富士宗学要集第八巻

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第四、山規

 原始の諸山に衆徒多く信行熾烈なるが故に煩瑣の法規を設けて統制を須つの要無かりしが如し、開山上人の廿六箇条と云ふも闔衆の信条訓誡が主であつて一山の特規なりとは見えぬ、二百年後の有師化儀抄の如き百廿一箇条ありと云へども多くは信条であつて後世の山規と目すべきものは僅少である、時代稍下りて讃岐本門寺(今の法華寺)の定目及び要法寺の新条目等に至つては一般的山規の色彩厚濃なる物と謂つべきに至れり。
御遷化記録、祖滅元年二年、開山日興上人の記 正本在り、己に前編一項入延の下に出せり、故に再録せず。
大石寺番帳、祖滅四十九年、総本山写本に依る。
定、大石寺番帳の事。
大御坊
一番、蓮蔵坊阿闍梨日目、 二番、寂日坊阿闍梨日華、 三番、理境坊阿闍梨日秀。
四番、少輔阿闍梨 日禅、 五番、上蓮坊阿闍梨日仙、 六番、蓮仙坊阿闍梨日乗。
七番、越後阿闍梨 日弁、 八番、弁阿闍梨 日道、 九番、治部阿闍梨 日延。十番、大夫阿闍梨 日尊、 十一番、三河公 日蔵、 十二番、伊勢公 日円。
右鎮番の次第を守り懈怠無く勤仕せしむべきの状件の如し。
元徳二年正月 日
廿六箇条御遺誡、祖滅五十二年、開山上人の記、古写本房山等に在り。
夫れ以みれば末法弘通の恵日は極悪謗法の闇を照らし久遠寿量の妙風は伽耶始成の権門を吹き払ふ、於戯(ああ)仏法に値ふこと希にして喩を曇華の萼に仮り浮木の穴に類する尚足らざる者か、爰に我等宿縁深厚の幸に依つて此の経に遇ふことを得たり、随つて後学の為に条目を筆端に染むること偏に広宣流布の金言を仰がんが為なり。
一、富士の立義聊も先師の御弘通に違はざる事(中畧三条)。
一、謗法を呵責せずして遊戯雑談の化儀並に外書歌道を好むべからざる事。
一、檀那の社参物詣を禁ずべし、何に況や其器にして一見と称し謗法を致す悪鬼乱入の寺社に詣すべけんや○(中畧三条)。
一、義道落居無くして天台の学文すべからざる事(中畧二条)。
一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致すべき(中畧三条)。
一、時の貫首たりと雖も仏法に相違し己義を構へば之を用ゆべからざる事。
一、衆義たりと雖も仏法に相違あらば貫首之を摧すべき事。
一、直綴を著すべからざる事。
一、衣の墨黒くすべからざる事。
一、謗法と同座すべからず与同罪を恐るべき事。
一、謗法の供養を請くべからざる事(中畧二条)。
一、先師の如く予が化儀も聖僧たるべし、但し時の貫首或は習学の仁に於ては設え一旦の●犯有りと雖も衆徒に差し置くべき事。
一、巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫すべき事。
右の条目大略此の如し万年救護の為に二十六箇条を置く後代の学侶敢へて疑惑を生ずるなかれ、此の内一箇条に於ても犯す者は日興が末流に有るべからず、仍て定むる所の条々件の如し。
元弘三年癸酉正月十三日 日興在り判。
偏者云く省略十三条等具文は宗史部の一、二一九頁以下に在り。
遺誡条目、祖滅六十年比、要法寺開山日尊上人の記、中古の写本要山に在り。
(前畧)一、上行院は日尊一期弘通の終り最後鶴林の砌なり、若し住持の僧侶無くんば寺家破壊の基なり、仍て都鄙の僧衆番々の次第を守り止住の志を励み香花等を捧ぐべき事、在京の日月宜に随て計ふべし(省畧一条)。
一、門徒僧衆の中資縁無きの輩に於ては器量の堪否を糺し御扶持有るべきなり(下畧)。
一、所々恒例の供養物等に於ては僧徒に仰せ付け慇懃に取り沙汰せらるべし、其の外所受の供物に至ては総別に付け上分を捧ぐべし、若し爾らずんば別請と謂ふべし聖教の誡尤も謹慎すべき事(省畧一条)。
一、僧徒の淑行は戒律を以て先と為し身に忍辱の衣を著け心に慈悲の思を懐かば何ぞ刀杖弓箭を帯して外儀内心に違ふべきや、但経教の戒のみに非ず律令格式の文炳焉なり、但し遠行の時夜陰の間寺中を警固し其の身を全うせんが為に刀杖を持つに於ては制の限りに非るか、道場に入るの時衆中に交るの程は顕露に刀劔を横ふるの条甚だ無用と謂ふべき事。
七箇の誡条畢んぬ。
偏者云く宗史部の一、三一一頁及び問答宗史部二〇四頁に具文あり。
五箇条法式、祖滅不五十五年、妙本寺開山日郷の記、古写本房山に在り。
一、名聞利養を先にし仏法の修行を次にすべからざる事。
一、酒宴茶会を好み虚く財施法施を受くべからざる事。
一、俗性の親類を近け仏種の弟子を遠ざくべからざる事。
一、富貫の仁を重んじ貧賤の族を軽んずべからざる事。
一、管絃歌舞に携はり自行化他を障るべからざる事。
右狂慮を直し正法を存すべき者なり。
建武三年二月五日
偏者云く己に宗史部の一、三三〇頁に出せり。 日郷法師。
五箇条の制誡、祖滅八十年比、日向日●の記、正本定善寺に在り。
(首二行缺損)階級、本と迹との相違□□(人)□(毎に)□(智の)□(浅)□(深を)□(云)□(はず)□(一)□(月)□(一)□(度)相違□(無く)説法有るべきなり。
一、大衆等一同学文稽古せらるべき事。
一、一月に三度管絃有るべき事。
一、一月に三度連歌有るべき事。
一、百日手習の事。
右無智無行の若僧等徒らに年月を送り世俗の浅事に戯れ仏道の修□(行)を閣く条重々の謗法たるの間三年中日●中違ひ申すべきなり、直老僧等の事は望に依るべく候。
若し此の条偽り申さば上には法華経中の諸仏四代上人の御罰を日●が身に罷り蒙るべき者なり、将た亦此の制礼後哲に留るのみ。
日伝制誡、祖滅百四年、正本房山に在り。
定、住山間の制誡。
一、酒宴歌舞を事として恒例の勤行を怠るべからず。
一、遊行交衆を事として寺門の閾を越ゆべからず。
一、親疎貴賤の眤近を事として自身の作務を怠るべからず。
右意趣巨多にして委悉に遑あらずと雖も然れば即ち現世の迷情を改めずんば将に未来の朗然を期せんとするのみ。
至徳二年太歳乙丑正月八日 日伝法師。
有師化儀抄、祖滅二百二年、日有上人の談南条日住の記、正本より抄録す正本総本山に在り、又具条も信条部の下に在り。
(二十条)柴甲青甲等の色有るけ(袈)さ(裟)を懸くべからず律師己上の用る所なる故に、但五帖(条)長絹、重衣等斗りを用ゆべきなり云々。
(百十五条)薄袈裟うづら(鶉)衣はす(素)わう(袍)はかま(袴)に対するなり、衣冠の時は法服なり、帷を重ねたる衣に長絹の袈裟は直垂に対するなり云々。(廿一条)内衣には老若に随て其時分の色有る小袖を用ふべし、衣付きには必ず白小袖を著べきなり云々。
(五十条)一里とも他行の時は十徳を著べし、裳付け衣のまゝ(儘)は然るべからざるなり裳衣は常住の勤行の衣なるが故に、たゞし(但)十徳の上に必ず五帖(条)のけ(袈)さ(裟)をかく(掛)べきなり、只十徳計りにては真俗の他宗に不同なきなり。
(百十四条)法花宗の御堂なんどをば日本様に作るべし、唐様には作るべからず、坊なんども結構ならんは中門車寄なんどをもす(為)べし云々。
(八十二条)茶湯有るべからず唐土の法なるが故に、霊供の時も後に酒を供ふべし云々、此の世界の風俗は酒を以て志を顕す故に、仏法の志をも酒を以つて顕すべしと云ふ意なり云々。
(七十七条)末寺に於て弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず本寺の住持の所作に限るべし云々。
(六十三条)諸国の末寺より登山せずんば袈裟をかけ(掛)又有職を名乗り日文字などを名乗るべからず、本寺の上人の免許に依て之れ有るべし、坊号又此の如し云々。
(六十条)遠国より住山の僧衆の中に本尊守り有職実名等の望みあらば本寺住山の時分たりとも、田舎の小師の方へ○披露して○小師の領納を聞き定めて○本寺に於て免許候へば信の宗旨に相応し(下略)。
(十条)本寺直檀那の事は出家なれば直の御弟子、俗なれば直の檀那なり云々。
(七十四条)本寺直の弘通所にて経を持つ真俗の衆は数代を経れども本寺の直弟たるべし、其所の代官の私の弟子にはあるべからず(下略)。
(六十一条)居住本山の僧も遠国の僧も何れも信心の志は同じかるべき故に○遠近偏頗有るべからず、○仏法の義理をひづみ(歪)又は本寺のうらみ(怨)を含まむ族有りとも尚此の如くひづむ(歪)族の科を不便に思はん事、仏聖人の御内証に相叶ふべきか、但し折伏も慈悲なるが故に人の失をも免すべからず能く々教訓有るべき事なり。
不思議に有り合ふ世事の扶持をも、事の闕げん人を本となして小扶持をも成さん事尤も然るべし云々。
(九十八条)末寺の事は我建立なるが故に付弟を我と定めて此由を本寺に披露せらるゝ計りなり云云。
(六十二条)諸国の末寺へ本寺より下向の僧の事、本寺の上人の状を所持せざる者は縦ひ彼の寺の住僧なれども許容せられざるなり、況や風渡来らん僧に於てをや、又末寺の坊主の状無からん者は在家出家共に本寺に於て許容無きなり云云。
(九十一条)本寺へ登山の諸国門徒僧衆は三日の間は仏の客人たる間賞翫之れ有り云云。
(四十四条)上代の法には師範より不審を蒙る族をば一度は訪ふべし二度とは訪ふべからずと云ふ大法なり、其故は与同罪の科大切なり(下略)。
(九条)真俗老若を斥らはず、いさかいを寺中に於て有る時は両人共に出仕を止めらるゝなり云云。
(六十四条)法華宗は天台の六即の位に配当すれば名字即、始中終の中には名字の初心聞名の分に当る故に、寺は坊号まで官は有職までなり、仏教の最初なるが故なり云云。
(廿二条)出仕の時は太刀を一つ中間に持たすべし折伏修行の化儀なるが故なり、但し礼盤に登る時御霊供へ参る時は刀はぬ(抜)いて傍らに置くべきなり云云。
(九十三条)法花宗は折伏修行の時なる故に断酒、定斎夏(げ)に入るなどといひ又断食なんどゝ云ふ事有るべからず云云。
(六十九条)法花宗の僧は天下の師範為るべき望み有るが故に我弟子門徒の中にて公家の振舞に身を持つなり、夫れとは盃を別にしてしき(式)のさかな(肴)の躰にする事も有るなり、又はなげし(長押)の上下の如く敷居をへだ(隔)て、座席を構ふる事も有り、此の如く振る舞うは我宗我門徒にての心得なり、他宗他門に向て努め々有るべからざる事なり云云。
(八十四条)門徒の僧俗の謗罪を見隠し聞き隠しすべからず与同罪遁れ難きなり、内々教訓して用ひずんば師範に披露なすべきなり云云。
(六十七条)事の即身成仏の法華宗を建立の時は信謗を堅く分けて身口意の三業に少しも他宗の法に同ずべからず云云、身業が謗法に同ず(ぜざ)る姿は法花宗の僧は必ず十徳の上に五帖(条)のけ(袈)さ(裟)をかくべきなり、是即誹謗法花の人に軈て法花宗と見へて結縁せしめん為なり、若し又十徳計りにて真俗の差異無き時は身業が謗法に同ずるにて有るべきなり、念仏無間、禅天魔、真言亡国等の折伏を少しも油断すれば口業が謗法に同ずる姿なり、彼の折伏を心中に油断すれば心業が謗法に同ずる姿なり云云。
讃岐法華寺の山規、前の僧俗譲状の下に出せし泰忠正本の中より山規に関する分は、仮名文を訳して抄録す故に年代等を附せず、新録の本門寺条目等は委く下の如し。
○、十月十三日の御事は泰忠が跡を知行せんずる男子女子孫彦に至る迄忠を致し申すべきなり、此の御堂より外に仮初にも御堂を建て此の御堂を背き申すまじき印に、又内々は兄弟と云ひ又は伯叔父の中往兄弟の中にも恨むる事有りとも、十三日には相互に心を一つにして御仏大上人を泰忠が仰ぎ申す如くに、十五日迄皆々一所にて御勤も申し候べく候、又白拍子猿楽殿原をも分々に従つて懇に接待し申すべきなり、内々は如何なる遺恨有りと云ふとも、十月十三日は聊も本意無き事をば思い捨て祀り申すべきなり○。
僧達に孝分の内に参らせ候所をば高除にして候、何れの子供の譲りの内なりとも綺ひ申すべからず、我方の分の僧にて御座し候なんど申し候子供は同く不孝の者なり、此れも科前の如し。
○、此の状を背いて少しも違乱を致さんずる人の分をば上へ申して兄弟の中に半分を知行すべし、今半分をば御堂へ寄進申して訪らひ奉る聖霊の御為め泰忠が孝養に為べきなり○。
○、日高が子孫の中に大弐の御僧の外にも師を取り申し候人、若し候はゞ日高が跡に於き候ては一分知行するもの努々有るまじく候、若し候はゞ惣領光高計ひとして上へ申して御僧へ寄進申すべく候。
十三日の講又十五日の講の人々百姓も御命を背き候はゞ、皆々大謗法として領内の構ひ有るまじく候○。
本門寺条目、候滅百六十五年、正本法華寺に在り。
□(泰)□(忠)□(置)□(文)□(の)□(旨を)□(以て)御定の条目□(の)□(事)。
□□の間三時の勤行花香成(鳴)物等迄□(向)□(後)□(緩)怠有るべからざる事、若し掟に背き少しも無沙汰□(候)□(はゞ)□(出)□(仕を)□(留め)(止)大坊へ上げ申すべく候若し何角(か)と申し候はゞ前々の如く留め置かるべく□(候)□(隙)□(の)儀候はゞ御届け申すべき事。
□□□□仏供さん(散)米散銭とう(灯)明銭□(福)□(酒)□(銭)□(は)番□(衆)の物にて有るべく候、前々は御仏供は大坊へお(下)り□(申し)□(候)□(へ)□(ど)□(も)日門より番衆に御お(下)り候にて候、十月十二三日御仏□(供)□(大)□(坊に)下り候、殊に十二(二の字冗か)月十二日の夕の御仏供は堂免より参り候是又上人へ相定り参り候、中の坊より本堂御影堂へ十二合□廿四合つゝみ(包)物子細にて参り候、六合づゝ(宛)は餅にて候、是又大坊へお(下)り申し候、同く何方よりも参り候へかみ(紙)袋迄大□(坊)□(へ)お(下)り申し候、せん(銭)たう(塔)卅三文小師の物にて有るべく候、然れども三百卅□(銭)□(塔)□(は)大坊へ下り申し候、御仏供は毎月施主定は若し又指し合ひ御座□参候はゞ送り候て参られ候はゞ前の番の物にて有るべく候、願の御仏供代は小師次第にて候、若し是を背く者は各々同□(座)□(有る)□(間)□(敷く)□(候)。
一、寺物□(失)せ候はゞ当番わき(弁)だめ(済)申すべく候、談合候て茶場□(当)番役に候て、国役の時は各々同前に仕るべく候、御寺に付ての諸事は御ふれ(触)事役にて候、十月のぶ(舞)たい(台)さい(柴)灯七月□(施)□(餓)□(鬼)の事同両堂くわんし役堂免役にて候。
一、十月□(寺)家衆御寺惣普請同く大坊御普請に罷り出ずべく候、若し出仕無き者候はゞ出仕御押へ有るべく候、各々同座申すまじく候、上人として御さばき(裁断)けさ馬なりとも仕るべく候。
一、夏より茶番同く其の間大坊にて茶の勤め懈怠有るまじく候。
一、寺家衆、年行事、御仏供の次第泰忠より御定めにて候、大坊九月七日十月二日殊に二月七日日興上人御正(祥)月にて候、奥の坊取立の寺役にて候、然れば本田寺宝光坊、本蓮寺西山坊両人して御講仕つられ候向後迄け(懈)だい(怠)あるまじく候、正月七日大福坊寺役にて候、同く御講中の坊取立にて候茶場は定楽坊仕るべく候、中の坊は十月四日十二月七日、西坊は五月七日、宝善坊三月七日、充乗坊十一月七日供僧五人判形人数として七日構へ、同三月二日、日寿上人御正月向後迄御取立仕るべく候、若し乱入日そんに中絶仕る儀候とも其の御取立致すべく候、掟に背き違篇(変)の仁候はゞ子孫に於て後本尊罰三十番神大聖人の罰を蒙りむ(無)けん(間)に入るべく候。
檀那当の儀先年は大坊御檀那にて候、当代よりわけ(分)つけ(付)られ候、然る上は男女によらず子孫あい(相)たづね(尋)其の檀那にてあるべし、但家定無子(婿)にて跡次ぎ候はゞ何方のだん(檀)な(那)にて候とも其理にてあるべく候、又は一代二代までも其うけ(受)つけ(付)あるべく候、女檀那御経いたゞ(戴)くる事までも其の形儀にてあるべく候、余檀那にても其のかう(更)かい(改)有るまじく候。
偏者云く此間数行あるべし切去つて継げる間記する能はず。
一、ころも(衣)すみ(墨)にそめ(染)け(袈)さ(裟)かく(掛)る事百文の御札、同だん(檀)な(那)しやう(焼)かう(香)百文の御札大坊へ申すなり。一、だん(檀)な(那)日もん(文)じ(字)ゆる(許)す事百文の御札各より(寄)せん(銭)なり。
一、守り本尊はん(判)形すべからざる事、此旨をそむ(背)き候はゞ公方へ御申し候て御罪科に行はるべく候。
一、寺家だ(檀)な(那)かう(更)かい(改)候はゞ大坊御抱えあるべく候、是又各々申す事有るまじく候。
一、□□□にあいさし立て候はんずる人は□□□□□□□□□。
偏者云く此下何行かあるべけれども切去るらしく記する能はず。
あん(行)ぎや(脚)客僧なりとも其の坊号付け候人だん(檀)な(那)の儀は付くべく候。
寺領等の儀は地頭次第にてあるべく候、是又先年より相定まり候、此旨を背き何角(か)と違乱の人候はゞ公方へ御申し候て罪科に処すべく候。
院号阿闍梨号五十疋の御札物と相定め候、寺家への披露たるべく候、こと(殊)に坊々懈怠の時には大坊より御進退にて御し(仕)つけ(付)あるべく候。
他の家を次ぐ時は入寺銭百疋の御札物に御定め候。
さい(西)国卅三ヶ(箇)国の導師に上人より御定め下され候、たとへ(仮令)大坊出でさせられず候ともいん(音)しん(信)のため(為)に馬牛太刀かたな(刀)なりともいで(出)候はゞ上げ申すべし。
五人六人の判形人数何時も代僧に違乱なく行末に於て罷り出に御定にて候間違乱の儀申すまじく候此の旨背き候はゞ御公方へ申し御罪科に行はるべく候。
先年よりこん(今)坊主の儀身躰にて候間是又背く儀有るまじく候。
公方相晴れ泰忠より御定にて候間申す事有るまじく候。
惣寺家の儀において(於)てもし(若)らん(乱)ぎやう(行)の儀候はゞ公家へ御申し候てざい(罪)くわ(科)あるべく候、仍て状件の如し。
文安三年甲(丙)寅二月七日
上徳坊日浄在り判、 宝光坊日勝在り判、 中坊 日勝在り判。
西山坊日来在り判、 西坊 日行在り判、 上坊 日浄在り判。
□(大)□(坊え)□(参)。
本門寺法度、祖滅百九十年、正本法華寺に在り。
本門寺に於て御番の人数の事。
従□□。
一番 大坊、 二番 上得坊、 三番 中坊、 四番 西坊、 五番 奥坊、 六番 西山坊。
七番 宝善坊、 八番 定楽坊、 九番 宝光坊、 十番 充乗坊、 十一番 大福坊。
右秋山泰忠公の置文を以て御判形の御下知の旨御定め有るに任せて条目の事。
一、三時の勤行花香鳴物等懈怠有るべからざる事。
一、一巻経懈怠之れ有るべからざる事。
一、寺物等に於て失ふ者は当番之を弁ふべき事。
一、談合の事候ふ時は茶の湯当番有るべき事。
一、一山の会合に出でざる輩に於ては出仕を押ふべきの事。
一、坊号日文字の時の御札物は供僧は二百文自余は百文同く新発意も十疋の札物に相定め候、同時なりとも大坊の門の中に先に入り候はん新発は座上にて有るべく候。
一、毎月御仏供の施主定まり候はゞ送り候て参られ候とも前々の番衆にて有るべく候、然る上は散米散銭、灯明銭、福酒銭、紙袋等迄当番衆の物にて有るべく候、願の御仏供、銭塔の儀小師の法次第にて候、十月十二三日の能の時、続き火明の事、堂免役にて候、舞台組み候事も年行事役にて候、同十二三日仏供、紙袋、大坊へ下り申し候、殊に中の坊より廿四合の積物是も大坊へ下り申す、同く正月の黄□(飯)御頂き是も大坊へ下り申し候。
後日の為に両三人判形を致し進せ候、仍て件の如し。
文明三年十月一日 上徳坊日浄在り判、 中坊日玉在り判、 西坊日行在り判。
大坊え参る。
同上、祖滅三百三年、正本法華寺に在り。
本門寺御番の次第。
一番 大坊、 二番 中ノ坊 三番 西ノ坊、 四番 奥ノ坊、 五番 西山坊、 六番 宝善坊、 七番 宝光坊、 八番 充乗坊、 九番 大福坊。
一、三時の花香懈怠の者は卅三文過銭を出すべき事。
一、鳴者同前。
右件の如し。
天正十二甲申十一月七日 寺家中。
同上、祖滅三百三年、正本法華寺に在り。
                                      定、   本門寺
一、三時鳴り物の事、夕は一くらみ(昏)朝は東じらみ(暁)日中は午時違へず有るべきの事。
一、三時花香懈怠無く摘むべき事。
一、日中 初座両品寿量品首題十反。
     二座十如是寿量品題目同。
     時に鳴り物時を違へず。
一、初夜 一座十如是、寿量品、首題十反。
     二座十如是、寿量品、自我偈二巻題目十反。
一、後夜 初座十如是、寿量品、自我偈三巻題目向。
     二座、両品、寿量品、自我偈十巻題目向。
     此間に鳴り物東じらみ(暁)に候て大坊並に寺家一山出仕候て三座め(     目)より読むべき事。
     三座、十如是、寿量品、題目十反。
     四座、十如是、寿量品、自我偈十巻代々に一反宛なり首題同付たり命日     には別て寿量品一反有るべき事。
一、朔日七日十二日十三日十五日廿八日懈怠無く出仕すべき事。
一、其の外の条々先規の法度に任すべき事。
右差定は旧法有りと雖も此の時に当り余り懈怠の間、衆徒一味同心して先年の掟の旨に任せ重ねて定る上は永く此の易を守るべきなり、若し此の掟を破る者之れ有らば寺家一味同心して彼の者の会合を止め出仕を留むべき者なり、若し亦彼の破者に在家出家贔負の人は同罪たるべし、其の上会合出仕有り度くば百卅三文過銭を出し直すべし、仍て永代不易の法度件の如し。
時に天正十二年甲申十一月七日、大坊在り判、泉要坊在り判、宝善坊在り判、中坊在り判、上坊在り判、奥坊在り判、玉蔵坊在り判、慶陽坊在り判、小二位在り判、民部卿在り判。
要法寺新条目十五条、祖滅二百六十七年、尊師系京都上行院及び住本寺は天文法乱後日辰上人の主動に依り天文十七年に合すべくも無かりし両寺を遂に一統して要法寺と改称し綾小路堀川に本山格の伽藍が建設せられ従つて山規も振粛するに至つた、時の正本要法寺に在り、其中九条目の若し書は辰師の直筆と云ふ事である、但し此下に列記する此の十五箇条目及び七項は富谷日震師の写本に依る。
 定。
一、両寺一統の時は寺号を改替せらるべきの事。
一、開山の七箇条の事。
一、学文次第上人と成り奉るべし、但し無道心の仁体に至つては之を用ゆべからざる事、付り篤行有るの人に至つては以前に於いて衆檀を集め閲を取らるべきなり。
一、修理興隆の仁に於いては其儀を受くべし、若し非儀有る者に至つては衆中の為に之を改易せらるべき事。
一、老若の僧侶は清浄持戒たるべし、若し乱行不法の族に於いては衆檀の為に寺内を擯出すべきの事付り世出世の遺恨を以つて虚名を構ふる者は謀実を糺明すべきなり。
一、高祖聖人、日興、日目、日尊両寺代々此已後の御上人は、両寺の先上人を以つて系図を相続せらるべき事。
一、御仏は両寺の御仏を一処に安置有るべき事、但し御堂建立の時は新に之を造立し奉るべきなり。
一、御袈裟は前々の如く色袈裟たるべし、但し四十弐歳より之を用ひらるべき事。一、御堂御番の時檀方中に所用有りと雖も月行事まで案内有るべき事、若し違背に於いては卅日の間衆閑たる事。
一、口論に於いては左右の方より科銭廿文充之を出だざるべき事、但し一方に於いて堪忍せば之を出すべからず。
一、両寺の末寺より多少に依らず勧進等有るに於いては惣寺の公物たるべき事。
一、先づ上行寺の地を相移され勧進次第新地を求むべき事、付り違乱の仁有るに於いては真俗に依らず衆中を追ひ出すべきなり。
一、学文に於いては少役用捨有るべき事、但し其事に依るべし。
一、帰依坊に違背すべからざる事。
一、三日番の事、付り記録別昏の如きなり。
要法寺法度、祖滅二百九十一年、前項に示されたる如くにして二星霜を閲して伽藍が設立せられ再興の大業成り迫々細則も布かれた、本文は其である、学党式の如きは其前であらう。
 定、要法寺法度の事。
一、出家の行者に於いて聖僧の事、 一、殺害の事、 一、刄傷の事。
一、火着犯の事、 一、盗賊の事、 一、石禄の事、 一、悪口の事。
一、打擲の事、 一、寺家公事の事、 一、他宿の事、 一、女人の出入は黄昏に限る事。
右定むる所件の如し。
 元亀三壬申年九月日     日辰判、満山衆徒中各判。
 制禁、祖滅三百十五年、●師時代の制条今明細条目を見る事を得ず遺憾なり。飲んで啓す、制条。
一、夫れ釈門に入るは禁戒を以つて要路と為し精舎を建て律度を用ゆるを洪基とす、中ん就く女犯肉食を戒むるは三国の班制一天の厳禁なり、旃に依つて嚮に是れ既に仏祖の旧規に本づき堅く僧徒の新法を定め畢ぬ、条目載せて別簡に在り、○乃至云云。
 文禄第五暦正月晦日                      宝蔵院判。要法寺大衆、本広坊判、常楽院判、法蔵坊、仏乗院、円竜坊。
真乗坊、乗養坊、全蔵坊、世雄坊(性師) 真如坊、勧乗坊
全山坊、慶林坊、住本坊、玄養坊、大円坊、甲斐。
大仙坊(沁t) 大教坊、実相坊、妙行坊、三位、治部。
順正、侍従、春智、円信、右京、二位。
智船、広運、教範、中将、大進、二位。
 大弐、寿円、大納言、小大二、(各判あり、主伴四十一人なり)
 永代法式、祖滅三百四十一年、大綱の万代法則なり、此と別通にして大同のものあり、其異なる所を次下に掲ぐ。
日尊建立三十六箇寺の惣本寺洛陽要法寺並に門家諸末寺の永代法式。
一、蓮祖の弘法を日興に属するに二箇三通を以てす、是れ則ち本因下種の元由なり、茲に因つて代々知識相承断絶せず恰も●瓶の如し信ずべし尊むべし。
一、衆中に若し事縁有つて且らく他門に至り居住有り難きの義は衆義一同の赫免を蒙むるべし、還寺の時も亦案内を経べき者なり。
若し右の旨に背く輩に於いては三世の諸仏、祖師、開山、守護の善神の御罰を蒙り現当の両願を失ふべき者なり。
 元和八壬戌暦十二月七日 洛陽要法寺衆中。
                          日恩判  日陽判。
  住本院日賢判(以下之に同じ)本妙坊日啓、広乗坊日成、大蓮坊日穏。
本成坊日慶、慶円坊日任、妙行坊日治、大仙坊日泰。
実成坊日将、円成日伝、真如院日賀、梅仙日脱。
一陽坊日恕、信敬日●、法性坊日諠、玄誉日玄。
恵光坊日「、文琢、徳重坊日雄、玄光日光。
乗蓮坊日●、重玄日言、恵林坊日量、為仙日仙。
了因坊日盛、良円日勇、円教坊日清、円説。
円乗坊、雲閑、法雲坊日体、清円日範。
興円日満、了玄、学雄、寿朔日映。
円明日舜、三清日勢、蓮興寺自成院日意、正福寺成仙院日昌。
同上 別通、「日尊建立より」七行、「現当の大願を永く失ふ者なり」までは大同小異なり、以下全く前文と異なり。
兼ねては衆中欝憤を以つて彼の身の僧具並に資財雑具等を奪ひ取る、此の事既に数箇度に及ぶと雖も容恕すべからざる者なり、此の事曽て私の義ならざるなり。
元和八壬戌暦十一月七日、洛陽要法寺本末の大衆中之を励む。
日恩判、日陽判、円乗坊日饒判、一山衆徒連各判四十人。
入寺等条々、祖滅三百四十三年、諸の細則なり、成師代官の時に制定せり。
 入寺並に官途の条々、永代法式。
一、入寺の事、銀三匁或は米三斗之を出すべし。
同く祝儀、銀拾匁、但し一山の衆徒を請し祝儀を述ぶるは此の料出に及はず、客僧は之を除く。
座配年臘次第。
一、客分僧は縦ひ同年と雖も其の位階三座退がるべし、年老と雖も横座に著かず、器量の仁は衆評に任すべし。
一、三日番の事、先規の如く月十三正月、三十歳に至る極月まで之を勉むべきなり。
一、袈裟被の事、大法の如く十五歳より之を被るべし、此の料拾匁。
 同く祝儀、拾匁、勧杯の志は且らく十八歳に至り色袈裟、但一部習読の功之有るべし。
一、受戒の事、袈裟懸の日戒名を蒙むるべし、此の料三匁又米三斗、門中、証文此の日判形を加ふべきなり。
一、御堂番の事、十六才より諸堂の勤行一日相を勉むべき事。
一、出仕の事、十六才より先規の如く一夏中及び法事の時の闕如は子細に於いては、役者の案内を経べき者なり。
一、十八才より四十歳まで小行勉むべき事。
一、三十歳より坊号を呼ぶ此の料拾匁或は米一石。
一、帽子の事、近来年臘見合せ三十六七より四十一歳に至る。
一、五十歳坊号、料廿匁或は二石、但し其器量の仁は年限に依らざるなり。
右、定むる所堅く護るべき者なり。
寛永元甲子三月                   日成判。
諸末寺へ、  祖滅三百八十六年、京都●合本山の規約及び徳川幕府の命令を末寺に達したるもの、今妙興寺の分を引けども一般と同文なるべし、但し此分は外交に関する事なれども即山規に深き交渉を持つものにして富士の諸山と異色あるが故に且らく此の一通を掲示して他は省略す。
 諸末寺承知すべき条々。
一、一致勝劣睦の事。
右永禄年中の旧規に任せて京都の諸寺弥和睦せしめ畢ぬ、自今以後猥りに私曲の謗言を致すべからず、附り他宗に対し自讃毀他は公儀の御制禁なり。
両条とも慎んで相守るべき者なり。
日詮云く右の趣き違犯すべからざるなり、然りと雖も随力演説の弘経を励み広宣流布を祈るべし、且又当門下の諸生は興師相伝の種熟脱の法門を廃忘すべからざる事。
一、謗法の供養を受不受の事。
右慶長年中東照尊宮の御裁許の如く相守るべきなり。
附り、諸人の謗施の事、堅く停止せしむるの段先年京都通同より不易の法式なり、若し遠国辺境の諸末寺に於いては謗施をも受くべしと謂ふ人之有るに於いては京都の本寺々々に訴ふべし、各々の本山より急度下知を加ふべしと云々、是れ併ら去る三月十五日会本本能寺に於いて諸聖会合の砌り定むる所件の如し。
一、寛文五年、公儀より仰せ出さるゝ五箇条九箇条の法令の事、別紙に在り副へ遣はす。
右、二通合十四箇条の法式堅く之を相守る可し、若し違犯の輩に於いては近所末寺より早く本山に達すべし聊か忽緒せしむべからざる事。
 寛文七丁未年五月八日          本山要法寺第二十三世日詮判。
 雲州松江妙興寺。

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