誓凛〈二〉―seirin


 

 

 

「あの………失礼致します」

 あれから一刻ほど後。

 遠慮がちに先言して、イルカは盆を片手に持ちつつ再度襖を開ける。

 中では紙燭を灯しながら、文机に向かって筆を走らせている相手が眼に入る、

 彼の周りには、運んできた荷物の中身、つまりは城の書類が散乱していた。

「あ、お邪魔でしたでしょうか?」

「いや、今一息ついていたところだ。………何か用か?」

「は、はい。故須賀からの道中、火影の忍の先導があったとはいえ、お疲れかと思いまして………簡単な夜食を作ったのですけれど」

 粗末なものですが、よろしかったら召し上がってくださいと言い残し、そそくさと姿を消そうとしたイルカを、

「待て、暫くここにいろ。話相手が欲しい」

「は?いや、でも………」

「いいから」

 言い淀む家主を無理矢理部屋の中に引き止め、巻物を払いのけて彼を傍らに座らせた。

 仕方なくその座布団の上に腰を下ろし、イルカは改めて周囲を見回す。

(………こんな状況下で仕事だなんて、流石というべきか………)

 老中の子息ともなれば、おそらく若年といえども城の重職についているのだろう。

 その彼が扱う文書を、俺なんかに軽々と晒してもいいものかと、思わず首を捻ったが、

「それで、イルカ」

「は、はい城主様」

 違うところにやっていた思考をハッと戻し、慌てて姿勢を正すイルカに、紫苑は僅かに苦笑いして、

「そんなに固くなるな。………それと、紫苑でいい。まだ城主と呼ばれるには至らんからな―――で、」

 と、一枚の和紙を持って彼は向き直り、

 

「忍と言うのは、実に多岐に渡り知識を有しているらしいな」

 

「え?」

「以前から助言をもらいたいと思っていた。丁度いい機会だから、文書の整理を手伝ってくれ」

 言うなり、ぽん、とその紙を無造作に掌に放られる。

 イルカはたっぷり三秒は眼を点にした後、あわてふためいたいたように腰を浮かした。

「ちょっ、なっ………城……し、紫苑様!部外者に城の情報なんて漏らしたら………!」

「別に構わんだろ。お前は悪事を好むようには見えんし」

「いや、そういう問題では………」

「まず、この徴収税の振り分けなんだが」

 いっそ小気味よいほど見事に反論を無視して、相手は淡々と話を続けてくる。

 その性格のいい姿勢がどこかの誰かと重なり、イルカは心中で重々しい溜め息を吐いた。

 

(何で俺って、こういう人にばっか縁があるんだろうなぁ………)

 

 それに結局逆らうことの出来ない自分を情けなく思いながらも。

 イルカは腰を据えて相手の質問に応じ始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 そして時間が流れ、紙燭の油がほぼ尽きかけた時分。

 

 紫苑ははっきり言って、額に汗するのを抑えられずにいた。

 忍は賢い、その眉唾な噂を確かめようと、実を言えば半分戯れで彼を捕まえたのだが………

「………お前、本当に中忍か………?」

 僅かな嘘も込めず、そう呻かずにはおれない。

 彼の知識量は言うに及ばず、洞察力、先読みの鋭さ、どれを取っても申し分ないどころかつりがくるほどだ。

「いや、俺はあんまり身体鍛錬なんかをしなくていいもので………その分、皆より少し時間があっただけですよ」

 はにかみながら恐縮するイルカを、紫苑はまじまじと見つめ、彼の作ってくれた夜食を箸しげく口に運ぶ。

 余談だが、これも実に旨い。食材は質素であっても、調理法が郡を抜いているのである。 

 彼はひどく謙遜してはいるが、その能力の高さはありありと見て取れた。

(成程な………火影の長も、粋なことをなさる)

 口には出さず呟いて、紫苑はにっと顔を崩した。

 こんないい相談役を前に、見逃せと言う方が無理な話だ。

「よし、じゃ次はこれだ」

「え?………ま、まだなさるんですか?もう寅の刻を過ぎてますけど………」

 お身体に障りますから、もうお休みになってください。

 と、方便でなく自分の身を気遣ってくる相手に、紫苑はますます上機嫌な笑みを浮かべて、

 

 

 いい男だな、こいつは。

 気に入った。

 

 

「さ、続きを始めようか」

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~~……………」

 清々しい早朝。

 力なく長い息を繋げて、イルカはよろよろと人気のないアカデミーの廊下を歩いていた。

 あれから結局、鶏が鳴き出す時間帯まで、かんかんがくがくと論争を続け(させられ)ていたのだ。

 だもんだから、まだ布団が温まらないうちから、そこを抜け出す羽目になった。

 それでもちゃんと高貴な居候の朝餉を作ってきているあたり、流石というべきか何というか。

 ともかく眠い眼を擦りながら、今日使う書類に眼を通していたわけなのだが、

「んー、ズイブンとお疲れのようですねぇ、イルカ先生」

「ええ、ちょっと夜が激しかったもので………………………」

 

 ………………………………………………………………………………………ん?

 今何か、とんでもない墓穴を掘ったような気が………

 

「ほーぉ、そうですか。夜がねぇ………」

「って、カ、カカシ先生っ!!??」

「おはようございます。それで今の台詞は、俺を怒らせるためと考えていいんですね?」

 振り返り様に、にっこりと過剰なほど人懐こく微笑まれ、ざーっとイルカの顔色が後退する。

 ………失態。いくらまだ頭が寝ているとはいえ、この人に付け込む隙を与えてしまうとは。

「あ、ああいえあのとんでもない。俺はただ事実を………」

「ふーん………事実?」

 更にカカシの笑みが濃くなる。間違いなく悪い方向に。

 この時ばかりは、イルカは自分の口下手さを心底呪いたくなった。

「だ、ち、違うんですって!ちょっと話をしてただけです!」

「本当に?」

「本当です!」

「じゃあ誰と?」

「だからそれは――――

 

――――――やられた。

 というか、ここまで誘導されておいて気づかない方がどうかしてる。

 

「いえねぇ、昨晩、野暮用ついでにイルカ先生の家に通りかかったんで、少し美味しい夜食でもねだろーかなーって。でも、何かいつもと家の気配が違いまして」

 だらだらとがまの油よろしく汗を流すイルカに畳み掛けるようにして、カカシは尚も上辺調子のよい糾弾をつぐ。

――で、いつも使ってない部屋の灯り、ついてましたよね。そりゃもう、勘繰るなと言う方が無理なほど夜遅くまで」

 決定。

 明らかに不埒な誤解をされている。

「いや、あの………」

「一体俺以外のどこの誰と、真夜中に仲睦まじくお付き合いしてたんです?
 ………返答次第によっては、今日寝かせちゃあげませんよ?」

 鼻の先にまで顔を近づけられ、何もここまでと思うほど凄まじい圧迫感を持って問いただされる。

 怖かった。とてつもなく。

 が、軽々しく任務内容をばらすことなど、堅実なイルカにできるワケがなく………

「………い、ぃ言えません」

 と、またしても不器用な言葉を火に注いだ瞬間、ぴき、とカカシの額に青筋が浮き出た。

 それを目の当たりにして、ようやく自分が出した台詞のまずさに気づき、慌てて手をぶれるほどに振る。

「だっ、いや、へ、変な意味じゃなくてっ!!そ、その内密の任………」

「そーですか。イヤ、あなたがそこまで不誠実で浮気性だとは思わなかったなぁ。
 ………じゃ、今夜『必ず』伺いますから」

 何もやましくないイルカの言い訳に被せるように、カカシは勝手に言い捨てて踵を返した。

 それに、血の気が音を立ててひいたのはイルカだ。

 夜に行く………つまるところそれは………

「って、絶対ダメです―――っ!!お、お願いですから来ないで下さいっ!!」

 むかっ。

 あまりにも必死な拒絶に、カカシはますます不機嫌さを濃くしていく。

 無論イルカとしては、家に匿っている御仁を一心に気にしてのことだったのだが。

「………んじゃ、俺の家に来てくれるんですか?」

「う、や、えっと………ほ、本当にここ暫くは勘弁してください。………十日過ぎたら、絶対埋め合わせしますから………」

 ほとんど泣きそうな顔になって懇願するイルカを、カカシは何か意味を含んだ眼で見下ろしていたが、

「………ま、とりあえず今は退きますか。じゃ、俺はナルト達ンとこに行きますから」

「あ……………!」

 答えとも言えないような呟きを残し、イルカが抗議の声を上げるより早く、その姿はふっと空に溶ける。

 後には、どこか不穏な雰囲気だけが残されていた。

「………はぁ………」

 暫く手を伸ばした状態で固まっていたイルカだが、やがて肺の空気が全て抜けるほどに深く嘆息する。

 何でいつもこうなるのだろう。

 誰も好き好んで、あんな怖い人を怒らせたいわけではないのに。

「って言ったって任務だもんなぁ………仕方ないか」

 と、渋々ながら思い直し、イルカは再び職員室に向けて足を踏み出した。

 

 

 

 ………しかし、彼はまだ知る由もない。

 カカシの機嫌が最初から芳しくなかったのは、別の意味があったということを。

 

 

 

 

 

 

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う、う~ん…何やら変な雰囲気ですね(汗)
ともあれ、紫苑様に異常にイルカ先生は気に入られたようです。
その反面、カカシ先生はかなりご立腹ですが(笑)

紙燭(ししょく)…ここでは、油にひたしたこよりに火をつける、灯りのことです。

 

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