富士宗学要集第七巻

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富士と汁門との問答記

日蓮宗富士派対顕本法華宗法論顛末並に評論
緒論
 仰も宗教家が自他教法教理の是非邪正を糺明討窮する為め、天下公衆聴聞の壇上に於て問答討論を行ふや、必ず秩序を整へ責任を重んじ整々の陣・堂々の論を以てせざる可からず、蓋し問答対論の結果数多人心の信仰向背に影響する頗る重・且つ大なるを以てなり、故に唯た自讃毀他の偏倚心のみに駈られ正法討訊の誠意なく虚勢を張り卑劣手段を設け対手を殪さんとする如き事あらば、徒らに人心の惑乱を致し衆口の喧々を醸すに止まらんのみ、況んや一宗を代表し対論するをや、最も慎重の態度と綿密の方法とを以てし、殊に責任を重んじ挙宗協同し至心護法の念を以て事に当るべし、然らずんば弊害尋で生じ紛擾立ち所に到るや必せり、故に問答対論を為す者皆深く●に鑑みる所あつて用意周到なるを要す。
且つ夫れ問答対論を行ふ所以の者は双互の主義とする所・即ち宗旨の邪正を討窮し専ら正法を顕彰し蒙を啓き迷を転ぜしむるに在るを以て・所謂君子的争ひならざる可からず、故に区々たる感情の軋轢又は信徒寺院の争奪を主要として行ふ問答対論の如きは断じて排斥すべきなり。
蓋し対論の結果其邪なる宗徒は潔よく其正なる宗に屈伏帰入するは固より・宗教家たる者の胸宇一点の私心なく・皓々然として唯た正法護持の赤誠のみあるを表白するものなれば之れ寔に好しとす、寧ろ捨邪帰正は之れ仏祖の本懐、求仏道の本旨たればなり、然るを正法討訊の誠意なく徒らに弁論の上に勝敗を争ひ其の勝敗に一宗を賭するが如きの対論は苟も宗教家たる者の行動として目する能はざるなり、対論の勝敗に一宗を賭すると云ふと、捨邪帰正すと云ふと、其の差天淵月鼈も啻ならじ、賭宗的心念を以てせる者は・終に蠻行紛擾を醸し、捨邪帰正的誠意を懐ける者は其の終了秩序整然責任を重ずる事は予め知るを得べし 既に賭宗なる詞名の妥当を欠けるは勿論、賭宗たる心念を懐いて以て対論を為す者の胸宇求仏道なる誠意は脱却して唯た争攫掠奪の非望漫々たるは勢ひの正に然るべきなり。
曩きに日蓮宗富士派と顕本法華宗と共に一宗代表の委員を派出し、対論規約を締結せられたるも、顕本委員に於て手続上に欠くる所ありしを以て、富士派委員は規約全部取消状を発し、終に此の対論は不成立に終り、尋いで阿部慈照師と本多日生師との法論を伊勢平楼に行はれたり、予輩編者は親しく伊勢平楼に於ける法論を実見聴聞し、且つ双方論師の弁論を速記したるを以て予輩は弘教経て公平なる評論を為し、併て従来両宗委員間に往復せられたる手続上も、亦た該法論の関係由来する所を知るに最も必要なるを認めたるを以て其の双方往復の書類等を其の当事者に請ふて閲覧し順を逐ふて評論を加へ、而して世の有識具眼の士の評量に供せんとす。
然るに予輩編者曩きの一宗代表対論に就て両宗諸師の意志の在る所を、双方往復の書類及諸師の云為に徴するに一宗を賭して法の邪正を決すべしとは始めより顕本方の主張要求する所、富士派方に於ては法義上・一宗代表の対論を行ひ邪正決定の上捨邪帰正すべしと云ふに在り、故に対論規約締結せらるるの前に於て既に富士派委員は捨邪帰正なる徳義上責任を重んぜらるる精神なるが故に対論賛成者の調印を徴し以て一宗協同の実を示さる、之れに反して顕本委員は賭宗的心念なるを以て飽くまで理窟の一端を執つて法論決定後の去就を徴証するの手運びを為さず、爰を以て同一規約の下に於て双方委員の意志は全く相反せるなり。
故に富士派委員は一宗代表なる重大の責任を負って顕本と対論するの不得策のみならず、其の結果紛擾に終るべきを予知看破せられたるを以て終に委員たるの責任を重んじ該討論規約全部を取消し、尋で更に個人的法論を挙行せられたるなり依て予輩編者は富士派委員の識見の高き且つ事の本末・物の始終を正ふし整然秩序あるの行動たるに敬服せずんばあらず、故に本書を読むの人・此れ等の点に注意せば自ら対論件・手続上に於ける両宗間の是非及び法論上の邪正は明瞭なるべきなり。

 ○法論に関する双方書類並に評論等。
拝啓、伝承するに貴君は目下貴宗総本山へ御登山の由、而して本山にては宗祖の御涅槃会及び独立祝賀式御挙行して、門葉一統も御登山なされ候趣き、されば是れを好機としてかねて交渉中の件、此の際一宗の公儀に附し初志通り一宗を賭して法の邪正を決すべき様・御取計被下度冀望仕り候、思ふに日蓮上人は広宣流布の布教法として公場の問答を望ませ給ひし事は・皆人の知る処に御座候、其の流を汲むの徒にして祖師の遺志を継紹せりと称する巳上は・法の邪正を決せんとするに当り・公論の方法を作用せずして一個の私論に出でんとするが如きは、宗祖に対するも法に対するも忠実のものとは到底申がたかるべしと存し候、本宗より貴宗を観来らば・貴宗は迷へるもの・貴宗より本宗を眺むれば・本宗は惑へるもの・然らば這回の如き問題が生起して法論を為すは相互友可憐の迷者を救護するの一大美事と存ず可き筈に御座候、徒らに疑懼逡巡いたしなば空前の好機を逸すべく存じ候間・何卒百方御尽力ありて法論の成立致すべき様願ひ上げ候、もしも一種の姑息論者ありて貴君等の素志を抑制するが如き事情もあらば御一報下さるべく候、此の際前約に基き自分等御本山まで罷て出で貴宗管長閣下及び門葉一統へ御すすめ申すも苦しからず候、此の段添えて申し上げ候敬具。
明治三十三年十月廿五日田辺善知
土屋日含殿外諸師御中

拝啓、陳ば廿五日附の御書状今日落掌披見仕り候処御厚志の段謝し上げ候、しかし御申し越までも御座無く拙も心急ぎ居り候得共何分涅槃会及び祝賀会等の準備にて捗取兼ね居り候へば、涅槃今後にはどの道様子申し上ぐ可く候間・作用御承知下されたく先は取敢へず返信まで不宣。
十月廿七日土屋慈観
田辺善知殿

○編者云く、此の往復書面の以前に於て尚双方往復の書面あるも弥よ問答規約締結せられんとする萌芽は此の往復書面によりて稍や成れるを知るに足るを以て、其の以前に於ける双方の書面は略する事とせり、而して富士派宗務院に於ては嘗て土屋師等の申請を評議員会に附し其の決議に依り左の指令を発せられたり。

○指第四号申請者総代土屋慈観
去る九月廿五日付を以て再申請の件本宗々制寺法・第五章第七十六条第十項の規定に依り評議員会に諮詢し・願の如く本宗と顕本法華宗との法義討究に関する全権委員を派出せしむ。
明治三十三年十一月十五日日蓮宗富士派管長大教正
大石日応印

○拝啓本宗管長より指令之有候間・先は取り敢ず御念迄申し上げ置き候不宣。
十一月八日土屋慈観
田辺善知殿

○拝啓法論の件・管長の指令之有候由・為法賀し奉り候就ては貴宗代表の委員は是れ迄の諸君なりや将又別に御任命相成候にや承り度く候。
貴宗交渉委員確定致し候はば本契約更換仕り度此の段御照会申し上げ候。敬具。明治三十三年十一月八日田辺善知
土屋慈観殿

○拝啓御尋に預り候代表委員は阿部慈照一名に御座候、猶貴方の御都合のよろしき場所及日取にてよろしく候得ば御面会致度申し居られ候間、御相談の上御返事願ひ度く候、頓首。
十一月九日土屋慈観
田辺善知殿

拝啓貴宗代表委員は阿部慈照君御一名の由承知仕り候、しかれども先般更換せし仮契約には双互友三名づつと有り之れ候が此の辺は如何なるものにや一寸申し上げ候、尤も貴宗に御差支なしとせば本宗別に彼れ此れ申す次第に之無く候、委員の会見は明後十一日午後一時より浅草田甫慶印寺に於て致度候此の旨阿部君へ御伝下され度候、猶承置度は阿部君の宿所に御座候。敬具。
明治三十三年十一月九日田辺善知
土屋慈観殿

○拝啓御書面只今着拝見致候処・会合云云は承知致候、又阿部師の宿所は当常泉寺内に候へば右御承知下され度候、不宣。
十一月九日土屋慈観
田辺善知殿

編者云く以上数通の書面に依り管長の指令及び委員の通知・並に会見の時日場所等交渉せらせ、弥よ両宗委員は予定の所に会合し・対論規約締結の前に当つて、富士派の委員阿部師は顕本の委員に対して曰く、凡そ対論なるものは其の実行せられ得べき方法を取り且つ終局を明晰ならしむるを要す、若し然らずんば徒らに喧々擾々を醸すに至らん、故に予は委員たるの責任を重んじ此の対論実行に付ては、幸ひ曩に本宗独立祝賀式を吾か総本山に執行あるに際し、全国より多数重立ちたる僧侶登山せしを以て、此れ等に対論賛成の調印を徴したるに殆んど宗内三分二以上に達せり、斯の如にして対論の実行をも為すべく、亦対論後の去就をも決するを得べし、然るを若し夫れ一宗の教権は管長が掌握するものなれば管長の命令を以て一宗緇素の信仰心迄をも圧仰支配し、若し随わざれば消極的の処分を為さんと云ふが如きは、到底言うに易く行うに難き所謂放言壮語たるに過ぎざるべし、氏等之を了諒せられなば対論規約締結に取掛るべしと演べられしかば、顕本の委員に於てもコハ尤もの事なり、予等も亦其の手続きを履行すべしとのことなりければ阿部師は然らば諸君必ず委員たるの責任を重んじ、其の手続履行あるべしと約し、●に於て該対論規約は締結せられたりと果して然れば該約の主眼とも謂つべき、第九条第十条の精神も明かに解決する事を得且つ其の実行も為し得らるべきなり、予輩編者は漸を逐ふて之を評論せん。
討論規約書
明治三十三年十一月十一日、顕本法華宗代表委員田辺善知・関田養叔・井村恂也・日蓮宗富士派全権委員阿部慈照・土屋慈観の五名・東京市浅草区新谷町慶印寺に会見し雙方互に委員の妥当なるを認め、左の対論規約を締結し、其の証として相互署名捺印し互に一通を領す。
井村恂也印
関田養叔印
田辺善知印
阿部慈照印
土屋慈観印

討論規約
第一条論題は左の二種とす。
第一項経巻相承と血脉相承との当否。
第二項末法に於て釈尊本仏論と宗祖本仏論との当否。
第二条引証の書目は録内四十巻に限る。
第三条対論者は雙互三名宛を出す事。
但し対論期日一週巳前互に氏名を通告する事。
第四条論場は錦輝館とする事。
第五条対論は明治三十四年二月十六日より開会する事。
第六条対論の方法は左の各項に依る。
第一項対論者は相互一名宛・交に弁論する事。
第二項一人の弁論中は他の発言を許さず。
第三項発言の場合は一人十五分を超ゆるべからず。
第七条勝敗決定の方法は左の各項に依る。
第一項勝敗は弁論の通塞に依る。
第二項互に自義を募り勝敗決せざる時は興論に訴うる事。
第三項法論の結末を告げざるに相互の一方に於て中止を図るときは敗者とす。
第八条敗者は勝敗決定の日より三日巳内に帰伏を出し同時に左の各新聞雑誌に広告する事。
一朝日新聞・一万朝報・一読売新聞・一二六新聞・一明教新誌・一日宗新報・一妙宗一・一・教友新誌・一統一団報
第九条敗者は一宗を挙げて改宗する事。
但し其の宗派の僧俗にして改宗を肯ぜざるものあるときは相互協力勧誘する事。
第十条敗者の宗派は主務省に向て改宗の手続を履行す。
第十一条対論準備委員として三名宛を出す事。
第十二条対論開始以前に関する重要の件を第八条の新聞雑誌に広告する事。
第十三条記録者は双方より二名宛を出す事。
第十四条速記者は双方より二名宛出す事。
第十五条各宗派管長各宗教団及び各新聞雑誌宛へ案内状を出す事。
第十六条対論立会人として双方より僧侶十名信徒二十名宛を出席せしむる事。
第十七条法論準備に関する細則は準備委員に於て規定する事。
第十八条対論に関する経費は総て切半負担する事。
第十九条本規則は本年十二月十五日限り管長の許可を経て互に通告する事。
追加第十一条の準備委員は管長認可の通告と同時に互に選定通告する事。

編者云く予輩の眼を以て該規約を見れば甚だ粗漏の点尠なしとせず、即ち第九条に敗者は一宗を挙げて改宗する事と云ふは重大条項たるに拘はらず、其の勝敗を決定すべき方法に至っては僅か論者弁論の通塞に依る如き最も薄弱なる方法を採り、又は勝負決せざる慈愛には世の興論に訟ふる如き標準の採り様なき漠たる手段に依れる、或は弁論時間の制限等の如き、尚其の他各条項に就て仔細に研究せば、粗漏の廉数多あるなり然るに此の規約条項は元顕本委員の提唱に係り富士派が譲歩して之を締結せられたる由なれば、蓋し其の間深意のあるあつて存するなるべし、聞くが如くんば富士派当路者間に於ては規約条項に就て議論もありし由なるも要する所は委員が責任を重んじて事に当ると云へるを以て委員に一任せられたりと、故に予輩編者は既に述るが如く両宗委員間に於て規約締結の骨子たる・宗内三分二以上対論賛成者調印の事約諾せられたる上なれば、固より徳義上君子的行動を以て対論実行せらるる事と信ずるを以て彼の規約条項の粗漏の如き敢て咎むるを為さざるなり且つ夫れ無責任の言論を哢し狡猾陰険の手段を為すは顕本徒の常套なるを以て、富士派委員は之を知るの明なく、漫然該規約を締結せられたりとせば之れ即ち顕本委員の術中に陥りたりとの譏りは免れざるも、蓋し其の胸宇裕に成算のあるは以下双方交渉の成行に徴するを得べし。

拝啓対論は規約第十九条に依り本宗管長より聴許に相成候条、御通知申上候して又準備委員は左の三名に御座候。
田辺善知 今成乾随 関田養叔
明治三十三年十二月十五日田辺善知
土屋慈観殿
阿部慈照殿

編者云く、文中本宗管長よりとあるが管長とは何人を指すにや、顕本に於て現今は事務取扱にして其の事務取扱は本多日生氏にあらずや強いて富士派と権衡を保たんと欲して濫りに管長といふ、彼の譎詐●に於て明かなり、仰も顕本の事務取扱たる本多日生氏は、此の賭宗的大法論を宗会にも附せず評議員会にも諮詢せず直に之を聴許す、何ぞ其の粗暴なるや況や其の宗委員をして管長と呼ばしむるの蠻勇をや、蓋し宗制以上の権能ありと傲吼せる本多氏其の人としては左もありなんかな、●に至って想い起す明治廿三年の頃興門派と単称日蓮宗と対論規約を締結し双方管長の認可を得るの約を為し、興門派は直ちに管長の聴許を得たりしも、単称日蓮宗に於ては、其の当時事務取扱なりしを以て直ちに聴許せず、「書面願の趣殊勝の儀に付願意を採容し宗内へ諮詢の上追て何分の指揮に及ぶべし」云云との指令なりし、今之れを顕本の遣り方と対照するに、其の当時単称日蓮宗の事務取扱は慎重に失したるか、将た現今顕本の事務取扱本多氏は果断に過ぎたるか嗚呼専断なるかな、試に思へ縦令事務取扱なる者は其の筋の特命に依るものなれば、宗制以上の権能を有すとせば此の大法論の終末に至り人心の向背を支配するの能力果たして本多氏之を有するか何人も先づ眉毛に唾して掛かるべし、若し事務取扱本多氏に顕本全体の緇素が悦服するとせんか、否な本多氏の命令に服従せば宗内三分二以上対論賛成者の調印を徴する実に易々たるのみ、何為ぞ顕本委員は言を左右に托し逃遁せるや、何すれぞ宗内三分二は勿論宗内全体の賛成調印を得て富士派をして後へに瞠若たらしめざる何ぞ言に壮にして行に懦なるや之に反して富士派に於ては一宗の宗会の上に成立せる評議員会に諮詢して全権委員を派遣し、其の委員は法論実行上の責任を重んじ、宗内三分二以上の対論賛成者調印を徴し堂々の秩序を整へ以て事に当るに非ずや。

拝啓本宗委員阿部慈照師の通知に依れば本宗管長より認可に相成候由に候条御通知申上置候又準備委員は左の三名に御座候なり。
阿部慈照 土屋慈観 秋山慈円
十二月十五日               土屋慈観
田辺善知殿

編者云く、此の時は既に阿部慈照師は一先づ美濃国の自庵へ帰りたる後なりと、故に顕本宗の準備委員並に管長認可等の通知を土屋慈観師より阿部師へ発したるなり。
拝啓、先方も認可に相成候よし悦び此の事に御座候、しかし該規約の骨子たる三分の二以上の連署云云に付ては、当方は其の当時調ひ居候得共先方は漸々手運致候事に約し置き候へば田辺氏参上の節此の点につき定めし話之れ有り候事と存し候間、其の模様伺候、もし話無御座候へば調否御尋ね下され度願ひ候、猶準備委員も承諾仕り候間いづれ近日出京仕るべく候。
十二月十八日               阿部慈照
土屋慈観殿

編者云く右の書面を土屋師より顕本宗の田辺氏へ伝送せられしを以て田辺氏より土屋師に返信せり。

拝啓、先日は参上失礼仕り候、只今御尋越に付左に申上候、本宗は最初より興論の帰する処・一軌に出居候故賛否を検せんが為め調印を徴する必要之無き旨、阿部師へも御咄し申上げ置き候、尤も貴宗が討論後の実行を気づかい調印を取揃られ候に対しては、本宗は念の為各所へ真俗を集め本件の顛末を報告し、併せて本件決定後はいさぎよく去就を決すべき様説示仕るべき旨・同師へ申上置候故、既に今日迄夫れ等の手続いたし居候間左様御承知下さるべく候、猶先日申し上げ候通り本件進行上の便宜を計らんがため阿部氏と交渉すべき必要之れ有り候条、同師御出京に相成候はば御手数ながら御一報願度候匆々。
十二月十九日                 田辺善知
土屋慈観殿

編者云く之れを或人に聞く顕本の評議員総代として今成乾随と云ふ人・対論賛成者の調印を徴せんため千葉県下に派遣せられ各所へ遊説したる際へ顕本の前々管長たりし坂本日桓大僧正及び其の他の諸氏のために叱嘲せられたりと、顕本の内訌さもありなん、若し興論の帰する所一軌に出ずると誇言せば対論賛成者の調印を徴する何ぞ難しとせんや、加のみならず該書中に「夫等の手続いたし居候」と云へるが真実なりせば、調印を徴するため遊説を試み、今成氏が千葉県下へ派遣の際、却て坂本大僧正に叱嘲せられたる事も誣説に止まらざるが如し、之れによつて観れば顕本の委員は書面には誇言を衒ふも、事実には宗内の不統一を確証して余りありと謂ふべし。

拝啓田辺師の返書同封の御状落手仕り候、扨繰言ながら当方は興論の興論たる証として宗会に問ひ評議員会に附して委員を出し委員は委員の責任を重んじ、且つ実行の得らるる様調印を徴したる事に候、しかるに先方は唯最初よりの興論なり或はいさぎよく去就を決すべき様「説示仕居候」などとは、委員の責任を重んぜざる漠然たる言に御座候、況んや是れらを打消べき反対多数の意見たる別紙雑誌の証あるに於ては興論は唯言のみ、委員は責任を重んぜざる事明らかに候へば、先約通り至急連印を調べられ度様御照会下され度願上候。敬具。
十二月廿一日                  阿部慈照
土屋慈観殿

編者云く、此の阿部師の書中・顕本宗内に。反対者あるの証として明教新誌上に掲載せる顕本の僧日譲と云へる人の投書ありたるを送付せられたるものにして、彼れ等は如何に之れを弁疏すべきかを試むるの一小礫を投ぜられたるに過ぎざるべし、顕本宗内に於て反対者あるは勿論不整頓なる事は、現に事務取扱の儘に差置き未だ管長の撰定だもなさざるの一事に於ても明了なりと雖も、試に此の一小礫を投じて、彼れ等の内訌を穿つの巧妙なる如何に顕本の委員が苦痛を感ぜしかは、左の返書に依つて知るを得べし。

拝啓早速御返事申上候、阿部師は頻に調印の事を御心痛遊ばさるる御模様に候得共、本宗委員は規約以外には何事も御約束申さず候、唯座談としては前回申上候通り、興論の帰する処と事局の終了を立派に致度旨申上候迄、若し両宗間に不同意のものもあらば●は規約通り勧誘の方法を採らば可なり、別段心配するには及ばぬ事かとも存居候、本宗委員は最初より一宗を代表せる公の委員なれば、阿部師の仰の如き無責任の事は申上げざる都盛に御座候、且つ明教新誌御送与本宗委員の無責任を証拠立てられ候へ共、其れは殆んど児戯に同ずる事かと存じられ候、新聞雑誌の記事必ずしも信を措くに足らず殊に我が宗門には日譲抔申す僧侶は之れ無く是れ等名もなき奴輩が少々者申したればとて、多数反対の立証ともなしがたき様存じられ候、本宗の機関雑誌団報紙上には別紙の通り興論の趣向する処を記し居候間御安神下され度候、思ふに規約締結後の今日の要は規約の手続を履行すれば足る事と存じ候、規約以前の事は畢竟無益の心配相互に注意すべき事かと推察仕候。
先は御回答まで匆々。
十二月廿四日                   田辺善知
阿部慈照殿

編者云く顕本の委員が譎詐の言辞を哢して慙ぢとせざるのみならず、前後撞着の詭弁を吐き恬然たるは右の書面に依るも明かなり、則ち文中に規約以外には何事も御約束申さず候と云ふにも拘はらず、唯座談としては等と遁辞を構ふは抱腹すべきなり、蓋し阿部師が富士派全権委員の資格を以て顕本の委員と慶印寺に会見し、対論規約締結に関する事を議するに其の座談と立談とに論なく一個私人的の資格を以てするにあらざる事は、彼等も之を知る所なるべし、然るを殊更に座談と云ふて誤魔化し去らんとし、却て阿部師に急所を押へられたるおかしさ加減誠に噴飯すべきに非ずや、次に新聞雑誌の記事必ずしも信を措くに足らずと云ふて、明教新誌の記事を嫌ひ顕本の機関たる統一団報に掲げある得手勝手の記事を反証に挙げ来れる厚顔実に宗教家の皮を被れる一種の怪物と謂ふべし。

因みに記す、右田辺氏の書面につき、明治三十四年二月二日・明教新誌四五九○号に掲げある記事を左に摘録すべし。
(前略)亦お前は我が門には日譲と申す者は之無と申が、日譲は整々顕本の法流を酌み身分相応に布教もし、勉強もし、嘘も吐く坊さん達を呵責し死んだら仏にしてやろうと苦心惨憺して居るよ、此の通りにねハイ尤もお前は前句には之れ無とあるが、後句に「是等名もなき奴輩が少々物申したればとて多数反対の立証とも為し難し」と申すを見ると(中略)、前では無しと云ひ後ではある様に云ふ、兎に角上人は御尊在あらせらるると申事は、お前の腹の中にある様じゃね、ソレ見なさい私信なら兎も角、公文的の者に然も三十字計の内ですぐ嘘をつく善知坊どうじゃ上人が居らんならんと云ふ事感心したろう上人が居る限りは顕本の嘘除神となり居るんじゃから、奴輩なんと生意気な事を申さずに表ばかりも正直にやれ顕本の情実確に反対が多いか少いかは上人の託宣を待迄もなかろう、どうじゃ善知師右日譲上人云云」、右の如く掲載ありしが、之れ顕本の宗内反対ある明かなる証にあらずや。

拝啓、廿四日の御状土屋師より転送に相成候へば拝見致候処、いつもながら要領を得兼候事に候間、直々御尋申候故御明答願度候。
一、去十九日附の御状に前約に違ひ調印の手続を省き説示の手続中に御座候と筆をまはされしは如何。
一、今回の御状は規約以外に何事も御約束申さず候と放言せしも、良心にはぢてや転じて座談としてと遁辞致され、或は終了を立派に致度旨と云ながら其の立派に致す最良の手続たる調印をこばみ候は如何。
一、規約通り勧誘の方法を採らば可なりとは、なんたる無責任の御言葉に候や、其の但し書は九条のよろこんで改宗すべき連署以外の不同意者に対しいかが手続致候やの提唱に対し設けたるものに候、もし左にあらずんば委員の外全部不同意を唱ふるも、いかが之れを処置致候や、唯勧誘のみにとどまらば是れこそ有名無実の極と申すべけれ。
一、本宗委員は公の委員なれば無責任の事は申上げざるつもりに候などはもいはずもがな唯其の実をあげられたし。
一、我宗門は日譲杯申候僧侶之れ無しとまじめの御申訳はいたみいり候、変名の事御忘れに相成候か。
一、新聞雑誌の記事必しも信を措くに足らずとは団報は新誌の内に之れ無く候や御尋申候。
思ふに規約締結後の今日は委員其の人の責任を重んじ、規約の実行し得らるる様取計ふが肝要と存候、食言等の御振舞は御見合の上・余日も御座なく候間調印の方へ手続御運び被下度候匆々。
十二月廿六日               阿部慈照
田辺善知殿

編者云く阿部師の書面詰問の各点最も好く其肯綮に当れり、就中規約第九条の解釈の如き正当の解釈にして則ち宗内三分二以上対論賛成者調印の事ありてこそ始めて第九条の事を実行するを得べけれ、若し調印の事なくんば所謂竜を画いて眼睛を点ぜざると一般なり。

拝啓、廿六日附御状拝見仕候処、以ての外の言掛も之れ有り、心竊に貴師等の意を疑ふに至り申し候、小生は是迄御尋に対しては有の儘を申上候にそれを要領を得ぬとか又無責任とか甚だ穏かならざる言辞を弄され申候に至つては貴師等は大事の法論を御忘却に相成り候はぬにやと疑はれ申候、無用の事とは存候得共御尋越の条項に対し左に答弁候。
(一)前約に違い調印を省き説示中に御座候と筆をまげられ候は如何。
(答)小生の書状には此の如き事は書き申さず候、下書保存致居候間御再読を乞う。
(二)の答、規約以外に何事も御約束申さぬ事は隠れなき事実、若し之れをしも強いんとならば双方委員会合の上打合申す可く候、而るを放言杯と仰せらるるは、それぞ御良心に耻づる処はなきや、又座談を座談と記すは当然の事、又終了を立派にするは法論決定後に属すること、最初より調印杯をそろふるは、偶々以て宗門の不統一を反証かるに過ぎず、吾門の如きは主権者が是なりと認定したる以上は、教義上宗教家の動作として否や申すものは御座なく候。
(三)の答え、規約面より申上たる次第、然るを無責任杯とは少しく過言には之れ無きや、敢て考慮を煩はし申候、既に申上候通り本宗委員は一私人の資格にあらず、一宗を代表したる公の委員に御座候、故に我輩の一挙手一投足は悉く一宗の動作に御座候、個々の調印を求めねば法論が出来ぬ杯と称する宗派と同一視し玉ふ勿れ。
(四)の答え、前答に明了なり、口実なきにも拘はらず敢て之を捏造せんとするの嫌ある貴宗にてぞ却て望ましき殊に御座候。
(五)の答、変名杯を用ゆるは既に公々然たるものにあらず、之れを以て反対者多数の証なり抔と仰せらるる近頃以て粗忽の感之れ有り候。
(六)の答、児戯に類する御尋再読を促し申候。
巳上略答迄。
吾門は規約締結の際申上通り一々調印を求むる必要之れ無く候間、此の点に付ては御心配之れ無様申入候、規約に規定せられたる準備手続を進行せしむるが一番の肝要に御座候間、●に改めて左の件に及び申候、明治三十四年一月八日正午より浅草田甫慶印寺に双方の委員会合し諸新聞及び雑誌への広告文、又は各所へ発達すべき案内状の取極を致度候匆々。
十二月廿七日                田辺善知
阿部慈照殿

編者云く顕本委員は富士派委員の照会に対し言ひ掛りなる語を以て瞞却せんとす何ぞそれ横着なるや、殊に彼は云く調印杯をそろふるは偶々以て執念の不統一を反証するに過ぎずと云云と、奇怪なる筆法もあるものかな、諺に盗人にも三つの理ありとか云へり、然れども正義の前には曲理は到底存立する能はざるなり、今云く調印を取揃ふるを以て宗門の不統一を反証すと云はば、調印をも徴し得ず無責任に誇衒の放言を為し事実の人をして信ぜしむるなきを以て、正に宗門統一を確証すと謂ふべきか、果して然りとせば顕本の委員は道理に乖いて狂馳せるものなり、斯の如く顕本の委員は杓子定義より割出したる言語筆法を以て、他の条理整然たる云為に対し瞞却せんとす、是ぞ所謂偶ま以て顕本宗内の不統一を反証するものに非ずや、而して顕本委員は動もすれば云く主権者が是なりと認定したる以上は否や云ふ者なしと実に然り、教化の動作としては斯くあらまほしき事なり、然るに顕本委員の言語のみは誠に立派なり、如何んせん事実は全く之れと反するを、若し主権者の是なりと認定したる巳上、其の宗門に異議を挿む者なしとせば、彼の調印の如きは立所に取揃ふるを得べし、何を苦しんで攷々として言訳けに務むるの迂陋を之れ為すを要せんや、言語が立派なれば事実行動の上にも立派に之れを表明し得る丈の証左を徴し来て富士派委員は勿論天下人士が顕本の内訌に懐きつつある疑団を氷解せしむる亦可ならずや、既に夫れ世の幾多の人士をして好し事務上にもあれ、権勢の争奪にもあれ、顕本が内訌ありて今に管長をも撰定し得ず事務取扱のままに為しあるは取りも直さず宗内の不統一を認めしむる者なるに於ては、勢として対論の結果最も大切なる信仰の去就を決すべき場合、則ち法論決定後の事を先づ以て疑ふは至当の事なりとす、かかる状況なるにも拘はらず、教義上の事はまた格別なれば主権者と倶に宗内の緇素残らず去就を共にすべしと云ふと雖も、之を信ぜしむる丈の証左のあらざる限りは百漫陀羅誇言を放つとも世の人士は金輪際疑団を氷解せず尚ほ更に調印をそろふるは宗門の不統一を反証する抔の言を吐くは、恰も無頼漢の言語に類する者にして自己が責任を重んぜず調印を徴する能はざる事を反証するものなり。
次に顕本の委員は屡々云く一宗を代表したる公の委員と、又云く我輩の一挙摘出子一投足悉く一宗の動作と、さもそうずさもありなんかな、然れども思ひ知られよ後日に至り氏等の化の皮は剥がれ馬脚の顕れ来るをそは順次に之を評論せん。

○賀正
拝啓、新年早々の事に候間項を略して御尋申上候、三項は甚だ漠たる答弁に候へば御熟考の上再答願候、猶貴師方は唯からさはぎにさはぎさへすれば、それにて事足る様相見へ候に付き、当方よりの要求容れられざる間は何事の御求にも応じ難く候、敬具。
明治三十四年一月八日                阿部慈照
田辺善知殿

○謹賀新年
八日附の御状披見仕候処、前回略答中の条項に対し漠たる答弁云云の殊に候へ共、そは能く往復書類を御熟読被下候はば明了する事と存候、されど念の為左に申上候、貴師の三項と仰せらるるは第一項より第三項までを申さるるにはあらざるべし、定めし第三項を指すならんか、果して余の想像の如くなりせば答弁の意明了なりと存じ居候、其の故は貴師が顕本の委員は無責任と申さるるにより我等は一宗を代表したる公の委員なれば言々句々責任ありとの意を答弁したるにあれば、何にも漠たる事はなきかと存候、からさはぎ云云とは余り邪推かと存候、本宗は却て其の事貴師にありはせぬかと存居る位に御座候、当方の要求とは何等の御要求なりや伺上候、若し調印の事なりとせば最初より其の必要を認めぬ本私有が御請求ありとするも、それに応ずべき様も之れ無く候、況や規約巳外何等の約束もなきに御要求なさるるは所謂事を左右に托すと申すもの、豈に何んすれぞ挨拶申す可き要あらんや少しく御反省下さる可く候、
若し書面の往復にて、不了解の点々も之れ有り候はば至急出京あれ拝眉打合申し上ぐ可く候対論期日も切迫致居候故、万一御差支も候はば万事土屋師へ御一任下され度く候。拝具。
一月八日                 田辺善知
阿部慈照殿

○編者云く顕本委員は富士派委員より再度の詰問に接し狼狽の状殆んど書面の上に顕はる、顕本の委員は曩に規約締結前に於ける約諾に違ひ、且つ又第九条の実行の事を詰問せられ、之れに確答を為さず徒らに言語を飾り我等は一宗を代表したる公の委員なれば言々句々の責任あり等と云ふのみにして、其の言々句々の責任を重んぜざるなり、●に至て彼れ顕本委員は終に其の横着の本性を顕はし来りフテ腐れの暴言を放つに至る、仰も顕本委員は当然徴すべき調印を徴せずして、言を左右に托し大事を大まかに云為すは対論決定後の去就を立派に為すに意あらずして、或る卑劣手段を執らんとするを、富士派委員に看破せられて・から騒ぎに騒ぐと言はれては、最も適評にして顕本委員の無責任を叱責する誠に痛快愉絶と云ふべし。

請求書
規約第十五条に掲げたる案内状及び第十二条により広告の準備を始め傍聴者規定論場借入等諸般打合のため委員会開会仕度候間、本月十五日正午より慶印寺へ御会合相成度此段再度請求に及び候也。
顕本法華宗準備委員
田辺善知、今成乾随、関田養叔。
日蓮宗富士派準備委員
阿部慈照殿、土屋慈観殿、秋山慈円殿

○編者云く顕本の委員は富士派委員の詰問に対し言窮し意尽き困憊堪ゆる能はず、動もすれば自ら馬脚を顕はすを以て、百方苦慮の上、何んとかして富士派委員照会鋭鋒を遮けんとし、漸く一方の血路を見出し此方面に牽制するの拙策を執り来る、富士派委員の炯眼既に先見の明あり、何ぞ彼等の手盛りを喰ふべけんや。

○拝啓先約たる三分二以上の調印要求容れられざる間は何等の請求にも応じ難く候間御念の為め再度申上置き候、敬具。
一月十四日                  阿部慈照
田辺善知殿

○編者云く、該書面は言簡にして意豊富なり、他日迅雷耳を掩ふに遑あらざらしむるの微候此時に顕はれ来れるにも拘はらず、顕本委員の空気なる之れを悟らず其の昏盲愍笑すべきなり。

#07.330
○拝啓左に御尋申上候。
一 本日の書状は阿部師一個の取扱にや。
二 阿部師は御出京なりや。
三 貴宗準備委員は御会合に相成候や。
四 十五日開会すべき委員会の請求に対し貴宗委員は何等の協定を為され候や。
右至急御回答被下度願上候匆々。
一月十四日              田辺善知
土屋慈観殿

○別紙御一読の上阿部師へ御渡し被下度・甚だ恐縮には候へ共、阿部師の云為は貴宗派の対面を汚損すること実に多大と存候間、貴師よりも充分御注告被成下度為法切望の至りに御座候。

○拝啓、御状・土屋師より転送相成候故一覧仕候処・実に意外の申越為法痛嘆罷在候。
調印の件は屡々申上候通り本宗委員は其の口約だも致さず候に先約抔と仰せらるゝは甚だ不徳義千万全く宗教家の行動にあらず、翻然然可く候準備委員としては既に再度迄請求に及びし如く規約に基ける諸準備より外一為すべきを知らず、否寧ろ規約以外の行動は規約其ものが我等をして厳禁せしめ居候、然るに貴師が我等を誣ひ規約を無視して敢て之れを為す其不法寛怒すべきにあらず,依つて自今調印云云の件は如何に申越に相成共、我輩が規約締結委員としても、将又準備委員としても、富士派委員の請求とは認定致間敷候随て、貴師が本宗委員の請求に対して何等の請求にも応し難しと申さるるは、越権不法の所為と断定仕り候、乍併貴師が此の書を見て自己の非理誤解を頓悟するに至らば既往は追窮すべからず候、此の段法論、の大事に面じ我輩一個の厚意として特に申し候●々。
一月十四日               田辺善知
阿部慈照殿

○編者云く、該書面注最も中目すべきは其の口約だも致さずと云へると、規約締結委員としてもと云へる文言なり、予輩編者既に前に評論せる如くにして、其の口約だも致さゞる者が何為ぞ座談としては云云、夫等の手紙致居候等と云ふの要あらんや、又規約締結委員たる名称は頗る奇怪なりとす、何となれば対論規約は一宗代表委員として締結せられたる者にして締結委員として規約を締結せるには非ざるべし、故に該規約書に顕本法華宗代表委員と明記せり、然れば規約締結委員なる名称を唱ふる彼れの底意詐謀の此の間に伏在せるを知るべし。

○拝啓、阿部師は一昨日出京され共、四五日後に亦来る由申置他出被致候間、皈寺次第御通知可申候尚委員会合は昨日通知致置候通りに御座候間、此旨御了承被下べく候(己)上。
一月十五日                  土屋慈観
田辺善知殿

○編者云く既に顕本委員の胸裡を看破せる富士派委員の態度綽々たり、顕本の委員を翻弄するの状恰も鞠を掌上に転ずるの趣きあり、而して彼をして機変に応ずるの余地を与へず、又端倪する能はざらしむ何ぞ其の操縦の妙なるや。
拝啓昨日四ヶ条御尋申候処、只今御回答被下候へ共、阿部師出京の事を除く外、何分不分明に付甚だ御手数ながら一三四の条目・一々御回答相成度願上候。
書中「委員会合は昨日通知致置候通」とは阿部師の書状を指し玉ふにや伺上候本日の書状にては別に通知状御発送に相成候様読領致候も、小生の手には貴宗準備委員として本宗準備委員の請求に対しては未だ何等の回答にも通知にも接し申さず候、又阿部師は出京中何方へ御滞在ひや伺い度候。
右至急御回答を煩はし申候、●々。
一月十五日                    田辺善知
土屋慈観殿
追而、貴宗管長大石日応上人・目下在京中の由伝承仕候が事実なりや否や、若し事実とせば法論進行上面会の要之れ有り候間、御序に御回答下され度く願上候。

○拝啓一二条目の御尋は先例御忘に相成候か、去年十二月二十七日附の貴状の草稿御覧に相成候はゞ明了に候(尤も草稿御扣のよしに候へば)又本宗管長に面会の要有之候との方角違ひの八つ当りは御免蒙り候、尚阿部師滞在は当寺に候、併し昨日御通知致置候通り不在に候間帰り次第御通知可申候●々。
三十四年一月十六日                土屋慈観
田辺善知殿

○拝啓、昨日の御手紙あまりに不分明故之れを明了ならしめんがため条目を追つて回答を促申候処、只今の貴書によれば先例に倣ひしとか、去年十二月廿七日附の草稿を一覧せよとか仰越に相成候が、是れ却て違例を好例と御見違遊ばしたる証拠ならずや、本月十五日附の貴書と小生が差上候分と対照し来らば、其の違例明了致す可く候、所詮十四日附御尋申候件々不分明に付き再度照会申したるまで、何にも曲筆弄文無用の事を呶々するには及ぶまじと存し候間、(一)(三)(四)の条目御明答之れ有り度請求に及び候。
次に貴紙管長滞在の有無を照会したるに「方角違の八つ当りは御免蒙り候」とは真面目の御挨拶として受取難く候、我々が貴派管長の所在を認め面会を要する所以のものに大に之れ有りと雖も、貴師の如き滑稽然たる言辞を弄し玉ふ御方に真面目に書状にて御尋申すは終に徒労の業ゆへ何れ他の方法にて進路を開く事と致す可く候、阿部師の事は承知仕り候、又先刻一寸御案内迄申上置候ひしが、来る二十日正午より南松山町法成寺にて演説開会仕り候間御出向被下候●々。
一月十六日                田辺善知
土屋慈観殿

○ 対論規約取消状
貴宗委員は宗内三分二以上の対論賛成者の調印を微せざる故、対論規約第九条及ひ第十状は空文に属するに付、本宗委員は責任を重んじ上管長に対して下調印を微したる宗内三分の二以上の賛成者に対し、責を引き本宗管長へ対論規約認可取消請願仕候処、聴許に相成候間、明治三十三年十一月十一日附を以て相互委員間に締結せし対論規約全部今般取消候に付、此の段通知に及び候己上。
明治三十四年一月十七日          日蓮宗富士派全権委員
                               阿部慈照
                               土屋慈観
顕本法華宗総代表委員
田辺慈知殿
関根養叔殿
井村恂也殿

○編者云く、霹靂轟然顕本委員の頭上に落下し来る、彼れ等は周章狼狽胆を奪はれ魂を消し終に常識を失し殆んど挙措を乱す、即ち窮迫悶絶忽ち夜叉羅刹の特性を現し死物狂ひの狂態を演ずるに至れり、ソハ是れより己後彼れ等の行動に微するを得べし、抑そ富士派委員の云為行動や秩序あり本末あり一言たりとも苟且にせず一語たりとも軽躁にせず慎重の態度を執て其責任を明かにす、実に皎々然として君子の行動云為たり、宜なるかな満天下有識の士之れに同情を表し欽仰の意を寄すること、顕本委員は之に反し約諾を重んぜず、食言を慚ぢず規約成立の骨子を蹂●し誇張の言を衒ひ、陥穽を設け鴆毒を帯ぶ譎詐百出斯瞞停止する所なし、爰を以て一部分の彼等に心を寄する同臭味の者を除くの外は皆悉く彼等の卑劣を悪み之れを弾斥せざるはなし、亦富士派委員が該取消状を発するに及びたるは其因する所、全く顕本委員の釖詐にあり、富士派委員は顕本委員釖詐欺瞞の奸手段に富めるを予知せるを以て、慎重綿密に彼等の云為行動と彼等案内の状況とを調査するに時日を重ね彼等が真摯に対論後の去就を潔くするの底意なく、唯彼れ等一部分の者が為にする所ありて、其声のみを大にし此の対論を口実として彼れ等宗内従来反対者の然●を鎮撫するの具に供せんとの猾手段も含蓄せられたる等の証左を収集し、遂に断固として該取消状を発し彼等の非を告白せられたるなり、故に富士派委員の挙措たるや寔に一宗委員の挙措として其の秩序を誤らず、本来軽重の分を明かにせる者なるが故に、満天下有識の士の賞賛して止まざる所以なり、然るに該取消状を発せらるるや、顕本の委員等は毒言を放つて云く富士派は逃遁せりと、コハ顕本の委員等は自己の非を掩ひかくさんがために、此の中傷の毒言を吐くに過ぎず、彼れの卑劣瞞却の手段皆此類なり、而して富士派委員が逃遁の策に出たるに非ず、却て彼等に大打撃を与へたる者なる事は前掲する双方の往復書状に微照せば其の由来する所正に明かなりとす、故に該取消状を発せられたるは最も至当の事にして顕本委員の頭上に霹靂震撼する所以の者は、実に顕本委員が無責任の陰雲を醸したるに依る事を知らざる可からず、而して顕本の委員等は規約第七条第三項に法論の結末を告げざるに相互の一方に於て中止を図るときは敗者とすと云へる条項を御用曲解して富士派は敗北せりと云へり、是れ等は三歳の童子と雖も抱復絶倒すべし、之れ顕本委員等が常識を失し精進錯乱して此の不稽の囈言を吐くものなり、夫れ規約第七条第三項は法論決定法を示したるもにて未だ法論にも取掛らず、規約実行上の手続きに就て顕本委員の無責任なる到底法論実行すべからざるを以て該取消状を発せられたるなれば、かれ第七条第三項を引合に持ち来るは毫も当らず、則ち彼れ等が窮迫悶絶死物狂ひの狂態を演ずる誠に見易き証左なりとす、而して該取消状に付き顕本委員の無責任を告白し、富士派委員自己の責を引く、之れ進退度あり挙措法ありて言行共に一致し徳義に適合す、彼の顕本委員の無謀倣愎卑劣暴慢に比して其差果して如何、殆んど天淵も●ならざるなり、富士派委員の云為は恰も威儀儼然として而かも温厚仏の如く慈悲を本とす、顕本委員の行動は猶ほ瞋恚の悪相を現じたる夜叉の如く慳貪嫉妬を懐く、鳴呼富士派委員の如くにして始めて挙手投足総べて一宗の行動と謂ふを得べく、顕本委員の如き言行一致せざる者誰か宗教家を以て目せんや、抑も此の大法論は顕本委員の無責任に基因し、該取消状を発し終結を告げらる、茲に於て予輩等は富士派委員の尽瘁最も多大なるを感謝すると共に、其終了の秩序あり本末ある行動たるに満天下有識の士と共に敬意を表し、謹んで富士派万々歳を絶叫三唱する所以なり。
右の如く該対論は顕本委員の無責任なるに依り不成立となり、結了を告げしを以て富士派委員は該取消状を明教新誌に広告し且つ、其の顛末を公衆に知らしむる為め、一月廿日東京江東伊勢平桜に大演説会を開けり、出席の弁士は有元広賀師・阿部慈照師・釈妙覚師・土屋慈観師・大石日応上人の諸大徳にて、阿部師は対論件の顛末を報告し、併せて取消状を発したる理由を弁明し、大石日応上人は顕本の者等は取消状を受取り定めて茫然自失せるなるべし、故に彼等に研究の材料を与ふべければ宜しく明答せよとて、左の七ケ点の質問書を印刷に附し聴衆に配附せられたり。

顕本法華宗に対して質問
第一、一品二半に二意あり熟れの配立を取るや。
第二、顕本に五義あり顕本宗の顕本は何れを本とするや。
第三、宗祖所顕の大漫荼羅は其の実体何物なるや。
第四、宗祖所顕の漫荼羅中仏菩薩の列座の次第会座に違ふが如きは如何。
第五、宗祖所顕の本尊年度に依り所図の(或は善徳仏十方分身の諸仏を書し或は之を除去す)不同のある理由如何。
第六、宗祖所顕本尊中の記銘に仏滅後二千二百二十余年・或は三十余年と記し給ひ差別・並に文永建治の御本尊に二千二百三十余年と記し給ふ理由は如何。
第七、宗祖所顕の本尊の中央に南無妙法蓮華経日蓮判と大書し、釈迦多宝の二仏等は傍らに細字を以て書し給ふ理由は如何。 以上。
明治三十四年一月廿日           日蓮宗富士派 法道会員。

斯くて当日は聴衆五百余名中に顕本の田辺今等も来り、暴評を為して警官に叱られたる杯苦笑の外なく、出席弁師は各自卓説を演説し、其の閉会を告ぐるや聴衆は富士派万歳を歓呼して無事散会せり。
顕本の者共は取消状を受取り、悶絶措く能はず智恵袋を搾り百方考案の上漸く数日の後左の書状を送附し来れりと。

対論規約締結取消状に対する通告
明治三十四年一月十七日便配達証明附にて送附し来れる対論規約取消状は全く規約を無視したる没理の非行にして我等が規約締結委員の任務を終へる今日に関与すべき限りにあらず、此の段通告に及び候也。
明治三十四年一月廿一日              田辺善知
                         関田養叔
                         井村恂也
阿部慈昭殿
土屋慈観殿

編者云く、該通知状を見るに文中規約を無視したりと云ふと雖も、その無視したるの事由を挙げず、没理の非行と言ふと雖も其の没理の所以を云はず、漫然漠乎として此罵詈言を列ね来る何ぞ夫れ常識なく且つ人間一通の礼義だも弁へざるや、富士派委員の取消状には明かに顕本委員が規約を空文に属したるの理由事実を挙ぐ、然るを単に没理非行と云へるも其の没理非行は却て顕本委員にあるに非ずや、之れに依て之れを観れば顕本委員の言辞の如きは雲助胡麻の蝿的の者と雖も、よもや之れを憚るなるべし、蓋し下等教育なる人物はあらゆる悪言を沢山に並べさへすれば、それにて自己は最もゑらき者と思へると一般顕本委員も亦斯の如きか。
抑も田辺等諸氏の無責任なる此の通告状に自ら表白して余薀なし、則ち文中に云く「我等が規約締結委員の任務を終へる今日に関与すべき限りに非ず」とて取消状に取合ずとする口実を設けたるも、之れ却て彼れが馬脚を現はすに至りたるこそ笑止なれ、顕本委員は取消状を発せられざるの前は努めて真顔を装ひつゝありしも、取消状なる打撃を蒙りて忽ち狂乱煩悶、其の本性たる夜叉羅刹の悪相を現し来る事恰も稗史に於ける玉藻の前が阿部安則の為に其の妖怪なる事を看破せられ、終に三国伝来金毛九尾の老狐たる本性を表はし、那須野が原に飛び去り殺生石となり尚も毒気を吐きしが、後ち玄翁和尚のために粉砕せられたると酷似するものありて、今予輩編者が此の評論なる鉄鎚を彼れ等の頭上に下す亦一寄にあらずや、抑も前に云ふ如く田辺等の諸氏は対論規約諸には立派に顕本法華宗代表委員と明記し、又往復中の書面には二三回も一宗を代表せる公の委員なりと公言し、十二月廿七日の書面には、最も懇ろに「本宗委員は一人の資格にあらず一宗を代表したる委員に御座候故に一挙手一投足は悉く一宗の動作に御座候」と明言せり、此れ等の書面には正に規約締結後に発せられたる者なる事は喋々を要せず、然れば都合よき場合には一挙手一投足悉く一宗の動作と誇り、都合悪しき場合には締結委員の任務を終へると逃げ・出放題・出鱈目にも毫も責任を思はず、釖詐奸●なる事此々皆然かなり、加のみならず田辺氏等は富士派全顕委員と強いて資格上の顕衡を保たんがため、恰も廿七八年に於ける日清媾和談判の際・デットリングが其の資格なしとて突き戻されたるが如き事あらんを危懼して、規約書には顕本法華宗代表委員と詐称せるか、又は取消状の●鋒を遮けんために規約締結委員なる名目を私に附して任務を終へる今日に関与すべき限りにあらず杯と遁辞を構へたるか、両者孰れぞや、顕本法華宗代表委員と云へるは詐辞か、規約締結委員と云へるは遁辞か必ずその一偽りならざるべからず、然らば無責任なる事は自ら表証して明かなるにあらずや、既に往復最中には一宗を代表せる公の委員なればと放言誇称せるにも拘はらず、忽ち資格を落して規約締結委員等と云ふは是れ確かに自から欺き他を欺くものにして、斯くしても尚言々句々責任を重んぜる宗教家の云為と誇称し得るとせば顕本の人達の所謂責任を重んずる宗教家の行動なるものほは欺に斯惘譎なる顕本委員自己の代名詞なりしなり、顕本の人達は常に斯の如き精進を以て富士派委員を陥穽せんと努めつゝありし悪手段なりし事は茲に至つて全く暴露せられ、永く其の金毛九尾の本性を掩ひ匿す事能はざるに至れり、而して富士派委員は該通告状に取り合ふの必要なきを以て打捨置かれしかば、顕本の徒は執拗にも左の請求状を送り来れり。

請求書
本月八日附を以て委員会を請求致置候処、貴派委員は事を左右に托し本宗委員の請求に応ぜざりしが、最早対論期日愈切迫致候条、来る廿八日正午より慶印寺に於て双互委員会合致し度候間屹度請求に応ぜらる可く此の段三度貴意を得候也、
明治三十四年一月廿四日           顕本法華宗準備委員
                      田辺善知 今成乾随 関田養叔
日蓮宗富士派準備委員
土屋慈観殿 阿部慈照殿 秋山慈円殿

編者云く、右の如く勝手の文句を並べたる請求状は、対論取消状には関与せずとの意よりして送り来れる者なるべしと雖も、恰も是れ十日の菊六日の菖蒲、宗祖の所謂喧嘩過ぎてのちきりきなるものにして、一切無効復く取合ふの必要なきものなり、而して顕本宗は二月十日浅草土富店妙経寺に於て富士派にげだし報告演説を開会せり、其の光景は二月十八日日宗新報の記事を左に抄録せん云く。
田辺善知僧都は日蓮宗富士派遁徒てふ演題にて諸宗問題の規約成立迄の事状を悪口交りて縷述し図に乗り取消云云を説きて富士派を罵倒せり、而して師は富士派の取消状に対する答書を発せりとて書面の所々をぬき読せり、此の時日蓮宗正法明鏡会創業員江羅直三郎氏は起立して弁士田辺師に向つて瞞着するにあらざれば其の全文を朗読すべしと云ふ、師躊ついて朗読するを得ず、加え論調乱れて更に顔色なし云云、猶田辺師は富士派より顕本宗への質問七ヶ条の第七の条項を弁ずるや、富士派管長大石日応師質問を試みられたり、委員間の往復文章談話等は如何に附会するも偽るも予は咎めず法門を顛倒して邪義を述ぶるに於ては聞ずてならず問答すべしとて演壇に上る、聴衆拍手して問答すべしと「どなる」田辺師は身毛悚然として問答に応ぜずに托してこそ々々演壇を下りて遁走せり云云。
而して富士派委員の取り合はざるため取り付く島もなければ疝気節にも亦左の請求状を送附せり。

請求状
対論開始期日は愈々明後十六日に候へば準備委員御遺可被下候、若し準備委員の派遣無之時は貴派宗義の邪義なるを自覚したるものと認め可申、此段請求旁申入置候也。
明治三十四年二月十四日            顕本法華宗準備委員
                       田辺善知 今成乾随 関田養叔
日蓮宗富士派管長 大石日応殿

編者云く該書状に対し富士派より左の書面を附して返戻せり。
別紙請求状は相当の手続を経由せざる不稽のものたるに就き返戻す。
二月十五日           日蓮宗富士派管長大石日応待史阿部慈照
田辺善知殿 外二名御中

編者云く、十六日イ便にて亦々同請求状を田辺氏より送る故に猶亦左の書を附して送り返さる。

別紙請求状は前回同様相当の手続を経由せざるものにつき返戻す。
二月十六日           日蓮宗富士派管長大石日応待史阿部慈照
田辺善知殿

編者云く、右の如く幾度請求状を送り来るも固より受理するの限りにあらざれば其の都度返戻せられければ彼れも致し方なしと思ひけん左の端書を送り来る。
請求状再度郵送致候処相当の手続を経来れとの事に候が、右は如何の手続を経由せば可なりや照会に及ひ候、宗内の事務と外交問題とを区別して回答にあづかり度候。
二月十六日             妙経寺内法論事務所
常泉寺内法論事務所御中

編者云く顕本の徒如何に詐謀に富めるも百計茲に尽き、終に此の端書にて顕本徒が対論に呶々せる息気は事実上全く絶へ畢ぬ鳴呼何ぞ終了の意気地なく見苦しきや、顕本宗の所為は竜頭に始まり蛇尾に終る、之れ初めより富士派委員が彼等の心事を看破し操縦自在なると与奪巧妙なると、其の中自ら整然たる秩序・慎重なる態度のあるあつて秋毫も犯すべからざるにより、終に顕本宗の徒は最も見苦しき此の対論件の最後を遂げ畢りぬるなり。
対論規約取消後の顛末、該対論件は顕本委員無責任のため成立を見る能はず、充分に顕本委員の云為行動共に責任を重ぜざる醜陋を満天下に表白し、彼れ等は終に斃れけり然れ共彼等の怨念永く三悪道に彷徨せるを隣み、阿部慈照師は一私人として彼れ等の怨霊を引導せんと左の印刷広告を配附せられたり。

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論題
一 経巻相承と知脉相承との当否。
一 末法に於て釈尊本仏論と宗祖本仏論との当否。
引証書目
一 録内四拾巻に限る。
右の項にて対手を扣ばず公場に於て討論致度候間至急申込を待つ。
                 本所区向島小梅町常泉寺寓
                 日蓮宗富士派僧 阿部慈照
顕本法華宗僧侶 御中

右の如く広告を配附せられたるも誰一人対手にならんとて申出る者なし。
因みに記す富士派諸師の行動や、其の一宗委員的たると其個人的と其分を明かにし顕本の徒をして後へに瞠若たらしめ、彼れ等の卑劣を表白せられたるは、満天下有識の士の称讃措く能はざる所なるが、頑迷なる顕本徒は富士派の名声挙れば挙る丈ひがみ根性を起し何んとかして中傷せんものと新聞雑誌等に屡々不稽の記事を投書し(彼の機関統一団報には尚更曲筆を以て毒言悪口を書き列ねたり)たりしも、固より一笑に付し去られしが、其の中に就て最も甚だしき者に就て、左の文を二月十八日の明教新誌に掲載せられたり。
○取消請求書、貴紙二月十二日発行の第四五九号雑報欄内に顕本法華宗対日蓮宗富士派法論不成立真相と題する事項御掲載の所全く事実相違に候、其の事由並に証左左に。
一 一宗を賭して対論を決行せん云云とは、本宗より顕本方に申込たるに非ず、却て顕本方より当方へ迫り来れるなり、其の証昨年十月廿五日附顕本の田辺善知氏よりの書状に曰く、(前畧)かねて交渉中の件此の際一宗の公議に附し初志通り一宗を賭して法の邪正を決すべき様御取計被下度冀望士候云云(後略)。
右に因るも賭宗云云を当宗より申込みたるに非らざる事明けし、然れども顕本方より屡々迫り来れるを以て、当方は本宗管長に申請し左の指令を得たり、云く去る九月廿五日附を以て申請の件本宗々制寺法第五章第七十六条第十項の規定に依り、評議員会に諮詢し願の如く本宗と顕本法華宗との法義討究に関する全権委員を派出せしむ、明治三十三年十一月五日管長大石日応と、又評議員は宗会に於て選定したるものにして、其の評議員会に管長が諮詢して決したるなれば、末派緇素が反抗するが如き謂れなき事は勿論其の形跡だもなき事亦明かなり、而して斯の如く指令を得て本宗全権委員は進んで彼の規約を締結したり、尤も本宗全権委員は規約締結前に於て賭宗対論成立上の実行を気遣ひ宗内三分二以上賛成者の調印を微したるものなり、依て対論を取消さんとしたる第一の原因と云へる事項は総て事実と相違せるものなり、次に規約第二条の引証書目を録内四十巻に限られたるを不利益となし、変更を申込み拒絶せられたりとは是れ亦た大に誤れり、何となれば顕本如き相手するに録内四十巻はさて置き四十巻の内一巻の祖書にても沢山なり元来蓮祖の法流を汲むのに宗派にして録内録外を依用するは一般の慣例なりと雖も、顕本は録外を嫌ふの癖あるを以て該規約にも顕本の要求を容れ、録内丈を引証とせるは之れ暫く彼が得手とする所に与へたる者にして、寧ろ吾が度量を暗示したるものなれば何ぞ之れを変更するの必要、若しくは変更申込む等の愚を為さんや、依て其の第二の原因と云へる事項は総て事実無根なる者なり、次に本宗は此較上寺院の数僧侶の数顕本より好し少なしとするも、顕本の如く現に内輪喧嘩杯を為し今に主権者たる管長すらも定め得ずして事務取扱にて間に合せ置くが如き事実の上に宗内の不整頓を表白するが如きの醜態は先以て之なきなり、尤も本宗独立己来月浅きも昨年十月己に宗会を召集して宗是を議定し着々整理せられ、又財政の如きも本宗は本宗丈の成算のあるあれば他より心配は無用なるべし、若し夫れ寺院及人物の多数等の故を以て顕本と本宗とを比較するとせば例せば尨大の清国を以て我日本に比すると何ぞ択ばんや、依つて第三の原因と云へる事項は漫然たる推測たるに過ぎざるなり、次に一宗僧侶の三分の二以上の調印云云なぞと飛んだ言ひ掛けを為し云云、果たして言ひ掛けを為したるや否やは十二月十九日附、田辺氏よりの書状に依て知るを得べく、云く(善畧)尤も貴宗が対論後の実行を気づかい調印を取揃られ候に対しては、本宗は為念各所へ真俗を集め本件の顛末を報告し、併せて本顕件決定後はいさぎよく去就を決すべき様説示仕るべき旨同師へ申上置候故、既に今日迄夫等の手続致置候間右様御承知可被下候云云、右によりて顕本方に於ても調印云云は承諾の事なるは多言を費やさずして明かなり、右の事由及び証左の通り本宗委員に於ては最も慎重に対論上の実行を計り終局を明かにせんため秩序ある手続を躬行したるも、顕本方に於ては却て口に之れを言ふて事実は行はざるの証跡歴々たるを以て、全権委員たりし予等は責任を重んじ一月十七日附の取消状を発したる次第なり。
右の事由及び証左により該記事は全然事実相違に付、此全文御掲載の上御取消被下度候也。
明治三十四年二月十四日       日蓮宗富士派 阿部慈照 土屋慈観

二月廿日正午より両国井生村桜に於て顕本宗退治なる名目にて大演説を開会し顕本僧侶の質問を許すとて顕本へ招待状を発せられたり、当日の弁士並に演題は「顕本宗は本尊に迷へり大石日応上人」、「顕本宗の邪義を破す釈妙覚師」、「顕本宗は宗祖の正意を知らず土屋慈観師」、「三たび問答を促す阿部慈照師」等にて、聴衆五百有余名・場中顕本の僧俗百名前後も見受けしが、招待席にも附かず終に一の質問も為す者なく、拍手喝采の裡に各弁士は得意の妙弁を揮はれ最も盛大なる光景なりし。
而して顕本宗は之れに拮抗せんとの卑劣心にや、顕本宗大勝利富士派敗北てふ演説会を二月廿四日井生村桜に開くよしの広告を為し演説を開きたり、当日の光景は場内数ヶ所にノウヒヤ等の評語を禁ずる杯の掲示を貼附し臆病の気顕本徒眉字の間に現はる、阿部土屋等の諸師は質問を許されたき旨を幹事を経て田辺本多等に申込めども之を許すの勇気もなく、各弁士は辻●も合はざる朦朧説を吐き聴衆中質問を許せと呼ぶ者四方に起り場内喧然たり、然れども終に質問も許さず、且つ弁士は例の如く罵詈の毒舌を揮ふに過ぎず、珠にノウヒヤの評語までも禁ずるは聴衆の口を塞ぐものなりこんな卑劣弁士の説は聴くに足らずとて聴衆の座を起て去る者殆ど二百余名相踵ぎ場内余す所は僅かに顕本の信徒云にて最も寂蓼なりし、当日の光景斯の如くヒヤノウ等の評語すらも之れを禁じ且つ「演説中質問せんとする者は幹事の承諾を経べし」と掲示しながら、土屋阿部等の諸師は幹事を経て田辺本多等に面接し質問を申込まれたるも之れを峻拒せる如き臆病卑劣なるにも拘はらず外には虚威を張らん為め顕本大勝利富士派大敗北報告演説などと触れ廻るは何処までも本気の沙汰とは思はれず例せば恐水病にかかれる狂犬の類ならんか。
富士派方に於ては二月廿六日正午より、北品川町芳十亭に於て顕本宗折伏の大演説を開かれたり、当日の演説が三月一日江東伊勢平桜に於ける阿部慈照師と本多日生氏との対論となり、幾多聴衆の面前にて顕本大敗北、富士派大勝利の名声を事実に博し得る導火線に点火せられたりとは、後にて思ひ合されける、さて当日演説開会ある品川は本多日生氏の住職寺即ち妙国寺の在る所にして顕本宗信徒の巣窟本多氏の本営とも謂ふべき場所柄なれば顕本の僧侶は予て申合せや為したりけん、本多田辺関田今成井村等の十数名の僧侶及学生を始めとして信徒の面々犇々と詰寄せ押掛け殆んど三百有余名場内九分迄は顕本宗の者を以て占領せられ一種の殺気は彼等の眉字に現はれ勢紺込んで見へたりける、当日は顕本の者共此の演説を妨害せんとの意気込にて来れるなれば弁士出演せらるゝ毎に喧々騒擾をなし剩さへ腕力に訴へんとする杯、彼等如何に暴状なるかを知るを得べし、土屋慈観師は顕本法華宗は宗祖の正意を知らずてふ演題に入る前に、顕本は対論規約取消状を発せられたる後に至ても尚取消されざる如くに呶々するは恰も盲人が提灯の火の消へたるを知らずして猶消へずと思へるが如くであるとの譬喩を以て顕本の愚盲を叱責一番せらるるや、顕本の今成は牛の吼ゆる如き声して却て富士派は盲なり杯自己が手盛りを喰はされたる点とは知らず、●て土屋師に翻弄せられたる事を持出し怒鳴りけるも、土屋師は温乎として徐ろに彼の邪妄を弁ぜられ其の証左を微されければ今成は言窮生きた証人がありとて田辺等を出さんとせしが、土屋師は何条其の手に乗るべきそんな証人は手前味噌の証人なればと見事はねつけられたり弥よ本題に入て末法に於て宗祖を本仏と崇尊すべきに、顕本は如はせずとて本仏たる所以の証拠に開目抄報恩抄及び一谷書等を引用せられければ、本多は一谷書に喰つて掛り質問せしも、土屋師は一谷書の始中終を拝見せよ開目抄報恩抄の引証を打消す証あらば出せよと詰責せられてまご附きしは外の見る眼もおかしかりき、次に大石上人登檀文底秘沈論てふ演題に入るに先だちて曰く、予は●て顕本の人に対し七箇の質問を提出し置けり、今に答弁なく幸ひ今日は顕本の人達も見ゆる事なれば答弁せよと促がされければ、此期に臨み尻込みならずとや思ひけん田辺は渋々立ちて寛尊の筆記を鬼の首でも取つたかの如くに喋々演ぶるも其当人たる田辺自身其の異義の何たるを解せざる程なれば唯寛尊の筆記を読むと云うに過きず、故に大石上人汝が宗にて取るべき顕本の何たるを明答せよと鋭く切込まれければ田辺は曖昧の言を吐き糊塗瞞却せんとしたりしも、大石上人は汝は唯だ日寛上人の筆記を其の儘演べたるに過ぎず、而して汝が宗にて取るべき顕本を明答せず、斯の如き間抜者は相手に足らず今少しにても勉学して来れと大喝叱責せられたれば、流石図太き彼も顔色変じて青菜に熱湯をかけられたる如くなりき、阿部慈照師は問答を望む切なる故に顕本宗の僧侶に法義を指南すてふ演題にて顕本が腰抜なる事は勿論法義に曖昧なる事を演べらるゝや前席来躍起となり猛り立ちたる本多等なれば、既に常度を失し立上りて質問せんと言へるを阿部師は兼て待ち受けたる事なれば本多さんどうじや質問などと気取るよりは一番対論を遣てはと促がされ、今となりては引くに引かれぬ場合となり本多も承諾する事となり期日は三月一日と約せられぬ、是れぞ阿部師が本多を幾多聴衆の面前に翻弄し大勝利を博せらるるの第一着歩なりし時に大石上人と田辺と同月同日に附帯して問答すべしとて双方契約書を交換せらる、次に釈妙覚師檀顕本宗の邪義を駁すてふ演題にて、顕本が釈迦多宝等の造仏を安置するの事の邪なる事を本尊問答抄を引て演ぜられければ、関田は威丈高に質問せしも却て釈師に反詰せられ二三言に及ばず語塞りて引下りぬ更に本多代て質問せしが反問数番釈師の論鋒鋭く遂に不須復安舎利の文を引証して反詰せらしかば、本多は是等の意義を会通する能はず、釈師に短刀直入切込まれ今両三年も学問して来れと翻弄せられ、本多は赧面満場嘲笑せり斯くて閉会の時間来りしを以て会主は閉会を告ぐるや本多等は躍起となり、阿部師に腕力を以て突いて掛りしかば富士派の幹事●に警官等之を遮ぎり取り押へ漸くにして退場せしめたり、此の日本多が腕力に訴へたる暴状等は廿七日の万朝報雑報欄に記載せられ数百万の人の物笑ひとなりぬ、当日の概況斯の如くにて顕本徒の巣窟とも謂ふべき此品川に於て演説を開会する富士派諸師は固より顕本の徒が来襲するなるべしと予て期せらたれる所なれば温厚慎重の態度を執られたるが之れに反して顕本の僧俗は同類の衆多を頼みとし冷評暴言を吐き場内狼籍を極めたり故に顕本の徒は従来の卑怯に似もやらず、斯く輙く此の席に於て問答約定を取り結びしは彼等慢悔軽蔑の気勢に乗じ富士派与みし易しと附け上りたるに外ならざるなり、ソハ彼等の形跡に微するに唯から騒ぎに騒ぎ立て彼が所謂諸宗的対論を口実に自己等のためにするに過ぎざる事は宗内三分二以上賛成者の調印を微し得ざるを以ても明かなるのみならず、個人として阿部師が対手を択ばず対論を申込めよと促戦的広告を配付せるに対しても数日の間申込むの勇気なく、また芳十亭演説も衆を頼みに騒ぎ立て妨害のみをなさんず手配ばりにて来れるも、阿部師に促がされ本多等は意気張り上自から引くに引かれぬ場合となりたるも可笑し、豈に富士派諸師深慮の在る所察せざるべけんや。さて三月一日の対論に於て顕本は準備上気勢を張り手段上富士派を制せんとするは彼が他先例ある慣手段なれば其の準備の以下に行届きしかは左の印刷せる案内状を東京市内該宗三十有余の檀信徒は勿論、其の他各所の僧俗等に配付し一人も多く押掛け気勢を張る事に努めたるを以ても彼れ等手段の如何を知るを得べし。

#07.351
案内状
拝啓、時下余寒未だ甚敷候処貴家倍々御盛栄奉大賀候、陳者来る三月一日午前十一時を期し向両国伊勢平桜に於て吾顕本法華宗と日蓮宗富士派との大問答決行仕候については宗門の大事に有之候条本宗よりは可成多数の信徒を傍聴に出し度候間万障御差操御出席被下度、御依頼旁此段及御案内候也。
明治三十四年二月廿七日              顕本法華宗妙経寺

是より先き廿六日の夜顕本の田辺は僧俗六七名を伴ふて法道会事務所に来り居合せたる山崎麻次郎氏平田太吉氏等に対し強迫的に問答条約を締結する事を申込しかば、平田氏等は問答当事者たる阿部師等不在なれば今茲に於て直に条約を結び難しと断りしも、田辺等は強いて止まざりければ、山崎氏等はされば後に当事者と計り訂正する事あるも異議なき承諾の上ならばとて条約を結ばれ、富士派会主は山崎麻次郎顕本の会主は中原福蔵にして前約の如く三月一日午前十一時より午後五時迄江東伊勢平桜に於て対論する事に決し、翌日双方の会主●に阿部師田辺氏等本所警察署に出頭問答実行の許可を願ひ出しも、不穏と認められ許さず、依て相方の弁士交る々々三十分づゝ演壇に現はれ弁ずる事として漸くに許可を得たり。

三月一日対論の景況
弥よ対論の当日になりければ、此の対論を聴かんとて朝早くより聴衆は伊勢平桜の門前に群集せり、而れども場内の準備整頓せざるため午前八時頃より入場せしめ九時三十分頃には既に場内聴衆を以て充たされたれば双方会主協議の上満員にて入場拒絶の札を門扉に貼付せり、而して場内の状況を記さんに正面一段高き中央に演壇を設け、其の左右には速記者席、記録者席、演壇の後方に弁士席立合人・会主幹事の椅子を並べ聴衆席は場内を三分して中央を局外者席に演壇より左側を富士派信徒席右側を顕本信徒席と定め・警官は場内各所に配列せられたり、当日双方の会主両名・双方より幹事十名づゝ各々胸間に微章を挿み場内の整理等斡旋尽力す、斯くて予定の時間も近づきければ双方論者登檀の順序に付き双方交渉を始められたり、然る所顕本に於ては大石上人と田辺の対論を先きにせよと主張し、又は抽籖にせよ杯云ひしも固より此の対論は阿部師と本田氏と先に芳十亭に於て締結せられ、大石上人と田辺との対論は本日附締して遣ると云ふ事なれば、先づ其の主たる方より登檀するが至当なり、殊に本多氏は阿部師の広告に対し対論を申込みたるなれば順序として本多氏先づ登檀するが至当なりと説破しければ此の正理には顕本の曲弁家も敵し兼ね言ひ解く術べもなく渋々ながら是れに応じて決しぬ、此の交渉手間取りし為め予定の時間は経過し午後零時半頃富士派方には論者阿部慈照師附添土屋慈観師記録者水谷秀道師●に速記者会主幹事を牽ひて着席顕本方には論者本多日生附添関田養叔井村恂也●に記録者速記者会主幹事等を引き連れ着席す斯くて富士派会主山崎氏に代り幹事佐々木網道氏開会の旨意即ち対論成立の次第等を演べ、顕本の会主中原氏も亦対論時間は三十分づゝの予定なりしも遅刻せしため二十分毎に交る々々論者登檀する旨を披露す、是に於て本多氏登檀経巻相承と血脉相承との当否に就て弁じ尋で阿部師登檀之を駁す斯く交も登檀すること六回づゝ前後十二席なり、其の論弁は別項速記録の如し、当日本多は紫色の衣に茶錦の袈裟を着用に及び其の風采あたりを払ふて見へたりしが、其の登檀する時は僅かに場の一隅に拍手する者あるに止りて甚だ寂莫の状況を呈し弁論中聴衆は冷評嘲笑して本多をして躍起とならしめ屡々顔色を変ぜしむ、且つ本多の携帯せる引用書類は質屋の繰り出し帳簿の如く小口々々に幾十枚となく悉く見出し札を貼附し索引に便ならしめるが如き聴衆の笑ひを買たり阿部師は如法の服装則ち薄墨の衣白五条の袈裟にて同師登檀の際には満場破るゝ計りの大喝采拍手を以て迎へられ、言々語々悉く感動を与へ言語の継ぎ目・論旨の要所に至れば殆んど耳を聾せんずる百雷の一時に震ふ如く拍手の響き喝采の声、墨田長流の岸を隔てゝも尚聞へたりとぞ、又双方の弁論の半ば頃顕本の案内状を持ち二十名余の一団強いて入場せんとしたりしが既に入場拒絶後の事なれば会主幹事等之を謝絶するも聞かず彼れ等はステツキを打振り暴行にも及ばんとせしを警官に制せられ漸く退出せり、一説に顕本の賃雇壮士なるが遅刻して入場を謝絶せられしため斯くは乱状を呈せりと云ふ、対論の第十一席目即ち本多氏弁論の半ばの頃・臨監の警部は会主に注意して曰く今日の有様を見るに●に申立てたる所とは違ひ殆んど問答の体をなせり宜しく注意すべしとの事なりければ、顕本の会主中原福蔵氏は此の旨を領し此に時交つて登檀中なりし阿部師の間近に進み双方弁論は之にて終結とすべければ師は充分に意のある所を演べられよと告げたるを以て、阿部師は本多の論旨の邪曲なる所以を論駁し、顕本宗義の宗祖正意に背ける事を簡明的切に弁じられしかば、傍聴席より富士派大勝利顕本大敗北の声続々として起り富士派万才阿部師万才と絶叫し大喝采拍手して止まず、故に阿部師は斯く満場の聴衆に於て富士派法義の宗祖正意たるを了解せらるゝ以上は本多氏の所論は倒れ顕本宗の邪曲なる事は自ら明かなれば茲に論旨を結ぶとて降檀せらるゝや、本多は約に違ひ復演壇に現はれ贅弁を喋々せんとしたりしを以て、両会主等は之れを制し聴衆は一斉に顕本敗北せり亦之れを聞くを要せずと呼ばり数百の聴者立ち騒ぎければ、臨監の警部は解散を命じ大石上人と田辺との対論も自ら消滅に帰し午後三時過ぎ散会せり、当日対論上の法義の是非邪正は予輩の喋々する迄もなく満場聴衆の判断を以ても知るを得べく、場内唯だ富士派大勝利・顕本大敗北と云ふ声のみを以て充たされ、大勝利と云へる聴衆の輿論は富士派に帰着せる事は争ふべからざる事実なりとす、然るを顕本の徒が如何に悪手段を以て曲筆誣妄を書き立つるとも亦舌を倏らかして毒言を触れ廻りて糊塗瞞却に努むとも此の富士派大勝利なる一般の輿論は事実として隠れなきなり、鳴呼本多等は慢侮の気勢に駆られ千載亦拭ふべからざる大失敗の汚辱を永く顕本の歴史上に残し天下満衆の脳裏に印し広く見聞口碑に伝ふるに至りしは畢竟彼等の自業自得と明らむるより外なかるべし。
さる程に本多田辺等は平素の慢言にも似ず斯く脆くも失敗の陋態を致せしため其の宗内信徒の不平激昂を招き且つ該宗内の僧侶にして彼に反対の意志を懐ける者のために攻撃を受くるの材料となり、外は天下万衆の物笑ひとなり彼等の名声は地に落ち立脚の地盤も甚だ危頽に傾きつゝあるを以て是れ等を鎮撫し防禦するに汲々として此の失態を回復するに努め富士派を中傷するの文書を印刷して配附し又はまけおしみ演説を開会して毒舌を揮ひ百方苦肉の策を施し、且つは口実を設けて云く阿部と本多との対論は既に決着せしも大石上人と田辺との対論は未だ実行せずして解散せられたるなれば更に対論を履行すべし、若し履行せざれば富士派は自宗の邪義なる事を自覚したるものなり抔と云ひ度き三昧の罵詈を逞ふせるも、コハ前述せる如く彼等が苦肉の窮策たるに過ぎざれば歯牙に掛くる程の価値だもあるなし、既に三月一日伊勢平桜に於ける対論は臨監警部の解散を命ずる所となりたるに於ては、同日同桜に於てなすべき大石上人と田辺との対論も随て解散せられたりとは何人も認むる所なりとす、若し然らずとせば田辺等は如何に同日同桜に於て好し解散せられたる後にもせよ大石上人との対論を要求せざりしや、然らずして該日時を過ぎて後に是れを呶々し而して富士派は自宗教義の邪謬を自覚したるものなり等と揚言する田辺等こそ最も奇怪なれ、何となれば大石上人と田辺と取り交はされたる契約には、確かに「明治三十四年三月一日(場所は交渉の上決定)「編者云く後双方交渉の上場所は伊勢平桜と定めたり」(五種顕本次は七箇の質問に対し適宜合意法論す事)の問題に付き顕本法華宗田辺善知と富士派大石日応との間に法論決行する事、若し履行せざるものは宗義の邪なるを自覚したるものとす明治三十四年二月廿六日」とありて、三月一日己後に於ては該契約の無効なる事は明瞭なり、而るを後日に至り田辺等は三百代言的の口彪を哢して云云するは却て該契約に乖戻したるものなり、弥よ彼が負け惜を表白せるものなり、既に本多は阿部師のために論破せられ満場聴衆の輿論は悉く富士派大勝利と叫びしにあらずや、斯の如く本多既に殪れたる以上は何ぞ其以下の者と対論するの要あらん螳螂の斧を以て竜車に当るとは彼等の類のみ況や彼等は契約書の三月一日云云の明文を不問に附し去て責を他に嫁せんとするをや、故に自宗の邪義なるを事実に証明せるは田辺等自身に在るなり、古語に猪が金山の燦然たるを悪み之を滅せんと欲し身を之に触るゝに愈よ光輝を発す怒て之れに触るゝこと益す甚だ激しと云へり、是れ寔に顕本徒に的切なる好譬喩と謂ふべし。
○抑も曩に富士派と顕本と両宗委員間に対論規約の締結せらるゝや、両宗緇素は勿論委員間幾多人士の視線は本問題に集注せられ或は該規約条項の不完全を唱ふる者あり、或は対論後其の去就の難きを気遣ふ者等ありて評言続出せり、故に富士派委員は最も慎重の態度と秩序ある言動とを以て子細に交渉調査する所あり終に顕本委員が規約の骨子たる宗内三分二以上対論賛成者の調印を微する事をなさず対論決行後の責を有耶無耶に附し去るの底意なる事を微証せられたるを以て決然として対論規約取消状を発するの果断に出でられたり、此の所為や宗的目睛を以て観察するに寔に一宗を代表せる全権委員として本末軽重の分と責任の帰する所とを明かにせる所為なりとす故に有識具眼の人士は対論を決行する迄もなく此秩序ある手続上に於て既に両宗の正邪を認知し其曲の顕本にある事を覚定したりき、然れども深く従来の手続きを知らず一宗委員たるの責任を思はざる者は何となく物足らぬ想ひを懐き且つ顕本の徒は毀●中傷の毒舌を揮ひ欺瞞虚偽の悪手段をなすを以て更に個人として阿部師は曩の対論規約書の論題及ひ引用書目を其の儘応用して促戦的広告を配附し顕本の徒をして黙過する能はざらしめ終に本多と伊勢平桜に於ける法論となり、一蹶の下本多を殪し以て天下万衆をして悉く今者己満足して又遺憾なからしむ鳴呼阿部師の行動も亦是れ物の軽重・事の本末を明かにし始めを慎み終りを能くする好個の巧於難問答の人と謂つべし。
○或る人は三月一日法論に付き咄嗟左の一首を賦し阿部師に示されたりと。
勁敵殪来破賊城 奇謀自在策縦横 隆々芳績君知否 博得対論第一名
○編者云く三月一日伊勢平桜に於ける対論の現状は、当日参聴諸氏が実地見聞せらるゝ如くにして、双方論者の弁論本多氏に対する聴衆の評言並に阿部師に対する拍手喝采等の景況は筆端に尽す能はざる者あり、例せば本多氏弁論の際、場の一隅の者が拍手するも之れ拍手と書き、阿部師弁論中満場拍手喝采せるも亦拍手と書するを以て、唯此の紙上のみを以て双方論者の弁論に斉しく喝采拍手ありて聴衆の感動賛否は甲乙あるなしと憶測するは、当日の現状を誤る者なり、特に速記録中本多氏の語句が比較的流暢に見ゆるは、彼の弁論中拍手喝采せる識誠に稀して間々評言をなすに過ぎざりしを以てなり、阿部師の弁論語句が連続せざる如き所あるは、同師の弁論の一言一語毎に満場の聴衆は拍手喝采せるが故に其場合止むを得ざりしなり、然れども本多の語句が比較的流暢なるも其の論旨の支離滅裂し、屡々論題外に奔逸せる事と、阿部師弁論の語句が連続せざる如きの嫌あるも其の言や簡に論旨の始終一貫せる意義の豊富なる論鋒鋭利的切に敵の急所を突くの概ある事とは、自ら速記録の意義を合●せば之を知るを得るも、本多が狼狽顔色を変ぜる等の見苦しき挙動及び阿部師が敵論を破る呼吸の妙所等は筆端の能く形容すべきにあらざれば、読者唯紙上一応の見のみを以て双方軒輊なしと遽かに臆断する勿れ。
○富士派阿部師対顕本本多師法論速記録。
○第一席 本多日生師
本日両方の間に弁論を開くことに相成りましたのは、曽て興門派の方よりして経巻相承と血脉相承との当否、一方に於て釈迦本仏論と宗祖本仏論の当否と云ふ、此の二題に付て、そうして其の論明する証拠書類としては日蓮上人の遺書録内四十巻を以て立証することに定めて、さうして両衆の正邪を論明して見やうじやないか、希望の者があるならば申込んで呉れろと云ふことを、印刷物にして諸方へ配付せられたのである、それから私共の方に於ても、其の論題に付て其の引用書目に付てさうして同意を致しました、今日此の論を開始することに相成つたのであります、そこで私は顕本法華宗の方の僧侶でありまして、此の問題の先づ第一に付て論弁をしますれば経巻相承主義を執る者でございます、則ち経巻相承主義を維持して血脉相承主義を打撃する方の側に立つ人間であります、因て今彼の宗の主張せらるゝ所の血脉相承の不可なる所以を述べて見やうと思ふ(謹聴)、此に相承と申しますことは仏滅後此の法を伝えて往くことに付て、起つたものでありまして、則ち釈迦牟尼世尊の悟りの真意を誤らぬように後世に伝へやうと云ふことが相承法の起りであるけれども今富士派に於て主張せらるゝ所の相承法と云ふものは、大分入込んで居りますからして之れを見まするには先づ二つに分けなければならない、則ち日蓮上人が其の人が法統を如何にして御紹ぎなすつたか、それから日蓮上人が主張せられたる法統を後世に以下なる方法に依て伝へられたかと云ふ此の二段であります、所が輿門派の主張に於ては今の日蓮上人と云ふのは、釈迦牟尼世尊法を説かせらるゝ時に上行菩薩として出ておいでなすつたけれどもそれは垂迹であつて其の本躰は釈迦牟尼仏が久遠の昔にまだ成仏せぬ時がある其時分に名字の凡夫であつたから其の時に心の中にお持ちなすつて居つた所の法をば釈尊の一切経の上に関係を持たずして、直接に其法をば今の名字即の凡夫・日蓮上人が承けて来て其の日蓮上人の弘められた法であると云ふことになつて居る故に、各宗の謂ふ所の相承法とはすつかり違つて居る、其のことを彼の宗旨に於ては正観直達不渡余行と謂ふ、既に妙覚円満の悟りを開かれたる仏様の心の中に映り、御言葉の上に現はれて来たものであるならば之れを皆脱益の法と称して、そふ云ふものではない則ち応身の域を控へたる方は一部皆理の上の法相であると云ふことを言ふて、すつかり法華経と雖も斥けてしまつてさうして、久遠の名字の凡夫であつた御方が末法に現はれて出られたのである、それから其の日蓮上人が日蓮滅後に法統を伝へられる方法としては、大勢の弟子の中から日興上人と云ふのを一人定めて、それへ口伝相承と云ふて書物に書かないで口から大事なことを伝へたのである、それを時の貫主が段々伝え往つて其の法統を継いで居るのであるそこで其法門の大事なことを解釈致しまするに付きましては其の時の貫主より外には其権利を持たないものであると云ふのが、彼の宗旨の主張である、其の事は今の貫主の大石師が書いている弁惑観心抄の中に御引になつて居る言葉にある、「金口血脉相承唯授一人の秘曲は宗宗に伝播する如きものにあらず乃至独り時の貫首掌握せる所なり」、そこで此の金口血脉相承唯授一人と云ふことがあつて、口づからして大事な法を一人々々へ伝へて往くもので其の大事な法を、それを承け継いで時の貫主となつて居る者一人より外には分る者ではない、先づ斯う云ふやうな工合に宗祖滅後の法統を継いで往く上に付て議論を立てられたものであります。
是れが果たして仏祖の本懐であるか否かと申しますのに、非常に仏祖の本懐を取違へて居るものであろうと自分等は主張するので何故かと言ひますと日蓮上人が御示しなされて居る所の録内に依りますれば、釈迦尼世尊の法統に拠らずして、釈尊滅後に別な仏であると云ふやうなものが出て法を弘むると云ふことがあるならば、それは断じて許されぬものであると云ふことを涅槃経に説いてあるのをば日蓮上人が御用ひなすつて、さうして此の法華経に依らずして法華経よりして別に其の久遠の名字即の精神から伝へて来たと云ふやうな議論を吐いて、そうして法華経よりも多く尊き法義が日蓮上人の精神の内から出て来た、此の日蓮上人が若し別な師資相承の本仏釈尊よりも尚尊きものであると、此の如くに其法統を紹いで来ると云ふことにならば非常に咎がある、是れは録内十の守護国家論と云ふ御妙判の中に示されて居るのである、是れには此くの如く御示しになつてある「法華経に於ては多宝釈迦・十方の諸仏一処に集まり選定して曰く令法久住於如来滅後閻浮提内広令流布使不断絶己上、此の外に今仏出来法華経末代相応既違法華経知此仏涅槃経所出滅後魔仏也不可信用之其己下菩薩声得比丘等亦不及言論此等無不審涅槃経所記滅後魔所変菩薩等也」、此の如く示されてある此の意義の大躰を見ますれば法華経は釈迦多宝十方の諸仏が御集りなすつて「其の法をば如来滅後閻浮提即ち此の全世界の上に広めて無辺の衆生を利益しやうと云ふの御思召であるので、既に釈尊の出世によつて閻浮提の衆生の救はるる法が定まつているのに、仏の滅後に新らしい仏が出て来てそうして其の法華経よりもまだ尊い法がある、法華経は仏様の御在世のためのもので末法今日の者を救ふことは出来ない、此の如きの説を主張致しますれば、是れは涅槃経に説いてある所の魔仏である、仏の慈悲心より現はれたるものには非ずして多くの者を迷はす為に現はれて来る所のものである、其れに附随ふてからに、そう云う説を主張するものは言ふまでもなく皆魔の仲間であることを御示しなさつて居る故に、日蓮上人が法統を紹がるについては久遠の正観直達と云ふことを主張するのは正しく此の御妙判に触れるだらうと思ふ、それから日蓮上人滅後に付ては断じて日蓮上人が一人の人を撰んで口から法統を伝へて往くと云ふやうな事はそう云う御趣意でないと云ふことは明白なるものである、それは唯口づから法統を伝へて往くと云ふやうな風になれば、必ず其の法が紊れて仕舞ふからして飽くまでも経典に基いて此の経典を以て総て法門を判断する標準として、そうして釈迦牟尼世尊の真意を承継いで往かなければならぬと云ふことを御主張なされて居る、其の証拠は開目抄の中に於て「縦令等覚の菩薩たりとも、手に軽巻を握らずんば用ひず」、等覚の菩薩と云ふのはもう一転すれば妙覚の悟りに入る位の大菩薩である、其の菩薩が仏法の事を解釈するのでも、釈迦牟尼世尊の説いた経典に基いて往かなかつたならば決して本統の教への伝はる訳のものでない、則ち口伝は信ずべからずと云ふことを御示しなされて居る故に、此の日蓮上人が御示しなさつた所から考へて見るといふと、興門派に唯授一人の秘法があると云つても其の事柄と云ふものは決して信用するに足らないものである、多く其の事柄と云ふものは法門の途轍を失して仕舞ふてさうして今の宗教学者が云ふ所の詰り種々様々なる病躰を呈して、所謂る経典の偽作病となつて様々なる偽書を造り或は信念の偏固となつて立派に正々堂々と正邪曲直を道理の上に争ふことが無くなつて、唯伝へてあると云ふ事柄に拘束せられてしまつて、此の人智の発達も宗教上の解釈も進歩も皆拘束せられて仕舞つて、そうして其の一人の人が万一或る事情に依つて謬つか、或は其一人が心得違ひの事をやると云ふ場合になつたならば、此の満天下を救ふべき法が其の人一人の為に悉く滅びて仕舞ふと云ふ様な事は、最も危険な相承法であつて、此の如き事柄は事実の上に於ても弊害のみ多く決して採用すべきものではないと信ずるのであります。
尚是れを立証する所の方法に付ては則ち其の理義に於ては種々ありますけれども、時間が制限せられて居るのでありますから先づ第一弁論としては是れだけのことで措くことにします。

#07・361
第二席 阿部慈照師
今日立会演説を致す事は先程の皆さんの御言葉で御了解になつて居りまするでございませうが、そこで其の問題と申しまするのが本多さんが述べられた通りでございます、向さんは経巻相承を基として、こちらは血脉相承でなければ法義が正当に解釈出来ぬと云ふ論旨である併しながら此の血脉相承を宗祖以前に遡つて説明致しますのと、宗祖以後今日我々の頭の上にかけて解釈いたすのと、此の二つがある、先程本多さんの御説にんもチヨイト宗祖以前の御話もありましてございます、併しながら其の論点はどうであるかと云ひますると宗祖滅後より今日までの所が先づ論点のように思はれますでございます、尤も私共の研究致したいといふ所の論点もそこであるから、そこでこの論点に付いて、十分研究致す精神でありますから、謹聴を願います(謹聴)。
本多さんがです、今述べられた所の経巻相承でなければいかぬ、血脉相承であつたならば必ず偽書を世に著して仕舞つて、法義を下して害毒を満天下に流すといふ御話がありましたが、是れが先づ大なる誤りである、、血脉相承であつたならば害毒を流さぬけれども、経巻相承であつたならば害毒を流すといふのは祖書に明かであります、そこで私は祖書に依つて、そうして問答躰裁の様に敷行して其の法義を十分述べる積りでありますから、他の下らぬことは余り言はぬ積りであります、と云ふのは今道理と文証と現証と此の三つに付て述べなければならぬ、其の道理と申しまするのは何だと言いますと、宗祖が血脉相承を承けて末法へ御出現になつたといふことは是れは明かである、して見たならば其の受けて来た所の血脉の法を宗祖滅後にどうなつて仕舞つた、御自分に血脉相承を受けて御出になつたならば必ず其の血脉の法といふものは其の跡を継ぐ所の弟子に血脉相承になる事は是れは道理の上に明かではございませぬか(拍手喝采。)
それから現証だ、現証と云ひますのは、私の本山即ち冨士派の大石寺だ、大石寺派は宗祖滅後其の相承を承けられた日興上人より今日に至るまで法式に少しも違つた所の証があるか、違つた所の証が無いだろう、して見たならば是れはその血脉相承が伝つて居るから、血脉相承の徳に依つて法義が紊れぬ、諸式が少しも紊れぬのである(拍手喝采)、彼の顕本の法義を御覧なさい、唯今有力の師達が智識相承でなければならぬとか、或は顕本の法義は今まで説いた所の法義より我々の説く所の法義が優れているとか、造仏を排斥する人もあれば、或は却つて排斥しない人もある(ヒヤ々々)、僧侶内のその智識のある人達が団躰を作つて居るが、其の団躰の法義趣意といふものが皆違つて居るではないか(ヒヤ々々)、是れが違つて居るのは何からぢやと云ふと、即ち血脉相承がない、血脉相承がない故に経巻相承に依つて我意に任せるから斯う云ふことを仕出して来る(拍手喝采)、そこで立正観抄に宗祖が血脉相承がなくして夫れを習ひ失つたならば必ず我意に任せて書を造るが故に、其の法義が皆紊れて仕舞ふと云ふことの証拠をここに明してある、是れは宗祖が日本へ法が参つてから伝教が血脉相承を承けて其の血脉相承が伝教以下に至つて習ひ失ひたるが故に、皆悪法になつたといふ所の文証であるのだ、といふのはね、是れは劣たる迹化の法すら尚斯の如し、況んや勝れた所の本化の法であつたならば、血脉相承といふことは、あたりまいで無ければならぬと云ふことは是で分つている(ヒヤ々々)、「天台の石塔の血脈を秘し失ふ故に天台の血脉相承の秘法を習失て我と一心三観の血脈とて任て我意に造り書を入れ錦袋に懸け頚に埋て箱●底に高直に売る故に邪義国中に流布れて」と斯ふある(拍手喝采)、若し経巻相承が仏法の正意であつたならば、何も斯ふ云ふことは御書きにならぬ、宗祖がモウ血脈相承と云うことが御正意であるのだ、此の立正観抄と云ふ御妙判はどの位の値打があるものであるかと云ふことは、日蓮宗の人は大抵知つているだらう、(ヒヤ々々)、其の立正観抄の中に宗祖が血脈相承の法義を御挙げになつて、血脈相承なかつたならば必ず法義紊れると云ふことは明かにある。
(喝采)、夫れからあの本多さんが経巻相承の証を引いた時に守護国家論を御引きになられました、マア今時分あんな御妙判を引いたつて何に手ごたへがありますか(拍手喝采)、その証拠と云ひまするならば守護国家論に智識に依るとか或は経巻によるとかと云ふことは、何を見当に宗祖が彼処へアゝ云ふ事を御書きになつたぞや、其の前の文を見たら分る、前の文に「選択集は悪智識なるが故に」と云ふこと、それに相対して言つたのである(拍手喝采)、「大勝利」と呼ぶ者あり)、して見ましたならば是れは権実相対の法門だ、今時分権実相対の法門を持つてイヤ問答でもやらうか杯はチツト……(拍手喝采、「大勝利」と呼ぶ)、今の開目抄を御引きになりましたが成程経巻を手に握らざれば云云の御文がある、開目抄も勝れた御妙判であるけれどもだ、此の開目抄を御著しになつた大聖人様即ち宗祖の御本意と云ふものは何であると云ふ所の大躰に目を着けてみれば宜い、開目抄上下二巻は血脈相承や経巻相承の為に御書きになつたのぢやないのだ、(喝采)、唯事の順序に依てあれを御書きになつただけの事である、それで開目抄を宗祖の正意と云ふものは十四巻に「開目抄と申す書二巻を作る乃至其の心は日蓮に依つて日本国の有無はあるべし乃至日蓮の魂なり」とありますを見ると、開目抄と云ふものは宗祖が日本国の魂である我を失ふは柱を倒すのであると云ふ、即ち宗祖の法華経の行者であるかないかと云ふことを御書きになつたので、経巻相承や血脈相承に毛ほども関係のない御妙判である(ヒヤ々々)、そこで開目抄の上に何とあります「日蓮は法華経の行者に非ざるか此の疑ひ此書の肝心一期の大事なれば諸書に之を書く」と言つて、肝心の法華経の行者か行者で無いかと云ふ事を顕はさんが為に御書きになつたのは分つているだろう、そこを研究せずに相承論へ持つて来たとて何の手ごたへがあるものか(ヒヤ々々)、まだ時間はありませうけれ共私独り喋舌つて居ると本多さんが待てぬからチヨツト引きませう(拍手喝采)。

#07.364
第三席 本多日生師
唯今阿部師の弁論を聞きましたが、先づ始に宗祖血脈相承を受けて御出なすつたから夫から後も血脈相承でなければならぬと云ふことを言はれた、是れは血脈相承と云ふ事を非常に混乱して居る、唯単に血脈相承と云つたならば仏様の御悟り仏様の大事な法を伝へて来るものであつて禅宗杯に於ては血脈と云へば仏心を伝へるものであります、所が興門派の主張と云ふものは其処ではない、夫は唯一応の誤であつて再応の大事に至つたならば、久遠の昔から伝へて来たものであつて今の釈迦牟尼世尊に関係を持たぬといふのは、先にも弁論した不渡余行と云ふ点に向つては弁明をせずして唯だ一応霊鷲山会上に於て釈尊から付属を受けたといふことを引証された、其の付属を受けたと云ふことは寧ろ興門派が浅く見て居るのであつて吾々顕本法華宗は言ふに及ばず日蓮宗各派に於て是れには異存のないことであります、然らば今冨士派と論究しなければならぬこと柄といふものは、それ冨士派が自ら認めて長所として居る所の久遠の正観直達であるという事を講究しなければならぬのであつて、議論を浅い方へ戻して来るといふことは甚だ不親切なやり方だろうと思ふ、其の事は立証しませうが、是れは矢張り大石日応師が書いたものは御妙判としては之れに拘束されて間違ひないといふ事にならねばならぬからそこで斯ふ云ふ工合に言つて居る、「諸御書に結要附属上行所伝の語あるは是れ経旨一片の風習・教相の一途の分別なり」、是れはホンの法華経の上つ面でそんなものは一応のものであるから、一応といふのは再応実義に対する時に捨てゝ仕舞ふものである、自分が講究の中途に於て唯だ言ふものにして、其の主義としては正観直達を執つて居るのに其の正観直達を攻撃する其の議観を弁論せずして、唯だ霊山附属に戻ると云ふ事は是れは即ち弁明の道が立つて居らぬと云ふ事を以て答へます、それから興門派の間違つたことはチツトも無いと云はれたのは、夫は自分の思ふて居られる丈けで唯そふ云ふ茫漠なる事を言ふのは、何の効力も無いものであると云ふことを以て弁駁して置きます、唯何が間違つて居る、第一自分の宗義の法統を伝へて来る血脈相承すら間違つて居ると云つて、我々は非難攻撃するを・するに当つて何も間違ひと云ふものは無いじやないかと云ふのは大変効力のない話であらうと思ふ、夫れから間違つて居ると云ふ事柄を論ずるのであるならば幾らも事実もあれば議論もあるけれ共、それは今の問題でありませぬから余り深く立入りせぬ、立正観抄を引かれて血脈相承の立証とせられましたが、是れは正しく反対の証拠であると云ふ事を論じて見よふと思ふ、それは立正観抄に言はれたのは血脈相承は習ひ失うて仕舞うからして役に立たぬという事を言はれた、法華経にもよらず大躰此の書の起りは天台宗で止観は法華経に勝れたりと思ふて天台大師の心の中から説き出された止観の方が法華経より高いと思ふに、恰も今興門派が日蓮上人の魂から出たものは釈尊所説の法華経より高ひと思ふやうなもので同一の有様であります、所が天台大師の書かれた止観が法華経より優れて居る抔といふやうな事になつて、段々議論が間違つて来たといふものは血脈相承を習ひ失うた処の咎である、夫れで血脈というものはたよりにならぬ、何処までも経典に拠つて現に●に立証して御話をします、此の妙法蓮華経と云ふものは決してその名字の凡夫が世の中に出て来てその凡夫の魂から弘めると云ふやうなものではありませぬ、又妙法は今の経文の如んば久遠実成の妙覚極果の境界にして久遠実成の妙覚極果の仏の境界であるが、決して之れを認めて是れ以上の法があるなどといふ事で円満悟りに行かぬ処の天台大師・観行即日蓮上人が貴いと言ふても本化と云ふ名があつても、名字即ならば久遠実成の妙覚極果の境界でない御方が血脈と云ふ事を御書きなすつた所が、是れは即ち法華経よりも浅い所のものであると云ふことは明かな事である、それからして此の血脈と云ふことが興門派で云ふ所の金口血脈・口から伝つて行くものを言ふたのではない、是れは天台大師自筆の血脈一紙之れ有りと云ふてチヤント書かれてあるもので、其の書いてあるものを此処へ挙げてあるので書く事も出来ない唯口から伝へて行くといふ事の証拠にはチツトモならぬものである、のみならず此の立正観抄を御送りなすつた送状がある、之れに依つて見れば「日蓮相承の法門血脉慥之れを註し奉る」という日蓮の法門に血脈のあることはチヤント此処に記して貴方の方に上げたと云ふ事が書いてある、夫れぢやから血脈と云ふ語が悪いと云ふ争ひをして居るでは無い、血脈という事は法門の血脈もあれば書物から伝へる書中の血脈もある、成仏する事も血脈といふ釈尊によつて伝へるのも血脈と云ふ、唯だ血脈と云ふ語があつてもいかぬ、実質其の一方は口で伝へる一方は書いたものだといふ既にそこが違つて居るのみならず、大躰此の書に於て此の如く戒められて居る仏様の滅後であるから法華経よりも尊い法に依らなければならぬと云ふやうな考を起すのは是れは法華経の仏様が常住不滅に在して時は末法となれ共実在常住の本仏が在ますという法華の経理を知らぬ議論である、釈迦牟尼世尊が涅槃を示されたならばそれつきり何処に御出なすつたか分らぬと云ふ様なことを云ふならば、そいつは天魔であると云ふ事をここに御示しなすつたのぢや、「然るに法華経の仏は常住不滅の仏なり然るに之れを滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり」と戒められてある、此の如く決して此の立正観抄の法華経以外に久遠の直達正観を伝へたといふやうな事は決してない、それから次には守護国家論に対して私の引証した所は弁明しないで上の経巻を以て知識とする所を御引になつて唯権実相対ぢやから斯んなものを引いたつて、いかぬと云ふ事を言はれた、是れも大変粗漏な議論であつて今此の守護国家論の論ぜられたのは決して権実相対と云ふ事ではない、此の書物に今此の事を論ぜられた所以は何から起つて居ると云ふと、末法に於て法華経をば捨てゝ外にそれより良いものがあると云ふ事を言ふに至つては、そんなものを信じてはならぬと言つて法華経を信ずるに付ての注意を御与へなすつたのである、其の表題を読んで見れば直ぐに分る、私の引用した所を権実相対という言葉を以て付けたのは甚だしき誤りであります明白な誤りである、此くの如く表題が置いてあります「亦為信法華経愚者立二種信心」として法華経を信ずる者に対して此の信行を極める所の注意を挙げられたものでありますから此の事は唯権実相対といふやうな言葉を以て斥けられるものでない、夫れなら本迹相対の場合それ以上の深い場合に入つたならば法華経はいらぬ法華経以上の法があると言つて主張された所が何処の御妙判にあるか、其の立証をしないで其の理義を弁駁しないで唯権実相対といふ如きことは真に価値のない議論であると思ふ、それから開目抄については開目抄一部の主意が日蓮上人によつて日本国の有無はあるべしと云ふ事は一大事であるから経巻相承の証拠杯に引いても仕様がないといはれた、是も甚しき誤りであらうと思ふ、凡そこんな事は弁駁する価値を持たぬと思ふ、開目抄の中に於て様々な事が論じてあつて殆んど開目抄が日宗各派に於ては一切法義の大体を総括して書かれたものぢやといふの議論があるぢやないか、然るに唯此の書の正しいといふ事が一つそこにあつたからと云つて夫れは以前に説いてある久遠実成釈尊の貴き所以或は二乗作仏の貴き所以或は一念三千の貴き所以を書いた所の此の書が肝心でないから何でもないと言はれたるが斯んな事は弁駁するの価値がない、此の開目抄に戒められてある通り此処には伝教大師の言葉も引いてあります、即ち「依憑仏説莫信口伝」「依文可伝莫信偽会」「与修多羅合者録而用之無文無義不可信受」、此くの如く明白なる御文章と云ふものをば唯日蓮が身に当つて大事と御証になつたから開目抄を以て経巻相承を立証する事はいかぬ抔と言はれたのは此の言論此の議論を駁する値うちがないという事を言つたものである、だからして立派な理義があるならば此の開目抄に論ぜられたる事柄に付いて肝心といふ事を引かれた丈けでモウ今論じられた所はスツカリ弁駁し終つて述べる事が無くなつたから止めやう。

#07.368
第四席 阿部慈照師
只今私の説に付いて弁駁を加へられまして御座りまするが、何が何だか論旨が立たぬのだ論旨に血脈相承と云ふ事があるぢやないか夫を論じて居るのに血脈相承と云ふ論旨を離れて余の事を論ずる(ヒヤヒヤ)、其の証拠と云ふものは只今私が天台の血脈云云と云ふ事を引いたのは血脈相承を習ひ失へば法が紊れると云ふ御精神だといふ事を申した、然る所が向さんは血脈相承と云ふものは習ひ失ひ易いから不必要なものだと言つて、不必要の引証に立正観抄を挙られた(ヒヤヒヤ)、いくら本多さんで見た所が宗祖の御妙判に明らかにあるのを自分の口の先で消したつて夫れは法義にならない(喝采)、そこで此の血脈相承と云ふ所の論点と云ふものは随分深くも論じられる浅くも論じられるけれ共大体の主意と云ふものは末法の今の人々が経巻が本か血脈か本かと云ふ事を研究するのは第一であると云ふのだ、何故と云ふに皆様が法を研究して仏にならうと云ふ其の精神から聴くのだらう(拍手喝采)其の法の邪正を調べて金言を以て基として調べて行かねばならぬ所が其の論題に這入らずして法体のやうな所へ掛つて行つたり、或は理想の様な所へも掛つたり、そんなら文証を挙げるかと云ふと一つも挙げない(拍手)是れは法義研究の性質法義研究の式といふものを知らないのだ(ヒヤヒヤ)若し知つて御出でになつたならば反証をやる時には私が前に引いたやうに、皆是の文に斯ふあるではないか余の御妙判に斯ふあるではないかと其の文証を挙げなければ研究の性質ではないのだ(拍手喝采)そこで向さんは次下の「日蓮相承の法門の血脈慥に奉註之」と云ふ事に付てですネ、是れは此の文は向さんにも御承知になつて居るようだ、して見ると宗祖の正意と云ふ者は此の文に依つて相承の法門の血脈と云ふものは大事なるものである経巻相承といふものは浅薄であるといふ事は明かになつて居る(ヒヤヒヤ)そこで此の相承の法門の血脈といふ事について論じて行けば分るけれ共相対しないで此文を生かして仕舞つたならば血脈相承といふものは優れて居るといふ事は承認されてしまつたのだ(拍手喝采)それから今私がだ道理文証現証と斯ふ挙げましたらう其の道理、文証現証に対して御答がなかつた、して見たならば顕本の法義といふものは只今の道理文証現証に外れて居つて自分の宗義は宗祖の本意でない事は明らかであります(拍手大喝采)。

#07.369
第五席 本多日生師
只今の弁論の趣意と云ふものは証拠を挙げて論弁しないと云ふ事でしたけれ井沢山証拠を挙げてある、あれ丈の事を聴取る事が出来ぬといふと大変便りがないよふに思ふ、夫れから道理と云ふ事を言はれたが道理と云ふものは御粗師様が血脈相承を受けて来られたからと云ふ事を以て道理として述べられたから、夫れは経旨一片の風習として汝が家に於ては捨てゝ仕舞うものでは無いか、唯浅い方へ議論を戻して来るぢやないかと云ふ事を以て兎に角高い方へ這入て正観直達を非難したのぢやそれなら其の書物を挙げて是れと云ふ事になれば是で挙げるが何ヶ条あるか覚へて貰ひたい沢山あり過ぎる、私が論じたと云ふものは今●に引証せられたのは却て興門派の常態に篏つたといふものは「天台石塔血脈を秘し失ふ故に」と云つて、余り隠しと大事なものぢやと云つて更に其の趣意も何も分らぬやうになつた、そこで「天台血脈相承の秘法を習失て我一心三観の血脈とて任て我意に造り書を入れ錦の袋に懸け首に埋て箱の底に高直に売る故に邪義国中に流布して天台の仏法を破失せる也天台の本意を失ひ釈尊の妙法を下す」どうです、別に血脈と云ふものがあると言ふて釈尊の妙法を下す有様から習ひ失うてい居る有様からピツタリ合うて居るからしてそこで之を引いたのである、それかう経巻相承でなければならぬと云ふ理由としましては、直ぐに其の次上に於て此の如くある「四依弘経の大薩●に依て仏教に造る諸論を天台何そ独り背て仏法に立玉はん無念の止観を耶若此止観依法華経に者天台の止観に同せん教外別伝の達磨天魔の邪法に都不可然哀也哀也伝教大師云非国主制無以遵行非法王教無以信受」此の法王の教に非ずんば以て信受するなしと云ふ事は釈迦牟尼世尊の時に説き玉ふたる明白なる法華経に拠らぬければならぬと云ふ事である、「与修多羅合せは録の用之無文無は義不可信受伝教大師曰く依憑し仏説に莫信口伝如此沢山●に於て教巻相承の証拠を御挙げになつて居る、実に立派なもんである、此処にもある「人師の釈を為して本と捨と仏教を見乎設ひ雖も天台の釈なりと背かは釈尊金言法華経に全く不可用之依法不依人の故に竜樹天台伝教自り元御約束なるが故也」、(天台えらいと呼ぶ人あり)、天台のみではない経巻相承あといふものに付て天台大師が主張せられた事を日蓮上人が引証をして彼を非難せられるといふものは日蓮上人が其の主義に賛成なすつたから、此の如き主義を以て誤りを正されたのぢや、然らば今挙げた所の立正観抄中に於て血脈相承のたより無い訳仏教に依り法王の教に依らぬければならぬ所以は誠に明白な事であらう、然らば只今論弁せられた所に於て只それだけあるから此立正観抄が証拠が無いかと云ふと証拠が立派にあるから之れを以て弁明して置きます。

#07.370
第六席 阿部慈照師
どうも其の論点の乱れている事といふものは「与修多羅合者録而用之無文無義不可信受」成程尤もらしいけれ共是れは権実相対といつて私は刎て仕舞つた、其の理由を之れから申ます、先づ現に自分等が「与修多羅合者録而用之」と云つたならば宗祖御妙判内外は必ず採らなければならぬ所が、外は今採つて居るかといふと私と問答をやらうといふ時には内ばかり採つて外は採らぬで仕舞つた何故といふと外といふものは先づ信を置かれぬからとかう言ふ、併しながら外の書にして見た所が内の書にして見た所が内の文と外の文と●うたものがなかつたならば外を採つても宜いだろう、「与修多羅合者録而用之」外に拠らないで自分勝手に捨てているのは何だと言ふと自分の法義に対して外の方が難義な文が多いものだから勝手に捨てる(拍手喝采)、して見たならば「与修多羅合者録而用之」と云ふのを口では唱へるけれ共心では捨てているから是れは論ずる値打はない(喝采)。
夫れから今の立正観抄に付ての血脈相承といふ事は何うしても打破れぬと見へるそこで私は少し義を教へて上げる、成程日蓮相承の法門の血脈とあるものだからしてそれで重きを置かぬのだろう、是れは血脈法門の相承と言ふ事だ●に一巻書し参らすとあるのは是はつまり相承に法躰と法義の相承と斯ふあるやうに御説きになつているけれ共其実といふものは経巻相承と云ふものは誤りが多い、若し血脈相承によらば誤りないと云ふ事だ、此の処から聴いてもらわぬと誤りを生じますよ、向さんは唯経巻相承々々々々といふけれ共単の経巻相承と之れを摂する所の経巻相承といふのと二つあることを知らぬ、此の方で見た所が血脈相承だからといつて御妙判は捨てませぬ、此の通り証拠に持ち出しますから、それは何だと言いますと血脈相承の上から建立する所の経巻相承といふものだ(ヒヤ々々大ヒヤ)、其血脈相承の上より建立する所の経巻相承と云ふ事は血脈相承へ経巻相承の法義を持つて居つて斯う当嵌めるから誤りがなく解釈が出来るのである、所が単に経巻相承と云ひますると云ふと持つて往つて当嵌める所がない、解釈するにも夫れを見分ける所の鏡がないから僻見と云ふものが起るのだ(拍手喝采)其の証拠は私が伏線を設けて置いたのは
それだ、それは今顕本宗が法義紊れて区々になつているのが是れが現に証拠だ(拍手喝采)こちらに於ては紊れないのは何んだといふと法義を血脈相承へ持つて行つて斯ふ合わせて調べて行くから間違いない(拍手)。
そこで先刻からの現象だ現象だ道理と文証を似て責めたのにも返辞なしさ、それから此の文証に対しても打消す文もない、して見ると本多さんの説即ち経巻相承の説といふものは十分私の説く血脈相承の法門に依つて打破られたとは是れはモウ明かである(拍手)唯今まで御聞きになつた所の説を以て私の説が正しいか向さんが邪かといふ事は是れは傍聴諸君の判断に任せます(拍手大喝采大勝利と呼ぶ)。

#07.372
第七席 本多日生師
唯今論弁せられた順序について弁駁しますが、始に権実相対がいかぬといふ訳を御話しやうと云ふ言葉はあつたけれ共何も述べられなかつた、それから此書が権実相対であると立正観抄を指して言はれたのは明白なる誤りである、何故なれば此の立正観抄は天台の法華によって立つた止観、一心三観久遠実成の妙覚極果の本地難思境智の妙法・此の妙法と止観とを比較して止観法華に優る否法華を捨てて止観を取るならば天魔破旬である、止観と妙法の比較をせられた何処に権実相対がありますか、是れは権実相対だといふのは正しく阿部師の弁論の誤謬は明らかであります、夫れから証拠を挙げたけれ共弁駁せぬとか反証がないとか言はれたけれ共、沢山あれ文に反証を挙げて弁論しているに夫れに対して寧ろ反駁の無いといふのは阿部さん自ら言はれるのであろうと思ふ、跡に残つて居りますのが興門派に別に内裏に間違い無いといふ議論だがナカ々々八釜しい議論があつて現に興巾派の内裏で要法寺とか西山北山とか沢山に分離しまして、そうして現に大石寺の方で受けついで居る日道と云ふ人は要法寺の方の貫主から云へば無学無智なものだが予が履物取りにも及ばずと言ふて、矢張り血脈といふものに付て非常な争が起つている事は事実でないか(「人身攻撃する勿れ」と云ひ又よせと呼ぶ者あり場内喧噪す)、夫だから事実の誤つて居る所の事柄は余り多く議論しませぬ、それで詰り夫れ丈けの事しか論弁はせられぬから先づ立正観抄が権実相対であつてここに挙げた文証に対してどうして之れを弁駁するかといふ事は意見を聴きたいものである、又血脈の上からして経巻相承を立てると言はれたけれ共、其の理義も文証も挙つて居らぬから夫れを一つ承はりたい。

#07.373
第八席 阿部慈照師
今私が現証文証道理に付て御答がないからして、して見ると云ふと彼の説は破れたと云ふことを申したに、それに御答といふものが、どふいう御答だと云ふと興門派も必ず法義紊れて居る、其の証拠は八本山になつて居つて法義の喧嘩をして居るといふ事の説であつたが、是れは大に御自分さんが其の興門派と云ふ上に於て研究が足らぬのだ、夫れで弁駁されましたから私が弁ずるが興門派と云ふのは御維新になつて法律上合併しなければならぬから八山寄つて興門派と称して居つたけれ共、其の以前は必ず皆一本山で立つて居つた(ヒヤヒヤ)、然るに法律上二十ケ年近く合同して居りつましたけれ共法義の違つた所へ合同の出来ないは明かである(拍手喝采)、故にこちらだけは現に分離して今興行派とは名乗らぬ富士派大石寺と名乗つている、興門派に合同はいやだ、一本に立たなければならぬと言つて昔に遡つて一本に立ったのは法規少しも紊したく無いからして即ち分離したのである(ヒヤヒヤ)、又唯今引いた所の御文の解釈の仕様が御分りでないからして向さんが述べないで仕舞ひましたから、私が述べまするが夫れといふものは之れを逆に私が読んで参りましたらう、逆に読んで参つたけれ共あの人が何故に御妙判を逆に読んで行つたやといふ非難を云はないだろう大切な論点でないから逆に読んで行つて講釈したらそれにはまつて居るぢやないか(拍手喝采)、そこが経巻相承の悲しさ血脈相承の尊とさ、逆に読んで行つても解釈が出来ると云ふのは血脈相承の法巾なのだ、そこで私が是れは逆に説くと御話をして置きましたが逆に読む証拠と云ひますると此の九の巻に宗祖が逆に物を判じて行つて是れが正意であると云ふ事は仰せある文証を挙げます、何処かチョット見へませぬが品んを逆次に読まばとある故帰つて見て戴くと分る、先づ法華経ですね、法華経を逆次に読めば末法を以て正となし在世を以て傍となし乃至末法の中には日蓮を以て正となすと云ふ事が書いてある(拍手)、何処の人が経文を逆から読んで行つて夫れで解釈したのがありまするか、是れ宗祖が御相承の法門であるからそういふ解釈をなすつたのだ、して見るといふと此の法義の解釈に付ては御答がないのは即ち法義を知らぬ事は分つて居る、向さんの法はもう自分から答をしないから破れた事は明らかである(大拍手喝采)。

#07.374
第九席 本多日生師
第一に立正観抄に付いてから権実相対と云つて避けられたのであるから是れは権実相対ではないと云ふ事になつて仕舞へば先に避けたのは不都合になつて来るから権実相対で無いといふ、然るに夫れに対して一つも明答が無い事があります、一つ是れが即ち論旨の窮したと云ふか落されたと云ふか答弁が出来て居らぬ、夫れから第二に血脈の上に於ての経巻相承と云ふ事を尋ねたのに其引証として唯逆次と云ふことを挙げられた法華取要抄の文である、其れが何処即ち血脈の上に経巻を立てたといふ証拠になるか、其れは唯後に至つてから段々末法の為と云ふ事が明らかになつて居るから其の経文を読んで立返つて前の方に説いてある法華経の御文意を考へたならばといふ事であります、斯ふ云ふ様な事は手紙を読むに付ても総ての読書眼に於ても誰でもやらにやならぬ事である、それを以て血脈の上に立てた経巻相承といふものはサッパリ証拠にならぬければ義理にもならぬ夫より外は、それより外に於て今少しも弁論せられないのでありますから、既に之れを以て血脈の上に経巻相承を立てた抔といふ事は大変経巻相承の論法に近づいたといふのが降伏しつつあると云ふて宜いのだ、自分主張する、平素主張して居る事柄は先きに阿部師が言はれたけれ共法門相承とあるといはれたけれ共そふ云ふ事が興門主張の中の何処にある、二点に分けるならば法躰相承と経巻相承と分るのである、然らば此れ経巻相承といふ事に付て今挙げられた如き立証であるならば最早其の論旨が我々の主張の下に服して来り、又法華経に依て推して来る事になるから、故に今少し議論があれば弁駁致しますが、最早今丈けの事であれば余り弁論する必要が無いから尚次の議論を聴くことに致しませう。

#07.375
第十席 阿部慈照師
先程から誤解されて居つたようでございまする逆次に之を読むと云ふのは此の文を逆に読んでも夫れでも法義が立つて行くのが即ち血脈相承の法の徳であるといふことだ、私が即ち逆次に読んだあの文が血脈相承の中から建立した経巻相承と云ふものは必ず此の文に依つて成立つたと云ふ訳じや無い、夫を誤解されて血脈相承の中より成立つ経巻相承は逆次に之れを読むといふ法華取要抄の文を持つて来たのは必ず夫れは違つて居るといふのは誤解されたのです、私が唯其の逆に御文を読んで行つて解釈して法義になるのが血脈相承の有難い法門だと云ふ例証に唯法華取要抄を引いたのである(拍手喝采)、それで大切の法門ですね、大切の法門といふものは血脈相承を離れて、そうして経巻相承で必ず立つものじやないのだ、若し経巻相承で立つたならば其の誤が生ずるといふ事を是れから其の例を申ます、と云ふのは宗祖が第一経、第二天台の御釈に依て一応法義を御立てになつたと云ふものは何処から起て来たかと云ふ事を考へなければなりませぬ、是れは天台と云ふ人は昔し霊山の在世に於て薬王と云ひ支那に於ては天台と云ひ日本に於ては伝教と名乗る、是れ即ち血脈相承を御受けになつて来た人である(大喝采)、それで血脈相承を御受けになつて来た人であるから説く所の法義が紊れぬからして此の法義が紊れないと斯ふ宗祖が御説きになつたそれで今仏滅して今日に至る迄随分多く宗派もありませう、あるけれ共顕本宗に言はせるといふと顕本宗といふものゝ外、仏に成れる道はない余は皆無得道だといつて責めている(拍手喝采)、そこで責められるゝのは何だといふと其れは血脈相承が無くして唯経巻相承に依て立てた宗派であるから宗祖も御責めになつたのである、諸宗の開山論師方といふものは血脈は無かつたのだ唯其の御経を見て自分が解釈して成る程是れが釈尊の正意だと言つて法義を立て来た、そこで誤りが生じた斯ふ云ふので、それで在世に於て血脈相承を受けた所の人の法門と云ふものは必ず其の誤りが無いのだ、余所は血脈相承ではない唯経巻相承を本として法義を立てたから誤りを生じたと云ふて現に今諸宗諸他門を責めて居らるるのはそれであります(拍手)、自分が責める時には血脈相承で無ければならぬと法義を立てて、そうして経巻相承を以て立てゝ諸宗諸他門を責めて置きながら、此方から責めらるゝ時には実は経巻相承だと云ふ、それは勝手な法義だ(拍手)、それで大切なる所の法門と云ふのは必ず其の血脈相承でなければならぬと云ふのは私が此処へ文証を引くのです、是れは内の十二の巻「一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し日蓮が肉団の胸中に秘し隠し持てり」と斯ふある、宗祖の一大事の法といふものは何んだ、三大秘法であらう(拍手喝采)、三大秘法と云ふものは経巻相承から出たのか、血脈相承から出たのだらう(ヒヤヒヤ)、して見たならば宗祖三大秘法を弘めんがために御出現になつた時に血脈相承に依つて受けた所の法を御弘めになるのであつたならば必ず血脈相承でなければならぬ事は明かであるのだ(拍手)、そこでこちらに於ては血脈相承あるゆへに法門と云ふものは少しも紊れぬ、その所を以て見るといふと断然血脈相承が優れである、向さんは劣りであると云ふ事は明らかであるから先づ其の判断は皆さんに願つて置くのだ(拍手喝采)。

#07.377
第十一席 本多日生師
唯今の弁論に於て第一が逆次に之れを読むと云ふ事が、其の文字を逆まに読んで行く所に血脈があるといふ事であつた、大変其れは窮屈な解釈だらうと思ふ、物を逆まに読む例へば文字を逆まにでも読んで行くと云ふ事はそういう意義で宗祖が之れを言はれたものではない、「勧持提婆宝塔法師と逆次に読めば」と云ふので文字を逆まに読む事ではない、経が勧持品提婆品宝塔品と斯ふなつて居る、是れは行者の意に依つて前を照らして行けばと云ふ事であつて血脈相承だからとて無茶苦茶に横から読み下から読むそんな事で血脈相承がある訳は無い、果たしてそんな事を以て血脈相承といへば実に法義の曲解も起り誤謬の起るは当然と言はぬければならぬ、夫れから彼の霊鷲山に於て一大事の秘法を相伝すと云ふ南条抄を引いて之れを血脈相承の証拠だと言はれたが、何故血脈相承の証拠になるか、是れは神力品の時分に於て釈尊より法の付属を受けた事で、其の法の付属を受けるのが迦葉尊者が破顔微笑したやうな工合にニッコリ笑つて唯説教もなしで受けた内緒で呼んで話されたといふものでは無い、明かに神力品に於ては結要付属と云つて結要付属の経文の所に於ては明白に皆於此経宣示顕説と御説きなすつて、皆此経に於て宣示顕説して決して隠して伝へたものでないのみならず夫れを伝へられる時に於て釈迦牟尼世尊が其の上行菩薩に言はれる己が腹へ受けているものがあるから之を伝へると云ふような事では到底末法の紊乱をどふする事も出来ぬから、「於如来滅後知仏所説因縁及次第随義如実説」と云ふて、仏の所説の経の因縁を能く知り一切義に随つて実の如く説けといふ命令がある、故に宗祖の開目抄に於ても幾ら首を斬ると言つても日蓮の主張する説が智者に破られずんば用いず、其の裏には智者あつてわが義を破るならば用ひると云ふ事で、それであるから幾ら議論に於て責められやうとも幾ら道理の上に於て反駁されよふとも、中に握つて居つて放さぬといふそんな軟弱な方法に依つて宗祖が宗旨を開いたもで無い、又其の三第秘法なるものが経文の上に説き玉はずして、夫れが日蓮上人の魂から割出して来たものであるか否やと云ふと、決してそんなものではない、其の立証としましては幾らもある、録内の二十八の治病抄の中に於ては「仏は分明に説き分け給ふれ共仏の減後より云云」とあつて、仏は分明に説き玉ふた宣示顕説と言はれた、法華の尊い所以は外の経では果分不可説と言つて説かないが、法華は果分を説いて居る、宣示顕説したものが法華経の長所と云ふ事は分る、されば撰時抄には「天台の末だ弘通し給はざる最大深秘の大法経分の面に顕然なり」と云ふのはどういふものでありましたか、日蓮上人が立派に道理がある経証に依つて各宗統一の主義を発表する事が出来ずして我は唯上行の再誕であるからと言ふそんな軟弱な筆法を以て法を弘めるものではない、モウチット議論をせよと云ふ事でありますが論駁する種がありませぬから議論する種が出れば幾らでも議論する。

#07.378
第十二席 阿部慈照師
向さんは余程弱つて御出でたから此の証文を出したらモウ破れて仕舞ふから勝劣は決して仕舞ふ、といふのは向さんが経文の面に顕然たりとか宣示顕説とか分明に之れを説くとか云ふ事を述べらて、そうしてそういうものじやないと言つて唯今引いた所の南条抄を責められたが、夫れは甚だ誤解である、何故と云ふと宗祖が三大秘法を法華経の文の上に顕然だと仰せあるのは血脈相承があるから顕然だと仰せあつた、何故と云ひまするといふと末法に三大秘法といふものが必ず生れるものと云ふ事は経文に顕然に誰が見ても分りますか分りますまい、分らぬので則ち宗祖まで、三大秘法無かつたのだろう(拍手)、無かつたのは何だと云ふと経文の面に顕然とあるけれ共宗祖の御心からは血脈相承あるから此の中に三大秘法あると云ふ事は見へるけれ共、余所の人は血脈相承といふものが無いから其の文を見た所が分らぬから現はれてなつた(拍手喝采)、それで此処へ宗祖が其の証拠を御挙げになつた十三の巻に「此経は相伝に非んば知り難し」とこふ御挙げになつた、宣示顕説とか分明に説くとか或は経文の面に明かだと云ふのは是れは血脈相承のあつた人が云ふ事で、相承の無い人は言はれない事である(拍手喝采)、して見ると顕本が今まで説いた所述べられた所の説といふものは浅薄なる事は唯今の文に依つて顕然であると思ふ(大拍手喝采富士派大勝利と呼ぶ。)
〔此の時本多氏約に違ひ起つて弁ぜんとす場内喧噪隊に臨場警官より解散を命ぜられる〕。
○編者云く、阿部師対本多氏の法論は個人的に挙行せられたるに相違なきも其の論旨は一宗の法義と見做して差閊なかるべし、何んとなれば曩きの一宗代表委員が締結せし規約書中の論題並に引用書目を其の儘応用せられたるなればなり、而れ法論決定法及び決定後の方法等は規約せられず、唯双方弁論旨意の正邪を聴衆をして判定せしむると云ふにありしなり、故に法論当日聴衆の多数が何れの論者の弁論に感動賛成せしかは当日聴衆の皆実見せる如くにして、阿部師の論旨に満場大多数の喝采拍手ありし事は毫も掩ふべからざる事実とす。
故に予輩編者は顕本従の如く後より曲筆以て論弁せんと欲たる主旨は斯しくありしとか又は論者其の者が勝手に附会糊塗の愚言を列ね強いと自己弁論の意義を補足粉飾するの卑劣をなすの類にあらざるなり、然れども予輩編者は此の書を読み双方論者の論旨の是非邪正を判定する者の秤量に供せんとす、抑も教法教理の是非邪正を論難問答するには必ず道理文証現証の三者に依らずんばあらず、此の三者は問答対論上・教法教理の是非邪正を決定すべき法軌にして之れ仏法の通規なりとす、故に此の法規に則らざる論難問答なるに於ては縦令口角泡を飛ばし千万言を費すとも亦筆を禿にし長日間の語を列ぬるとも、到底弁論の停止する所なく論旨の明晰を得ず法理の邪正をも決する能はざる所なり、斯くの如きは所謂水掛論なるものにして何の益する所なく寧ろ有識眼者の嗤を招くに過ぎず、故に其の筆端と口頭とを問はず法理の是非邪正を討窮する者堅く此の法規を尊守すべきなり、而して此の三者の方規たるや倶に相須つて離るべからず者と雖も亦自ら浅深次第のあるあつて在するなり、我宗祖大聖曰く日蓮仏法を試るに道理と文証とにはすぎず又道理文証よりも現証には過ぎずと金語誠に以へあるなり。
今阿部氏と本多氏との法論に微するに果していつ如何ぞや、抑も両論者の論旨を検按する本多は屡々論題外に奔逸し住々本仏論を混淆せるが如き論旨滅裂し意義支離す、特に経巻相承の文証に守護国家論・開目抄を引き血脈相承を駁するの現証に興門八山の状況を云ふが如き事実詮索の杜撰・証拠引用の誤謬なる論旨一も立たず、且つ問答対論上の方規には毫も箝当せざる冗言贅語を哢するにすぎず、大躰より言へば彼れの論旨は空理の一端にして恰も蛙鳴蝉噪の類のみ。
之れに反して阿部師の弁論や論格整々として語調乱れず意義最も明白なり、顕本が現に其の宗内に於て法義一定せず区々たる異解を主張し己々に仏説を唱導し宗旨の本源常に溷濁に宗門の綱紀方さに紊乱せるは、所謂る経巻相承のみに依り自己の僻見に任せて経巻を曲解するに基くものにして恰も叡山天台の末流の邪義なるに違はざる事実を列挙し、現状を対照して立証観抄を引証し顕本の乱脈を理文現の三証に照し具さに彼の非法邪義を説明駁撃せられたるは頗る痛切適切なりとす。
加のみならず富士派に於ては古住今来化儀化法秋毫も乱れず、殊に宗旨の本源基礎確立して宗祖以来歴世之れを紹隆し始終一貫末だ曽って微塵も異議を雑へたる事あらざるは実に是れ宗祖の正統血脈相承を紹継せる現証にして祖書経巻を解決するに純潔正確宗祖の正意本懐を顕彰し各派に独歩超出せる所以の者も亦之れ血脈相承あるが故なり。
若し経巻のみを見て仏法の本旨を解決するを得ば、法然にまれ弘法にまれ、其の他禅律真言浄土等各宗派の祖師等も宣示顕説の法華経を読みて其の本旨を解決悟了すべきに、然らずして却て己義を立て僻解を生ぜしは要するに血脈相承なきの現証にして顕本徒亦此れと同一般なり、斯くの如く事実現証の抹殺すべからざるに於ては顕本の所謂経巻相承なる者は到底宗祖の正意を得たる者に非ず、抑も顕本は単に経巻相承の下に宗義を立つるが故に異端百出曲解続起弥よ邪岐に迷ふ、固より当然のみ、蓋し顕本の所謂経巻相承なるものは私に云ふ所の経巻相承なる事は日什が宗祖滅後数十年の後始めて日什的法義を唱導せるを以ても之れを知るを得べし、故に宗旨の根帯は宗祖の本懐に基くに非ずして、日什が僻案附会の曲義を根本とす、換言すれば顕本は根幹枝葉果共に宗祖の本懐より生じたるには非ず、唯名を借り祖書を盗用せるに過ぎず、是れ以て其末流の輩異解を生じ己々の私義を主張し現今の紊乱を致す豈に怪むに足らんや。
蓋し相承に経巻あり師資あり血脈あり、就中血脈相承を最とする所以は経巻相承と云ひ師資相承と称するも皆血脈相承に附随含有せらる、故に富士派に於て血脈相承と云ふは主要なるを以てのゆへにして敢て師資経巻の相承なきに非ず、総て此れ等の相承は宗祖より歴世之れを紹隆せらるるなり、彼の顕本の所謂経巻相承なる自己勝手に名称せるものとは其の轍を異にせるなり。
而して富士派は血脈相承ある故に師弟相資け法統一系連綿紹隆し血脈相承ある故に経巻の正意を誤らず微塵の異解なく宗旨の本源確立し宗門の木曽鞏固に万古に渉つて変ぜず各宗派に卓絶し鎮へに法威輝す所以は則ち宗祖正統血脈相承を特有せるを以てなり、然るに日什の濁流を汲むの徒之れを羨望するの余り終に嫉妬貧婪の邪心を非望を覬覦す、恰も将門が擬宮を猿島に造り皇室を窺ふの反逆と何ぞ異ならん。倩ら阿部師の論旨と本多の論旨とを対照に孰れか宗祖の本懐に適ふや否やは正確なる道理文証現証に依るに如くはなし、蓋し法論当日満場大多数の聴衆が阿部師の論旨に感動賛成を表し拍手喝采せるは正に是れ同師の論旨が此三者の方軌に依て弁ぜられ、本多の論旨顕本の所立が邪にして富士派の法義が正なりと判定せるに外ならざるべし、依て読者も亦此の正確なる標準に憑り此書を看ば両者の邪正是非を知ること掌中の菴羅菓を見るよりも容易に明かならん、故に予輩編者は喋々冗言をなさず余は有識具眼者の判定に一任せんのみ、之れを結論となすと爾か云ふ。

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