あぜみちの会ミニコミ紙

みち14号

(1997年夏号)

写真:三国町 古道 豊

シグナル


福井市 中川清


 今年も、お盆がやって来る。この一年、清水町の三上さん、農協連の西田さん等、いろいろと訃報を聞いた。私も、家内を亡くしてから二度目のお盆である。
 家内は、いくつもの思い出を残して逝ったがそのなかに孫達へ、伝承していったものがある。
 家内は、亡くなる数年前から半身不随で(身障者3級)左手足が不自由であったので、日常いつも孫達を、手助けとしてたよりにしていた。
 三人の孫達も、またよくこれに応えていた。毎日、洗濯物を取り入れたりたたんだりする時、野菜漬物の漬ける時、風呂の水張り、毎朝の仏壇へのお供え物やお参り、また季節ごとの真鍮仏具お磨き掃除まで孫と一緒であった。梅干し、みその仕込み、障子の張り替えなども、そうであった。
 家内が亡くなった今も、孫達はそのことをしっかり覚えていて「お祖母ちゃんの代わりをする」といって、毎朝仏壇参りを欠かさぬし、私の寝具のあげおろし、洗濯物の始末、風呂の用意と着替えの準備等と三人が分担して実行している。また、季節ごとの仕事も体で覚えたことはしっかり身についている。
 もし、私の家内が、生前五体満足であったら、おそらくここまで孫達にそれを伝承してはいかなかったのではと、今思っている。
 日本の農業は、老齢化がひどい、後継ぎがいない、儲からないと、まさに身障の状態であると云うが、補助金を貰うとか、保護を求めるとかの他に、打開策として、もう少しまわりの人の手助けを求めることが必要ではないか。年寄が「仕方がない」とか、「まだまだ」とか頑張るのも良いが、本当に困っているなら、農業が死滅する前に助けを求めたらどうですか。
 「独立する」事と「孤立になる」事は違います。
 私は、この「まわりの人」とは、子供たちでもあるし、消費者のことだとも思っている。
 自分の状態をよく知って貰って、手を差しのべれば、きっと素晴らしい結果が見えてくるのではと、お盆を前にして家内を偲びつつ思うのである。
 お盆には、いろいろな人が尋ねて来てくれる。亡くなった人の魂までも、来てくれるのである。
「豊かさ」について考えてみた。
 冷蔵庫に食物が豊かなというのは、肉だけが一杯の状態でもないし、魚が満杯でもないと思う。野菜も肉もアイスクリームも西瓜もトマト、枝豆等色々なものが、何でもあることが豊かさの実感ではなかろうか。
 農業経営でも、豊かな経営は、百姓と云う字のごとく、一品目多量生産だけでなく、メインになるものの他にいろいろなものを作っていることが豊かさの秘訣だと思っている。
 そしてそれが日本の農林漁村の特徴であるべきだと思っている。
 お盆を機会にいろいろな人に関心をもって尋ねて来て貰いたいと思うのです。

百姓するて、大変なこっちゃなーけどおもしろいで(パート2)

     

勝山市 伊藤直史


 わが家の数百羽の鶏さんも、人間二人も、数回の暴風雪が吹いた冬、何とかすごせました。皆様いかがですか、昨年の約半分の積雪?とはいえ、平野部とくらべ何と多い雪の量。ここ木根橋に暮らし、七回目の冬が終わりました。
 借り物の七アールほどの畑も土をのぞかせ、本年も素人野菜作りのいよいよ始まりです。鶏糞運んで、畑おこして、冬越しの甘らん、水菜、玉ねぎ、ウスイに追肥して、じゃがいも芽だしして、今年も色々あれやこれやと描いています。でもでも、わが家には、これといって農業機械はありません。家内と二人、四つの手と四本の足と二つの頭が農作業の原動力。汗かいて、土にまみれて作業しています。
 わが家の畑の特色は、生長が遅く、収量が低い。鶏糞中心の畑作のため、うまく育ってません。でも化学肥料は使いません。自分たちが食べたいもの、自分自身で安心できるものを食べたいからです。他の畑ながめて、みんなようできているなーと思いますが、肥料も農薬も使用せずの笑いの畑作りです。
 初冬降雪までどうなりますやら、体で行う野菜作り、今春始まります。

 ‐お知らせ‐
 わが家の平飼い鶏さんたちのモミガラまじりの鶏糞いりませんか.。
積み出しセフルサービス、お金は無料。
よろしく。電話 0779-83-1205伊藤へ


今、殿下地区では

福井市 薮 十四子


 今日(五月一八日)は、地区体育祭。学校の校庭で全地区を挙げて開かれました。予報外れのすがすがしい青空が輝き笑う日和となりました。
 私は、中高年女性の会で、昼食の時に出すぶた汁ごしらえ、焼き鳥の販売係で、後者の方を受け持つことになりました。八時三〇分学校の調理室では数人の仲間がテキパキと活動しております。また、販売グループは、二千数百本の焼き鳥を売る場所や、手はずを整えています。販売する机の上を見ると、電算機、お釣り箱、記録用紙、マジック等、販売の三種の神器がちゃんとそろっております。
 何もかも部長の指令に従って行動していた昨年の様子とは全く違っています。ひとりひとりの目的を持った動きがあります。

‐‐なぜだろう‐‐
 思い返せば、中高年女性にとって平成八年は、「うらが町づくり」の計画と実践で本当に忙しい一年でした。
 うらが町づくりの活動として

一 山菜部会
二 加工食品部会
三 薬草、わら加工等部会
四 見どころ部会(殿下の観光)

の四部会が平成七年に発足しました。
 そして、二の部会の活動実践の場として設定したのが、ふるさと定食の部であります(九年には山菜プラスそば定食と名称変更)。三、四月は部会(部員は中高年女性)を開き、具体案の検討、そして結論としては、殿下地区高齢者活性センターで四年経過して、その評判が徐々に高くなっている「越知の手打ちそば」を核とした山菜料理に決定しました。幸いなことに殿下地区の山々は山菜の宝庫であります。そのため、

一 スタッフの募集

二 メニュー、料理法の研修

三 道具集め

 なにしろ、一円の資本金もないところからの出発ですから。ただ、活性化センター「かじか苑」という建物を拠点とさせていただけたのは何よりも安心というところでした。  さて、お客様はということですが、二部会の二人の部長は、福井市役所、JAの女性部やまたいろいろの女性団体とのつながりを幅広くもたれ、その交渉はお手の物でした。結果的に申し上げますと、

 六月 五回 一一六名
 七月 二回 五八名
 九月 四回 九二名
一〇月 九回 二一七名
一一月 五回 七〇名
一二月 4回 六三名
合計 二九回 六一六名

のご来苑でありました。スタッフ一同ビックリするやら驚くやら。
 話は前後しますが、スタッフは二三名、五班編成、予約日、出番の連絡は加工部長が行っています。
 また、使用する器具類は無からの出発なので、話し合いの結果、スタッフの家の蔵に眠っている塗り膳、おわん類を拠出していただくことになり、特に準備や始末などの点からも、軽くて割れる心配もなく、品物がよいので見場も重厚、上品で、この発想は非常に良かったと思っています。使っていただくお客様の評判も良好です。
 ちなみに私は、この全くの素人商売の会計係を受け持っておりますが、材料費、調味料等も結構必要ですし、またスタッフの人件費も全くの奉仕にはできず、四苦八苦というところでございます。
 思い返しますと、あわただしい平成八年ではありましたが、定食を賞味いただけるお客様は地区外の方々がほとんどで、サービスの場が広がっております。そして、ささやかな収益と同時にそば苑も繁盛という結果も生まれ、本当に感謝しております。こうした体験が私たち中高年女性の物事に対する建設的な積極性とか、いわゆる世間の広さを感じさせていただいたり、養わせていただいたりしているのであります。
 今回は加工食品部会の活動を中心に述べさせていただきましたが、わら細工、薬草茶等の部会活動も、機会があればふれさせていただきたいと願っております。
(つづく)


花咲じいさんとシンデレラ

福井市高木町 酒井恵美子


 ずっと以前、ミニ庭園を夢見て空き地に苗木を植えました。ところが、放任では、二〇年の歳月を隔てると、庭園のはずが森のように木は茂り、大型車の通行が不可能になったので、この三月思い切ってその木を切り倒しました。大木・小木を持て余し、一昼夜かけて燃やし続けたところ、その灰が小山のように積もってまたまた思いを余らせていたのです。覚悟を決めてシンデレラになり、灰を古い袋に詰めて畑まで運んだのです。その重いこと、重いこと。ふうふういいながら畑に撒いてようよう一件落着でした。ここまでは前置きです。
 4月の終わり無肥料(溝にはボカシ肥など入れてある)の畝に、夏野菜の苗木をそれぞれ植え付けましたが、いつまで立っても肥立ちが上がりません。色あせて伸びない苗が、がっちり組まれた棚に隠れて遠目にはなかなか姿を現さないのです。今年はもう駄目なのかなと思っていたところ、その小柄な苗木が木のようにかちっとした軸になって、支柱がなくても、波の風くらいではびくともしないように、大地にしっかりと根を下ろし生長してきました。茄子も形を整え、トマトもピンポン玉くらいの身をいくつも付け始めたのです。よその畑の茄子などは、黒々として実に堂々とした風格を備えているのですが、私宅の野菜はまるで私の体のようです。小柄ですが健康そのものといった感じがするのは欲目でしょうか。その上、消毒もしないのにアブラムシもナメクジもつかず葉に穴一つあいていません。まだまだ結論は出ませんが、自然の中で自然にたくましく育っていくような気がするのです。
 とたんに「枯れ木に花を咲かせましょう」と一面に桜の花を咲かせた花咲じいさんを思い出しました。あれは単なる寓話なのか灰の特効性を根拠にしての話なのか、私は混迷してしまいます。
 とにかく、私の日常の暮らしはシンデレラの進行形ですが、夏の終わりには「花咲バアチャン」になれるかな・・・・・・・・なんて考えてしまうのです。(願わくばと思うのです。)

ボランティア再考:その2

NOSAI福井 小野寺和彦


 前回、阪神・淡路大震災及び今年初めの重油流出事故でボランティアの活動が注目されていると書いた。今回は現在のこの「ブーム」の中で見過ごされやすい点について考えてみたい。
 まず、先の2回のボランティア活動が災害ボランティアであったということである。つまり、緊急時で「困っている人」「行動を起こすべき課題」が比較的はっきりしていて、見えやすいということがあげられる。ここから導き出されるボランティア像、理念はかなり特殊・一面的になりはしないだろうか。
 福井新聞のアンケートによると、今回の重油流出事故に参加した感想の中で「海がきれいになった」の他に、「他の仲間との一体感があった」「自分の成長につながった」という答えがかなりの高率を占めているという結果が出ている(福井新聞1997年4月26日付)。このほかにも「三国で人生が変わった」「人と触れ自分再発見」(福井新聞1997年4月18日付)などの感想も聞かれた。今回の重油流出事故は大変不幸な出来事ではあったが、自分が生きることの意味、自分と社会(もしくは人と人)との関係性を取り戻す格好の機会だったのではないか。このこと自体は否定しようのない事実であると思う。しかし、裏返せば日常の生活において自分の存在価値や無意識的にでも生きることの価値を見出せないでいる方々が多くいることにならないだろうか。こういった非日常的な災害でもない限り生きる意味とか、他者との関係性を取り戻すことが困難な私たちの社会とは何といびつな社会であることか、と思う。
 今の社会は国内的にも国際的にも、時にはその両者がリンクしながら様々な矛盾と危うさをその内に抱えている。そういった視点から「ボランティア」が、特に大きな災害や事故などがなくとも活動し得る場面はいくらでもあるはずなのである。「また災害があったら、どこにでも駆けつけますよ」というある若者の言葉は「さわやか」ではあるが、私はアジア太平洋の人権問題に関わってきたあるカトリックのシスターの半ば皮肉をまじえた言葉を思い出した。それは「カトリックの人間は『困っている人』をいつも探しているんですよ」というものだった。「困った人」や突発的な災害・事故がないと「ボランティア」の出番はないのだろうか。むろんそんなふうに考える人は皆無に近いだろうが、それにしても「災害があったらすぐ駆けつける」という「さわやかな」ボランティア像が一人歩きするのは「困った」ものだという気がする。
 次回は、別の問題点−ボランティア活動の公益性について考えてみたい。

福井県農業の問題点とその解決法(その一)

案山子


 農業が厳しい状況に置かれているといわれて久しくなるが、現場の農業者、あるいは農業関係者が現状の福井県の農業を一体どのように見ているのであろうか。問題点ばかりで解決策はないのであろうか。
 自分なりに思いつくことはいくつかあるのだが、できるだけ農業者の本音を聞きたいと思い、六月と七月に開催された本誌「みち」の編集委員会で委員の方々(専業農家と農業関係者)にアンケートに答えてもらうという形で行い、その結果の概要について、紙上を借りて報告してみたい。
 アンケートは福井の農業の問題点とその解決法について、委員が思いついたことを短冊状の紙に書いていただき、筆者が取りまとめた。アルコールが入ってから書かれた方もいるので、かなり本音で回答されたものと思われる。
 こうして集めた意見から、福井の農業の問題点について共通した項目でくくったところ、書かれた数の多い順から次の9つに取りまとめることができた。

一 農家の思いと行政・農協のズレ
 この項目に分類されたものに、「水田の基盤整備が進めば進むほど専業農家が少なくなっていくように思う」「行政は先を見る視点に欠ける」「地域農業確立のため農協の使命は重要であるが、一般農家対象の活動だけでは不十分である」など、行政・農協としてはそれなりに一生懸命努力しているのであろうが、あぜみちの会編集委員会のような農業に深く関わっている人達から見れば、その指導力や方向性に物足りなさを感じているようである。別の見方をすれば、行政や農協に期待するものが大きいことをうかがわせている。

二 古い体制のムラ社会
農村社会の特徴ともいえるムラ社会を福井県農業の問題点として取り上げたものが多く、この中には「集団主義が強すぎて個人が押しつけられている」「他地域の人を迎え入れるのが苦手で開放的でない」「女性差別が強い」など、都会に比べ閉鎖的な農村の人間関係を挙げている。

三 兼業農家が多く、大規模  農家が育たない
 「集落・地域単位への指向が強いため、地域で農業者を育てる方向に欠ける」「集落農業の形成も当面重要だが、大規模農家の創出は長期的課題」など、福井では突出した個人が育ちにくい環境と感じているようである。

四 若い人の農業に対する魅力欠如
「農村における若い人の発言力が弱い」という意見に代表されるように、若い人の多くが農業について関心を示していないという現実の反映の様に見える。また、福井県の若い新規就農者数は全国でも最下位に近い所にある。こういった状況の中で若い人が農業に対して魅力を感じなくなるという悪循環に陥っているようである。

五 農業者自身の積極性欠如
 「自分の思いを発言したり、書いたりすることにネガティブである」「行政やJAへの依頼感が強くて自主性に欠ける」など農業者自身の積極性の欠如を問題にしている。手前ミソではありますが、あぜみちの会はこの情報発信の手助けをすべく活動をしています。

六 農業に対する消費者の無関心
 「農家の顔が見えにくい」「都市部(消費地)の人と農村(生産地)が切り離されている」という意見があり、福井のような田舎でもこのような傾向はますます強くなってきているようである。農産物の流通が広範囲になればなるほど生産者の顔が見えにくくなり、この傾向が強くなってきている。こういった中「地産地消」が改めて見直されてきている様に思う。

七 水稲単作に偏重
 農業粗生産額に占める米の割合が全国平均の二倍以上の七五%という、水稲単作に偏重した状況では、水稲生産の浮き沈みが直接福井県農業の浮き沈みに繋がりはしないかとする心配である。水稲単作ということは園芸、畜産部門が弱体であることを示している。回答の中に「水稲単作からは単作人間しか生まれてこない」というユニークなものがあり、なるほどと感心させられた。

八 自由競争で経済効率を優先しすぎ 
 これは農業者ならずとも、最近の物質優先主義と市場優先主義に辟易している人も多いのではないだろうか。過剰な競争社会では弱い立場の農業は守れないのではないかとする意見である。農業者だけでどうにかできる問題ではないが、今の社会システムに対するジレンマを感じているのであろう。

九 資産としての農地管理
小規模兼業農家の多くは、農地を生活費を稼ぐための生産の場ではなく、先祖から受け継いだ資産として考える傾向が強いため、中核農家に必要な土地がなかなか集まらないという弊害を生み出していると感じている。

 これら九つの項目以外にも、福井県の農業の問題点として、「地元消費作物が大事にされていない」「全国的な福井の特産物がない」「県内の畜産が低迷している」などの問題点が指摘された。

 これらの問題点は、最初にも断った様に、みち編集委員会の方々に協力いただいたアンケートの回答を基にしているので、福井県農家の平均的な問題点の捉え方とは性格を異にするものと思われる。
 次回は、今回の問題点を踏まえ、どのような解決方法を考えており、それぞれの問題点についてどのくらい効果的であると考えているかについて検討する。
       (以下次号)


杉本英夫


自己紹介
 私と農業との出会いは、人生にとってもっとも大切でかつ一つの節目に当たる結婚と同時の出会いでした。それまでは、農業に対して全然興味もありませんでした。
 私の家は福井市西部地区に位置する中山間地の山の中にあります。
 結婚そして養子という立場で両親もまだ若いということもあって町の方で暮らしていました。家が兼業農家ということもあって、会社が休みになると時々家の農業・林業の手伝いに帰っていました。手伝いといっても補助的なことしかできなかったわけですけれども、大自然の中での農業ということで、空気も新鮮で、景色もよく、結構気晴らしになっていました。
 そういった生活が数年続き、四年前ついに一大決心をしました。会社を辞めて山へ移り住もうと。子供たちも児童数の少ない学校ですが、町とは違った良い教育を受けられるはずだと。
 会社を辞めて就農するからには、絶対あとになって後悔しないようがんばろうと思いました。
 脱サラしてからは、毎日が楽しく、父や母にいろいろ教わるほかに、JAの営農指導員の方や普及センターの方が親切丁寧に指導してくれますので本当に助かっています。

経営内容
 我が家の経営内容は、農業の方では水田〇.八ヘクタール、養蚕年間四箱、ギンナンの木一〇〇本と花木七種類は育成中で、施設野菜3アール、梅などです。
 林業の方では、人工林二〇ヘクタール、天然林一〇ヘクタールあり育成につとめています。そして一年を通して木炭の製造、特用林産物のシイタケ栽培も行っています。
 農業・林業どちらか一方にウエイトを置くことはできず、平行しながらの複合経営です。

仕事をしていて思う事
 水田は〇.八ヘクタールと面積的にはあまりありませんが、枚数にすると三〇枚近くあり、耕地整理もされておらず、稲の収穫時期などはほとんどバインダーで刈っており、なんと一輪車で運ぶ場所もあるのです。
 しかし、とれる米の味はとてもおいしく、山の水ということや炭を入れているほか、昼と夜の温度差も重なっているのではないかと思われます。山で穫れる米ということで、もう少し付加価値をつけて売ることができないものでしょうか。
 養蚕は昔からやっており、今では北陸三県で私のところだけが残っているのが現状です。最盛期には年間五回飼って、ご飯を食べる暇も寝る暇もなかったそうです。今は年二回四箱と大変少量になりました。これも貿易の自由化の波に押されてしまった結果なのです。  私が一番最初に蚕を見たときは驚きと感動で声も出なかったことを思い出します。というのも、あまりにもたくさんの数、数万匹と蚕が桑の葉を一斉に食べる音といったらものすごい音を立てて食べるのです。それも枝だけを残してものの見事に食べてしまうのです。  蚕は生命力がとても強く、体内に残っている排泄物を全部出して口から糸を休まず出し続ける様子をじっと見ていると感動してしまいます。
 絹糸は着る糸から、今では医学の面(血液が固まらない凝固剤)やメガネ関係の面(コンタクトレンズの開発)で研究がいろいろ行われています。
 養蚕のような伝統的な産業もしっかりと受け継いでいきたいのです。
 ギンナンや花木は将来の収入源として育てていますが、雪の被害防止や病害虫の防除などは書かせません。
 施設野菜は平場ではなかなか作りにくい夏場のホウレンソウということで、二年前から取り組み勉強中です。将来は化学肥料から有機肥料に変えていくつもりです。
 炭焼きも昔からずっとやっており燃料炭として昭和三〇年くらいまでは使われてきましたが、ガス・灯油・電気などが普及してからはだんだんと木炭は下火になり、炭を焼く人も少なくなってきています。
 しかし現在に至っては、少しずつではありますが、見直されつつあり、多岐にわたって広く使われるようになりました。
 木炭をお風呂の中に入れるとアルカリイオンを含む温泉と同じ効果が与えられます。さらっとした湯ざわりで疲れや肩こりにもよく効きます。また木酢液を入れると体のかゆみも止まります。
 炭を入れてご飯を炊くとふっくらとして一粒一粒が光ります。
 炭を電化製品の近くにおくと電磁波対策にもなるということで科学的にも実証されています。
 粉炭を水田に施用して米の食味や収量をアップすることができます。
 水田・野菜・果樹・花木など、炭を投入することによって、化学肥料の施用量をかなり下げてもよく生長し、高い収量が得られます。
木炭に熱を加えると遠近赤外線がでて肉・魚のうま味の成分(グルタミン酸)が逃げません。
 など、木炭の効果を上げるときりがありません。
 私の家では焼鳥屋・魚屋・お茶の炭としておろしているほか、くずの炭は水田や畑に撒き、木酢液もお風呂に入れたり、除草剤・土壌改良・作物の病害虫の防除などに使用しています。
 炭焼きは本当に難しく、経験と勘だけが頼りです。最初やり始めたときは、作業手順書(マニュアル表)を作ってやろうと思ったのですけれど、木の種類・木の立て方・焚き口や煙突の調整・温度管理・季節が一回一回違うので、同じ炭はなかなか焼けません。デモや利害はあります。炭の取り出し口を開くときが一番緊張する瞬間です。
 木炭も木酢液も農業の中にうまく取り入れながら収益をあげることができるのですが、まだまだPR不足で、これからどんどん広げていくつもりです。

将来の夢
 私には夢があります。

 一つにはオーナー園を作ることです。
 野菜、果樹などを混ぜ合わせ、山のマナーを守りながらハイキングなどを楽しんでもらえるような園づくりです。

 二つにはオートキャンプ場を作ることです。
 景色がよく、森林浴が楽しめる山のところで20サイト位の広さをとり、サイクリングや木で作ったアスレチックなどができる特色のあるキャンプ場作りです。
 三つには私の実家の八百屋に山で穫れた山菜・野菜・米などを卸すことです。

 小さい店内へ四季に応じた新鮮な作物を並べ町の人たちに食べてほしいのです。
 適地適作をしっかりと考えて、一歩一歩夢に向かって前進あるのみです。

JAと青壮年部のかかわりについて
 最後になりましたが、私は今、福井市青壮年部のの副部長をやらさせていただいています。入部してまだ三年足らず、本当に恥ずかしく勉強不足で何もわからないのが現状です。
 昨年の一一月にJAの臨時総代会で青壮年部と女性部から各一名の理事が選出されることが承認されました。福井県では初めてのことであり、全国的に見ても数少ないと思われます。
 これからの青壮年部は広く盟友の意見を集約し、代表がJAとの太いパイプを通じ、積極的に運営に携わっていかなければなりません。
 そして地域農業と農村の次代を担う後継者としてJAの全利用をすすめ、青壮年部らしい組織作りをして勉強会などもどんどんやっていきたいと思います。


夢の快楽園

名津井 萬


 稲作専業で水稲の育苗を数万枚も請負い、農業人生で一番あぶらののりきっている四十代半ばのY君が、しみじみと話す。夜、寝ている時に、育苗ハウスの苗が全滅した夢を見てとび起きる事があり、「あァー、夢でよかった」と胸をなで下ろす事が、たびたびだと言う。
  そして、なんだかハウス内の苗が気にかかり夜中に見に行くと言う。
 私も稲作と酪農の理想郷を夢みて、経営の規模拡大に取り組んでいた四〇代半ばの頃、よく悪夢を見た。稲刈が村で一番遅くなり、雪が降って、稲の刈取不能になった所で目が覚め「夢でよかった」と胸をなでおろした。また育苗に失敗し、六月半ばになって育苗する夢や、乳牛が次々に病死する夢をみた。
 夢とわかりホッとすることが幾度もあった。
 しかし最近は、ほとんどそんな悪夢はみなくなってしまった。それは自分の農業経営能力を悟ってしまったことと、私の細かい神経も、歳と共に少し太くなってきたからかも知れない。
 これからは、細かい神経と太い神経を、うまく利用して、自分で夢をつくり 夢を見ようと思う。
 七月中は十日間ほど、農業視察、研究、講習。大会に出席した。全国農業コンクール大会では、個々の経営のスケールの大きさに感嘆した。石川県での研修では、ぶどう園の経営、、花園の経営、大型稲作経営を学んだ。また「おくえつの農業、千人集会」に参加し色々な農業経営や組合せ方を知った。
 農業って、幾百幾千の組み合わせの「夢」があり、心の持ち方、考え方で楽しみも味あう事が出来るし、また実践出来るものだと感じている。早く、多くの人が、小さな土地や大きな土地で、楽しい農業のある事を知ってほしいと、少し焦っている。
 私の夢、私は稲作と酪農を柱に、四季それぞれの野菜を作り、小さなビニールハウスを建て、軟弱野菜を作りたい。ニワトリも平飼いで少し飼いたい。果樹も植えたい。牛舎や作業場のまわりに花も咲かせたい。牛乳と餅の加工もしたい。酒も造りたい。本も読みたい。絵も画きたい。木彫りもしてみたい。
  そんな我が家の農場、農園を「快楽園」にして見たいと思っている。しかし、今はまったく「欠楽(落)園」だ。
 夢の夢また夢で、未完の完となる可能性もあるが、人生の終着駅まで「快楽園」造りに努力してみるつもりだ。

農業協同組合の再生について (その5)

屋敷紘美


七、ワーカーズコレクティブとは何か。
 既存のJAは建前としての「協同組合」を標榜しながら現実には巨大化しつつ眼前の資本主義社会に埋没せざるを得ないことは前述した。
したがって、本来、時代が要求する新しい協同組合は別の所で、ヨーロッパのモン・ドラゴンに象徴されるワーカーズ・コレクテイブの名で規範化される協同組合として再生されなければならない。
 それではワーカーズ・コレクティブとは何か。内橋克人氏は「共生の大地」の中で次のように定義する。
 「いま台頭する新しい『使命共同体』をつらぬく特徴の最大のものは、…資本と経営と労働の一体的展開を指向する原則にこそ求められる。」
 働く者だけが株主になることができ、株主だけが働くことができる。そして働くものだけが経営を担うことができるのである。
一八四四年に発足したロッチデール先駆者組合は資本家や商人の激しい搾取から自らの生活を守ろうとした労働者の共同活動として出発した。そこでは労働者一人一人が出資者であり、売り子であり、お客であった。彼らは労働者の共同村を理想として掲げていた。  いわゆる協同組合原則はいつの時代にもその精神においてこの「先駆者」の経験を踏みはずしたことはない。しかし組織的にはこの「出資者」、「売り子」、「お客」は次第に分離を広げていった。組合の「専従者・職員」がその精神とは何の関係もない所で採用され、「売り子」の専門家として従事するようになった。
 今、ワーカーズ・コレクティブとして再生されようとしている協同組合はこのロッチデール公正先駆者組合のもつ原初的形態を再現しようという試みである。
 社会主義制度の崩壊によって、資本主義が先祖帰り的な方向‐ケインズ主義の社会政策重視の資本主義からアダム・スミス的な自由放任主義への転換‐に傾斜している現在、強い者が弱い者を駆遂する経済社会に対置して弱者同志の共同体を組織することは、十九世紀のロッチデールの人々の夢みた共同村の再現である。時代的な背景も程度の差こそあれ、よく似かよっている。
 これまでの協同組合運動の中で培われてきた経験を含めて考えると、ワーカーズ・コレクテイブのパラダイムは次のようになるだろうか。

@労働・資本・経営者の一体性が一人一人の構成員に体現されていること。
A営利追求を目的とせず、人と人の共同体であること。
B直接民主主義を原則とした、上下関係のない自主管理的運営であること。

八、新しい時代に向けた協同組合の新しい原則
 一九九五年九月、ICA(国際協同組合同盟)は創立一〇〇周年を迎え、イギリス、マンチェスターで記念大会、総会を開いた。その総会でこれまで数年間にわたった討議された協同組合原則が三〇年ぶりに改訂された。まずこれまでの原則と新原則を比較してみる。

 旧原則(ICAウィーン大会、一九六六年)
@加入、脱退の自由
A民主的運営
B出資配当の制限
C剰余金処分の方法
D教育活動の促進
E協同組合間の協同

新原則
@自発的でオープンな組合員制度
A組合員による民主的運営
B組合員による財産の形成と管理
C組合の自治・自立
D教育、研修と広報活動の促進
E協同組合間の協同
F地域社会への配慮

新しい七原則のうち第一、第二、第五、第六原則は旧原則の内容をほぼ踏襲しているといっていい。
 第三原則「組合員による財産の形成と管理」については「その資本の少なくとも一部は、通常、その協同組合の共同財産である」「協同組合を発展させるため、できれば準備金として留保し、少なくともその一部は不分割とする」と説明されている。
 経済社会のボーダレスと競争激化の中で、世界的規模での協同組合の経営困難、競争力のぜい弱性が指摘されており資本蓄積の必要性から加えられたものだ。
 第四原則「組合員の自治、自立」は社会主義社会、発展途上国などでの自国政府との癒着や資本主義社会での資本調達の拡大、多様化の中でともすれば、他者への依存度が高まり、協同組合の本質を見失い勝ちな傾向に対する反省と自戒である。
 第七原則「地域社会への配慮」は「協同組合は、組合員が承認する方針にしたがって、地域社会の持続可能な発展のために尽くす」と説明されている。旧原則の中では「協同組合間の協同」原則に一部ふれられているが、今回独立させ、その重要性が喚起されている。その背景にはイギリスのICDM(産業共同所有運動)やイタリアの社会的協同組合、スペインのモンドラゴン協同組合の発展があると考えられている。イギリスのコミュニティ協同組合は雇用創出、教育・就職訓練、環境・資源リサイクルなど、地域社会と住民の利益のために活発な活動を行っている。
 協同組合は勿論、組合員のために組織されているのであるが、その組合員が生活する地域社会が経済的、社会的、文化的に豊かで充実していることが必要であることはいうまでもない。したがって協同組合が地域の諸問題に関心を持ち、その持続的発展に深く係わる必要が唱えられているのである。
 マンチェスター大会では、これまでの方法と異なり、ICA声明「協同組合のアイデンティティ」として「原則」以外に「定義」と「価値」を決定している。

「定義」
協同組合は、共同で所有し、民主的に管理する事業体を通じて、共通の経済的、社会的、文化的なニーズと願望を満たすために、自発的に結びついた人々の自治的な協同組織である。

「価値」
 協同組合は、自助、自己責任、民主主義、平等、公正、連帯を基本的価値とする。
 協同組合の組合員は、創設者たちの伝統を受け継ぎ、誠実、公開、社会的責任、他人への配慮という倫理的価値を信条とする。

九、協同組合の再生の可能性
 さて、ようやく結論に到達したようだ。
 レイドロー博士は「西暦二〇〇〇年における協同組合」の中で「ミクロレベルからの協同組合地域社会づくり」を提言している。このことは新しい協同組合原則の第七として生かされたことは前にみた通りである。また、この原則を導き出した背景にヨーロッパにおける「ミクロレベルからの協同組合」の活発な運動があることもみてきた。
 マクロ的に俯瞰してみれば利潤追求を基本原理とする資本主義システムとその批判者として登場してきた社会主義システムが共に現在惹起している問題を解決し得ないのは今や明らかになっている。社会主義体制の崩壊、失業の増大、南北間格差の拡大、環境問題の深刻化などはそのことを証明している。
 これら人類の生存の基本にかかわる問題を抱えながら、政治権力を基盤とする「国家セクター」、資本を基盤とする「私企業セクター」に対して、市民、労働者、農林漁業者、小生産者が人的結合として組織する「協同組合セクター」がどこまで、組合員の生活と営業を守り、人類的課題の解決に貢献できるかが、問われている。協同組合に係わる私達としては組合員レベルから、すなわち地域的レベルから、これらの課題への実践的取組みが求められているといっても過言ではない。
 そこで、私達の住む農村には、新しい型の協同組合=ワーカーズコレクティブを組織する芽がたくさんあることに気がつく。

 @日本の農村では水田農業を中心に協同の風土が生きづいていること
A農村には用地や原料を入手しやすい条件があること
B農村に農産加工の伝統技術があること
C地域を大切に考える価値観が残っていること
      (石見 尚氏)

平成四年の新農政プランの中で、組織経営体として、農業生産の主軸を担うものとして認知された農業生産法人(農事組合法人、有限会社)を単に経営体としてのみとらえるのではなく、これまでみてきたワーカーズコレクティブとして考え、運営すれば、その創設はさほど困難なことではないだろう。全国的にもすでにたくさんの農業生産法人が組織、運営されている。
 比較的少数の農業者が、出資し、労働し、利用することによって、地域に労働の場を創出し、地域の農業生産を維持し、地域社会の活性化に貢献する。これこそ真の協同組合、それも新しい型の協同組合といえる。私達は演繹的手法で農業者の生産法人結成に積極的にかかわるべきだろう。
 既存のJAとワーカーズコレクティブとしての農業生産法人という地域での協同組合の二重構造をつくり出すことによって、私達はマクロ的にも、ミクロ的にも所与の課題の解決に向けた展望を切り開くことができる。
       (以下次号)


誰でもできる直播を目指す

福井市 安実 正嗣


 今年で二作目の取り組みとなる簡便な水稲直播法を紹介します。
 圃場の前提として、種まき直前まで耕されていないこととします。
 以下順を追って、この方法の特徴を示します。
一 五月上旬まで不耕起の状態であるので、既に発生している雑草(スズメノテッポウ、セリ等)をバスタ等で駆除する。この作業は播種の三日位前までに済ませておく。
二 できれば圃場周囲に溝を掘り、灌排水の便を図る。
三 基肥を施用した後、ドライブハローにて浅く(約七センチから八センチ)に耕す。
四 忌避剤(スズメの害を防ぐため)を芽出し籾にまぶす。このときの発芽状態は、 根がからんでいても可能である。
五 種もみは、手撒きが楽である。一〇アール当たり八キロ位をまんべんなく散播する。
六 播種後鎮圧する。土に種子をなじませる。現在はドライブハローを中立にして転がす状態であるが、できれば鎮圧が望ましい。
七 播種後約二〇日間で草丈 は一.五〜二.〇センチに 伸長する。この時点で湛水 する。播種後好天が続き、乾燥する場合には一度湛水したち落水する。
八 湛水後除草剤(一発剤あるいはクリンチャー)を散布する。
九 三日間の湛水後、落水する。
十 あとは田植え後の水管理に準じて行う。
 以上、私が考え実践している直播ですが、名付けて『簡易乾田浅耕直播』といいます。
 この方法の利点としては、
一 代かきが不要である。
二 播種までの作業に時間を多く要しない。
三 カルパーのコーティングも不要である。
四 天気の回復を見て、圃場に水がたまっていなければいつでも可能である。むしろ、雨降りの二日前くらいに照準を当てるとよい。
五 野鳥の食害は一部にすぎず、スズメのみを考慮に入れればよい。
六 初期の水管理はほとんど不要である。
 以上ですが、まだ改善すべき点もあります。
 方法の六番に記した鎮圧ですが、トラクターのわだちに発芽したものは以後も吸肥力が強い。ハローで押さえただけのところは、発芽はよいがわだちに発芽したものより生育に差が生じる。肥料分を吸いにくいのか場合によっては三葉位の生育差が生じてしまう。こうしたことから、鎮圧法を考える必要がある。
 現在、全国的に行われている直播は、補助金を伴う高コスト(ヘリの有人無人を問わず)多心配型の技術のように思えてならない。カルパーによるコーティングは、農家の思考過程まで包み込んでしまい、画一的で農家サイドの工夫が感じられない。もっと手軽で、誰にでも取り組める技術でなければならないように思う。

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