富士宗学要集第二巻

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念真所破抄

 夫れ以みれば、桜梅桃季・開敷の春の日は親疎を論ぜずして各華園に入り、山海空地・遍照の秋の夜は貴賤相伴ひて互に月天を望む、月去り華還つて愛心寂寞たり万物此くの如し・出世も亦然なり、伝へ聞く異域の羅什・玄弉・無畏・不空等の三蔵は流沙葱嶺を凌いで西天より経を訳し、倭国の伝教・弘法・慈覚・智証等は雲海蒼波を渡つて唐朝に入つて法を求む、皆是れ身軽法重の理に応し慈悲道心の念に住する故なり、然りと雖ども羅什・伝教二聖の外は猶ほ権実錯乱して仏意に違背し麁妙泯合して機情に迷惑す、已下の諸師・倭漢の弘通一々の謬誤具に載するに遑あらず、近来自他の体たらく・或は飢餓の為めに出家するの徒は・甘語・詐媚・巧言・好色・道俗を牽き妄りに師範と号し、或は戦闘を恐れて遁世の族は・念真禅律の練若道場に潜に籠居を卜して恣に智識と称す、無慚の至り太だ応さに哀傷すべし・有情の類誰が怖畏せざらんや。

 難じて云はく・当世僧侶の一端言ふが如くなるも、夫れ尚ほ口外憚り有り、何に況んや挙ぐる所の元祖は六度満足の三蔵・両朝伝灯の四師・讃歎も未だ分に及ばず・毀謗豈に然るべけんや、往昔より今に至るまで諸徳を破する人無し、中古の先達を訪ふに上代の戒行に同じ、汝卑賤の身を以つて輙く判し聴いて耳目を驚かせども教訓承引し難し如何、報じて曰はく・弾訶の言語実に心肝に銘し・殊勝の弁舌珠玉を吐く、傷ましきかな理に任せて宣べんと欲すれば人望に違し歎かはしいかな世を憚つて云はずんば当に仏敵と成るべし、進退道絶して説黙亡然たり、如来の三止・身子の四請尤も此の謂ひか、但し雪山童子は身を捨て偈を受け・薬王梵士は法の為めに皮を剥ぐ、非想天の八万劫は猶し一夜の夢に喩へ・年齢我が七九歳は宛も半時の幻の如し、後日今期近し余命其れ幾ぞ、兼ねて亦両眼を閉ぢて何ぞ強ひて一身を暗うせん、爰を以つて涅槃には不惜身命要必宣説と説き、経には我不愛身命・但惜無上道と明かす、縦令ひ身命を喪ふとも誓願して所存を述べん、先づ羅什の歎徳の釈に云はく法華を訳する三蔵は舌焼けざる験し有り云云、希瑞世に以つて隠れ無し、又伝教大師は薬王の後身・天台の再誕と云ふ事は人皆此れを知る、云ふ所の二祖は妙経の訳者・法華の行者、像法伝持の仏使なり、次に玄弉三蔵は則ち大般若経の訳者にして法相興行の明匠なり、無畏・不空等は未渡の密経を伝来して真言最初の師範なり・自余之れ同じ、弘法大師は又東寺密宗の長者・高野入定の貴僧なり、慈覚・智証等は顕密兼学の碩徳にして山門園城の門主なり、此れ等の三蔵大師は知らず権か実か・若し夫れ権者ならば提婆・鴦掘等の如し・若し又実者ならば不軽軽毀の衆の如し、所詮顕密の経共に無碍にて有りと云へども・仏乗の外は調機方便の権教なり、彼此の人師は高位に処すと云へども・謗法の者は又則ち亡国無間の業因なり、仍つて身命を顧みず惜まず・正直捨権の真文に順して法華壊乱の邪師を責めん、何を以つての故に涅槃経に云はく・若し善比丘あつて壊法の者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば・当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、又云はく依法不依人・依義不依語・依智不依識・依了義経不依不了義経云云、汝等何ぞ鶴林の遺言に背いて是非を糺さず・法を軽んじ人を重んずるや。

重離して云はく・遠く五笠震旦は今且く之れを置く日本一州仏法東漸して已来今に七百余歳・所立又一十二宗なり、所謂る華厳・法相・三論・倶舎・成実・律・是れ往古治定の南都の六宗なり、其の後天台・真言・仏心・念仏・次の如く我が朝に弘宣す、此の外・地論・拙論の二家は有名無実にして伝法の人無し、今田舎華洛・貴賤上下・帰依渇仰・一同の賞翫なり、然るに近代出来の法華宗等は頻に真言亡国と云ふ慥に経論の証拠有りや、夫れ真言密宗の教主は源と大日別仏の金口より出づ・全く釈迦牟尼仏の所述に非ず、説所は又法界宮天と尼陀天と稍異なり、鹿苑・坊中・鷲峰等の法主は。に天地を隔て・説所は又雲泥に有り、何ぞ未顕真実の教部に摂めんや・争でか正直捨権の方便に摂せんや、真言に於いて東寺天台の両流別れたりと云へども祖師相承の法水之れ同じ、東寺・西寺・小野・広沢・仁和・小室・醍醐・高野等の貴僧高僧は皆是れ弘法大師の門流なり、高野大師は唯密の長者なり・慈覚・智証は顕密の宗匠にして和漢に類少し・誰人か肩を並べん、之れに依つて代代の明君は鎮護国家の道場を建立して天長地久の御願を祈祷し、世々の良臣は庄園・田畠の所領を寄進して除災与楽の秘法を信仰す、適ま顕教に逗留して密宗を覚らざるは強ひて祈祷を停止して衆僧に入れられざる貧人なり、汝等は田舎の賤身にして未だ王臣尊貴の帰依にも預からず・辺鄙の愚侶にして未だ秘密灌頂の奥義をも伺はず、只強言無智の高声を挙げて徒に真言亡国の悪口を吐く・狂人の罵詈・沙汰の限に非ず・墓無し愧つべし愧つべし。

哀傷して云はく宣なるかな、経に云はく唯為一大事因縁と、又云はく最為難信難解等と、しかのみならず如来の現在に於ては滅後の毀謗を鍳み玉ふて、譬喩品には入阿鼻獄と説き、法師品には猶多怨嫉と示し、宝塔品には六難九易を挙げ、勧持品には三類の強敵を明す、此れ等の明鏡・世尊の記文は誰人ぞ豈に真言の邪慢謟曲の比丘に非ずや、所以は何ん真言飲毒の邪師等は密教の源は大日別仏の金口より出づ・全く釈迦牟尼の所説に非ずと云ふ事、遠くは唯我一人能為救護の実語を蔑如し・近くは世無二仏・国無二主の定制に向背す、昔は聞く月氏の大漫婆羅門は如来の像を写して高座の足に作り、今は見る日域の高慢真言師は教主釈尊を下して示現の仏を重んず、誠に是れ下尅上の類の凶徒・劣謂勝見の外道なり、然る間・東寺高野の加持は利無くして率土の衰乱日に随つて増長し・山門園城の祈祷は名のみ有つて自他の叛逆年を逐うて興起す、諸宗の謗法・真言の亡国・現証之れ有り文証向の如し。

中ん就く真言所依の大日経は教部の摂属・本朝の異論治定し難きに依り上代の古徳・决を唐家に訪ふ、広修・維蠲の両主は相倶に具に四教を説き・弾呵有るに依つて文を究め理を尽して方等部に摂す、異国の加判・我が朝の亀鏡なり、然るに密宗の持者は未顕真実の誠証を傷みて別仏所説の妄語を構ふ、名詮自性の如くんば宜しく虚言宗と号すべし何ぞ真言宗と云はんや、汝聞くや教主世尊・成道より已来・華厳・阿含・方等・般若の時・説四十余年の間には、且く種種の方便を施し・擬宜・誘引・弾呵・淘汰の已後・二所三会の莚には真言の妙文を示すと雖も・久遠実成の事をば未だ爾前迹門に明かさず、如来秘密の力・今寿量の本懐を宣べ一期の化導仏意満足して三時の付嘱の経説分明なり、然して後大林精舎に普賢経を説き沙羅樹にして涅槃の相を現す、教主釈尊の外に別仏所説の段、迷惑の至り邪見の甚しきなり、偏執の一師猶別仏を構へば委細に問ふべし、大日如来の説法は如来出世の先説か、牟尼入滅の後説か、若し以前なりと云はば成劫の始中何の時節ぞや、若し已後なりと云はば正法千年の何の日限ぞや、若し同時並出と云はば経論に無有是処と説く、若し多宝如来を大日と云ふか、然らずんば又六天変化の魔仏か、兎角の思量彼此不可なり。

重ねて問ふべし、汝云ふ所の如くんば華厳経の教主は千葉の蓮華の台上盧遮那仏、葉上の千釈迦の外に一華に百億の国あり一国に一釈迦と云云、説所は影現の実報土、七処八会の中に昇天会之れ多し、是れ則ち釈迦の外の別仏の説か、又浄名の空室は常寂光を標し、十方諸仏其の中に来集し、方丈の室内に不思議を現ず、之れに依つて浄名経の説主は牟尼の外の別仏か、毒気深入失本心故の真言の謬錯伝来久し、予独り微管を傾け閑かに旨趣を勘ふるに、法華已前は性欲不同なり性欲不同なれば種種に説法する故に一類機に対して毘盧の身を現して調養説法す是れを密教と名づく、教主の神変を且く大日と号す、爰を以つて普賢経に釈迦牟尼名毘盧遮那遍一切処と説き、寿量品に或説己身、或説他身、或示己身、或示他身と明かす、当に知るべし権説の毘盧は本仏の示現なり、汝久遠実成の本仏を軽忽苟も方便示現の大日を崇敬す、譬へば葉を取つて根を捨て影を重んじて体を軽んずるが如し、顛倒哀むべ謗仏愁ひざらんや、弘法大師は岩淵勤操僧正の弟子、桓武皇帝延喜二十三年に入唐、青竜寺恵果和尚に値ふて真言灌頂の秘法を伝授し、平城の御門の大同二年に帰朝し嵯峨天皇の御師と成つて東寺建立の貴僧徳行一に非ず希特之れ多し、或は唐船より三鈷を投して雲に入れ或は朝廷に於いて毘盧身の像を現し、五筆和尚と号して終に高野山に入定す、爾りしより已来真言の寺塔は洛中に繁昌し密主の法水は洛外に流伝す、護国成仏の直道は希特に依つて治定し難し、西天の伽毘盧外道は石と成つて八百年世を誑かす、阿迦陀仙人は十二年恒河の水を耳に留む、嗜莵仙人は一日に四海を吸ひ、尼犍の塔は多年の間・人を誑す、此の外・日月の変異・山川の動転皆此れ六師流類の神力・九十五種の所為なり、是れ尚阿含小乗の所破・六道輪廻の迷群なり、又三明具足の証果の羅漢・六通自在の十大尊者・爾前の諸経に於いて永不成仏と斥はれ・法華の会に来至して無上道に入ることを得、当に知るべし・現世二世の良薬は正直捨権の妙法なることを、然るに高野大師は法華を以つて第三と下す・経文の如くんば毀謗に非ずや、宝鑰に云はく第一真言・第二華厳・第三法華天台と云云、天台とは法華なり経に云はく唯以一大事因縁と・又云はく第一希有と・又云はく知第一寂滅と・又云はく法華最第一と、宝鑰に云はく・自乗に名を得たり後に望んで戯論と作ると、経に云はく法華皆是真実と・又云はく世尊の法は久うして後に要ず常に真実を説くべしと、

宝鑰に云はく九種住心は外塵を払ふと、経に云はく輪王の髻中の明珠と・又云はく無上宝聚求めざるに自ら得と、宝鑰に云はく第三戯論と下す、経に云はく正直に方便を捨て但無上道を説くと、又云はく諸経の中に於いて最も其の上に在りと、宝鑰に云はく無明の辺域と、経に云はく難解の法・唯仏と仏とのみ乃ち能く諸法の実相を究尽す、又云はく衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲する故と、密師は法華経等は釈迦の顕教と、経に云はく諸仏如来秘密の蔵と、又云はく如来秘密神通の力と、密師は大日如来は別仏と文、経に云はく釈迦牟尼如来を毘盧遮那遍一切処と名つくと文、又云はく或は己身を説き或は他身を説き或は己身を示し或は他身を示すと文、密師は真言経は別仏の説と云ひ、異域の明匠の広修・維蠲は文を究め理を尽すに方等部に属すと、密師は真言宗と云ふ、当流には虚言宗と云ふ、密師は加持門と云ひ、当流には亡国の法と云ふ、所詮第三と第一と・戯論と真実と・下劣と最上と・外塵と宝珠と・無明と実相と・顕教と密教と・秘密と・真実と・別仏と一仏と・別説と方等と・真言と虚言と・加持門と亡国法と、両説天地の如く相違水火に似たり、須く空海闍梨の妄誕を依用すべしや、当に教主釈尊の実語を信受すべきや、又空海云はく震旦の人師諍つて醍醐を盗んで各自宗に名づくと文、天台は陳隋二代の国師・真言は唐の第七代玄宗の御宇に渡る、二百余年已後の醍醐を已前の天台諍ひ盗むべしや、彼の師・謗人謗法に非ずや、又云はく惜ひかな古堅醍醐を甞めず、涅槃経に云はく・譬へば牛より乳を出し・乳より酪を出し・酪より生蘇を出し・生蘇より熟蘇を出し・熟蘇より醍醐を出す如し、醍醐は最上なり若し服する者有らば衆病皆除く・仏も亦是くの如し云云、天台大師は五味を借用して五時に配当す、一乗弘通の法味の莚は無上醍醐に非ずや、経に云はく毒気深く入つて本心を失ふ故に・此の好色香薬に於いて而も美味からずと謂へり等とは誰人ぞ・是れ空海已下の東寺・天台両流の真言の邪師に非ずや。

次に慈覚智証は根本大師の付弟孫弟なり、我が立つ杣に於いて天台宗を学び・大唐国に亘つて真言の法を伝ふ、帰朝の已後・叡山に顕密の二宗を興隆す、然りと雖ども顕密一致と上奏して専ら理同事勝の念盧に住し・第一真言・第二法華と判定す、故に空海闍梨と慈覚智証と二三の文字各別なりと云へども・法華を軽賤するは一同なり、第一第二の非謬乱義は総じては薬王今告汝・我所説諸経・而於此経中・法華最第一の如来の金言に違背し其罪具に経文に載せたり、天台法華宗の諸宗に勝るるは所依の経に依る故に・既に仏説に拠る豈に自歎有らんや、祖師の解釈を軽蔑する科条又律令の如し、一二の邪正糺明すべしと雖ども、宝鑰と経説と校合委悉なり彼れに淮じて解すべし。

次に理同事勝と云ふ義の中に理同等とは其の義如何、真言依憑の大日経等は未顕真実の方便なり、天台所持の法華経は正直捨権の妙説なり、権実二教泯合して争でか理同の和会を加へん、中ん就く他宗人師の依経と法華と同じと云ふ会釈をば、妙楽大師は毀り其の中に在り何ぞ弘讃と成らんと文、伝教大師は法華経を讃すと雖ども還つては法華の心を死す文、酔つて彼の余流を酌む何ぞ理同の義を成せんや、次に事勝とは何の事ぞや印契・振鈴・咒誦・入壇等の事か、若し此れ等を以て事勝と云はば・我聞く天竺の外道婆羅門の家には・二天・三仙の宝前に於て壇上を荘り供具を備へ・合掌礼拝・低頭挙手・結指振鈴・誦文等の種種厳重なり、漢土の道士之れに同じ是れ真言よりも事勝なり。

次に和国の神代・上古は之れを置く、仏法渡朝より已来神道と内道と諍論未だ停止せず、和光同慶は結縁の始と上下一同に皆之れを知ると雖ども・神力を重んじて仏事を軽んず其の故は小社・大社・祭主・神主・宮司・神人・御子・博士・禰宜祝等、神殿拝殿に縄を引き幣を捧げ皷を打ち笛を吹き帯を掛け鈴を振り喧歌して立つて舞ふ、之れに依つて宗廟の権限は哀憐を垂れて富福を与へ、社稷の神明納受して所願を成せしむ、故に貴賤頭を低れ万人歩を運ぶ是れ仏事よりも事勝なり、然る間・多く諸仏菩薩の利生を閣いて専ら御子・博士の祈祷を仰ぐ、賤しき都人士女は実に其れ謂れ有りと思へり、苟くも慈覚・智証争でか事勝に耽らんや、愚なるかな迷者の天子の未だ弓箭を帯せず・甲鎧を着る無きを拝見し奉つて外護闕如して賊害に遭ふべし、盛年の後・我等は手に刀杖を持し、身に武具を纏ひ内外満足して怨敵を除滅する故に・国主自も勝ると過言せば用ふるや否や、除災与薬の諸経も三密加持の真言も皆是れ法華経王の従類・理同事勝の二義共に非なり。

次に密教を学ばざるの徒は貧人等と云ふ事・暮露持者等の言語に之れ同じ・賤身己独と云ふ事爾かなり、但し大慢は五竺の帰依万蔵憶念の高人なり、賢愛は無縁の小僧・貧窮己独の賤身なり・之れに例して案ずべし。

次に無智高声等の事は・汝等所行是菩薩道・当得作仏と不軽菩薩は高声唱言し、罵詈誹謗の四衆は相共に千劫・於阿鼻地獄受大苦悩と云云、之れを以つて知るべし、汝等既に無懺なり何ぞ還つて墓無しと云ふや。
問ふて云はく当世法華宗の立義に念仏無間業と云ふ事・先づ言便宜しからざるなり、其の故は仏は阿弥陀に限らず・十方三世の総別の通号なり、故に説法講説の総礼には自帰依仏・自帰依法・自帰依僧と云ひ、至心発願の三宝とは念仏念法・念僧なり、是出難得道の根源たり争でか無間地獄の業因と称せんや、汝が言ふ所の如くんば・教主釈尊証明の多宝如来を念仏する衆生も皆無間の業か、之れを以つて之れを推するに念仏流布・貴賤賞翫の間・法華信受の上下嫉妬の謂はれか、今より以後永く偏執邪慢を停止して宜しく往生浄土に帰伏すべきものか。

答へて云はく汝未だ言総意別の問端を弁へず・既に念仏宗と云ふ宗の字を隠密して念仏を出帯す・無窮の難勢・謟曲顕然なり、論談决択の総礼・至心発願の三宝共に念仏・念法・念僧なり、自他宗流異なりと云へども三宝恭敬之れ同じ、三宝に於いて大小権実・本迹総別の種種の差別有り、今何ぞ権実の階級を忘却して猥りに念仏の名言に貧著するや、世人の貴賤上下に同名異体之れ多し、汝貴賤の同名に依用して当に貴賤の異体を混用すべけんや、所詮弥陀称名の念仏宗の法華経を信ぜずして毀謗すること此の経に有りや無きや、経に云はく若人不信毀謗此経○其人命終入阿鼻獄と・是れ私曲に非ず宜く経説を難ずべし、又釈迦多宝は法華の教主証明の実仏・西方の弥陀は権教所説の暫時の化仏・更に一例すべからず所破既に上の如し、又念仏賞翫嫉妬の推量は愚推食身と云ふ事は万人知る所なり、剰へ法華の行者を毀つて邪慢に擬し、誹謗の徒衆を拝して正師と号す・顛倒一に非ず罪報経の如し、哀れなるかな・念仏執着の族・仮位の安養を欣求す只是れ虚空の丈尺・亦復屈歩蟲の如し・還堕無間の業人なり、入阿鼻獄は治定の金言・往生浄土は未顕真実なり、但し地獄天宮皆以浄土の経文に依つて地獄を指して浄土と云ふか・恐れずんばあるべからず慎まずんばあるべからず。重ねて問ふて云はく・衆生の根性万差なれば教主夫れ一准ならず、故に大小権実・名は差別して仏陀と名づく善巧の根本之れ同じ、譬へば四河の水は無熱地より流出するが如し、十子の男女は悲母の胎内より生ず・根源是れ一にして支流相分れたり、遠き異域は且く之れを置く・扶桑一国の緇素貴賤・念仏の一門古今景勝なり、其の故は真言の貴僧・天台の高祖・仏心の禅師・戒文の律師・総じて諸宗の碩徳上下万人皆弥陀を唱へ悉く念仏に帰す、しかのみならず竜樹・天親は西方を恋慕し南岳・天台は弥陀を賞翫す、妙楽は諸経所讃多在弥陀・故以西方而為一准等と釈し、慈恩大師は八万諸聖教皆是阿弥陀と云云、又慈覚大師は常行堂を建立し弥陀仏を本尊とす、慧心僧都は往生要集を造つて安養世界を願ふ、此の外・唐土の五祖・我が朝の源空の念仏を流布し浄土を勧進するなり、道綽・善導は深く仏意を探り法然上人は広く経論を披いて機に順じ時に随つて念仏を宣布す・函蓋相応して万人帰伏す、然るに法華宗と号する一類の邪師・只未顕真実の一隅に執して専ら往生浄土の教行を毀り、偏へに正直捨権の一篇に屈して普く三国賢聖の弘通を貶とす、謗法の至極禁ぜずんばあるべからず、破僧の重科誡めずんばあるべからず。

重答に云はく、言ふ如く衆生の根性万差なるに依つて如来の説教一准ならず、故に大小。に東西を隔つ権実争でか一致と称せんや、譬喩に於いて之れを論ぜば・無熱は清浄なりといへども・余流屍尿を交へ、父母慈愛を含めども子孫逆罪を犯す、根源の冷泉なるを以つて糞水を汲むべからず、先祖の賢聖を尋ねて誰か殺父を賞翫せん、根本是れ一なるも支流同じく泯合す、又扶桑一国・念仏最勝等の事・次を以て示すべし、真言・仏心・戒律・已下の諸宗の依経は皆是れ権教方便・未顕真実なる故・彼此交雑して更互不定なり、天台一宗は仏乗に依ると雖ども末学迷惑して仏法を壤乱す、喩へば牧牛者の一升の乳に五升の水を加ふるが如し・乳にも非ず水にも非ずして・而も乳・而も水なるが如し、一乗の乳に諸乗の多水を交ふるが故に・一乗にも非ず諸乗にも非ずして而も一乗・而も諸乗なり、之れを以つて之れを勘ふるに彼彼の人師・宗宗の立義・落居無きに依つて倶に弥陀を唱ふるか、然らずんば貴賤の言に随順して口遊に弥陀念仏を唱ふるか、若し彼宗の所立の如く弥陀を以つて正と定めば須らく浄土家と云ふべし・何ぞ強ひて宗を別たんや。

次に竜樹天親・西方を恋慕すと云ふ事・竜樹菩薩は十宗の高祖・千部の論師なり、十住論を製して西天を渇仰し・天親菩薩は往生論を作つて安養を称美す、しかのみならず経経の説相に違せずして各各の諸論を製作す、是れ則ち正法の時代に出世し権教流伝の由緒なり、之に於いて竜樹菩薩の千部の大論に・般若は秘密に非ず二乗作仏無し・法華は是れ秘密・二乗作仏有りと、天親論師は法華論を造つて十七の異名を挙げて一乗を讃嘆す、科り知りぬ二主の内心は仏乗に帰すと雖ども・説時未至の故に施権を面と為し実を隠して裏に用ふ、妙楽の云はく竜樹天親・内鍳冷然・外適時宜の解釈は此の意なり苦に諍ふべからず。

次に南岳天台・賞翫弥陀の事・四十二字門・四種三昧等の事か、二字門に於いては人情の料簡なり、止観の四種三昧は諸経に寄付して調養を設くるの日に・西方弥陀を且く法門の主と為す、是れ又実義に非ずして正観の方便なり為実施権如来と同じ、南岳天台・像法転時流布の法華は迹門共住の分域なり、南岳は智者の師範なり天台の弘法隠れ無し、南岳は妙法蓮華経・是大摩訶衍・衆生如教行・自然成仏道と示訓し、天台は一一文文是真仏・真仏説法利衆生・衆生皆巳成仏道・故我頂礼法華経と云云、二師の正意之に有り但し随宜の所説をば除く、汝法華の行者を以つて何ぞ西方の願主と号するや・誠に是れ毛を吹いて疵を求むる権教執着の僻見なり、汝未だ聞かずや・聖徳太子は観音の化身・南岳の再誕・王宮に託生して戦場に発向し守屋を討罸して仏法を興隆す、本地大悲救世観音・戦場討罸・其事豈然からざらんや、哀愍衆生の慈力・種種の奇異を示現す四種三昧此の如し・当に化城の執教を廃すべし、妙楽の解釈之れに准じて知るべし慈恩の迷釈は依用するに足らず。

慈覚大師は常行堂に限らず・総持院・大講堂の本尊は大日如来なり、身は叡山大師の弟子・心は則ち真言・念仏者等なり、委細の所破は已前の如し、慧心僧都の往生要集は法華破廃の書釈・念仏興行の初門なり・所破上に同じ、但し一乗要決を見聞するに改悔の筆之れ有り。

次に道綽・善導深く仏意を採る等と云ふ事・経論の文証か顛狂の私曲か、源空所作の選択に云はく・道綽禅師・聖道浄土二門の中・聖道を捨て浄土に帰するの文、初に聖道門とは今時は証し難し・一には大聖を去る。遠なるに由り・二には理深解微に由る、是の故に大集月蔵経に云はく・我末法時中・億億の衆生・行を起し道を修する未だ一人の得者有らず、○唯浄土の一門あり通入すべき路なり云云、又云はく初聖道門とは○今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論・此等八家の心・正しく之れに在るなりと云云、天台依憑の法華経を捨てて未顕真実の権説の浄土に帰す・西方弥陀の正意か、教主釈尊の正意か、経に云はく・如三世諸仏説法之儀式・正直捨方便但説無上道、天台云はく華落は廃権に喩へ蓮成は立実に譬ふ、文に云はく正直捨方便但説無上道と、妙楽云はく捨は是れ廃の別名なり・開し畢りて倶に実権の論ずべき無し義廃に当る、伝教云はく白牛を賜ふ朝には三車を用ひず・家業を得るの夕には何ぞ須らく除糞を用ひん、経に云はく正直捨方便、但説無上道文、三国相応の経釈此くの如し、道綽・法然上人の所判と三国相応の経釈と水火なり用否何れぞや、況んや汝が所依の経に唯除五逆・誹謗正法と説く、除の字は是れ誹謗に非ずや、法華の筵・正法に非ずや、又初め聖道門とは今時証し難し大聖去つて。遠なくに依ると云云、法師品に云はく如来現在猶多怨嫉・況滅度後、勧持品に云はく悪世中比丘・那智心謟曲・末得謂為得・我慢心充満文、又云はく濁劫悪世中・多有諸恐怖・悪鬼入其身・罵詈毀辱我等云云、安楽行品に云はく悪世末法時と云云、薬王品に云はく後五百歳中・広宣流布・於閻浮提・無令断絶云云・天台云はく後五百歳遠沾妙道、妙楽云はく末法之初冥利不無・且拠大教可流行時・伝教大師云はく正像稍過已・末法太有近・法華一乗機・今正是其時也、何以故安楽行品云悪世末法時文、又云はく語代則像終末初・原地則唐東羯西・尋人則五濁之生闘諍之時・経云猶多怨嫉況滅度後・此言良有以也云云、又云はく当知法華真実経・於後五百歳必応流伝云云、道綽法然の料簡と如来大師の実語と天地なり取捨何れぞや。

次に二に理深解微に由ると云云、薬草喩品に云はく貴賤上下持戒毀戒・威儀具足及不具足・正見邪見利根鈍根・等雨法雨而無懈惓、法師品に云はく若有人聞妙法華経・乃至一偈一句・一念随喜者我皆与授記阿耨多羅三藐三菩提、分別功徳品に云はく而不毀皆起随喜心文、又云はく不須為我復起塔寺及作僧坊・以四事供養衆僧・天台云はく一一文文是真仏乃至故我頂礼法華経、妙楽云はく一念信解者・即是本文立行之首文、又云はく当知小乗之極果・不及大乗之初心文、伝教云はく能化所化倶無歴劫・妙法経力即身成仏文、理深解微の語に誑かされて日本国中上下万人・悉く一乗不信の機根と成る、世人上つて而も下ると云ふ是の謂なり、経に云はく若人不信毀此経・則断一切世間仏種・其人命終入阿鼻獄是れは文証なり、不軽軽毀四衆・千劫於阿鼻獄受大苦悩・是れは現証なり、悲しいかな・法華不信の貴賤上下・専修念仏の道俗・男女共に謗法の人に処す豈に無間の業に非ずや、引く所の大集月蔵経に至つては調機の方便・未顕真実なり、道綽・法然上人の僻見と世尊大師の誠言と雲泥なり・是非何れぞや。

次に善導和尚・正雑二行の中に五種の雑行を立つ、第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外・大小乗・顕密の諸経に於いて受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく云云、経に云はく但楽受持大乗経典・乃至不受余経一偈文、又云はく見有読誦書持経者・軽賤憎嫉而懐結恨文、善導和尚と如来の経説と差別黒白の二色の如し、第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除いて已外・一切の諸余の仏菩薩等・及諸の世天等に於いて礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく云云、経に云はく合掌以敬心・欲聞具足道云云、又云はく是時菩薩大衆弥勒為首・合掌白仏言世尊、又云はく恭敬礼拝讃歎供養文、又云はく敬礼天人大覚尊文、世尊と善導和尚と隔異・須弥芥子に似たり、又云はく善導和尚は念仏を以つて十即十生・百即百生と云ひ法華経をば百時に希れに一二を得・千時に希れに五三を得・或は千中に一無しと云云、経に云はく若有聞法者・無一不成仏、又云はく於我滅度後・応受持斯経○決定無有疑文、希得一二と成仏決定との差異は纔に一毛に非ず相違既に大山よりも甚だし。

次に天台黒谷の法然上人・一部十六段の選択集を造り捨閉閣抛の四字を以つて諸仏諸経諸菩薩を破す、第一段の捨字・上の如し・第十二段に云はく当に知るべし・随他の前には暫く定散の門を開くと雖ども随自の後には還つて定散の門を閉づ・一開己後永く閉ぢざるは唯是れ念仏の一門なりと、経に云はく欲令衆生開仏知見、又云はく開方便門示真実相文伝教の云はく当に知るべし他宗所依の経は未顕真実なり随他意の故に、天台所以の経は最も為れ真実なり随自意の故に取意、源空の選択と如来出世の本懐と文理比校するに金土・染浄なり、十六段に云はく夫れ速かに生死を離れんと欲せば二種の勝法の中に○且く諸の雑行を抛つて選んで応に正行に帰すべしと、経に云はく欲令衆生悟仏知見道故・欲令衆生入仏知見道故、又云はく十方仏土中唯有一乗法・無二亦無三・除仏方便説、亦云はく如我昔所願今者已満足・化一切衆生皆令入仏道文、又云はく今此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・而今此処多諸患難・唯我一人能為救護、又云はく此経難持若暫持者・我則歓喜諸仏亦然・如是之人諸仏所歎・是則勇猛是則精進・是名持戒行頭陀者、又云はく此経則為閻浮提人病之良薬・若人有病得聞是経・病即消滅不老不死文。

又選択に云はく極悪最下の人の為めに極善最上の法を説くと、経に云はく正直捨方便但説無上道、又云はく此法華経諸仏如来秘密之蔵於諸経中最在其上、法然上人は法華を指して捨閉閣抛・随他意・雑行と下し念仏を賞して随自開門・最上正行と云ふ、世尊は念仏を以つて捨閉随他・未実・方便と破し、法華を讃して随自開門・無上最上と説き玉ふ、法然上人の選択と法華経の文と両説なり一方入阿鼻獄なり、予八軸の明鏡を披いて三師の醜面を浮べたるに謗法眼前に有り今何ぞ口論に及ばん、経に云はく当来世悪人・聞仏説一乗・迷惑不信受・破法堕悪道、又云はく若有悪人以不善心・於一劫中現於仏前・常毀罵仏其罪尚軽・若人以一悪言・毀呰在家出家読誦法華経者・其罪甚重・次に法然上人広く経論を開いて等の事、提婆・大慢は万蔵を暗んず善導・法然上人は広く経論を開く謗法相似たり堕獄又之れに同じ。

次に随時順機等の事所破上の如し。
次に万人帰伏の事・猟師の鹿を殺し海人の魚を釣る・此の外・猿楽田楽・歌舞酒宴等・与党盗物・婬女集男は万人の帰伏すること。かに念仏に勝れたり、又況んや爪上小土・十方大地の譬喩・経に在り何ぞ規模に備へんや。

夫れ法華宗は源と久成如来の付嘱を受けて専ら広宣流布の妙法を弘む・正直捨権は出世の本懐・未顕真実は序分の定判なり。
誰の人か一門を軽賤し誰の家か一隅と蔑如せん、往生極楽は無実の方便・三国の賢聖は正像の弘通なり、汝正師を毀つて還つて謗法と号し更に悪侶を重じて何ぞ正僧と称するや、抑も往生極楽は無実の方便と云ふ事は弥陀経の対告衆は舎利弗・観経の付嘱は阿難なり、彼の経経を披見するに只往生の文のみ有りて全く成仏の人無し、法華の会に来至して対告の身子は華光如来・付嘱の阿難は山海仏と称す、二乗菩薩・人天大会・善悪凡聖・一切衆生・劫国名号・授記作仏は法華経中に有り、何ぞ現証成仏無らん強ひて浮虚の往生に着せんや、凡そ爾前の諸経は皆是れ妄語にして調機の方便未顕真実なり何かを以つての故に所謂二乗作物を永不成仏と説き、久遠の実本を始成正覚と明かす、天王如来は五逆の調達を称し即身頓証は竜蓄女質の為めなり、故に序分の経に云はく知諸衆生性欲不同・性欲不同種種説法・種々説法以方便力四十余年未顕真実文、伝教大師云はく釈迦一代四十余年の所説の教略して四教及び八教有り、所謂樹王・華厳・鹿苑阿含・坊中方等・鷲峰等・般若演説一乗・大小菩薩歴劫修行・小乗三蔵教・大乗通教・大乗別教・大乗円教・頓教・漸教・不定教・秘密教・是の如き等の前四味各各不同・是の故に名けて種種説法以方便力・四十余年未顕真実と為す、正宗に云はく知第一寂滅以方便力故・雖示種種道其実為仏乗、又云はく正直捨方便但説無上道文、経迹既に分明なり誰の人か疑網を懐かん、今流布の法華宗は結要付嘱の明拠・上行菩薩の所伝なり。

但し此の宗に於て分別有り自余は天台沙門と号し富士独り本門の立行なり。
念真所破抄下山坊主日順の御作なり、文和五年八月十五日・甲州下山大沢の御坊に於いて伝授し畢んぬ、学頭坊遺跡・治部阿闍梨                                                             日伝生年二十一歳。

編者曰く本山蔵日心本に依つて漸く此を読校す

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