富士宗学要集第三巻

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法衣供養談義

一、蒙六四摩耶経の袈裟変白を引く、釈門章服応法記六紙摩耶経を引く、又須弥山雨花の事。
一、安国論註終往見大集経第十法滅尽品、顕戒論下四名義七十六。
一、蒙十四七十四、法滅尽経前文を引く御書類聚第九初羅旬比丘より五色の袈裟始まる事 金山二末七十三。
釈門章服儀応法記初云く左伝に云く衣は身之章也、注に云く章は貴賤を明かにす、天子は十二章日月星辰此の二は下に照臨するを取る、山雲を興し雨を致す竜変化窮り無し華蟲即ち雉也耿介を取る此の六は衣に画く天之陽に法る也藻文章火炎上以て其の徳を助く粉潔白米能養黼断割黻悪に背き善に向ふ此の六は裳に繍す地之陰に法る也。皆百王為り以て其の徳を益する也、諸侯は竜より下の八章、大夫は藻火粉米の四章、士は藻火の二章、庶人は則ち無し文。或る絵本四九に云く、
十二章 日左月右星辰北極北辰山二左右竜二右に上り左に下る華蟲二左右衣画完彜左白猿右白虎藻二海草藻草火
囲繞形画粉米白黼マサカリ斧なり黻相背形色青白裳画
今謂く応法記に完彜を没して粉米を開き、以て二章と為す、絵本には完彜を存して粉米を合して一章と為す、然るに十二章服の図書に経第一十七紙と出づ、絵本大に同じ但星辰少異なり絵本は七耀を画き書経の図は三台を画く見る可し、応法記に宗彜を没して而も粉米を開き以て二章と為す、更に検せよ、彜●会十二十七。
黻字イ亥五十一按黻之形●古弗字。
周礼司服注疏に黻臣民の背悪向善を取り亦君臣合離之義去就之理を取る文。
袈裟変白。
顕戒論中廿四に云く比丘皆応に其の国土の衣服の色と異り俗服と異り有るべし已上梵網経也。
今謂く二西天之俗は皆な衣は白衣なり、故に袈裟白に変ずれば俗と是れ同じ、故に法滅の相と云ふ、若し吾朝是俗は白色を著せず之を思ひ合す可し。吾朝の長屋の王一千の袈裟を製す、釈書一十四同十六ウ以て唐朝に贈り一千の僧に施す云云。又鑑真袈裟一千布伽山川異城風月一天梨二千を裁納し五台の諸沙門に施す云云、遠く浄侶に寄せ誓て勝緑を結ぶ。○梁武帝五百の袈裟を須弥山の五百の阿羅漢に施す、御書十六廿九普通広釈上廿七法華伝十十一。
○浄衣身を裹みて生る事、珠林十七六已下御書卅八廿四。
左伝に云く衣は身之章也、注に云く章は貴賤を明かにす云云、天子諸侯太夫士の衣同じからず往見釈門章服応法記法衣供養談義。
夫れ人に真俗の異なる有り、衣に内外の別有り、所謂在家は則ち外教に依て先王の法服を服し而も親を敬ひ君に事ふるの礼を正す、出家は則ち内典に依て諸仏の法衣を着し報徳謝徳の行を専らにす焉、孝教註に曰く、法服とは法度の服なりと、要覧に曰く律に制度有り法に応じて作る故にち法衣と曰ふ、内外異なりと雖も倶に法度の義也、俗服とは之を論ぜず今仏制に依て略して之れを示す云云。
一、衣裳同じからざる事。
名義七十二に云く、左伝に云く上を衣と曰ひ下を裳と曰ふ云云。
一、同じく名義の事。
白虎通に云く、衣とは隠也、裳とは障也、所以に形を隠し自ら障蔽す已上。
一、衣の功能の事。
要覧上三十九に云く、釈名に曰く衣は依也、所依として以て寒暑を屁ぐ已上、疏七九十九に云く外に風寒を防ぎ内に其の身を裹む云云。
一、衣食肝要の事。
止四二十六に廿五万便の中、衣食具足を釈して云く、衣は以て形を蔽ひ醜●を遮障す、食は以て命を支へ彼の飢瘡を填む、身安く道隆し道隆くなれば本立つ、形命及び道此の衣食に頼る、裸餒安からずんば道法焉在らん已上。弘四本六十に云く衣無きが故に、裸食を闕くが故に、餒に此くの如き豈に能く専ら止観を修せん已上。
私に云く、末法に約すれば則ち道法とは信心なり、止観とは唱題なり。録外九九丁に云く有待の依身なれば着ざれば風身にしみ食せざれば命持ちがたし已上。愚案記十一五に云く、世は捨てつ身はなき者と思へども雪降りくれば寒くこそあれ。
一、衣を施す功徳の事。
商那和修因縁、御書十三二十九に云く付法蔵経と申すは仏滅後に我が法を弘むべきやうを(三十行を畧す)出生せりとこそ説かれて候已上。
田単脱裘付り斉●王貴珠の諌に依て彼の善を称する事、古事要言三十五。
一、他人の善根に随喜する功徳の事。
止七七十三に云く三世諸仏初心従り入滅に至るまで一切の諸善我れ皆随喜す、亦他をして喜ば教む、香を買売する傍に観ずるが如し、三人同じく薫ふ、能化所化及び随喜の者三善均等也已上故に施者の功徳を称歎するは諸人の随喜に擬する也。
一、法服の由来。
上を偏衫と曰ひ、下を裙子と曰ふ。採摘上十四に云く偏衫とは今法服、裙子は下に着る所の裳ぞ已上。糅抄二十六廿一に云く有る人の云く仏弟子は本腰に裳をまき左の肩に祇支を着け、上に三衣を係る、後ち阿難の因縁によつて右の肩に覆肩を着ると云云。
一、阿難因縁の事。
文の二廿九に云く阿難端正なれば人見て皆悦ぶ、仏覆肩衣を著け使む、一女人有り子を将て井に詣る、阿難を見て目視して●かず覚へず●を以て児の頭に繋く云云。
啓運五廿六に云く阿難の覆肩といふは今の横尾の事也云云。節用集之れに同じ、又云く祇支は左のかたよりかくる也、覆肩は右のかたよりかくる也。
一、偏衫の事。
要覧上四十七に云く古僧、律に依て制す、只だ僧祇支のみ有り覆膊と名く、亦掩腋衣と名く、此れ長じて左の膊を覆ひ及び右の腋を掩す、蓋し三衣を襯にす、即ち天竺の儀なり、竺の道祖魏録に云く、魏の宮人、僧の一肘を袒ぐを見て以て善と為さず、乃ち偏衫を作て祇支の上に縫ひ相従して因て偏衫と名く已上。名義七十六に云く僧祇支大同要覧今祇支の名を隠し両袖を通号して偏衫と曰ふ云云。採摘上廿三に云く根本は覆肩、僧祇支二つなるを左右を縫ひ合せて偏衫と名く云云。啓運五廿六に云く大智禅師の云く頸袖を付て偏衫とす已上。
一、同じく名義の事。
糅抄廿六廿二に云く梵語の僧祇支、此には覆腋衣と云ふ、右開左合の体に裁つ也、故に偏衫と云ふ、是れ両袖無き故也已上。私に云く本に従て名を立つる歟、謂く祇支は但だ左肩右腋を覆ふ、故に是れ偏也。衫とは文の如く両袖無き故也。韻会十二十三に云く衫は未だ袖端有らざる也云云、故に知んぬ本僧祇支の当に偏衫と名づくべき故に後ち左右を縫ひ合せ頸袖を加ふ而して偏衫と名づくる也。要覧に相従とは祇支に相従する也。名義集に祇支の名を隠し偏衫と曰ふと釈するも同意也。
一、裙子の事。
名義七十二に云く泥縛些那西域記に云く唐には裙と旧には涅槃僧と言ふ訛なり、既に帯襷無し其の将に服せんとする也、衣を集て●と為し束帯するに条を以てす已上。今時は●を畳て帯を付く云云。
一、同じく名義の事。
名義七十六に云く、釈名に云く裙とは群也、群幅を連ね接ぐ也云云。又内衣と名くる也。補註十四三十五涅槃僧、此には内衣と云ふ已上。六物抄十三要覧上四十七亦爾なり、内衣の名義如何、林四十七初に云く泥●僧身を襯するの衣と為す云云。此の意也。
一、直綴の由来。
節用集頭書に云く古は偏衫裙子二つなるを後に上下をつらねて直綴とす云云。又糅抄二十六廿二に云く偏衫と裳とを合して直綴と為す也。問ふ誰人が直綴を制する那、答ふ唐代新呉の百丈山恵海大智禅師上下を連綴し始て直綴と名く已上。
一、素絹横裳の事。
未だ来由を見ず、追て之を尋ね可し。健抄四五十二に云く天台宗の裳付の衣は慈覚大師より始まる也、根本は伝教大師の御相伝也云云、素絹之上は偏衫と同じ、唯裳に於て異なるなり云云。若し優劣を論ぜば法服はまさに勝るべし上位に応ずる故なり、素絹はまさに劣るべし下位に応ずる故なり、若し其の用を論ぜば法服は摂受行に可なり素絹は折伏の人に可也。有る人云く素絹に別に帯有るは刀劔を佩かんが為也云云。
一、本因妙釈尊の御衣の事。
問ふ理即名字の釈尊の御衣如何。答ふ云云。問ふ宗祖の御衣流々不同なるは如何。答ふ宗祖は定んで斯る薄墨の素絹なり、富士の造初の御影、生御影、鏡御影皆然なり、是れ存日、日法をして造ら令めたまふ御影也、具には別紙の如し、他流謂れを知らず放に法服及直綴を着せしむるは謬の甚しき者也云云。是の故に当流は宗祖の化儀の如く薄墨の素絹を服する也、故に開山の掟に云く、廿六箇条中に、一、衣の墨、黒くすべからざる事、一、直綴を着すべからざる事云云。問ふ祖師開山何を以て爾る耶、答ふ一には位下を表する故に、二には折伏を行ずる故に云云、横裳素絹は折伏の行に便なる故也。
一、着衣の功徳の事。
弘二末八十六に云く、鬱鉢比丘尼本生経の中に仏の在世の時此の比丘尼羅漢果を得、六神通を具し貴人の舎に入り常に出家を讃す、諸の貴人の婦女に語て言く、姉妹出家すべし、諸女云く我れ少年にして容色美なり或は当さに戒を破るべし、比丘尼の言く破らんと欲せば便ち破る、諸女問て云く戒を破らば地獄に堕ちんと、比丘尼の言く堕ちんと欲せば便ち堕ちよ、諸女笑て言く地獄に堕ちなば苦を受けん、比丘尼の言く我れ宿命を念ふに時に戲女と作る、種々の衣服を着し或時は亦比丘尼の衣を着け以て戲笑と為す、是の緑を以て故に迦葉仏の時に比丘尼と作る自ら高姓顔貌端正を恃んで心に驕慢を生じて禁戒を破る、破戒の罪の故に地獄に堕ち種々の苦を受く、罪を受け畢つて已に釈迦牟尼仏に遇へり出家得道し六通自在なり、故に出家持戒皆初に由る、仏に値ひて果を得、並に初に由る已上。戲に衣を着る功徳尚爾なり何に況んや真実に着せんをや。
一、俗人三衣の事。
止観二十四半行半坐の下に云く、俗人亦単縫の三衣を須弁するを許す文、弘二本四十九に云く三衣とは一には単縫と名く、二には俗服と名く、単縫とは却●を許さず、若し却●とは即ち是れ大僧受持の衣なり、是の故に此の衣応さに別に造るべし、世に出家の人の衣を借りる有り、深く未可と為す已上、止随二十七。
一、他家の真俗は当流の真俗と勝劣雲泥の事。
諸宗広しと雖も唯四人有り、一人は他宗の俗、一人は他宗の僧、一人は当宗の俗、一人は当宗の僧也、勝劣如何。答ふ他宗の僧は当宗の俗に劣れり、何んとなれば事相の髪を剃ると雖も未だ内心の髪を剃らず、内心の髪とは謗法の黒心也。是の故に却つて俗也。豈劣に非ず耶。当宗の俗は他宗の僧に勝れたり、何となれば事相の髪を剃らずと雖も已に内心の髪を剃る、法華経誹謗の黒心無きが故也、是の故に却て僧なり、寧ろ勝るに非ずや。古歌に、剃り落せ心の内の黒髪を衣の色は兎にも角にも云云。又他宗の僧は事相に衣を着すとも雖も未だ内心に衣を着せず、是れ則ち法華の衣を信ぜざる故也。当宗の俗は事相の衣を着せずと雖も既に内心に衣を着す、是れ則ち法華を信ずる故也。
故に知んぬ他宗の僧は却て是れ俗、当宗の俗は却て是れ僧なり、勝劣知る可し、他宗の僧尚ほ当宗の俗に劣る、況んや他宗の俗をや、当宗の俗尚ほ他宗の僧に勝る、況んや当宗の僧をや。而るに予が如き徳行倶に闕けたり、恨むらくは当宗の俗に劣る。江口の●君出家の後ち西行に贈る歌に云く、髪をろし衣の色は染むるとも仍をつれなき心なりけり。然りと雖も此の経を受持し妙法を唱ふる故に当宗の信俗は一切衆生の中に第一也、是れ自讃毀他に非ず、所依の経に拠る故也。薬王品に云く能く是の経典を受持する者有らんも亦復た是の如し一切衆生の中に於て亦第一と為す文。宗祖の云く東寺七大寺の碩徳よりも南無妙法蓮華経と唱ふる白癩の人は勝れたり云云。
一、法華経即衣の事。
経に云く、裸者の衣を得たるが如し文、又空也上人雲林院に在りて一日城に入る、老翁有り城垣に倚る、其の●は甚だ寒し歯牙相ひ戦ふ也。尊老寒を●く何ぞ此に立つ乎、対て曰く我れ是れ(松)尾明神也、頃ろ般若の味意を受く、未だ白牛の●●の車に上らず、故を以て貧癡の風我が膚を逼む、師法華を善くす願くは意有らん乎也、衣を脱ぎて度与して曰く我れ此の衣を着して法華を読む事四十年其の妙香薫じ皆な此の衣に染む、今之れを献じて可ならん乎、神悦んで之を受く、便ち披るに身相温如にして復た寒気無し、已上釈書十四六波羅蜜寺光勝下類雑五終金山抄の取意に云く、松尾の言く般若の衣を着すと雖も未だ法華の衣を着せず是の故に寒し云云、当宗に於ては法華の衣を着する故に八寒八熱の苦無き也、宗祖の云く有為の凡膚に無為の聖衣を着すれば三途に恐れ無く八難に●り無し等云云。
一、法華経の行者の衣に於ては功徳広大の事。
若し此の衣を着し自我偈を読む則は五百十体の仏、衣を着るに成る乃至一部を読み奉れば六万九千三百八十四仏に衣を着せ奉るになるなり、本因下種の妙法を唱へ奉れば則ち本因妙の教主に着せ奉るに成る也、之に加ふるに体内所具の六万九千三百八十四仏に一々着せ奉る也。御書十八十四に云く此の帷をきて仏前に詣で法華経を読み奉り候ひなば御経の文字は六万九千三百八十四字なり、一々の文字は皆金色の仏也、衣は一なれども六万九千三百八十四仏に一々きせ進せ給へる也、此の衣を給て候夫妻二人共に此の仏尋ね坐して我旦那也と守らせ給ふらん、今生には祈りとなり御臨終の時は月となり日となり道となり橋となり父となり母となり牛馬となり興となり車となり蓮華となり山となり、二人を霊山浄土へ迎へとりまいらせ給ふべし。南無妙法蓮華経已上。
能施所施随喜三人の功徳均等なり云云。
二日
一、袈沙の名義の事。
名義七十二要覧上四十云云、採摘上廿六に云く袈沙は梵語、此には不正色と云ふ、色に従つて名を得たり、之に付いて三義有り一には四分律抄に云く此の袈沙は色に従つて名を得たり、染て応に袈沙色に作るべし、味の袈沙味あるが如し、言は六味の中に袈沙味と云ふあり、五味を離れぬる味ぞ、其の五正色、五間色を離るが如く、どちらへもつかぬ青黒木蘭に染る故に不正色と翻ずる也、二には会正記に云く本是れ草の名也、衣を染む可し、故に彼の草を将て此の衣号に目す云云、言は袈沙草を以て染る故に名くるぞと也、三には新訳の華厳の音義に云く、袈沙、此には染色衣と云ふ、西域の俗人は白色衣を着す、其れに異ならしめん為の故に染色衣と云ふ已上、言は何色にても染るを袈沙と云ふぞと也、此の義は不可也。正間も染れば也。
一、三衣の事 六物図二丁
梵に僧伽梨と云ふ、此には雑砕衣と云ふ九条也、二には欝多羅僧此には中僧衣と云ふ七条也、三には安陀会此には下衣と名く五条也、五条は最も下に居す故に下衣と名く、是れ位に約す云云、此の三衣の中に於て宗祖は唯是れ五条を係け給ふ也、生御影の如し位下き故に折伏を行じ給ふ故に次下に云々するが如し。
一、袈沙の色の事、三種の壊色有り、謂く青黒木蘭也、一には青色僧祇に云く銅青也東方の青に非ず、故に注に銅色と云ふ也、事抄に銅器を酢つぼの蓋にすればさびが出る其の色也、二には黒色緇涅者也、緇は黒也涅はくり也、言は黒き泥を以てくりぞめにするぞ河底又田泥の中へ布を浸せば黒き色と成る、是が緇泥のくり染ぞ(甫註十四十四青泥木蘭云云往見)、三には木蘭色南山云く木蘭皮の汁にて染るぞ、問ふ青黒の名正色に同じ如何、答ふ六物図に云く名濫体別と、要覧の意に云く東北の青黒は正色今の青黒は似色ぞ青黒と言はずして何んとも名く可きやうなし故に訳者青黒の名を借れども染る躰は一向各別也。
一、黒衣を斥ふ事。
録外二十一三十云く法鼓経に云く黒衣謗法は必ず地獄に堕つ文。私に云く北方の黒色を斥ふ歟。
又六物図五に云く自ら色衣を楽ひ妄に王制と称し過を飾ると云ふと雖も深く謗法と成る云云之に例して知る可し云云。
一、藍消染を斥ふ事。
採摘に云く藍染にするは非法ぞ僧は藍染の家へ行くさへ制衣なる故ぞ私に云く有る人の云く藍を苅り俵に入れ其れを腐らかす也、随て虫多く生ず此の虫の少長を見て藍の腐不を知る也。当に能く腐る時に当りて、藍と虫と倶に臼に入れ舂き潰す也、故に最も不浄の甚しき者也云云。
一、一般門流の上人色衣の事。
金山二末七十三往見又羅旬比丘事。
中正論二十八十六に云く吾が宗の上人の色衣は木蘭色を用る也、而るに此の木蘭皮に香気有り、故に此の色になぞらへて染れば香衣とも云ふ也。而も之を着るは平僧に簡異せん為也取意、私に云く色衣とは紫衣の事也、採摘中四に云く自ら色衣を楽ふとは紫衣の事ぞ已上、而香衣亦た色衣と云は黒衣に簡異せん為歟云云、今謂く彼の門流平僧に簡異せんと欲して却て他宗に濫す是れ一の不可也、平僧又黒衣を着する故に他宗に濫す是れ二の不可也。況んや復た宗祖の化儀に非ず是れ三の不可也。問ふ当流の如きは平僧貫首倶に是れ薄墨也寧ろ濫す可きに非ず乎、答ふ更に濫す所無し見て自ら知る可し云云。
一、紫衣の初め并に紫衣を斥ふ事。
要覧上四十二に云く僧史略に云く唐書を按ずるに則天の朝に僧法朗等九人有り、重て大雲経を訳し畢て並に紫袈沙銀亀袋を賜ふ、此れ衣を賜ふの始め也、自後諸代此の賜を行ふ已上銀亀袋とは錦綉の頭書五十八書に云く、府に魚袋と註に云く古の●袋魏の文易るに亀袋を以てす唐魚袋に改む一品自り六品に至る皆魚袋を服す以て貴賤を明にす三品以上は飾るに金を以てし五品以下は飾るに銀を以てす云云、又和国にも之れ有り、朗註十十四橘正道の詩に銀魚は腰底に春波を辞す云云、註に云く銀魚とは銀の魚袋也、天上人節会の時腰に付くる也、魚の袋とは帯のかざり也、金銀を以て魚形を作る也云云。蒙求下に云く孔愉亀を放つ、註に云く、孔愉、字は敬康、会稽山陰の人也、建興の初出て亟相●と為る、後ち華軼を討つの功を以て余不亭侯に封ぜらる、愉嘗て行て余不亭を経、亀を籠る者を見る愉買て之を溪中に放つ亀中流にして左顧する事数回、是に及んで侯印を鋳る、而して印亀左顧す三鋳るに初の如し印工以て愉に告ぐ、愉乃ち悟る遂に佩ぶ、已上、芳心有る可き者也。
紫衣は仏家に用ひざる衣也、故に六物図に云青黄の五綵真紫の上色は流俗の貧る所なる故に斉く削る也、削るとは斥除ぞ。
『資持記下一五丁に云く嘗て大蔵経を考るに但だ青黄木蘭の三色のみ有て如法也、今時の沙門多く紫服を尚ぶ、唐紀を按ずるに則天の朝に節懐義宮庭を乱す、則天寵用して朝議に参ぜ令む、僧の衣色の異を以て困つて紫の袈裟を服し金亀袋を帯せしむ、後大雲経を偽撰し十僧を結し疏を作りて進上す、復十僧に紫衣亀袋を賜ふ、此の弊源一たび洩るるに由て今に返らず、無知の俗子跡を釈門に濫り内修を務めず、唯外飾に誇る、矧んや輙く年之上に預り、潜して大聖の名を称し国家之未だ詳かならざる所、僧門の挙げざる所に貧婪●悋之輩をして各奢華を逞うするを致さしめんや、少欲清浄之風、茲に於て墜滅す且く儒宗人倫之教則ち五正を衣と為す、釈門出世之儀は則ち正間倶に離る故に論語に云く紅紫は以て●服とも為さず、至つて況んや律論の明文判じて非法と為す、苟も信受せず、安くんぞ則ち之を為さんや文。』
論語第九陽貨篇に云く紫之朱を奪ふことを悪む云云、又第五郷党篇に紅紫は以て褻服とも為さず已上。註に云く紅紫は間色正しからず且つ婦人女子の服也、●服は私居の服地已上、白桜桃下紫綸中今時云云、儒家尚ほ爾也況や仏者をや、然りと雖も往古は国王より賜ふ故に是れ仏誡と雖も且く国風に准ず、今自ら懇望す実に是れ不可ならん。
一、問て云く扶桑記に云く伝教大師八幡大菩薩に奉ぜんが為に神宮寺に於て自ら法華経を講ず、乃ち聞き竟て大神託宣すらく我れ法音を聞かずして久く歳年を歴る、幸ひに和尚に値遇して正教を聞くことを得たり、兼て我が為に種々の功徳を修す至誠に随喜す、何ぞ徳を謝するに足らん矣、兼て我所持の法衣有り即ち主に託宣して自ら宝殿を開き、手ら紫の袈裟一、紫の衣一を捧げ和尚に奉上す、大悲力の故に幸に納受を垂る、是時禰宜祝り各歎異して云く元来是くの如き奇事を見ず聞かざる哉。此れ大神所施の法衣は今山王院に在り已上。
御書二十七六蒙卅二五十二八幡は是れ釈尊の応迹也、既に紫衣を賜ふ何ぞ仏誡ならん、答ふ仏神の内証は凡の測る所に非ず、仏誡とは具さに六物図の如し云云、且く之を会せば随方毘尼の意歟、御書十八三十一随方毘尼と申す戒の法門はいたう事かけざる事をば少々仏教にたがふとも其の国の風俗に違すべからずの由仏一戒を説き玉へり已上五分律に云く是れ我が語と雖も余方に於て清浄ならずんば行ぜざるに過無し我が語ならずと雖四十八も余方に於て清浄ならば行ぜざることを得ず、文、谷響引統記卅四十九云く釈氏の喪服を論ずる涅槃諸律竝に其の制無し智者臨終に誡て云く世間哭泣の喪服皆応に為るべからず遠師喪儀を按ずるに云く受業の和尚は父母に同じ皆三年の服也乃至述べて曰く今人無識多く白布を用て直綴坐具と為す、僧儀に違失す、最も非法と為す今請ふ黒布偏衫の下に於て白袗袴を著て以て制服を表すべし、乃至随方護法当に中道を用ふべし已上先づ須く彼の国の風俗を知るべし父母師匠は三年の喪也。論語の序に云く四月己丑孔子卒年七十三魯の城北泗水に葬る弟子皆心葬を服すること三年にして去る已上、統記卅四九云く孔子曰く子生れて三年然る後父母の懐を免る故に報ずるに三年の喪を以てす已上大師の三年の服と云へるは此の風に准ず、問ふ喪服如何、答ふ素服なり世間に色と云ふ是れ也、拾言追加五云く●嚢抄に云く、親の喪は居る人浄衣を着るを以て色を着ると云ふ也、喪の間は素服を着す可き故也、論語に云く●裘玄冠しては以て弔せず、孔安国の註に云く喪には素を主とし吉は白を主とす已上統記の意に云く彼の国の風俗は三年の喪の間は素服を着す故に無識の釈氏一向に彼に准じて多く白衣を用ゆ直綴坐具と為す此れは是れ過ぎたる也、又仏制無しと云ひて但だ黒布を用ふ亦及ばざるが如し故に黒布の偏衫の下に白布の袴を着す可し此れ則ち中道なり故に随方護法当用中道と云ふ也云云。之れに准じて之を知る、八幡の紫衣を賜ふは随方の義の辺歟。日本亦是れ紫衣を貴ぶ故也、況や復教大師は像法の導師なり、其の位を論ずれば観行即なり、其の行を論ずれば摂受門なり、今は末法其の位は理即名字、其の行は折伏門、天地水火なり、何ぞ是れ一例ならん、況んや復彼は八幡之を賜ひ今は自ら之れを望むは何ぞ一例ならん乎。採摘中廿八に云く孔安国云く賤にして貴服を服す之れを●上と謂ふ、●上は無礼国の●賊也云云。要覧上四十二に云く大安寺の僧修会詩を能くす、制に応じて方思清俊なり一日帝紫衣を乞ふを聞く、帝云く汝に於て惜からず但だ汝が相を観るに闕有り未だ賜らざる也、賜て着して寺に皈るに及んで忽ち暴かに病て卒す、近代亦屡此の人有り已上。
一、宗祖薄墨之素絹五条を服し玉ふ証拠の事。
一には現証、生御影等前の如し、又真間弘法寺に御衣袖あり正く是れ薄墨也。二には文証、録外十五三十三四菩薩造立抄に云く白小袖一つ薄墨衣一つ同色の袈沙一帖給はり候已上、富木殿云云 問ふ宗祖是くの如くなる所以如何、答て云く一には他宗に簡異して順逆二縁を結ばんが為也。六物図初云く僧祇律に云く衣は是れ賢聖沙門の標幟なり、採摘上十七云く標幟とは旌じるしぞ標の字は樹のずはい也、群木の中に抜き出たるあれば即其の木を知るぞ幟は記也、旌は家々の紋をしるして挙れば誰が衆と知るるぞ其の如く外道と沙門と分たんために袈沙を制するぞ故に標幟と云へり、済縁記に云く軍中の旗幟別つ所有る故已上、是は在世に約する也滅後亦爾也。禅念真言等の外道は七条九条黒衣直綴を着す、宗祖大聖人本門の行者は薄墨の素絹五条を着す、是の故に源氏の白旗平家の赤旌よりも明か也、故に信ずる者は走せ集り信ぜざるは敵対す故に順逆の二縁を結ぶ也。
問て云く一致門流又法服七条黒衣直綴を着するは如何、答て云く彼等は宗祖の門人に非ざる也、録外二十二十三云く譬へば味方に入て敵の旗をさゝば味方といふべき歟、其の如く法華経の行者と云ふべき歟転用、二には教弥実なれば位弥下る故也、御書十六六十五に云く四味三教より円教は機を摂す爾前円教より法華経は機を摂す迹門より本門は機を尽す也、教弥実なれば位弥下るの六字意を留めて之を按ず可し已上、経の浅深に依り下機を摂するに於て尽不尽有る也、故に能弘の師亦高下有り所謂迦葉阿難は小乗を弘む、教弥権なる故に位弥高し、羅漢果に居する也、是れ小乗の極果也、竜樹無著等は権大乗を弘む則ち初地の位也名義一三十一、南岳天台は迹門を弘む是の故に観行相似の位也、宗祖は正しく本門を弘む、故に名字即の位也、日蓮は名字即の凡夫也と云云、教弥実なれば位弥下るとは是也、故に下位を表して素絹五条を着する者也。
『宗祖の血脉抄に云く日蓮は名字の位なり、弟子旦那は理即の位也云云』
其の色薄墨なる事は名字即を表する也、謂く泥色の中に於て六即を分つ、但だ是れ白色なるは理即也、薄墨なるは名字即也乃至究て黒色なるは究竟即也。
此くの如く深重の義有り、是の故に薄墨素絹の五条を着する者なり、此の現証文証道理の所表を知らずして漫りに七条法服色衣黒衣直綴を着す大聖人の門流に非ざる也。如幻三昧経に蓮華衣と名くと云云之れを思ひ合す可し有る時薄墨の衣に白袈裟を着す、蓮華の淤泥に生じて淤泥に染まざるを表す、経に云く不染世間法如蓮華在水文玄七四十七孝経大義十二云く先王の法服に非んば敢て服せず、先王の法言に非ずんば敢て道はず、註に云く法服とは法度の服ぞ、先王の礼を制するに章服を異にし以て品秩を分つ、卿は卿の服有り、太夫は太夫の服有り、法言とは法度の言ぞ、若し非法の服を服せば是れ僣なり非法の言を道ふは是れ妄也已上。僣とは随問八五十二に云く論語疏に云く下として上に濫するを僣と曰ふ已上、啓運抄卅五九に云く孝経の註に云く賤にして貴服を服す之れを僣上と謂ふ、僣上を不忠と為す已上、外典尚を爾なり何に況や内典をや、七条法服黒衣等を着するは先師の法服に非ず、則非法の服を着す豈に僣上に非ず乎、況や本迹一致の妙法と言ふ、先師の法言に非ず是れ非法の言なり寧ろ妄語に非ず乎。
一、当流の信者は他流の僧に勝るる事。
既に此の経を受持して本門の妙法を唱ふ故に於一切衆生中亦為第一にして東寺七大寺の碩徳に勝るる也。三衣を着せず不浄衣を纒ふと雖も既に真実の仏子なり、譬へば天子の襁褓にまとはれ大竜始めて生ずるが如し云云。
一、設ひ家臣と雖も妙法受持の僧に於ては尊敬す可き事。
補註九二十四分律を引いて云く賓頭盧は本と是れ優填大王の臣なり、精勤に由て王放して出家せしむ、羅漢を得、王後時に於て城を出て参礼す、其の寺城を去る二十里に有り、時に諸の佞臣賓頭盧起て王を迎へざるを見て即ち悪心を以て王を諌む、王佞言を受て危く之れを殺さんと欲す、賓頭盧後王の門に入るを見て即便ちに床を下り七歩して之を迎ふ、王曰く大徳由来動し難し而に今席を避けて迎るは何ぞ耶。賓頭盧の云く王前きには善心なり故に起ちて迎へず、今悪意を懐く若し迎へずんば必ず当さに害を見るべしと、王の曰く善哉、弟子妄りに佞言を受けて凡聖を知らず、王請ふて過を悔ひ地獄を免ると雖も然れども賓頭盧王に記して云く僧の起迎すること七歩するに由て却て後七年にして必ず王位を失はん、王後に於て所説の如し已上、賓死を恐るるに非ず王の堕獄を恐る故に転じて位を失はしむ云云。
御書十六七十に云く問ふ汝が弟子一分の解無くして但だ一口に南無妙法蓮華経と称す其の位如何、答て云く此人は但四味三教の極位竝に爾前の円人に超過するのみに非ず、将又真言等の諸宗の元祖等に勝る事百千万億倍にならん、請ふ国中の諸人我が末弟を軽んずること勿れ、進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養する大菩薩、退て未来を論ずれば八十年の布施に超過し五十の功徳を備ふ可し、天子の襁褓に纒はれ大竜始めて生ず蔑加すること勿れ、妙楽云く若悩乱者頭破七分有供養者福過十号と、優陀廷王は賓頭盧尊者を蔑如して七年の内に身を喪失す、相州は日蓮を流罪して百日の内に兵乱に遇ふ、罰を以て徳を推するに我が門人等は福過十号疑ひ無き者也、南無妙法蓮華経。
三日
一、十論経に云く解脱幢相の衣を被り、彼に於て悪心を起すは定めて無間地獄に堕す文。又心地観経に云く袈裟は神力不思議あり能く菩薩の種を植え令む、道芽増長すること春苗の如し菩薩の妙果は秋実に類す、雷電霹歴天之怒も袈裟を被る者は恐畏無し、白衣若し能く捧持せば一切の悪鬼能く近づくこと無き也。
類雑三五十八問て云く自他宗の袈裟等に此の功徳有り耶、答て云く功能浅深天地水火也、今経の序品に剃除鬚髪而被法服之文を釈して云く記三中十四云く経に被法服とは瓔珞経に云ふが如き若し天竜八部闘諍せんに此の袈裟を念ぜば慈悲の心を生ぜんと、意は比丘をして安んぞ忍びざるべけんとをもふ、亦俗の衆をして慕楽を生ぜしむ故に竜一縷を得牛角一触す云云、然も必ず須く行体を弁じ教を顕し以て味殊を分つべし文。
文意を示す二意を以て消せり、一には出家に約す、天竜八部すら袈裟の功徳を念ふて闘諍の意を止むるのみならず還て慈悲心を生ず、況や比丘をや、私に云くなにゆへに捨てたる身ぞと思ふぞや心にはぢよ墨染の袖と云云、二には俗衆に約す、竜畜すら此くの如し況や人間をやと思ふて出家入道を慕は令んが為に天竜八部と云ふ也。
一、竜得一縷とは林四十七五採摘上廿五海竜王経に云く竜王仏に白して言さく此の海中に無数種の竜の如き四つの金翅鳥有りて常に来つて之れを食ふ、願くは仏擁護して安穏を得令めよ、是に於て世尊身の●衣を脱ぎ竜王に告ぐ汝是の衣を取て諸竜を分与し皆周●せしめよ中に於て一縷に値する有るの者は金翅鳥王も触犯する能はず已上故に救竜衣と名る也。林四十七五に云く金翅鳥王其の身極大にして両翅相ひ去ること六千余里乃至鳥が竜を食ふ時翅を以て海を搏つに水●けて竜現ず而して取て之を食ふ云云。
牛角一触とは啓運七五十九義決に云く●梵波提過去に牛身を受け角を以て一たび袈裟に触るる此の因縁を以ての故に今日仏の出世に値て道得と文。
一、然も必ず須く行体を弁じ教を顕し以て味殊を分つべし云云。是れ肝心の文也、意に云く功徳然なりと雖どせ能く宗々の行体依経の権実を弁じ而して当さに功徳の浅深を知るべき也云云、禅念仏真言の所依の経は方等部の摂なること古来事旧りたり故に未顕真言の行体権教方便の教味也。当宗所依の経は諸経中王の行体真実究竟の教味也、故に袈裟の功徳亦爾り一滴と大海と一塵と大山と沙と金と星と月との如し、況や復彼々の宗々謗法の罪あり、所謂禅宗の教外別伝、念仏の捨閉閣抛、真言の第三戯論皆是れ法華誹謗の大罪なり、故に知る其人命終入阿鼻獄の袈裟衣也。又彼の宗々の弟子旦那も亦阿鼻獄は疑なし例せば勝意苦岸の如し。御書十三三十三に云く勝意比丘苦岸比丘なんど申せし僧は二百五十戒を堅く持ち三千の威儀一も闕けずありし人なれども無間地獄に堕ちて出る期を見ず、又彼の比丘に近付て弟子となり旦那となる人々存の外に大地微塵の数よりも多く地獄に堕ちて師と倶に苦を受けし也已上。
罪を以て徳を推するに妙法受持の信者は宗祖と倶に楽を受くべし已上、問て云く大集月蔵経の第十廿八法滅尽品に云く頭を剃り袈裟を着し持戒及び毀戒にも天人彼れを供養すべし則我れを供養するに為りぬ是れ我子なり、若し彼れを罵辱せば則ち我を毀辱するに為りぬ已上畧抄、料り知ぬ善悪を論ぜず自他を択ぶこと無く出家為るに於ては之れを尊敬すべし何ぞ堕獄の人と云はん、答て云く御書一廿二に云く明かに経文を見るに猶ほ斯の言を成す心の及はざる歟、理の通ぜざる歟、全く仏子を禁ずるに非ず、偏に謗法を悪む也已上。経に云く今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子文、又云く我亦為世父救諸苦患者文、然るに禅念仏真言等は不孝の子なり仏子に非ざる也。
一、善星比丘は仏の所生の子也、然りと雖ども仏に背き法を謗るの故に無間に堕つ何ぞ仏子と云はん、阿闍世王は父の頻婆娑羅王を害す却て是れ敵也、梟鳥は母を喰ふ、破鏡は父を害す、豈に是れ子ならん乎。
一、又閔子蹇の如く所生に非ずと雖ども実に是れ子也、謂く閔子の弟二人あり後の母蘆の穂を以て綿と為す故に閔子寒たり焉父聞きて之れを見て後妻を去らんと欲す、閔子云く母家に在らば則一子寒し母若し家を去らば三子寒し母斯の言に感じて所生より憐れむ云云良材。
一、又有る人後妻に嫁く、而も後妻他に通ずる色有り亦艶書数通有り、前妻の子也、山寺従り帰り艶書を読ま使む、唯常の文に之を誦す是の故に事無し、子山寺に還る、後ち母品々物及び歌一首を贈る。
信濃なる木曽路にかけし丸木橋ふみ見し時の危かりしを。
其の子返歌に
信濃なるそのはらにしもやどらねど皆はゝきゝと思ふばかりぞ云云。
所生に非ずと雖も孝を以て子と為る也、其の外云云沙石
一、禅宗は教外別伝と立て法華経を謗ず天魔外道の子にして仏子に非ず、丹霞禅師風寒に堪えず仏を焼て身を温む、客有り驚て曰く師如何、霞の云く焼いて舎利を得んと欲す,客曰く木仏何ぞ舎利を得ん、霞云く舎利無んば焼くに則ち過無し云云、今謂く丁蘭は母の形を木像に刻み、孝名を四海に揚る。丹霞仏を焼く不孝知る可し、是れ何ぞ仏子ならん、一を挙げて諸に例す云云中正論。
一、真言は法華経を第三戯論と謗り、慈父釈尊を大日の履を取るに堪えず、車を扶るに堪えず等云云、是れ何ぞ仏子ならん。
一、念仏宗は読誦雑行、礼拝雑行、捨閉閣抛と云云、二月十五日は釈尊御入滅の日乃至十二月十五日も三界の慈父の御遠忌也、禅導法然等に誑かされて弥陀の日に定む、四月八日は世尊御誕生の日也、薬師の日に取り畢んぬ。我が慈父の日を他仏に替るは孝養の者歟如何、故に知ぬ皆是れ不孝の罪人にしてさらに仏子に非る也、故に心の及ばざるか、理の通ぜざるかと云ふなり、袈裟を着するとも猶猟師の如き也と云ふ。林四十七九に云く賢愚経に云く昔し閻浮提に大国の王有り、名を提毘と曰ふ、時に世に仏無し辟支仏有り衆生を度す、時に師子有り堅誓と名く身体金色なり、一の猟師有り、鬚髪を剃除し身に袈裟を着し内に弓箭を佩し行て師子を見て念言すらく殺して皮を取りて用ひ王に上る可し、貧を脱ることを得るに足りらん、師子の眠るに値ふ猟師便ち毒箭を以て射る、傷る師子は吾身是れ也猟師は達多是れ也畧抄、師子とは釈尊毒箭とは礼拝雑行の言也、又師子とは法華経也、毒箭とは捨閉閣抛の言也、又師子とは衆生所具の仏性也毒箭とは法然所立の念仏也、豈則断一切世間仏種の者に非ず乎其人命終入阿鼻獄疑ひ無き者也、妙法を受持する行者は孝行の子也、是の故に袈裟を服する僧を謗ずる者あらば則ち仏を誹謗するにてあらん。
一、当世本迹一致の妙法を行体と為る有り、而して判じて云く一往勝劣再往一致と云云。且く一文を引かん。
安心羽翼五十一に云く問ふ一往勝劣再往一致の所以如何、答ふ重々の義有り今世俗の為め近く譬喩を以て之れを判談すれば譬へば人身に頭足の異有るが如し頭は是れ尊勝にして足は是れ卑劣也、仏像経巻頭を以て之を戴き、足を以て蹈まず人皆之れを知る一往勝劣其の義明白也、若し心を論ずる時は頭に通ずる心法、足に通ずる心法倶に是れ一心にして異心有ることを無し、再往一致其の義亦明か也。次に法に合すれば本迹二門に既に天地水火の不同有り、具には祖判の如し、二十八廿七天は是れ尊勝之れを本門に譬ふ、地は卑劣之れを迹門に譬ふ、頭の円なるを天に象り足の方なるを地に象る、又祖判の如き十四四十二、若し爾らば本門は頭の如し迹門は足の如し勝劣分明なり、若し心を論ぜば四信抄十六十七に云く妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意ならく耳已上、本頭迹足倶に是れ一心、本迹二門は唯是れ一の妙法再往一致其の義亦明らか也、一部の意何ぞ二つ有らん乎。
若し是れ二意ならば則ち一部の意に非ず大いに文に●く也已上此の義如何、答へて云く大師の衆釈宗祖の妙判都て此の譬へ無し知りぬ是れ狂惑なり、若し所喩の如くんば再往実には応さに仏像経巻足を以て之れを蹈むべき乎。
若し心法一なりと雖も頭足尊卑人皆之れを知る、故に蹈む可からずと云ふは再往勝劣に非ず乎是一。
彼れ云く若し心を論ずる時は頭に通ずる心法も足に通ずる心法も倶に是れ一心にして異心無し再往は一致也云云、今謂く此の譬へ祖師の譬へに違背す。
御書に云く本門と迹門とは百歳の翁と十歳の幼子との如し已上。宗祖は本迹を二人に譬へ玉ふ、彼は是れ二門を一人に譬ふ豈違背に非ず乎是二。
若し心を以て再往と為さば幼子の心は愚にして老翁の心は賢し豈賢愚勝劣分明なるに非ず乎是三。
又彼は天は本勝に譬へ地は迹劣に譬ふ云云、一句の中に於て水火の文を消すること能はず為に一笑を発す、当さに知るべし天地水火とは其の違目懸なることを顕はすの言也、直ちに勝劣に譬ふと謂ふに非ず是四。
又彼れ若し意を論ぜば四信抄に云く妙法の五字は一部の意ならん耳と云云、本頭迹足倶に是れ一心、本迹二門は唯だ一の妙法、再往一致其の義明也云云。今謂く四信抄の意は本迹一致の義に非ず、妙法五字一部の意なる故に万法を含む妙判也、今全文を引て之れを糺明せん、四信抄に云く問て云く、何を以て題目に万法を含むことを知るとこを得ん。答て曰く章安云く蓋し序王とは経の玄意を叙ぶ、玄意は文の心を述ぶ、文の心は迹本に過ぎたること莫しと云ふ、妙楽の云く法華は文の心を出して諸経の所以を弁ず云云、濁水は心無けれども月を浮べて自ら清めり草木雨を得て自然に花さく、是れ豈に覚の力ならん乎、妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に唯一部の意ならく耳、初心の行者其の心を知らず而も之を行ぜば自然に其の意に当る也文。
解して云く、問う何を以てとは答に准ずるに問に於て応さに二意有るべし、謂く何を以て題目に万法を含むと知る、知らずとも之れを行ずるに当に其の意を知るに当らんや云云、答に二義有り、一には題目含蔵の義、二には唱題具徳の義也、文を分て二と為す、初めに並て証を引く、次に妙法の下は正しく答也、初めに又二と為す、初には文を引て題目含蔵を証す、謂る章安・妙楽也、次に事を引て唱題具徳を況す、謂く濁水草木、次に正答の中に妙法一部の意とは題目含蔵の義なり初心の行者其の意を知ずとも而も之を行ずるに自然に其の意に当るとは唱題具徳の義也云云。正しく今妙法の五字は文に非ず義に非ず一部の意とは既に一部の意なる故に万法を含むぞと答へ玉へり、一心とは万法の惣体乃至因通易知等の如し、妙法に万法を含むと問はんに誰か人か本迹一致也と答へんや、他流問答の起尽を知らず是五。
彼れ難じて云く一部何ぞ二つ有らん乎、若し是れ二意ならば則ち一部に非ずと云云此の難如何。反詰して云く天台云く二経六段と、妙楽の云く本迹を二経と為す。宗祖の云く法華経に又二経有り所謂迹門と本門と也云云、若し二意無くんば何ぞ二経と為さん是六。
当に知るべし他流但だ名通一往一経三段権実相対のみに執して未だ義別再往二経六段本迹相対を知らざる也云云、故に知んぬ本迹一致の妙法とは宗祖違背の行体也、若し爾らばけ其の人の袈裟衣は大謗法にあらずや、然らば必ず須らく行体を弁ずべしと釈し玉ふは是れ也。
問て云く・御書に云く本門寿量の当体の蓮華仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事也云云、既に宗祖の弟子檀那を以て当体の蓮華仏と名く、料り知んぬ一致勝劣を論ぜず自門他流を択ぶこと無し、宗祖の弟子旦那に於ては最も之れを敬ふ可し何んぞ堕獄の人と云ふ乎、答ふ明かに御書を見ても猶を斯の言を成す、心の及ばざる歟、理の通ぜざる歟、全く宗祖の弟子旦那を禁ずるに非ず、偏えに宗祖違背の謗法を悪む也、化儀化法並に違背す何ぞ宗祖の弟子旦那ならん、随つて御書に本門寿量等と云ひ玉へり、本門寿量の妙法を行ずる故に本門寿量の当体の蓮華仏と名く、涅槃経に云く大乗を学ぶ者を名て大乗の人と為す云云、本迹一致の妙法を行ずる者何ぞ本門寿量の当体蓮華仏と名けんや、故に宗祖の弟子旦那とは本門寿量の行者なる耳、御書二十三而るに日蓮が一門は正直に権教の邪法邪義を捨て正直に正法正師の正義を信ずる故に当体の蓮華を証得し寂光当体の妙理を顕すことは本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふる故也。
四日
一、弘二末八十五に云く大論十三云く仏祇●に在り酔婆羅門有りて仏所に来至して比丘と作らんと欲す仏諸比丘に勅して頭を剃り袈裟を着せしむ酒醒て驚恠して身の変異して忽ち比丘と為るを見て即便ち走せ去る、諸の比丘仏に問ふ何を以て此の酔婆羅門に聴して比丘と作す而も今帰り去る、仏の言く此の婆羅門無量劫の中に出家の心無し今酔後に因て●く微心を発す此の因縁を以ての故に後に当さに出家すべし已上。
一、田相縁起の事。
要覧上四十三云く、僧祇律に云く仏王舎城に住す帝釈窟の前を経行して稲田畦畔を見て阿難に語て云く過去の諸仏の衣相是くの如し今従り此れに依て衣相を作る○増暉記に云く田畦水を貯へ嘉苗を生長す法衣の田畦又復是くの如し畧抄八識の心田に本因の種を下し信心の水を貯へ善苗を生長することを表する也。
一、問ふ権宗の衣相亦此の事を表する乎。
答ふ一には法に約するに爾前の諸経は仏種と為さず只肴飲食の如し、故に竹一末九余経を以て種と為さず已上、二には人に約する信心の水無し謂く彼の宗々は法華を誹謗する故也、既に信心の水無くんば成仏の種子無し、何を以てか善苗を生長せん乎。
一、権教を仏種と為さざる所以如何。
答ふ凡そ仏種とは一念三千妙法衣裏の宝珠なり、故に撰時抄に云く一念三千は九界即仏界・仏界即九界と談ず、されば此の経の一字は如意宝珠也、一句は三仏の種子となる云云。開目抄に云く宗々互に種を争ふ予之れを諍はず但だ経文に任すべし、法華経の種に依て天親菩薩は種子無上を立てたり天台の一念三千是れ也文、然るに爾前の諸経に於ては二乗作仏を明さず、是の故に実には八界にして十界に非ず、又開顕を明さざる故に互具に非ず、既に十界互具に非ず、焉ぞ一念三千有らん、故に金●論に云く妙境を指的す法華より出づ文、宗印法師の北峯教義に云く只法華開顕二乗作仏十界互具に緑り、是の故に三千の法一念頓円にして法華独り妙なり。又云く若し開権顕実に非ずんば豈に能く互具せん乎已上。一、爾前得道は有名無実の事。
問ふ爾前に於て二乗作仏を明さざれども菩薩の人は得道す、故に竹一本十二に云く二乗は唯だ今経に在り菩薩は処々に得入す文、脱既に爾前に在り下種豈に彼れに無らん乎種脱一双の故也。答ふ多意有り、一には二乗を斥ふ時は菩薩に於て一往得入の名を与ふる也、譬へば隣家の子も全く是なるに非ずと雖も強て吾子を制せん為に彼れを称美するが如し、文八二但菩薩を記して二乗に記せずと釈する是れ也金山抄云云、故に御書二十三廿一に云く菩薩処々得入とは釈すれども二乗を嫌ふ時一往得入の名を与ふる也弘七本五十二に云く方等般若の文の中に処々に円義有りと雖も多くは鈍根の菩薩及び二乗の人を調せんが為なり云云止七廿九、二には二乗の作仏を明さざる故に菩薩の得入も戯論也、御書三十四廿三云く菩薩に二乗を具す二乗成仏せずんば菩薩も成仏せざる也云云。
三には種子を明ざざる脱なる故に還て灰断に同ずる也、謂く彼には種熟脱の名義すら尚無し何に況や其の義を乎、御書三十一云く権教は過去を隠せり種子をしらざる脱なれば超高が位にのぼり道鏡が王位に居せしが如し已上。記一本廿七云く若し爾らずんば現果因無く現因果無し還て灰断に同ず文、若し爾らずんば若し化導の始終を明さざる也。四には彼の経に脱を得る其の功は法華の下種に由る也。是の故に・竹一に云く久近の益を得、功は法華に在り文云云、輔記九五云く処々得入とは此れより以前若は顕若は密、法華の力に非ること無し云云、御書二十五三云く華厳等の得道如何、答へて云く彼等の衆は時を以て之を論ぜば其の経の得道に似たれども実を以て之れを勘ふるに三五下種の輩なり已上、只是れ爾前の経々を助縁として法華の下種を覚知せしむる也、脱既に是くの如し種子准知せよ。故に爾前の諸経は種子と成らず、是の故に余経を以て種と為さずと釈する也、之れに加ふるに謗罪のみあつて信心の水なし何ぞ善苗を生長せんや、故に知んぬ他宗の衣相は有名無実なり只田畦有つて種及び水無きがごとし。
五には毒発等の一分也、書八十八、蒙十八五十二況終不得成無上菩提。
一、迹門仏種与奪料簡の事。
問て云く迹門に於て一念三千二乗作仏を明す真実の成仏種子なりや、答て云く若し権実相対して与て之れを論ぜば則ち仏果の種子なる事向の如し、若し本迹相対して奪て之れを論ぜば実の成仏の種子ならざる也、是れ則ち本無今有の一念三千なる故也、開目抄上廿四云く迹門方便品には一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一を脱れたり、爾りと雖も未だ発迹顕本せざれば真の一念三千も顕れず、二乗作仏も定らず、猶は水中の月を見るがごとし、根なし草の浪の上に浮べるに似たり已上。一義に云く真の一念三千も顕れず水中の月、根なし草の如し、二乗作仏も定らず水中の月、根なし草の如し、二譬倶に有名無実の義也云云、一義に云く真の一念三千も顕れず水中の月の如し但だ名相のみ有つて実体無きの義也、歌に
手に結ぶ水に宿れる月影のあるかなきかの世にもすむ哉。
二乗作仏も定まらざるは根なし草の如し、下種の義無きなり、歌に
まかなくに何を種とて浮草の波のうね●●生じけるらん。
一、未発迹の未の字本迹一致の証と云ふ謬の事。
啓蒙五廿八に云く古来の一義に云く未発迹顕本の未の字本迹一致の証拠也、已に発迹顕本し畢ぬれば迹の一念三千も真実となれり、今発迹顕本せざる法華は之れ無き故に本迹一致也云云。
勝劣徒難じて云く未の字を以て一致を証せば未顕真実の未の字亦た已顕真実の日は方便即真実にして而も権実一致なりや云云、今謂く此難一往聞へたり、されども権実相対と本迹相対と其の品替れり一例にあらず、廿五云く権実相対の例難僻案の至り也已上啓蒙、真重ねて難じて云く已に発迹顕本し已ぬれば迹の一念三千も真実となれり云云、仮使ひ汝が所言の如きも尚ほ是れ勝劣也、何となれば迹の一念三千は所開也、本門は是れ能開也、豈に勝劣に非ず乎、例ば爾前は所開にして劣り法華は能開にして勝れたるが如し、月水抄十八四十三云く妙法蓮華経は能開也、南無阿弥陀仏は所開也、能開所開を弁へずして南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経と物知り顔に申し侍る也已上是一、況や復た顕本の後も仍ほ本が家の迹也、本が家の本に及ばざるなり天月水月本有の法と判じ玉ふは是れ也、例せば仮使開会を悟れる念仏也とも仍ほ体内の権也体内の実には及ばざるが如し是二、況や復た未顕真実の例難的当せり権実相対本迹相対一例なる故也、且く一文を引かん玄七卅四云く問ふ三世の諸仏皆顕本せば最初実成若んぞ顕本為ん、答ふ必ずしも皆な顕本せず、問ふ仏に若し始成久成有り発迹不発迹有らば又応さに開三顕一不開三顕一有るべし文、文九十八云く法華は遠を開し竟んぬ、常不軽那ぞ更に近き、若し爾らば会三皈一竟つて又応さに会三皈一せざるべし文、記九本卅四云く本門顕れ已つて更に近ならば迹門会し已て会せざらんや文、治病抄廿八廿七云く法華経に又二経あり所謂迹門と本門と也本迹の相違は水火天地の違目也、例せば爾前と法華との違目より猶相違あり文、権実の例難明文是くの如し、蒙が云く権実相対の例難僻案の至り也と、恐らくは天台、妙楽、宗祖を破る罪業也哀なる哉是三。
一、未発迹の時も真の一念三千等と云ふ珍謬の事。
啓蒙五三十云くに既に次上の二乗作仏の下に於て多宝証明分身の助舌を引て真実の旨を定め玉へり、然れば発迹顕本せざる時も真の一念三千にして二乗作仏も既に治定せり、然るに今まことの一念三千も顕れず二乗作仏も定らずと判じ玉ふは久成を以て始成を奪ひ玉へる言也、是くの如く始成を奪ひ玉へる元意は天台過時の迹を破せんが為なり已上取意。難じて云く宗祖已に未だ発迹顕本せざれば真の一念三千も顕れずと判じ玉ふ、汝は発迹顕本せざる時もけ真の一念三千にして二乗作仏治定すと云へり、豈に宗祖違背に非ず乎、御書三十九四十三に云く又我が一門の人々の中にも信心薄く日蓮が申す事を背き給はば守屋が如く成るべし文、例せば最為第一の経文を最為第二第三と読むが如し是一、又次上に二乗作仏の下に多宝証明分身の助舌を引て真実と定め玉ふは爾前に対する故也、結に云く上廿一ウ此の法門は迹門と爾前と相対す云云、今真の一念三千も顕れずとは本門に望む故也、故に未だ発迹顕本せずと云ふ也、已に権実相対・本迹相対分明也、然るを何んぞまぎらかして発迹顕本せざる時も真の一念三千と云ふや是二、若し爾前に対せば已に真実と定め畢んぬ、故に本門に望むる時も尚真実なりといはば次上六丁に云く一代五十年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実話なり云云、一代皆真実なりや是三、又彼れ只久成を以て始成を奪ふの言ば也云云、既に久遠の真の一年三千を以て始成の一年三千を奪ふ則んばまことに非なること分明也、自縄自縛す笑ふ可し是四、又彼に是くの如く奪ひ玉へる元意は天台過時の迹を破せんが為也云云、意に云く未発迹の時も真の一年三千なれども而も真にあらずと判じ玉ふ元意は天台過時の迹を破する也、難じて云く若し爾らば宗祖無実を以て台宗を破るや、已にまことの一念三千なるを真にあらずと云はば豈に無実に非ず乎いかでか其の義あるべし是五、若し本門に望むれば真の一念三千に非ざること分明也、故に真の成仏の種子に非ず、是の故に御書八十九に云く爾前迹門の円教すら尚ほ仏因に非ず云云、然れば迹門の袈裟も真の種子を下すこと無し、何ぞ善苗を生長せん乎。
一、二乗作仏も定らず根なし草の波の上に浮べるが如しとは。迹門に於ては本因下種を明さざる故なり、問ふ本因下種を明さずと雖も已に大通下種を明す何ぞ根なし草に譬へん乎、答へて云く大通下種とは爾前に望んで一往許す耳、若し本門に望めば大通は尚ほ是れ熟益也、是の故に御書八二十に云く本門を以て之れを論ずれば久遠を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為し本門に至て等妙に登ら令むるを脱と為す已上、大通熟益なること分明也、然れば則ち本因下種の妙法蓮華経は但だ法華経の本門寿量品の文底に秘し沈め玉へり、此の文底の妙法直行の行者のみ八識の心田に本因の種子を下して信心清浄の水を貯へ下種の善苗を生長するを表して法衣に田畦有る也、御書三十廿九に云く一念三千と申す事迹門にすら尚ほゆるされず何に況や爾前に分絶たる事也、一念三千の出処は畧開三の十如実相なれども義分は本門に限る、爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文也、但し真実の依文判義は本門に限る也、南無妙法蓮華経。
一、止観四三十七に云く但だ三衣を蓄へて多からず少からず乃至多寒の国土には百一身を助るを聴す云云、又云く観行を衣す為すとは大経に云く汝等比丘袈裟を服すと雖も心猶ほ未だ大乗の法服に染まず、法華に云ふが如き如来の衣を着すとは柔和忍辱心是れ也文、私に云く柔和忍辱心とは妙法を信ずる心是れ也。
五日
一、数珠は下根を引接する事。
要覧中十に云く牟●曼茶羅咒経に云く梵語には鉢塞莫、●には数珠と云ふ此れ乃ち下根を引接して修業を牽課するの具也。
一、同由来之事。
木楼子経に云く昔し国王有り波流●と名く、仏に白して言く我が国辺小にして頻年寇疫し穀貴く民因しむ我れ常に安からず、法蔵深広なり遍く行ずることを得ず、唯願くは法要を垂示せよ、仏言く大王若し煩悩を滅せんと欲さば当さに木楼子一百八箇を貫ぬき常に自ら身に随へ志心に南無仏・南無法・南無僧と称へ乃ち一子を過すべし、是くの如く漸次に乃至千万して能く二十万遍を満じて身心乱れずんば●曲を除き身を捨てて炎摩天に生ずることを得ん、若し百万遍を満ぜば当に百八の結業を除き常楽の果を獲るべし、王の言く我れ当に奉行すべし已上。
一、一百八箇所表之事。
二義有り、一には百八煩悩を表す、今の経文に当さに百八の結業を除き常楽の果を獲るべし云云、百八とは見惑八十八使、思惑十使及び十纒也。
二には百八三昧を表す、啓運抄一之四十八弘三の上廿五を引て百八散に対して百八定と云ふ云云、念珠百八あるは此の義を表す已上運抄。
一、三宝の中に別して法宝を唱ふる事。
問ふ経に云く当さに三宝を称へ乃ち一子を過すべし云云、何ぞ法宝のみを唱ふるや、答へて云く要の中の要なる故也、涅槃経に云く諸仏の師とする所は所謂法也文、法は是れ仏の師也、仏は是れ僧の師也、勝は劣を兼ねる故に法宝を唱ふるに三宝具足す、是れ下根の中の下根なるに依り唯要の中の要を行ずる者也。
一、経に二十万遍を満ずれば炎摩天に生じ百万遍に満ずれば百八の結業を除き等云云、今亦爾也乎、答ふ是れは此れ小乗浅近の経力なる故也、法華経の極大乗の経力は一日に一遍一月乃至一年十年一期生の間に、只だ一遍唱へ奉らんも軽重の悪にも引かれず四悪趣にも趣かず終に不退の位に到る可き也云云。
一、念珠円形所表の事。
問ふ珠の円なるは何事を表する乎、答ふ法性の妙理を表する也、玄一私序王の下に云く理は偏円を絶すれども円珠に寄せて理を談ず文、弘五上十五に云く理体欠る無し之を譬ふるに珠を以てす文、故に知んぬ円形を用ゆ可き事也而るに浄土宗平形を用ふる也。御書三十四十二に云く而る間人毎に平形の念珠を以て弥陀の名号を唱ふること、或は毎日三万遍六万遍四十八万遍唱ふる也已上、是れ大いに所表に背き又仏説に違する也、類雑三五十七仏説勢至経に云く平形念珠を以てとは此れは是れ外道の弟子なり我が弟子に非ず、我が遺弟は必ず円形の念珠を用ゆ可し已上。
但し啓蒙卅四六十四に云く言は鄙野也、追て本経を検す可し云云。
私に云く義妨げ無き歟、玄一弘五に前の如し、又録外四四十五にも引用す云云、故に浄土宗は外道の弟子也。
一、次第を超ゆ可からざる事。
又勢至経に云く、次第を超ゆる者、妄語の罪に因て当て地獄に堕つべし已上、私に云く戒門の故也。
一、母珠を超ゆ可からざる事。
録外四十五に云く数珠経に云く母珠を超ゆ応からず、過諸罪に超えたり、数珠は仏の如くせよ已上、私に云く母を超ゆるの名を忌む歟。
一、孔子勝母の里に宿らざる事。
●の昭明太子の文選二十八楽府下陸子衡猛虎行に云く渇して盗泉の水を飲まず、熱すとも悪木の陰に息まず、悪木豈に枝無らんや志士苦心多し註善云く尸子に云く孔子勝母に至て暮れぬ、而して宿らず、盗泉を過ぎ渇しぬ而して飲まずして去る、蓋し其の名を悪む也。
一、曽子車を勝母の里にかへす事。
文選卅九廿一に云く故に里を勝母と名く、曽子入らずして邑を朝歌と号すれば墨子車を廻はす註善の云く朝歌時にあらざる也、前漢司馬遷が史記八十三鄒陽が伝にも出たり云云、外典の賢聖尚ほ其の名を忌む況や仏弟子に於てを乎。
一、数珠功徳校量の事。
数珠校量功徳経に云く、曼珠室利、大衆に告げて云く、汝等諦かに聴け数珠を受くる功徳を校量せん、若し鉄を用ひて数珠と為さば誦●すること一遍、福を得ること五倍、若し赤銅を用にせば福を得ること十倍、若し直珠珊瑚を用れふば福を得るとこ百倍、若し木楼子を用ふれば福を得ること千倍、若し蓮子を用ふれば福を得ること万倍、若し水精を用ふれば福を得ること万々倍、若し菩提子を用ふれば福を得ること無量ならん已上。拾言記下三十九に全文を引く今は畧す、要覧に云く云云。
一、功徳の浅深の所以の事。
私に云く清浄浅深に約する歟、謂く鉄よりも赤銅は清浄なり、赤銅より珊瑚は清浄なり、珊瑚よりも木楼子は清浄なり、謂く珊瑚は海中より生ず、木楼子は樹の枝より生ずるなり、又木楼子よりも蓮子は清浄に、蓮子より水精は清浄なり、又菩提子は仏成道の樹なる故に別して清浄にして功徳深き也。校量功徳経に云く何を以ての故に独り菩提子を讃むるや、諸人善く聴け我れ汝等が為めに重ねて昔日を説かん、過去に仏有り此の樹下に在す、正覚を成ずる時一の外道あり邪倒の見を信じて三宝を毀謗す、彼れに一男有り非人に打殺さる、外道念言すらく我れ今邪盛にして未だ諸仏何の神力有ることを審にせず、如来既に是れ此の樹の下に在つて等正覚を成ず。若し仏是れ聖ならば樹応さに感有るべし、即ち亡子を菩提樹の下に臥着して是くの如きの言を作す、仏樹若し聖ならば我が子必ず蘇らん、以て三七日を経て其の仏名を誦す、其の将ゐし子即ち重蘇することを得、外道讃めて云く諸仏の神力我れ未だ曽て見ず、仏成道の樹此の希奇を現ず、甚大威徳思議すべきこと難し、諸の外道等しく悉く皆邪を捨て正に帰して菩提心を発し仏力の不可思議なるを信ず、諸人●な号して延命樹と為す已上。
一、一致勝劣唱題浅深の事。
問ふ水精を用ひて本迹一致の妙法を唱ふると常の念珠を用ひて本門寿量の妙法を唱ふるとの功徳浅深は如何。答へて云く妙法大師の云く然れば必ず須く行体を弁ずべし云云、御書廿三廿二に云く所詮仏法を修業せんには人の言ふ用ゆ可からず、仰で金言を守る可き也云云、然るに本迹一致の妙法と云ふ事は祖書の中に都て無し、故に知んぬ、只是れ人の言ば也、故に縦ひ水精を用ふと雖も其の功。かに劣也、譬へば民の万言の如し雀の千声の如し、本門寿量の妙法を唱ふるは是れ仏の金言也、常の念珠を用ふと雖も其の功。かに勝れる也、譬へば天子の一言の如く、鶴の一声の如し、御書廿三廿四に云く当体の蓮華を証得し常寂光当体の妙理を顕はすことは本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふる故也已上、故に知んぬ金言を信ぜざる者は蓮華を証得せず。
一、立正観抄を一致の証と為す珍謬の事。
問ふ蒙五三十三に云く古来一往勝劣再往一致と立てたるは尚経旨の本迹也、今吾等が読む所の迹門は宗祖の本迹にして、塵点已前の本地所証の妙法を直授し玉ふ故に、一往再往の料簡にも及ばず元来一致の妙法也。立正観抄に本化弘通の所化の機は法華本門の直機也と遊ばしたるは此の意也云云、既に御書に依る、人の言とは云ひ難し如何。答へて云く先づ塵点已前本地所証の妙法を直授し給ふ故に、元来一致の妙法也とは、御書二十六十八に云く五百塵点直劫より一向に本門寿量品の肝心を修業し習ひ玉へる上行菩薩等の御出現の時に相ひ当れり已上、若して塵点已前元来一致の妙法を直授し玉はば何ぞ一向に本門寿量品の肝心を修業し習ひ玉へるや、既に一向に本門寿量の肝心を直授し玉ふことを啓蒙如何是一。次に立生観抄の本門の直機とは当流の文証なり、若し最為第一の文を以て第三戯論を証し、無一不成仏の文を以て千中無一を証せば信ずる者有るや否や、今本化弘通の所化の機は法華本門の直機なりと判ずるを以て、本迹一致を証せんとするは亦彼れに過ぎたること百千万倍なり、世俗の所謂其の耳を取て鼻に当るとは此の類歟是二、蒙三十六八に本迹決疑抄を引て云く、本門の直機とは今日は顕本の上の立行にして直ちに久遠の内証を行ず、其の久遠の処に本迹宛然なり、此の本迹を指して一致と立つる也已上取意、其の久遠の処に本迹宛然ならば又其の本迹勝劣宛然なり、若し本迹の名言有らば定んで是れ勝劣なるべき也、記八本四十七に云く凡そ本迹と云はば本は応に迹に勝るべし已上是三、若し爾らば祖書の中に文証無し、人の言なること諍ふこと莫き也。
一、当流の行者信の厚薄に由て功徳の浅深有る事。
問ふ当流の行者信心薄き者水精を用ふると信心厚き者の常の念珠を用ふると功徳の浅深如何、答ふ縦ひ水精と雖も若し信心薄ければ何を以て勝るることを得ん、縦ひ常の念珠と雖も若し信心厚くば何を以て劣ることを得ん、故に知んぬ只だ同類の中に鉄よりも乃至菩提子は勝る也、謂く同じく一分の信心の中に鉄を用ふるよりも菩提子は勝る、同じく十分の信心の中に鉄よりも乃至菩提子は勝る等云云、但だ信心のみ肝要也、御書十三二十七顕立正意抄に云く日蓮が弟子等又此の大難脱れ難き歟、不軽軽毀の衆は現身に信伏随従の四字を加ふれども、猶先謗強き故に先づ阿鼻大城に堕して千劫を経歴し大苦悩を受く、今の日蓮が弟子等も亦是くの如く或は信じ或は伏し或は随ひ或は従ふ、但だ名のみ之れを仮つて心中に染めず、信心浅き者は設ひ千劫を経ずとも或は一無間或は二無間乃至十百無間は疑ひ無き者歟、之れを免れんと欲せば各薬王楽法の如く譬を焼き皮を剥ぎ雪山国王等の如く身を投げ心を仕へよ、若し爾らずんば五体を地に投げ●身に汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め、若し爾らずんば奴婢と為つて持者に奉ぜよ、若し爾らずんば等云云、四悉壇を以て時に適ふ而已、我が弟子等の中に信心薄く浅き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可し、其の時我れ等を恨む可からず、南無妙法蓮華経。
已上畢んぬ。
木犀花数珠、洪舜愈、錦綉。
一百八丸黄を搗成し、手に入れ能く熱悩をして涼せしむ。
金栗如来の身已に化し、●珠仙子の骨猶を香ふが如し、
武陽の住原氏某甲新に法衣を制し以て与に施す矣、蓋し信力余り有り、感涙押へ難し、何を以て之れを謝せん以為く幸に此の便に因て粗ぼ仏制を伺ひ法衣の来由を明し、稍や所表を●へ当流の儀を示し以て功徳の香をして一切に及ばしむ、随喜の薫をして十万に●せしめんには如ずと、故に窓前に扶病して●を燈火に点じ、分て五篇と為し綴じて一巻と為す、五は則ち五字を顕し一は則ち一遍を示す五にして一、一にして五、五に非ず一に非ず、一に非ずして而も一、五に非ずして而も五なり、蓋し妙法蓮華経を表するに足る者乎。仰ぎ願くは能施所施也、其の功徳等しく法界に●く倶に穢国を出でて浄刹に到らんことを、若し落ちて他見に入らば、請ふらくは一遍の回向あらんことを、其の志す所は誰ぞ、謂く彼の功徳主の亡妻本極院妙奥日蔵霊尼なり。南無妙法蓮華経。
維時宝永二乙酉仲春林下●禿覚真日如跋
富士大石沙門 覚真日如
古川某保の写本明治十七年七月廿日薬王品談合本に依り、大坊蔵の寛師正本を以て校正を加ふ。昭和六年五月十一日更に高野芳之介をして清書せしめ、又更に校合し了んぬ
昭和九年三月卅一日池袋仮窟に於て。
日亨在判

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