富士宗学要集第八巻

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第三、漫荼羅脇書等

 ○教団の自他には拘はらず編者直拝の脇書を記載す脇書無きは聖筆たりと雖も之を加へず猿島の漫荼羅の如し、又近古の分を記せざるは採集不能と又繁を恐れてなり、○漫荼羅は多くは紙本なるを以て更に其由を理はらず彫刻に限り其質を記す、所掲の中にも猶僅少の疑点あるものあらん脱漏の分に却つて真正の分有るべし此全く巡拝の未完と眼識の不足とに依るも却つて他日の完璧を促がすの料となれば幸なり。
一、大石寺本末の分。
大聖人御筆漫荼羅の分。
建治元年太才己亥十一月日 総本山。
建治二年太才丙子八月十三日 同上。
弘安二年太才己卯八月十八日、沙門佑盛日合に之を授与す、 同上。
(楠板彫刻戒壇大御本尊)
右現当二世の為に造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白、考安二年十月十二日、 同上。
弘安二年太才己卯十一月日、俗日僧に之を授与す、(開山上人御加筆)本門寺重宝たるべきなり、 同上。
弘安三年太才庚辰二月日、(開山の加筆あり明ならず) 常陸永井藤蔵。
(柴宸殿御本尊と伝称す)弘安三年太才庚辰三月日 総本山。
弘安三年太才庚辰卯月日 下総富久成寺。
弘安三年太歳庚辰五月九日、此丘日禅に之を授与す、(日興上人御加筆右の下部に)少輔公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し、(又同御加筆御華押と蓮字と交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺に懸け奉り万年の重宝たるべきものなり。 東京 法道院。
弘安三年庚辰五月廿六日、沙門民部日向に之を授与す、 総本山。
弘安四年太才辛巳四月廿五日、(開山上人加筆)摂津公日仙は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し、 東京常泉寺。
弘安四年太才辛巳□□□□□、日教に授与する者なり、 加賀、妙喜寺。
開山日興上人御筆漫荼羅の分。
弘安十年十月十三日 陸前 上行寺。
(右下)正応三年十月十三日之を写す日興(十六枚の大幅)(左下)日目に之を授与す、 総本山御座替本尊。
正応四年十月十三日、平の秀安に之を授与す、 陸前 上行寺。
正応五年十月十三日 同上。
永仁四年卯月八日之を書写し僧日乗に之を授与す、大覚(学)了性房は卿公(目師)の弟子たりと雖も日興の弟子と成るに依て□(与ふる)所□□(件の如し)。 総本山。
正安二年十月一日 総本山蓮蔵坊。
正安二年十月八日 総本山。
正安三年十月十三日、奥州新田卿公弟子了性房日乗に之を授与す、 陸前、妙教寺。
正安三年十月十三日、新田三郎(五郎二郎、目師の兄貴)頼網日善に之を授与す、 同上。
乾元□(二)□□□□□、(授与書不明なり) 陸前、藤本勘兵衛。
乾基二年卯月八日、甲斐国秋山与一源言□(網)に□(之を)授与す、 京都住本寺。
乾元二年五月十三日、(右後人加筆)日有師云々、 磐城妙法寺。
乾元二年五月十三日、 奥州新田五郎家人小次郎□□□、 総本山。
嘉元二年十月十三日 同上。
嘉元三年五月四日、伴野出羽三郎、大野弥六は駿河の守謀叛の大将なり、但し無実と云々、朝敵と為る上は石川孫三郎源の義忠が手に懸け之を打ち取ると雖も後生に於いては成仏せしむる者なり、仍三十五日の為に書写件の如し。 東京、舟橋安太郎。
嘉元三年十月十三日 陸前、妙教寺。
嘉元四年三月一日 総本山。
嘉元四年三月日 下総、富久成寺。
(右)白蓮持仏堂□(安)□(置)なり、嘉元四年卯月八日、 (左)徳治二年□□、 下野、信行寺。
嘉元四年十月廿六日 総本山。
嘉元四年十二月十三日 (後人の加筆)富士大石寺門徒土州吉奈大乗坊持中将阿闍梨日位に之を授与す。 堺、本伝寺。
徳治二年正月十三日 磐城妙法寺。
徳治二年卯月八日、甲斐国下山平泉寺尼一円主の為、(後人の加筆)法円主、(後人加筆)延文二年十月十三日水口日信孫作五□(郎)に之を授与す、 総本山蓮蔵坊。
徳治三年十月九日 東京常泉寺。
徳治三年閏十□□□ 磐城妙法寺。
延慶二年三月十五日、奥州三迫住人平六国守は新田卿公の弟子分なり、(後筆)平六に之を給ふと雖も相伝すべき仁無き間河口孫三郎政行に之を授与す。 総本山。延慶二年三月十五日、奥州三迫加賀野彦三郎行重は新田卿公の弟子なり、 同上。延慶二年十月十三日 陸前 上行寺。
延慶二年十月十三日 尾張 興道寺。
延慶二年十一月三日 総本山。
延慶二年十一月三日 同 蓮蔵坊。
延慶三年庚戌二月二十五日、新田四郎信網後家尼は左衛門尉時光の姉なり、 駿河、本広寺。
延慶三年七月十三日、民部房(日盛)外祖父三十三年の為なり、 総本山。
延慶四年卯月八日 陸前、妙教寺。
正和元年一月十三日 総本山。
(左)正和二年卯月八日、常陸国行(なめ)形大□経二郎入道蓮性は伊豆国河野三郎□□□□悲母第三年之を書写す、(中)筑後国奴田宮内左衛門入道道意の女子藤原氏に之を授与す、建武二年三月廿二日沙弥蓮性在り判。(右)五月廿五日遠忌日なり。 大坂、蓮華寺。
正和三年十月十三日 東京、常泉寺。
正和三年十月十三日、甲斐国蓮花寺□(前)住僧寂日房弟子式部房父□□□、 東京、妙光寺。
正和四年二月廿五日、新田三郎□□□□、 陸前上行寺。
正和五年七月二日、駿河国富士上方□(庄)二日□(市)庭弥次郎、(有師加筆)日有の代に柳目弁公日能に之を授与す。 陸前妙教寺。
文保元年五月八日、之を授与す□□□□、 陸前上行寺。
文保元年十月十三日 同上。
文保元年十月十三日、□□□□□(南条大行)子息左衛門次郎所□□□□、 東京妙縁寺。
文保二年三月六日、駿河国加島の庄和泉□□□□□(又三郎等か)、 総本山。
文保二年六月十三日 下野信行寺。
文保二年九月廿六日 総本山蓮蔵坊。
元亨元年卯月八日 総本山。
元亨年十月十三日 大坂蓮華寺。
元亨二年十月十五日、奥州萩会曽□□□又次郎母御前、 総本山。
元亨三年十一月十日 磐城蓮浄寺。
元亨四年卯月廿日、大学民部阿日城(盛)に之を授与す。 総本山。
元亨四年十一月廿七日、柳目此丘尼妙性に之を与へ申す、 陸前妙教寺。
元亨四年十一月廿七日 同上。
元亨四年十二月五日、奥州御家人新田三郎五郎行道に之を授与す、 同上。
元亨四年十二月五日 陸前上行寺。
正中二年二月八日 陸前妙教寺。
正中二年卯月八日 総本山。
正中二年九月廿三日、(道師加筆)卿公日行は日道第一の弟子なり之を与へ申す。 下野浄円寺。
正中二年十二月三十日、南条□(平)五郎時□(網)に之を授く、 総本山。
嘉暦元年八月廿八日、下野国民部阿闍梨弟子乗忍房に之を授与す、 下野蓮行寺。嘉暦元年十二月六日 陸前妙教寺。
嘉暦二年正月卅日 摂津源立寺。
嘉暦三年二月五日時正第一、三迫十郎入道後家尼日恵、陸前妙教寺。
嘉暦四年三月十八日、島倉郷房日済祖父の為なり、 東京常在寺。
嘉暦四年五月十三日、(目師加筆)岩沢左衛門二郎貞行に日目之れを与へ申す、 陸前妙教寺。
嘉暦四年七月廿七日、小野寺虎王麿は卿公の弟子なり、 下野信行寺。
元徳元年十二月廿四日、宮野さ(左)ゑ(衛)もん(門)五郎行房□女、 総本山。
元徳二年五月一日、八十五、き(紀)しん(新)た(太)いふ(夫)の□□□五郎太夫□子にさづけ(授)たぶ(給)ほん(本)ぞん(尊)なり、(後人加筆)土州幡太吉奈法華堂侶□□□四事の功を以て授与□□、上野本応寺元徳二年十三日、加賀野宮内卿日□(行)に下し与ふ、(後人加筆)□□□日善に之れを授与す、(後人加筆)□□□日教に之を授与す。 総本山。
元徳二年(十一月五日、河東□□□□□(五郎左衛門か)、 同上。
元徳二年十一月五日、(二十六枚の大幅)、河東左衛門五郎□□□(行房か)、 陸前妙円寺。
元徳三年六月廿一日、武部阿闍梨□□□、 総本山。
元徳三年九月六日、平五郎入道母第三年、(他筆)日行房に之を授与す、 真光寺。
元徳三年十二月五日、奥州□五郎道意□□□、 陸前上行寺。
元徳四年正月十五日 下野蓮行寺。
元徳四年卯月一日、(後人加筆)桜町中納言末葉三□(郎か)衛門善常法名駿河公日法□□の為に日誓に之を授与す。 総本山。
正慶元年八月十二日 同上。
正慶元年十一月三日、(目師加筆)奥州一迫河東五郎左衛門妙順に之を与へ申す日目、 同上。
正慶元年十一月三日、最初上奏の仁、新田阿日目に之を授与す一が中の一弟子なり、(道師加筆)日道之を相伝す、 同上。
正慶二年正月廿七日、八十八、 同上。
三祖日目上人御筆漫荼羅
正慶二年正月十三日、奥州三迫上新田太夫四郎妻女に之を授与す、(後人の加筆)大石寺住侶四位阿闍梨日調に之を授与す、大石寺門徒円乗坊日宜成仏の為なり、 総本山。
正慶二年三月日、日目七十四、新田十郎重道女房の姉に之を書き与ふ、(後人の加筆)上新田より日盛御本尊影御登りの時奥州まで下向候時の志に依て園部少輔阿闍梨日経に之を授与す、 総本山。
元弘三年十月十三日、日目弟子大学民部阿闍梨日盛に之を授く、 陸前妙教寺。
四世日道上人御筆の分。
(左)□□□□(建武元年)一月廿一日(右)日目上人一百箇日□□□□、 総本山。
□□(延元か)二年丁丑二月十五日、日堅阿闍梨菩提の為め新田□□□□、(後人加筆)久成坊常住御本尊大納言阿日誉に之を授与す、 総本山。
暦応元年戊寅十月十三日、奥州一迫多々次郎為重に之を授与す、 東京常泉寺。
暦応元年太才戊寅十月十三日 陸前妙教寺。
暦応元年十月十三日、奥州一迫三浦河東左近将監□行に之を授与す、 陸前妙円寺。(左)暦応二年太才己卯六月十五日、(右)奥州加賀野卿阿闍梨日行に之を授与す、上奏代日行は日道の弟子一が中の一なり。 総本山。
五世日行上人御筆の分、
貞和二年十一月七日、武庫源□(内)四郎頼行に之を授与す、(後人の加筆)妙円比丘尼慈父悲母、子息犬楠なり。 京都住本寺。
文和二年三月十二日、奥州一迫柳目法花衆武庫掃部□□□、 陸前妙教寺。
延文四年三月八日、頼行女房に来れを授与す、 同上。
延文四年三月十日、武庫法師丸に之を授与す、 東京常泉寺。
(左)貞治四年二月十五日、(右)南条卿阿闍梨日時に之を授与す、 総本山。
貞治七年十五日、上野郷町屋権守に之を授与す、(後人の加筆)森大養坊衆安芸阿闍梨日伝に之を授与す。 総本山。
貞治四年二月廿六日、一迫下宮柳目助八郎正明、 陸前妙円寺。
応安元年八月時正、日慶、 岩代本法寺。
六世日時上人御筆の分。
至徳四年七月日、遠江阿闍梨弟子遠江公に之を与ふ、 陸前妙円寺。
桧彫刻大聖人(等身御陰裏書)敬白大施法、奥衆法華宗僧俗男女、野州法華宗等僧俗男女、武州法華宗等僧俗男女、駿州法華宗等。嘉慶二年太才戊辰十月十三日、願主卿阿闍梨日時在り判、仏師越前法橋快恵在り判。 総本山。
明徳三年卯月十三日、奥州一迫宮野住伊与公に之を授与す、 陸前妙円寺。
応永九年壬卯月十五日、(影師の加判あり)、 総本山。
応永九年壬午十月十一日、大石□□□□□□□日□に之を授与す、 同上。
応永九年壬午十月十三日、奥州迫柳目住下慈阿闍梨日達に之を授与す、 陸前妙教寺。
応永九年壬午十月十三日、(有師加筆か)奥州一迫柳目越前阿闍梨日栄に之を授与す、 同上。
応永九年壬午十月十三日、大石寺衆金井日栄に之を授与す、 下野蓮行寺。
応永九年壬午十月日 磐城蓮浄寺。
応永九年壬午十月日、(有師加筆)大石門徒金井大進阿闍梨日位、 磐城妙法寺。応永九年壬午十一月十三日、□□□□□日恵に之を授与す、 陸前妙円寺。
応永十年癸未卯月日、大石寺檀那小泉講御本尊、 総本山。
応永十年癸未卯月八日、大石寺僧侶日慶に之を授与す、 陸前妙教寺。
応永十年癸未卯月八日、富士大石寺僧侶豊後公に之を授与す、 下総真光寺。
応永十年癸未卯月八日、大石寺檀那宮野住備後守に之を授与す、 陸前妙教寺。
応永十年癸未卯月八日、(時師判無し影師加判、有師加筆か)大石寺門徒奥州柳目弁公日能に之を授与す、同上。
応永十年癸未卯月十五日、富士大石寺僧侶丹後公に之を授与す、 総本山。
応永十年癸未卯月十五日、野州金井住大石寺住僧加賀公日現に之を授与す、 東京妙縁寺。
応永十一年甲申卯月日、奥州三迫上新田□□□に之を授与す、 東京 常在寺。
応永十一年甲申卯月日、富士大石寺門徒柳目住日継に之を授与す、 摂津源立寺。
応永十一年甲申卯月日、(有師の加筆か)富士大石寺の檀那奥州沼倉の住人妙珍盲者に之を授与す、 陸前上行寺。
応永十一年甲申卯月日、(有師加筆か)富士大石寺沙門三河阿闍梨日耀に之を授与す、 総本山。
応永十一年甲申卯月十二日、奥州一迫宮野日栄に之を授与す、 陸前妙円寺。
応永十一年五月日、小野寺安房阿闍梨日実に之を授与す、 東京常泉寺。
応永十一年甲申五月一日、大石寺住侶民部阿闍梨日影に之を授与す、 陸前上行寺。
応永十一年甲申六月日、奥州柳目法華講衆達現当二世の為なり、 陸前妙教寺。
応永十一年甲申六月十二日、 下野信行寺。
応永十一年甲申六月五日 総本山。
応永十一年甲申七月十一日、富士大石寺僧侶奥州一迫宮野住三河公日見に之を授与す、 陸前妙円寺。
七世日影上人御筆の分、
応永十九年八月時正、大石寺遺弟日影六十一、本門寺大衆兵部阿闍梨日□、 陸前上行寺。
応永廿弐年十月十三日、富士大石寺檀那伊豆国三島住妙恵□、 総本山。
九世日有上人御筆の分。
(客殿安置柴宸殿彫刻檜板本尊に加筆)大檀那大伴氏浄蓮、時に応永廿七年太才庚子卯月十五日、 磐城妙法寺。
永享四年卯月十三日、富士大石寺長穏日章に之を授与す、 総本山。
永享七年五月十四日、大石寺住侶弁公日能に之を授与す、 東京妙光寺。
(弘安三年三月日柴宸殿の本尊を模刻し左の加筆を為す)文安二年乙丑十一月六日、九世日有在判、須津(すど)の庄鳥窪の住持日伝に之を授与す、 総本山。
編者曰く一時天王堂に安置せしが廃堂の後宝蔵に在り、御身替り本尊と称して奇怪の伝説あるは近古の訛伝か、鳥窪の旧地存すれども今址だに無し、或は本広寺の前身にあらざるなきか。
文安四年九月二日、富士大石寺門徒園部刑部阿闍梨日勢坊、 甲斐有明寺。
文安四年九月廿二日 東京妙光寺。
文安六年□□八月廿四日 総本山。
享徳四年閏四月廿六日、富士大石寺門徒□山峯太左衛門、 下野蓮行寺。
長禄四年七月十八日、奥州二迫住人加藤日源に之を授与す、 陸前妙教寺。
長禄四年八月廿五日、□□□□内方□□□、 京都住本寺。
寛正二年三月廿二日、下野国薗部日安に之を授与す、 磐城蓮浄寺。
寛正四年閏六月二日、富士大石寺門徒金井僧侶伊勢阿闍梨日量に之を授与す、 磐城妙法寺。
文明五年三月廿九日、大畠九郎兵衛に之を授与す、(他筆)大石寺衆大夫阿闍梨朝受坊日宗、 真光寺。
文明五年十二月十二日 東京妙縁寺。
文明五年十二月廿九日 東京常泉寺。
文明六年甲午正月五日、甲州下山大村六郎左衛門、 同上。
文明六年三月二日、川口将監□□者□□、 東京舟橋安太郎。
文明六年五月廿六日、河口十郎左衛門に之を授与す、(後筆)富士大石寺□□□阿闍梨□□に之を授与す、 東京常在寺。
文明六年閏五月廿六日、奥州一迫柳目三位阿闍梨日為母儀妙了日宗に之を授与す、 総本山。
文明六年甲午八月四日、大石寺門徒奥州柳目住侶上総公日宣に之を与ふ、 東京妙縁寺。
文明六年十一月廿九日、奥州岡名□□阿闍梨日意に之を授与す、 磐城蓮浄寺。
文明七年七月十六日、小野里八郎三郎に之を授与す、 下総富久成寺。
十二世日鎮上人御筆の分、
長享弐戊申年十二月七日、日鎮二十才、大石寺門弟士州吉奈大乗坊衆三位阿闍梨日芸に之を授与す、総本山。
長享三年己酉正月廿六日、大石寺門徒奥州住武蔵阿闍梨日正に之を授与す、 陸前妙円寺。
長享三年己酉六月十三日、大石寺門徒薗部檀那法仙に之を授与す、 下野信行寺。長享三年己酉十月廿一日、富士大石寺門徒奥州一迫住宮野衆岩見阿闍梨日門に之を授与す、 陸前妙円寺。
明応三年六月七日、大石寺門弟下野国薗部住僧丹波阿闍梨日典に之を授与す、 下野蓮行寺。
明応三年六丁巳八月時正中、富士大石寺檀那刀(寅か)犬女に之を授与す、 陸前妙教寺。
文亀三年八月十五日、富士大石寺の檀那奥衆佐沼大方(太郎か)息女に授与す、 同上。
永正十五年六月七日、富士大石寺門徒薗部信者小藤次郎に之を授与す、 下野信行寺。
大永五年六月十日、富士大石寺金井門徒菊田庄美濃阿闍梨日養に之を授与す、 東京妙縁寺。
十三世日院上人御筆の分。
天文十七年五月十五日、大石寺の衆徒越中阿闍梨日通に之を授与す、 総本山。
永禄十二年二月廿三日、大石寺の門徒下野国薗部蓮信坊日盛に之を授与す、 下野信行寺。
元亀三年二月吉日、大石寺□□□□、(他筆)相模阿闍梨日等、 駿河下之坊。
天正十一年癸未二月十五日、大石寺衆中納言阿闍梨日与御閼伽褒美の為に之を授与す、 摂津源立寺。
天正拾弐甲申二月十五日、富士大石寺門徒金井常住本尊大和阿闍梨日相に之を授与す、 下野蓮行寺。
十四世日主上人御筆の分。
元亀四年癸酉仲呂、富士大石寺門徒奥州柳目完蔵坊の常住御本尊、中将阿闍梨日伝に之を授与す、 陸前妙教寺。
天正六年六月吉日、富士大石寺の門徒金井蓮行坊末寺奥州東光坊日純に之を授与す、 総本山。
天正八年四月八日、富士大石寺門徒日尊末流幸島妙行坊想(惣)真俗現当二世所願成就常住本尊和泉阿闍梨日定に之を授与す。 下総富久成寺。
天正九年辛巳六月八日、富士大石寺の門徒園辺蓮信坊門流蓮成坊信者世屋言三郎に之を授与す、(猶左に文字あれども●滅して読めず) 東京常在寺。
天正九年辛巳六月八日、富士大石寺門徒金井蓮行阿門葉東光坊信者志伊那弥左衛門に之を授く、 東京常泉寺。
天正十一年癸未四月八日、富士大石寺門徒薗部蓮信坊流葉奥州菊田庄蓮成坊信者長郷十郎左衛門に之を授与す、 同上。
天正十一年癸未四月四日、富士大石寺門徒金井蓮行坊衆尾張阿闍梨日能に之を授与す、 下野蓮行寺。
天正十三年乙酉六月廿四日、大石寺信者中野対馬守吉定に天堂願主の褒美として之を授与す、 総本山。
(日目上人御筆漫荼羅の裏書) 今度世出申合に就て要法寺貫首日●の時に臨み大石寺重宝御凾の内日目上人御真筆御本尊一鋪広宣流布御祈祷の為め要法寺に授与せしむる者なり。
天正十五年丁亥五月八日 日主在り判、京都要法寺。
天正十六戊子六月廿日、大石寺門下野国金井蓮行坊末流奥州東光坊信者家田小一郎に之を授与す、東京妙光寺。
天正十八年癸寅六月十八日、大石寺門徒金井蓮行信者□□□□(他筆)青柳ませ、 陸前本源寺。
十五世日昌上人御筆の分。
慶長四年六月廿四日、富士大石寺信士済藤六郎左衛門政盛に之を授与す、 下総富久成寺。
慶長第五庚子暦正月良辰 富士大石寺常住、 総本山。
慶長第六辛丑三月良辰、富士大石寺の末流下野国金井蓮行寺末寺奥州岩城黒須野の僧二位公日新に之を授与す、 同上。
慶長第七壬寅暦四月廿五日、富士大石寺徒奥州柳目の信女妙祐に之を授与す、 陸前妙教寺。
慶長十七年三月廿日、富士山大石寺信者後藤仁右衛門に之を与ふ、 大坂蓮華寺。慶長十七年七月二日、富士大石寺門徒森上行寺の僧日清に之を授与す、 陸前上行寺。
慶長十八年六月十三日 東京妙縁寺。
慶長第二十乙卯暦三月八日、富士山大石寺門下総国幸島和田郷の内富久成寺常住本尊なり、下総富久成寺。
元和第四戊午暦六月六日、富士山大石寺信士三郎右衛門に之を授与す、 総本山。元和第四戊午十二月七日、富士山大石寺信者佐野三郎右衛門に之を与ふ、 東京妙縁寺。
元和第七辛酉六月十七日、富士大石寺門徒奥州岩城黒須禰妙法寺信者強口淡路に之を授与す、 東京常在寺。
十六世日就上人御筆の分。
元和八壬戌年六月十五日、東霍山本行寺(今日蓮宗身延山末福島県石城郡神谷村片寄に在り)末流泉光坊日泉に之を授与す、 雪山文庫。
(真光寺坂本尊日興上人御本尊彫刻)
乾元四年八月十三日、富士大石寺持仏堂安置の本尊なり。
同く裏書。
寄進し奉る板本尊一幅
願くは此功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と共に仏道を成ぜん
施主松園日俊(俊師) 彫刻の助手
寿円日仁(要山舒師) 了心院日安(三世)
会応日窓 学然日円
治雲日深 通宣日安
駿州富士大石寺末寺
下総国中田村本住山真光寺常住
維時寛文十二壬子年潤六月十三日
宣令日饒 唯然日治
長然日永(永師)
昌日現
教学日縁
永順日覚
玄素日荘
智応日応
琢応日雄
順碩日玄
随宣日要
願主の棟梁本行院日優(二世)
(総本山客殿の板本尊、日興上人御座替御本尊彫刻)
同く裏書。
当山重宝血脈手続の大漫荼羅にして御座替りと号す、今正に之を写し彫刻せしめて方丈に安置為し奉り鎮に三大秘法広宣の利益を祈る、希くは斯の修善に酬ひ当に今世に於て得現華報憑みあり、未来世に於て必ず三身を得べきこと疑ひ無からん。
時に宝永三丙戌の年六月十五日
施主 武州江戸 石田三郎右衛門
彫主 上野上条村 清三郎兵衛
願主 二十四代富士阿闍梨日永五十七歳敬白。
二、妙本寺久遠寺本末の分。
漫荼羅脇書採集に就いて猶自山末すら行届かず時代と在所と共に、状んや他山に於てをや、殊に京阪地方近距離の間に在る有数の寺院の巡排すら遂げられざりし事を深く憾みとす。
大聖人御筆漫荼羅の分。
愛染明王の画像、宗祖大聖人の卅三歳の正筆、不動明王と共に妙本寺に在り。
生身愛染明王拝見、正月一日日触の時。
(画像、騎馬輪宝三昧耶等を略す)ウム、シツ、チ、シヤク、ウム、ハム、コク。大日如来より日蓮に至る廿三代の嫡等相承。
建長六年六月廿五日 日蓮新仏に授く。
生身不動明王拝見、十五日より十七日に至る。(画像、雲、樹、人、鬼、三昧耶等を略す)ナ、マク、サ、マム、タ、ホ、タ、ナム、カム。
大日如来より日蓮に至廿三代の嫡々相承。
建長六年六月廿五日 日蓮新仏に授く。
(文永九年頃か)甲斐の国波木井の法寂房に之を授与す(興師の加筆ありと云ふ)。 小泉久遠寺。
山中に於て之を図す(万年救護と称す)、 保田妙本寺。
建治二年太酉丙子八月十三日(御判の右の内に)亀弥の護なり(鎮護形小本尊にして北山と同形なり)、 日向定善寺。
弘安二●太歳己卯二月日(ウツロ字の本尊と称す御名判だけ黒字にして他は皆籠字なり、日永日我の授与書あり、上の妙本寺の古文書の下に出す)、 小泉久遠寺。日興上人御筆漫荼羅の分。
正安三年十月日、僧日澄に之を授与す、 同上。
乾元二年八月廿八日、曽根小五郎の後家に之を授与す、 保田妙本寺。
嘉元三年七月十三日 保田妙本寺。
嘉元三年七月十三日 保田妙本寺。
嘉元三年八月十五日、甲斐の国青沼治郎房に之を授与す、甲斐の国□符寺治部日延、 小泉久遠寺。
嘉元三年十月十三日、駿河の国富士上方の庄□□□□□□□□□□、 同上。
延慶二年十月十三日、越後の国孫左衛門の妻に之を授与す、 保田妙本寺。
正和三年十月十三日 同上。
正和五年八月彼岸 同上。
元亨元年卯月二日 同上。
元亨二年九月十三日、妙厳比丘尼に之を授与す、 日向定善寺。
元亨二年十月六日、越後の国宰相阿闍梨日郷は日目の弟子なり、 保田妙本寺。
元亨四年十月六日 同上。
元亨四年十二月廿九日、最前上奏の仁卿阿闍梨日目、(道師加筆)日道之を相伝し日郷宰相阿に之を授与す、 同上。
日目上人御筆漫荼羅の分。
正中三年卯月日、宰相阿闍梨日郷に之を授与す守の為なり、 小泉久遠寺。
元徳三年十二月日、越後の国宰相阿日郷に之を授与す、日目が弟子なり、 保田妙本寺。
正慶元年正月二日 日向定善寺。
日郷上人御筆漫荼羅の分。
康永三年八月五日 保田妙本寺。
康永三年十二月十三日、日命に之を授与す、 同上。
康永四年正月日 小泉久遠寺。
康永四年六月十五日 保田妙本寺。
貞和二年正月廿三日 同上。
観応元年七月五日 同上。
□□□□十二月廿七日、石見房に之を授与す、 同上。
文明十四年壬寅二月三日、実蔵房日舜菩提に本承房に之を与へ申す、日興上人遺弟七十日安、 小泉久遠寺。
三、要法寺本末の分。
大聖人御筆漫荼羅の分
文永五年十月十三日、(弘安式にして日興上人の筆に大聖人が華押を為されたるもの、曾つて寛永十三年染師町に仏眼寺が在りし時近火に罹り此本尊自ら飛び去りて類焼を免れたるを以て「飛び漫荼羅」と称し伊達家の貴重する所と云云)、 仙台仏眼寺。
文永九年太歳壬申正月元旦、問答第一、行戒智徳筆跡符法の沙門日興に之を授与す、(称徳符法の本尊と称す) 京都要法寺。
弘安三年六月日 仙台仏眼寺。
日興上人御筆御本尊の分。
乾元二年二月十三日、土与末麻呂は卿公の弟子なり、 同上。
乾元三年三月十三日、奥州三の迫、上新田越前房に之を授与す、 松江妙興寺。
嘉元三年乙巳八月彼岸、奥州新田孫三郎国道に之を授与す、 京都要法寺。
正和三年十月十三日 松江妙興寺。
元応元年己未六月廿三日、甲斐の国西郡蓮華寺前住侶寂日阿闍梨の父入道□□、 京都要法寺。
元亨元年八月十五日、駿河の国嘉島の庄、和泉又三郎(左端に長句の加筆あり不明)、 京都要法寺。
元亨元年九月廿八日、奥州新田卿公の弟子大夫公日尊へ授与す、 石見法蔵寺。
元亨三年八月十五日、寂日阿闍梨父入道□□、 京都要法寺。
元亨四年正月八日、奥州新田蓮蔵阿闍梨の弟子日尊□□、 同上。
元亨四年甲子十二月五日、奥州御家人新田孫五郎通章に之を授与す、 同上。
正中二年九月廿三日、奥州新田信乃房に之を与へ申す、 仙台仏眼寺。
正中二年十月十三日、正忌日十一月十一日、甲斐の国下山兵庫五郎卅三年、子息又四郎義宗に之を授与す、 出雲妙伝寺。
嘉暦元年丙寅十二月十三日、太夫阿闍梨日尊に之を授与す、 京都要法寺。
元徳四年正月廿九日、(他筆か)む(武)さし(蔵)の国めう(妙)けん(顕)じ(寺)□□□□□、 松江菩提寺。
日目上人御筆漫荼羅の分。
正慶二年二月彼岸、奥州一の迫河田美濃房え之を授与す、 松江妙興寺。
正慶二年三月日、奥州新田太夫四郎母義(儀)に之を与ふ、 京都要法寺。
(日尊上人模刻して其脇書に)
暦応三年壬辰八月日、上行日尊之を刻彫す、 同上。
日大上人御筆漫荼羅の分。
貞治三年甲辰九月十二日、長安城木辻の法華堂、上行院と号するの本尊なり、 同上。
(日●上人の目師御絵像の賛)。
元弘三年癸酉の年十一月十五日御遷化。
閻浮提の内半ば知識す、富士の山林是れ祖風なり、智目既に開けて行足達し、法華真実天中に奏す。
興門の正嫡日目上人の尊像、日●拝賛。
四、実成寺の分。
日興上人御筆の漫荼羅の分。
正安三年卯月八日、駿河の国由比大五郎入道二男□□□□、 伊豆実成寺。
嘉元三年卯月八日、白蓮が弟子箱根の帥房の母に之を授与す、 同上。
(日精上人寄進状に云く)。
此の本尊は吉田光栄寺開山大進阿闍梨日助の母儀に給ふ所の大漫荼羅なり、則興師の姪女日代の妹なり、然るに実成寺は前々より豆州の惣録たるの間国中の霊宝を聚め置く所なり、万治三年辛丑の年不思議の緑を以て之を感得する間、唯今玉容日●に附して本山に帰し奉りて実成寺の重宝と為すなり、仍て手次の証文とも相渡す所なり、永代の重宝たる者なり、仍て染筆件の如し。
寛文第六丙午暦九月八日 前住大石寺日精在り判。
五、妙蓮寺の分。
日興上人御筆漫荼羅の分。
永仁二年二月十五日、富士の下方厚原□□郎の妹伊豆左藤太の□□に之を授与す、 富士妙蓮寺。
乾元二年八月十三日、甲斐の国秋山与一源の信網に之を授与す、 同上。
嘉元二年卯月廿三日、奥州新田太郎入道の息、孫太郎重行へ之を授与す、 同上。徳治三年十月八日 同上。
延慶三年六月十三日、甲斐の国寂日房の弟子式部公□□、 同上。
正和三年七月一日 同上。
正和三年八月廿日、国三村入道日運に之を授与す、(後筆)大石寺衆遠江阿闍梨日性に之を授与す、 同上。
正和四年七月十五日、甲斐の国鰍沢蓮華寺前住寂日房弟子式部公□□、 同上。
元応三年二月廿八日、大輔阿闍梨日善へ之を授与す、 同上。
元徳三年六月廿六日、源氏女千寿□□、 同上。
元徳三年八月十五日、秋山孫次郎子息聖丸に之を授与す、 同上。
六、法華寺の本末の分。
大聖人御筆漫荼羅の分。
弘安四年太歳辛巳三月日、俗日大に之を授与す、(興師加筆)富士顕妙新五郎に之を与へ申す、本門寺に懸け末代の重宝たるべきなり。 讃岐 法華寺。
興師御筆漫荼羅の分。
正応答三年十月八日、僧日仙に之を授与す、日仙に百貫房とは聖人の賜はる異名なり、日興上奏の代なり、 同 宝光坊。
嘉元三年六月廿一日、大妙比丘尼に之を授与す、十三年□□に相当り仍て供養を遂げ畢ぬ、□□□□曽根介入道の孫□□□□。 同 法華寺。
応長元八年 月八日 同 中之坊。
元応二年正月十八日 同 泉要坊。
元応二年十五日 同 西之坊。
元応二年九月八日 同 法華寺。
元亨元年十月十三日、甲斐の国秋山孫次郎□(奏)□(忠)□□、 同上。
元亨二年十二月十八日、源氏□□、 同 法善坊。
元亨四年四月十三日、讃岐の国三の郡高瀬□□□、 同 上之坊。
嘉暦三年十月十三日、讃岐の国□□□□し上蓮阿闍梨の弟子なり、 同 西山坊。元徳四年潤六月朔日、曽根大弐房、 同 法華寺。
元弘二年五月日 同上。
日仙上人御筆大漫荼羅の分。
元徳四年二月彼岸、□□成に之を授与す、 同 中之坊。
建武四年五月日、僧日像に伝へ、七十六、 同 法華寺。
建武四年□月日、御房丸に之を授与す、 同上。
建武五年二月日、七十七、□□房第三年の仏、 同 中之坊。
七、北山本門寺本末の分。
大聖人御筆漫荼羅の分。
建治二年太歳丙子二月日、(鉄砲漫荼羅と称す) 北山本門寺。
建治二年太歳丙子卯月日 同上。
建治二年太歳丙子八月十三日、(他筆)亀弥護りなり、 同上。
弘安三年太歳庚辰三月日、(他筆)石川新兵衛入道道念は日興が弟子なり仍て与へ申す所件の如し、 同上。
弘安三年太歳庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与す、(御判の内に他筆にて)本門寺に懸け万年の重宝たるべし、(伯●漫荼羅と称す)、 同上。
弘安三年太歳庚辰十一月日、僧日崇に之を授与す(子安漫荼羅と称す)、 同上。
弘安三年十一月日、比丘日法に之を授与す、(興師加筆)紀伊の国切目刑部左衛門入道之を相伝し息沙弥日然に之を譲り与ふ、 佐渡世尊寺。
弘安四年太歳辛巳十月日、俗平太郎(判読)□□□、(他筆)紀伊の国切目刑部左衛門入道の息少輔房日然之を伝ふ、(別筆)稲守六郎に之を授与す、 北山本門寺。
日興上人御筆漫荼羅の分。
正応二年十月十三日、周防房に之を授与す、 同上。
正安三年十月十日、寂仙房□□、 同上。
正安三年十月日 佐渡世尊寺。
乾元二年五月八日 同上。
嘉元三年卯月八日、甲斐の国の住人盲者明石房に之を授与す、 北山本門寺。
嘉元三年五月四日、伴野出羽三郎、大野弥六は駿河の守、謀叛の大将なり、但し無実と云々、朝敵と為る上は石川孫三郎源の義忠が手に懸け打ち取ると雖も、後生に於いては成仏せしむる者なり、仍三十五日の為に書写件の如し、 同上。
嘉元四年卯月廿三日、富城寂仙房日澄に之を授与す、 同上。
徳治二年卯月八日、甲斐の国市川宮堅(内か)入道息女の兵庫五郎家尼に之を授与す、 同上。
徳治三年卯月八日、駿河の国富士の下方熱原の住人神四郎、法華衆と号し平の左衛門の為に頸を切らるゝ三人の内なり、左衛門入道法華衆の頸を切るの後、十四年を経て謀叛を謀り誅せられ畢ぬ、其子孫跡形無く滅亡し畢ぬ。 同上。
徳治三年十月十三日、□□□□二郎和□□□□□、佐渡世尊寺。
延慶二年六月廿九日、駿河の国岩本実相寺の前住円乗房六月廿九日遠忌日なり、 北山本門寺。
延慶三年六月十三日、佐渡の国の住侶大和房に之を与へ申す(判読)寂日房の弟子なり、 佐渡本光寺。
正和元年五月四日、五月十九日は甲斐の国市河三郎兵衛□□三弥房が父□□□、 北山本門寺。
正和元年九月日、(略本尊にして大なり戊判無し大檀那石川義忠に授与と云々) 同上。
正和元年十月十三日 同上。
正和元年十月十三日 同上。
正和元年十月十五日、佐渡の国の住平十郎安重一周忌菩提の為に舎兄大和房に之を与ふ(判読) 佐渡本光寺。
正和二年七月十三日 佐渡世尊寺。
正和二年十一月五日、下山のたい(太)ふ(夫)房□□のあま(尼)□□、 北山本門寺。
正和三年二月十三日、盲者亀石房□□、 佐渡世尊寺。
正和三年七月八日、甲斐の国柏尾寺の前住僧甲斐公蓮長□□、 北山本門寺。
正和三年十月十三日、甲斐の国蓮寺前住僧寂日房弟子式部房父□□□□、 同上。正和四年十月十三日、石河孫三郎能忠の女□妙円□□、 同上。
文保元年卯月八日 同上。
文保三年卯月十三日、甲斐の国寂日房の弟子讃岐公慈父十三年、(他筆)日興上人門跡日済阿闍梨同法たるに依て日源に之を授与す、 同上。
元応元年七月一日、佐渡の国三郎□□子息□□□□、 佐渡世尊寺。
元応二年十五日 富士渡井広秋。
元亨二年六月十五日 佐渡世尊寺。
元亨二年九月十二日、余三太郎、(他筆)妙順尼公に之を授与す、 同上。
元亨三年六月十三日、聖人御弟子蓮持尼七年(他筆)日行房之を授与す、 同上。嘉暦元年八月廿五日 富士藤巻信太郎。
嘉暦二年五月十三日、甲斐の国蓮華寺式部房の父源交十三年、 北山本門寺。
嘉暦三年六月廿一日、佐渡の国日行房、(他筆)日光之を相伝す、 佐渡世尊寺。嘉暦三年十月十五日 北山本門寺。
嘉暦四年二月廿日時正、日澄に之を授与す、 同上。
元徳二年八月十七日、右馬入道悲母一周忌の為なり、 佐渡世尊寺。
正慶元年六月廿六日、半次郎国長、 同上。
八、西山本門寺の分。
大聖人御筆漫荼羅の分。
建治二年二月五日、(興師加筆)日興が祖父河合入道に之を与へ申す、(今切去りて無し)、(首題の下に)本門寺に懸け万年の重宝たるなり、(代師か加筆)入道の孫由井五郎入道譲り得る所なり大宅氏女の嫡子犬法師に之を譲り与ふ、 西山本門寺。
日興上人御筆漫荼羅の分。
嘉元四年卯月廿三日 同上。
正和三年十月十三日、三十三年の奉為に、(大聖人のなり)、 同上。
正和五年六月十五日 同上。
元亨四年八月廿九日、大石寺持仏堂の本尊、日代阿闍梨に之を補任す、 同上。
日代上人御筆漫荼羅の分。
康応三年六月七日、(九十四歳にして四祖日忍に補任の本尊と)、 同上。
九、他教団に散在の分。
                                     大聖人御筆漫荼羅の分。
(文永九年頃か)(興師加筆)佐渡の国法花の東(棟)梁阿仏房の彦、如寂房日満に之を相伝す、 阿仏妙宣寺。
建治元年太歳乙亥十月日、(別紙)平の時光に之を授与す、(別紙に興師)南条兵衛七郎子息七郎次郎平の時光は日興第一の弟子たるに依て与へ申す所件の如し、 新曽妙顕寺。
建治二年太歳丙子二月日、釈日与に之を授与す、(興師加筆)富士西山河合入道の女子高橋六郎兵衛入道後家持妙尼に日興之を与へ申す、 尼ヶ崎本興寺。
弘安元年太歳戊寅八月日、日頂上人に之を授与す(興師加筆)因幡国富城五郎入道の息伊予房日頂の舎弟寂仙房に之を付属す、 村松海長寺。
弘安二年太歳己卯二月日、釈子日目に之を授与す、(天王の点の中に日興の二字存在す余の御加筆の文字は後人抹却したるなり) 桑名寿量寺。
(弘安二年か)(興師加筆)因幡の国富城寂仙房日澄の母尼に弘安二年九月之を与へ申す、(同上)本門寺の重宝たるべきなり、 京都妙覚寺。
弘安三年太歳庚辰二月日、優婆塞日安、(興師加筆)富士の下方、熱原六郎吉守は日興が弟子たるに依つて与へ申す所件の如し。 同上。
弘安三年太歳庚辰九月三日、俗日目に之を授与す、(興師加筆)富士の上方上野弥三郎重国に之を与ふ、日興(同上)正和元年出□三郎左□に之を与ふるなり、 京都妙蓮寺。
弘安三年太歳庚辰五月八日、沙門日華に之を授与す(興師加筆)甲斐の国蓮華寺住僧寂日房は日興第一の弟子たるに依つて之を与へ申す所件の如し、(同上)大本門寺の重宝なり、 京都本能寺。
弘安四年太歳辛巳四月廿五日、比丘持円に之を授与す、(興師加筆)甲斐の国大井の庄の庄司入道の女子、同国曽根小五郎後家尼は日興が弟子なり仍て之を与へ申す、(同上)之を相伝す孫大弐公日正(同上)本門寺重宝たるべきなり、 京都本満寺。日興上人御筆漫荼羅の分。
正安二年九月日沙弥日行□□□、 阿仏妙宣寺。
正安三年十月日 一谷妙照寺。
嘉元二年九月八日 高知要法寺。
嘉元三年七月十二日、佐渡の国の住人源太入道□□□、 阿仏妙宣寺。
嘉元三年九月一日、□□□九□□□、 同上。
嘉元三年九月一日、(阿仏より明治十一年に奉納と云々)、 身延山。
延慶三年十月十三日、佐渡の国住人和泉五郎□□□、 阿仏妙宣寺。
正和二年七月十三日、□□□□九郎太郎□□□□(満師の父九郎太郎盛正か)、 同上。
正和三年七月十五日、佐土の国一の谷入道が孫心□寺仏なり、 同上。
元亨元年六月廿四日、日行房。 同上。
元亨二年九月十二日 同上。
元亨三年三月十三日 京都日体寺。
嘉暦三年六月廿一日 阿仏妙宣寺。
元徳二年二月十三日、さ(佐)ど(渡)の国とう(藤)太夫のさい(妻)女のはゝ(母)の一すい(周)き(忌)のため、 同上。
元徳三年六月廿七日、遠藤右馬太郎藤原の守安、(満師の兄) 同上。
正慶元年六月廿六日、渡辺遠藤右馬太郎守安の子息鬼一丸卅五日の為なり、 塚原根本寺。
日目上人御筆曼荼羅の分。
□□□□□月八日、開基東国仏□□□頭領日目□□□、富士郡大法山東漸寺二世禅門別当石川式部入道勝重日理□□、(破損甚し、他山に在りて東漸寺を称する物よりは稍真に近し) 安居山東漸寺。
編者曰く大宮町安居山東漸寺に大永四年春、住持本隆院日浄等が身延の末寺と成りたる時の日伝の本尊及び書状あり、
日満上人御筆漫荼羅の分。
観応三●卯月十一日、右志は為矩女法名日仏の三十五日なり、 阿仏妙宣寺。
延文二●太歳丁酉十二月九日、右志は慈父妙覚(九郎太郎盛正)聖□(霊)遠忌を迎えんが為なり、成仏□□(疑無し)乃至法界平等□□(利益)。
(編者曰く日満の本尊書写の様式は開山上人に準ぜりと云へども中に南無本門大大師と記入したるもあり)。
日満作の大聖人御影、丈一尺四寸余、折伏形、僧網襟、素絹五条の素彫なり、台座裏に云く。
造立し奉る施主啓白、真浄坊日満在り判、時に延文二年太酉丁歳卯月十三日之を成就し畢ぬ、 佐渡妙満寺。

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