あぜみちの会ミニコミ紙

みち21号

(1999年冬号)

絵手紙:笹原和代


シグナル


福井市 中川清


 今年も、田植えが終わった。 ほっとする瞬間でもある。
 何か為し得た区切りの一時、かっては「早苗饗=さのぼり」とか言った。今年は、田植え前に統一選挙があって、特に慌ただしかった。為し得た区切りとは言っても、収穫などの時の、為し得た もう終わったの区切りではなく「さのぼり」は、実はこれから始まる為の区切りでもある。  種蒔きを終えたとか、田植えが終わったという区切りは、ほっとしながらもこれからの天候も気になるところだし、追肥とか除草とか、それぞれの適期適切の管理作業が秋の収穫に大きく影響する。  本当にこれからの期待が大きい。
 まさに、この統一選挙が終わったのと似てるといえる。選挙期間中のあの熱気が、ほっとした区切りで熱が冷めてしまわずに、当選者の任期間の期待として、これから実あるものであって欲しいと思う。そのための適切な監視作業が大切なのかもしれない。田植えが終わっても、気を抜く事なく田を見回り、あぜからの水漏れがないかなど水の状態や、生育の情況を見回ることが大切で、昔の人は、「あぜみちに通った主人の草履の足跡の数だけ秋には黄金の稔りがある」と言った。 あぜ土に付いた草履裏の足跡は小判の姿に似ていたから不思議だ。
今は、農作業の価値観が多様化し、兼業農家が多くなったり、集落農業だとか集団体制化が行なわれたりで、個人は、田植えが終わると、後は知らぬ顔ということが多いが、やっぱり基本的には、昔の格言は生きている。 「さのぼり」で雨の休日…、
ほっとして、手足を休めながら、ついこの間の統一選挙に思いをいたし、私が選んだ人の今後の水管理と肥培管理?をも、しっかり監視しなくてはと思った。  この先への期待と希望を持ちながら毎日暮らすことが、新しい活力の源となるのだ。


裏 話


福井市 名津井 萬


 元県議会議長の東郷重三先生(安竹町)より、私に「君の最も信頼出来る者を一人連れて、我が家の虎穴庵に来い」と言われた。私は即座に「同級で親友(心友)の細川嘉徳君(安竹町出身)と行きます」と答えると「それは良い」と返事が返って来た。
 細川君と二人で虎穴庵をたづねると、膨大な資料である。そこで私と細川君に、来年は福井県治水百周年である。我が西藤島は、戦後、福井大震災と二度の大水害(九頭竜川、日野川の決壊)から立ち上がった地区である。
   来年の秋ごろを目標にして、戦後の水害から立ち上がった「西藤島誌」を作れと要請された。
 私はあと一人、編集と印刷の専門家の義元孝司君に協力を依頼した。これで「鬼に金棒である」
 私の住む西藤島地区の中心地に、明治から大正にかけて、九頭竜川、日野川の築堤工事に私財を投じて、水害から西藤島を救ってくれた大恩人の杉田定一先生の謝恩の碑がある。杉田定一先生については「みち」第七号と第八号に細川嘉徳君の労作の文がある。
 この杉田定一先生謝恩の碑の建設地を巡り面白い裏話がある。
 謝恩の碑の建設地は、三郎丸区とT区が土地は無償提供で、ぜひとも我が地区にとお互い一歩も譲らず決着つかなくなってしまったそうである。その時、頓知と奇才のM氏(故人、旧福井校の耕志会長を永らく務められた)は「ヨーシ、籤(くじ)できめよう。籤は俺が作るからどうだろう」と両区に了解を取ったそうである。M氏は西藤島の中心地の三郎丸区に建設を秘かに支援していたそうである。M氏は両区の代表者の三郎丸のI氏(故人)とT区のK氏(故人)に白紙に丸を記した籤を得たほうが決定であると説明した。  早速、折りたたんだ紙籤を二つ作り、即座にT区のK氏に「籤をつまんでくれ」と差し出した。K氏は思わず一つをつまんだ。開いてくれと言ったら、K氏が早々と開いた途端M氏間髪を入れず「どうだった」とたずねるとK氏思わず「アツ、しもたぁ」と口走った途端、M氏「ヨーシ、きまったぁ」と言って二つの籤を取って捨ててしまったそうである。
 そして現在の地に「杉田定一君謝恩之碑」が建っている。
 この裏話は、私の酪農の大先輩F氏(故人)より聞いた話である。

自分流唐氏詩散策(八)


福井市 細川嘉徳


贈汪倫   汪倫に贈る 李白

 李白乗舟将欲行
 忽聞岸上踏歌聲
 桃花瓢水深千尺
 不及汪倫送我情

李白舟に乗って将に行かんと欲す
忽ち聞く岸上踏歌の聲
桃花潭水深さ千尺
及ばず汪倫が我を送るの情に

 李白が舟に乗って出発しょうとしたとき/突然岸辺から、にぎやかな踏歌(見送りに来た村人たちの手とり足踏みしながらの歌声)の声が聞こえて来た/当地の名勝桃花潭(安徽省にある湖)の水の深さは千尺もあるというが/その測り知れぬ深さも汪倫が私を見送ってくれる情けの深さにはとても及ばない。

 春は桜と共にやって来る。桜の花が咲くと世の中が急に明るくなり、桜が散り若葉が光り出す頃になると歓送迎の季節です。世の中は毎年新陳代謝を繰り返して成長して行きます。通勤電車の中も急に明るくなるのもこの頃です。多くの新しい学生さんに混じって見慣れた顔がいつの間にかOLに変身しています。またこのような中にいつもの顔が何人か見えなくなっています。多くの出会いと別れがこの時期に集中します。そしてその模様はそれぞれ人によって千差万別だと思います。
 何回もこのような風景を見てきた私も、今回はこの渦の一人。長らくお世話になった会社をこの四月、年度替わりを機に定年退職となりました。一ヶ月ほど前から引き継ぎも無事終わり最後の期末棚卸しの三日前、会社の花壇(約三〇平方米)のサツキが枯れていたので補植する事になりました。少しばかり造園の経験があることから、枯れ木を取り除き、植える準備をしているうちに、ついでに土を改良して全面植え替えということになりました。会社の業務とは全く関係のないことが最後の仕事になるなんて、なんとも不思議な因縁に思えます。
 「会社を辞めるってどんな気持ち?」「実感が沸かなくてね」そんなやりとりをしているうちについに最後の日が来ました。通勤電車でおなじみになった人、駅の風景などもなぜかまぶしく、雨上がりのせいか木々の緑も一段と美しく見えます。棚卸しが予定より早く終わったので、花壇の手入れが最後の仕事になりました。サツキは来年は咲いてくれるだろうか。そんな思いの中にとうとう別れの時が来ました。
 全社員の前で社長からねぎらいの言葉と記念品を頂きました。まだ実感はありません。
思わぬ人が更衣室まで来て別れを惜しんでくれます。最後のタイムカードを押して外に出ると、社員が出そろって拍手で見送りをしてくれるのです。全く思いもよらないことでした。同僚が駆け寄ってきて家まで送ると言ってくれます。別れと言うよりこの多くの友情の重さに頭を上げることが出来ませんでした。
 よく人生はドラマであると言われます。一般的にドラマは主役、わき役、エキストラで構成されています。とすると、私は今日までエキストラの役を演じてきたと思います。一つの芝居が終わりどん帳が降りた今、一人のエキストラのために作ってくれた花道を降りる思いがします。同僚が運転する車で帰宅する途中、少しずつ実感が沸いてくる中に、この感激がふと李白の「汪倫に贈る」に重なってくるのです。


夢の実現


宇野 肇


前畧  今回はすばらしいみち(二〇号)をお送り下さいまして有り難うございます。
表紙のカラー刷り、中々のこりようです。又内容もすごいパワーです。
先生のシグナルの夢、感謝祭会場設営の道下氏の御苦労、癒しのガーデニングのお話の内容、胸が痛む具体的な実践、他の方の記事も骨があります。最後の中川寛紀君の詩は大人の発想では至らないすごい作品、等々楽しく拝読させていただきました。
 私共、地上での現実のこの世で生きていくと、現実という無常から次なる希望、夢をもたなけければ生きて行くことが出来ません。たとえば昨年の様に自然現象とはいえ、あまりにも過剰な水攻めでさんざんな目に会いました。
 自然の営みには何の罪もありませんからうらみようもありませんが……。 
 よし! 今年こそと期待と希望がふくらみます。
 人間にとっての夢というのはすごいパワーをもっています。何かの記事で読んだのですが、北欧のバルト三国やポーランド、チェッコスロバキヤ、ルーマニヤ、ハンガリー等々の小さな国の人々は幾千年にもわたり強大なロシヤ民族の剣の下に従属させられ、自由などさらさらになかった歴史を続けられてきたので、「人間の自由」を求める夢をもち続け、その夢のために命さえ落としていったとの事です。
 人間にとっての自由と夢、これ程切実で大事な宝はないのです。あぜみちの「みち」は百姓の夢の畦道かも知れません。
 文章とか詩、和歌、俳句とかのすぐれた作品にはどれ程の大小の夢が詰まっているかどうかではないでしょうか。
 今年の干支は己卯です。卯は禹(水治の租)に通じます。

 寅どしは乾坤吠えて
      米ならず
 卯どしにかける
     とんで 跳るか
 卯(兎)は坂登りの名人(兎)跳ねるもうまい
 今年はとんで、とんで、とんではねるぞ
      一月二十日 記
中川先生へ

  文明と文化
        宇野肇
 電気がなくとも
    明るい生活 
 電気があっても
  暗い生活

すてきな ひと しょうかい(一)   

    我が家のふみちゃん



 「おはよー!いい子にしてた?」朝5時半、あたい達の牛舎にいつもの清々しい声が 響き渡る。
 「あっ、ふみちゃんだ」眠たい目をパチパチさせながら、あたい達の1日はふみちゃんの声とともに始まる。“ふみちゃん”こと赤丸扶実江さんは、あたい達の世話を焼いてくれるお母さんなんだ。家族はというと、じいちゃん、ばあちゃん、そしてふみちゃんにぞっこん惚れ込んでるお父さんと3人の子供たち、それに忘れちゃいけないのがあたい達四〇頭で、こりゃすごい家族なんだ。
 ふみちゃんは1日3回、あたい達の顔を見にやってくる。そしてあたい達の部屋を、いつもきれいに掃除してくれるんだ。あたい達ってついつい御飯時には、そこらじゅう汚しちゃうもんだからさ。
 でもそんなあたい達なのにさ、ふみちゃんったら嫌な顔一つ見せずに「ほんと仕方ない子ね」って、優しく顔を撫でてくれるんだ。それがとっても嬉しくってね。今日もいつもの様に撫でて欲しくて頭を出してたらさ、隣のハナも真似なんかして。ムッときたから蹴っ飛ばしてやったわ。
 そうそう、ふみちゃんってああ見えて、実はもうこの仕事を始めて20年のキャリアの持ち主なんだ。子供達だって、すっかり手を離れているようだし。それで自分の時間がとれるようになったせいかしら、何やら面白そうなことを企んでいるらしいの。もともとふみちゃんって器用な人でさ、いろんな加工品を作ることが好きだったみたい。そんなある日さ、何やら肉の塊を持ってあたい達の回りをウロウロしてたのね。そりゃ焦ったわよ。ついにあたい達にもその日が来たかって思ったわ。でもあれは豚肉だったのよ。胸を撫で下ろしたわ。それでもってその豚肉を、布で包んだり、紐で縛ったりして、最後にもくもく煙を吐き出す箱の中に入れてるのよ。何が出来たと思う?ハムよハム。お手製よ。それはそれでいい匂いいでさ、豚には悪いけど、あたいだって一口欲しいぐらいだったわ。最近では、なんとソーセージも作るようになったみたいで、益々腕に磨きをかけているようだわ。
 そうそう、さっき話した煙のでる箱のことなんだけど、あれ玉手箱じゃないわよ。薫製器っていったかしら。ずいぶんと使いこなしているみたいで、結構ヤニで汚れているんだけど、ふみちゃんにとってはあの箱は宝物なんだって。なんでも火事になったら、真っ先にあれを持って逃げるって言ってたけど。
 そんなふみちゃんの夢は、その魔法の箱を使って、いっぱい手作りの加工品を作ること。そしてそれを、みんなに食べてもらって喜んでもらうことみたいなの。いいわよね、素敵な夢だなって思うのよ。だってそんな時のふみちゃんて、とっても輝いているのよね。だからあたいも決めたのよ。これからは、できるだけふみちゃんに余計な世話を焼かせないようにって。おとなしくしているからさ、きっと自分の夢を叶えてよね。あたい達みんな、応援してるからさ。きっとよ。
            (翻訳:榎本 千鶴)
(付記)
 大変なことになってしまった。突然A氏より、このコーナを任せるからと言われてしまったのだ。そもそもの経緯は、先の原稿がボツってしまったことに端を発する。ちょっぴり落ち込みA氏に愚痴ったことから、今回その原稿が日の目を見るに至った。が、まさか連載(?)になるとはゆめゆめ思わず、今後続くかどうか少々心配である。でもまあ、私のテンションが上がったときに自由に書いてくれたらとA氏も言ってくれていることだし。それにもともと“人” には興味がある質なので、私の身近にいるステキな人達を、私なりの視点で紹介出来たらと思っている

私もひとをだましたい

福井市 児玉玲二



 さきの地方選挙のみぎり、朝日新聞の「かたえくぼ」欄に、小浜の人の作が採られていた。ちゃんと引用しないと失礼なのだが、なんでも、「こちらはたかが一週間、向こうはこのあと四年間だからな」という内容で、運動期間中、どの候補者とも握手しまくり、緑の、黄色の「ひれ」をみさかいなく振りまくる有権者の開き直り、自己弁解という趣向だったようだ。それまでさっぱり埒のあかなかったプルサーマルや、「もんじゅ」再開などが選挙直後にかなりくっきりしたことが取りざたされたこととあわせて、とてもおかしかった。
 だけど、私がここで、「私も人をだましたい」というのは、小浜市の某さんに追従してのことではない。その例の「もんじゅ」の里、−敦賀市白木−に教員として初任したその日から読み始めて、今も若い人達の驥尾に付して、ほそぼそと読み続けている中国の作家魯迅に、『私は人をだましたい』があるのに追従しているのである。  この小品ははじめ日本語で書かれ、一九三六年四月の雑誌『改造』に発表されたもので、のちに魯迅自信の手で中国語にもされている。
 この作家は、「フェアプレーは時期尚早だ」だとか、「水に落ちた犬はここぞとばかりもっと打て」などの警句で、逆説ずきの読者を擒にするが、その手の文章にかぎって、すらりと呑み込めたためしがない。
 ひとりの少女の奔命な「大水害義損」の募金に、どのみち水利局の高級役人どもの懐のこやしになるだけが関の山と知りながら、いそいそと応じてしまうとか、死んだって、「あの世があるわね」と、一途に一大事を確かめようとする幸い薄いお年寄りに、ついつい「あるさ、あるとも」と同意してしまうなどが魯迅の「だまし」の具体例だが、かれは、それらの所業を、哲学者荘周のことばを引いて「凅轍の鮒」(乾いた轍の中の鮒が互いに唾沫で相手を湿らせながら生きながらえようとすること)と自嘲している。
 上海事変という名の戦争状態だった当時の中国の国情と、日中関係のいわゆる「歴史認識」に立つなら、中国人にも、まして日本人には、この程度の皮相な読み方で済まさせられる小文ではない。いつのころから「だます」の一語が「あざむく」とか、「たぶらかす」とかの抜き差しならないことばと同じ意味に偏って使われるようになってしまったのだろう。そしていまや、「だまし」「だまされ」は国の内外で日常化し、構造化してしまった。  ちかごろ巷で、お嬢さんたちがしきりに発してやまない「ウッソー」とか、「ソレッテ、マジー」とかいった意味あいを、かって私どもは、気楽に、極めて自然に「だますなま」とやっていた。
 ぐらぐらする前歯を抜くに抜かれず、「だましだまし」して保存しているのが数年来の私であるし、部品もとっくになくなっているにちがいない「二条植え」を推しながら田植えをしている人が今年もどこかにいるはずだ。
 二月の末、生れ在所の中学校の記念行事で話をする機会があった。この中学校の前身の小学校に尋常科、高等科あわせて十年か十一年通ってお世話になりました−と、もったいぶって自己紹介したら、おとなも子供もきょとんとしたのでおかしかった。尋常六年高等二年計八年が標準だったからである。
 「だんご十三兄弟姉妹」の私ども兄弟の中で、上の姉たちに連れられて、おしめの時から小学校へ通ったことのないものはほとんどない。たくさんの「おしん」たちの連れだつ「招かざる客」で、当時の教室人口はいつも一・何倍であったはずだ。
 「子どもだまし」とは聞かなかったが、自分の家や、よその家の幼児の面倒をみることを「ねんねだまし」と言い慣わしていた。小学生の小娘たちは、いわば「ねんねだまし」のかたてまに学校に顔を出していたという次第である。母親の子育てについてはそう言わなかったのが不思議である。
 「だます」とは「黙らす」が語源だと、ものの本には説いている。「おっかあ」でもないものが「おっかあ」ぶって、生徒でもないものを生徒のように学校に連れていって、あ やしたり、すかしたり、たたいたりするから、「ねんねだまし」なんだと、私の姉のひとりは主張して譲らない。
 母親でもない者が、母親の役割をする擬似体験は、小学校の娘たち自身にとっても一種の「だまし」の作用があり、母親への通過儀礼めいたものだったにちがいないが、いまはそれを求むべくもない。どう見てもまだまだ子どもでしかない母親が子どもを前にして「だまし」ようもなく呆然拱手している当世子育て事情は哀れにもいたましい。
 巨匠小津安二郎はつねづね、「つまわないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは己に従う」とくちにしていたという。達人の言で、「……流行に従う」の部分ちらっと魯迅さんの「だましたい」に通底しているようにも思うが、小津さんがどこまでも自己中心的であるのに対し、「だましたい」は、どこまでも相手中心で、やはり大いに違っていよう。
 質のいい「だまし」は徹底して相手本位なのである。

わが心石にあらず


高橋和巳に導かれて…A


福井市 屋敷紘美


 我心匪石
 不可転也
 我心匪席
 不可巻也

我が心は石にあらねば
 転ばすべからざるなり
我が心は筵にあらねば
  巻くべからざるなり

 中国の詩経・邱風のなかにある一篇である。
 高橋和巳は、この詩からとって「我が心石にあらず」を書いた。
 彼は京大で教える中国文学者でもあったから、その文学には中国古典の影が色濃くあって、ともすれば晦渋な文章だという批判もあった。しかし一方で、戦後の諸価値が全面的に否定されるという思想状況の中で、彼は社会的地位や自分の思想的基盤を自ら懐疑し、そして否定しなければならないという、彼の困難な文学上の事情にも因った。この個人的事情に中国文学者であることからくる「言葉」の難解さが整合したということも、かれの文学を晦渋にした理由があったのだろう。「我が心石にあらず」は自分の主義・主張を貫いたがために、社会的に敗北していく男の話で、野間宏が「敗北の物語」と呼んでいるものである。
 これは高橋和巳の現実の生き方そのものでもあって、彼も「敗北」を承知で自らの信ずるものに誠実に従い、肉体的にも破滅して逝った。
 人の性格にもよるのだろうが、他人のいうことに従順に従っているのは余程気楽である。とくにサラリーマンの世界ではそうである。まず第一にその方向が間違っていたり、仕事が失敗してもその責任を他人に転嫁できて自分は傷つかない。
 農業の世界では政府と農業者の間では、暗黙のうちにこの関係を維持していくことで了解が成立しているのではないだろうか。
 農業者は戦後米占領軍によって、労せずして地主−小作のくびきから開放されて、自作農となり、基本法農政によって、「勤労者なみの所得」を確保されて快適な生活を営めるようになった。その過程で農業者としての要求や政策を闘い取るという自覚は希薄だったし、むしろ、占領政策や政府の事情によって与えられるという経過をたどった。この意味では農業者と政府は長い蜜月時代を過ごしてきたと言えるだろう。自己の権利や主張を行動的に獲得するという自立性はこの過程のなかで眠らされてきたのである。
 しかし、この歴史の中で、忘れられ、失われたものもたくさんある。過疎による村の崩壊、「勤労者なみの所得」を得るための兼業化による後継者不足、農村共同体の解体、農地の荒廃など枚挙にいとまがない。そして深刻なのは、これらの現状を傍観するその心情である。「しかたがない」とか、当然視する農業者のあり様こそ「絶望的」なのである。
政府に政策的、財政的余裕があるうちはまだしもよい。急速な工業化とそれに伴う輸出ラッシュは外国とのおおきな経済摩擦を引き起こし、今やその見返りとして農産物の輸入自由化を余儀なくされている。先のガット・ウルグアイラウンドはその象徴的な出来事であったろう。さすがの農業者もおおきな運動を組織したとはいえ、具体的な政策上の対案を以てしたわけではない。一度敗北した後では、関税化の政府提案には反対どころか、積極的に賛成のキャンペーンまではる始末である。農業者のこの受動的な姿勢が今後も続くとしたらその負の資産はますます膨らむと看なければならない。
 農業所得はもう農家経済で大きな位置を占めていないといい、農業は赤字だといいながら、無策、無思慮のまま過ごすとしたら、逆に農業の負担が家計を圧迫することになるのは、目に見えている。農業が採算に合わないのでなく、合わせるにはどういう可能性があるのかを自律的に考える必要があるのだろう。政府にはもはや、農業者を保護していく余裕も意志もなくなったとみなければならない。
 「我が心石にあらず」とは独立不羈の精神である。誰にも頼らず、押さえつけようと強制するものがあれば抵抗する意味である。
 この意味で「我が心石にあらず」の精神は現在の農業者にこそ求められるものだ。

はじめまして


坂井町 菊沢正裕


 昨秋、農業試験場に勤務されているY氏の紹介で「あぜみちの会」に入会しました。といっても、ご案内を受けて飲み会に参加するだけの会員です。
 私は福井県立大学で情報教育を担当しています。赴任するまでは農業土木をやっておりました。転じた今、気象、土壌、作物などの情報を生産者に提供し、多様化しつつある生産経営にコンピュータ・ネットワークを活用していくことを考える、いわゆる農業情報の研究を始めました。この分野で生産者の方が何を求めているかを知りたいと常々思っていましたので、お付き合いできる機会を得て喜んでいます。ちなみに、県内五ヶ所の水田圃場に気象ロボットを置いて、一時間単位の観測をしています。インターネットをお使いの方で、データに関心のある方mas@ kiku .netまでご一報下さい。
 さて、飲み会に二回、収穫祭の準備に一日、たったこれだけの参加ではありますが、いろんなことを知り、また感じました。飲み会が、みち編集会議を兼ね、また収穫祭を実行する原動力としての実務的な機能を果たすのみならず会員が現在の困難を乗り切り未来に夢を実現するために必要な知識を交流する場となっていることです。会員がとても明るく、研究熱心で意欲的なこと、世代間の疎通がうまくいっていることに感動しました。お互いを暖かく思いやる家族的な意識が、世代間の断層をなくしているのでしょうか。最近の学校はじめサラリーマン社会や地域社会に欠けているものが、この会にはあるように思えます。
 酒を飲んで、お話を聞くことしか私にはできませんが、職種の違う、他県からの移住者ということで、何かのお役に立つのではとずうずうしく考えています。この会を通じて、これからも多くの出会いがあり、新鮮な感性や意欲に触れることができることを楽しみにしています。

あぜみちの会結成一〇周年記念講演  パート1(1998.11.22)


癒しのガーデニング(その2)


講師 フラワービレッジ代表 近藤 まなみ


私の中の園芸療法
 20分ほどビデオを見ていただきました。放送のテーマが、園芸療法ということで、そちらの方が強調されていましたが、それでも私どもの農場がその中に映っていましたので様子もおわかり頂けたかと思います。ご覧になられたような山の中で実は作業しているわけですが、その中でいろんな効果がでてきたり、いろんな発見があったと言うことをさっきお話しさせていただきました。
 今、園芸療法という言葉もでてきましたので、園芸療法について少しお話しさせていただきたいと思います。
 園芸療法という言葉を初めて耳にした方はいらっしゃいますか? さすが皆さんですね。
 この言葉は海外から入ってきたので、正式には『ホーティカルチュアルセラピー』というような言い方をしています。アメリカとかイギリスでは、ビデオにもあったように、リハビリテーションの中に園芸作業を組み入れて、そこで心、精神、身体の機能回復を行っています。体と心と精神これを鍛えるため、または回復するため、または健康にするために園芸作業を通してリハビリテーション、すなわち療法をすることを園芸療法という位置付けにしています。
 でも私はもっと広い意味で、単なる治療あるいはリハビリテーションとしての園芸療法という捉え方よりも、私たち一般の人というか、誰でもが必要なという視点での園芸療法をイメージしています。
 機会があれば皆さんにお話ししているんですが、広い意味での園芸療法ですから、もっと私たちの身近に、例えばここに一つの花があることによって、あるいは部屋に一つ鉢があることによってすごく元気づけられたり、すごくホッとしたり、リラックスできたりすることがあると思うんです。それは植物が私たちに与えている大きな力だと思うんです。別に病気になっている人だけが必要としているのではなくて、私たちの住まいの中に、一般に生活している中に誰にでも必ず植物というのは必要じゃないかな、と言う視点の中で、園芸療法というとらえ方をしています。
 先ほど農業が持っている魅力の中でお話ししましたように、例えば教育の中に効果があったり、環境に効果があったり、福祉に効果があったりするわけですけれども、それも園芸療法ではないのかなと言う解釈を私はしています。

アメリカとイギリスの違い
 このような植物の持っている力をを実際に治療として役立てようというのがこの園芸療法なんですけれども、これが制度としてあるのはアメリカだけなんですね。イギリスでも『ホーティカルチュアルセラピー』という言葉はありますが、制度としては成り立っていなくて、園芸療法士という制度があるのは実はアメリカだけなんです。
 歴史的な話をしますと、アメリカはどちらかというと戦争で負傷した傷痍軍人の方たちのリハビリに園芸を取り入れていったのが園芸療法として発展してきているんです。医療の中で園芸療法士というセラピストさんが位置付けられていて、その人達がプログラムを組んで毎日毎時間その人にあったプログラムを組むというような制度ができています。
 イギリスでは、リハビリとかいうよりは、誰もがガーデニングを楽しもうという基盤の中で育ってきたものです。ガーデニング王国ですからみんな庭いじりが好きなんですね。ですけれどもそれが限られた人だけでなく、例えば車椅子に座った方でも、子供達にも、年をとった方たちにも誰でもがガーデニングを楽しめる基盤を作ろうじゃないかという中で生まれたのがイギリスの園芸療法なんです。
 園芸療法士というよりは、むしろボランティア制度がすごく盛んで、ランドユーズボランティアというボランティア制度が発達しているんですけれども、その人達をちょっと補助してその人達と一緒にガーデニングを楽しもうという基盤がイギリスにはあります。  イギリスでも最近は、施設とか病院とかいろんな作業所とかで、正式なリハビリのプログラムにだんだん取り入れられてきています。けれども、園芸療法士という制度があるのはアメリカだけなんです。

園芸療法と心の健康
 そんな中で日本にこの『園芸療法』という言葉が入り始めたのは4、5年前になります。やはり病院とか、施設の方が治療を目的とした中で園芸を取り入れたらどうかと興味を持っている方が多いようです。
 先程、園芸療法というのは体だけではなく、心と精神を健康にする、元気にする療法だということをお話ししました。実際にはどちらかというと、メンタルなハートの部分での回復に役立つと言われています。それはどういうことかと言いますと、障害ができてしまったり、病気になったりすると、何かやろうという気持ちが無くなってしまうんですね。それをやれば回復につながるかもしれないんですけれども、やろうという意識がなくなってしまうんです。普通はリハビリですと機械を使って、例えば握力をつける訓練を機械を使ってやるわけです。すごく患者さんむなしいそうです。やれば効果があるのかもしれないんですけれど、単なる運動をやっているだけ。一日何回とかいうプログラムをこなすだけというのは、やりたがらなくなってしまいます。それが継続しないんです。
 けれども、花を育てるとかガーデニングをするというのはそうではないんですね。それが訓練だというのは二の次にして、まず外へでようという意識が生まれて来るんです。それで太陽の光に当たって、鳥の声を聞きながら、植物とふれあえるということが心のケアとして、メンタルなケアとしてすごく効果を表してくるんです。
 そのうち例えばお花摘みやはさみをさわる作業をしますね。私たちは何気なくやっているんですが、握力の訓練にもなっているんです。きたない木の枝を折る作業では、手の運動になるんですね。機械の訓練では手が伸びなかった人が、外で作業をしていると「あのリンゴちょっと美味しそうだからとってみましょう」というとふっと手が伸びてしまった。そんなことが実際にあるんですね。もちろん信じる信じないというのは皆さんのご自由ですけれども、実際にそういうことがあるわけです。それはやはり機械を相手とした訓練の中では出てこないんです。植物を相手とした、生き物を相手としたときにふっと出てきたりするんです。
 一輪車ってバランスをとって引くの結構難しいんですね。それを機械を使って、片足で立ってバランスをとってという訓練では嫌になっちゃうのですけれど、花作りをする中で、「じゃあゴミ捨てに行きましょう」「 一輪車を使っていきましょう」、それをだんだんそこに積む量を増やしていくというようなプログラムをしていくと、知らず知らずのうちにバランス感覚というものが養われて行くんです。そういったことが嫌々ながらではなく、楽しみの中でできるというのが、花が持っている、植物が持っている素敵な部分じゃないのかなという気がしています。
 この園芸療法は効果を期待してそれに見合ったプログラムを実行していく訳なんですけれども、先程お話ししたように、その人が何かをしたいかという自分の役割を見つけだすということが第一になります。

五感の刺激
 そのほかに実際やっていく中で、五感を刺激してくれるという効果があります。  皆さんおわかりになりますでしょうか。五感、段々眠くなってきましたのでどなたか五感、一つずついっていただきましょうか。視覚。聴覚、聞くことですね。あと三つあります、なんでしょう。私達が一番好きかもしれませんね、いい匂いがしてきましたね、嗅ぐことです。これで3つですね。それに味、食べることですね。あと一つ、皆さん解ってそうですね。触ることです。
 思い出しましたか。見ること、食べること、臭うこと、聞くこと、触ること、植物はこの五感をすごく刺激してくれるんです。

触覚
触るということでは、ざらざらとした葉っぱがあったりつるつるした木の幹があったりちくちくした木の棘があったり。触るということで感じることができます。
もし、目が不自由な方、足が不自由な方、そういう人たちはガーデニングができないと思ったらそれはとんでもない間違いで、それは私達の勘違いですね。例えば触ることを楽しむガーデンを作ってみたら、目の不自由な人たちも触って楽しむということができるんですね。それに目の不自由な、全盲ではなくて弱視とよばれる方でも奇抜な色、というんでしょうかトロピカルな色というんでしょうか、赤とか黄色とか原色だったらはっきり解るという方も多いんです。ですから、その、ガーデンの美しさということは別にしてそういう方のガーデンを作ろうとと思ったら、赤ばかりの花を集めてみたり赤や黄色の原色のガーデンを作ることによってその人達が楽しむことのできるガーデニングというのができる訳です。
 そのほかに触るということがありました。

嗅覚
 あと、臭いですね。ハーブなんか特に、今も後ろからいい匂いがしてきているんですが、臭うということやはり目の不自由な方でも臭いを嗅ぐということでガーデンを作ることができます。
 よくセンサリーガーデン、センサリーは触ることですね。あと、センテットガーデン、いろいろな香りがあるもののガーデンそんなもので楽しむガーデンというのがあります。植物が香るということですね。

視覚
 あと、見る。見るは当然今言ったみたいにいろいろなものを見る、そのほかに植物だけではなく土も見るんですね、空も見るんですね、水も見るんですね。いろいろなものが見えてきます。見ると言うことを私達の視覚を刺激してくれるのを植物は持っています。  そのほかに食べることですね。生産したものがいろいろなことで私達の口に入れるということが農産物の持っている大きな魅力の一つになっています。

聴覚
 そのほかに聞くですね。今雨の音がちょっとしてきましたね。植物をいじっていると植物が、例えば実が付いたときに風に揺られてさらさらという音、からからという音、雨が降ってきたぽたぽたという音、お水をやるときのジャージャーという音、いろんな音があるんですね。そんなことが農作業を通して刺激されるわけです。そう考えてみるとこの五感全部を農作業を通して刺激してくれるというのは園芸が持っている魅力の一つかな、という気がしています。効果として考えられるわけです。
 そのほかに作業を通して自分に対する自信がもてたり、何かをやろうという意欲がもてたり、自分も植物だけではなく他のことを何かやっていこうという意欲につながる。これも園芸療法が持っている効果になります。
 そんなことを効果を期待しながら、いろいろプログラムしていくのが園芸療法なのです。
日本の現実
 日本では実際に園芸療法をやっていますというところはとても少ないんです。作業所だとか施設だとか病院でとか、園芸班みたいな形でちょこちょこっと作っているところは多いんですけれども、実際に園芸療法としてプログラムを作って取り組んでいるというところは数少ないです。日本では制度として全く成り立ってませんから、医療保険の制度、点数につながらないんですね。ですから逆に理解のない医院長さんですと「そんなことやってもお金にならないからそんなものやめな。機械でやるリハビリをどんどんやりなさい。作業療法をどんどんやりなさい。」というのが悲しいかな今の現状なんです。
 ですからその辺をクリアしていかないと、日本はアメリカ、イギリスで行われているような園芸療法というものの普及にはまだまだ時間がかかるような気がします。しかしもっと広い意味でいうと、そこまでの園芸療法ではなくても私達誰もが必要としているんですね。そうすると私達にできることというのはすごく身近にあるんだと思います。

コミュニティー効果
 先程園芸の魅力の一つに、特に私の農場で行われているコミュニティーということをちょっとお話ししました。園芸、全然知らない人同士がお話を突然するっていうのは難しいんですけれども、皆さんご経験あると思いますが、自分の庭をいじっているときに「あらきれいなお花ね」と道を通った人が気軽に声をかけてくだいます。全然知らない人が声をかけてくれるというのは、植物がそこにあるからなんですね。そこに植物があると、人とコミュニケーションをとる材料として、いろいろな人たちと会話ができることになります。
 なかなか人と話すことが難しくなってきている中で、何か地域で、みんなで町並みをきれいにするといったときに、そこの中で『花いっぱい運動』でもいいでしょう。公園をきれいにすることでもいいでしょう。そこの中で植物が入ってきて、そのときに地域の方、ご婦人の方、男の方、勿論お年寄りの方、障害を持った方がそこに一緒にできるようなプログラムを地域の方でやられればいいんです。
 そしてそのときにボランティアとして地域の障害を持った人たちが、作業をする手助けとしてボランティアとして、ご婦人の方や地域の方が一緒になって作業ができるようにする機会を作るだとか、そんなことがてみじかに私達の周りですぐできることかな、という気がするんですけれども実はこれが園芸療法とつながっているんですね。もうそれ自体園芸療法なんです。必ずしもプログラムを組んでハサミをいっぱい使うことをやろうとは考えず、街に花いっぱい運動をすることでいろいろな人たちが、その中に是非障害を持った方だとかお年寄りの方だとかを中心に、作業をしてみてください。それを周りの人たちがバックアップする中でコミュニケーションがとれていく。これがいちばん花が持つ力をフルに活用した、私達が利用できるいちばん手短な方法かなという気がしています。
 そういうことも含めながら、それが街にいっぱいお花が広がれば、緑が広がれば、今日のタイトルである癒しということに実はつながっているんです。

癒しという言葉
 癒しという言葉はどちらかというと受け身で、これは考え方によっては寂しいことでも悲しいことでもあるんですけれども、日本人は忙しすぎて疲れているのかなという印象があります。この癒しが、癒しという言葉自体がブームになっていること自体ちょっと考え物なんです。けれども、実際にこういう時代になってしまった訳なんですから、それをどうしようか、それを皆さんがホッとできるような、リフレッシュ、リラックス両方できるようなそんな中にぜひ是非植物を取り入れていきたいと思う訳なんです。

おわりに
 そんな中で何も大きな庭造りを自分のところでしなくてはいけないということではなくて、まず一鉢自分の身近に鉢をおくことからスタートしてみてはいかがでしょうか。それが例えば子供とのコミュニケーションの、会話の題材につながったり、喧嘩ばかりしているご夫婦の、あ、今日はそんな方はいらっしゃらないと思いますが、会話の材料になったりするんです。
 お天気がいい日はちょっと外においてみましょう。そうすると全然知らない人と会話ができる材料になったりするんです。そうすると、面白いことに自分の家の前がきれいになると隣近所、特に田舎の方ではそうらしいんですけれど、隣近所が汚いと恥ずかしいそうなんです。一軒がきれいになると両サイドがきれいになるんですね。両サイドがきれいになるとその通りがきれいになるんですね。その通りがきれいになると今度街が全部きれいになっていくんですね。
 勿論そんなにトントン拍子にはなかなかいきません。それにはいろんな人たちが活動していかなくてはいけないんです。あぜみちの会の活動のこの通信も前に送っていただいて、見せていただきました。皆さんの中でもすばらしい活動をしていらっしゃってそんなことがいろんな成果として、また今日の収穫祭として実を結んでいるのではないかと思います。  これからの活動の中で、是非花だとか植物、なんか今までとは違った視点で、もっともっと農業が持っているすばらしい面、もっと皆さんで開発して、そんなことを一緒になってやっていけたらいいかなと思っております。
 実は私も農家というか農業でいつも農作業をやっていますので、あまり話が本職でないもんですから、まとまりがない話になってしまって申し訳ないんですけれども、取り敢えず私の方のお話はこれでまとめさせていただきたいと思います。今日はありがとうございました。(終わり)


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