富士宗学要集第六巻

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方便品読不の問答記録

建武元甲戌正月七日、駿州富士郡上野の郷・大石寺日仙の坊に於いて方便品読不読の問答記録・問答午の半時より未の半刻に至る。
問者は讃岐阿闍梨日仙・答者は本門寺住日代・筆録者は佐渡阿闍梨日満。
日仙問ふて云はく、薬王品得意抄に云はく爾前迹門に於いてすら猶生死を離れ難し本門寿量品に至つて必ず生死を離る可し(取)意、諸御書の趣き此くの如し、故に迹門の根本たる方便品を読めば悉皆迹門を読誦すると同き間た一向方便品は読む可からざなり云云。
日代答へて云はく、大覚抄に云はく常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習ひ読誦し給ひ候へ・又別に書き出しあそばし候べし、余の二十六品は身に影の随ひ玉に財の備はるが如し・方便品寿量品を読み候へば自然に余の品は読候はねども備はり候なり(取)意、故に先聖より師に至るまで今に読ませらるなり何ぞ高開両師の義に背いて読む可からずと云ふや。
日仙再び問ふて云はく、答の義の如くんば迹門の方便品に於いて得道有りや。
日代再び答へて云はく、迹門の方便品に就いて得益の有無を論ずるに与奪破の三義有り、与とは三周声聞迹門正宗八品の内に於いて授記を蒙り五品流通を蒙り五品流通の中に於いて調達竜女の得脱を論ずるなり、天台云はく、今迹門の説を聞いて同く実相に入り即因中の実益を得たり云云、妙楽云はく、因門開け竟りて果門に望れば則ち一実一虚云云、開目抄に云はく、迹門方便品には一念三千二乗作仏を説いて爾前二種の失一つ脱れたりと書かる是を与の意と云ふなり、然りと雖も未だ発迹顕本せざれば実の一念三千も顕れず二乗作仏も定らず猶水中の月の如く根無し草の波の上に浮べるに似たりと云云、妙楽云はく本門顕れ竟れば則ち二種倶に実なり故に知りぬ迹の実は本に於いて猶虚なり此くの如き御書本末の釈是れを奪の意と云ふなり、開目抄に云はく、爾前迹門の十界の因果を打ち破つて本門十界の因果を説き顕す云云、此の如く書かるゝ是れを破の意と云ふなり、与の意の分一往文上に於いて得益を明すと雖も奪破、雙意の分再往文底に於いて得益無し、真実の得益は寿量品の文底の本因妙に限るなり、先師より此の法門聴聞せずして今生に疑惑を生ずるや、日仙重ねて問ふて云はく、得脱無くんば読むも詮なし如何、日代重ねて答へて云はく、読んで詮なくんば高開両師の読ませらるゝは謬りか又大覚抄の御文躰僻事にして謬りか。日仙閉口す。
仍て後日の為め問答記録件の如し。
 建武元年(甲)戌正月七日
右問答聴聞衆檀二十余に及ぶ、此等の諸人等日代を讃め奉り作礼敬座して去り了ぬ。
 編者云はく日主上御写本に依り爾後の新写本を以て校正を加え延べ書きとす。

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