いろわずらい
椿愛しき艶煩い 〈上〉






 


 まだ、ナルトがアカデミーを卒業する少し前の頃。

 吐く息も白い正月、ナルトと共に小さな寺の初詣に行った。

「なあなあ、センセー。おみくじひこーぜ」

「ん、御神籤?そうだな」

 ぐいぐいと手を引かれつつ、賽銭箱の近くに置かれた木の箱に手を伸ばす。

「やったーっ!俺大吉だってばよ!」

 隣ではナルトが大袈裟なほどに騒ぎ、急いで近くの御神木へとそれを結びに行った。

「はは、よかったなぁ。どれどれ、俺は………」

 笑いながら相槌を打ちつつ、がさがさと折り畳まれたそれを開いて、



 瞬間、自分でもわかるほど顔がひきつった。



「なー、センセーは何だった?もしかして凶とかぁ?」

 背後から茶化して笑うナルトの声に、ははそうかもなと返事を濁して、その紙切れを早々に懐にしまう。

 御神木に結わえたいとも思わなかった、その忌々しい今年の運勢。



『大凶』



 ――――――思えば、これはある意味正しい前兆だったのかもしれない。

 

 

 

 

 




「イールカ先っ生ー」

「うわぁっ!!」

 自家の台所で炊事中。

 気配を殺して背後から抱きつかれ、それに驚いて悲鳴を上げる。

 既に日常化した光景だった。

「あぁもういい加減してくださいよっ!もうちょっとまともな声のかけ方したらどうですか!?」

「ははは、だってイルカ先生の驚く顔が可愛くて」

「大の男つかまえて可愛いも何もないでしょう………」

 第一そんなことを真顔で言われたって、嬉しいどころか腹が立つだけだ。

 しかしそれを自覚した上で言っているのだから、文字通り反論の意味がない。

「あと少しでできますから、向こうで大人しく待っててください。でなきゃ包丁で怪我します」

「先生が?」

「あなたが、です」

 ぎらりと鈍く光る刃を座った目つきで構えられて、カカシはそそくさと居間に引っ込んだ。

 冗談と笑い飛ばすには、どこか不穏な殺気である。

「ハイハイ、じゃあ早く来てくださいね」

「ジャマしてんのはあんたでしょうっ!!」

 無茶苦茶な台詞にカッとなり、思わず投げつけた鍋のフタは、難なく手袋を嵌めた掌で受けとめられたのだった。

 

 

 

 

 





 いつからこんなことになったのか、酷く非日常的な日常。

 イルカはハーッと大きな溜め息をついて、職場の食堂で焼き魚をつついていた。

 昼食時間は約半刻。家に帰って食べようとそれは自由なのだが、そうなるといかんせんあの不良忍の襲撃に受ける羽目になる。

 それだけは勘弁と、ほぼ毎日ここで一番安い定食を口にしていたのだが、

「邪魔するぞ、イルカ」

「え?」

 聞きなれた味のある錆声に顔を上げれば、トレイを持った火影が唐突に彼の前の椅子に腰掛けてきた。

 どんぶりの中身は、なんと鰻丼。

 悲しいかな、この辺がヒラとの違いである。

「え、ええ勿論。………でも席は他に………」

 たくさん空いてますけど。

 そう言い終える前に、火影はパチンと割り箸を二つにし、供えの沢庵をかじり出した。

 ………………………

 ポリポリポリポリ。

 沈黙と、沢庵を噛む音とが、妙に調和よくその場を支配する。

「あ、あの火影様…………」

「ほれ、お前も食わんか。折角の味噌汁が冷めるぞ」

 と、またも台詞を遮られ、ちょいと箸先でお椀を指された。

 確かにこれは食堂の賄い婦の自慢の一品………いや、言いたいのはそういうことではなく。

「いえ、だから………」

「別に大した用ではない。食いながら聞けばいい」

「はあ………」

 その砕けた物言いに促されてか、イルカもようやっと定食に箸を伸ばし始める。

 どんな時であっても礼節を忘れないのが、火影が彼を可愛がる所以だった。

 いや、可愛がられすぎたが故の不幸、とでも言うのだろうか………少なくとも、今回の場合は。

「それでイルカ、ものは相談なんじゃが」

「はい?」

 暫し無言で食物を噛む音の応酬が続き、特上の鰻丼が半分ほどに減った頃合い、ようやっと火影から声がかけられた。

 それまでの沈黙を至極居心地悪そうに過ごしていたイルカは、ほっとして返答を返す。

 しかし火影はその彼の他意ない笑顔に、多少の良心の咎めを感じていた。

 まあ、だからといって今更やめるわけでもなかったのだが。

「うむ。ええとのぅ。おぬしはわしの孫娘の名………知っておったよな」

「え?火影様の?………ええと、たしか椿姫………」

 眼で天井を仰ぎつつ、イルカは頭の片隅に座していた記憶を引っ張り出す。

 普段は火影の住まう奥座敷にこもって、ほとんど姿を公には出さないが、それでも何度か拝謁したことはあった。

 まっすぐな長い黒髪と、本当に雪に彩を施された椿のような容貌をした、たいそう綺麗な姫君だったのを覚えている。

「あの姫様が、何か?」

「ああ、あれは今年で二十を迎えるのじゃが、知っての通りまだ未婚での。女子は大抵一六ほどで嫁入りするものだから、もうほとんど婚期を過ぎかけておるのじゃ。……だがまあ、わしが言うのもなんだがあの器量。大名や老中やはたまた殿と見合い話が絶えなくての、それは有り難いことなんだが」

 と、そこで火影は番茶をひとすすりし、

「しかしどういうわけか、あの孫はそんな有力な相手にも見向きもせん。あれで強情な女子だから、わしの言うことになど耳も貸さんのでのぅ。仕方ないから、これまでの見合いはあの手この手で断ってきたわけなんじゃが…………」

 そこで、火影は湯呑みを置いてまた言葉を切った。

 イルカはといえば、何故いきなり孫娘の見合い話になったのかがわからず、ただ頷きながら聞いているだけだ。

 だが確かに、椿姫は気の強い方で、見合い話などくるそばから蹴っていたことは、火影の愚痴から何となく聞き知っていた。

 その度に、相手方が姫の顔を知らないのをこれ幸いと、他のくの一を代役に立ててはその場を凌いでいた事も。

「火影様も大変ですよね…………」

「まあな、しかし今回ばかりはそれが通じそうになくての」

 何気なくかけた労わりの言葉を、さらりと不吉な台詞で返され、イルカは思わず魚の骨を喉に詰まらせる。

「げほっげほっ………いてて、って火影様。それどういうことですか?」

「うむ。その今回の見合い相手というのが、老中様のご子息なのだが、この前わしはそこの主宰の饗宴に呼ばれての。内容は、勿論見合いを上手く取り計らえと言うことだったんじゃが………その時に酔いも手伝ってか、ついうっかり口を滑らせてしもうたのじゃ」

「…………は?」

「ウチの孫娘は容姿は無論のこと、清楚で慎ましやかでそれはもう純粋培養で育てています、とな」

「………?それの何が…………………って、あ!」

 火影の口にした台詞のまずさに、イルカも思わず声を上げていた。

 成程、確かにそれはやばい。

「いくらくの一を代用にしようと思うても、あの身体から発せられる色香は消しようがないからのぅ。純粋培養のおひいさまに仕立て上げるには、ちと無理があるわ」

 その老翁の言う通り、元々その色香を武器とするくの一に、今更男を知らぬよう振舞え、と言うのはかなり酷なことかもしれない。

「じゃあ、まだくの一になって間もない人とかを…………」

「仮にも老中様とその息子をだまくらかすのじゃぞ。よっぽどの度胸がない限り、途中でぼろを出すに決まっているであろう」

 そんな相手を虚仮(コケ)にしたような画策がばれては、ただでは済まない。

 だからこそ、今まで特定の女忍者にしか頼まなかったのだから。

「うーん、じゃ、じゃあ今からでも断ってしまえば…………」

「あのなイルカ。老中から直々に頼まれて、それをこの爺一人がごめんなさいと言って断ったところで、相手方が納得してくれるとでも思うか?」

 見合いの場か、もしくはその後で断るのが最低限の礼儀だと窘められ、やっぱり駄目かとイルカは頭を掻く。

 ならば一体どうしろと言うのか。

(椿姫本人を出しちゃいけないのかなぁ…………)

 と、律儀にも考え込み出したイルカに、いやいやと火影は手を振って、

「まあそんなわけで、わしも色々と悩んだのだが、お手軽でいい解決策が思い浮かんでな」

「え?本当ですか?さすが火影様」

 オレなんかとは見識が違いますねぇと、心から相手を賞賛するイルカに、火影もにっこりと笑みを浮かべて、

「要するに、灯台下暗しだったわけじゃな」

「ふむふむ」

「別にくの一に拘らずともよかったわけで」

「成程成程」

「というわけで、イルカ。ひとつよしなに頼むぞ」

「はあはあ……………………はぁっ?」

「見合いの席には、お主に変身して出てもらう。なに、男が女に化けて出たところで、たいした支障もあるまい」

「ありすぎですよ、火影様っ!!何だってそんな真似を俺がしなくちゃならないんですかっ!!」

 思わず声を荒げて、ばんっ!とイルカは食卓を手で鳴らし立ちあがる。

 本来なら火影の命に逆らうなどとんでもないことだが、今回ばかりははいそうですかと聞き入れる気にはなれなかった。

 つまるところ、何だ。

 女に化けて化粧した上、女言葉を使って男と楽しく談笑しろとでも言うのだろうか。

 そう考えただけで、背筋にざわりと鳥肌が立った。

「第一、オレは変化ならともかく、変身なんて出来ませんよ。それに俺じゃなくたって、もっと演技の上手な忍がいるでしょう?」

 絶っっ対に御免です、とおおよそはじめて火影に楯突いたであろうイルカを、ふむ、と当の本人は意味深な目つきで見やって、

「いやいや、お前でなけりゃいかん」

「そんなの…………!」

「まず第一に、お前はおそらく里でも稀な記憶操作術の使い手だ」

 そうずばりと言い切られて、イルカはぐっと身体と共に勢いを引っ込めた。

 まあ確かに、何の術が得意かと問われれば、その系統になるのだが………

「…………それに、何か利点でも?」

「まぁな。実を言えばその老中様というのが………つまるところ、手回しのよい方でのぅ。なるべくこの見合いを成功させたいらしいんじゃ」

「はあ」

「で、とにかく既成事実さえ作ってしまえばよいとお考えのようで………」

「…………既成事実?」

 本当にわからないといった顔つきで首を傾げるイルカに、火影はこほんっと一つ咳払いをし、

「要は縁者同伴の見合いを終えた後の夜、………を、椿と子息二人きりで過ごさせろ、とな」

 とどのつまりは初夜。

「…………な」

「そんなわけで、椿本人を出すわけにはいかなくなったし、まあお前さえ大人しく一夜を過ごせばそれでよいのだが、勿論同意してはくれまい?」

「当たり前でしょうっ!!」

 何が悲しくて初対面の「男」なんかと寝台にあがらなきゃいけないのか。

「だから。そこのところの記憶をちょいちょいと都合のいいようにいじって、丸くおさめてほしいのじゃよ。その見合いさえ乗り切れば、後はどうとでも言いくるめて断ることが出来る」

「…………でも、オレ以外にもその系統の術が得意な奴はごまんと…………」

「第二に、変化と変身の違い」

 またも言い訳をする前にそれを遮られ、イルカは思わず頭を抱えた。

 こうして理論武装されていけば、おのずと自分の逃げ道がなくなってしまう。

 元々、そう口上手な方でもないと言うのに。

「おぬしも無論承知のこととは思うが、変化は実在の相手を模写する術で、これはごく一般的なものじゃ。しかし変身とは己そのものの肉体を変える術。つまり女に化けるにせよ、反対にせよ、元来の容姿が大いに影響してくるわけであって――………
 さてイルカ。この里で記憶操作術に長けていて度胸があって、しかも清楚で慎ましやかで純粋培養のお姫様――に化けて違和感のない奴はおるか?」

 自分の姿そのものを女に変えるわけだから、はっきり言って元が女顔の方がよい、

 かなり気にしていたコンプレックスをさらりと口にされて、イルカはただ苦い顔で黙る他なかった。

「そんなの別に変化でも問題は…………」

「ほぉ。どこかの誰かを模写して、そのままで長時間耐えることが出来るわけかお前は」

 そこまでのチャクラと根性があるとは知らなかったのう、とわかった上で嘯く火影を、イルカは実に恨めしそうな眼で見上げて、

「………………ど~してもオレに一任させたいわけですか?」

「だからここまで懇切丁寧に説明したのであろうが。ま、お主が何と言おうと、これは『火影命令』じゃからな。逆らえば掟を破った罪で裁判行きだ。さあどうする?」

 さあどうする?と聞かれても、そんな脅し方をされた後では世話はない。



 イヤだった。

 この上なくどうしようもなくイヤだった。

 しかし所詮はヒラの身の上。

 どう足掻こうと、この里の最高権力者に………逆らえるわけがない。



「…………わかりましたよ。やればいいでんしょう」

 その完全に余地のない返答に、しかし満足気な表情で頷く火影だ。

 

 

 

 

 

 

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な、なんだかよくわかりません(お前が言うな)
とりあえず受難のイルカ先生ということで。
ていうか、この題名何でしょうね、ははは;

 

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