風邪の功名(後編)







 ちなみに、飛虎の背後は欄干の外、つまりは足場がない筈である。
「んなっ………!」  
 泡食ったような顔つきになって、飛虎はばっと後ろを振り仰いだ。空中に平気で浮けるような、そんな面妖な部下を持った覚えはついぞない。
 が、振り返って納得する。
 欄干の向こうに憮然と浮き佇んでいたのは、自分ではなく聞仲の配下の道士達。
「って、四、聖……?あれ、何でここに?」
 上手く働かない頭を堪えつつ、飛虎は緩慢な動作でそちらに向き直った。
 彼らは、確かどこぞの島にいた筈ではなかったのか………
 そんな様子の飛虎を、四聖は思いきったような表情で見据えると、
「武成王。少し付き合ってもらいたい。異存はないな」
「は?え、いや俺は………」
 風邪をひいてて執務があって。
 などと筋の通った言い訳をする前に、ずいっと王魔に詰め寄られた。
 その眼が只ならぬ殺気を帯びているように感じたのは、自分の気のせいだろうか。
 ワケもわからず引け腰になる飛虎に、突き刺さるような八つの視線が集まって、
「いいから来い。話がある」

 

 

 


「………で、何なんだよ話って………」
 あれから半刻ほど後のこと、飛虎は結局近くの鍛錬場まで連れこられていた。
 聞仲の明友達の手前だからと、妙な見栄を張って必死で表向きは平静を装っていたものの、おかげで負担が倍増である。
 背筋にはおさまりかけた冷や汗がまた滝の様に流れ出し、視界の縁は白濁と歪み始めていた。
 何でもいいから早く用件を終わらせてほしい。
 だが、
「なあ、おい………」
 そんな飛虎の切迫した心持を知ってかしらずか、彼らは一向に口火を切ろうとしなかった。
 何やら深刻そうな面持ちで、四人がつのつき合わせてぼそぼそと話し合っているだけである。
 その間にも、どんどん飛虎の顔からは血の気が引いていった。
 もう立っているだけでふらふらする。
「……おいってば…………頼むから早くしてくれ。後がつかえてるんだ」
 どこか悲痛な響きさえ持って、飛虎はたまらずこめかみを抑えた。
 それでようやく決心がついたのか、ざっと四人は彼のほうに向き直ると、
「………わかった、では武成王」
「ああ、何だ?」
「死んでもらう」
 ………………………………………
 脈絡が聞いて呆れそうな台詞に、飛虎は髪に手をかけたまま眼を点にして固まる。
 身に覚えが全くないだけに、今の言葉なぞさっぱり理解できなかった。が、
「覚悟!」
 妙に血走った目を見開き、四聖はいきなり宝貝の威力を全開に解き放とうと、態勢を整えたのだ。
 無論、慌てたのは飛虎である。
「ちょ………!え?おい、何なんだよ!待………!」
 ドォォォォォォォォンッ!!!
 混乱した制止の言葉に、しかし聞く耳すら持たず、一人が地からバカでかい岩を出現させた。
 武人の性か、乱れた思考を抱えつつも飛虎はそれを回避する。が、着地の際にたまらず深く屈み込んでしまった。
「ぅ………っ………っ……」
 ポタポタと脂汗が額を伝って地面を幾度も穿つ。
 こんな修羅場の真っ只中だというのに、意識がぼんやりと散漫になってきていた。
「ヤベ…………じゃねぇよ!いきなり何しやがんだ、てめーらはっ!!」
 不意打ち、というかお門違いの先制に、飛虎は激昂して大喝を飛ばす。擦れた喉が酷く痛んだが、今はそんなことに構っていられない。
 手負いではあってもさすが殷にこの人ありと言われた猛雄。その凄まじい迫力に四聖は一瞬ぐっと怯んだ。
 しかし、
「だ、黙れっ!貴様だけは許せんのだっ!」
 何を思い直したのか、バッと高友乾は混元珠を再び構える。
 それから繰り出した二本の水の鎌を手に、飛虎に向かって突進してきた。
「…………っ!」
霞んだ象しか映さない眼を必死に凝らして、飛虎は背後に大きく跳躍すると、一つの大岩の上に降り立った。
 そして、楊森がその岩を破壊しようとする前に、
「待てって言ってるだろっ!!せめて理由ぐらい聞かせろ………っ!」
 枯れた声をどうにか絞り出して、ずるずると飛虎は岩の上に崩れ落ちてしまう。
 たかが風邪(だけではないが)でどうしてここまで衰弱してしまうのか分からない。
 そんな飛虎の痛ましい様子を目の当たりにしつつも、四聖は怒り覚めやらぬ顔で彼を睨みつけると、
「今更何を戯言を!理由など貴様が一番よく知っているだろう!」
「知らねーから聞いてんだよっ!俺が自分の責任問題に嘘なんかつくかっ!」
 確かにそうであるだけに、四聖は再び小さく動揺の色を見せた。
 その隙に木を伝いながら、よろよろと飛虎は身体を起こすと、
「何を寝惚けてんのかは知らねーが、言いがかりは勘弁しろよ………俺はてめーらに恨まれるようなことをした覚えはねーぞ」
 第一、四聖とは時折顔を合わせるぐらいの間柄だ。
 恨みを与えるような時間も無かったではないか。
 そう言いきる飛虎に、王魔は歯切れ悪そうに口を開いて、
「………だが、聞仲様にはあるだろう?」
 また覚えのない言葉を突き付けられた。
 恨みたいのは、むしろこっちの方だと言うのに。
「聞仲?………何のことだよ」
「とぼけるな!貴様が聞仲様を………!」
「…………を?」
「聞仲様をっ………すっ、好き勝手に弄んでいるだろう!あの方の友人と言う立場を利用して!」
「……………………………………………………………………………………………はっ?」
 その高友乾のとんでもない台詞に、飛虎の眼は再び点になる。
 どこをどう邪推したら、そういう正反対の結論に行き着くのか。
「あの方は俺達の島に訪れるたび、ずっと物憂げな表情で考え込まれている。理由を問うても、貴様のことしか話されない」
「だからって何で俺が元凶扱いされなきゃなんねーんだよっ!第一………!」
 悪害を被ってるのは俺のほうだ。
 と、思わず口走りかけた台詞を寸前で飲み込む。
 聞仲を庇うと言うよりは、自分のプライドの為だ。………情けないことこのうえないが。
「第一?何が言いたい?」
「なっ何でもねーよ!それより聞仲の機嫌云々なんて俺には関係ないだろっ!」
「嘘をつくな!ならば何故あんな薬を毎回聞仲様は望まれているのだ!」
 王魔のさっぱり掴めぬ糾弾に、飛虎は眉をしかめて首を捻るばかりだ。勘違いもいいところである。
 …………まあ、彼らがいっそアブナイくらいに聞仲を慕っているのは知っているが。
「………薬………?」
「そうだ、人の体を弱らせる薬だ。人間界に特効薬はない………それを聞仲様は『飛虎がどうにも手に余ってな』と、歯切れ悪い返事で、李興覇に来島なされる都度所望される。つまり、お前が聞仲様を困らせていることに相違ないだろう!そうでなくとも、あの方はあれだけ美しいから………」
 などなどと完全に脱線した言葉をつづる王魔に対して、飛虎は半ば放心状態にあった。
 特効薬のない、人身を害する薬。
 聞仲がいつも四聖に頼んでいた………
 嫌な考えが胸中を冷たく侵食して、彼は不自然に唇にだけ笑みを浮かべつつ、
「………なあ………ひとつ聞いていいか…………?」
「何だ?」
「その薬の症状って、どんなんだ?」
「何だと?」
「たとえば………風邪の症状によく似ている、とか………」
 なるべく平静を装ったはずの語尾が、あからさまな掠れを帯びている。
 この仮説が正しければ、自分が今まで何年も何年も原因不明の風邪で苦しんだのも、あの鬼畜にさんざ好き勝手遊ばれて体調崩して、更に政務にも結構な支障が出たのもすべて…………
 微妙に震えている飛虎の台詞に、王魔は腕組みをしつつ怪訝な顔つきをして、
「その通りだが…………」
「あんの野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」
 ドガァァァァッ!!!
 先程までの病気(やまいけ)はどこへやら、飛虎はかつてない怒声と共に足元の大岩を素手で叩き割り、そのままダンッと地に着地した。
 その体躯は、もはや少しのふらつきも見せていない。
 気だけで人を殺せそうな、その異常な圧迫感に思わず怖気づく四聖を相手に、飛虎はうつろに笑いながらパキパキと指を鳴らして、
「そーか、そういうことか……………いいぜ、いくらでも相手になってやるよ。聞仲一人じゃあ、この怒りはおさまりそうにねぇ」



 一対四………その圧倒的に不利な勝敗の行方は………まあ、言うまでもないということで。

 

 

 

 


 バタァァァンッ!!
「飛虎!?何をしていたんだ、そんな汗だくになって………それにその血は………」
「あー返り血だ、気にすんな。それより、今そこで四聖に会った」
「四聖に?」
「ああ、で、薬の話も聞いた」
「…………………」
「顔色変わったなぁ、聞仲。おかげで貴様のよこした風邪なんて簡単に吹きとんじまったぜ………まあそういうわけで、殺しちまったら勘弁してくれ」

 

 

 



 ……その後………勤勉な太師にしては珍しく、幾日か政務を休んだという………

 

 

 



「仕方ない………次は記憶消去のセンでいくか………」

 

 

 

 

 

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わ〜、何だかワケわかりません!(おいこら)
リク小説ではいつも謝るしかないような………(TT)

 

 

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