を考え乍ら手すさびに造りし毬に心遊ばす

雪嶺は遠く霞みて早春のあまねく晴れし空に鳶啼く

つと吹きしのみに消えたる日記帳の上の小虫の行方気になる

河川敷の合歓の梢に豪雨時の水位宿して赤きポリ器は

美しく老いし夫婦が連れし犬の小さき足が夕日蹴りゆく

つぐないの思いに歩みて年は経ぬ夫の命日雪の舞う



    秋収め
          
                  福井市 鉾・俳句会


壷焼きを出す半島の秋収め   田中 芳実

吾と子等影の重なる小春空   猪野詰 佐智子

風に湯気飛ばさるずわい蟹の釜   宇野一巳

小春日や志士等の塚の土温し   高谷三恵子

立食蕎麦のんびり啜る冬帽子  滝波トシ

湯気の立つ餅に列なす秋収め   田山恭子

遊ぶ鳥さして名を聞く宮小春   松村伊久江

卵添え酉を象る注連作り   皆川誠道

新牛蒡高く持ち上げ値を問へり   森本絹子

秋収め稲のドライを飾りけり   山川浪江

フレームを巡りて旬の野菜買ふ   吉田早苗





    第12回あぜみち収穫感謝祭
         


日時:平成17年11月23日(水・祝)
   午前10時〜午後3時

場所:JA福井市西藤島海老助倉庫

主催:あぜみちの会(実行委員長 名津井 萬)

バラエティに富んだ農業の姿を楽しんでください




    編集後記       


○今号も発行が大幅に遅れ、ご迷惑をおかけしました。どうかご容赦ください。
○昨年の第6回あぜみち中川賞の応募原稿を三篇掲載しました。佐々江さん、市川さん、平岡さんの三人とも、県外人で非農家出身ですが、並々ならぬ農業への意欲、想い、ひたむきさ、それにアマチュアの純粋さと誠実さがうかがわれ、今後が大いに楽しみです。
○「山羊を飼います」の連載を開始します。書き手の上保さんは、日頃環境問題に熱心に取り組み、あわせて里山での観光牧場づくりに情熱を燃やしています。その手始めに、福井市岡保地区の山林を借受け、山羊を飼い始めました。その熱意が今後どのように展開していくのか、ご期待ください。
        (玉井道歌)

 


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