富士宗学要集第六巻

ホームへ 資料室へ 富士宗学要集目次 メール

本迹問答十七条

此書は加藤本乗寺開墓日会の書写本なり蟲喰破損して相ひ分り兼ぬる間だ後代の為に書写し奉る者なり、後日寿師の書写本に見出し候、此の書の由来は日州塩見にて鎌倉方の一致僧・富士流難問十七箇条を打ち出す、薩摩法印日ei
上人返答成され富士の師匠開山へ送り巨細を注進すること珍師の書写の本にあり、此の本をば豆州大遠日縁書写して之を奉納せり、十七箇条に付き珍師と日会との写本・箇条の存没・問答と引証とに広略あり、珍師の写本は委悉なり両本照し合せて拝見すべし。
承・私に云はく未治と再治の不同にてもあるか古は板本なし、之に依つて年号・人名・抄名を挙げたまへり、開板は元和年中と寛永十九年との両度なり、近年宝暦年中・異本を以つて文字の開略を補ひ宝暦闕板と銘す、珍師書写本と日会の書写本になき故・爰に書き出し置く者なり。

○第十五難・迹門の内の初成久成の事・此又沙汰の限りなり、たとひ仏・迹門の時・久成の方を説きたりとも是れ本門の影なるべし、四十余年の内に説れし法華の心をば不待時の法華とて法華座席の時は正直捨方便とすて、迹門に寿量長遠の心を説くをば密表寿量とすて是れ皆本門の影と成るなり、迹門方便品の内に初成久成あらん時は二十八品にては候はで方便品二品有れば二十九品なるべし誤なり誤なり、迹門十四品は皆本門預けなり本門預けなり。
後日能く能く案するに日会の第二の難なり、日会の本の十五の難の天台沙門は富士方よりの問難なり、又三十番神も富士方よりの問難なり。    日承判

第一難(両品読の証文なり)
文永元年卯月十七日の御書
但し御不審の事・法華経は何れの品も先に申つる様に愚ならねども殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り余品は皆枝葉にて候なり、されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とをならわせ給へ又別に書き出してもあそばし候べく候、余の二十六品は身に影の随ひ玉に財の備はるが如し、寿量品と方便品とをよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり。
文永十二年三月の御抄。
 方便品の長行書き進らせ候、先きに進し候ひし自我偈に相副へて読み給ふべし、此の経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏なり(已上)。
弘安五年九月十一日の御書。                           御経方便品と寿量品との長行進らせ候、法華経は八万宝蔵の肝心十二部経の眼目なり一字の功徳は日月の光にもこえ一句の威徳は梵帝にも勝れたり。
上野殿母尼御前御抄。
 南条故七郎殿・四十九日御菩提の為に送り給ふ物の日記鵞目両ゆい白米一駄芋一駄すりたうふ、こんにゃく、かき一籠、柚五十云云、御菩提の御ために法華経一部・自我偈数度・題目唱へ奉り候。
佐渡御勘気抄。
 法華経の肝心は諸法実相ととかれて本末究竟等とのべられて候は是れなり。
 道理を以つて方便品に得益有りと我等は意得読み候なり。聖人の御本意も得益有りと思召す可く候へばこそ斯様に数通の御抄には遊されて候へ、所破と読み候時は聖人の御本意に違ふか等云云、聖人の御筆に所破に当ると云ふ現文是無し其の現文を見んと云云。
 答へて云はく、文永元・同十二年・弘安五年数通の御抄等に方便品の長行読み奉る可きの由の事尤も然なり、大聖人の御遺言として富士日興上人両品の御読誦勿論に候なり、大聖人と日興上人との両上人・方便品御読誦の本意は所破の為めなり其の故は三時弘経の次第と云ひ御付属の次第と云ひ時と云ひ機と云ひ迹門を破して本門を立つ可き謂れにて候、此の時迹門得益と立てらるゝ時は自宗廃忘の天台宗の義と同じき物なり、迹門に得益無き御抄は治病抄・西山抄・下山抄・観心本尊抄・開目抄・御勘気御抄・高橋抄・上野抄・取要抄・三沢抄・波木井抄・初心成仏抄・又上野抄此の捨余通の御抄の御本意と云ふは本門出現の時は迹門の得益なしと覚へ候、之を以つて鎌倉方の御義を大謗法とは富士方より仰せと云云、迹門所破の筆を御尋ね謂はれ無く候、得益無からん上へは所破と申さで有る可からず候、其の上天台大師云はく下若し来らずんば迹破することを得ず遠顕すことを得ずと、此の天台の釈を会して聖人の御抄に云はく天台智者大師前三後三の六釈を作つて之を会す、所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以つて授与す可からず、末法の初は謗法の国・悪機の故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召し寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以つて閻浮提の衆生に授与せしむるなり、或る抄に爾前迹門の十界の因果を打ち破つて本門の十界の因果を説き顕す此れ則ち本因本果の法門なり(文)、是即迹門を破す可き謂れにて候なり、我等迹門を読むは弘の一に云はく法華経と観無量寿経との二部の経題を唱へしむ(文)、聖人御抄に、像法の中には天台一人法華経一切経を読めり、南三北七是れを怨みしかども陳隋二代の聖主眼前に是非を明らめしかば敵終に尽きぬ、然りと雖も所破には末法万年に留めて読む可きなり、伝教大師謝表に徒に諸宗の名有りて伝業の人無し十二の律呂に准して十二年分の得度者を置く可し云云、今時迹門得益と立てさせ給ひ候はん時は聖人の仰せに御背き候か云云、旁々以つて迹門得益の義其の謂れ無く候大謗法なり。

 第二難、開目抄上(二十四)華厳乃至般若大日経等は二乗作仏を隠すのみならず久遠実成を説き隠くせり、此等の経々に二の失あり一には存行布故・仍未開権とて迹門の一念三千をかくせり、二には言始成故。尚未払迹とて本門の久遠をかくせり、此等の二の大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり、迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一を脱れたり(文)、之れを以つて知んぬ迹門方便品は二種の失一を脱れたり此れ則ち久成の方成る可きなり、此の道理を以つて得益無しと責む可きや云云。
 答へて云はく、尤も爾前権教に対すれば爾前二種の失一つ脱れたり、爾前権教の心を天台釈して云はく行布を存ずるが故に仍未た権を開せず云云、迹門の意をば始成と言ふが故に尚未だ発迹せず云云、爾前権教に対すれば迹門は二種の失一を脱れたり、所謂一念三千・二乗作仏是れなり。本門と迹門と対すれば又二種の失ありと聖人仰せらるゝ如何、次の句に然りと雖もいまだ発迹顕本せざれば実の一念三千も顕れず二乗作仏も定らず猶ほ水中の月を見るがごとし根なし草の波の上に浮べるにいたり、本門に至りて始成正覚を破れば四教の果を破ふる四教の果を破ふれば四教の因破れぬ、爾前迹門の十界の因果を打ち破つて本門の十界の因果を説き顕す此れ即ち本因本果の法門なりと、此の文の如くんば迹門に得益無しと立てたり、方便品にして久成有りと云はヾ方便品二品と成る可く二十九品の説なり如何。
 承・私に云はく珍師書写本に実の十界互具・百界千如・一念三千なるべし迄引いて、此の文を能々拝見すれば迹門得益なし所破と見へたり如何。

 第三難、云はく、いかんが広博の爾前迹門・本門涅槃等の諸大乗経をば捨てゝ但た涌出寿量の二品には付くべき云云、此の文の如くんば迹門を所破と云つて捨つると云ふこと意得ず等云云。
 答へて云はく、此の文の如んば迹門を得益有りと云つて所破と読まれずは大謗法と見へたり、如何んが広博の爾前・迹本・涅槃等の諸大乗経と見へたり、此の文を以つて迹門得益と云ふ時は爾前涅槃等の諸大乗経をも大謗法と捨てられまじきにて候誤なり、此の御抄の前後を拝見すれば諸宗の学匠等・爾前涅槃等の諸大乗経に迷惑して涌出寿量の二品を捨る所の謗法成る由を遊さるゝ所を、我物と云ふ時は今の謗法の義に付き聖人の仰せに違ふ諸処・勿論なり。
 私に云はく珍師本諸宗の学者の迷惑する処を遊されたりと見へたり迹門を所破とよまずして得益といはるゝ時は今の御義の如くば迹門のみならず爾前涅槃等の諸大乗経も得益あるべし、此義謗法なり、謗法なり。

 第四難、法華経万便品・略開三顕一の時仏略して一念三千心中の本懐を宜べ給ふ(乃)至此経一部八巻二十八品・六万九千三百八十四字・一々に皆妙の一字を備へて三十二相・八十種好の仏陀なり、又或る抄に妙法蓮華経の五字の法蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり云云、此の御抄拝見するときは聖人の御本意迹門に得益有りと思召されたり、一念三千の事は則ち方便品是れなり寿量品に一念三千建立の義無きなり、妙の一字の中に一部八巻二十八品・六万九千三百八十四字を妙の一字に備へて三十二相八十種好の仏陀成る可ければ此の妙の中に迹門もるゝこと有る可からず、方便品の一念三千の妙体・本門寿量品の妙体一にして不二なり、此の時本迹含蔵して非本非迹なり、此の時迹門即本門なり、迹門所破と云ふ事意得ず非義なり云云。
 私・珍師本に此の時は迹門も則本門となりすつべき迹門なきなり、迹門所破と云ふ事非義なり。
 答へて云はく、方便品の時仏略にして一念三千の心中本懐を宣べ給ふ、又云はく妙法蓮華経の五字の宝藏の中より一念三千の如意珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり云云、此の義謂れ無に非ず仏法は第一に仏の付嘱の次第を先とし次に時と機を詮とすべき物なり、迹門十四品の肝心一念三千の法門を像法利益の教に当つて他方の菩薩の薬王菩薩に御付嘱有り、三国の一切衆生に普く与へ給ふ是れ則ち理具の一念三千なり、本門の影と見へたり、今末法に入つて上行菩薩・塔中の御付嘱を蒙りて御出現有りて妙法五字の御唱有りて後先つ理具の一念三千は破せらる可きなり、其の故は本迹二門は経文より事起つて解釈所判・明白なり、三時弘経の中に像末の先後、教主久始の替り目・又三千五百塵点なり、付嘱を云へば彼れは迹化薬王・此れは本化上行各別なり、大聖人の仰せに云はく、爾前と迹門と相似の辺・少分有る可しといへども本門と迹門とのちがひめ天地水火なり、本迹の功徳同じと云ふ時は水火を弁ぜざる物なり、又或る抄に天台伝教の御時は理なり今は事なり観念既に勝れたる故に大難又色まさる、彼れは迹門の一念三千・此れは本門の一念三千・天地。に殊なり云云、迹門の一念三千を末法今時利益有りと云はば謗法天台宗の義に同ずる者なり。
 次に妙の一字の中に一部八巻二十八品・六万九千三百八十四字・妙の一字の中に備りぬれば迹門もれぬ上は得益なし又捨つ可しと立てらるゝ事謂れ無く候云云。
 答へて云はく、尤も法華の御法門は開会を以つて旨とすべきにて候なり、其の故は諸水入海同一鹹味にして諸水一書の大海に入ぬれば失本名字なり、本門開会の南無妙法蓮華経難と唱へて後迹門の一念三千の名字なからん上はいかなる迹門有りて本門の一念三千と等き功徳候べき、本門開会有りて妙法蓮華経と唱へて後迹門得益有りと仰せられ候はば天台宗の人々開会して念仏申すと同義に候なり云云。
 私・珍師本にいかなる迹門ありて本門と等き功徳有る可きや施開廃の三義能々思ふ時、殊に殊に迹の名字皆尽きうせぬる上は本門開会後迹の名字あるべからず、大謗法の天台宗・開会の法門を心得・念仏申し候様は或るは云はく念仏者の念仏でなし念仏開会の念仏南無阿弥陀仏と申し候やうに本門開会の後・迹門に得益ありと仰られ候も此くの如し、天台の迹でない迹門開会の迹門方便品といはんこと謗法の義に随つて同じ、能々開会を心得て妙法蓮華経唱へ奉る可きなり、本門開会の後・迹門得益ありと云はん人々謗法天台宗義に同き者なり(巳上)。

 第五難、富木殿御抄に唯仏与仏乃能究尽とは爾前の灰身滅智の二乗の煩脳業苦の三道を押へて法身般若解脱と説く時・二乗還つて作仏す菩薩凡夫も亦是くの如しと釈する成り(文)、此の御抄は則ち迹門得道の証拠なり、其の故は菩薩声聞縁覚等・迹門の中にして劫国名号授記作仏あり、所詮本門の中に劫国名号授記作仏無し是れ則ち迹門の力なり。
 答へて云はく経文御抄尤も然なりといへ共・迹門得益の人々も再往論ずる時は本門の益と見へたり、本尊抄に、寿量品に云はく、或ひは本心を失へる或ひは失はざる者あり(乃)至此の良薬の色香倶に好を見て即便ち之を服するに病ひ尽く除こり愈えぬ等云云、久遠下種・大通結縁乃至前四味迹門等の一切の菩薩・二乗人天等・本門に於いて益を得る是れなり、御書に云はく、夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり、自我偈は二十八品の魂魄なり、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏に成りたる人々の数を上げて候には小千・中千・大千世界の微塵の数をこそ上げて候へ、其の上薬王品已下の六品得道の者も自我偈の余残なり、涅槃経四十巻の中に集りし五十二類にも自我偈の功徳を仏重ねて説かせ給しか、されば初の寂滅道場に十方世界微塵数の大菩薩・天人等雲の如く集つて候き、大集大品の諸聖も大日経金剛頂経等の千二百余尊も過去に法華経の自我偈を聴聞してありし人々信力弱くして三五の塵点を経と雖も、今度釈迦仏に値ひ奉りて法華経の功徳進む故に霊山を待たずして爾前の経々を縁として得道なると見へたり、されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給ふ世間の人の父母の如し、今法華経を持つ人は諸仏の命を続ぐなり、我が得道なりし経を持つ人を捨てたまふ仏あるべしや、若し之れを捨て給はば仏還つて我か身を捨て給ふなるべし、御抄に云はく文の意は寿量品を説かずんば末代の凡夫悪道に堕せん等なり、寿量品に云はく是の好き良薬を今留めて此に在く(文)、此等の文の如くんば在世滅後殊なりと雖も衆生成仏の道は寿量品に限るべし迹門得益の人在世にも滅後にも有る可からず。

 第六難、撰時鈔に、経に云はく所謂諸法如是相と申すは何事ぞ十如是の始めの如是相が第一の大事にて候へば仏は世に出させたまふと云云、然れば則ち如是相が第一の大事にて仏の出世と見へたり、迹門を所破と云ひ得益なしといはるゝ事心得られず如何。
 答へて云はく、尤も如是相第一の大事にて仏御出世候とは此方にも意得候、先つ法華の法門には摂折二門有る可し天台伝教等の御時は摂なり、安楽行品を面として摂受の行相と見へたり、此時は迹門弘通の時節なり、今末法に入りて世も濁り人の心もひがみ邪法信ずる者・大地獄塵の如し、正法を信ずる者は爪上の土の如し、此の時は像法利益の迹門の巨益無く能持の人も摂受の行相無く旁々得益なき時に地涌御出現有りて折伏の行相を以つて小権迹等を破すべきなり、迹門弘通の時の相には南三北七を破せられしかば小権の人々にあだをなされし相・智者大師是を受けたまふ、妙楽伝教皆以つて是くの如し、今末法の始め本門の弘らせ給ふべきには諸宗を大謗法と破し迹門の一念三千巨益なしと仰せらるゝ間・況滅度後の文に当つて三類の強敵競い種々の災難に値ひ給ふ、弘長には伊豆の国・文永には佐渡が島・流難二度・御頚の座其の外の小難数知れず、是くの如きの相は仏より已後値ふ人無しと見へたり此れ即ち折伏の行相なり、此の文を引きたまふことは借迹知本と心えて聖人は遊されたり、得意の如んば聖人に御背き候かと見へたり、如是相の相の字・籤の六に相は唯た色に在り(文)、或る抄に云はく如是相とは我か身の顕れたる色形を云ふなり能能く法華経の法門は摂折二門の形相を心得可きか然らずんば大謗法なり。
 珍師本・能々法華経の法門は時と機と仏の譲状と摂と折と一々次第を心得て申す可きにて候へ。
 珍師本・第八難に云はく十如実相の御抄とし引き申さるゝ抄と、天台宗の十如実相抄と引合見るに寸分もちがはず天台の抄なり、此の抄を以つて本門弘通の時・迹門得益を立らるゝは誤の中の誤なり謗法なり謗法なり、巨細に此段申すに及ばざる沙汰の限りたり。
 承・私に云はく慈覚大師の十如抄の事なり。

 第七難、籤の一(本三十四)に迹門に正意は実相を顕すに在り、本門の正意は寿の長遠を顕すと釈し給へり、然らば迹門の一念三千を説いて後ち寿量品を説くと心得たり如何、此れを以つて知りぬ本迹一致にして妙躰同躰なり、されば結要付嘱の時・大師の釈にも本迹二門各々宗用有り二門の躰両処殊ならずと釈し給へり、此れ即ち本迹の御付嘱と見へたり、結要の時本門二門あらん上は迹門所破心得ざるなり如何。
 答へて云はく引かるゝ処の釈の如くんば我本行菩薩道の時・十界十如三千の妙理を得て後五百塵点を経たり、菩薩道の時実相証用を以つて今又寿量の長寿を顕すと見へたり、今始成正覚の実相証躰の用を以つて長寿を説くとは不可なり、次下の長寿只是証躰之用と見へたり、箇様にさかさまに意得・妙躰同とは迹門十四品に説く処の妙躰は皆本門寿量品の影と成るべし、又結要付嘱の時・本迹二門有りと云ふ事是れ又非義なり、其の故は神力品名躰宗用教五重玄の本経と云ひ釈と云ひ本門の五字に限ると見へたり、本迹二門に亘る可からず、迹門は薬王付嘱本門は上行付嘱各別なり、本迹共に上行付嘱として末法に御出現有りて御弘通有るべきにて候へば、像法の天台大師は薬王菩薩の御後身として法華迹門の御弘通虚言に成りぬ爭てかかゝる御義候べき、本経の文・天台妙楽伝教等・日蓮聖人の御抄等の如んば上行菩薩一人に限つて本門五字計りを御付嘱と見へたり、本迹二門共に付嘱とは今の謗法天台宗迷惑の義なり。

 第八難、記(十五十二)然るに此の経は常住仏性を以つて咽喉と為し一乗妙行を以つて眼目と為し再生敗種を以つて心腑と為し顕本遠寿を以つて其の命と為すと(文)云云、此の釈を大聖人八幡抄に引かせ給ひて候、然れば則ち方便品を所破とし取り捨つる時は此の釈に背き大聖人の仰に背き肝心を取り捨つるに成るべく候なり如何。
 答へて云はく、本書を見る時に此の品を釈するに他人を辨し品の前後を判ず、○慈恩安国并に之れを勧発の後に移さしむ若し此の中に在つて八相違・十不可有るなり、○然るに此の経は常住の仏性を以つて咽喉と為し、一乗の妙行を以つて眼目と為し、再生敗種を以つて心腑と為し、顕本遠寿を以つて其の命と為す而る却つて唯識滅種を以つて其の心を死し婆娑菩薩を以つて其の眼を掩ひ寿量を以つて釈疑と為して其の命を断じ、常住不変を以つて其喉を割き三界八獄を以つて大科と為し、斯れに形つて小と為し一乗四徳を以つて小義と為し会帰す可きなし、斯れに拠つて以つて論ずるに諸例して織りぬ可し(文)、此の釈を見る時は権実相対の釈と見へたり、権実相対の釈を以つて本迹相対を云はん時は悉く相違すべし、牛の跡を馬の跡につがんとするにことならず誤なり誤なり、又八幡抄を拝見仕り候へば是れ権実相対にして真言法華と相対して真言宗謗法なる故を遊されて候、是れを以つて迹門得益と云はんは謗法なり、迹門を破すること非義にして心腑を断ち失ふ物ならば大聖人と日興上人同く非義なり、天台宗は実義を立るに成る可きかと云云。

 第九難、法蓮抄に、天台大師云はく一々文々是れ真仏なり真仏・法を説いて衆生を利するが故に(文)、然れば御抄と云ひ天台大師の釈と云ひ迹門十四品の文字皆真仏なり、迹門得益無しと云ふ時は此の御抄に背く物かと云云。
 答へて云はく、天台大師の釈尤も然かなり、法華の法門は開会を旨とす、天台大師小権を破失して総付嘱を塔外にして蒙り迹門行躰一部八巻、受持読誦解説書写の時は一部八巻二十八品の文字悉く真仏なり、今大聖人は妙法蓮華経の五字を塔中付嘱として末法に御出現有りて、御弘通の時は四河入海同一鹹味して失本名字と開会しぬれば迹の名字悉く失せて唯た妙法の五字計りなり、此の時は五字則真仏なりといへども法蓮抄を拝見する時も自我偈の文字五百十字悉く真仏なりと遊されたり、方便品の文字真仏とは遊ばされず御抄の如きんば寿量品の文字の真仏なり又得益と見へたり、迹門の得益と見へず、

 第十難、方便品は現在の為めの祈祷・寿量品は当来の為めなり、此の義朗上人の御時に有りと云云。
 答へて云はく、現当の利益は寿量一品に限ると意得たり、其の故は如説修行御抄・祈祷抄・初心成仏抄・当躰義抄等を拝見する時は妙法の五字を以つて現当二世の利益あるべしと見へたり、方便は現世の為め寿量品は当来の為めと云ふ御抄全く無し、御抄に無からん義を私にはからひ仰せられん時・朗上人の御義なりとも聖人に御背きの時は謗法なり云云。

第十一難、三十番神の事、本門の御本尊と並へて懸けらるゝと・とがめ申す時に、申して云はく、朗上人の御筆御本尊に天照太神等八幡大菩薩等とあそばされて候へば等の字は義有る事に候、又諸神をあそばされ候べき謂れにてこそ等の字は候へと存ぜられ三十番神は懸けられ候なりと云云。
 答へて云はくさては私の義なり、御在世にも無し御書等にも無し、譬ひ又等の字を本尊に遊ばされ候とも私義は意得られず候、宜しく聖人の御義には私無しと承り候に私に押しての義・大聖人に御背き候かと覚へ候。

 第十二難、法華経一部八巻・受持読誦解説書写すべき事然らず候、隙の時は我等は、さ様にすべく候と云云。
 此の仰せ摂折二門にもはづれ又付嘱の次第にも背く方々謂れ無き義なり、今時は付嘱にまかせ五字計を受持読誦解説書写すべきなりと見へたり、天台云はく乃以如来四句嘱累上行と云へり方々経釈に御背き候義なり云云。

 第十三難、本迹雖殊不思議一の事。
 迹門天台宗と一同に成る間沙汰の限りなり、是れ即ち水火をも辨ぜず天地をも知らざる者なり云云。

 第十四難、一念三千の顕文は方便品に有り寿量品に一念三千の顕文無し、顕文方便品に有らん上は方便品の一念三千の法門を以つて寿量品の一念三千を同事なれば造り立べし、加様に意得候べくば方便品捨つ可きにあらず之れを以て少し得益あるべしと云云、其の故は本迹各別なりと云へども一念三千の妙躰等同なる故なり、理具事具別なれども内証は一なり云云。
 答へて云はく、法華法門の第一は開会を先とす開会に惑へば謗法たるべく候、先つ一念三千の事天台大師の一念三千と大聖人の一念三千と天地遥に殊なるべしと見へたり、其の故は天台伝教の御時は理なり今は事なり、彼れは迹門の一念三千此れは本門の一念三千なり、御抄に云はく、一念三千の観法に二有り一には理・二には事なり、天台伝教の御時は理なり今は事なり、観念既に勝れたる故に大難又色勝さる、彼れは迹門の一念三千此れは本門の一念三千・天地遥に殊なりと、此御抄等のこときんば迹門の一念三千・本門の一念三千の同と云ふ時は天地を知らざる者なり、但し南無妙法蓮華経と唱へ奉る所は則ち一念三千と成るべし、其の故は御抄に一念三千の法門は只た法華経本門寿量品の文の底に沈めたまへり(文)、本尊抄に是好良薬は寿量品の肝心名躰宗用教の南無妙法蓮華経是れなり、寿量品の文底に沈めたりと開目抄に遊されたる何にて候かと思ふ処に是好良薬は則ち妙法五字の一念三千の法門にて候けり、本門の一念三千は但だ此の五字なりと意得て候、本迹の法門天地水火なりと見へたり、御抄に云はく、一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起して五字の袋の中に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けしむ(文)。

 第十五難、申状に天台沙門と五人一同に日朗遊され候処不審に候、其の故は聖人の御弟子として天台の弟子なりと云ふ事・迹門天台大師の弟子と本門日蓮聖人の弟子と相違の時、●猴と帝釈と比する猶及ばず候と御抄に見へたり如何。
 其の時彼人申す様は聖人の安国論に天台沙門と遊されて候、是れを御覧じて朗上人も遊したり云云。
 答へて云はく夫れは再治本に候か未治本に候か、未治の時遊され候とも再治の時は其の義無し再治の時は爾なり基本書を見んと云ふ時。
鎌倉に有りと云云。
 答へて云はく法門を申さるゝ人の本書無くして申され候は虚言なり信用し難し、此の様にては鎌倉方の所立の法門・謗法疑ひ無き者なり。

 第十六難、所破の顕文・聖人の直の御筆を見候はんと云ふに、顕文無く汝が義は非義なり云云。
 答へて云はく、先に引き申す所の天台の御釈・聖人の御抄御用無からん上は申すに及ばず候、念仏者が念仏は無間地獄の業と申す顕文をこうに違はず候、法門は義理の二つに普合し候へば用ふ可し、義理を捨てゝ顕文にすがらせ給ふ事・念仏者迷惑の義に異ならず、譬ひ顕文候はずとも義理普合し候はヾ御用ひ候べきに、是れは顕文も義理も普合せり是れを御疑は迷惑の義なり云云。
 本に云はく文和三年仲春仲旬    釈日明

曰会私に曰はく、彼の御本は房州吉浜妙顕寺の御本なり、明応六年丁巳十二月・長狭糟屋の御敵・妙本寺同妙顕寺へ乱入狼藉の間、御本尊当本乗寺へ預け入れ御申す時、彼の御本尊御箱の内に候、御書其の外御聖教御座候間た同く彼の御書をも写し奉る、法門義理倶に窮むべからず候へども先師先哲の御類集に候間だ珍らしく憶ひ奉り後代の為め書写し奉る所なり、後覧は一念信解・下種の題目回向有るべき者なり、南無妙法蓮華経、上総国天羽郡佐貫本乗寺に於いて書写し奉りぬ。
明応七年戊午十一月四日      日会判

編者日人曽て房州妙本寺に於いて同山卅三代日承上人文化八年の写本を転写せるを臺本として校正延書せるなり。
識語に「釈日明」と云へるは郷師の高弟にして妙顕寺の先師なり、本乗寺は元と佐貫に在り後ち加藤(上総湊村)に移る。

ホームへ 資料室へ 富士宗学要集目次 メール