日常の災難(後編)
予想もしなかった人物の襲来に。天化は間の抜けた声を喉から絞り出す。
天才道士楊ゼンの師匠、玉鼎真人。
何故彼がここに……というか、なんで黄巾力士を不時着させた上、気まで失っているのか………
「……ちょ、ちょっと。大丈夫さ?」
レバーに凭れかかったままぴくりとも動かない彼を、天化はおずおずと揺さ振ってみる。……このまま一生動かない、何てことがないようにと願いながら。
幸いにして、天化の不謹慎な予感は外れたようだ。
「う、ん………」
かたり、と乱れた黒髪の伝う頬を抑えながら機器に手をつき、何とか玉鼎真人は体勢を立て直した。
「……?ここ、は………?」
「あ、気づいたさ?……良かった」
「!?」
突然天化が背後から呼びかけた所為で、玉鼎はらしくない驚嘆の表情を作り、そのままばっと振り返る。
「君は……道徳の………」
「そうさ。それより一体何があったさ?十二仙さんがこのロボの操作失敗するなんてことないと思うし………それに、その顔色………」
先程までは俯せになっていた所為でわからなかったが、改めて直視すると、少し、いや相当な顔色の悪さだ。呼吸も浅いし、発汗もひどい。「あ、いや………少し、な」
まじまじと顔を覗きこんでくる天化に苦笑しながら、玉鼎真人は歯切れ悪くお茶を濁した。
まさか弟子に薬を盛られた上、同じ十二仙に売り飛ばされた……なんてこと口が裂けても言えるはずがない。絶対。
今だって太乙の隙を見て黄巾力士を奪い取り、薬でふらふらする頭を意地と怒りで持ち堪えて、それでここに辿り着いたのだ。
………さすがに最後の方の意識は飛んでいたが。
(よく生きていたものだ……)
と、痛めた後頭部を抑えつつ、遥か上空を玉鼎真人は他人事のように見上げて、
「いや、そんなことはどうでもいい……とにかく、金光洞まで戻って………」
あのとんでもない馬鹿弟子を殴り倒す。そうでもしなければ、怒気が静まるどころではない。
「一体、師をなんだと思ってるんだ、あいつは……」
暗雲を漂わせながらぶつぶつと呟いて、レバーをぐっと引こうとした瞬間。
「玉鼎真人サマっ!もしかして洞府まで帰るさっ!?」
「?あ、ああ………」
「そんなら俺っちも連れてってほしいさっ!」
もはやお願いと言うよりは強制に近い剣幕に、玉鼎は少なからず怯んだが、玉鼎真人にはそれを追求するような余裕など残っていない。何せあの変人雲中子特製だとかいう怪しい薬をめいっぱい服用させられたのだ。
………まあそれでここまで動けるのだから、さすがだと賛辞を送るしかないが。
「わかった……落ちないようにな。あまり安全な操作は出来ないが………」
「ああもう何でもいいさっ!とにかく早く言ってほしいさっ!」
同好の士、というかとにかく楊ゼンに対して多大な危機感を抱いている天化である。
……実際、黄巾力士の丸い体型に乗りながら不安定なバランスをとられる、と言うのはかなり危険なのだが、やっぱりそれを思いやるゆとりは双方になかった。
やがて、どことなく不自然な機械音をたてながら、黒い宝貝は木々を蹴散らして空に飛び立つ。
すぐに天化の後悔に満ちた大絶叫が響き渡ったのは言うまでもない。
「………って楊ゼン!ななななな何するんだ〜〜〜っ!!??」
道徳は焦りまくって、かくかく震えた情けない悲鳴を上げた。
あの後、結局不本意な体勢のまま、金光洞に連れ来られて、
…………それでいきなり奥まった部屋の寝台に転がされて、覆い被さられたのだ。これで悲鳴を上げるな、と言う方が無理な話である。
しかし、そんな暴挙に出てくれた当の本人は至って冷静で、
「わかりませんか?」
「なっ……なにが………?」
にっこりした甘いマスクの顔を近づけられ、道徳は引きつりながらもなんとか身を捩ろうとする。別に全く根拠はなかったのだが……本能的なものと言おうか、とにかく背筋の悪寒が止まらないのだ。
第一、こんな体勢を取らされるのは天化のときだけで十分だった。
「は、離してくれないか楊ゼン」
「嫌です」
「なんで!?」
「あなたを抱きたいから」
…………………………
あまりと言えばあまりにストレートな告白に、道徳は二の句が告げず固まった。そりゃそうだろう。友人の弟子のしかも男に自分が襲われかけている、なんて状況をどうやって道徳のカタい頭で理解しろというのか。
が、彼が立ち直る時間を与えてくれるほど、この天才は優しくも無いし我慢強くもない。
「いい子にしていてくださいね、道徳師弟」
疲労故に力の抜け果てた手首を解いた髪紐で素早く縛り、寝台の縁に括り付けると、抵抗の隙も許さず彼の肢の間に身体を割り込ませた。
「あ………っ?」
そこで道徳はようやくハッと金縛りから我に返る。が勿論遅い。
改めて辺りを見まわし、想像もしたくないような状態になっていることに気づいたのか、サーッと波のように道徳の顔色がひいていく。
楊ゼンは器用に道徳のジャージのジッパーをおろしながら、それを愉しそうに見つめていた。
「よ……楊ゼン……こっ、これ以上の冗談は………」
「冗談にして欲しいですか?」
「いや、そうじゃなくてっ!!ぜっ、絶対おかしいぞこんなのっ!」
「そんなことありませんよ………僕はずっとあなたが欲しかったし、……全く天化君が嫉ましかったですよ。ちょっと僕が様子を見ている間に、あなたをいただかれちゃったんですから」
「!!!!!!」
次々と浴びせられる爆弾発言に、道徳ははたから見ていて可哀想なぐらい赤くなったり青くなったりを繰り返した。
「な……何でそんな………」
「さあ何故でしょうねぇ。でも、ね、道徳師弟。天化君があなたに惹かれたんですから、僕も惹かれたっておかしくはないでしょう?」
「ムチャクチャな理論展開するなっ!冗談じゃない!嫌だったら嫌だっ!」
ばたばたと無意味に暴れる足を、楊ゼンは窘めながらも難なく抑えこんで、くいっと道徳の顎を持ち上げる。
強がってはいるが、既に綺麗な青色の眼は涙に潤んでいた。
(本当に。さぞかし泣き顔は可愛いんだろうなぁ……)
危ない想像に舌鼓を打ちつつ、楊ゼンはするりと道徳の首筋に指を滑らせる。
途端びくんっ、と驚くくらい彼の身体が竦みあがった。
「ぅ……や、やめ………」
先程までは威勢の良かった声が小刻みに振動し、それに伴ってがたがたと歯が鳴り始める。
予想より過度な拒絶反応に、楊ゼンは僅かに首をかしげた。
「道徳師弟?まだ首を触っただけですよ?」
「…………」
唇を噛みながら無言でそっぽを向く道徳に、楊ゼンは今気づいたような顔をした。
「ああもしかして、……いつも天化君に酷いことをされてるから、怖いんですか?」
「!」
くすくすと笑いながら襟髪を梳けば、ギッと羞恥と怒りに染まった両の眼が楊ゼンを睨みつけてくる。
「うっ、うるさい!!もういい加減にしろッ!大体玉鼎に見つかったらどうする気だ!」
最後の切り札とばかりに、道徳は切羽詰った声で叫んだが、
「ああ、それなら心配いりませんよ。………今、太乙真人さまのところへ『遊び』に行ってますから」
さらりと口にされた言葉に、彼の大きな眼はますますの驚愕に彩られた。
「な、なに〜っ!?お前の稽古を俺に任せてか?………玉鼎らしくないな、そんなの………」
その疑うことを知らない素直な台詞に、楊ゼンは横目のままぽり、を頬を掻いて、
「………ええ、まあその辺はともかく。普段のあなたならとても手は出せませんけど、こうしてお疲れになった後なら、ね」
「っな………!じゃあ俺に相手してくれって言ったのも………!」
「ええ半分計算です。あなたと手合わせ願いたかったのは事実ですが」
しゃあしゃあと述べ立てられる真実に、道徳は開いた口が塞がらなかった。楊ゼンに騙された、と言うよりは自分の不甲斐なさに何倍も腹が立つ。まあ元々、口ベタな彼が楊ゼンに理論で勝てるわけがないのだが。
………しかし、それを今更悔やもうと、事態が変わるわけではなくて………
「うわっ……や…やめろ……って……!」
首筋付近を這っていた指がするすると下へおろされていく。
胸元から脇腹へと性急に伝ったそれに、道徳は背筋が冷たくなった。
「楊ゼン……っ!お前、人の話を……!」
「肌真っ白ですね。僕よりも白いかな………少しも日に灼けてない」
「だから人の話を聞けーっ!!わーっ、もう嫌だーーっ!!」
バァァンッ!
道徳が涙声で叫んだまさにその時。
蹴破った、という表現がぴったりの開き方で、扉が勢い良く解放された。
「コーチっ!様ゼンさん、一体何してるさっ!」
「………ああもう、いいところで邪魔……が……」
どかどかと語気荒く乱入してきた天化を、楊ゼンは不機嫌そうに横目で見やって、
瞬間、天化の背後からゆらりと現れた影に、さすがに不自然に動作が止まる。
「し……ししょう……?」
らしくもなく狼狽えを見せる楊ゼンを、玉鼎真人は怒りを通り越した虚ろな目つきで見据えた。
「ほう……師に外道な薬をもって、あの物好きに売り飛ばした挙句、人の朋友を寝台に引き込むとは………なかなかやるではないか、楊ゼン」
誉め言葉らしき内容とは裏腹に、眼と語調は凄まじいまでの殺気を放っている。
「さすがは師匠ですね……あの薬、大幅に分量間違えたはずだったんですが……」
その白々しい内省的な呟きに、ぴき、と確かに何かが切れる音がした。
そして、
ずばずばずばずばずばっ!!!!
瞬きすら惜しむ刹那に、楊ゼンと道徳の居た寝台が見事な輪切りにされる。
「うわ……!」
「うわぁーっ!!」
「ぎゃーっ、コーチ!!ちょ、ちょっと玉鼎真人サマ!楊ゼンさんは構わねーけど、コーチまで巻き添えにしないでほしーさっ!」
結構な台詞を言い残して、疲労のおかげで動けぬまま、寝台の残骸に埋もれている道徳を天化は慌てて担ぎ起こした。
「て、てんか〜」
「全くコーチは馬鹿さっ!なんでこーやって痛い目にあうまで気づかねーのさっ!」
一挙にがなり立てて、天化は安全地帯……と思われるスペースまで道徳を運ぶ。
そしてちらりっ、と今や修羅場と化した部屋の中央に眼を向けた。
「しっ師匠!少し落ち着いてください!本気で僕を殺すつもりですかっ!」
「………そんなことはないが」
「嘘言わないで下さい!今かなりヤバかったですよっ!」
「そうか……少し可愛い弟子をしつけ直すつもりでいるのだがな………どうやら、この薬のせいで、制御が効かぬ様だ……」
にや、と完全に据わった目を笑ませると、また遠慮なく斬仙剣を振りかぶる。
そして即座にぐばっ、と楊ゼンの飛びのいた足元が大きく抉れた。今のが直撃でもしようものなら、確実にあの世行きだ。
「師匠〜〜〜っ!!このままじゃ洞府が壊れ………!」
「ああ、勿論お前に直してもらうとも。……少し遊ぼうではないか、楊ゼン」
「ぎゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
「……………」
がらがらばらばらと角切りにされた壁や床が積み上がっていくのを見て、天化は多少でなしに頬をひきつらせながら、
「とっ…とにかく、ここにいたら巻き添えでサシミにされかねねーさ。といっても俺っちじゃあ、あのロボ扱えねーし、コーチこんな有様だし………しゃあねぇ。外でコーチが回復するまで待つとするか………」
「ん〜…………」
ぴしゃり、と頬に冷たい感覚。
くったりとしていた身体をもてあましながら、道徳は塞いでいた眼を開いた。
金光洞から慌てて逃げ出した後に行き着いた、静かな林。
さわさわと軽やかにそよぐ柳葉の音と、繊細な涼風。
すぐ間近に構える緑泉がぼんやりとした瞳に映って………そして、
「天……化……?」
突然視界に入り込んできた弟子の顔に、道徳はびっくりした表情を作る。
「天化?じゃねーさっ!何をすやすや気持ちよさそーに寝てるさっ!」
別に、道徳は疲れていたわけだし、眠っているからと言って本当は怒る理由なんかないのだが………そこはそれ、利害と状況、というヤツである。
(まったく、そんなに俺っちに襲ってほしーさこの人は………)
「ほら、コーチ。少し微熱あるから、これで顔冷やすさ」
ぶっきらぼうに言って、天化は濡らした絹布を道徳の額にはりつけた。
道徳はそれを素直に受け取りながら、
「ん……ごめん……」
まだどこか寝惚けているような声で、謝罪を返す。
そんなぼんやりとした様子に、天化の怒りは変に削がれてゆく。
(こんな時に、そんな態度取るなんてずるいさ……)
「まったくもー………何だって馬鹿正直に楊ゼンさんの相手なんてしたさっ。ちっとは気づいたっていいもんさ」
「だって……そんなこと思わなかったんだから仕方ないじゃないか……」
小さくなって、ごにょごにょと道徳は口腔で言葉を濁す。さすがに悪かったとは思っているらしい。
「第一、普通直弟子の稽古放っておくなんておかしいさ……俺っち、すっごく怒ってんだからね」
「だから悪かったって……ちゃんと明日からは相手するからさ」
「それだけじゃ許してあげないさ。ここに来るまでもほんとに大変だったさ?もー何度落ちかけたことか……今だって悪酔いして気分悪いさ。全ー部コーチのせいさ」
「う〜………」
ぷいっと道徳に背を向けて芝生に寝っ転がってしまった天化を、彼はしばらく複雑な表情で見つめていたが、
………やがてふぅっと観念したように息を吐いて、背後から天化の顔を覗き込みながら、羽根のように軽いキスを彼の頬に落とした。
「!コーチっ!」
ついさっきまでの膨れ面はどこへやら、天化は頓狂な叫び声を上げてがばりと跳ね起きる。
「………こ、これでいいだろっ?もう、機嫌直してくれよ……」
道徳は照れを隠したような顔つきで、唇に手を当てながらぽつりと言うと、そそくさと樹から身体を起こそうとした。
が、
「うわっ!」
がくんっと足を払われて、道徳は真後ろに倒れこむ。
………もちろん、行き着いた先は、天化の腕の中だった。
「う〜ん、やっぱコーチって可愛いさ……」
硬直する道徳の襟首に顔を埋めて、天化は心底幸せそうに呟く。現金にもすっかり機嫌は回復しているようだった。
それに幾分かほっとしながらも、道徳は聞き逃せない台詞に反射的に噛み付く。
「何が可愛いだっ!オレはお前の師匠だぞっ!」
「はいはい、わかってるさー。あーいい匂い……」
と、悪びれる様子も無く、なおもじゃれるように道徳の身体を羽交い締めにしてくる。彼は赤くなりつつも抗おうとしたが、天化の嬉しそうな声色を耳元で聞くと、もう何も言えなくなってしまった。元々、弟子にはからきし弱い道徳だ。
緩く腕を押し返してみたが、全く譲歩する気配がないのを悟って、道徳は諦めたような大きな溜め息を吐きながら、大人しく天化に背を預けた。
「……まったく、もうしばらくだけだぞ」
そして、疲れたような声で言う。
それでも、天化はその言葉のなかに、少しも怒りが混ざっていないのを感じて、
「ねーコーチ………明日はどんな修行してくれるさー………?」
太陽の香りのする華奢な身体を、しっかりと抱き締めたのだった。
……洞府に帰ったら、手始めに楊ゼンの毒牙にかかりかけた罰を嫌というほど与えてやろう、などと思いつつ。
そして、無事二人が青峯山に着き、道徳が無事ではなくなった更に後のこと。
楊ゼンの姿を昼間見かけることはなく、太乙真人と雲中子は闇討ちに合い寝こむ羽目になったとかならないとか………
しょーもないほどにあ、甘い……そしてキャラの性格が……
いえ、でも書いててすごく楽しかったです。やっぱりギャグはいいですねぇ。色んなことできて(笑)
無事でないコーチまでを書こうと思ったんですが、内容が内容だけに断念……(汗)