富士宗学要集第九巻

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上、離合編


日亨輯録
 富士の開山日興上人の御門下に統率の栄将無かりしや或は本六新六互に気鋭にして譲らざりしにや南北朝より戦国時代にかけ群雄割拠の情勢に駆られて教界亦安息せず遂に興尊に復帰するの機運すら来らざりしか、又教義の方面に於いて疾くに日眼日有の宗祖本仏論一経不読の主張ありて開山の御義を顕彰したるも影響甚だ大ならず。僅に海を越えて房山に於て日要日我の唱和あるのみ、京山にありて開祖日尊の寛容主義が随時に隠顕して日辰の義となり此を以って富士を糾合せんとしたるも甚大志は初めより成るべき筈も無し、各山或は合して通用を謀り或は離れて気●を揚ぐるは六百余年の常体なり甚しきは富士系にあらざる者を歓迎して要路に据へ又は迎へん為に努力したる山すらあり、要するに富士の旧態依然として振はず遂に時勢に強いられて自立廃忘の傾向を生じ開山の面目を蹂躙せんずるの止む無きに至れるか、本年の宗教の大合同の形勢に駆られて無条件に六百余年の宗敵の膝下に叩頭せるの門中に対しては寧ろ一掬の涙無き能はざるなり、然りとも雖も単独孤忠を矜持する門下の清節にも亦苦涙の乾く暇無き能はざるべし、斯くの如くして本門七山の奮起の機運を失して益す混沌たる汎日蓮義に没入して出る期無く、清節矜持の大石と日一日に阻隔の溝を深くする事は開山上人の御悲懐如何ばかりかと恐懼の至りに堪へざるなり、然りと雖も法運の通塞宗海の波瀾は吾等凡人の予想すべきものに非らず偏に本仏の御謀に憑るのみ、近年本門宗と称したる諸本山が合同復帰するを見る悦ばしい事である。

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