椿愛しき艶煩い 〈下〉
「さて………と」
通常の職務を終え、ようやっと迎えた夜。
自宅に落ち着き、バサリとジャケットを脱ぎ落としたイルカは、一息をつく間もなく寝室へと向かった。
十畳ほどの和室。火鉢や文机(ふづくえ)、巻物を陳列させてある棚などと、几帳面な家主の性格がよくわかる、簡素な造りになっている。
そうしてイルカは中に入るなり、無造作に部屋の壁の一枚に手をついた。
すると、くるりとそれが回転し、彼の身体は隠し部屋にまで運ばれる。
基本ではあるが、忍であれば大体の家に普及している、どんでん返しのからくりだ。
ナルトがいる時にこの部屋を使ったことはないから、必然この仕掛けは誰も知らない筈。
こんな場所にこそこそと隠れるのも、単にあの好奇心の人一倍強い子供の奇襲をやり過ごすためだ。
もし女に化けているところを見られでもしたら、無理矢理彼の記憶を消す以外に自分が立ち直る道はない。
「やれやれ………じゃあさっさと終わらせるかな」
見合いは明日の昼から。その間に火影の屋敷に行き、化粧や着付けをせねばならぬと聞いたので、その前に一度だけ術を試しておきたかったのだ。
彼の手には、火影から譲り受けた高価な着物が収まっている。
薄い紫の下地に、鮮やかな椿が花咲いている、正式な女物の衣装。
試着してみろと押しつけられたそれを疲れた表情で屏風にかけ、イルカはすぅっと息を整えた。
変身はやるまでが大変だが、してしまえば変化ほど気は使わなくていい。何たって自分の容姿そのものを変えるわけなので、いちいち変化みたく相手を思い浮かべている必要がないのだ。
彼は先ほどナルトがしたのと同じチャクラを溜め印を結び、最後にくっと気を籠める。
そして、
「っ………」
立ち上る煙。チャクラを纏う感覚。何より妙な身体の気配。
この隠し部屋には、非常食や夜具と必要最低限のものしか置かれてはいなかったが、それでも壁に僅かに埃を被った姿見がかけられていた。
イルカは落ち着かない裸身に、とりあえずバサリと着物を羽織り、恐る恐るその鏡に己を映す。
が、瞬間、思いきり顔が強張った。
「………ナンか、やっぱりイヤだなぁ、この術………」
腰ほどまでに伸びた、光沢ある黒髪。
濡れたように大きな黒曜の明眸に、それを縁取る悩ましげな睫毛。
元々白かった肌は更に透き通り、白皙と呼ぶに相応しい艶を放っている。
更に身長は一回り縮み、筋肉がなくなった代わりに滑らかでしなやかな肢体へと変貌を遂げていた。
それはさながら清廉さと妖艶さを併せ持ったような風情で、どこからどう見ても申し分ない美貌である。
が、色事にとんと興味のないイルカにとっては、ただ慣れない身体が鬱陶しいだけだった。
「………とりあえず、最初に襦袢を………男も女も一緒だよな、これって………」
まっすぐな細髪を肩や首に散らしつつ、イルカはスッと真白い襦袢を身につける。
そうして、次に椿の着物を纏おうとした時だ。
「見ーつけた♪イルカせーんせ」
その至極愉しそうな幼い声に、びしりとイルカの身体が硬直する。
冷汗を頬に伝わせながら、眼だけをゆっくりと横に動かせば、どんでん返しの壁の前に金の髪の教え子の姿。
大袈裟でなく、このまま気を失いたくなった。
「なっ………なると………?」
「へへへ、オレの好奇心ナメたら駄目だってばよ。ふぅーうん、イルカ先生ってばこーゆーシュミあったんだぁ?」
ちちっと指を揺らして、にやにやと笑みを浮かべつつそんな揶揄を飛ばしてくる。
いきなり物凄い誤解をされて、イルカは真っ赤になりながらぶんぶんと手を振った。
「ち、違うぞ、全然違うっ!そんなワケあるかっ!」
「えー、じゃあ何?でも先生めちゃめちゃキレイ。オレなんかよりずっと色気あるってばよ。………声も随分変わってるし」
言われて、今気づいた。
確かに細く高い声になって………って、そんなことはどうでもいいっ!
「い、いいかナルト。これは任務なんだ。全然まったく絶対オレにこんな趣味なんかないからなっ!」
口にしてる台詞の非常識さにつくづく情けなくなったが、それでもイルカは少しずつナルトに歩み寄って行く。
隙を見計らって、現時点の記憶を消すつもりだった。
この術は、施した相手の日常を不安定にするのでなるべく控えていたのだが、今回ばかりは致し方ない。
「………ごめんな、ナルト」
「え?何?」
そうして、何とか手の届く位置まで身体を近づけることができ、イルカは一気に彼の額を掴もうと腕を動かした。
が、しかし。
ガシィッ!
その細い手首を、難なく小さな掌に掴まれる。
「えっ………?」
「ハハ、残念ですがイルカ先生。………こんなオイシイ記憶消されるのはいただけませんね~」
「………………!?!」
突如変化を見せた声色と、その人を小馬鹿にしたような口調に、イルカの肌は完全に色をなくす。
そんな彼の愕然とした様子を可笑しそうに見つめると、当の教え子の身体はゆらり、と一度陽炎のような揺らぎを見せ、
「こんばんは先生。いやぁ、いい夜ですね」
瞬きする間に金の髪は銀色に変わり、その異彩な容貌が場に表れていた。
一瞬唖然となって棒立ちなった後、ようやくからかわれていた事に気づき、イルカは真っ赤になって憤慨する。
「――ッ!あ、あんたって人は…………っ!!」
「まあまあ、気にしないで下さい。ただの悪ふざけです」
「それに怒ってるんですよ、それにっ!!だ、第一何で―――」
「ここに来たかって?」
言い吃る台詞の先を接がれ、イルカは混乱しつつも不承不承頷いた。
上忍である彼にこんな仕掛けが通用するとは思っていなかったが、しかしここまで都合よく現れられるのは納得いかない。
依然イルカの手をしっかりと掴んだまま、カカシはにっこりと口端を持ち上げて、
「別に大したことじゃありませんよ。大体、俺の前であそこまで不審な態度取っておいて、気にするなって方が無理でしょう?」
勿論、この場合の不審な態度とは、イルカがナルトをかっさらって逃げたことである。
「いや、それって根本的に論理が…………」
「で、耳寄せで二人の会話を盗み聞きしてー、あなたのご想像通り、今夜ここに来ようとしてたナルトを眠り薬で大人しくさせてー……ここに来たってわけです」
「…………………」
何の抑揚もなく結構犯罪的なコトを囁かれ、イルカは開いた口が塞がらなくなった。
耳寄せとは単なる集音の効果を持つ術。それに気づかなかった失態も勿論だが、その前にこの男の性根を甘く見ていた自分に腹が立つ。
「………何でそうまでしてオレに構うんです………?」
「あれ?そんな愚問イヤだなぁ。あなたに惚れてるからに決まってるでしょ?」
だから、ナマケ好きなオレがこうして毎日のように会いに来て、あなたを見てるんじゃありませんか。
およそ同じ男に向かって口にすべきではない告白に、イルカは絶句したまま顔を赤らめる。
その花をも欺くような容姿があまりにも初々しくて、カカシは知らず眼を細めた。
「だっ………そ、そーいうのは女性に言ってください、女性にっ!」
「ええ、だから今言ってるんです」
にこにこと上機嫌な様子で再び怒りを流され、ハッと今更のように彼は思い出す。
確かに、今の自分は女だった。
「って、そうじゃなくてっ………」
「まあまあ、いいじゃないですか。やー、それにしてもホント美人ですねぇ。あの火影様自慢の椿姫よりも綺麗かもしれませんよ?」
やっぱり同じ語調で軽く口にされて、イルカはそんなわけないでしょう!と反射的に言い返そうとした。
………………が、その前にはたりと重大な間違いに思い当たる。
後にも先にも、こんな任務を誰かに洩らした覚えはない。
「っな、なんでそれをっ!?」
「ふふ、オレの情報網甘く見ないでくださいね。そのくらいのコトばっちりです。椿姫の代わりにあなたが見合いに出て、夜のお付き合いをしなきゃいけないことも全部」
さらさらと水流すようにして言葉を接がれ、いい加減イルカは頭痛と目眩がとまらなくなった。
大凶をくじ引いてからのこの短期間の間。元同僚に殺されかけるわ、厄介な男に見初められるわ、挙句の果てには女装して見合いに出た上、褥にまでもつれ込めという。
そして極めつけに、こんな末代までの恥に近い現場を目撃された。
泣いてどうにかなるなら、いっそ泣き叫びたい心境である。
「オレが何したって言うんだ………?」
いつだってマジメに生きてきたのに。
こんな不誠実な状況に立たされるいわれなんてない筈だ。
「………ん~、まあそれはともかく………まだ気づいちゃくれませんか?イルカ先生」
暫しの間、自分の薄幸さと葛藤するイルカを無言で眺めていたカカシだが、やがてそんな含んだ切り出しをした。
その声の調子が先程までと微妙に変わっていることに、無論鈍感な相手は気づかない。
「気づくって………何がです?」
「…………ホントにわかりません?」
「……?だから聞いてるんでしょう」
遠まわしなカカシの言動に少し苛立ったように、イルカは整った眉目を少しひそめた。
雪降る夜の色を溶かし込んだような、純粋な漆黒の美貌。
怒気を孕んだ顔さえも、ただ美しいと形容する他ない。
(………成程、椿姫を代わりにこの人を選んだのは正解だな)
どこまでも清澄なくせして、意識ない色香というものがそこはかとなく漂っている。
大概の男は、その雰囲気に軽く誘惑されてしまうだろう。
「…………それが気にいらないって言ってるんですけどねぇ…………」
実のところ、顔には出ない……というか表さないまでも、かなりカカシはご立腹だった。
何で自分も知らないこんな麗人を、他人の寝台に献上しなければいけないのか。
勿論イルカは被害者であって、まったく咎はない。…………が、そうと割りきれないのが色恋沙汰の難しいところである。
「だから何が言いたいんですか、カカシ先生!…………まったく、気が済んだならさっさと出てってください」
苛々しげに言って捨て、イルカは術を解くため、スッと二本の指を口元につけようとした。
だが、
「う…………わっ!?」
ぐっとまともに着ていなかった着物の裾を引っ張られ、平衡を崩して盛大な倒れ込む。
そして倒れ込んだ先は、こともあろうに誰かさんの腕の中。
潤沢ある黒髪は乱れて頬にかかり、どうにも扇情的なまでの艶があった。
「――――っ!何を…………!」
「あー、もおホントに腹立つなぁ。…………情人に向かって出てけはないでしょ、出てけは」
「……っ……そ、れは時と場合に………!」
よります、とまったくの正論を紡ごうとした唇は、巧みに相手のそれに奪われていた。
同時に腰元付近に手を回され、びくりと上体が波打つ。
「ん………ぅ……っ!?」
息をつく間もなく音を立てて舌を絡め取られ、イルカは真っ青になって激しく暴れる。が、普段であればそれなりに効果のあったはずの抵抗も、今の身では完全な徒労にしかならない。
それをいいことに華奢な身体をすっぽりと抱き込まれ、意識が朦朧とするまで深い口づけを強いられた。
「ぁ………ごほごほッ……い、いきなり何するんですか、あんた……っ!」
「え、だって今は夜なんですよ?………折角夜這いに来たんですし、することなんて一つでしょうが」
「よ、夜這いって………」
お願いですから勘弁してくださいよ、と力ない反論をしつつも、イルカは呼吸不足でけほけほと咳を繰り返し、眼を伏せて浅く喘ぐ。
その無意識な媚態を見て、カカシはさすがにこめかみを抑えた。
上品な香の焚き染められた着物。
その椿の彩られた類い稀な美貌。
これで襲うなというほうが酷な話である。
「ん~、そうしたいのはやまやまなんですがねぇ………そこまで誘われちゃ、いくらオレでも理性が保ちませんし」
「誰も誘ってなんかな………っ!ちょ、ちょっとどこ触ってるんですかっ!」
人の意見など土足で蹴り捨てて、襦袢の下に入り込んでこようとする手に、イルカは本気で慌てた。
こんな予行演習など冗談じゃない。
「ま、待ってくださいって………!せ、せめて術解いてから……」
「イヤです。だってオレ怒ってるのに、イルカ先生全然気づいてくれないから………ちょっとしたバツですよ」
怒っているという割には嬉々とした顔つきで、するりと白襦袢を肩から落とす。
そうして諸肌脱ぎのような格好にさせられ、イルカは既に涙目になってばっと身を竦めた。
その衣よりなお白い肌が、薄い灯火によって仄かな光沢を放っている。
「~~っ………も、やめてくださっ………」
「へぇ、ホントに真っ白ですねぇ………これが真珠肌ってヤツかな」
あまりの羞恥にか細くなった抗議にも勿論耳貸すことなく、カカシは手袋取った掌でイルカの雪肌を撫でる。
指に吸いつくような感触が、殊更情欲を高まらせた。
「………ぅ~っ………」
そんなお世辞にも紳士的とは言えない指戯に、イルカは不覚にも嗚咽で喉を詰まらせる。
女になると涙腺まで弱くなるのか、気を抜けば滝のように涙を流してしまいそうだった。
大体、自分ですらも初めてな身体に無遠慮に触られて、それに抵抗を覚えないワケがない。
………いや、それを狙ってあえてやっているのだろうが。
(やっぱイイ性格してるよ、この人………)
「…………っ………」
ほとんど諦めににた境地に近づくと同時、長く体温の低い指が、襦袢の合間を縫って直に肢に触れてくる。
それは膝から這い上がるようにして、腰のきわどい位置にまで達してきた。
しかも、
「ちょっ……何………!」
ひょいと細腰を掴んで持ち上げられ、すとんとカカシの肢の上に座らせられる。
この最悪に恥ずかしい体勢はまさか…………
「…………あ、あの…………本当に、こっ、このままするんです、か……?」
かたかたと上擦った声は、とても今まで幾度となく夜を過ごしてきた相手のものとは思えず、カカシは僅かに笑みを浮かべた。
そして、元来の風貌の面影を残す眼の横に、軽く唇を落とすと、
「当然。……ここまできてお預けなんてナシですよ」
そんな労わりも何もない台詞を残し、カカシは既に張り詰めている自身を相手の肢の奥にあてがう。
「…………!カ、カカシ先…………!」
「イルカ先生、前戯がお嫌いですからねー……慣らさなくていいでしょ?痛くても我慢して下さいね」
女だから大丈夫ですよと,おおよそ恐怖心をあおることばかり囁くカカシに、イルカは心底から怯え震えた。
この行為がどれだけ自分の身体に負担を与えるか、少しでも考えてくれたことはあるのだろうか。
………………………………反語。
「だ、や、やっぱり無理ですよ………っ!こんなの入るわけな……っ……」
「平気ですって。………確かに無茶苦茶狭いですけどね、イルカ先生のなか。………コレが一回終わったら、男に戻ってくださればいいですから」
つまりは何回もやる気なことを間接的に告げて、カカシはお喋りに終止符を打った。
与えられるとんでもない激痛に、一気に視界が暗転しそうになる。
どんなに力一杯足掻こうと所詮無駄で、腰を掴まれて散々揺すぶられて泣かされた。
「痛……痛、い………!何が平気……ですか、この大嘘つき………っ!」
「ん~、相変わらず口は減りませんねぇ………でもオレは最高に気持ちイイですよ。乱れる美人をこんな至近距離で拝めますしね」
「……~~~っ~~頼みます……から、早く終わってください………」
痛くて辛くて、身体が千切られそうな錯覚に捕らわれる。
もう嫌だとどれだけ喚いても、濃厚な口づけで返されるだけで、
………………そうして結局この夜、イルカは一睡もさせてもらえなかった。
そんなこんなで任務当日の朝。
当然の如く、イルカは布団の上で暗雲を漂わせて死んでいた。
起き上がるどころか、少し身体を動かすだけでも鈍痛が走り抜ける。
眼は白く霞むし、熱はあるしで、文字通り踏んだり蹴ったりな体調だった。
「………っ………ぁ~もう………」
こんなメにあわされる理由などまったく見つからないだけに、完全にやさぐれたくなる。
そんな彼を、隣で頭を掻きながら見つめる相手………カカシは、しかし少しも反省の色などない表情で、
「あ~あ、これじゃあ今日の任務は無理ですねぇ」
「………それって、どこのどなたの所為かわかった上で仰ってますよね」
「ははは、そりゃ耳が痛い(嘘)。………で、どうするんです。火影様に“正直”に申し開きでもしますか?」
できるわけないでしょう!とはもう面倒くさいから言わなかった。
完全にふてくされた様子でそっぽを向くイルカを、にやにやと笑いつつカカシは見下ろして、
「…………ま、オレとしても何の考えもなしにあなたをイジめたわけじゃありませんからねぇ…………」
「え…………?」
「さてと、じゃあイルカ先生。安静にしてて下さいね。イイ思いさせてもらったし、オレはこれで失礼しますよ」
などと言い残すなり、カカシは手早く服を身につけて部屋を出て行ってしまった。
あんまりと言えばあんまりな仕打ちに、イルカも暫し呆然とその襖を見つめていたが、
「…………ふん、もうどうとでもなれ…………」
怒るのも馬鹿馬鹿しいと、半ばヤケクソな心境で、もう一度布団に沈み込んだのだった。
しかしイルカは知らない。
真昼より一刻前、火影の屋敷にいきなり片目を隠した銀髪の絶世美女が現われ、見合い相手とその同伴者を手玉にとって場をうまくおさめたこと。
無論その後、火影から最大級の雷を落とされた「美女」だったが…………
「だってねぇ火影様。……あんなキレイな人、他の奴になんか見せたくなかったんですよ」
椿の映える、まるで雪夜のような泡沫(うたかた)の佳人。
そんな彼は、自分だけが知ってればそれでいい。
誰に何を言われたって、オレはあの人にベタ惚れなんですから。
桜庭さまから「イルカ先生にべた惚れで夜這いに行くカカシ先生」というリクをいただいたのですが……
…………ぜ、全っ然クリアできていません、ね……それじゃあリクしていただく意味がないでしょーが、私っ(死)
ううう、こんなのでホントに申し訳ありません。どうぞバシバシご叱咤くださいませ(TT)