あぜみちの会ミニコミ紙

みち13号

(1997年春号)


シグナル

      

福井市 中川清


 昔から、春の農作業の忙しい時期を「さつき」と言って5月を指していた。ところが、近頃石油とか電気の熱エネルギーで稲の苗発芽をして育てるようになって忙しい時期は約半月余り早くなってきた。
 ゴールデンウィークは兼業農家にとって農作業をするのに最適となり、早い家では忙しさの峠を越えているところもある。
 日頃、年寄りしか見られぬ農村の田圃に、若い人の姿が見かけられるのもこの時期である。
 農村の働く人達はどんどん年をとって、若い就農者の数は急速に少なくなっている。希望を持って働こうとする若い人達にとって、コメが余っている恒久的な現状の中では、所得確保もさることながら、世間が期待していない職業という現実にあっては、働きがいがないと思う。
 世界の先進国の中で穀物自給率三〇%という最低の数字を見ても、「安ければ外国から買えばよい」という体制が主流では、若者を農業につなぎ止める力にはならない。しかもこの傾向は、先の発表された「農業白書」でも容認されている。
 経済には、成長率何パーセントとかいう数字が示されているように、食糧の自給率も好ましい目標数字として国はどのくらいの自給率を期待するのか国民合意を得るための指数を出して欲しい気がする。今の所それがないのが淋しい気がする。
 この現状を打開する一つの方法として、私は一戸の農家を五〇〜七〇(一〇〇)世帯の消費者が産直で支えるネットワークができたらと思っている。
 そこで一消費者が月七〇〇〇円〜一〇〇〇〇円の農産物を契約購入支援する体制ができれば、農家にとって基本的所得が確保され、第一「自分の作ったものを美味しいといって待っていて下さる」という、心の支えが若い人にもやる気を起こさせると思っている。
 農家もただ作ればよいということから、一歩進んで消費者の(買って下さるお客様の)気持ちになって、安全で自信のある作物を育てる努力をしなくてはならないことになる。
 そして、消費者の方も、直接生産者とつながりをもつことによって、援農(縁農)の心が生まれ育って農業理解の一翼になれると思っている。
 昨秋、胃摘出手術を受け、その養生のために今春は、家族の助けを借りて、少しのんびりとした農作業を心がけている昨今だが、この秋も産直のご契約をいただいた。多くの人達に喜ばれるものをお届けしたいと家族とともにこの「さつき」を乗り切ろうとがんばっています。

私の農業人生のタイムセット

福井市 名津井 萬


 友人のN君より、我々の歳(六二歳)になると、必ず体のどこかが悪くなっているので、人間ドックで精密検査を受けるべきだと忠告され、一泊二日の人間ドックに入ることにした。
 早速、JA生活指導員の小林さんにお願いした。翌日、土橋さんより日時の指示があったので、その日でお願いする事にした。
 三月二八日、F病院の快適な個室に入り看護婦さんの付きっきりの案内で、色々な精密検査を受けた。胃も腸もカメラで検査してもらった。翌日、検査結果の報告を受けた。
 まず内科の先生の前に、少々不安を覚えながら座った。先生は検査報告書を見ながら「悪い所があると赤字があるのですが、一つもありません。満点です。」とあきれたような笑いを浮かべながら言われた。六〇項目ほどの検査結果はすべて正常値に入っていた。次に外科の先生の前に座った。先生は報告書を見つめながら「きれいな血液ですねェ、めずらしいねェ、それに握力、肺活量も骨の方も申し分ありません。」と内科の先生と同じく笑顔で言われた。おもわず「ありがとうございます。」と頭を下げた。看護婦さんからも骨の検査結果を見ながら「骨の硬さも普通の人よりも硬いです。」と言われた。
 検査報告書を見ながら、自分の健康に心から感謝した。健康である事を私なりに振り返ってみると、  まず第一に、牛乳を食後に必ずコップ一杯は飲んでいる(私は酪農家)。
二、好き嫌いが無い(不平不満をいった事は無い)。
三、起床は年中五時から六時頃起きる。
四、朝食前に二時間半は牛舎で一汗流す。
五、タバコは吸わない、酒は少々。
六、農業者である(どんな重労働にも耐えることができる)。
七、暇があれば本を読む。
 それらの事が健康につながっているのかも知れないと思っている。
 私は今日まで秘かに自分の農業人生(現役農兵)を七〇歳にタイムセットしておいた。
 しかし人間ドックの検査結果から、あと五年のばす事にした。「私の農業人生、七五歳」にセットしなおした。

一〇年前の野菜は、今は食べられない?

 

福井市江守中 片岡仁彦


 今日の野菜や米などは、品種改良が行われている。これがバイオ・テクノロジー(Bio-technology)である。優れた品種どうしを、かけ合わせてより良い品種を作り世に送り出してきた。
 私の思いでは、これまでの成り行きはまだ自然的であった。しかし、今は人為的に操作できるようになってきている。除草剤に強い大豆、害虫を殺してしまうジャガイモのように人間の都合のいいように作り変えられてしまっている。この技術が遺伝子組替である。
 遺伝子(DNA)の物質はアデニン・チミン・グアニン・シトシンという化学物質の組み合わせで成り立っている。この組み合わせの違いだけで人やその他の動物・植物という差が生まれてくる。今この遺伝子のつながりを人為的に組替・操作してしまっている。
 野草から野菜への変化。数千年以上の月日が流れ、その変化はゆったりとしていた。そのゆったりした変化の中で、人間はその時代の最良のものを栽培して来たと思う。変化は突然変異として現れ、良い物は栽培され広まっていったと思われる。
 自然界では、太陽光線のなかの、紫外線や放射線などが遺伝子を壊して突然変異を起こす。その突然変異が起こる確率は数百万分の一でしかない。それが人為的に放射線を放射することによって確率は数千分の一になるという。それすら待てなくなり、人間は遺伝子を直接操作して、目的の性質をもった動物・植物を作り上げることをしてしまっている。
このような動植物は自然界は決して生まれてくることのない物であり、いままでの地球が経験したことのないことでもある。
 その遺伝子組換作物をほんの少しの時間の実験をしただけで、栽培して安全だといって販売している。現にその生産地の周囲の雑草に(遺伝子組換作物の遺伝子は他の植物に遺伝する前に死滅するとされていたが、死滅するどころか野生種に交配するところもあった)影響するようになった例もある。それが人の手が及ばないほど大きな力をもっていたら、雑草を駆遂し見慣れた風景をも脅かす事になりはしないか。
 人はなぜ植物を食べるのか。
 動物は植物を通して土の中にある栄養を取り入れている。言い換えれば植物を媒介して大地を食べていることになる。その媒介役の植物の遺伝子が操作され、それを動物が食べとき、どのような影響があるかだれも分からない。
 時があまりにも短すぎるし、それだけでは解決できないと思う。
 人間の立ち入る領域ではないのではないか。

自分流唐詩散策(二)

福井市 細川嘉徳


 三月に妻と京都で「ミレーとバビルゾン派の画家たち展」を観ました。大変な人気で、美術館の前でも大渋滞でした。
 明日の糧を求めて、黙々と一本一本落ち穂拾いをする三人の農夫。麦秋の匂いが漂う中で、腰の激痛に耐えながら働き続ける農夫の背中に汗がにじんでいるようです。その姿には少しも貧しさが感じられません。なぜかその中に私達の先祖の尊い働く姿を見る思いでした。
 ここに中唐の詩人李紳の作による「農を憫む」という詩があります。「落ち穂拾い」と並べてみると内容に大きな共通点があるように思います。

 憫 農 李紳

 鋤禾日当午
 汗滴禾下土
 誰知盤中夕食
 粒粒皆辛苦

 か す ひご あた
 禾を鋤いて日午に当る
あせ したた かか つち
 汗は滴る禾下の土
たれ し ばんちゅう そん
 誰か知る盤中の夕食
りゅうりゅうみなしんく
 粒々皆辛苦なるを

 日が頭の上にきて正午になっても、農民は田畑を耕し続ける/汗が土の上にぽたぽた落ちる/だが誰も知らずにいる/椀に盛られた飯の一粒一粒がみな農民の辛苦のたまものであるということを
 「猫の手も借りたい」といわれた手仕事中心の農作業は、田植えをはじめ播種、耕耘、収穫、散水、薬剤、肥料散布、除草など機械(ロボット)が完全に肩代わりしています。同時に水田ばかりでなく畑作にも可能で、更にこれが無人ロボット化されようとしています。こうなればますます人手は要らなくなり、身体に汗して働く意義が問われることになります。貧食の時代から飽食の時代になったいま、農産物の生産事情はさらに一変しようとしているのです。

 コメという字を分析すれば ヨー
 八十八度の手がかかる
 お米一粒粗末にならぬ
 コメは我らの親じゃもの

 いまはもう聞けなくなりましたが、娘が嫁いだとき先方の親戚の方がお祝いに夫婦で歌った民謡「米ぶし」の一節です。娘を育てた親の苦労と感謝の心を称える気持ちが込められています。十年前神戸で聞いたこの歌の中にも「落ち穂拾い」と「憫農」とが重なるのです。
 暑い土用のさなか、汗と泥にまみれて水田の除草に明け暮れた経験を持つ私には、一枚の「落ち穂拾い」が多くの人を引きつける理由が分かるような気がするのです。

私も田舎が好き

 

福井市花堂南2 藤本清子


清明小学校 中川寛紀君へ

 昨年夏の暑い日、寛紀君の作文の載った「みち」10号を読ませていただき、稲刈りの好きな寛紀君に、大変感心しました。なぜなら、今の時代の若い人は、たいてい農業が嫌いなのでは、と思うからです。
 私は町に住んでいますが田舎が好きです。
 田舎の家は、町の家とは、土地も家も広々としていて住みやすいだろうと思うからです。
 田舎の家の屋敷には、樹木が植えてあり、美しい庭として、仕事から帰った人の心を慰めてくれるでしょう。また、他から来たお客様はしばらく庭を眺め、畑の作物などを眺めて家に入るでしょう。家のまわりに樹は植えてあれば汚れた空気をきれいに浄化してくれて、その家に住んでいる人はいつもおいしい空気を吸うことが出来ると思います。
 その樹が何十年もたって大きくなるとその家の歴史を無言で物語ることになるのです。
このような事でたんぼに作る稲も、畑に作る野菜も花も何にも言わないけれど農業の好きな人には、今、稲が何を欲しがっているのか、畑の野菜は、肥料が欲しいのか、水が入用なのかわかるのだと思います。稲や野菜と無言の対話をして互いに心を通じ合ったならばきっと、おいしいお米や野菜が収穫出来ると信じます。
 春の田植えがすむと、何処までも青田が広がります。このみどりを眺めていると、目の疲れも治るのです。
 秋には、頭の重くなった稲穂がうれしそうに風にゆれて、おいでおいでをしてくれますね。秋、寛紀君の家の西の通学道には、赤や白、ピンクのコスモスが青い葉と共に風にゆれる様は、田舎でなければ見られない美しい風景だと思います。だから、私はここを通る時、「田舎はいいな!田舎が好きだ」と思うのです。
 寛紀君、日本は農業国だと思います。お米がなければ 安心できないと思います。
おじいさんや、お父さんは、寛紀君のお米作りに希望をもっていらっしゃるでしよう。
いつまでも、みんなで力を合わせておいしいお米を作って下さい。
さようなら お元気で
平成九年四月記


楽農への誘ない

     

武生市 上良茂


 有機農業。これは現在の規模拡大路線やコスト信仰とは対極にあるため、経営として取り入れるのはまさに勇気農業といえるかも知れない。
 しかし、これもやってみると面白い。作る楽しみ、売る楽しみ、うまいといって喜んでくれる人の顔を見る楽しみ。加えて、最近いわれている農村と都市の共生ということであれば、直接生産に携わらない人達との交流も大事であり、また楽しみでもある。実際に生産現場へ来てもらい、自然の中で大いにくつろぎながら自由に思いを伝え合う。そんな場もあってはいいのではないかと思う。
 昔、雨や雪の日などに近所の古老が集まって、ほだ木のくすぶるいろりを囲んで目をそばめながら、談論風発に興じていたあの原風景ともいえるものに、私は今、少なからず郷愁をを抱いている。
 食糧供給や、水資源の涵養、環境保全など農林漁業の公益的機能を訴えても、農業者は地下水汚染などの加害者であるなどといわれる時代である。
都市住民など外部から客観的にものが見える人達との語らいの中で、田圃の中では見えないものが見えてくるのではないだろうか。都市からの遠来の友を得てそんな場を持つのも楽しからずやである。
 それがまた、かの人達に農を理解し、楽しむことの誘いともなれば・・・・。私は今、そんな夢を見ている。

国際感覚の意味

福井市 榎本千鶴


 今年二月に、福井県の農村女性の一行が海を渡った。ドイツ、フランスの農業事情、特に昨今注目を浴びているグリーン・ツーリズムに関する視察が、第一の目的であった。結果は総じて刺激的な内容であった。目に映ること全てが、感動に包まれていた。しかし一方で、様々な課題も多くはらんでいたように思う。そこで、私自身が感じた「課題」の一つについて、以下に述べることにする。
   

・・・・・

近頃は小学校や中学校でも、外国人教師による語学教育が行われているという。海外留学した人の話なども、私の身近なところで結構聞くようになり、随分私達の時代とは変わったものだと思うことも常である。
何故、こうしたことが日常化しつつあるのか。それは、他ならぬ日本国全体が国際化を唱っているからであり、それをうけて、世間がそうした風潮に取り残されまいとするが為の現象だと理解している。このように語学力をつけることで、国際感覚を身につけようとする気持ちは分かる。確かに今回の海外旅行の時にも、どれほど話せたらいいだろうと思ったことだろうか。言いたいこと、聞きたいことがたくさんあったが、たかだか出発前の3ヶ月足らずの語学学習では、大したコミニュケーションはとれずじまいだった。だから、国際感覚を身につける為には、語学力は必要不可欠だ。しかし、本当の意味での国際感覚とは、語学力とはもっと別のことにあるように私は思う。逆に言えば、ただ単に語学が堪能なだけでは、国際感覚が身に付いたとは言えないと思うのだ。では一体何をもってして、国際感覚というのだろうか。それは、「違いを認められること、違っているという事実そのものをありのまま受け入れられる」気持ちの容量を指すのだと思う。(ちなみにここでいう違いとは、文化、気候、風習、思想等あらゆるものでの違いを指す。)そのようになって初めて、人と人の間に相互理解が生まれるのだ。
 今回の農村女性達の海外研修企画に対し、実際冷やかな目であったことは否めない。
 「わざわざ海外にまで行く必要があるのか。海外でやっていることなんか日本で出来るわけがない。規模も手法も全く違っているのだから」という意見である。しかし、こうした意見に対して私はこう言いたい。この違いというものを自らの目で確かめたのか。(もっとも確かめる勇気がなければ論外だが)違うというだけで、始めから拒絶しているのではないのかと。「拒絶」からは相互理解は生まれない。ましてや、違いを受け入れる器量などあるはずもない。それではいつまでたっても、真の国際人には成り得ない。繰り返して言うが、たとえ何カ国語を話せようとも、こうした感覚のない人には国際化を語る資格はないと思う。
 このように、今一度国際感覚の意味を問い直す必要があるのではないだろうか。
これは何も、国際的な舞台でばかり論じられるものではない。むしろこうした感覚については、まずは身近なところから再考すべきだろう。難しいことではないと思う。「違いを認めること」だ。そうしてそれを「否定しないこと」だ。私達は、常日頃こんな言葉を使っていないだろうか。少なからず思い当たる節は、誰しもあるはずだ。「あの人、あんなことして何になるんだ」「あんな風なことしなくてもいいのに、恥ずかしいとは思わないのか」等々。自分がその人の生き様を認められないから、(認められるだけの心の器が備わっていないからなのに)逆に相手を蔑むような言い方の数々。もっと身近な人間関係の中からこそ、実は本当の意味での国際感覚は培われていくものかもしれない。

ボランティア再考:その1

−「あぜみちの会」はボランティアだった!−

             

NOSAI福井企画広報課 小野寺和彦


 阪神・淡路大震災及び今年初めの重油流出事故でボランティアの活動が注目されている。前者は「ボランティア元年」と呼ばれ、後者に関しては地元福井新聞に様々な問題点も含めて連載がされ、「ボランティア文化は着実に根付いたと思う。三国の海は地元だけのものでなく、全国の人のものだ、とのボランティアの言葉に感激した。この気持ちでどこで災害があってもかけつけるだろう」(福井新聞4月2日付、三国町社会福祉協議会事務局長の言葉)という表現も見られるように、ボランティア活動への関心が高まりつつあるかにみえる。
 でも、そもそもボランティアって何だろう。広辞苑によれば「志願者。奉仕者。篤志家。自ら進んで社会事業などに参加する人。」とある。
 もう少し、詳しく見てみよう。1990年のボランティア活動推進国際協議会総会におけるボランティア宣言によればボランティア活動とは「個人が自発的に決意・選択するものであり、人間の持っている潜在能力や日常生活の質を高め、人間相互の連帯感を高める活動である」とあり、さらにボランティア活動の理念としては
1.自発性(自立性)
2.無償性(非営利性)
3.公共性(公益性)
4.先駆性(社会開発性)

に集約されるとしている。
 定義付けを読むと、どうも「あぜみちの会」もボランティアではないかと思えてくる。誰からも強制されたわけではない、組織などからの命令で動いているわけではない。組織を離れた自由な発想とフットワークの軽さ。これによって一儲けしようと考えている人もいないだろう。そして「作る自由、売る自由」の時代ながら、農業及び農業者を支援するということは大いに公共性を持つ(これに反論する人もいるが)。さらに農業者と農業関係機関・団体職員が非公式のネットワークを形成しながら「人間相互の連帯感を高め」ているところなどは先駆的ではないか。
 農業者支援は特に今後は個々の農家との接触や産地作りなどでも個別対応的な要素を深めていくだろうから、行政や団体側もボランティア的要素を積極的に取り入れていったらどうだろうか。発想の自由さとフットワークの軽さを取り入れられないものだろうかとも思う。
 と、ここまでは「ボランティア」をよいしょっと持ち上げた。次回は多くの方々が「ボランティア」について描いているイメージに揺さ振りをかけたい。
       (以下次号)
                          


農業協同組合の再生について(四)

  

福井市 屋敷 紘美


六、JA「協同組合」は可能か

 これまでJAが食料という国民の生存にかかわる産業を一手に支える巨大な組織であったことが、経済的にも政治的にも大きな影響を持ち得た源泉であった。
 歴代の政府は如何にJAを行政の末端において食糧政策を実現していくかを判断基準としてきた。その政府を支える政党は自らの選挙基盤を盤石ならしめるために、農業者やJAの圧力を受けながら、その要求実現に努めてきた。政府・与党・JA(農業者)は三人四脚のようにこの五〇年を共に歩んできたのだ。
 しかし、この数年農業者人口の急速な減少と高齢化、産業としての農業の価値の低下、経済の自由化・国際化などの流れの中で、この三者の関係に大きな変化がみえはじめたことは、これまでみてきた通りである。また、長年の三者の「癒着」が国民から厳しい批判を浴びていて、農業やJA(農業者)がア・プリオリに彼らの支持を受けているわけではない。
 したがって、JAがこれまで占めてきた社会的地位│行政の補助機関並びに政治的圧力団体│は早晩弱体化していくことは明らかなことである。
 こうした歴史的変化の中で唯一残された道は、もう一つ社会的地位│協同組合としてのJA│を明確にしていくことである。これまで行政や政党に向けがちであったその方向を、組合員と地域にこそ向ける時であろう。
 また、合併とリストラという方法で、その生き延びる方向を定めることの是非はどうだろうか。
 すでに一般企業の経験にみるように、必ずしも大企業が競争を生き抜けるわけでもないし、小さな企業が必ずしも競争社会で敗北し去るはずもない。むしろ、どのような企業のアイデンティティーと戦略を持ち得るかこそ問われるのではないだろうか。よしんば、一般企業と同じ論理で競争に打ち勝ったとして、協同組合のアイデンティティーを置き去りにしたとしたら、存在するどれ程の意義があるだろうか。
 経済システムの中で、あくなき利潤追求を至上とする資本主義セクターに埋没するのではなく、相互扶助を命題とする協同組合セクターを拡大して、その存在を揺るぎないものにすることが経済団体としてのJAに求められることである。
 思想的には「個人の利益」に対して「共同の利益」が、「競争の原理」に対して「共生の原理」がそれぞれ協同組合のカテゴリーとして措定されるべきである。
 これらの戦略とカテゴリーを持つことがJAを将来にわたって生き延びさせる道である。
 そして問題は、これらの協同組合としてのアイデンティティーが現実のJAに可能かということだが、合併に前後する時期の体質やありようからして、その「構造的変革」を遂げたとは考えられず、協同組合として競争社会に乗り出すということは「見果てぬ夢」の可能性が高い。
 そこで現実味を帯びてくるのは、建て前としての「協同組合」を掲げる既存のJAを一方で認めつつも、真実の協同組合を求める農業者がもう一つの協同組合を設立する可能性である。
 国の内外を問わず、その新しい動きは胎動しており、次にその経過と現状についてみておきたい。

七、ヨーロッパ生協の変質と再生

 ヨーロッパと「アメリカでは一九七〇年代以降、伝統ある生協が経営不振に陥り、倒産や株式会社化が進んだ。
 イギリスの場合を例にとると、国内での小売りのシュアは一九六一年の十・八%が一九九一年には四・一%に、組合員数は一九六二年の一三一四万人が一九九二年には八一五万人に減少している。この間に倒産したり、不振による合併によって、組合数は八〇一組合から六九組合になってしまった。
 このイギリスの生協の衰退については次のような原因が指摘されている。

@小売形態の近代化のおくれ(スーパーマーケット化のおくれ)
Aアイデンティティーの喪失│組合員の生協離れ
B組合員の老齢化│若い婦人層の離反

 ドイツでは、生協の株式会社化が進められたが、一九八九年、世界一の「生協」だったコープ株式会社が事実上倒産した。
 フランスでも一九八五年ロレーヌ生協(世界第二位)、北部地方生協(同三位)の倒産が相次いだ。
 いずれも資本の攻勢に対する立ち遅れやアイデンティティーの喪失がその原因であると総括されている。
 既存の生協が苦戦している中で新しい型の協同組合がヨーロッパを中心に広がりをみせている。一般的にはワーカーズ・コレクティブ又はワーカーズ・コープと呼ばれているもので日本では生産協同組合と呼ばれている。
 産業の国際化や企業合併による大規模化によって、国内産業、地域社会の空洞化が進んでいるのは先進国共通の現象だが、ワーカーズ・コレクティブはそうした空洞化現象に対する地域活性化の新たな試みとして取り組まれている。
代表例としてスペインのモンドラゴン協同組合があげられる。
 この協同組合の出発はスペインの神父アリスメンディアリエタが青年のために職業技術学校を設立したことに始まる。その卒業生達が家庭器具などをつくる協同組合工場を設立。その後さまざまな分野の協同組合を設立していった。現在では工業、農業、教育、住宅、各種サービス分野にまで広がっており、これら一群の協同組合の複合体をモンドラゴン協同組合と総称している。開発に取り残されたスペイン、バスク地方の労働者に多くの就業チャンスを与え、地域活性化と雇用問題解決に大きく貢献している。またモンドラゴンで理念とされた「資本・労働・民主主義の一体性」は今やワーカーズ・コレクティブの原理となっている。
 イギリスでは一九七〇年代に工場共同所有運動が新しい潮流として注目され始めた。これは企業の経営不振による合理化、倒産の過程で発生する失業者の増大を背景として唱えられた。この運動は企業の所有権を労働者が買い受け、協同組合理念に基づいて運営することを原則としている。
 イギリスのロッチデールで誕生した協同組合は、貧しい労働者が小金を出し合い日用生活必需品の共同店舗を開いたのが始まりである。時代が進み、世界各地に広がった「共同店舗」で「買う組合員」と「売る専従者」が機能的にも人的にも分離していった。またその時代や国の政治的経済的構造の中に組み込まれたために、新しく発生する「弱者の悩み」を充分吸収する機能を果たし得なかったことも事実である。彼らの抱える課題を解決するには、新しい地平から発想される運動が必要であった。モンドラゴンに代表されるワーカーズ・コレクティブの隆盛はそのことを物語っている。ただロッチデールにもモンドラゴンにも共通にあるのは「資本・労働・民主主義の一体性」である。
│以下次号│


このミニコミ紙は年間1000円で購読できます。メールでも購読申込みを承ります。

このホームページに関するご意見、ご感想をお聞かせ下さい。 m-yamada@mitene.or.jp

[ホームページ] [あぜみちの会] [寸鉄&寸鉄塾] [アーギュー会] [私の職場] [プロフィール] [ブルガリア]           みち13号