策士の戯れ〈1〉






「えっ、と………じゃあ楓に」
「では、僕は椿に置きます」
 青峯山の紅葉舞う一角。
 緋毛氈のしかれた広い縁側で。しきりにトントンと何かの音が交錯していた。
「ん〜……っと……えっと………棕櫚、かなぁ……?」
 ぼりぼりと髪を掻き混ぜつつ、道徳は象牙の駒を盤上でぎこちなく動かしてゆく。
 ただいまは、仙人達の他愛ない遊びの最中………相手は終始笑みを絶やそうとしない普賢真人であった。
「それでは、石榴に。あ、ここで蘇芳を取りますね」
 トン、と石榴の彫刻が施された盤面に、普賢が迷いなく駒を置く。
 道徳はといえば、一手ごとに難しい顔をしてひたすら悩み続けていた。
 それを穏やかに笑みながら見守るのが、普賢の他、玉鼎と太乙だ。
 まあ約一名、腑に落ちない表情でいる妖精……白鶴童子も居たのだが。
「道徳ー、そうたびたび考え込んでちゃいけないよ?」
 ひらひらと紅葉が舞い落ちる近くの岩に腰掛けながら、茶々を入れるように太乙が口を開いた。
 それを、道徳は恨めしそうな口惜しそうな……実に複雑な表情で睨みつけると、
「うるさいなっ、芭蕉へ!」
「はい、僕は藤袴です。そちらの陣地に入りましたから、駒をずらしますね」
 タンッ、トンと次々と盤が埋まっていく。
 汗を流して唸っている道徳とは対照的に、普賢は至って余裕の構えだ。
 そして、
「……槐、……に……」
「では僕は竜胆に置いて……そちらの桔梗が取れますから、龍将に辿りついて、はい、終局です」
 ひょいひょいと駒を移動されて、道徳の龍の駒が普賢の手に渡る。
 それで、道徳の負けは確定だった。
「だーっ!!もうお前ら意地が悪いぞっ!オレがこの華戦陣を苦手なの知って、わざと選んだんだろっ!」
「とんでもありませんよ。ただ手軽に遊べるのがコレでしたから」
 じゃらじゃらと道徳の蹴飛ばした駒を片付けながら、普賢はにっこり笑ってそう弁解する。
 道徳の言って居ることは確かに正しかったが、だからと言って肯定できるはずもない。
 そう。そうなれば、自分にお鉢が回ってくるかもしれないのだから。
「それにしても、道徳ったら弱すぎだよ………もうちょっと頭の練習した方がいいんじゃない?」
 太乙の自覚はない嫌味に、道徳は言葉を濁してそっぽを向いた。
 実は普賢との対局の前にも、既に玉鼎と太乙と手合わせをしていたのだ。
 しかし二人ともに完敗。
 太乙と普賢とでは勝負がつかなかったが……その二人も玉鼎には適わなかったようだ。
 あんなボンヤリとした気性の癖に(失礼)、デタラメに強いのが不思議だった。
「仕方ないだろっ!大体オレにこういう雅事は向かないんだよっ!」
 ムキになって岩の上で足を振っている太乙に噛み付けば、
「って言ったってねぇ………花性摘みも香合わせも鳥唄読みもぜーんぶ君が惨敗じゃない」
 そんな風にさらりと苦事でかわされた。
「悪かったな!どーせオレは無骨者だっ!」
「まあまあそう熱くならずに………しかし皆さん、どーしてこんなコトでそこまで躍起になられるのですか?黄巾力士を使えばすぐに終わると思いますが………」
 今にも拗ねそうになっている道徳に和って入って、白鶴はそんな素朴な疑問を投げる。
 しかし、そこで皆一様にひくりと顔のひきつりを見せたことに、彼は気づいていただろうか。
 なおも、白鶴は自覚ない追い打ちをかけてゆく。


「師叔のところに、元始天尊様からの書簡を渡しにいくだけなのでしょう?」

 

 

 

 

 




「………いやー………まあ、そうなんだけどさぁ………」
 その直球な白鶴の言葉に、しばし沈黙に包まれた周囲だったが、やがて太乙が吃りながらパタパタと扇子を振りつつ、おどけた調子で返した。
 しかしその額には、何故か幾筋もの汗が流れている。
「いえ、少しは余興を楽しもうと思いまして………でもまあ、すべての遊戯に負けた道徳真君様が趣くことに決まりましたし……」
 そのさりげなく押し付けた普賢の台詞に、道徳はまた盛り返して俄然抗議する。
「待て待て待てっ!こんなの不公平だぞっ!オレには不利な内容ばっかりじゃないかっ!」
「だから君だけにはハンデをあげたじゃないか………最初に決めた約定を守らないなんて男らしくないぞ」
 男らしくない、その部分の言葉に道徳這うっと勢いを弱める。何だかその響きには逆らえぬものがあった。
 が、どうしても人間界に………もといあの西岐城には行きたくなかったのだ。
「だっ…だって最初に言いつけられたのは太乙じゃないかっ!お前が行けばいいだろっ」
「私は嫌。下界にはナタクがいるし」
「じゃあ玉鼎………!」
「私も遠慮する。楊ゼンがいるし」
「ふ、普賢なら大丈夫だよなっ!?」
「僕もお断りします。望ちゃんがいるし」
「………なんかヤなことでもあったんですか、あんたたち………?」
 ジトついた白鶴の声を完全に無視して、三人は取りつくシマもない言葉を道徳に返した。
 だって命令でわざわざ人間界に出かけて、弟子に殺されかけたり襲われたりするのは非常に割に合わない。
 第一下にはあの性格最悪な策士がいるのだ。
 彼が仙人界にいる間、散々罠に嵌められて辛酸を舐めさせられたことを思えば、今更顔を見たいとも思わなかった。
 しかし、道徳とてその例外ではない。
 むしろ、彼が誰よりも多く被害を受けていた。
 弟子にせまられるわ、どこぞの天才道士の毒牙にかかりかけるわ、騙されやすい性格が災いして、決まって太公望の暇つぶしの対象にされていた。
 一度なぞ、媚薬と痺れ薬を飲まされて、楊ゼンの前に放り出されたこともある………まあ、結末故に過程は省くが。
 そんなわけで、彼が人間界へ行くことを渋るのには、十分過ぎるほどの理由があった。
「頼むってば〜、オレ行きたくないよ〜」
「うんうんそうだろうねぇ、私もそうだもん」
「よく分かるぞ、その気持ち」
 既に他人事みたく相槌を打ちながら、岩の上で玉鼎と太乙は実にのんびりと振舞っている。
 道徳には悪いが、彼には人身御供になってもらうとしよう。下手に勇んでこちらにまで火の粉が及ぶことだけはどうにも勘弁願いたい。
 腐っても組み敷かれても十二仙。師表としてなけなしのプライドぐらいあるのだ。
 そんな結構情けないことを考えつつも、けして悪人ではない(だろう)三人の高仙はにっこりと微笑んで、


「じゃあ、頑張ってね道徳」

 

 

 

 

 



「信じらんないよなー、あれでトモダチだって言うんだからさー………」
 ごぅんごぅんと天気晴朗な空を黄巾力士で横切りながら、道徳は自分でも幾度ついたかわからぬ溜め息をもらしていた。
 何だかんだとわめいた末、結局自分が行くことになってしまったのだ。
 つくづく、この押しに弱い性格が嫌になる。
「あ〜あ……もーこーなったら仕方ないか。とっとと渡して帰ろう………うん」
 長居はせずに。話もせずに。一泊するなぞもってのほか。
 何だったら辺り障りのない連中(スープ―、武吉その他)に押し付けて帰ればいい。
 そう硬く心に決めて、道徳は鈍り気味だった黄巾力士の速度を上げたのだった。
 ………げに甘きは、道徳の正直な見解である。

 

 

 

 

 


「……………お?」
 西岐城、の近辺の野原。
 執務をサボって、桃を片手にぶらぶらしていたその人物は、とある空飛ぶ鉄球を偶然眼にした。
 下界に来てからは随分と久しいが、そのユカイな外観を忘れよう筈もない。
 まだ視界には小さく、乗っている者までは捉えることが出来ないが、服には確かに道徳と言う二文字が印されていた。
「道徳………ほぉ、あやつがここに、のぅ………」
 最初は少々驚いた様子であった男の顔には、次第に悪気のこもった嫌な笑みが浮かび上がってくる。
 恐ろしきはその悪才……もとい悪知恵。いや才能。
 ものの数秒で、何かかなり良からぬことを企んだようだった。
「あの様子では、もうそろ到着するであろうな………少し急ぐか」
 にやにやとした笑いを抑えることが出来ぬまま、小走りに彼は走り出す。
 そして、城内のある鍛錬場に足を踏み入れると、
「ああ、やはりここにおったか」
 広く白い石畳の上に浮く、ひとつの影。
「………何の用だ」
 不適に自分を見据えてくる無感情な眼を、怯むことなく太公望は受け流すと、
「なに、そう睨むでない。………それはそうと、このところ平穏が続いて欲求不満なようじゃのぅ。……それでおぬしさえ良ければ、格好の憂さ晴らしを教えてやるが………ナタク」

 

 

 

 

 

 



「はぁ………着いてしまったか」
 自分で飛ばしてきたくせに、いざ西岐城を目の当たりにするとやはり気が萎むのは否めないのか、道徳は低空で歯切れ悪く逡巡していた。
 しかし、こんな中途半端なところでまごついていていても仕方ない。
 渋々意を決すると、彼は城からは少し離れた野原へと着地した。
 護身用(詳細は不明)の宝貝と書簡だけを携え、足早に城へと向かう。
 前に一度来ただけだったから、その広大さにはとかく舌を巻いたが、それでも探るように進んでいった。
「ええと……太公望の執務室は………」
 無人の回廊をぺたぺたと歩み、道徳はしきりに首を回して確認する。
 何せ方向感覚がないので、すぐに迷ってしまうからだ。
 そうして、結局半刻ほどあちこちと迷走しただろうか。
 不意に、風邪を裂く音が彼の耳を掠めた。
「………………?」
 眉を僅かに動かして耳に手を当てると、道徳はその音源に向かって廊下を進んでいく。
 そして一つの角を折れれば、そこには白い石が一面に敷かれた鍛錬場が広がっていた。
 その石畳の中央に、文字通り鍛錬に励む一人の道士。
「て………」
 思わず出掛かった声をばっと掌で遮って、道徳はそぉっとその場を離れようと足をずり動かした。
 できることならここで会いたくはない。………色んな意味で。
 だが、皮肉にも道徳に武術を仕込まれた彼が、その乱れた気配に気づかぬ筈がなかった。
「誰さ!」
(うっ、見つかった………)
 抜き足差し足の後姿からしてあまりに挙動不審だったので、天化は曲者かと振りまわしていた棍を構えたのだが、それはすぐに驚きへと変わる。
 同時に、嬉しさやその他のよろしくない感情へと。


「…………や、やあ天化。頑張っているようだな………」

 

 

 

〈2〉へ


ううっ、なんかこの頃ギャグが多いです。
しかも太道というわりに、他のキャラが出張ってしまってるし……(汗)

 

 

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