策士の戯れ〈4〉







「太公望―――――――っ!!」
 ばぁぁんっ!!と扉を殴り破って、道徳は彼の居室になだれ込んだ。
 既に息をするのが難しそうなほど、その呼吸は乱れに乱れている。
「どうした道徳。あまり興奮すると早死にの元だぞ」
「仙人がそう簡単に死ぬかっ!じゃなくてっ!どーゆことだよ、あれは!」
 のんきに太公望が茶をすすっている卓子にばんっ!と手をつき、息間近で道徳は問う。
「どういうこと、とは?」
「とぼけるな!何だって四不象と雷震子がこんなに都合良く仙人界に帰ったんだ!」
「ああ、あれか。わざわざ理由を聞きたいか?」
「いや別に聞きたかないけど………で、でもナタクはここに来なかったのか?」
 こいつを殺すと勇んで飛んでいったのに。
 血祭りどころか傷一つなく茶を飲んでいるとはどーいうことか。
 そう不思議そうに呟く彼に、くっくっくっと太公望は可笑しそうに笑って、
「まったくおぬしは嘘がなくていいのぅ………ナタクならば母親のところに帰った。暫くは戻ってこんじゃろう」
「な、何だとっ!?なんでそんな見え透いた嘘に引っかかるんだっ?」
「おや、さすがのおぬしも嘘とわかったか………まあ、あやつは輪をかけて素直と言うか鈍感じゃからのぅ………それとらしく書簡を渡したら簡単に信じて、すぐに飛んでいってしまいおったわ」
「書簡………?」
「そう、本当は殷氏にあてたわしからの手紙じゃ。十日ばかりナタクを引き留めて可愛がってください、とな」
「?………どういう………」
 ことだ、と言いかけて、はたりと道徳は思い至る。
 確か、ナタクは文字が読めなかった。
「わかったか?………あやつは文字が読めぬから、渡す書簡など何だっていいのじゃ。わしが殷氏からだと言えばそうなるからな」
 まあ、あそこまで単純だとかえって張り合いがないが、と快笑する太公望に道徳は呆れ果てて額を抑える。
 本気で頭痛がしてきたのだ。
「じゃあ雷震子は………」
「ああ。あれも同じ。雲中子当ての書簡を渡しての。内容はまあ、好きに足止めしてくれと至って普通のものじゃったが」
「何が普通なんだよっ!雲中子に好きに、ってコトは足止めの仕方なんて決まってるじゃないかっ!」
 どうせ拘束されて、めいっぱいアヤシイ薬の実験台にされるに違いない。
 彼とはそう知らぬ仲ではないだけに、その弟子の不憫さが身にしみてしょうがなかった。
「何だってそこまでするんだ………大体やり方が姑息すぎるぞ!そんなにオレをからかって楽しいのかよっ!」
 勢いとは裏腹に潤みまくった眼で、道徳ががなり立てるのを、しか太公望は涼やかな調子で見つめつつ、
「………道徳」
「何だ!」
「今、自分でも愚問だと思ったであろう?」
「思ったよ!悪かったな!」
 墓穴を掘って、更に揚げ足を取られて、道徳の憤りは坂を転がるようにしぼんでいく。
 何でこんなコトになったのか、元凶を恨めど生憎と雲の上だ。
「もー、ヤダよ………何でオレばっかり………」
 早く、一刻も早く平和な仙人界に戻りたい。
 目の前にいるのがそうできなくした張本人なのも忘れて、道徳はぼそぼそと弱音をこぼした。
「まあまあ道徳。そう悲観せずに。おぬしさえ我慢すれば、ここもそう悪いところではないぞ」
 椅子を立ち、ぽんっと肩に手を置かれて、どういう慰めだと反論する前に、
「………っ…………?」
 急速に、手足から力が抜け出ていく。
 視界は涙とは別の何かで歪んで、頭の芯も熱に浮かされたようにぼぅっとしてきた。
 この感覚は…………
「……っ………太公望……っ!お前まさかまた………!」
「また、と言う割に何度も引っ掛かるのが、おぬしというところか………本当に可愛げのある奴よのぅ」
 道徳の首筋に突き立てた針を指先で弄びながら、太公望は歌うようにそんなぞっとすることを言う。
 同じ男に可愛いと言われて鳥肌を立てない奴は、根っからの変態に違いない。
 冗談じゃないぞと本気で焦って、自由のきかない四肢を叱咤しつつ、道徳は何とか身体を持ち上げようとした。
 が、
「ぐ………っ!」
 がくん、と中腰になったところで膝が折れ、くったりと壁に凭れかかってしまう。
 雲中子製だか普賢製だか自家製だか、はたまたブレンドだとか言うとんでもない痺れ薬。
 大抵の毒には免疫のある道徳だが、太公望の用いる秘薬にはとても適わなかった。
「ぅ………っ………っ………」
「もう動けないか?………さすがに楊ゼンのお手製薬は効くのぅ」
「……………」
 それもあったか、と今更ながら深い自己嫌悪に陥って、道徳は反動でぎっと太公望を睨みつけると、
「もういい加減にしろ……っ!こんな昼間から、そんなもん使って何する気なんだっ!」
「ん?また愚問だの道徳。ナニするに決まってるであろうが」
「――――――――っ!」
 あからさますぎる台詞に、道徳の顔は赤くなって青くなる。
 確かに彼には幾度とない前歴があるだけに、その言葉を疑う余地もなかった。
 ずずっと身体を引きずって彼から離れようとする道徳に、太公望はにやにやと笑って、
「そう警戒するな………心配せずとも何もせぬよ。わしはな」
「え…………?」
 そのわけのわからない台詞に、道徳が眉をひそめた瞬間。
「つーかまえたっ」
 がばぁっといきなり壊れた扉の向こうから腕が伸び、道徳の身体を背後から抱きすくめてきた。
「っなっ………!?」
 驚き慌ててその腕を振り払おうとするが、それを掴もうとするどころか、床から腕を離すことすらできない。
 そうして四苦八苦しているうちに、ひょいっと脇に肩を差し入れられて持ち上げられた。
 そこで、予想を外さぬ容貌とご対面する。
「天……化……!お前、あれほど大人しくしろって………!」
「あー、そんなこと聞いたかもしんないさねー。でもまあ、こんなヒトを煽るような状態で言ってくれても困るさー」
 まるで子供のような理屈を臆面なく口にしつつ、天化はごく自然に道徳を自室まで引っ張って行こうとした。
 当然、驚くと言うか肝が冷えたのは道徳である。
「ま、ま、待て天化っ!お前こんな真っ昼間から何考えて………!」
「俺っちはいつもコーチのことしか考えてないさー。まあ、イイワケは寝台でいくらでも聞いてやっから。じゃ、コーチ借りてくさ、師叔」
「お熱いことだのぅ。まあ、好きにやってくれ」
 最初からだが、自分の人権を完全無視した会話が淡々とかわされてゆく。
 何を言ったところで心変わりするような連中でないことは承知していたが、それでも叫ばずにはいられない道徳であった。
「だから待て―――っ!言い訳も何もオレは正論を………!」
「あー、ったく、うるさい口さね。あんま俺っちを落ち込ませるようなコト言わないでほしーさ………でないと」
「ああ、存分に泣かせてやるとよい。…………但し、おぬしの部屋でな」


 

 


「イタ……痛い、天化っ!も……少し………か、加減しろ……っ………!」
 上擦り、引き攣った声を切れ切れにもらして、道徳は自分を組み敷いている男の腕を弱々しく掴む。
「加減……?これでも十分にしてるつもりさ?」
「………その笑い顔に説得力があるとでも言いたいのか、お前………っ、やめ……う、動くなバカ………っ!」
 道徳の反応を楽しむように、天化はわざとらしい乱暴さで彼の身体を執拗に弄ぶ。
 若さのせいか久々だからか、こちらに対する気遣いも何もあったものではない情交に、道徳は本気で根を上げかけていた。
 元々、こんな行為を好まない彼である。
 故に、快感などそう簡単に得れる筈もなく、
「ぁ…………痛、ぅ………」
「んん、イイ顔さねコーチ…………ずっと会えなくて寂しかったさー」
 かたかたと小刻みに震える唇を、音を立てて舐め、食いしばっていた歯が緩んだところで舌を差し入れて口内を思う様侵してゆく。
「ん………っぅ………」
 湿った音を立ててそれが絡み合う。
 飲み込みきれなかった唾液が、口端を伝って零れ落ちる。
 もう何でもいいから早く終わらせてほしかった。
「お前………後で覚えてろ、よっ………」
「んー?心配しなくても、俺っちはコーチのこと忘れたりなんかしねーさ」
「〜〜〜〜〜〜」
 そうじゃない、と反論して、思いきりこの不肖の弟子を怒鳴りつけてやりたいのに。
 せりあがる苦痛に喉が擦れて、もう身体も満足に動かせない。
 …………どうしてこんなことになったんだろう。
 今更後悔しても遅すぎるが、それでも涙を流さずにはいれなかった。

 

 

 

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次は楊ゼンの登場です。ああ展開が読めたよう(笑)

 

 

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