台湾旅行その1  2018.12




     ――台湾旅行――


 台湾は、一度は行って見たい場所であった。一昨年に一度予約したが、帯状疱疹にかかって中止。2回目は昨年HISへ申し込みに行くが、ツアーの価格を見て割安のアンコールワットにかわった。今秋、自治会や祭りの行事が終わってやっと一息つき、念願の台湾旅行となった。
 台湾は沖縄とほぼ同緯度で九州ぐらいの面積を持ち、基本的には中国文化の国である。戦前は日本の統治下にあり、インフラ整備が進んだ。戦後、文化革命後に中華民国政府が移り住み現在に至っている。そのため、中国政府との関係は微妙なものがある。日本統治下の影響が何処まで残っているのか、中国との微妙な政府関係がどうなのか。市民の生活は日本と比べてどうなのか等が知りたくて台湾へ向かった。
 結果的には、台湾は予想に反し発展を続ける近代国家だった。民族や言語は中国系であるが、日本やアメリカに近い民主主義国家として発展している。地下鉄や道路状況、高層ビルなど、日本の大都市とほとんど変わらない印象だ。ただ、台北市周辺は、周囲の都市を合わせれば人口が700万人近くあり、日本の大都市のような人口密集地帯である。淡水や桃園市などの郊外へ出ても田や畑はほとんど見られず、市民は何を食べているのか心配するほどだ。台中や高雄など中南部へ行けば事情は変わるのかもしれない。
 その台湾の人達と言えば、政治的な難しさなど関係なしに、パワフルに毎日を営んでいた。人口が密集する場所で、高い緊張度の中、たくましく生きている印象であった。台北市は交通の便は良いし、食べものは旨い。一部古い建物や汚れたところはあるが、何年かすれば、解決して行くことだろう。色々な意味で考えされられる台北市である。



   1日目(12月4日)

 14時過ぎに車にて小松空港へ向かう。北インターより北陸自動車道利用し、15時過ぎに小松空港着。国際便専用の無料駐車場へ車を置くが、雨降り。空き時間に自動両替機にて台湾元に両替するも、交換率は1元が4.2円。レートは3.7円だから意外に交換率が悪い。17時半にはエバー航空の受付カウンターにて荷物を預け、チケットを得る。
 19時半に小松空港発。台湾のエバー航空BR157便で緑色の垂直尾翼が特徴だ。しばらくして機内食が出る。中華風の味付けで早くも台湾を感じた次第。窓の外は真っ暗で何も見えず、流れる映画も見る気がせずじっと我慢の3時間であった。
 23時ごろ、台湾付近へ近づく。空港が混んでいて10分ほど上空で待つことになる。桃園空港は意外に大きく、地元のエバー航空機を多数見かける。ターミナルビルは明るくて広いものであった。最近の入国審査では顔写真や指紋を取られる。悪いことをしている訳ではないが気持ちの良いものではない。出口で現地のHISスタッフと落ち合う。待ち時間に2万円を台湾元に両替するが、こちらのレートの方が良いようだ。どうして小松空港のレートが高いのか疑問だ。
 大型バスにて我が宿のグロリアプリンスホテル、台湾名の華泰太子飯店へ向かう。ホテルまでは1時間弱ほど、チェックインは12時をまわっていたような気がする。この日は、深夜遅かったため風呂に入ってそのまま就寝。



   2日目(12月5日)

 この日は出発が7時半のため、起床が6時、食事は6時半からだ。朝食場所はそれほど広くはない。部屋の番号を口頭で伝えてテーブルに案内してもらう。バイキング形式だから自分で料理を取ってくる。並ぶ料理の品数はそれほど多くないが、必要な品は揃っている印象だ。中華風を中心にパンやサラダが並ぶ。オムレツはその場で作ってくれるが、列が出来ていたのでこの日はパス。日系ホテルだから8割近くが日本人。飛び交う言葉も日本語なので何かと安心感がある。半分国外、半分日本のようなホテルである。
 食事自体は薄味だが味付けは悪くない。パンもコーヒーも旨かった。窓からは通りが見え、天気や人の流れが確認できる。シティホテルとしては十分だ。


   行天宮

 市内観光は現地旅行社の大型バス一台で、いくつかのホテルを周って客を拾う形だ。団体とは言っても、日本人というだけでどこの誰だか分からない。たぶん、HIS以外の旅行社で申し込んだグループも含まれている。
 最初の訪問場所は、商売の神様だという行天宮。松江路沿いの大きなビルの合間にあるお寺である。屋根に派手な装飾がある中国風社で、質素な日本のものとは趣が異なる。中へ入れば、平日にも関わらず訪れる信者が数多く、熱心にお参りしていた。正面には仏像のような像が置かれているが、中国語での案内文のためどのような人物か不明。後ろでは何人もの信者が机の上で教本を読んでいる。観光客が悪戯をしない様に監視する信者もいる。邪魔をしては悪いので、軽くお祈りをして外へ出る。外ではツアーが雇ったカメラマンが集合写真を撮ってくれた。1枚200元であったが、この写真が旅行の唯一の集合写真となった。
 翌日も含めいくつかの寺を見たが、何処も若い人や中年の信者が数多く訪れていた。日本ではこういう風景は殆ど見られず、台湾の人は信仰が深いのだろうか。 





   忠烈祠

 大戦の死者を祀った日本で言えば靖国神社のような場所で、監視する兵が交代する場面が見ものとなっている。この日は午後から雨の予報が出ていたため、中正記念堂より先に行くことになった。施設は市内北方の士林地区にちかい山際にある。丁度交代の時間であったため、待つことなく交代式を見ることが出来た。ピカピカに磨かれたヘルメットを被った7人の若い兵が、目を見開きメリハリのきいた動きで静かにそしてキビキビと行進をする。見張り兵は給料こそ安いが憧れの職だという。交代式は見事なものだが、長時間瞬きしないから大変だろうといらぬ心配する。日本人観光客が多かったが、日本軍に勝利した場面のレリーフを見れば決して気楽に見られる施設ではない。そのことをどれだけの人が理解しているのだろうか。


   大山茶藝
 
 忠烈祠のあとは中山区松江路にある老舗の茶屋に寄る。10人ほどのグループに分かれて、説明を聞きながら色んな種類のお茶の飲ませてくれた。我々のグループは、年配の女性の担当だった。上手で面白い説明に感心したが年齢を聞いてビックリ。昭和7年生まれの86歳だと言う。姿勢が良いし動きもかくしゃくとしている。我が母親より一つ若いだけなのに何と元気なことか。日本語があまりに上手なので日本人だと思っていたが、後で話を聞くと純粋の台湾人だと言う。小さい時から日本語で育ち逆に中国語を知らないという。先の大戦で両親をなくした戦争孤児で、苦労話を聞くと頭の下がる思いだ。一緒に写真を撮って、茶ポットとメンマとハスの実の甘納豆を買って外へ出た。





   総統府(車窓より) と中生記念堂

 バスの車窓より総理府を眺める。良く分からなかったが、古い建物であることだけわかった。いまでも台湾政府が入っている建物だという。この時は、それだけだった。
 中正記念堂は何と表現していいのだろう。広い敷地に巨大な記念堂が立つ。一見すると中国の天安門広場を思わせる。正面には蒋介石の像を祀る記念堂があり、両側に国立の音楽堂と演劇堂がある。ともに中国風の建物であり、その大きさは訪れる人を驚かせる。きれいに整備され、国の威信を感じさせる場所である。台湾を代表する観光地にもなっており、多くの人が訪れている。
 蒋介石本人もこれだけ祀り上げられることとは思いもしなかっただろうが、この施設は、台湾の今置かれている立場を良く象徴している。巨大国家中国と渡り合おうとすれば大変なことだから。
 ここは、台北駅からそれほど遠くなく総統府や迎賓館にも近い。場所的にもわかりやすく、台北を象徴するランドマーク施設となっている。


   免税店と台湾料理

 コース途中で連れていかれた免税店。入り口に、故宮に展示されているヒスイの白菜を模した作品が正面に置かれていた。各コーナーには台湾を代表する土産物が数多く並んでいた。出来立てのパイナップルケーキを試食させてくれたがこれはこれで旨かった。購買意欲はなく、孫用にTシャツを1枚買っただけだった。
 市内ツアーの昼食は「春梅子」という店であった。松江南京駅近くにあり、普通の台湾料理を出す店である。高級店という訳ではないが、それがかえって現地の食を見るには丁度良い。
 丸い大きなテーブルで待つと、大皿に野菜炒めや豚の炒め物、小籠包や現地の果物と次から次へと出てきた。最後の中国茶も美味しかった。どれも、口に合うマイルドな中華味である。日本で食べる中華料理と似ているが、やはり現地の物は異国を感じさせる味であった。昼なので酒は飲まなかったが、隣の若者が飲んでいた「台湾ビール」は少々気になった。小一時間ほどで店を出たが、食の台湾を十分感じさせてくれた店であった。

   足裏マッサージ


 コースの中に足裏マッサージがある。高架下横にある「滋和堂」というマッサージの店で、何人ものマッサージ師が居るようだった。女性を中心に700元を払ってマッサージを受けていたが、自分を含め男性陣はそれほど興味が無く、店外で待つかその辺をぶらぶらするだけだった。カメラを片手に周辺を散策するが、現在地が分からない。地図と道路標識を見比べるのだが、はっきりしない。後でネットで調べれば、南北に伸びる新生北路一段と長安東路一段が交わる交差点付近で、先ほどの食事を摂った「春梅子」にそれほど遠くない場所であった。





   故宮博物館
 
 故宮博物館は、中国の故宮に似せて作られた博物館で、士林の東方の山際に建てられた立派な施設である。3階建ての建物で、地下1階の出口付近で解散して自分たちで周る仕組みだ。バスが混んでいるので集合時間を守らないと大変なことになる。集まる時間を気にしながら、貴重な展示物を見て回った。最初に入ったのは、有名なヒスイで作られた白菜の彫刻の部屋。豚の角煮の石細工もある。皇帝妃が嫁入り道具で持ってきたものというが、白菜の彫刻は他で展示のため出張中だった。
 それぞれの部屋や展示物を順番に回ったが、総じて展示品が小物で少ない。たぶん、中華民国政府がこの台湾へ移る際に、北京の故宮博物館の展示物の中で小さくて運びやすい物だけ持ってきたようだ。体系的ではないし、説明文ばかりで展示物そのものが貧弱だ。それも、台湾のものではなく中国本土の物ばかりだ。中正記念堂と同じく、国の体裁を整えるために急いで作ったという印象を持った。

   小籠包の店

 ツアーの夕食は、これも有名な「鼎泰豊」の小籠包だ。日本人には読めないが「ディンタイフォン」と発音する。本店というが意外に狭い店であった。人気が有り過ぎて行列ができる店らしいが、我々は少し早く着いたので並ばずに済んだ。1階では何人もの職人が小籠包を作っていた。我々は3階の10数人入れる小部屋へ案内された。蒸し籠に載せられた小籠包が次から次へと出てくる。7,8籠あっただろうか、はっきり覚えていない。どれも、美味しい肉汁を味わうことが出来た。昼に飲めなかった「台湾ビール」を注文したが、何故か自分だけだった様な。最後に出てきたのは甘い餡子を生地で包んだ餡万風の小籠包。さすが小籠包の店だ。デザートも小籠包とは笑ってしまう。 



   士林の夜市
 
 小籠包の後は台北で1,2を競う士林の夜市だ。夜市とは、祭りの屋台の様なものだ。バスで目的にまで行くのだが、帰りの集合時間までに戻らない人は現地解散を選択したと判断するという。夜市はどれも面白いから、つい時間を忘れてしまう。それに、戻らないグループを広い夜市で探すわけにはいかない。仕方のない方法であろう。
 士林の夜市といえばそれはそれで賑やかなものである。色々なものが所狭しと並べられている。一つ一つの店は紹介しようもないが、中には得体の知れないものもある。何を買うかはそれぞれの責任になる。
 我々は、奥まで行って帰る時に別の道を戻った。方向が合っているので大丈夫だと判断したが、出たところは見知らぬ場所だった。集合時間が迫っていたため少々焦る。近くにMRTの士林駅があると言うが、まだ使ったこともない。慌てて、道路沿いに移動し何とかして元の入り口付近に辿り着く。一つ間違うと自力で戻るところだった。危ない危ない。




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