何時の頃からだろう。
己を見る弟子の眼が、鋭い狂光を宿してきたのは。
こんなことを、望んでいたわけではないのに………
びゃくすい
白 悴 ー前編ー
「………起きてください、師匠」
冷ややかな指先で頬を撫でられ、玉鼎は掛布にくるまった四肢を僅かに反応させる。
「ん………」
涙の乾いた睫毛を無理に開けば、吐息が触れ合うほどの位置に……今は心痛しか呼び起こさない、美しい容貌があった。
図ったように、紫水晶の瞳を霞んだ黒眼に被せられ、びくりと玉鼎の身体は意味なく波打つ。
「なん、だ………?」
「……………」
恐る恐る掠れた喉で呟いても、楊ゼンは薄く微笑するばかりで、何も返そうとしない。
その不可解な様子に、酷い居心地の悪さを覚えながらも、身体の内に冷たい鉛が沈殿しているような…そんな粘った不快感から逃れようと、玉鼎は眉を顰めながら再び眼を閉じた。
が、
「駄目ですってば……寝ないで下さい、師匠」
乱暴に肩を掴まれて揺さ振られ、否応なく意識を引き戻される。
「楊ゼン……?何……」
「何、じゃありませんよ。……どうして眠ろうとするんですか?」
抑えてはいるが、苛立ちのこもった物言いに、玉鼎は瞳を揺らがせて戸惑った。
辛いから、気持ちが悪いから。
だから眠って、この耐えがたい感覚を忘れてしまいたいのに。
「どうして……とは……?もう、いいのだろう?」
混乱を隠せないまま、遠慮がちに口にした言葉に、楊ゼンは一瞬眼を見開いてすぐにくっと笑った。
そして、わからない顔つきを見せる師の顎を掴み寄せて、
「何を言っているんですか、師匠………こんなに早く、許してもらえるとでも思っていたのですか?」
青白い耳朶に、そんな台詞を吹き込んだ。
途端、玉鼎の表情は痛々しいほどの恐怖に竦む。
それに呼応して、かたかたと軋む節々が震えを刻み始めた。
「楊……ゼン……?」
「ああ、そんな顔をしないで下さいよ……今にも泣き出してしまいそうじゃありませんか」
弱々しい称呼に込めた拒絶に応えが返る筈もなく、楊ゼンは冷笑をはりつかせたまま、ねっとりと玉鼎の首筋に舌を這わせた。
それが、彼にとっては断罪の瞬間のようなものでしかない……情交の合図。
「ぁ……や、め……もう………」
もう、嫌だ。
これ以上に苦痛に、もう耐えることが出来ない……
「楊、ゼン……頼む……から……」
「………そんなに嫌ですか、師匠」
「…………っ」
振動する顎を何度も縦に振る玉鼎に、それでも楊ゼンは残酷に笑って、
「そんな我侭を仰らないで下さいよ……貴方は、僕のものなんですから」
絶望に見開かれた玉鼎の眼に……軽いキスを与えた。
そのまま、少しの加減もなく玉鼎の肢を割り、行為を進めていく。
「ぅ………く………」
快感の欠片すら見出せない、苦しいだけの交わりに、玉鼎は必死に掛布に顔を埋めて耐えようとした。
それでも、尽きない不快感は奔流のように絶えず押し寄せてくる。
「ぁ………ぁ、あ………」
毎晩のように心と身体の双方を苛まれ……玉鼎は渇いた嗚咽を洩らし続けた。
「まだ帰ってこない……か」
パタン、と書物を閉じて、玉鼎は微かな溜め息をついた。
その静かな美貌には、しかし疲労が色濃く影を落としている。
………もうどのくらい、こんな関係が続いただろう。
治まりを見せるどころか、日を追うごとになお激しくなっていく弟子の狂気を全て受け入れさせられて、もはや彼の身体は限界に近づいていた。
常に気を張っていないと、すぐに意識が遠のきを覚える。
ふう、と玉鼎は卓子に肘をついて額を抑えながら、
「………楊ゼンには悪いが、先に休ませてもらうか………」
どうせ、また目覚めを強制させられるのだろうけれど。
それでも……こうして、正気を保っているだけで、辛い……
ふらつく頭を支えながら、カタリと玉鼎は椅子を引いて、
そこで、初めて気づいた。
言葉を発することなく、……静かに扉の前に佇んでいる人影に。
「!楊………!」
驚いて弟子の名を叫ぼうとして、玉鼎は思わず立ち竦んだ。
予想すら、しなかった人物。
にこにこと人の良い、無邪気な笑みを浮かべている。
「こんばんは玉鼎」
「……普……賢………?」
突然の訪問客に、らしくもなく呆然と眼を見張る玉鼎に、普賢は表情を変えることなくスタスタと歩み寄ってきて、
……そして、真向かいの位置まで身体を寄せ合うと、玉鼎に眼を合わせながらにっこりと微笑んだ。
………何かしら………違和感を覚える、そんな微笑。
「普………」
「珍しいね、玉鼎。……というかどうしたの?僕があんな近くに立ってても、剣の達人の君が気づかないなんて」
その台詞に、玉鼎はギクリと息を呑んだ。
僅かな混乱のよぎった瞳で普賢を見やれば、相変わらず穏やかに笑っている。
………だが、玉鼎の疲労故に研ぎ澄まされた感覚は、普賢の隠された表情を見逃さなかった。
「…………何が言いたい、普賢」
「あれ、わかっちゃった?」
大した感慨も見せずに、普賢は小さく頭を掻いた。
その軽い動作に、余計強い不信感が胸中に灯る。
「……用がないのなら……出ていってくれ」
眼を伏せながら視線を逸らして、玉鼎は普賢に背を向ける。何故か彼と向き合っていると酷く心が波立った。
「………冷たいなぁ。折角心配してきたのに」
くすりと悪戯のような笑いをかたちづくって、普賢はすっと玉鼎の片腕を引く。
それだけの行為に、玉鼎は胸の内が嫌な冷たさで満たされていくのを感じた。
「酷い顔色。……心なしか痩せたよね。足元も危なっかしいし」
「………っ………」
触れられたくない傷を丁寧になぞるように、淡々と囁かれて、玉鼎は怒りから思わず身を翻す。
瞬間、自分でも不自然だとわかるほど、顔の筋肉が緊張した。
普賢の顔から、笑みが消えている。
凍てつくような光沢の蒼い瞳が、玉鼎を射ぬくように凝視して、
「どうして、そんな有様になるまで楊ゼンに好き勝手させるの?」
一番問われたくなかった台詞を、彼は平気で浴びせ掛けてきた。
身体を引こうと力を込めるが、憔悴しきった四肢は普賢の腕を振り払うことすらよしとしない。
彼の容赦ない目線が辛くて、玉鼎はぎゅ、と下唇を噛み締めた。
「………お前には、関係ないだろう」
「そうだね。だからって放っておこうとも思えないよ」
「……………いい、から……もう、放っておいてくれ……」
疲れきった、投げ遣りな言葉。
しばらく、重苦しい静寂が玉鼎の肩にのしかかる。
段々と冷えていく普賢の表情を、彼は正視することが出来なくて……
「妖怪仙人の筆頭の、嫡子」
「ッ!」
その胸穿つような言に、怒りも恐怖も忘れて、ばっと玉鼎は普賢に青ざめた顔を重ねた。
………何、と。
今、何と言った。この、男は。
「僕が知らないとでも思ってたの?」
ふっと歪んだ笑みを浮かべて、普賢は冷淡に言葉をつぐ。
「ねえ玉鼎。僕は別に君を責めたい訳じゃないんだよ。……ただ君のことが好きで、可哀想だから言ってるんだ」
「……………」
言葉を失くして立ち尽くす玉鼎の腕を、つっと引き寄せて、普賢は彼の身体を椅子に座らせる。そのまま冷たい手の甲で玉鼎の頬を撫で上げて、
「どうして何も言ってくれないの?……それとも僕の忠告への拒絶?」
「…………」
「玉鼎」
「……………そう、だ」
そうとしか、言えなかった。
たとえ己の身がどうなろうと、あの子は誰よりも大切な弟子だから。
自分如きの存在であれの渇望を補えるなら………何でも、望む通りにしてやりたかった。
「………へぇ。そう、そうだね、君ってそういう人だもの。・・・・・・大事な弟子の為なら、どうなったっていいって言うんでしょう?」
「………普賢………」
「……わかってるよ、そんなこと」
吐き捨てるように静寂に向かってそう呟いて、普賢はそっと玉鼎の首を抱いた。
優美な香りに包まれた……想い人の艶やかな黒髪。
それをゆっくりと梳きながら、額に唇を寄せて、
「でも、僕はそれが許せない」
「痛……ッ」
細い髪を一房指に絡め、加減なしに引き上げられて、無理に上方を仰がせられる。
そのまま顎を掴まれ、完全に顔を固定された。
そして吐息が触れ合うほど間近で、普賢の唇がいささかの嘲りの色に歪んで、
「玉鼎………妖怪に犯されるのって、どんな気分?」
「っ……普賢……!」
「どうせ君しか見えていない彼のことだから……君の体調とか気持ちとかなんて、全く気遣ってはくれないんだろうね。傍若に扱われているんでしょう?」
胸に突き刺さるような言葉を臆面なく吐かれて、玉鼎は怒りと屈辱に全身を震わす。力を無くした腕で、それでも普賢の手を荒々しく振り払った。
「普賢!いい加減にしないか!それ以上戯言を口にするなら、いくらお前でも………!」
「だって本当のことじゃない。……まだ気づかないの、玉鼎。僕は怒ってるんだよ」
「………普賢?」
「あの男は、綺麗な君を苦しめるようなことばかりする」
許せる筈がない。
人の大切なものを奪って傷つけて……なおも己に繋ぎとめようとして。
こんな風に衰弱していく君を、どうして見過ごすことが出来るだろう。
………でも、そうして思い煩う前に、玉鼎、君にも腹が立ったよ。
それがどうしてか……君は、きっとそんな簡単なことにも気づいてはくれないんだろうね。
「普賢……っ!何を……」
がたりと椅子をつま先で払われ、掴まれた身体が床の上に倒される。
絹糸のような繊細な髪が、複雑な模様を描いて薄闇色の床に散った。
身を起こそうとする玉鼎の肩を普賢は力任せに抑えつけ、その抵抗を封じて、
「………どうして、彼じゃなきゃいけないの………?」
呻くように、問うた。
一方的で身勝手な気持ちばかりを押しつける……あんな男でなければ。
虚ろな呟きを繰り返し、普賢は玉鼎の唇に自分をそれを近づける。
そんな彼の意図を理解して、玉鼎の顔はなお色を失った。
「普賢……!やめっ………!」
掠れた声で叫んで、反射的に眼を閉じた瞬間。
がたん……と先程普賢の居た入り口の方向から、物音が聞こえてきた。
「楊……ゼン………」
みかさま!楊玉←普でダーク、そして裏裏(え?)とゆうリクをありがとうございました!
さんざん時間を空けて、挙句にリク小説を前後編にしてしまったたわけ者は私です……ああごめんなさい!!(そればっか)
一応、続きは(ワープロ原稿で)打ちあがっているのですが、しつこく××シーンが長くなってしまったので……(死)
ええと、後編はかなりキツいです。多分なかで一番……(汗)楊ゼンってばイジメ放題です。
それにしても私って、相手に浮気現場発見されるお話が大好きですねぇ(オイ)