(毎週金曜日/朝日新聞地方版に連載)

アユの季節に思うこと -第3話-

2000年6月2日掲載

 六月に入りますと、そろそろ若鮎が出て参ります、鮎は子供の頃は近所のお兄ちゃん達の自転車に乗せてもらって、九頭竜川まで釣りに行くのに付いて行きましたネ。

 物干竿の様な長い竹竿で友釣りしてましたが、子供ながらに向こう岸から釣れば短くても良いのにな〜と思って見ておりましたヨ。

 私の方わって〜と、釣り上がるまでに、そこらで小枝を集めて焼く準備をしたり、桶の中に石と魚の残と糠を入れ口を小さい穴を開けた布で被い、川の中に沈めて置くと鯉やうぐいや鮒等の小魚が入ります、それらも鮎と一緒に塩降って焼いて食べましたネ、結構旨かったですヨ。

 鮎は子を持つメスが好きで、逆針を掛けるお尻のヒレが少し窪んでいるメスを選び、西瓜の様な芳醇な香りと共に頂く旨さは、今でも記憶の中に染み込んでおります。

 今はとても考えられませんし、子供は危険なのでダメですが、昔はどの川にも虫やメダカや小魚が沢山いて、川も済んで泳ぐ事も出来、魚釣りや水遊びが出来ましたヨ。

 京都なんぞのお座敷に参りますと、「このお鮎さんは天然ドスエ〜」なんて言われて、お箸で身を押して尾ヒレを取って頭から引っ張ると綺麗に骨が抜けますヨ、と強調されますが、福井では頭の小さい天然が当たり前で、頭からガブリとほろ苦い内蔵と共に豪快に頂くのが一番美味しいと思って居ります。

 今でもご近所の釣り名人の旦那様が釣られた鮎を時折頂きますが、若鮎の天ぷら・鮎の塩焼きやお造り・鮎の内蔵塩漬けのうるか・落ちあゆの素焼きのお味噌汁や棒巻きなど、季節の流れに合わせて色々な食べ方を楽しませて頂いております。

 太鼓持ちて〜商売は何だかんだ言いながらも、あちこちから美味しい物を頂く機会が多く、当然に口も肥えてさらに口の滑りが上達して行くッてな訳ですなハイ。


結婚式事情も様変わり -第4話-

2000年6月9日掲載

 

 西洋では六月の花嫁は幸せとか申しますが、日本では農作業も一段落して仕事が無くなる月なので「水無月」とも言われるそうで、この月に結婚式が多い気も致します。

 子供の頃は、親から十円をもらって駄菓子屋さんでお菓子を買うだけが楽しみでしたから、ご近所にお嫁さんが来ると聞くと「饅頭まき」目当てに行きます、玄関先のお饅頭の箱が多いかどうか、まく所はどこかなど子供ながらに考えて、必死になって拾いましたネ。

 沢山拾ってお腹一杯食べて残ったり、箱に入った大きなお饅頭をもらった時は、餡が少し付いた皮だけを食べてしまって、餡をお汁粉にして火を通して何日も楽しみました。

 親戚の結婚式に親がよばれて出席した日は、帰って来るのを首を長くして夕食を食べずに待って、お土産に持ち帰ったお料理等を家族で分けて食べましたし、ご近所にも配りましたネ。

 今はほとんど持ち帰りなどなくなりまし、結婚式にもお饅頭はあまり喜ばれませんが、昔は、会合などでお料理やさんに親が出席しますと、必ずお料理は持ち帰り家族に分けて皆で頂くのが嬉しかったです。

 結婚式も料理屋・魚屋さんからホテル・レストランへと場所も宴も変化して、新郎新婦もご自分達のイベントとして楽しんでおられ、太鼓持ちにも来てとお誘いが掛かります。

 でも、ご両家とも知り合ったばかりで、お子さんからご年輩までおられ中で艶話や艶芸は如何でしょうか?とヤンワリお断りするのですが、それでも是非と呼ばれますと、お叱り覚悟で参ります。

 特に新婦側のご友人の席は、どの様に反応して良いやら、困惑した表情が面白くてついコッテリ行ってしまう助平な自分に出会います。


見る目で違うプロの料金 -第5話-

2000年6月23日掲載

 太鼓持ちのご依頼で、お料金に付き一部のお客様は「高い負けろ」と言われます、何と比較して何を基準にして高いと言うのか? 解りません、只口癖の様にしておっしゃる方も居られますが....

 極論を申し上げれば、世の中に有る全ての物は「タダ」なのだと思っております。

 「そんな事は無い、仕入れの元が掛かっている」とおっしゃいますが、果たしてそうでしょうか?例えばお魚の鯛は「私は3千円ヨ〜」なんて言って泳いでいますか?鯛は掴まるのがイヤダと言って逃げ回って居るのを無理矢理に捕まえて、こんなに苦労して捕まえたんだから一匹3千円ダ!と捕まえた人と買う人が交渉して、需給関係で人間社会の中だけでお値段が決定しただけなのです。

 その鯛をお料理屋さんに運んで引き取られ、板長さんの腕で見事なお造りになり、それをお着物を着た女将さんがお座敷まで運ばれて、床の間を背に座ったお客様の所に来た時には、一匹6〜7千円にもなって居るのです。

 ご自分で捕まえればタダの鯛が何人もの人達の手を潜り、その人達の時間と労力とノウハウや技術や感性や独創性やサービスなど様々な付加価値が加味されてお値段が高くなって来るのです。

 逆に言いますと、お値段が高いものは付加価値や質の高いサービスが多く、皆様が認める本物である事が多いのです、でも太鼓持ちも詐欺師も同じ様な事を言いますから、最終的にはご本人に見る目や知識・能力が無くては、只はまるだけですが....。

 お仕事はお客様や社員・仕入れ相手・回りの人達にご迷惑を掛けない事が第一で、その為に常により良い物を提供し、お客様にご満足頂き継続し、未来に向かって成長する責任が有るので、赤字になったり相手に我慢や不満を与えるのではプロとは言わないのです。


童心にかえり心触れ合い -第6話-

2000年6月30日掲載

 昔は夏になると毎日汗をかくので毎日お風呂やさんに行きたかったのでしょうが、勿体無いので三日か四日に一度位で、中間はお家で行水がどこのお家でも風物でした。

 縁側の踏み石の前にタライを置いて、周りに敷布を紐に掛けて目隠しをし、ヤカンで沸かしたお湯に水を足して、入ると言うよりも掛ける様なものですが、親子で順番に入って「チリン〜チリチリリ〜」と風鈴の涼し気な音を聞きながら身体を拭くと、サッパリしてとても気持ちが良かったですヨ。

 昼時にはタライに水を張ってスイカや真桑瓜や完熟トマトなんかを浸けて、水面から出た部分には雑巾を掛けて冷やして置き、行水が終わって首なんぞに「てんかふ」をパタパタ叩いて浴衣を着せてもらうと、タライからお鍋に移して冷やしてあったスイカを、近所の子供達に「スイカ食べるヨ〜」と呼びに行き皆なで楽しく食べましたネ。

 先日も京都の老舗のお座敷で、仲の良いお友達のご婦人達がそれぞれにお料理をご人数分だけ一品持ち寄れば、アッと言う間にご人数分のお料理が整い、太鼓持ちの私を呼んで一点豪華主義のお遊びの始まりです。

 皆様一重のお着物や浴衣をお召しになって、代々大切に守られて来た掛け軸や屏風に打ち水された坪庭を拝見しながらの他愛も無いお話やお遊びに一時を忘れ、お互いに「何々チャン」と愛称で呼び合い、童心に還りての優雅な時間の流れは、子供の頃の皆で和んだ昔を思い起こします。

 情報化・スピード化・弱肉強食時代と変化の目紛しい現代、たまには季節と共にユッタリとした時間の流れの中で、気心知れたお仲間との童心に還った心の触れ合いは、何よりもまして癒された素直な心の自分に出会えますネ。

 


 


■ お品書き ■  お手紙くだされ  新聞の目次


top pagee-mail:houkan@mitene.or.jp

 

<制作協力>