富士宗学要集第二巻

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誓 文

夫れ仏家に入つて自他を利せんと欲せば・先づ道心の大地より慈悲の草木を生し、正信の華葉を開いて無上の実果を拾はんものか、爰に於て代は悪世末法に帰すれば・人は戯論名利を求め、時は闘諍堅固に当れば・意は邪慢謟曲に住す適ま得難き人身を得ることは輸王出世の曇華を獲るが如く、幸に値ひ難き妙法に値ふことは一眼の霊亀の浮木に値ふが如し、本因直達値遇の縁・此れよりも尚甚だし、此の度・妙法の船に乗らざらんもの・永劫苦海に沈輪せん、生死既に眼前に有り老少応に思惟すべし。

抑も日蓮聖人は・忝くも上行菩薩の後身・当時利益の大権なり、未了の者の為めに事を以つて理を顕すの昔は・虚空会に出現して以要言之の付嘱を受け、後五百歳に必ず流伝すべきの今は・扶桑国に降臨して広宣流布の実語を示し玉ふ、世尊面授与物の薪尽きて・弘安五年初冬・円寂の刻・六人の上首を賞して沒後の軏範を定め玉ふ、而るを五老深く本迹不二の一途に屈して頗る天台沙門と号し、富山独り正像已過の権迹を廃して新に本地の妙法を弘む云云、興師の伝灯四十余回・元弘第三の二月七日未だ本望を遂けずして終に遷化を唱へ玉ふ。

倩ら大聖富山二代の遺跡を撿するに・貴賤互に偏執を懐き・所立亦た異議を存す、科り知りぬ一は是にして余は非なることを、恐くば皆着欲僻案の謂ひか、能聴是法者斯人亦復難の経文苑も符契の如し、濁世中比丘・邪智心謟曲と仏記豈に他宗に限らんや、乞ひ願くば行学具徳の賢哲・名利嫉恚・謟狂邪偽の種類を遠離して須く慈悲道心・柔和質直の意楽を用ふべし、柔和質直者・則皆見我身・放逸着五欲・堕於悪道中は寿量品の説相、当に嫉恚慢謟狂邪偽心を捨て慈眼視衆生・福聚海無量は経王の教訓なり。

所詮異門別心の族に於いては沙汰評定の域に非ず、当家一味の師檀の中に大事堪え難きこと・出来の時は本尊を勧請し奉りて各判形を加へ、偏頗を破劫せしめて宜しく衆議を成すべし、然らずんば後輩弥よ私曲を構へ人法共に断絶に及ばん、諸寺諸山に即ち其の例有り公家武家の法又是の如し、律儀格式は王業の政道・捨悪持善は仏陀の通戒なり、但し我等愚性暗鈍にして短慮覃び難く、義理甚深にして旨趣を弁へざる者は冥顕に付いて之を除く可し、或は親疎有縁の語に依つて非を以て理に処し、或は富福高貴の威を恐れて法を破り礼を乱る、若しくば妄情自由の見を起して悪と知つて改めず若しくば正直無差の訓を聞き善と知つて同ぜざる者は、仏滅後二千二百三十余年の間・一閻浮提の内・未曽有の大漫荼羅・所在の釈迦多宝十方三世諸仏・上行無辺行等普賢文殊等の諸薩埵・身子目連等の諸聖・梵帝日月四天竜王等・刹女番神等・天照八幡等・正像の四依竜樹天親天台伝教等・別して本尊総体の日蓮聖人の御罸を蒙り、現世には一身の安堵を失ひ、劫つて諸人の嘲りを招き・未来には無間に堕ち将に大苦悩を受けんとす、仍つて興隆和合の為め厳重の誓文件の如し。

今仏神を頂戴し奉り・聊か祈願の連署を捧ぐることは、併ら邪正を糺明せしめて倍す令法久住を期する故なり。
暦応五年(太歳壬午)暮春十四日・駿州富士山麓・報恩会合の次でに興師の余流・本門の持者・道俗同心に評議し訖る。
                                                             本門寺学頭日順敬白。

編者曰はく要法寺蔵古写本に依り更に一円寺本を以て校合書写し畢んぬ。

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