富士宗学要集第二巻

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百五十箇条

百五十箇条(目次)
一、止観法華勝劣の事
二、教観何れか勝るやの事
三、寿量品助行の事
四、仏に就て本釈有るべき事
五、本門戒壇在所の事
六、住本寺日大直兼に値い本門を決する事
七、本門戒迹門に勝る事
八、本迹水火を隔する事
九、水火一致会通の事
十、本門教主釈尊の事
十一、日興本門弘通導師の事
十二、富士山本門戒壇建立の事
付り富士新六人本六人並方便読誦の事付り三法妙の事
十三、四要品当台取り様
十四、互為主伴の事
十五、位牌立不の事
十六、符守書不の事
十七、説法談義の不同
十八、造仏の事
十九、身延参の用否
二十、五人謗法の事
廿一、三十番神の用否
廿二、法華懺法作者の事
廿三、神に三種有る事
廿四、社字才学の事
廿五、諸神本懐の事
廿六、諸仏本懐妙法の事
廿七、重服深厚の事
廿八、諸神法花垂迹文釈の事
廿九、門流鎮守の事
三十、本尊書写替る事
卅一、本尊書写の事
卅二、梵字の読の事
卅三、本門教主の事
卅四、塔中とは何処を指すやの事
卅五、宝塔品と日蓮と同躰
卅六、大師塔中にて釈迦に値ふ等
卅七、日蓮釈迦に値ふ事
卅八、台家常住釈迦の事
卅九、当家の常住釈迦の事
四十、境一心三諦迹門の詮の事
四十一、観心大教の事
四十二、台家言説の当躰三観の事
四十三、当家一言の事
四十四、台家塔中の戒の口伝の事
四十五、当家究竟持戒の事
四十六、是塔中法門かの事
四十七、如是我聞法華の肝要
四十八、円戒を以て塔中儀式に用る事
四十九、未だ本門戒壇立たざる事
五十、心境義の成道の相の事
五十一、当家魔退の文
五十二、本理の処三千具足の事
五十三、南無妙法魔退の文
五十四、止観の大旨は宗なりやの事
五十五、宗旨宗教の事
五十六、塔中円頓の法門有るへきかの事
五十七、草木成仏の事
五十八、弘決六通明観の釈の事
五十九、草木成仏本躰の事
六十、寿量品文底の事
六十一、円頓釈一字不言
六十二、辺邪皆中正の事
六十三、大師塔中釈迦に値い奉る事
六十四、大意本覚の事
六十五、当無量劫来料簡の事
六十六、十二日の御難十三日御入滅の事
六十七、止観大旨の事
六十八、本門法華宗理名の仏の事
六十九、六即仏の事
七十、四種三昧道場の事
七十一、法華法界道場の事
七十二、法華深義根本法華の事
七十三、顕説法華肝要の事
七十四、法華深義塔中の事
七十五、本地妙法処談実相
七十六、教相章段建立有り
七十七、根性融の事
七十八、無量劫来の事
七十九、迹門無明の事
八十、下種三種教相の事
八十一、略伝三箇大事
八十二、娑婆塔躰不改の事
八十三、大蘇法華三昧道場の事
八十四、常寂光土の事
八十五、四土具足本迹の事
八十六、蓮華因果の事
八十七、此の宗蓮華因果の事
八十八、当体譬喩蓮華の事
八十九、蓮華所生の御書の事
九十、祈祷経本迹勝劣の事
九十一、迹門を馳過き宝塔品の事
九十二、迹門馳過謂の事
九十三、末法の事
九十四、首題観心の事
九十五、一乗の事
九十六、行者の事
九十七、名字即の行者の事
九十八、息災延命の事
九十九、延命の事
百、所願成就の事
百一、成就の事
百二、祈祷経文今世を限るかの事
百三、法華宗祈祷叶うべきかの事
百四、外典旧業有難き事
百五、王孫買孔夫子に問うの事
百六、伯牛病有る事
百七、鐘鬼大臣の事
百八、君子争う所無しの事
百九、合して三々九度の事
百十、妙経を祈る其れ詮有るべきかの事
百十一、祈祷経送状
百十二、最蓮御坊正相伝かの事
百十三、祈祷経秘書の事
百十四、祈祷の経文と読むべきかの事
百十五、文質の事
百十六、日蓮御名乗の事
百十七、日蓮経主の習の事
百十八、日蓮心肝と臥たる事
百十九、撰の事
百二十、勧請の事
百廿一、請字の事
百廿二、一礼の事
百廿三、南無梵漢事
百廿四、霊山浄土何ぞ経釈に依るかの事
百廿五、浄土法門本迹違の事
百廿六、厭離穢土の事
百廿七、釈迦翻名の事
百廿八、礼拝種々ある事
百廿九、一礼相当の末代の事
百三十、多宝仏一礼の事
百卅一、十方分身釈迦の事
百卅二、祈経の一経三段二経六段の正意の事
百卅三、受持者の事付擁護の文
百卅四、広宣流布の証文の事
百卅五、題目一返の事
百卅六、涌出品を以て本門の序と為す事
百卅七、種智還年薬の事
百卅八、是故我等深信斯旨の事
百卅九、法華妙理の事
百四十、一部八巻廿八品の事
百四十一、一々文字の事
百四十二、真仏説法利衆生の事
百四十三、本迹不同の事
百四十四、六波羅蜜自然在前の事
百四十五、一切業障海の事
百四十六、不信と極謗との下種の事
百四十七、謗法軽重の事
百四十八、末法弘通の志の行者の事
百四十九、解悟知識の事
百五十、大難を遁る御書の事

右此の添削の事其の憚り多しと雖も且は末代初心の為に且は先師日耀の為なり、所以は何ん一言に申し伝る法門を記し奉らんと欲す云云、仍私情を存せず御抄経釈に依る料紙帖数多しと雖も一帖は他見あるべからず、私に門流の方荒々之を記す又当家の御事立ち入らざる事也努々秘すべし秘すべし、但門流不知案内の人々志有らば此書伝持の者は一文不通と雖も行歩を運んで書き移すべし、荊揚往復する途将に万里ならんとす、前後補接して纔に一遍を聞く云云、誰か之を弁ぜざらんや。
愿師朱書に云く在師と

私に云く住本寺の住侶本是院日叶の作なり。

問て云く、止観法華の勝劣は何なる釈に依り又何の書に依るや、答て云く、止の一に云く止観一部は是法華三昧の筌蹄文、此釈の意は止観は法華の魚兎を取る為の筌蹄と釈す尤法華勝るゝと有る可きなり、当世の天台宗は大師の釈に背いて法華より止観は勝るゝと云ふ邪義をかまう、されば日蓮聖人の御書に諸釈を引いて止観法華に劣る也別教分の法門と書せり、最蓮御房御返事に云く、当世の天台宗何より相承して止観は法華に勝ると云うや、但し予か所存は止観法華勝劣天地雲泥なり、若与へて之を論ぜば止観は法華迹門の分斉に似たり、其の故は天台大師の己証とは十徳の中の第一は自解仏乗・第九は玄悟法華意なり、霊応伝第四に云く、受法華行三七日境界と文、止観の一に云く、此之止観は天台智者説己心中所行の法門と已上、弘決の五に云く、故に止観に至り正しく観法を明す並に三千を以て指南と為す、故に序の中に云く説己心中所行法門と已上、己心所行の法とは一念三千・一心三観なり、三観三諦の名義は瓔珞仁王の二経に一心三観有りと雖も・一念三千等の己心所行の法は迹門十如実相の文を依文として迹成し玉へり。

爰を以て止観一部は迹門の分斉に似たりと云ふ事・若し奪て論ぜば爾前の権大乗・即別教の分斉なり、其故は天台己証の止観とは道場所得の妙悟なり、所謂天台大師大蘇普賢道場に於て、三昧開発し証を以て師に白す、師伝て曰く法華の前方便陀羅尼なり、霊応伝第四に云く、智●師に代つて金字経を講ず一心具万行の処に至り●疑有り、思為に釈して曰く汝が疑う所は此乃ち大品の次第の意耳未だ是れ法華円頓の旨ならざるなり文、講ずる所の経は既に権大乗経なり、又は次第と云ふ故に知ぬ爾前帯権の経、別教の文斉なりと云ふ事なり、己証既に前方便陀羅尼なり、止観を説己心中所行法門と云ふ故に、明に知ぬ法華迹門に及ばずと、云う事を何に況や本門をや。

若此意を得れば檀那流の義は尤善きなり、此等の趣を以て止観は法華に勝ると・申す邪義ばを問答有るべきなり、委細の旨別に一巻書き進ぜ候なり、日蓮相承の法門血脈之を注し奉る、恐々謹言、二月廿八日日蓮在判云云、当家の本門此筋にて云い懊うべきなり、殊に当門戸の人々爰に迷ふては説法利生も徒と成るべし。

止観法華の勝劣に就て、附文行相・顕説根本取合て附文を根本に望れば附文は劣り根本は勝れ・行相顕説並れば顕説劣り行相勝ると云ふ是尊海の骨目抄の約束の分斉なり、此等の義を以て当宗に此智をなすとて法華の法門を言顕す顔返々も邪悪なり、顕説法華は行相に勝れ根本法華は元より附文止観に勝るなり、此等の事能々思ふべし。

天台の観心は迹門理の一念三千なり、此習を以て当家の観道にする事有るべからず、当門戸の観心は南無妙法蓮華経なり、妙覚の成道をば之に依つて唱うべきなり。猶成道と云ふも下れる義なり、当位即妙なり、せやの円臺坊の云く妙は是れ八巻の名には限らじな松竹梅も当位即妙云云、面白かりける事なり。(日辰云く成道猶下るとは依用し難きなり。)

次に教観何か勝れたりやと云はば何とか答ふべきや、日叶が所存は伝聞の通り教門勝ると答うべし、其の故は観門は台家の習ひ迹門なり、教門は正像末の三時の中の本門の大教なり、其の上蓮祖の本門弘通は折伏は立教門、教とは聖人下に被るの言、相とは同異を分別するなり已上。

●案ぜよ迹の大教興れば爾前の大教を廃す、本の大教興れば迹の大教を廃す観心の大教興れば本の大教を廃す云云、此の観心の大教こそ首題なれ、さる時は寿量品を捨るや捨るに非ず、仰に云く在々所々に迹門無得道と云へる予が読む所の迹に非ず天台過時の迹を破して候なり、今本迹一致と云へる人、天台過時の迹と法華十四品の迹に不同異本有らば出ださるべし、若し出さざれば・如何ん得意大事なり、予が読む所の迹は四重の興廃を以て之を見よ寿量品にてや有らん、されば門戸の深義は寿量の迹と存ずべきなり、本は首題なり、是が教観不二なる故に或時は観心の大教と謂れけるなり、元より妙なる故なり。

日蓮御勘文言上に云く、読誦し奉る寿量品を以て助行と為し・唱え奉る妙法蓮華経を以て正行と為し・正助二行整束して之を読誦し奉る、此の功徳に依つて信心の行者除病延寿ならんのみ云云、此義なり、さてこそ当流本迹は本迹共に勝るなり・余門に事替るなり・他門徒の捍に非ず、聞伝正相伝無き本迹なる故に篇目大に替るなり、此義にてや有りけん・白蓮云く夫れ諸宗破失の基は天台伝教の助言にして全く先聖の正意に非ず云云、げにも天台伝教・南三北七の十師の邪義・六宗の邪僻を難破し玉へり、助言は聞へたり先聖の正意は只寿量品の肝心本門寿量の南無妙法蓮華経云云、是は教の上の本迹なり。

仏に就て本迹有るべきや、答て云く有るべし、大段一箇の算題・新成妙覚の仏顕本するや否やの事・論抄の如し・新成は十九出家等の仏なり、久成の本の教主なり、新成久成有り実の妙覚と云ひながら・初住所具の分証妙覚なり、本の妙覚とは妙覚究竟の妙覚なり、但寿量の説を聞いて増道損生する四十二地の時、妙覚の益を挙ぐるや否や・山門三井の異義なり、三井には得無漏清浄之果報の文を挙ぐ云云・山門には挙げず・其故は妙覚の益を経に挙ぐるならば末代法華の行者・当位即妙の事はなにと成るべきや・挙げずとこそ聴聞申たげにと云云、分別品に見えざるなり、一念信解の功徳が五波羅蜜の善根に超えたるなり、天台云く一念信解とは即是本門立行の首文、是を妙覚の仏果と申すべきか、其の行者を伺ふに未だ之有らず・誰人ぞや、天台と云はんとすれば観行五品初随喜の位に叶へり、餘の人師には無きや、当流には日蓮聖人を以て本門の教主と仰ぐ所なり、いかに人の不思議の邪義と云はんずらん御書の秘文にも非るなり、カナ一つちがい成るべきや、当流相伝の御正筆には上行等の四菩薩の脇士となるべしと有り云云。

報恩抄に云く、されば内証は同しけれども法の流布は迦葉阿難よりも馬鳴竜樹は勝れ馬鳴等よりも天台は勝れ天台よりも伝教は勝れ給ふり、世の末になれば智は至つて浅く仏教は至つて深し、例せば軽病には凡薬・重病には仙薬・よはき人には・つよき方人有りて扶くるが如き是なり。

御書に云く本因妙法華経本迹、全く余行に分たざりし妙法は本・唱る日蓮は迹なり、手本には不軽菩薩の廿四字是なり。
問て云く天台伝教の弘通し玉はざる正法ありや、答て云くあり、求て云く何なる法ぞや、答て云く三つ有り末法のために仏留め置き給へり、迦葉・阿難・馬鳴・竜樹・天台・伝教等の弘通せざる正法なり、求て云く其の相貌如何、答て云く一には日本乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・塔外の諸仏菩薩上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本漢土月氏・一閻浮提に人毎に有智無智をきらはず一同に他事を捨てて南無妙法蓮華経と唱うべし、此事未だ一閻浮提の内に弘らず、仏滅後二千二百廿余念の間一人も唱えず、日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と声も惜まず唱うるなり、日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までも流布すべし、日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり無間地獄の道をふさぐ、此功徳は伝教大師・天台大師にも越え竜樹迦葉にも勝れたり、此御書に三大秘法見えたり、台家には肝要と云ふ七箇の中に円教三身・蓮華因果・常寂光土なり、円教の三身とは本門の教主釈尊と取り合せて得意べきなり。

常寂光土は本門の戒壇是は何処に有りや富士山とこそ伝へ承れ、日興仰に云く日本は惣名亦本朝扶桑国○富士山と云うなり云云、日蓮と名乗り玉ふ事、悲母梅菊女の夢によるといへども正意は大日蓮華山相応の故なり、されば六人の御弟子の中に法門の大事・三箇の秘法を授け玉ふ日興を白蓮と申すも日蓮と白蓮と同じ心なり、富士山は八葉の白蓮なり、師弟一双の御名乗と相伝るなり、されば富士の麓に六万坊立つべき御差図有りと伝へ承るなり、富山立義抄の事を日興の仰に云くと私書せり是興作には非ずと云う事之有り、伝へ聞く五人謗法の法門を仰けるに早世し玉はば此の事をば何と申さん、双方便寿量品の読誦の事、天目申さるべし、其時は如何と申さんと、甲斐国秋山の新九郎所望に依り学頭日順に仰せ付けて之を記す御目に懸るの処に御直しと之を承る(但追て之を尋ぬべし)。

一、日大上人、不動院直兼に値つて種々の法門御尋ね有る中に、日大尋て云く法門三箇の大事、直兼答て云く尤之有るべし云云。仍山上に事の戒壇有るかと尋ね下ふ時有りと答へ玉へり、難じて云く山門は潔界の地なり・全く之を見ず云云、答ふ山王七社なり・男女四衆参るなり云云、日大尋ねて云く本迹表裏、直兼答て云く尤然るべし云云、台家既に此の如し云云。

一、天台は理観の故に一念三千の観法、当宗は事相の故に受持、此の受持に付ても寿量品肝要と見えたり、されば当流には古えより受持の時は本門戒躰抄をよみ玉ふなり、惣じて受持は貫首に限るなり、但雲州瑠璃院の坊主は日大上人格別の義を以て、四衆の出家得度の事御免有り、故に惣貫首の綺に留めらるべし云云。

本門戒躰抄に云く、今の戒とは小乗に小乗の二百五十戒並に梵網の十重禁・四十八軽戒・華厳の十無尽戒、瓔珞の十戒等を捨て未顕真実と定め畢りて、方便品に入り持つ所の五戒・八戒・十善戒・二百五十戒乃至十重禁戒等なり、経に是名持戒とは則此心なり、迹門の戒は爾前の大小諸戒に勝れたりと云へども尚本門戒に及ばざるなり云云。
下種戒躰本迹、爾前迹門の戒躰は雑・本門の戒躰は純一無雑の大戒なり、勝劣天地水火猶及ばず具には戒体抄の如し云云、十重禁戒とは一に不殺生戒・二に不倫盗戒・三に不邪婬戒・四に不妄語戒・五に不飲酒戒・六に不説四衆過罪戒・七に不自讃毀他戒・八に不慳貧戒・九に不瞋恚戒・十に不謗三宝戒云云。

治病抄に云く、法華経において又二種あり所謂迹門と本門となり、本迹の相違は水火の相違なり、例せば爾前迹門の相違ありと云へども相似の辺あるべし所謂八教あり、爾前の円と迹門の円と相似せり、爾前の仏と迹門の仏と劣応・勝応・報身・法身異なりと云へども始成の辺は違目なし、今迹門と本門と教主已に久始の遥なり、又百歳のをきなと一歳のようちの如し、弟子又水火也、土の前後云ふ計なし、而るに本迹を混合するは水火を弁えざる者なり、而るに仏分明に説かせ給へども仏の入滅より、今二千二百廿余年の間・三国並に一閻浮提の内に分明に分けたる人なし、但し漢土の天台・日本の伝教二人斗りこそ粗わけ玉ひて候へども本門と迹門との大事の円戒未だ分明ならず、所詮天台と伝教とは内に●み給ふといへども・一には時ならず、二には機なし・三には譲られざるなり、今末法に入りて地涌の菩薩出現して弘通あるべき事なり、又云く但法華経本門をば法華経の行者について祈り奉り、結句・勝負を決せざらん外は・かたかるべし、十境十乗の観法は天台大師・伝教の御時少し行ずと云へども敵人よはき故に左手すぎぬ、止観の三障四魔と申すは権教を行ずる行人の障にあらず・今日蓮が時に具に起れり、又天台伝教等の御時の三障四魔よりも今一入倍れり、一念三千の観法に二あり・一には理・二には事なり、天台伝教の御時は理なり・今の時は事なり、観念既に勝るゝ故に大難又色を勝さる、彼は迹門の一念三千・此は本門の一念三千なり、天地遥に殊なり殆ど臨終の時は御心へあるべく候。

此の御書本迹を混合するは水火を弁えざる者なり云云、之に付て大略水火一致の義を成せらるる有り、夫は東陽の廿七箇の口決に天狗法門と云ふ一なり、但此水火一致の事は雷火の事なり、雷の落ちたる時もゆる火に水をかくれば火熾盛せり、本来水火なる故に此の天台家の口伝を以って吾師の御書を会通せば是が仏敵と為るべし能々思案有るべき事なり、惣じて天台一流の口伝相伝をかゞやかし本門弘通の蓮師の御書を破らん事口惜し、過言一び出れば四馬をへども舌帰らず、白珪のかけたるをば磨くべし、此言のかげたるをば磨くべからず、或は水精の玉の譬を以て言ふ人有り、是は水精の能徳也されども日に向える時水を出し月に向える時火を出すならば水火一致なちん、水聚所成の月影が水精の縁にあふて露となり、火聚所成の日の光が白玉に映りて火を取るなり、或は躰用を言ふ人は大海の譬を以つて沙汰す、波の立つは用・静るは躰と云云、是躰用一躰の証拠とは成難し、波立てば磯を破り渚を鑿ち人を損じ船を覆す、静なる海に其の体無し波は人を殺して大海に入る大海には死骸を留めず、一躰とは申難し云云。

傳大士云く象馬鏡に走るとも鏡は動転無し波浪海に静れば諸相寂然なり分、此の心当に本迹の法なり、本心を云ふ人是有り鏡は本・浮は用なり、本迹一致なりと云云。此事信用は足らず、象馬が鏡に及ぶは走る時の事なり、本来として走らざるに浮ぶなし、又は左右の手を以て常に本迹の義を成す其の口伝は誰人の口伝ぞや、若始終迹機の一念三千の観法を一にする天台宗の口伝か、吾等も其の口伝を知れり、是は一身が法華経なりと云ふ教化の時、身をわするな、仏弟子周梨盤特は名を忘れ孔子の主たる哀公は魯国にて孔子に語り玉ふ、わたましに妻を忘したる人有り云云、孔子は身を忘たる人有りと云ふ夫は誰ぞや、夏桀殷紂周の幽王なり・三女に依つて身を忘るなり、一身法華なるを忘れたるは堕獄なりとは教化すべし、天台一流の口伝を信じて御書を会通せん事は冥罸有るべき事なり能々思案有べきなり、或は扇の譬を以つて云ふ人あり扇の風に裏風とて別に無し・只一風なり本迹一致と云云、是又工匠のなすわざを以つて本化上行の御書を破る事は無慚なり、但御書に此事有らば出さるべしと募れ。

但此の治病抄を破せずと会通を加へば聴聞を致すべし、彼は理の一念三千・是は事の一念三千天地。に異なり、此の理の一念三千と云ふ所にも本迹有り是私の御書に非るなり、其の故は日蓮日興に御付属の七面七重の口決百六箇条の本迹口決有り、付脱益五十箇条、因下種五十六箇条あり、脱益の下の第一に理の一本念三迹千、一本心三迹観・注に三世諸仏出世成道○一心也云云、下種の下の始に事一本念三迹千、一本心三迹観本迹、注に云く釈迦三世諸仏○蓮華経は本なり・末代の吾等が唱るは迹・日蓮聖人の御唱は本・共に仏道する方は本迹一念と此の如く建立するこそ事の一念三千なり、此の事の行者が一念三千の上にて○作るなり、此の筋目を失って天台過時の迹門を破るを返て大僻見と云ふ人は是当家不知案内の人なり、真は唯我与我の門流に非れば争か之を知らん口伝有り。

日叶不省の身として広大・博言の染筆後見に思召すべき事其の憚り多しと雖、爰に吾か弟子愚魯の者螢雪の窓に進まず慈母三遷の考を思はず徒に門流の義を遺る曽て以て其義を知らず、本迹勝劣と云ふ文字をも知らず、一致と云ふ証拠をも弁えず、故に日叶耳順余齢幾程ならざる故にほ・信を生せしめんが為に・老眼を以て調字染筆す全く他の嘲に非ず、門戸の信心を取らしめんが為なり、ことに門徒の相承大概之を書く、定めて折檻有るべしと雖も末代皆々習せ失て正体有るべからず菅見を以て、猶々労く注記すと云云。
即是道場の事(口伝有べし惣別有らん)日本三処戒壇・或は小乗権大乗法華迹門なり、法門の大戒壇能く々く思うべし云云。

円教三身と台家は習ふ当流の時は本門の教主釈尊と、余流には久遠本覚の古仏を指して本門の教主釈尊と成す珍しからざる事なり、此時互為主伴の法門立つべからず、夫れ互為主伴とは本門寿量の説顕して申すとかや、昔虚空会の時は釈迦を本尊として脇士に上行無辺行の四菩薩・迹化他方あり是脱益の導師なり、機縁の薪尽て入滅あれば是好良薬を留めて無明難断の敵を殺すなり、三惑同時断義を顕すと云ふも下れる義なり、不断而断の義成の為の遣使還告なり、或他師は或用神通或用舎利・或用経教云云、此義も一往当文には四依菩薩なり、其菩薩の末代に出でて本門寿量品を弘め玉ふ時、釈迦二度の出世なり、此の下種の導師を以つて本門教主釈尊と申すなり、さてこそ宝塔の中の釈迦多宝塔外の諸仏上行等の四菩薩脇士と成るべし云云、是こそ互為主伴なれ、何れの門徒にも所持の方は御覧あれ、上行等の四菩薩の脇士となるべしと有り、而るを四菩薩を脇士となるべしとよめり、をのの違目なり、御書の前後三大秘法の事・御思案有つて排すべし、但御書に於ても展転書写の誤之有り、乙御前御抄にてあるや乙御前のくまのまうでの事と有り、夫を大聖人の御ほめある趣なり是故に社参物詣苦しからざる由・法談する人をも親たり聞えけり、吾等も其徒党なり如何ん加様の事本寺に記せり、是は本の御筆を見奉りかたかなに書く時をと御前のいまの詣の事と有り、身延へ参詣を讃め玉ふなり、夫をいの字をくと書いてくまの詣とよめり筆者の誤なり、中ん就く聖人神天上の一途の御法門蜜仰せられけるに何故有つて・くまの詣を讃むべきや、只本門の教主釈尊とは日蓮聖人の御事なりと申し募るなり。

夫れ仏に於て教相観心元意の本尊有るべし、元意の教主釈尊は床敷き事なり、是台家にも習い有る事なり、此元意の本尊指南は日蓮聖人なり。
余は之を置く当門流に大聖人以来は日興を以て・法主とせり・是も元意の本尊なり、何の門徒も貫主法主と云ふ事有り、夫れが教主の習ひ有りて下種の妙法を授るなり、さてこそ惣別の中に別して法主計り受授の導師となると申し伝えたり、唯我与我の事口伝にあり・大段の門流の心得事には大聖人六老僧を定め玉ふ、されども其の中に法主は有るべきなり、何の門流にか御座すや床敷き事なり、伝え聞く天台大師に三千余の弟子有り章安朗然として独り之に達す、伝教大師三千侶の衆徒を安く義真の外は其義無し、今日蓮聖人、万年救護の為に六人の上首を定む、何ぞ法主無からんや不審之多し、何れにか法主の護りを得玉へる御判有るぞや尋ぬべし・門流に於て・其の証分明なり、御書云、下種法華経教主の本迹・自受用身は本・上行日蓮は迹なり、我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底本因妙の事なり其教主は某なり、同く云く不渡余行法花経本迹・義理上の如く・直達の法華は本・口唱の釈迦は迹なり、今日蓮が修行は久遠名字の振舞ゆ介爾計りせ違はざるなり。

日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之を付属す本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり。弘安五年壬午九月十三日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之も写す。
釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当為るべし、背く在家出家共の輩は非法の衆為るべきなり。
弘安五年壬午十月十三日  日蓮御判。
武州池上

御譲与の趣き眼前なり、弘安五年九月十三日の御書には富士山本門寺の戒壇を建立すべし云云、之に依つて富士の郡、重須本門寺御建立、仍末寺西山は日代の寺、どうだいがいとは日助、河合は日善、大石寺新本十二の坊東西に有り、本六人に一は卿阿闍梨日目・二は寂日阿日華・三は下野阿日秀・四は少輔阿日禅・五は摂津阿日仙・六は了性阿日乗、新六人・一蔵人阿日代・二寂仙阿日澄・三伯耆阿日道・四式部阿日妙・五宰相阿日毫・六大進阿日助。
十二流の法門筋目色々なり。

日尊上人仰に云く暦応三年五月中旬、富士門徒一同に云く迹門を破して○各別の義之有るべからず、私に云く此の如き義を以て方便品を読むなり、此の故に一部読誦有り、有る門流の義として迹門を読む事は化城品の三千塵点劫の下種の方を賞翫してよむと云云、当流には爾らず方便品を読む故に迹門をよむと云云、流通還迹の時は八品を除き、迹門なり、縦令せ本門十四品を読とも迹門に成す方に之有り、迹門十四品は方便品の枝葉、本門の諸品は寿量品の枝葉と存すべきなり。

日大仰に云く因に尋ね申して云く像法弘通の事相の○大聖の本意なり云云、私叶云く此等の義趣に依り日尊門徒を一致の修行と至人有り不知案内の故也、心法妙の時・観心の時・方便寿量首題の三整束せり、方便品所破為ならば唯事を離れ理を離るる分にならん事理一躰なる故なり、四要品の時・方便寿量の二品を取るとは是則大聖の化儀なり、爰を以て迹門には方便品・本門に寿量品とあそばせり。

一、互為主伴の道理は法花持者の上まで有るべきなり、必法華の持者を肩に荷担する所の故なり、法華の行者をば十方の諸仏多宝釈迦守るべき時は必ず脇に立ち玉ふなり、天諸童子○毒不能害已上、諸天昼夜○護之、多宝如来も荷担すべき由し誓ふと云云。

一、富士に位牌を立てざる義是も面白き義なり、衆生迷ひ多く多衆生と成る諸仏覚る故会して一仏と成る文、大漫荼羅の中等の妙法蓮華経とならば何ぞ別して位牌を立つべしや、但是は上根の上の事なり、中下根は中有に迷ふ事有り、其の為には世界悉旦の中陰有るなり・其時何ぞ立てざらんや、雖無能所而立能所ならば師弟の異立つべきなり、其上本門の意は随縁真如ならば立つべきなり・立る処が仏躰なり、是は寿量品の意でや有らん但立ち入らざる事なり。
符守り書くべからざる事、是又信用に足らざる事なり、日有の仰せ事には名字初心の行者なる故に有るべからず云云、達道の坪はげにもなり仏法修行の時は叶はざる事なり。

一、説法談義の事、是又有るべからず云云、其故は観行即の行者こそ有れ名字の凡人曽て以て有るべからざる由云云、是謂れなきか、本門弘通の日折伏門ならば有るべき事なり、但説法は有り談義は無しと申し伝えたり、当門流には説法と云ふ也、夫説法とは権実の階盤・教主の縁無・知識善悪を云ふなり、是仏法の大綱なり、今此三界の文に付て・七箇の習・大略此三箇の法門なり、談義とは文々句々・因縁・約教・本迹・観心の四種の釈を以て之を談ず、観心の釈の時・譬は陳如の章の団円鏡には三千万法闕くるなく浮ぶ、此時上行等の菩薩にも浮ぶべきや、夫は導師に迷惑するなり、三途に亘る故なり・談義せざるなり、仮令談義なりとも在世の儀式・末法の弘経言ひ分つべきなり。

一、造仏の事、久成釈迦造立の有無の事、興師仰に云く末法は濁乱也安置せず云云、私に云く今富士の義は脱益の導師なる故に作るべからず云云、此の義にては日興の御義は無し、既に広宣流布まで大漫荼羅を安置し奉るべきか云云、広宣流布の時は本尊形儀悉皆作るべし云云、然る時脱益の導師なる条は謂れ無し時節の不同然るべき事なり、此義然るべき事なり、一乱に付き本尊等或観音と成り或は弥陀と成り当宗の仏とて簡ぶ者有り、ふむ者も有り此時興師の義尤も殊勝なり云云、但諸門徒造り玉ふに当門流には作らざるは不信なる檀越は動もすれば門流を向背する事之有るか、然に京は分流布にも有るか、ことに日尊上人大聖の御時造り玉ふ拠を書せり、日興上人の御義も広宣流布と書せり失無し云云。

尊仰に云く大聖人御代二箇所之を造立し給へり、一箇所は下総国○年序を送るべし云云、私に云く先師の御義肝胆に銘ずる斗りなり、今末法為体狗犬の如く一門徒に於て棟をへだて庵を列ぬれば非る意有り、仏法正意法流に誤り無くんば水魚の思を成すべきなり、和談を以て仏法の非を直すべし、永く中絶する事仏法に非る故なり、凡夫の習ひ不足多かるべき事なり、浄土に非んば心の随う所無し、聖衆に非んば称思の友無し云云、穢土の凡夫は集つて非義多かるべし和談を致すべきなり、少しの事に依つて自他彼此の情慮有らんは仏法の正意に非る故に門徒の繁栄有るべからずと存ずるなり、差出たる言なれども先師の御本意を存ずる故なり。

一、身延参詣用否の事、問て云く何の故有つて日興本山を捨て富士に住するや、答て云く波木井の三箇の謗法による也。
尋ねて云く何事か三箇の謗法なるや、答て云く伝え聞く一には三島の戸帳、二には福司の塔供養に馬を引く事、三には念仏道智上人が九品の浄土をかざる時・我山より竹木を切り出す、是を三箇の謗法と云云、仍て離山し玉ふなり。
尋ねて難じて云く波木井は大聖人の檀那也、何ぞ日興綺い有るや、答て云く此の事存知無きや、日興の御時間答の事なり、身延の群徒猥に疑難して云く富山の重科は専ら○宜しく解すべし云云、私に云く波木井は日興初発心の弟子なり、而るに久遠寺別当にて御座す処に、聖人の御一周忌に当門の諸国に日興廻文を御遣し有りければ、安房国より日向最初に御参り有り故に波木井感じて傾城腹の子に次男福満と云ふを御弟子に進ぜけり、此の故に取分け御近付きなり、波木井謗法懺悔せざる故に五老僧同心に久遠寺御出て有りけり、日向仰に云く我々此山に止つて波木井を教訓致すべきの由有りけり然るべしと云云、其儘身延に御座すなり是を謗法と申さるる時、日向仰に云く懺悔する上は失が無し云云、日興仰に云く懺悔の段意を得ず初発心の日興に対して懺悔してこそ仏法の正意なれ、傍人に懺悔は不相応の事なりと仰けるなり、此の意に依つて富士と中悪し、波木井度々詫事日興へ申さるる状丁寧に有りけるが、最後結句の状に・叶はざる時・嘲状を進上ありける時、御房に増したる師匠をこそ儲け候へと申す云云、上代斯の如し云云。

一、日尊仰に云く日興日向の対論は正義を○故なり已上、私に云く情を捨て給ふ殊勝の御義と云云。
日在私に云く今は一致なる故に参るべからざるなり云云。

一、日興門流に五人謗法・富士正義と云ふ事如何、答て云く五人武家に捧ぐる目安の文言に依る故也云云、此事別紙に有り云云。私に云く往復の間委細聞えたり、五老僧は天台沙門と書せり先づ此事謂れなき事なり、日蓮聖人満四十の御時・立正安国論を勘へ天台沙門と書す・是れ吾師伝教の分斉なり此の時未だ予は上行菩薩の再誕と云う事を言はせられず、迹化の師をひかえて天台の沙門と書す是より外・天台の沙門の名言なし、初は天台沙門・根本大師の門人などと書き玉へり、後々には三大部の御書以下或は釈子撰時抄或は本朝沙門観心本尊抄或は扶桑沙門取要抄に書せり、但文永六年御自筆の安国論下総国中山本妙寺に之有り天台沙門と之無し、又建治再治の安国論とて之有り夫にても之無し、此の如き事は用与適時とて相違無き法門なり、天台伝教を師とし修行をなす方の御書か、権仏未来記の御書には大聖人御身を加へて三国四師と書せり、只当家には日蓮聖人御門弟と書き名乗ん事を最然るべきなり、去れば先々宿老様の御中にも天台の沙門と書き玉へる是を専ら難じ奉るなり。

次に祈国の事は興師御製作の如く諸宗に交り同く天長地久を祈らんに全く験無し、大王の法花と爾前の臣民の交る故なり、当門流の意は信心を立て法花本門を御崇敬有らば天長地久と申す義なり云云、五人謗法の義・門流々々の先師の目安御覧有るべし云云。
三十番神の用否の事、問て曰く日本は三千余社の神祇也何ぞ必ず三十番神と云ふや、答て云く日本淳和天皇の御宇、天長十年に慈覚大師横川の霊峰根本の杉の洞に於て一行三昧を修め玉う、絹糸衣を除て新浄の布服を著し香湯に浴し道場を飾る半行半座の儀式を以て六時に六根の懺悔を修し草筆石墨を以て如法如説に書写し供養して横川の霊地に奉る、我朝神道に付属して番々守護を讃め奉り御座す、其の浄蔵法師加茂明神守護の日参詣有り霊瑞を得、慈恵大師住吉明神の御番の時参合玉ふ、我朝の仏法の奇特多き中のに是れ其の随一なり、仍三十番神と云ふ事此時より始れり。

尋て難じて云く如法経に依り三十番神守護し玉ふ如法経の本趣は如何、答て云く如法経の本趣は経は仏在金棺属累造像経と委く合ふなり、釈には法花三昧の行儀なり、釈の意は止観に十章を立つる其の中の第一大意の章に五略有り、第二修大行の下に常座常行半行半座非行非座とて有り、元より止観の意が発大心の上に発心無行無位を論ずるなり、故に云く修行入菩薩位とて発心の上に修行を立つ、而れども根性不同なればとて四種三昧の行を立つ、第三の半行半座に二有り、一には方等経に依り次に法花に依る、方等経に依る下をば委く之を釈し法花に依る処をば別に一巻有り法華三昧と名づく、彼の法花三昧に云く道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置す亦未だ須く形像舎利並に余の経典を安くべからず唯法華経を置けと申して、如法経の道場の儀式を去らぬ様にて宝塔品の儀式なり、別して之を習うべし仍経文の名鏡なり、三十番神の守護・如法経の事大略此の如し、或抄に云く義とは惣躰如法経とて法華書写始る事は唐には姚興皇帝の御字なり、十種供養と云ふも彼の書写の法用なり是も此時始れり、次に如法経の作法とは三七日の間・六根の罪障を懺悔して其行已に満れば石墨を磨り草筆を染めて自ら一字一点を写して供養の鏡に至り竜華の暁を期す、軸の本に巻き寄せて納め奉り竜華三会の筵に慈尊説法座に参り各我が書写の経を披き将に御経を拝し奉らんとす、我朝には吾山の第三の祖慈覚大師・天長十年癸丑四十の御年に及び座す尅、哀身眼暗く成り命久しからざることを悟って、楞厳院の洞・根本杉の辺に草を結んで庵と為し跡を断ち畢るを待つ幽虚三カ年連経是れ新なり、而る間夢の中に天より薬を得其の形●の如し之を嘗るた其味蜜に似たり傍に或る人云く是れ三十三天の不死の妙楽なり云云、是を嘗め已って夢忽に驚寤て尚舌の上に味有り、大師御心の底に憑敷く思召して其の後疲身勇健に成り暗き眼も明に成り、其の時石を以て墨と為し草を以て筆と為し自ら法華経一部を書写し座して・即ち其の御経を以て小塔に安して室内に置く是を如法堂と号す、三十処の大明神の番々に之を守護す、其事遥に慈尊三会の暁を期す、脱益守護神本迹・守護する法華は本・守番し奉る所の明神等は迹なり。

一つ懺法は南岳天台の御作異儀なり、伝教の御随身の録には南岳の御作と云云。
尋て云く法花宗として慈覚大師の如法経の守護の番神を用ひながら慈覚大師を堕獄々々と云云・此事謂れ無き事なり、慈覚大師をへだてば三十番神を用うべからず如何、答て云く慈覚大師をも三十番神をも用る事時に依るなり。
尋て云く何時は用ひ何時は悟るや、答て云く慈覚大師四十の御時如法経を行じ玉ふまでは法華迹門の行者として誤り無し、其時の法華守護番神をは用うべきかなり。

尋ねて云く何時より誤り有るか、答て云く法華三昧の功力に依り年若くなりて後、入唐して真言を習ひ叡山に惣持院を建て真言三部の秘経を置き蘇悉地経の疏七巻を作つて理同事勝・事理倶密と法花を謗し、金剛頂経の頂の字は一切経の頂上と云云、此の如き謗法は入唐已後なり、此時より堕獄と云云、如来は従浅至深の次第・天台伝教亦以て爾なり、慈覚は従深至浅し玉ふなり、仏教と天台の本意に背く故なり、山門の真言宗になりはてゝ天台宗にて無き事は慈覚の誤に非ずや。

尋て云く然る間三十番神を用るや、答て云く是は用る義も有らばの義なり、総じては用ゆべからざるなり、其に故は慈覚の御時は三十所の大明神番々に守護すと斗りなり、山門記に云く延久五年日本国の三十番神を勧請して如法堂の守護神と為す、楞厳院の長吏阿闍梨三十番神勧請の人なり、示して云く法花守護は人王七十一代延久五年癸丑貞仁御即位の年なり、此義までは人王七十一代後三条の院の御字前白川院とは定らざるなり、如何と云ふに若し七十二代白川院を以て治定せば慈覚大師と長吏阿と中間は王は十八代首尾ともに廿代・年号は四十二度の改元・首尾ともには四十六度の改元なるべし、年は二百四十余年なり、但し五十年にも余るべきか・前白川院の御字なればなり、此時は用ゆべからず云云・然る間三十番神と勧請は有るべからざる事なり、惣じて諸神と云へば三千余社天地神祇に亘るなり、依て門徒当所の神等云云・是も余に廻たる義なり、広く法界に亘ると云うべきなり、殊に恒遍法界流なり狭劣に聞へたるなり、但当諸の諸字ならば苦しからざるなり。

精示して云く当流の義・鎮守には天照八幡と本尊の如く勧請し奉るべきなり、春日平野杯と云ふ事は此国が謗法の土なる故に守護の禅神社を焼き所を捨ると立て乍ら・所々の明神を呼せ顕し三十番神と崇めん事口惜き事なり、本名は天照八幡より外は根本の名なし、男山に御座なれば男山の八幡と云ひ、鶴が岡辺に御座せば若宮八幡と申すなり、此の上は和光同塵は結縁の始・八相成道は利物の終なり、諸仏救世者○云云、仍妙法蓮華経如来神力品の文も是が仏法と釈迦と神と一躰と云ふの義なり、本地釈迦・垂迹天照八幡鎮守と崇敬なす事なり、三十番神とも三社とも言うべからず只本尊の行儀なり。
尋て云く、法華守護と内裏守護等の三十番神を同じとや為さん異とやなさんや、答て云く法華大裏大に異るなり。
尋て云く何事か異るや、答て云く先づ行儀替るなり又内裏は神位次第なる故に、一日は天照・二日は八幡・法華には十日は天照・十一日は八幡・箇様に異るなり。

示ん云く内裏守護と法華守護との番神前後の事、内裏守護とは仁王六十四代円融院の御宇天禄二年之を勧請す、法花守護とは人王七十二代前白川院御宇・承保二年楞厳院長吏阿闍梨良正之を勧請す、内裏守護とは王は中間七代首尾共に九代・年号は中間廿四ケ度、首尾ともに廿六度の改元の年は王代記を能々見合すべきなり。
問て云く神に於いて三種有り、其貌何と分たるや、答て曰く是は台家切紙相承の法門なり、凡神に三種有り一に法性神・恒遍法界の神なり此は有情非情の神なり、二に有覚神・我滅度後於末法中・現大明神・広度衆生垂迹和光の神なり、三に邪横神なり。

尋て云く三種の神祇は何れを天上・他方と云うや答て云く有覚神なり、本地の仏に背くに依つて・垂迹和光の神天上他方し玉ふ・其証拠は四経の文明なり万人誰か疑はん、然らば則ち社には悪鬼乱入す故に或は狐或は蛇などを神と仰ぐ、何故有りて親く蛇躰を受くべきや、当世の人々神とだにも云へば信じ礼拝すること不審なり、一経の文に見へたり・一ど一切の諸神祇を礼れば大蛇の身を受く、五百生世に現して微妙の法を聞かず後生必三悪道に堕ちん(文、是も文殊問経の説と云々但不見之異義不同なり)、論語に曰く其の鬼に非して之を祭るは●なり文、賀茂の氏子は賀茂参り、北野の氏子は北野へ参るべし、唐土の心も其主親などを祭るべきなりと云云。
尋て云く法花宗は惣じて神を信ぜざるや、答て曰く信ずる也社へは参らざるなり云云。

難じて云く社とは或用神通の一反なり、去れば仏の利益三業に渡る時・社の躰は意業なり、意とは肝なり肝は意業を表すなり、若し社へ参詣せずば意業に背く科有り如何、特にゐかきは百八煩悩を表し三角あるは煩悩の角立たるなり、黒は四倒八苦の煙なり旁以て社へ参詣せざる人は仏に背くなり云云、答て云くさては他宗の人は釈迦の意業なる故に仏を信ずるや。他云く爾なり、自云く本仏を謗る人は如何と云つて、仏仏等の四箇聖人、禅宗の超仏越祖等を能々責むべきなり。

示して云く法花宗の意は用の神なり社には悪鬼乱入する故に真実の仏の意業に非ず今悪心の意業なり、広宣流布せば必ず社を三社に分ち先達をして参らすべきなり、広宣流布の時は他方天上の神還住すべきなり。
利口して云く広宣流布のときも参るべからず、其の故は一々文々皆金色仏躰なり、彼は垂迹・是は躰なり躰有れば用の神は集るなり、法華一部が肝要なりと云云、和光同塵は結縁の始め八相成道は利物の終なり、初は本因妙・終は末法本法なり、真実の神は法華の行者の頂に住むべきなり、一切の神祇は本因妙の導師上行菩薩の用と存すべきなり、釈尊の本果妙の成道猶本因妙の内証より出で玉ふなり、何に況や神祇冥道出でざらんや、其上草木に祖たり山川に祖たり禽獣に祖たり八幡大菩薩を以て其神とせり、其の八幡大菩薩は其の菩薩界常修常照の上行菩薩再誕と心得べきなり、一切の菩薩の本主は上行菩薩なり争か本門の教主釈尊成らざらんや、御書云下種守護神本迹○神力を奉ずる所云云。

社と云ふ字を土を示すと書せり、論語に註に云く凡邦を建る社を立て各其土の宜する所を以てすとは中央たる城の土は黄なり、東に国を領する者には黄なると有り、土を裹んで出し玉ふ是を以て鎮守神を作るなり、南には黄赤土を以てし、西には白黄の土を以てし、北には黒黄の土を以てす、是故に社とは土を示すと書くなり、五色味じすし・にがし・あまし・からし・しははゐし。
諸神本懐集、夫れ仏陀は神明の本地・神明は仏陀の垂迹なり、本に非んば迹を垂ること無し迹に非んば本を顕すこと無し、神明と云ひ仏陀と云ひ面と成り裏と成り互に利益を施す、垂迹と云ひ本地と云ふ種と成り実と成り倶に済度を致す、但深く本地を崇れば必垂迹に帰する理有り、本より迹を垂るる故なり、偏に垂迹の神明に皈せんと思はば唯本地の仏陀に皈すべきなり、其趣を宣べんと欲する三門を以て分別すべし。

第一、権社の霊神を明し本地の利生を崇むべしと教う。
第二、実社の邪神を明し承事の思を止むべしと進す。
第三、諸神の本懐を明し仏法を行じ妙法を修すべきの趣を知思なり。

第一、権社の霊神を明し本地の利生を崇むべしと教うとは、和光同塵は結縁の始め八相成道は利物の終なり、是則権社と云ふは往古如来深位の菩薩衆生を利益せんが為に、仮に神明の形を現し給へるなり、本地の月・明に光を無垢地の空に顕し、玄門の雲晴て心を真如の都に澄す、然る間・同躰は易れども慈悲暫も止む無し、随類の利益時として息み給はず故に有縁の衆生を得て、我朝に迹を垂れ度すべき機根を●て此国に天降り給へり、憑を懸れば忽に我が万世に顕れ忽に利生に預ること水の器に随うが如し、少歩を社壇の月に運べば則ち所願に満する影の形に随うに似たり、是を以て歩を運ぶ輩を以て神明を敬うを事と為ん、福祐を望む族は以て霊社を崇ぶを旨と為す。

中ん就く、此の日本国は元より神国として霊験今に新なり、天照大神の御子孫は忝くも国主と成る天の児屋根の尊の苗裔永く助給へ、垂仁天皇の御代より殊に神明を崇め、欽明天皇の御時仏法始めて弘まりしより以来敬神を以つて国政とし仏法に皈するを以て世務とす、之に依つて国々の感応・他国には勝れ朝廷の威勢も異国に越えたり、是併を仏陀の擁護又神明の威有るなり、是を以つて日本六十六ケ国の間に神社を崇る万三千七百余社なり、延喜の神明帳に載する所三千一百三十二社なり。

抑日本我朝は天神七代・地神五代・人王百代・其中に伊弉諾・伊弉冊と申す・尊座す、伊弉諸尊は男神なり今の鹿島大明神是なり、伊弉冊尊は后神なり今の香取大明神是なり、彼の二人の尊・天の橋の上にて女神男神と成り給ひて倶に相計りて曰く・此下に豈国無らんや天の逆鉾を指し下て索り玉へば鉾の滴固って一の国と成れり此の日本国是なり、其後国中に主無しとて御子を儲玉へり、日神・月神・蛭児・索盞鳴尊等なり、兄弟互に日本国を取らんとて諍ひ玉へり、伊弉諾伊弉冊為に之を静め天より下り玉ふ時、天照太神親に値はざらんとて天の岩戸を引き立て籠らせ給ひければ俄に此国冥暗に成りにけり、其時伊弉諾、伊弉冊天照太神を出し奉らんが為に、内侍所の鏡を懸け神々を集めて七日神楽を始め給ふに、天照太神之を見んが為に岩戸を細目に開かれし其影・内侍所に移て世の光り陰れ無りければ、伊弉諾、伊弉冊、力を得て岩戸を押し開き天照太神を出し奉り玉ひけり、去れば兄弟中を和げり、天照太神をば国主と成し玉へり今の天照太神宮是なり、索盞鳴尊をば日本国の神の親と成し玉へり今の出雲の大社是なり、是神明の我朝に垂迹し給ふ始めなり、鹿島の大明神は本地十一面観音となり、和光利物の影・遍く一天を照し、衆生済度の恵み遠く四海に被る、是れ憑を懸るの人・現等忽地を成す、至心の輩は心中の所願満足す、息栖御前は本地釈迦如来なり、左右八竜神・不動・●沙門となり、利生各憑有り済度皆虚ならず、此の明神奈良の京には春日大明神・難波の京には住吉大明神と顕れ、平京には或は大原野大明神と崇め・或は吉田大明神と示し玉ふ、処々利益を垂れ・一々に霊験を施す、本地末社利益衆生皆目出度し洛中外至つて済度特に勝れたり。示して云く天上他方の神は此等の神祇なり、此の神祇弥陀薬師等を本地と為すに非ず・只釈尊を以て本地と為し本体と為るなり、其の上仏説は天竺・神明は我朝在所の明を呼顕すなり、此の本地垂迹の事仏経に有るべからず、仏教に無んば誰か之を用いんや、当宗の意は経説の指す所釈尊一仏の応作・或示已事と存ずべきなり、中ん就く八幡大菩薩の本地を弥陀と云事全く之無し、行教和尚の夢に見たる分斉なり、夫れ夢に於て霊夢思夢実夢の三有り、行教は本来念仏者なる故に所念を夢に見たるなり、仏説に非ずば争か之を用いんや。

第二に実那の神を明て承事の恩を止むべきの旨と云ふは生霊死霊等の社なり、是如来の垂迹にも非ず・若は人類にても有れ若は畜類にても有れ崇を生し人を悩す事有り、是神は出てたたる有らざるなり、文集中二にためし有り、唐の江南と云ふ所に潭と云ふ池有り、水底に花竜有り人社を立て崇けり、之に依つて国中病有れば此神出て示すと云ふ、群間悪有れば其咎めと云い毎年之を祭りけり、祭時●を殺し備へ酒を出してたむけ・水底に神住をば人知れず、目に見るもの林鼠狐のみ来りて酒を飲み豚を食う、然らば狐何の幸・鼠何の幸ぞや年々豚を殺し将に狐を飼はんとす、狐神竜に位し・豚を食み尽せり、九重の泉の底の竜知る無し云云、年々豚を殺して狐を飼う事謂れ無し竜有りと云ふ祭事然るべからず。

白楽天の楽府には大に毀愁す仏法之を禁ずるに非ず、世間之の如く邪神を崇るは正義に非ず、世に崇る神の中には此類又多し、諸人崇り生る無しとも我祖父等・先祖をば皆神と斎いて其墓を社と定めし事之有り、是等の類皆実社の神なり、元より末世の凡夫なれば内心貪欲深き故に少分の物をも祖けず崇を生ずる法か・但生死流転に帰するか、未来永劫悪道に沈み之に事へて何の用か或る、実社の神に皈して一分も其要或るべからず、偏に釈迦に皈し来生の仏果を願はゞ諸神明は昼夜に付き添ふて守護し給うべき故、諸災過も除き一々の願満すべきなり、権社の神喜て擁護し玉うべし、本地の悲願叶ふ故なり、是の如く・心得ば実社の神も恐れて恐るべからず・諸悪鬼神便を得べからざるなり、経に魔事有る無し皆仏法を護るとも・又云く後五百歳中○其便を得んや文、釈に云く円教初心魔便を得ず・況や不退位をや若初住の者分に八魔を破す文、釈に云く円教の初心は八魔永く避け五大明王能く加護を被る文、陀羅尼品に云く(五番神咒文畧之)勧発品云(普賢神咒文畧之)。

示して云く当時神社に不思議有り、出雲国美保の明神は舟中に陰くす者を見出し之を乞うと云云、是を以て不思議と皆人思へり是専ら蛇神態を成すに非るか・其蛇神は六天の魔王なり、夫れ魔王は六通の中に漏尽通は知らざるや、過去八万劫の事をも知なり何ぞ之を知らざるや、六通とは常の如し宿明通の時・過去の事をも知るなり、之に付て三明六通と云ふ事之有り、此時は物が九つ有る様に聞えたり、さには非ず六通の中に神境・天眼・天耳の三は無用なり、他心・宿命・漏尽の三を三明とは云ふなり、一切の境を覚り三界を見・三千界を聞くは用無きなり・成仏・に非る故なり・他心・漏尽・宿命の三は皆仏法の所用たる故なり。

第三諸神の本懐を明し爰か妙法を修行すべきを知らしむる事、涅槃経に云く、爾の時如来棺中より手を出し阿難を招て密に言はく汝悲泣する勿れ我還つて復た閻浮に生れ大明神と現せん文、又云く、汝等悲泣する莫れ遂に胆部州に到り衆生を度せん為の故に大明神と現ず文とも、悲華経に云く我滅度の後末法の中に於て大明神に示現し広く衆生を度せん文、大隅八幡の石銘の文に云く、昔は霊鷲山に在り妙法華経を説く衆生を度せん為の故に大菩薩と示現す文とも、私云当門流の人宇佐宮に於て経を講じ、此文を引く時彼石躰の文を見せけり六寸計の石の少也と云云、釈迦の説教は一乗に留り諸仏の成道は妙法に在り

菩薩の六度は蓮華に在り二乗作仏は此経に在り文とも、此文も有りと云云、是は恵心僧都加茂に参籠し成仏の本意を祈る時の文と云云、然とも大隅石躰銘に有と云云、諸神の本は八幡と申す義合へり云云。
延喜二年四月二日、二歳斗の小児託宣して云く、我無量劫より以来度し難き衆生を教化し未だ度せざる衆生の為に此の中に在て大菩薩と示現す文とも、経に云く我仏を得てよりこのかた方便して涅槃を現ず(性云く未た見ず、悲華経(一部の巻也不審)三十二に云く我日天子と成り迷闇を破して衆生を度す若し爾らずんば正覚を取らずと云云。

熊野権現縁起に云く、昔中天に於て衆生を度し今日本金剛山に在りて澳津宮権現と示現し末世末代の群生を利すと文。天照太神託宣して云く謀計は眼前の利潤とすれども終に神明の罸に当る正直は一旦の依怙に非ずと雖必ず日月の憐を●る。八幡式に云く正直の人の頂に舎り栖と為す。

住吉託宣して云く、山王は鎮に一乗の法味に飽き勢力我に勝れたり文。
宇佐八幡託宣に云く、(弘仁元年之春)我法音を聞かず久しく年歳を歴幸に和尚に値ひ奉り法音を聞くを得(兼て為我種々功徳)誠に随喜し謝徳に足る云云。(紫綾袈裟一帖袍衣一領和尚に上げ奉る)云云。
春日明神の託宣に云く銅焔を食と為すと雖○銅焔を座と為すと雖も○又云く千日の注連を曳くと雖○重服深厚なりと雖○。

問て曰く重服深厚と云ふ事未だ其詮を知らず如何、答て云く重服と云ふ事は物の色が澆く成る姿なり、譬は隠諒三年とて中陰を三年するなり、初めて死する時色を著るなり、夫れを洗はず三年著る故後●色になるなり、是重服の義なり之に依つて重服深厚と云ふか、此の意論語に見へたり、此を色を著たる物は人に聊爾に見えざる故なり、若見る時も母と父との色を知らず、父の時は裳を縫ふなり・母のときは縫はざるなり私云かよ重服たりとも法花経を信ずる家には至るべしと託宣し玉へり。加茂明神云く釈迦の説教は一乗に留り云云、又伝教大師加茂明神に参詣して法華経を講ずる時甲胃を脱ぎ自を布施し玉へり。諏訪大明神の記文に云く此山は鷲山の艮より生ず当に慈悲説法花の地に当るなり、我正法を以て正体と為さん正理正祭を祈る故、我正法を以て正法正理を守護す我に随つて正法を行ぜずんば正理を去り天下を去置せん地災難せん文。

大宮権現託ん云く、(黒谷伝僧都出難の法を祈請の時)、過去の諸仏は只妙法を以て正業と為す、現在の諸仏も亦然なり、出難要門不同なり仮にめ実に非ず真実の要門は妙法一言なり文、又云く(慈覚大師)出難の法を祈請する時只此一符を持つべし(則之を聞き見る題目五字之有り)。

北野天神託宣して云く、吾円宗の法門に於て未だ心に飽かず仍て遠忌に当り追善を修する須く密壇を改めて法華八講を修すべきなり。
私云之に依つて吉祥院に於て真言の密壇を改め法華八講を修すべし今絶えず云云。
此の如き文証現証とは今日本国中の大小諸神等皆釈迦一仏の垂迹にして全く他仏の化身に非る故なり云云。

譬喩品に云く唯我○救護と、信解品の疏に云く旧は西方無量寿を以てす記に云く西方等と者○、涌出品の疏に云く、如来之を止るに○凡そ三義有り文、記に云く如来之を止るとは文、是等の経釈の意全く本地仏菩薩等・他仏菩薩は此土の衆生に無縁仏菩薩なり、故に止然男子と云つて此土の弘法を押へ玉へり、争か垂迹和光の時なればとて此土に利生有るべきか、爰に知ぬ諸仏悉く一仏一菩薩の化身なりと云ふ事を、但是の如き垂迹の約束は之有りと雖も仏法の大小・権実・偏円・邪正に迷惑し悪国謗法の輩充満せり、其時の諸神比土擁護を捨て或は天上に或は余方に向うと見へたり(安国論四経文を見るべし)又次の上に諏訪明神起証文文明なり、然りと雖法華を信ずるの人之有らば即其の処に仏神等住し玉ふべきなり、乃至説一偈○経行若座臥文とも、又云く諸天昼夜文とも、又云く西方の仏は此土に無縁の仏なり云云、又十方の仏も無縁なりと知るべし、釈に云く一方既に然り諸仏又然り文とも経に云く唯我一人文とも、経に云く止善男子文とも、疏の九本末の釈上の如し、此等の経釈は他方の菩薩を止め玉ふなり云云。私に云く当門流の意鎮守には天照八幡と勧請して失無きなり是れ則ち本尊の行儀なり、大聖人已に天照太神八幡大菩薩を書き玉へり何ぞ三十番神と呼び給はんや。

問て云く当宗の立義・本尊種々に替れり、或は日蓮在御伴と書し、或は題目の下に判を居へ其様各別なり如何、答て云く予之を知らず、吾門流には日蓮在御判と書し来る、所謂る日蓮上人十界色形を顕し仏滅度後二千二百廿余年三十余年、一閻浮提内未曽有之大漫荼羅と書し給へり、去る時は今貫首文永建治書初を本として書写す、日蓮を天台伝教の座席に挙げて当貫首伴を居えて仏滅度後と書く事謂れ無き事なり、已に未曽有之大漫荼羅と有り、御判無し私の名乗を書く事は法主を継ぐ事は一往の義なり、再往の義は故無き相承なりと得意べし、其上に代々上人を書き入る事勿体無き事なり、唯日蓮聖人の御書の如くならば誤有るべからず、是故に当門流には日蓮在御判と書いて代々と書き奉らず已後に於て此度能々存知すべき事なり、平僧などの本尊を書く事仏滅度後の文を書かずと云云、判を居えざる故なり但し相伝に非ず。

本尊書写の事、尊師云く大聖人御遷化の刻六人老僧面々に○衆議之を授与すべし云云。
問曰不動愛染の梵字如何、答て云く不動は●愛染は
尋て曰く梵字を梵字の如く書くは真言師なり此等の義に背き何ぞ法花宗は形を乱して長く書くか、答て曰く是皆国に依つて習なり、誰か知ん真言宗は南天竺より始れり此の国四角なる故に其南天竺を表して四角に書くなり、而るに釈尊の説教は中天竺の流布なり、中天竺のなりが細長き国なり・日本の如し、此の仏教此の日本に相応流布せる意にて是の如く書なすなり、是専ら国の図なり、仏法東漸する唯有大乗種性の故に之に依つて長く書くなり、日本に蜻蛉国と云ふ・あきつと云ふ虫のななりとんぼうなり、西は尾の如く東は羽頭の如し野馬台と云へり、西は馬の頭の如し、東は後の如し旁以て日本相応の文字なりと云云。

御書に示して云く、私に云く箇様なる義悉く皆教主釈尊の法度を乱さざる故、末法濁乱の導師本地本尊之本迹(七字本なり余の○)妙覚支分の本因妙の導師位は名字の初心に居乍ら現受末法の教主釈尊なり、妙法五字に皈入して一人をも教化する人は一念信解五十展転(十界は迹なり)・以て思へ誰か教主釈尊に非らんや、夫れ聖人とは仏なり仏を大聖世尊と申すなり、弘の五に云く円は是れ聖法全く極聖人文とも云ひ、聖法を得る故に聖人と云ふとも(諸経諸宗中王の本尊万物の下種)さてこそ阿仏聖人・日妙聖人・是は男女を聖人と仰せけるなり、何に況や上行本化の大士を聖人とも教主とも申さざらんや、釈尊説法華経猶迹の修行なり、(種子無上大漫荼羅なり)上行菩薩所弘の法華・本の修行なり、脱益の教主も久遠の本果の仏なり、下種の導師は久遠本因の釈尊なり、雖脱在現具謄本種文能々意得分くべき事なり。

本門教主の事、当家の筋目以て斯の如し、台家には塔中の口决とて行の重の大事なり第二重なり。
伝え云く大師五品の観解を開き事利融即し玉へる時、心外の事と内証と融即し玉へる時、常住の釈迦を拝し奉る、此の時円頓妙益を仏け大師に授け奉る是を塔中の口决とは云ふなり。

当家示して云く、日蓮聖人理即には秀て名字には及ばざる行者なり、観解を開かず只南無妙法蓮華経と唱ふる処に常住の釈迦顕れて本門の教主釈尊なり、塔中とは虚空に処する宝塔に非ず、五大空の如き宝塔是なり、本の妙法に脇士に釈迦多宝並座す・其本の妙法は唱うに依て顕るる日蓮・当位即妙不改本位の時・常住の釈迦を見出すなり、是伽耶を離るる常寂光只一身と存すべきなり、彼は円頓の妙益・是は自行の妙法、迹の導師仏を見奉る・本の導師常住の釈迦なる条疑無し、(私云此義悪くは御削有るべきなり)。
塔中とは何処を指すや、台家口伝に云く大師五品の観解を開き御座ありける時此の法界を得玉へり、此の法界塔中とは云ふなり。
尋て云く若し然らば宝塔品の塔と今の塔と同物か、伝に云く同物なり其の故は宝塔品の時・宝塔の事顕はされ、従地涌出して虚空に住在す、此は宝塔が虚空と一躰の故なり、此の宝塔三世常住の宝塔なり、五品に依つて観解を開き、□今の宝塔と法法と同躰なりと観見するなり、仍て塔中と云ふをば宝塔品を指すと意を得べきなり。

当家示して云く以上に言うが如く当家の意も宝塔品と日蓮聖人と同躰なり、彼も妙法蓮華経の五大の宝塔、此も妙法蓮華経の五大の我なり、五大一如・色躰遍一切処の尊像是なり、爰を以て寿量品に云く質直意柔●一心欲見仏と文、宝塔品に云く当知此意と文・此意の字肝要なり、一字五義の時は意の字が心法と云はんとすれば色法なり・色法と見れば心法なり、色心一躰の中に事を存する意の字なり、五義の口伝の時・初の雪中落石の点は妙空堅なり、次の一は西山一村の雲・法の風塵横なり、次の八一の方なるは崩浪雷奔・撥弓努撥のとも云うべきか火木なり、次の日の字は口の中に一を書くなり人呼ぶ時いやつと答ふ口の中に舌見るなり・是水輪を司るなり、心とは地火なり、此心と云ふ字一文字をひろひ立たる様に書くべきなり、文字曲りては直心とは云い難しとは是四菩薩也、妙法等の五字なり、或時は宝塔或時は迷の身なり、正使に値えば法華と成り悪人に値えば悪人と為る当に知るべし、此意の本尊にて吾身が有るなり、草木成仏に顕れ見れば・法界と塔婆と我五大と一如不異なり、質直意柔●は内証の方に見たれども次に一心欲見仏文とも質とは昔質なり、凡夫即極之を以て知るべきなり(私に云く此義邪ならば削るべし)。

台家大師の塔中に於て釈迦に値い奉り問見の異、伝に云く南山の伝・南岳の密記共に見へたり、止観の半行半座三昧の下に南岳の誦経には普賢等を感じ、智者の道場には宿世を見ると云へり、宿世とは霊山を指すなり昔が再び現するが故に見ると云へり、是の如きの一家の釈多きなり、南山の釈を本とは用るなり。

当家示して云く日蓮聖人は釈迦に値い奉る事、初心の行者なれば之無し、但本門の事行妙法を弘ふる最初道場は清澄山道善坊の持仏堂南面にして、一寺の大衆を集め念仏無間業と云云、如来正使出る時の初なり、使は必師主に値ふなり、何ぞ教主に逢はざらんや、下品の師を挙る時・能竊為一人説法花経・乃至一句当知是人即如来使云云、伊豆佐渡の両島の左遷、遠離於塔寺此時生身の釈迦に値ふなり、東条小松原・弟子の者を殺され、中間命を喪し身に三寸の痍を被り念仏告勅の故に皆当忍是事と文是又釈尊に逢ふなり、次に竜口の誅戮の時江島の光物只事に非ず此時何ぞ逢はざるか、但し天台は後夜の座禅の時此の如く仏に逢ふと云云、日蓮何ぞ横難に逢て悪心の時仏を見るや、此義知らざるなり、去り乍ら摂受折伏の二筋也摂受の時は観念観道の時仏を見、折伏の時は其行満する処に仏を見るなり、涅槃経の有徳覚徳の事之を思うべし、当家意と台家の義と替るなり、夫れ本門の意は一念信解刹那の成道なり、此の時常住の釈迦を拝すべきなり。

常住の釈迦の証拠の事、伝に云く凡法花教主の事、流々の相伝区々なり、但一義には報身如来と定めて上冥の故に法身を具し下契の故応身を見る三身具足の報身如来なり、故因円果満して成道を簡うは機に対して出生の説法利生をも唱え御座す皆是報身の所作なり、故に寿量品に非生は生を示し非滅は滅を現ずと示し下ふ、三身具足の報身の所作と云ふ事今経の文に符合せり、常住の釈迦なる条は勿論なり、之に依て血脈に云く常寂光土第一義諦・霊山浄土・久遠実成仏は報身如来なり、此常住の仏の所居なるに依つて多宝塔中法界道場にて有るなり、故に常寂光土・第一義諦・霊山浄土と名るなり、凡此一行半の偈を以つて天台宗の内証此等の条々の義を習ひ合ふなり、是の如く釈迦常住の報身にて御座せり眼明ならん者拝し奉る事疑有るべからず、爰に大師五品の観忽に開けて事利融即の解量り無し、時に所縁の境界隔て有るべからざる時、常住の釈迦を拝し奉る道理亦顕はなり。

尋て云く此支証の文を勘文して出すべきなり、私申云釈迦牟尼毘るさな遍一切処と名のり・其の仏の住処を常寂光土と名づく文。
仰に云く此文出すべきなり、仰に云く常寂光土同居土第一義諦法久遠実成証霊山浄土多宝塔中大牟尼尊と云へり、此文は三切に読むなり三切に口読するなり、所謂常寂光土は所居の国土なり、法界皆寂光なり第一義諦と云ふ者是なり、万法悉皆色香中道の理なる故に第一義諦と云ふか、久遠実成と者仏なり報身なり、大牟尼尊とは応身と聞へたれども、大牟尼尊と云へる大の字・釈迦即報身と聞えけり。

当家示して云く寿命海中惣在如来の常住不滅の常住釈迦・常恒に絶えず日蓮聖人の胸中に住す我不愛身命但惜無上道の義を顕し、身軽法重死身弘法争か常住釈迦に非んや、所以に九横の大難に仏値ひ玉ふ是全く異義に非ず釈迦の御本意を顕す為めなり、塔中の釈迦とは法華行者の肝心也定恵の二法釈迦多宝也本尊妙法也云云、折伏の修行を致す一念信発の処にて一身常住の釈迦を見るべきなり。

一、一心三観下、私云台家尋て云く境の一心三諦観は迹門を以て詮と為す、智の一心三観は本門を以て詮と為す、一行一切行之行の一心三観は観心の三観なり、何以為塔中の本意として一心三観ならんや、伝に云く迹の大教・本の大教・観心の大教不同有り、観心の大教塔中の内証の本意なり、其故は一行一切行と一心三観と智と冥合しぬれば始覚の境も智と冥合するなり、冥合すれば境智同体と聞きたるなり。

当家示して云く此の一行一切行の観心の大教境智同躰の一心三観と云へる台家の義なり、法華を人に知らしめんと名字を替えて説き玉ふ時、妙法を止観と名くるなり、此の止観の内証一心三観が面で是観行五品の位に居る処の大師、有る時は依普賢観の行者なり、此の観心は還て教味を借りて立ち皈り見れば迹門の理内の一心三観なり、去る時は観心の大教何物ぞや、本門本化南無妙法蓮華経是なり、名字初心の行者が観法を致さず、麁動心に一反唱れば一行一切行大真如と申す法門なり、妙法の止観とも云はずして唱る事天台伝教も及ぶべしとも覚えざるなり云云。

台家伝に云く言説の当躰即三観の全躰なり、一言の処に三観を備う所謂言の躰無るを空と為す名を説き示すを仮となす、言説同時にして只一言なり、此の一言を中道と云ふ、中道に於て言説の三観此の如く文理を離れ一言の上に三躰を談ずる口伝なり、教の時は文釈に依つて一言を沙汰するなり、今文理を離れ兎も角も云へる言説則三観と云云、教の重にては境智に依つて言説一心三観有りと云うなり、行の時は只直に言説の当躰が一心三観にて之有るなり、仍て教の時は境智を徳に依つて言説の一心三観なり、行の時は境智の徳を仮らず言説の躰一心三観と云ふなりと云ひ替ゆべき也云云。

当家示して云く一言に付いて和尚慈悲有り一心三観一言に伝うとも之に付て重々の義相分れたり、此一言は随方の一言の分か此一言の肝要は妙法の一言なり、此一言肝心なり・されば法華を持つ事の難きには四難を挙ぐ、聞法歓喜讃乃至発一言と・此の一言は通じては天台過時の法門に非ず、当流布の名字の行者が妙法の一言なり、本門法華宗也、本門も本因妙の因行なり、法華と云ふも共に以て因行なり、其の故は法の譬に花を寄せたるなり、妙法宗とも言はずして法花宗と申すも本門本因の行者が顕す所の義相なりと存ずべきなり、今の当宗の心にて行の重の言説の当躰一心三観なりとは意を得べからず下種の妙法が顕れずんば衆生の謂はゆる言は一心三観なるべからず、其時は善悪の二言不同有るべからざるか、久遠本覚が悟の妙法を摺形木に唱れば一切の悪は遮離し一切の善が来るなり、一念信解の所能々思ふべきなり、妙法の一言には万法が収るなり、取出して一心三観とも云うべからざるか、所詮法界塔婆なり塔婆とは五大所成なり云云。

尋て云く塔中にて戒の口伝如何、伝に云く此の塔は法界の惣躰なり法身の全躰なり、故に法身法界融即する塔中の儀式なり此れ中道なり、是れ中道妙観の圓戒にて常恒に持つて曽て猶発釈を見ず、上品清浄究竟持戒と之を判ずるなり。
尋て云く若し爾らば塔中には犯戒を論ぜざるか、伝に云く塔中には犯戒有るべからず犯戒は心外の境を指す、塔中は自他善悪融即する上・犯戒の義は有るべからざるなり云云。

示して云く上品清浄究竟持戒と判ずる戒は何なる戒文ぞや、一心三観をこらす観行即の行者の事を是の如く判ずるか、其ならば迹門の戒なり本門の戒には及ぶべからず、此経難持○是名持戒は此経を持つが上品の戒躰と云ふなり、迹門は観行五品の行者の前の究竟持戒なり、本門は名字初心の行者の此経難持の戒躰なり、此経の持ち難き事は猶多怨嫉の大難の故に初心は縁に紛動せらるゝを畏れて持たざるなり、此を塔婆とも戒とも云ふなり、今台家の義として塔中に犯戒の義有るべからず云云と云ふ、観行即の行者事理和融の位ならば、其義も有るべきか、五大所成が大塔と顕れん時犯戒の義有るべからずと云う事謂れざるなり、其の故は爾前大小の諸戒には未顕真実と捨つるなり、然らば何ぞ犯戒無きか、法主聖人の仰に云く爾前の仏は一往世間の不殺生戒を持つに似たりと雖も・未だ出世の不殺生戒を持たず云云、法華中道南無妙法蓮華経戒を持たざる者は戒に於て欠漏有るならん、五千上慢退失せり、凡夫五大塔中にして犯戒すべからずと云ふ事は返々も曲事なり・何にも位を糺明して云うべき事なり、妙法を唱うる中道戒是なり。

尋て云く是と云ふは塔中の法門か、伝ゆ云く塔中の法門なり、是他を見ず偏に自を指せる意なり、此時・他と云ふ者無し故に解釈には天人修羅の所作にも非ずと釈せり、故に一家の学侶此に通達する是正く法師に安住するなり、仍て此を指して塔中の口伝とするなり、一言の謂を云ふなり。

伝に云く示して云く是と云ふは法々自々として他を見ざる処なり、是と自とは二法相対為さずして・自己なる故に是と云ふなり、如是我聞と云へる如是我聞と読むを如の是なるを我聞と読むなり、此の法躰則顕はるると読むなり。
当家示して云く如是我聞を以つて法花の肝要とせり、妙法蓮華経を如是我聞する也、之に付て仏法神道の義相分れり、神道には女のをさめたる日の下の人と云云、何の文に有るか、史記曰身を口め家を知つは賢者の号なりと文、仏法には女の口より日の下たる人と云云・摩耶の夢の事思ふべきなり、日蓮聖人仰に云く、如是我聞の上の妙法は題目なり、去れば此御書をば題目賞翫の言とは申すなり、是以本迹一致の依文と心得べからず、其の故は次下に一切経の骨髄の時は爾前の経と法花の本迹両門に不同無き様に聞へたり能々知るべきなり、惣じて一切経の要文を前後を能く見て引くべきなり、所詮如是とは妙法也、されば如是蓮華経とも妙法聞共読で苦しからざる程の事、去るに依つて取分け如是我聞の上の妙法と云云。尋て云く円戒を以て塔中の儀式に用る様如何、伝に云く戒定恵は塔中の荘厳なり是れ三観と同躰なる故なり、此の塔中が則法界道場にて有るなり、法界道場と見る時・戒定恵三観同時にして則三観の当躰なり、三観周遍するなり、爰に知りぬ塔中と云ふも法界道場なり、然れば三学倶伝名曰妙法として三学口伝なる妙法が即法花の躰なり、戒定恵円備して円戒と云ふも戒定恵同時なり、此の法界道場と云つて一心三観を顕すと意得べきなり。

示して云く所詮台家の意は一心三観の外に円頓戒無し法界が則法界道場なり、虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧・三学倶伝・名て妙法と曰ふ文此釈肝要なりと云云、此の如き義は大略法華迹門の義なり、本門戒壇未だ立たざるなり、迹門の時は戒定恵の三倶に観ずれば妙法なりと云云、本門のときは南無妙法蓮華経と唱ふれば三諦一心三観・一切の万法に亘るなり、夫れば神功皇后の異国対治の時に戒定恵の三学の本門を理と見たり、只妙法の五字を埋めて異国を対治するなり、夫の如く釈尊久遠本覚の昔より内証に埋秘し玉へる妙法を本門の戒壇にて唱へば広宣流布使不断絶と云云、所詮法界の三千具足の当躰塔中と云ふ時・衆生の胸中に妙法と唱へ収る時・五大の宝塔に定恵・左右の釈迦多宝坐すと意を得べきなり、行者一心に思ふべし云云。

心境義の下、問て云く心境義の成道の相如何、伝に云く当に知るべし身と土と一念三千なり、故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍すと文、身と土と一念と三千と云ふ時は衆生世間が有るなり、身と土と一念三千となりと云ふ時は衆生世間が闕するなり云云、所詮三千常住なる処を本理とは云ふなり、此の本理に称うて成道とは云ふなり、此の成道が塔中の儀式・常住の釈迦に逢ひ奉る時分なり、私曰此文をば魔障退散の文と習ふなり、一身一念遍於法界ならば何なる魔障か有るべきかと此の観念に住して降魔するなり。

当家示して曰く当家の魔障退散の諸文有りと雖も強いては南無妙法蓮華経なり、去れば日蓮聖人仰に云く、法花の妙理釈尊の金言虚妄有る無し文、信心無虚妄とは何の虚妄か有らん・信心動転する処で魔の障が出来するなり、初心は紛動異縁妨修正業云云、此初心の行者が信心薄短なる処が自魔なり、此魔障をば信心を以つて降伏すべきなり。

尋て云く本理の処に三千を具足すと云ふ証拠如何、伝に云く止の五に云く若し心無んば已まん介爾も心有れば即ち三千を具す文、と、此文而るに故成道時称此本理の三千の処に成道有る証拠なり、弘决の七に云く今妙観直観本理々具諸法文、心境倶心各称一切等の文なり。
当家示して云く此の如き依文を伺ひ申す条々只理一念三千なり、未だ事の一念三百に及ばざるなり、荒凡夫の一心三観をも凝さず・此文も知らず唱えずんば何ぞ魔障を離れん、誰か本理の三千を知らんや、当宗の心は一念三千を観せず知らず図らず南無妙法蓮華経と唱ふる処を事々当躰が塔中なりと返々も存ずべきなり、名字無位・短位意を得べきなり、何とて無位か曰く既に一念信解者即是本門立行之首なり、本門の立行とは事縁三千なり。

一、止観大旨、問て云く止観大旨とは宗なり云云と其姿如何意を得べきや、答て曰く法界塔中を宗旨と為す、弘一に曰く中道即法界・法界即止観・止観不二境智冥一文、此の文天然周遍の躰・境智円満して自無く他無し修に非ず証に非ず・此の法界を顕す是を止観と名づく、次に境智と法界は正報なり・則釈迦多宝是也、釈迦は智事の躰なれば能化と為り・多宝は境理の躰なれば証明と為る、正報仏是の如く出世すれば必ず一色一香の事の荘厳を備えたり故に塔中と名づく、実には法界塔中と一物なり、一色一香無非中道と判ずる中道は塔中の異名と習うべきなり、中道即法界なれば法界の中に一色一香の事の荘厳を加え秀発の義を以て中道と名づく、今の塔中の習ひ此の義なり、然れば中道即塔中と習うべきなり・是れ宗旨を顕さん為なり。

当家示して云く止観広しと雖も宗旨宗教には過ぎず・宗旨は法界塔中なり、此の事本門法華宗には何れの処に之有るか・本門の戒壇院なり・其戒壇院は何処に有るか、初て受法する時、白四三羯磨を顕すなり、導師は釈迦智躰を弟子に授る時、証明の多宝請取て頂授せしめ親り霊山虚空を移すなり、此処こそ即法界道場よ・是時は授職灌頂の内道場とも即是道場とも云ふなり是が中道を弁ぜず、釈迦は智の導師・多宝は境の証明・受者境智を包含するなり、釈迦応身・多宝法身・受者報身・境智冥合するなりと云はゞ中道即妙法なり、是を我家の宗旨とや云はん云云。

台家尋て云く塔中に如何様に円頓止観の法門有るべきか、伝に云く題名円頓止観○惣と法と同躰なれば則異義有るべからず、止観の宗旨則円頓なるべし何門流には円頓とは初の実相を縁す造も境を即中にして真実ならざる無し繋縁も法界・一念も法界なり・一色も一香も中道に非る無し・己界及ひ仏界・衆生界も亦然り陰入界も如なり・苦として捨つべき無く・無明塵労も即是菩提なり集として断ずべき無く辺も邪せ皆中正なり道として修すべき無く・生死即涅槃滅として証すべき無し・苦無し・集無し故に世間無し道無し滅無し故に出世間と名づく、純一実相にして実相の外更に別法無し、法性寂然なるを止と名づけ寂にして常照なるを観と名づく、初後を言うと雖も二無く別無し是を円頓止観と名づく文、是の如く点は直達法界の旨を顕し止観即法界なること掌を指す者なり、己界仏界及ひ衆生界も中道に座を並ぶと聞えたり・又塔中と云ふなり、所詮此文・文毎に法界塔中の儀式と口伝するなり

                                        私に云く此の円頓者には所縁の初の字は後に対して初かと云ふ時無始の初と約束せり、其の謂は止一に云く無量劫来癡惑に履はる無明即是明と知らず今之を開覚す、今の字無始の今と云ふが如しと云云、次に三諦の中の事、造境即中の空仮即中の中道一色一香中道なり、此に於て草木成仏の法門有りと云云、妙楽は今十義を以て之を評判して草木成仏を談ぜり、是を以て当宗の本意の草木成仏を云うべきか。

示して云く草木成仏の事、大方上に沙汰する如し、一色一香無非中道の草木成仏は観行即の行者が第五品の中・事理和融するとき談する所の法門・今経の迹門理性にして本門には非るなり、誰か知らん草木成仏は涌出品の有四導師是が釈尊の本因の妙覚支分の弟子也と申す時、本来は地水火風の四躰なり、此の四大を空を以て括れば一人に結帰する処を大と云ふか・譬喩品の時は有一大宅属于一人として法界の地大と我が地大等の不同無き時、仏も衆生も人畜五大所成なる義を成立するをこそ草木成仏とは云ふなり、此義は円頓行者観解にもよらず、大の字は人が手をのべて立ちたる義なり、大真如の妙法を唱る時存道する義なり是が本国土妙なり・本因妙なり、日に用て知らず凡夫方隅を弁へず●羊に同じ、我等が本国土也と釈す、上業菩薩出応して本道の躰を顕し玉ふ草木成仏なりと口伝すべきなり云云。

さて本門寿量品の時六身門の或示他事・何物ぞ皆以草木成仏なり、惣じて草木成仏に付て一品両文と口伝せり、是山上の宝聚坊の義なり・一品は薬草喩品、両品は提婆品の観三千大千世界・一処は涌出品の文なり、一名上行・薬草喩品は潤於人花と説くと見えたり、人花と云ふ事珍き事なり、宝聚坊の人の潤しきか花也、必ず仏草の果を結ぶべきなり、近趣人天遠趣仏果の方にても人天の花報と云ふべきか。

我示他の事、弘決第六本帖の畢る所に釈する通明観の文なり。
弘に云く若し通明観を三昧力を以て云はゞ、此の身中を知る具に天地の智に倣う、頭の円きは天に象る等具に本書を見るべし、是の如き種々の変作・寿量品を以て見れば釈迦・草木国土と顕れ玉ふ一礫一塵各一仏性の時は三千具足の故と心得べきなり、是何事に依る一反の首題を唱え此の如き不思議の塔が涌現するなり、去れば宝塔品の時五百由旬の塔の出現は高至四天王宮と見へたり、今此経受持読誦の大塔は高広漸少至于梵天とこそ見えたり、草木成仏の大塔は法花の行者より外は之無し云云。

尋て云く草木成仏の本躰には何物を出すべきや、示して云く日蓮上人草木成仏の本源なり、其の故は上行菩薩なる故に法界の火大なり、火●空に向う時は必ず火は向空するなり、此の如く日蓮聖人の所弘の法花は教弥実位弥下する故に名字初心の下位・土民が此経を信じて次第々々に上に登るべし、是則本来の火大を具するなり、衆生の心中に隠すときは水底の石に火を具すれども見えざるが如し、今唱うる所の打ち出せる火なり、其火に於て草木の火と人間の胸中の火異る無きなり、草木成仏と云ふ事非情に限らず有情に亘るなり・無作の三身なり、去れば寿量品の文底大事と云ふも能々見れば是なり。

 日蓮仰に云く問て曰く寿量品の文底の大事と云ふ秘法如何、答て曰く唯密の正法○本門の立行血脈之を註す秘すべし●●。
私に曰く此事聊爾なりと雖も且は仏法興隆の為に且は今日朔日○其故は既に塔中付属の妙法蓮華塔なり。
円頓者の一字の不言と云ふ事之有り、亦然陰入界如の界字と云ふなり、其の故は五陰十二入の法門十八界なれば世界の内にて有るべきなり、界の字意を得ざるか、但世界の界ならば猶衆生界に限るか立入らざる事なり。

辺邪皆中正をば邪正一如の中道と云ふなり、辺邪は無明等の悪業なり是も止観行者の前には中道と云ふなり。
台東陽云く天台大師塔中大牟尼尊に逢ひ奉り面授口決し玉へりなんど云ふ事一家の学者不断に申す事なり、然れば何なる法門ぞと云へば所詮円頓者の要文の始終なりと口伝するなり。
尋て云く止観は正く円頓と云はるゝ処は何れか、又此の円頓の中に教相と云はるゝ形は如何、伝に云く此下には宗旨宗教の沙汰なり、宗教と云へるは一代の聖教より今の止観の十六章に及ぶなり、扨てて宗旨とは天真独朗なり円頓の法門とは又宗教と同物なり依て円頓止観の教相と云ふ事を立つるなり。

次に円頓の教相と宗旨と宗教と同異如何と云へる疑之有り、然るに宗教と云へるは只仏に亘して出世を説きし宗教なり、さて円頓止観の教相と云へるは此の円頓止観を証するとき・十界の念々起る此念を取り詰めて見れば地獄等の心地が起る則円頓の教相にて有るなり。

大意の本覚の事、尋て云く無量劫来痴惑所覆不知無明と云ふ文を塔中に於て如何に之を談ずべきや、伝に云く此の文は塔中に非んば論ずべからず、無量劫来所覆の儀式・本有常住の儀式なり・其教は無量劫来とは本来常住の義なり、法性天然の法、迷悟未分の時を指すなり、痴惑所覆と云ふは本有の痴の自迷自起するなり、此の痴惑所覆が迷悟未分不生の時分・無量劫の間の儀式なり、彼の無量劫の間・不二の内証なるが故に、是非思量無きに依つて無明即明の事を知らず、不知無明即是明の句を以て此分は未分の時と弥治定するなり、然らば唯痴惑所覆無量劫来の衆生鎮に法界に経行する過去流転常住本来の儀式なりと意を得るなり、凡生死差別して迷悟相分れて上の義勢には下るべきなり、惣体止観に非んば大意に背く所なり。

難じて曰く無量劫来痴惑所覆の文は悉く迷釈と聞けり、然れば此の文曽て悟の上の法門とは云い難し、其の上の痴惑所覆の義顕れて以後無明迷執と名づくるなり、惑障改めずんば塔中には叶うべからず如何、伝に云く無量劫来とは常住久遠の名なり・此れ覚悟分に非ずや、痴惑所覆と云ふとは本有の智自迷自起する自躰の姿なり・全く無常の起滅に非ず、既に無量劫来の常住を経る上は情量以後の法門と云うべからず云云。

当精示して云く、此釈は疑難の如く難尽きざるなり、仮令ひ無量劫来痴惑所覆不知無明・即是明・今開覚之故言大意とは大師法華の大意を得て仏法不現前以前は無明とも明とも知らざりしを法花の内証を顕し見れば、観行五品の位に居する無明の身なれども久遠の法花を悟れり無明即明なり、無始法門を今開覚すれば無始の今も今の今も一致符契する処を今開覚するなり、但九識本分の未分の理の処を不知と云ふか、夫にては釈の前後不審有り其の故は初当を案ずるに出世無し迷情に非んば無明即明も無し、今大師六識麁強の凡夫として得る所の釈なり、其の観行即の行者・断迷開悟劣得勝の上に立たる法門なり、未分の重を落居せずして只一に悟の当念を指すなり・此念には三世を備う、然るをば専ら塔中の儀式なりと意を得べきか云云、大師の己証は斯の如く有らん、大師観行五品の行者なればとて未流何は五品の行者なるか、世末代に及び人聖人に非ず今之を開覚すれば人に依るべきなり、大師の開覚も理の開覚なり事の開覚は之無し。

吾尊師蓮公聖人・事の開覚を成し玉ふ、所謂転重軽受の法門とて所々の御書にあそばせり、我六識麁強の凡夫となりて或時は三途に交り或時は大乗を講ず、先謗の報に依つて四衆に嫉まれ悪国の上に遠島死罪を被る先謗の無明の残縛なり、然るに大難に逢う事以前の無明を爰で対治するは転重なり、法華の行者なる故に妙覚の成道を唱へ自受用報身ならんは軽受なりと開覚する行者こそ、無量劫来痴惑所覆不知無明即是明今開覚之故言大意の信者行者と云はるべけれ、夫れ止観は法華の大意なり、●一に云く前の両意は迹門に約し・後の一意は本門に約す文とも、迹門已弘の導師・本門未弘の導師には及ぶべからず云云、十二の流転なり。

日蓮聖人大難に逢ふ事、弘長元年五月十二日伊豆伊東へ左遷せられ、文永八年九月十二日竜口にて誅戮に逢ひ玉ふ皆十二日の御難なり、而るを十二日を延して星霜を送て後十三日御遷化は天性なるか・又表示有るか尤表示有るなり、無明即明の法門なり、十二日の御難は無量劫来痴惑所覆の無明の故に十二因縁の転旋の凡夫となり、先謗強に依つて大難に逢ひ玉ふ転重無明の滅する故にと存すべきなり、而るを十三日を御遷化の日と成し玉ふ事無明即明なり、譬えば文明十二正月一日は午の日なり・十二日に已に畢るなり、十三日は午の日なり、無明の初なり、無明即明と云ふは法華経の行者臨終の時直に大牟尼尊に値い奉るなり・其逢ふ所が塔中なり、無明即明今開覚之故言大意の法門当宗は心●に染て存すべきなり、恐くは文言には出し玉うと雖も観行五品の行者すら有るべからず、名字無位・蓮公上人踏み明け玉ふ無明即明の法門なり(但此義無量劫来の文に合はざるか能々心得有るべきなり)。
止観大旨の事、台問て曰く止観の大旨と云ふは何なる止観ぞや、答て曰く題名是惣じて止観なり。

尋て云く止観の大旨を円頓の法門と名けたり止観の外に之を談ずるや、答て曰く止観の大旨とは法界みな止観にて我等か胸中より周遍の全躰皆止観なりと達するなり、今円頓と云へるは法界止観の内証の処に万法已に円備せり万法円備を円頓と云ふなり。
尋て云く六即の仏共に塔中の仏なるか・伝に云く塔中の仏なり、必要に云く一切衆生心性は即理即仏・心の三諦を了る名字即仏・観念相即する観行即仏・六根清浄相似即仏・初住より等覚に至る分真即仏・唯仏と仏とは究竟即仏・即の故に初後皆是・六の故に濫を簡ふ。

疑て云く理即は荒凡夫なり、争か塔中の仏と云うべきや、伝に云く名字已来不審有るべし、理即の仏は疑無く塔中の仏なり、其故は釈に云く理即々是日に用ひて知らず文、此は是即理即の仏なり、全機に向はざる仏なり、我も仏も知らず真実本有の仏なり、機も無く教も無し、理雖即是日用不知の文能く々意を得べし。

疑て云く理即を荒凡夫と見る所如何、伝に云く結前生後の釈の下に知識経巻無き前・牛羊の眼を以て片隅を弁えずと云ふ此れ荒凡夫と見えたり、此の荒凡夫を少も改めず則常住に帰す依て理即の仏とは云ふなり。

尋て云く止の一に云く等覚一転の妙覚に入り智光円満復た増すべからず菩薩果と名づく文とも此の釈を以て理即仏を顕すと云ふ故如何、答て云く等覚一転入于妙覚は六即次第の断迷開悟なり、今家の正意は等覚一転入于理即と一流の先徳引き替え給ふなり、去れば六即は六即と云ふ時も理即の仏と云ふ事有り、又六即は一仏と云ふ時は理即の一仏と云ふなり、六故簡濫の時も初後不二する時も只理即仏の肝要とせり、此儀今家の正意なり。

当家尋て曰く本門法華宗の意・理即の仏を以て正意と存するか如何、答て曰く当宗の意は名字の仏を以って正意とするなり、必要に云く観を仏智と名づけ止を仏見と名づく、念々の中に於て止観現前と文、此八紙の必要は南岳大師四句推検、四聖破徳の六識観の行者が妙法の名字を替えて必要と号す此を小止観と云ふなり、止観現前とは妙法現前なり止妙観法の意なり、是が知らず計らず妙法の名字を聞きて即身成仏するなり、此の位は名字即なり・釈に云く名字の中に於て通達解了して一切の法は皆是仏法と知る文、或は又三諦の名を聞く名字即仏とも釈せり、名字の凡夫が妙法の名玄義の名字妙法を聞く処で名字位・長うして三世不改の如来なりと悟る所こそ真実の塔中なれ云云。

台尋て云く六即の仏と云ふ仏は断惑証理・万徳円満の名なり此の智顕し仏と成ると聞く如何、伝に云く当宗に家々の相を改めず常住に帰する処を仏と云ふなり、爾の如く殊勝の理を顕して仏と云ふに非ず、只本有の相の常住なるを仏と云ふなり、此は学者智者の義に当れり。
尋て云く四種三昧道場共に法界道場なるや、伝に云く四種三昧共に法界道場なり、其の故は法界の躰は止観なり、法性寂然名止・寂而常照名観の釈之を思ふべし、常照の二は法界の相貌なり、此の寂照縁に依つて四種三昧の四道場建立せり、釈に云く四行退縁法界一処と、或は法界是一処と判ぜり、止観を縁と為して四種の道場を荘厳するなり。

尋て云く止観を説く四種三昧の道場建立の故如何、伝に云く法界寂なる処を安住して三諦を観ずる是を常座と曰う、法界事事物々起て我等則立行して三諦を観ずる是を常行三昧と曰う、次に止観事相円備する上に寂の半座・事の行の半行是を以て三諦を観ずる半行と云ふなり、此半行半座共に直に法界に安住するなり、法界の事躰は普賢と習ふなり、即見普賢身文此の釈之を思うべし、題は直に法界に安住す我等安住すれば正く普賢も隆臨し玉へり、天台己証是なり、次に行にも留らず座にも留らずして法界に至る我等が歩々声々の自心を則法界同躰也と推検して無住処住・是行の内証なり、此四の道場は併ら止観の二字を以て建立せり、故に法界道場とも云ふ、此故に今止観の大意の四種三昧を法界道場と習ふなり。

当家示して曰く四種三昧共に以つて法界道場塔中の儀式と云ふ事大に以つて不審なり、其故は法界道場と云ふ事は法華に於て三処の常住と云ふ義初つて後に沙汰する所の法門なり、一処は自従是来・我常在此娑婆世界説法教化文と、一処は常在霊鷲山文、一処常在耆闍崛山与大菩薩文とも、此内証開けて後神力品の時・法界道場の義顕る、止観を法華の所依として・能釈するなり、去るときは寿量品の説に依れば妙行の重でこそ此の如く云うべきに、前六重の法門を以つて法界道場を成ずる事謂れ無き曲事なり、先づ四種三昧の行儀は止観に十章を立つ、十章は一大意・二釈名・三躰相・四摂法・五偏円・六方便・七止観・八果報・九起教・十旨帰なり、大意より方便章に望んで前六重は爾前権教に依つて之を釈す、是は助行・第七正観の意は今家の正行なり、果報の章より専ら法華に依つて釈す、止の五に云く近く初住を期し遠く極果に在り文と、然るに四種三昧の行儀は大意の章の下に五略有り、五略とは一発大心・二修大行・三感大果・四裂大網・五帰大処なり、第二修大行の下は四種三昧なり、一に常座三昧・本尊は阿弥陀経・文殊説経、文殊問経に依るなり、二に常行三昧・本尊は前に同じ経は般舟三昧経に依るなり、三に半行半座三昧本尊は七仏方等経・法花経に依るなり、四に非行非座三昧・本尊は観音諸経に約す、玄の九に云く諸経方法に依り常行等行以○体と為す体行倶蔵通正を以て体と為す則別麁躰妙・躰行円妙文とも止の二に云く四行皆実相を縁せざるなし文とも、又云く(般舟三昧釈常行三昧釈)若弥陀を唱うる則ち是十方の仏を唱う、功徳正等但専弥陀を以て法門の主と為す、要を挙て之を言へば歩々声々念々唯阿弥陀仏に在り文とも、弘二に云く(文殊問経釈常座三昧釈)諸教讃する所多く弥陀に在り故に西方を以て一准と為す、歩々身業・声々口業念々意業文とも、止の五に云く第七正修止観とは前六重は修多羅に依つて以て妙解を開す・今は妙解に依つて以て正行を立つ文と、弘の五に云く偏麁を簡ふが為の故に妙解と云う文とも、倩ら釈の意趣を案ずるに大師の本位に非ず、正観の章を顕さんが為に且く助証に之を用ゆ、特に台家の心は一世界に二仏並に出るの道理を許すや之を許さず、西方の弥陀を以つて止観の本の教主とは仰ぐべからざるなり、助行を以て正行を難ずべからず、中ん就く当宗の意は天台の正行たる止観の第七正観の章を助縁に備るなり、去るときは四種三昧共に以て法界道場と云ふ義は虚妄なる法門と存する計りなり、縦ひ第七正観の章より法華依つて釈するとも・当宗の本位に非ず理の法門なる故に、又即見普賢身なる故に法界塔中にて普賢を見ると云へり、是又無相の理を普賢と云ふ理内の三千なれば一辺の義を成するなり、法界道場塔中の事信用に足らざるか。

法華深義事、台伝に云く法華経は法界を以て道場と為す、法華の相貌は色心二法常住にして諸仏を師と為し、鎮えに衆生心性に居す是より上に相無し、之を指して万法の本地と云ふ、然れば諸仏の内証に超過して諸仏の師と為り万法未分の上に万法の本地を顕す、此れ妙法蓮華経本地甚深之奥蔵なり文。
尋て云く云う所の本地は生仏分れぬ前を指すならば現在の法をば施すべきか、伝に云く今本地を指す堅に十方に遍し横に三土を並す、故に唯眼前なる世間の事其の相貌を論ぜざる則本地なり、一念已分未分には亘るべからず、只世間の相則本地の相と体達すべし、故に釈に云く此妙躰本有と文に世間相常住とも此を思ひ合すべし。
尋て云く三種の法華の中には何を以て本地の法華と為すや、伝に云く根本法華を本地の法華と習ふなり根本法華は諸仏出世已前の万法惣躰を指すなり。

尋て云く今経の文字悉く釈迦所説の経なり、根本法花の説相今経には何の字を取るや、伝に云く如是の二字を取る也如は是なりと読むべし、如は不異の義・今所説已説の法躰なり、是は中道なり人天の所作に非ず・常住の法躰なり、故に此の如是は諸仏已前の法躰更に機の論する所に非ず、然るに今の経の時・如は是なりと説き玉ふ、依て如是と説き玉ふ故に顕るゝ所説の経教也、故に此の如是は所説躰前の法已と聞く、此の如是は仏住耆闍崛山と説き玉ひしより已来阿難結集し玉ふなり、結集の方よりは機に対して本と為す間・是の如しと読むなり、此のときは正宗が法花実相の説迄を指す也、此の本地を指して深義とは云ふなり。

当家示して云く法華の深義は根本法華と治定せり、此の妙法蓮華経本地甚深之奥蔵の文なり、又根本法華には法華一部の中には何の字を指すべきやと云ふ時如是と云ふは・大段三種の法華と云ふ事は三大部には無きなり、伝教大師の御誕生に付いて沙汰する所なり、去れば山家云く於一仏乗とは根本法華教なり、唯有一乗とは顕説法華教なり、妙法の外更に一句の余経無し文、夫根本法花とは本住法・自性法の重・二夜不説を指して根本法華と云ふなり、去る時は根本法華とは諸仏も出でず衆生も向はず本有の処を指すべきか、但し只今の根本大師の御釈に於一仏乗とは唯有一仏乗と釈せり、是をば何の不同有つて彼は根本・是は顕説と分つべきや、只顕説法華の義が顕れて見る時・此の法華に信順する時・十界の衆生が法華にて有るを根本法華とや云はん、天台宗の大綱の法門なり、九識本分の処に目を掛けたる一往の義なり。

当宗の意は顕説法華を以て肝要と存すなり、其故は法華の内証顕れば●楽受持大乗経典乃至不受余経一偈文、正直捨方便●説無上道文と、爾前法華の異を密に立てられたり、夫れ一仏乗と云ふ乗の文意は乗とは運載荷負の義とも仏乗とも釈せり、去れば天台宗も仏乗とは則是れ今典・永く余経に異り三五七九等の乗に同じからず、仍て用て之を会し一極に帰せしむ故に仏乗と云う文と・今典は顕説法華なり、永異余経の言有る故に仏乗とだにも云はゞ顕説法華にて有るべきを・今頃の天台宗は位高く立る時・顕説法華よりの根本と云ふ義か、吾宗の意は顕説の妙法が折伏門なる故に・法花折伏破権門理の故に顕説法華が肝要なりと聞えたり、玄文に此の妙法蓮華経は三世の如来の本来として具足し玉ふ処を根本として衆生も具足する故に根本法華と云ふか、げにも是法不可示・言辞相寂滅せり、只顕説法華を聞いて聞上所説一実菩提する処が根本なり、所聞の法躰義味無く思量する南無妙法蓮華経なり、一念信解なれば、何の間に異量分別有らんや、次に如是の事是も口言に出る故に顕説法華と心得べし、仏説法なきを如是と云はゞ波羅提木叉・四念住・黙作も根本法花か、此等は三蔵阿含の説と見えたり、但今所説は已説躰なりと云云。

一代に已説とは爾前の経なりとこそ釈したれ、法華は三説超過の妙法なり云云、御書云く下種三種法華・二種は迹門・一種は本門なり迹門は隠密法華・本門は根本法華・迹本の文底南無妙法蓮華経は顕説法華なり。
尋て云く法華の深義の時塔中と云とは何者ぞや、伝に云く宝塔品是なり、其故は法界は地水火風空の五輪なり此五輪の力・境智不二を顕す時・色心同時にして釈迦多宝と為り、此の五輪合躰して五大と顕る、此の色心の二法縁起して一切衆生と成る、此の衆生の五輪法界の五輪と併て一躰なり、此の実事を顕んが為に親り事相の五輪・一基の宝塔虚空同躰に顕現す、正に今正報の釈迦常住なれば依報の宝塔も常住なり、何処にも有れ法華を講ずる処は塔中なり、塔中の実義を顕んが為に霊山会上にも出現して一旦の出現とは思ふべからず三世常住の塔中なり、則我等に至り今の経を講讃する躰は皆塔中と心得べし、法の最上なるに依つて処も最上の処と意を得・法華を講ずる処皆塔中成るべきなり。

尋て云く本地の妙法の処に教相を談ずる様如何、伝に云く玄義の教相と云ふは法花の内証を談する所の教相なり。
疑て云く教相と云ふは対機説法の儀式なり、本地妙法の処には教相有難きなり如何。
伝に云く我等が心性に備うる所の念々の事教相に顕ると談するなり、仮令松と思へば松か現前するなり、この如く胸中に思念する処の念が則今の教相の法門と顕はるゝなり、故に此は内証の教化なるが故に全く対機の教に非ず。
疑て曰く今の内証の教は教たる教には非ず此教をば明らかなりと読むなり、明なる処の教なるが故に他に向ハザルナリ。
尋て云く教相は偏に章段建立に有り更に観心に亘らず、僅に教証倶実と談ずるも教と証する教相を出でず、然らば玄文の教相は教相に限つて云うべきか如何、伝に云く教相為三の口伝と云ふとは門流には習ふなり、此の塔中の法自ら講ずるなり、去れば只教相為三と云う、一に根性融不融の相・二に化導始終不始終の相・三に師弟遠近不遠近の相と、化導の始終とは教相化導の始終を指す、今家の心は三世に亘ると云うなり、不始終とは仏の化導無き処・只己々な本有の処を指す是は観心に当るなり、根性の融とは仏法の融即・教主の心性に融るを云ふなり、不融とは師弟未分仏法顕れざる已前を指すなり、故に不融の根性は仏法已前の根性を指すなり、師弟の遠近とは師弟並て遠近共に仏弟子の外・人無し、不遠近とは仏法不現前の前を指して談ずるを観心と云なり、此の如く料簡して玄文教相為三と云ふ下の教相を観心と習ふなり、是を教相為三の口伝とは云ふ也、然らば玄文の観心は仏法不現前の前を談ずと習うべきなり。

当示して云く台家の義として根性の融とは仏法の融即・教主の心性に融するを云ふなり、不融とは師弟未分・仏法不現已前を指す化導の始終は教主の化導の始終は教主化導の始終に亘り三世を指して云うなり、不始終無化導已々の処を指す、師弟遠近は師弟●て遠近に約す・共に仏弟子外人無し、不遠近とは仏法不現前の前を指すなりと云云。云く此義何も信用に足らず是仏の出世に付て談ずる法門なり、其の故は籖一に云く前の両意は迹門に約す後の一意は本門に約す文と、去れば根性の不融の相は花厳阿含方等般若なり、此爾前の間は種熟脱を論ぜず、根性の融とは法華なり、四教に約する時は前三為麁妙一為と釈せり、次に五味に約して麁妙を判ず・●一に云く又今文の諸義凡一々の科皆先四教に約して麁妙を判ず、則前三を麁と為し後一を妙と為す、次に五味に約して以て麁妙を判ず、則前四味を麁と為し醍醐を妙と為す、全く上下の文意を推求せず直に一語を指して、便ち法華が花厳に劣ると謂う幾許謬るか、花厳は一麁一妙なり、相待妙・判麁妙・阿含は単麁無妙なり・方等は三麁一妙なり、相待妙・判麁妙・絶待妙・開麁顕妙なり、仏法不現已前と云ふ事謂れ無き事なり、本末の釈分明なる上は不審無きなり、今台家の意は玄文の教相は観心なりと得られたり、但し此の法門・行の重なる故か、行の重也と云ふ教相にかざむ義をこそ成すべけん以の外なる義なり、

次の化導の始終を論ぜば始とは大通仏の時を以つて始とするなり、終に今日を以つて終と為す則説法華の霊山なり・不始終は中間と見えたり、化導の始は三千塵点大通を以て元始と為す、種熟脱を論ずる時・三千の昔を下種と云ひ中間・今日・四味は脱・今の法華なり、種脱の不同を立てず・皆以て観心とは心得難し、先師聖人の別教分の法門と止観を仰せけるこそ道理極成せり。

第三に師弟遠近とは近は今日霊山なり、遠とは五百塵点劫久遠を以て元始と為す寿量品の意なり、近とは今日霊山なり・不遠近相とは中間なり、種脱を論ずる時・下種は久遠・熟益は過去・脱は近世・番々の成道今日の法華なり、是又種熟脱の不同無く玄文の教相観心とは心得難し、台家の観心は是の如く謂れ無き事なり、此の観心と蓮師所立の観心とは替るなり、去れば天台の観心は何やうに云へども教相なり、当宗の観心教相沙汰すれば自ら観心なり、此事三種の教相とて広博の法門なる故に大綱計り之を申すなり。
台次上の無量劫来痴惑所覆とは法華の深義が流転したるにて有るなり、山家大師出世して根本法華を立玉へる則法華の深義にてありけりと当宗には習ひ伝るなり、他人之を知らざる事なり利口して書けり。

当示して云く此事信用無き其の故は無明は悪経を以つて云へば法華以前の諸経なり、法性は善経を以つて云へば法華なり、無明の悪が起る時は法性の善が隠れて・法性の善が起るときは無明の悪は滅するなり、何ぞ法華の深義が無明と成つて流転すべけんや、此の法華の深義と云ふが迹門の意か、迹門の意では法華を無明と云ふなり、籖六に云く三千理に在り同く無明と名づく、三千果成・咸く常楽と称す、三千改る無し無明即明・三身並常倶躰倶用文と、三千理内に有れば法性無明と云はるゝなり迹門は理具の三千なれば無明なり真実の開覚は天台大師迹化の導師にて座す故に且は無明に同じ玉ふべきなり、無量劫来痴惑所覆は法華迹門経行者にて無明なり、何とて惑障の剛き故に本門事行南無妙法蓮華経を障るなり、本門の妙法とは日蓮所立の信行者なり、三世諸仏惣勘文の御書云。
 
編者云く此下原本白紙なり但し引文を略したるなり。

御書に云下種教相本迹、二種迹門一種本門・本門の教相は教相の主君なり、二種は廿八品・一種は題目・題目は観心の上の教相也云云。
又云く下種師弟不変本迹、久遠実成の自受用身は本・上行菩薩は迹・三世常恒不変の約束なり云云、此の如き教相に於て主君と所従との教相大に不同なり、三種の教相共に以て観心と云ふ事天台一流の所立なり。

 編者曰く此下原本白紙なり。

略伝三箇の大事、問て曰く略伝三箇の法門を立てらる事は伝法要偈の四箇の大事の上に之を立てらるか、伝に云く上に立てらるるに非ず塔中の儀式を本と為して之を立てらるなり、然れば四箇の大事有り開出する法門なり、仏法の奥旨は四箇の大事に足りぬ、其の仏法の実躰を滅後に親たり現ずるなり・現ずる処を塔中と云ふなり。
一円教の三身は此事は前々委細之を書く。
常寂光土、別に之有り。
当精示して云く本有の娑婆の時・大蘇の時に於て法華三昧の道場を建立す時・娑婆則本有なりと云云、天台大師の開悟の重は寂光土とは云うべし。

難じて云く其の故は天台伝教の弘通せざる正法有りや、答て曰く有り、求て云く何物ぞや、一に本門教主釈尊、二に本門戒壇なり、此戒壇こそ常寂光土なれ、本国土妙是なり、是内鑒すと雖解悟せざるなり、彼宗に法華三昧の道場か、夫ならば常寂には非ず云云、常寂光土の本門の戒壇院・上に書くが如く差図の如し。
尋て云く本門戒壇院の外別に常寂光土無きや、答て曰く有るべし、法貴きが故に人貴し人貴きが故に所貴きなりと此の安置の処は常寂光土なり、常在霊鷲山我浄土不毀、而るに行者が住所の常寂光土なり。
難じて曰く然るときは本門戒壇院在所を定め玉う是は徒なるべきや、答て曰く此戒壇院は広宣流布の時御崇敬有り最も六万坊を建立有るべしと、今法花行者の所居の土常寂光土なり、此寂光土の得様・天台大師の修行と日蓮聖人の修行と一と云つては常寂光土の義顕るべからず、彼は理の一念三千は迹門今約法華迹理なり、已仏の法花順化の随問為説一念三千の観法、此は事の一念三千・本門未弘の法花逆化・不専読誦只南無云云、本有の妙法なる故に所を唱へ常寂光土と云ふなり。

御書に云く四土具足本迹、三土は迹・常寂光土は本なり、四土即寂光土・土即四土と云ふ浄土は唯本門弘経の道場なり。
私に曰く下種妙法顕れて見る時は法界と理即の凡夫とが一致する処を常寂光土なり、御書弘の一に云く理造作と非る故に天真と曰い証智円妙なる故に十界仏性を只一口に呼び顕す也(本因口唱の勝るゝ南無妙法蓮華経也如初心成仏抄)独朗と曰う文、久遠の理と今日の理とは理には造作無く、然れども久遠事上の理なり、今日は理上の理なり、故に知ぬ本因妙の理は勝れ今日本果妙の理は劣るなり、是理の本迹なり、是の故独朗と之を釈す又独一法界の故に絶対と名づく云云、理既に勝るゝ故に常寂光土の理勝るゝなり云云。
蓮華因果の事・台伝に云く蓮華と因果なり、因果同時なれば我等則同時なるべし、故に此因果同時なる事を顕さん為に即身成仏と名づくと云ふなり、具に別紙に有り。

当示して云く此の宗蓮華因果義を御書に曰く三には日本漢土月氏一閻浮提人毎に有智無智を嫌はず一同に他事を捨て南無妙法蓮華経と唱ふべし云云是広宣流布と云ふなり、是則蓮華因果の法門なり、従因至果の時は大法東漸せり、従果向因のときは大法西漸すべきなり、竹杖も長を計らず目連も其声を窮めず、光明の至り御声の至る所までは、目連神通を以て行くも其音を弁ぜず、本門の妙法の広宣流布は目連の神通に非ずとも遠く往て流布すべし、去れば太田抄に曰く(日蓮聖人御筆亦取要撰時抄と号す)正像二千年には西より東に伝う暮月の西空に始るが如し、末法の五百歳東より西に弘む朝日の東天に出づるに似たり文、報恩抄に云く極楽百年の修行は穢土一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣れり文、撰時抄に云く正像二千年の大王より末法の今の民となるべけれ文、又云く予に三度の高名有り一念三千と申す大事の法門は是なり文と、安楽品に云く(意安楽下)於後末世法欲滅時文と、又云(誓願安楽下)於後末世法欲滅尽・有受持法華経者文と、分別品に云く(滅後五品の下第二品頌)悪世末法時能持是経者則為已如上具足諸供養文と、七の巻に云く(宿王華菩薩為対揚)我滅後々五百歳中広宣流布○得其便也文と、八巻に云く(普賢大士誓願文下)於如来滅後○使不断絶、経と云ひ御書と云ひ処々の釈・一閻浮提に広宣流布すべきなり。

一、蓮華に付て当躰譬喩の蓮華の事、譬喩の蓮華は玄文序王の下に本迹六譬有り、当躰の蓮華は同七巻に六重仏界に約して之を判ず当に知るべし、依正因果悉く是蓮華の法文と、蓮華八葉彼の八教を表す・蓮台唯一は八の一に帰するを表す、一に文とは、八葉蓮花を表す本八分の肉団有り文、此等の釈の意趣は衆生の躰心中共に蓮華と云是則当躰蓮華なり、我等衆生前念後念が唯因果の振舞なり・是を当躰の蓮華と云ふなり、仍台家の三箇の法門当宗の三箇の秘法に取り合せて大概是の如し云云。

御書に抑此蓮華所生の処を尋ね候へば何なる池何なる水に開いて何境に生たる蓮花とせんや、若雪山の北・香水の南に無熱池と云ふ池に大白蓮華開く、不思議のべう花を備へたり彼を以て妙法蓮華と号すべきか、亦法伽波羅王の池に千葉の蓮華を開きたり而るに人中の蓮花は十余葉・天上の蓮華は百葉、仏菩薩の蓮華は千葉なり、是を以て妙法蓮華と云うべきか、又白鷺池の水やう池の底に生じたる蓮かとよ、昆命池五山の麓にや尋ぬべかるらん、つらつら事の心を案ずるに遠にも尋ず。にも求めず、我等衆生の胸は池・心は悪業煩悩の淤泥の中に正因仏性を備る之を指し妙法蓮華と名くるなり、夫れ世間の蓮華は夏は開いて冬は開かず、淤泥に生じて陸地に生ぜず、風に壊れ浪に沈み氷に閉られ炎に凋む、但仏性の蓮華は然らず、三世無辺の花なれば春夏秋冬の常葉なり、遍一切処の蓮なれば六趣三有に遍く開く、善悪不二の花なれば悪業の厚薄をも択ばず、邪正不二の蓮なれば煩悩の淤泥にも生長して十悪の風にも壊れず、五逆の浪にも沈まず・紅蓮の氷にも閇ちず焦熱の炎にも凋まず文。

当躰義抄に云く、問て曰く妙法蓮華経とは其躰何物ぞ乎○全躰なりと云うべきか、答ふ無論なり経に所謂○竟等と云云。
問ふ一切衆生の当躰即○妙理なり、文に云く正直捨方便但唱○敢て疑うべからず々々。
又云く問ふ末法今時誰か当体蓮華を証得するや、答ふ当世の体を見るに○仏種乃至其人命終入阿鼻獄とも、天台曰く此経通○断之、日蓮云く此経是○当躰妙理と。

祈祷経本迹勝劣事、問て云く末法一乗行者息災延命所願成就祈祷経文と題せらる末法は何の末法ぞや云云、答曰末法に於て惣別有り惣は如来滅後二月十六日より末法と云也、悲華経云我滅後末法中に於て大明神と現じ広く衆生を度す生文、別して云ふ時は三時弘経立る時(大集月蔵経巻第九分布閻浮提品の文なり)大集経に五箇五百歳を別つ其文言第一五百歳解脱堅固第二五百年禅定堅固(已上正法千年)第三五百年読誦多聞堅固、第四五百年多造塔寺堅固(已上像法千年)第五五百年闘諍言訟白法隠沒(已上末法万年云々)放光経の如く正法一千年持戒堅固を得像法一千年坐禅堅固末法一万年闘諍言訟白法隠沒云云、三時小乗権大乗迹門本門と弘通せり文証明白也、夫れ仏滅後二月十六日より、正法持戒の時なり導師阿難・●那和修・優婆崛多・提多伽已上五人、廿年宛百年の間小乗経計弘通す、其後弥遮迦・仏陀難提・仏陀密多・脇比丘・富那奢五人、四百年小乗権大乗を弘め大集経解脱の時に当り、正法七百年の時、竜樹菩薩出世して初は外道家に入り小乗経を極む後諸大乗経を以て小乗を破失し畢、此等は正法千年の内・禅定堅固の時節也、其後像法に入り一千五年と申時仏法漢土に来り、像法の初百年は漢土の道士と月氏の仏法と諍論の事未定大小権実顕密の諍論何の道理とも聞えず仏法十派に分れたり、南三北七の邪義区大小の浅深に迷う像法の年紀四百年に陳の少主の御宇に天台師出応十師邪義を摧き二代の国師の為に是則大乗経読誦多聞堅固の時に相当れり此

全く法花迹門分の法門・理の一念三千流布の時尅なり其法日本には人王五十代像法に入り八百年の時桓武天皇の御宇に伝教大師延暦寺を建立し奏聞に及び行幸を成申し、正月十九日高雄寺に於て究六宗之邪僻是又薬王の再来迹門留守導師なり、爰末法流布の大法有り末法万年始の五百年於我法中闘諍言訟白法隠沒之時本門首題弘通有り、上行垂迹の導師出現して弘通有るべき時機なり、法華云後五百歳広宣流布○得其他也云云、文句一云非但当時獲大利益流通故云遠沾妙道乃至言後五百歳最後五百なり云云、守護章云正像稍過已末法太有近・法華一乗機今正是其時なり、秀句下日当知法花真実経於後五百歳始必応流伝、又云語代則像終末初尋地唐東羯西原人則五濁之生闘諍之時、経曰如来現○度後此言良有所以云云、一乗要決云日本一州円機純熟朝野○成仏云云、又云日本国一向法花流布国文、又云我此像代の比丘なり未だ後五百歳の機に中らず、故本迹相対に依て之を修行し後五百歳時機に至り別付属を以て独り一乗機に秀づ故に流通分有るなり、経云於後末世法欲滅時文末法之初冥利不無此等の釈像法修行の大師先徳末法の初をうらやみ玉ふ釈なり、然る間末法と後五百歳と云事在文分明なり。有るひと何じて云藻原妙光寺の日海と云ふ人末法行儀抄と云文を作て末法行儀の様を載れたり今安楽行品の末世法滅時と於後末世法欲滅時の文迹門流通像法時と治定せり、其故は迹門流布の正時は像法なりと雖、本門流布の今時も迹門の利益無きに非ず、釈云兼得迹門法と判る故其辺も以て下文顕了通得引用の意にて本文に望み之を釈す迹門を於末世法欲滅時と説く広く像法を取とも末法にも証せらるると得意すべきなり元より末世末代の語は正像末の三時に亘ること約束せる也と云云、

答云末世との事滅後に亘る事皆以知る処なり、然りと雖今の末法は法欲滅時の時節なり権教滅亡との事にては之無く、大集経の五五百歳白法隠没は迹門を白法と云ふなり、爾前の大教は花厳経なり花厳雑華法花白花と云云、諸色之中白色根源誰知白法は法華迹門隠没と云事なり、末世法滅時流布は本門との事疑無きなり、其故は下山抄云世尊眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に法華経の迹門半分を譲り玉ふ、是又地涌の大菩薩末法の初に出現せさせ給て本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を閻浮提の一切衆生に唱へさせ玉ふべき先序のためなり、所謂南岳天台妙楽伝教等是なり今の時は世已に上行菩薩等の御出現の時刻に相当れり云云。 編者云く此下原本白行なり。

分段末法の初に出現と書せり其上先経旨を能々存知すべきなり、宝塔品の時以大音声○云云天台之を請け之を釈す声下方に徹し本弟子を召し寿量を論ず、仍宝塔品を三箇の敕定提婆品に二箇の諌暁五度の鳳詔に驚て五類の発誓弘経之有り御免無し初心始行の菩薩は十悩乱を離る安楽行品身口意誓願四安楽を説て末世法滅時一乗法弘通有るべき事於末世法欲滅時と者説玉へり、初心成仏抄に今時末法、法花流布の正時なるべき証文引玉へりと於後末世の文を観心本尊抄に云く正像末の三時中には末法の始を以て正が中の正と為す。

新尼御前御書今此本尊は教主釈尊五百○事極り金色世界の文殊○五字を譲させ玉ふ穴賢々々○迹門をはせすきて宝塔品より事起てとあそばす、宝塔品は迹門也何ぞ又宝塔品より事起てとあることを不審多し、凡そ宝塔品に大文段三有り一には塔現相、二には分来身集、三には釈迦唱募なり、上の二の文段は迹門の宝塔品・後の一の文段は本門の宝塔なる故に此の如くあそばす也、迹化薬王等の諸大士の望かなはず末代の大難しのびかたければ真の大弟子に妙法の五字を譲り玉ふなり、兼得迹門法を以て像法迹門流布の正時なり。

但し本門流布の時迹門も裏に用いらるゝなり像法は迹面本裏・末法は本面迹裏・と云云、さる間迹門末法に有るべし兼得迹門法・是本迹一致の義を募らんが為にあつかふ法門なり、さても●●当家高祖の御筆経釈を引て明鏡に末法は法花寿量品の妙法弘通すべき時節なるを天台家の智恵以て白法隠沒の儀を権教滅亡と之事当宗の義に叶はず、銘は末法行儀にて法門は末法の行儀に非ず譬は覚鑁か舎利講の式に仏をほめんとて牛飼に譬たるほどの事也、末法の正時を云として像法修行迹門の五時と於後末世を云事は浅猿しき事なり、惣々於別・々々於惣の義に迷へる衆なり・引難すべからず、真に当家不知案内の故か、藻原の市に於て自他嫌はず吊勧化をなして観境塔立る謗法の根源は此等の義を知らざる故なり。

御書云末法時尅弘通本迹本因妙を本とし今日寿量脱益を迹とするなり久遠の釈尊の行と今日蓮修行とは介爾計も違はざる勝劣なり、又云本門修行の本迹正像二千年の修行は事なり末法の修行は本門なり、又中間今日仏の修行あり日蓮修行は勝るゝものなり、又云後十四品皆流通本迹・本果妙の釈尊本因妙の上行を召し出す事一向滅後末法益と為すなり、然しば日蓮修行の時は後十四品皆滅後流通分なり云云、此末法は法花観心の大教の興する末法と意を得べし。

尋難云汝が言の如んば観心は南無妙法蓮華経なり此修行の時を末法と云云、然らば何ぞ題の次に入文に南無妙法と題せずして本迹二門の文を引き玉ふや、知ぬ本迹一致の事末法の事分明なり、答云本迹の文を引く故に一致と云ふか是専ら勝劣の証拠なり、既に迹門勧請の時他方の菩薩・本門勧請の時地涌の菩薩と勧請有て本迹二門の文を各別に引玉へり、祈祷経の前後悉一致とは見えざるなり皆以段々勝劣なり。

問曰一乗とは法華を指す云云、答云法華を一乗と云ふ也十方仏土中唯有一乗法文其実為一乗畢竟住一乗文法花を一乗と云なり、尋云法華一乗と云ふは本迹に不同無きなり、答曰不同有るべし迹問に説玉ふ一乗は細人麁人二倶犯過と云故に相待妙の一乗なり、今末法一乗と云一乗は法華観心の一乗也されば教無量菩薩畢竟住一乗文此一乗は神力品の時結要五字し玉ふ処を撮其枢柄而授之妙法蓮華経是なり、是を畢竟住一乗於仏滅度応受持斯経の斯経は題目の五字也是を一乗と云故に今本門と得意すべきなり、南無妙法是也一乗は題目なり・其故は盲亀の譬を引く時浮木に於て凡木聖木之有り凡木は亀の寒熱を止る事無れば一目も天を伺うに非ず・聖木に乗て此寒を温し熱を冷し而るに一目あり一眼に値て天を見る、凡夫は爾前経は題目の眼なし聖木は法華寒熱を除くは悪行煩悩の水火を払ふなり、一眼は衆生の盲眼・聖木一目は法華の題目一乗なり云云、此の如く深浅勝劣義を存すべきなり浮木の孔は緑有て値遇して天を見とは常寂光本土を見顕す南無妙法の徳用なり云云。

問曰行者とは六即の中には何なる行者ぞ云云、答曰一行一切行の行者名字初心の行者也・此行者が久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達正観事行の一念三千南無妙法蓮華経是なり、権実理也本迹事なり又は権実約智約教本迹約身約位又は雖脱在現具謄本種文、釈尊久遠名字即位の修行を今末法今時日蓮が名字即の身に移せり、理非造作天真と曰ひ証智円明故に独朗と云うの行儀・本門の行者なり本因妙の行者の事なり、御書曰久遠元初直行本迹、名字本因妙は本種なれば本門也本果妙は余行に依る故に本の上の迹なり、久遠の釈尊の口唱を今日蓮直に唱るなり。

尋云日蓮聖人名字即の行者なる故に法の行者名字即なるべきか云云、答曰達道の師はさもやあるらん名字即仏の故に・されども日蓮聖人理即に秀て名字には及ばず云云何ぞ名字の行者ならん云云只理即の凡夫と得意すべきか云云。

問曰息災延命は迹問に限る云云又一に本門に亘る云云、答曰本迹に亘るべし迹門に息災・本門に延命なり、迹門を息災と云事は法花已前の意は三千塵点忘下種事は悪業煩悩の災難対治無き故なり、而るを法華に来て舎利弗は法説段にして三重無明一時に究尽せしなり、四大声聞は法譬の間に三重を断じ冨楼那等の声聞は法譬因の三説で三重の無明を断じ○上品は還年色を駐む、妙楽の云く四大等と者世の薬に三の品あり共に薬王に非ず下は四天を治し中は五臓を益し上は還年にも可し文、夫の如く、仏法の薬にも下中上の三品あり但し此品の不同法花已前に於て之を糺す時・爾前阿含の日は見思四重の病を除く下薬・五分法身の色を駐め躰養の方の中薬・但空無為の年に還り変易生死の色を駐むる方は上の薬なり、然るに今経の意は上中下の不同を立てざるが如く元より平等大会にして大良薬なれば此の薬王を餌い兼て衆病を治し九界の形を変じて妙覚常身の大仙を成すなり、記七云昔は四重の障を除き但五分の身を養い真理の年に還り変易の色を駐む、今は陰ふに無縁慈雲を以て灑ぐに無私の法雨を以て其の遠種をして益を獲て偏無からしむ、無常微草乃常住の薬王と成り自行には人を兼て悉く三悪を除く故に遍治と云う、当に知るべし自他并に常身仏の大仙を成ずるなり、此本末の釈息災と見えたり、延命を云はば涌出品の第一義悉檀を釈して云く文句の九云く寂場の少父・寂光の老子其の薬力を示し咸く知るを得せしむ故に従地涌出品と云う文、寂場の少父とは教主釈尊常少不死の徳を備へ仏は廿四五の人の如し、而涌出大士は寂光は老児とて例せば百歳の翁の如し、然処に若少の仏・老躰の菩薩を指して我が弟子と号す此躰第一義の内証なり、第一義とは何物も中道第一義の心地なり、其中道とは常楽我浄の四徳波羅蜜なり、仏の年少の形は四徳の中に楽波羅蜜を示し菩薩の老躰の姿又常波羅蜜を表する間・少老共に中道第一義の内証なり、されば六祖大師は其の薬力を示し咸く知る得しむる所を下の薬王品に譲り玉へり、薬王品は何れの文ぞ云く不老不死なり此の文を消する時・不老是楽不死是常と判ぜり、去れば不老不死が自ら楽常の二波羅蜜と見たり所詮波羅蜜者到彼岸と飜せり、何も寂光の延命なりと云事是なり、此故に息災は迹門延命は本門と存すべきなり猶猶下に於て之を注すべし云云。

問曰所願成就とは其貌如何、答曰所願成就とは法花也経云如我昔所願今者已満足、文昔の誓願悉く満足するなり、難じて云く此題は悉く本迹の法門と云云此文は迹門一段の文なり本門の明鏡なり如何、答曰此文本迹の文なり、其故は迹門は満足とは云へども已満を挙げて未満を顕す本門は未満を挙て已満を顕す・記小久成中に記小を証し未だ久遠を証せず文、迹門に有りと雖も伝教は故に寿量品に云く如我昔所願と云う文、迹門は三千塵点の下種脱益の願満足なり、御書云大通今日法花経本迹・久遠名字の本因妙を本として而中間今日下種故に久遠為本中間今日本迹を共に迹と為す者なり云云。

次に成就とは不成就に対す爾前は不成就・法花の迹門は成就、迹門とは不成本門は成就、本門は不成・観心は成就なり・其観心は首題なり、此義三時弘経本門弘通の肝心の処に心得べきなり、廿八品共に迹の筋有り一品二半の在世の正機の為に顕本する所なり・今我等か本門とは名づけざるなり。

問祈祷経の文は且く今世に限るなり、答今生を祈るを祈祷と云い・後生を祈るを諷誦と云うと伝聞せり相伝無し云云、愚意は祈は今生を云い祷は後生を云うと存する也、所願不虚亦於現世当於今世得現果報・祈祷は二世を祈るが祈祷也、故諸宗の祈祷は今生を祈り来生を祷らず二世を祈るは法花なり、爾前の経は祈祷に成らず其旨安国論に見たり、諸宗は有祈祷は高祖仰に云く彼の万祈を修せんより此の一凶を禁ぜんに如かず文、諸経を以て祈るとも叶うべからず云云。

尋云法花宗の祈祷叶ふべきや、答曰祈は叶ふふべし法花を以て祈は大願成就すべし、得聞是経病即消滅の経なる故なり云云。尋難云祈叶はずと覚たり今の法花の行者病死す如何、答曰信心失ち無く此の経を信せば病即消滅不老不死なり、委は万病即消滅の謂ひ下に有るべし、但法華信者病死する事は衆生の習なり、既に生老病死と有り人間と生るゝ者遁れ難き道なり何病せざる誰か死せざる・亦釈尊尚頭痛瘠痛す栴檀の煙となり玉ふ凡夫争か遁れんや、夫れ病に於て不同有り・過去の旧業を病む人もあり、当座の臓腑の煩を病む人もあり、臓腑の病は薬を以て消し旧業は愈え難し、当宗の病此等の病には非ず悪業煩悩の病也・是を愈さんが為に祈祷経を祈るなり、其故は是好良薬○不差と丸して置く、此の薬をして病者に勧れば飲て毒病皆愈なり、可飲者は誰ぞや末法今の信者行者なり祈祷之なり旧業なんどは遁れ難き事なり、惣報は法花に値て断ずべし、別報は破断せず行事抄に見たり、目連が竹杖外道瓦石を以て折せらると舎利弗先死す記別の後也旧業遁れ難きなり云云。

外典一旦の意すら旧業遁れ難きの事を論語の述而篇に子疾病む子路祷を請う・子曰諸れ有りや、子路対て曰之有り誄に曰く忝く上下の神祇に祷る・子曰丘の祈久し、此意は孔子疾病とて大事に冠落せり、子路と云ふ門人が祈祷せんと云ふ・孔子左様なる事有りや、子路が申す様誄と申す文に祈の証拠有り聞く上下の神祇に祈らんと申す、孔子曰く丘祈る久く祈る我が違例するは天の与の事なり祈とも叶うべからず、私の外典の意なる故に来世は知らず今生は天の与る病なり、夫の如く生老病死の病と与天病なり。

又云八●篇王孫賈問て曰く其の奥に媚んより○祷んなり、言く王孫賈は元は魯国の者なりしか衛の国へ行て太夫に封じ執政をなし勢有て居たりけり、爰に我故郷の孔子・衛の国へ入せ玉ふ時、王孫賈思ふ様は孔子は魯公の臣下なり我為に同国とは云ひ又賢臣也・是をむかへて政ことを問はゞやと思て古き書の意を以て孔子の口引を聞く時古き詩を尋たり、言は家は一間なれども二にして一所を以て奥室とて客人など応待する所・又我居所奥室なれども食物も見えず貧々たり、又汁菜なむする所は●なればきたなけれども富々たりと問ふ事は・孔子は奥室の如く賢直を以て面とす我等か類は●の如くなれども執政の陋き身なれども内は富々たり、孔子は大家なれども貧々たり清々たる奥よりも●に御座して然る可くみんとて尋る意なり、是を答る時・子曰然らず罪を天に獲ば祷る所無きなり、孔子の意は王孫賈が心にはあふとも衛公の御意に背ては福は無し、鬼神に祈るに無所に江河の百神に祈とも天に背かは祈叶はずと云云。

又云雍也第六・伯牛有病○有斯疾なり、伯牛とは孔子の十哲の中に徳行長けたる第三番に呼出さるゝ冉伯牛か事なり、此人悪き病なる故に孔子の北●より其手を取て脈を取て天命なるかな夫れ斯の人而斯の疾有り、再ひ仰けるは重きをなけく言なり、何とて北窓より手を取るかと言ふ時・惣じて臣下の違例ある時主公の出らるゝなり、其時北枕を向け東向に寝る也上は南面し玉ふなり、其時病者不起大紳上にひきかけていぬるなり、此時のていにて北窓より手を取ると云なり、答ふ私云是は旧業なり如此徳行の者も遁れ難きなり。

又言く鍾鬼大臣は終南山の仁たりしが病に仍て及第を下第するなり、是を悲んで我人の病を防ぐ可しと誓ふ大才博士なる故に魂ひ神人と成て病を除くなり、此故に門に書て置くなり。

私鍾鬼のかげら是守門に置く間・釈迦如来の妙法を信ぜば除病ならんなり、又言八●篇云子曰君子は争う所無し、心也射乎揖譲而●り下て而飲、其争也君子なり言は君子は人と争はざるなり、射時に言かとは射て後争有るなり、正月などの弓始の時・堂上とて国中より及第に備る人・六芸の正しきか両堂上してゆみいるなり、矢数八十いる一方は中り一方は必ず迦る矢有り負方はゆかけを迦し左の手にをき、かたを入て堂下する時勝たる方はゆかげも肩も其のまゝにて堂下して後に・争と言は人か負たる者に爵を取て・負たるは虚気か腹痛中風が違例故なりとて三々九度のまする時・赦養々々と飲する薬酒なり賜催々々とのむなり・是を揖譲而昇下而飲、揖とはかたでを出して礼をするなり、譲とは両の手を酌て礼をするなり、堂上堂下ともによく礼するを言なり、其争は君子なり矢数多が矢数の少きに飲ましむ是君子の争なり。

私云是を如来の慈悲に合するなり、如来勝応身なれとも劣応身利益衆生し玉ふ也、悪業が多き衆生なれば三周十五段の利益、三周に又三周有り三々九度の御利益也、之を以て三惑の病を除き玉ふなり、当宗の祈祷は来世を祈る此祈祷経の意只是なり。

尋云法花の行者が此の経を以て天下安全を祈る其の験し有るべきか、答云計り難し、難じて云く所々の談義聴聞申すに祈らば験し有るべし云云、何ぞ知り難しと云うか、答曰吾門徒に祈其の験し有るべしとも覚えざるなり、日興上人仰の次に祈国の段亦以不審也所以者何文永免許之古先師素意之分既以顕畢、何座を僭聖道門の怨敵に交え鎮に天長地久の御願を祈るや、天下広宣流布の時は祈は真に現世安穏後生善処ならん諸宗に有らん限は祈り叶はざるの事門徒の法門なり、伝教云国謗法の音無くば万民数を減ぜず家に鑚仰の頌有れば七難必ず退散せしめんとも、安国論云国家を祈り仏法を立つべしとも、彼の万祈を修せんより此の一凶を禁ぜんには如かじ文、国中栖家六分一謗法罪当宗に身に有るべし・折伏を以て国土の謗罪を遁る可し祈らんと言なかれ、信心強盛の家にさい旧業は祈られざるなり、広宣流布せば現世後世悉地成就すべきなり、信心強盛現世安穏御書の仰を●り候末法法花○成就すべきなり云云、私云広宣流布の大願可成就と有り此祈祷経は此大願を祈るべきなり、大願成就の正法何物か只南無妙法蓮華経と云云。

問曰此祈祷経は最蓮房計り頂戴有るか、答曰惣じて当宗に下ださるゝなり御書撰法華経付嘱事。
惣じて六老僧の中に進せ候此祈祷書は三世諸物の出世本懐・一切衆生皆已成仏なり、此祈祷書は日蓮一期と存じ候て撰候畢、此書あまりに秘書なるが故に細々読むべからず候・秘書なれば之を撰び或は一期せんとならん時・此の書を読み奉るべきなり、但付属の弟子に非ずんば此の書伝ふべからず云云、又設ひ伝ふとも起請文に非ずれば此の書を許すべからず等云云、相搆々々同行たりとも見すべからず能々秘す可し穴賢々々秘すべし秘すべし。
正月廿九日●日 蓮在御判

問曰此書にあまりに秘書なる故に細々に読むべからず候云云此御秘蔵何物ぞや、答曰日蓮一期と存候て撰候畢、大聖人御一期秘事をば誰か之を知らん云云、尋知る無き尤なり既に御秘書なり睫の近と虚空の遠をは見る無き者・但此書六老僧付属有りと雖も取分正相伝は日興にて御座す由伝へ来り・本迹日興と申すは此祈祷経の故と云云、仍て此書の面を拝見するに釈尊一代の秘書日蓮一期の秘蔵は名字初心の行者が南無妙法蓮華経と唱うべき事か、法華妙理○虚妄云云法華とは因分の名なり本因妙の全躰也妙理とは題目の五字なり当生信心無有虚妄と云云。

げに●●思合せたり日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興付嘱云云此事にてや有らん、本尊日朗立像釈迦と云云一切行功は仏なり、故に日蓮一期の行功には日朗に付嘱唯我与我の御付属誰人の事を知らず我門主日興と申来たり、若一期御秘事題目五字の観心かと云、私の推量なり何ぞ之に当らん云云猶々追て尋ね求むべきなり、此外に御書の趣顕著なりと言へども幸に当門流の口決なる間之を置く。
問祈祷の経文と読むべきか、答知らず去り乍ら祈祷経の文と読むべきか、其故は妙法蓮華経の五字は法譬人と題す余経に替るなり、或は法体を挙げ或は人を挙げ或は理を挙げ経云ふ法華は妙法の々躰蓮華は譬なり蓮花は惣に於て七喩別に於ても蓮花は惣の譬なり、経は仏主・声仏事を為す之を称して経と為すと云とは法躰の物躰なり、妙法蓮華経の義のかさる文と云ふなり、されば文質と云事有り質は本の姿・文はかざる義なり質計りても叶はず文過ぎても悪しし、文質相応して成する義なり経は本有なり文はかざりなり。

論語に曰く雍也篇に子の曰く質文に勝れば則野なり文質に過ぐる則は史なり文質彬々として然る後君子なり言昔質勝る時は野なり、文のかざりが質に勝るゝ時は史なり、君子とは文質相応したるが義也、私云本有の経を文ざる時・文質相応するなり、惣じて書などを書く時・昔を引べきなり、さのみかざれば偽の義出来するなり、文質相叶ふ可きなり今も山中の者は質の姿なり、京の人はみやびやかなり、されば常途の義として経の文とつかへべきなりと云云。

大方等陀羅尼経第一云南無崛々●○●●●○多●●文種々雑咒云●姪●文。
問曰日蓮撰、日蓮の名乗に口伝在りや、答云種々口伝有り・仮名は是性の御房・実名は蓮長と○神妙々々と言ひ給て留畢、弘安五年壬午十月八日、日蓮在御判。

私云産湯の相承とて一箇の習也爾りと●と末代の為に在知記録す。

一義云日蓮とは本門教主釈尊の習ひ形像は妙法蓮華経を蓮薹に仮座今の中尊是なり、他宗には衆聖中尊の故に釈迦仏を中尊とせり、当宗は中尊に妙法蓮華経・蓮が日蓮なり、日の文字を横堅の五点を以て日の文字とせり、堅二横三の字なり算道云竜樹菩薩の前に日文字ふれり見れば五形也、二九(卅より一)九々(卅一まで)此五形が離れず有けり、今は円と云ふ妙法蓮華経は五字なり一空竪点妙也幽玄深奥の義竪三世也二風横点法なり法とは十界十如権実の法権の十方也三火妙竪の譬に蓮薹を儲けたり四法横の譬に花の八華なる姿を設く五地横経也声為仏事の声は横に行く者なり離すれば五形・合すれば日也日蓮なり・日文字を名乗る妙法蓮華経某なりと存すべきなり。

一義曰く日蓮とは衆生の心中に心肝と臥たるなり、五蔵に譬する時は日は心の臓色赤し、蓮は肝の蔵色青し是則肝心と云義なり、法華題の蓮花白蓮花とも赤共黒共青とも取る何にも証拠有る処なり、私曰此義以前習と●も当乱に紛失不足して正体有るべからずして後見添削有るべきなり。
問云撰と云形如何、答曰仏説を経と為し菩薩説を論と云せ人を述と云ひ賢聖記伝など●●撰と云ふ・本迹二経の文を私無く撰せられたる故に撰と云云。

問曰勧請と云者如何、答曰至心勧請の故に一切諸仏菩薩の請し奉る姿なり・去れば開白のとき諸天来集の磬を鳴らすなり。
尋云請の字にしんの音有るか、答曰之多し論語云子華・斉に使したり冉子其の母の為に粟を請う、子曰之に釜を与う(六斗四升也)益を請う曰之●と冉子之粟五隶を与う。
一請暇、一普請、律云因仏掃地の勝利を説く時・諸の老宿比丘皆禅誦を棄て地を掃う、仏止て曰く我事を知る人の為に其の知事を説く、又偏に掃かず仏●椎を鳴さしむ惣て集て共に之を為す、此普請の始なり。

問南岳・霊山浄土釈迦牟尼仏・一礼云云、仏に三礼・神に再拝・人に一礼と云事常の如し何とて一礼と有るか、答て曰く是一礼に非ず釈迦多宝分身の三仏を法報応の三身如来と名けたり、元より三礼を三身なる処を礼するなり・多宝表法身・釈迦表報身・分身表応身なり。

尋云南無は梵漢の中には、何か答曰南無は梵語なり、悲華経曰仏の言く南無とは此に決定と云う諸仏世尊名号の音声なり、唯識抄云梵語南無此翻名と為す即是帰趣義也或那摩と云い或は曩謨皆梵音の訛なり、又南無に重々の意有り文句四曰南無大義有り或度我と言う度我とは衆生を化施すべし文、記四に曰諸仏の度を謂うなり・二に驚怖と飜は此は五戒経を引けり所詮南無は生死を驚怖する義なり、疏云五戒経驚怖と称す驚怖は正く施仏すべきなり・生死険難実驚怖すべしと或帰命と云是も則五戒経を本拠とせり、所詮所化の衆生か南無と称し能化の仏を念ず・其の念遍を知見し彼の念命に帰して悉く其の衆生を助くる義なり、疏云五戒経又は帰命と云う悉く衆生に施すのみ、凡の天台大師此下に南無を帰命と飜するに付て五戒経・那先経・報恩経等に引て其因縁広く釈すと雖も之を略す、五戒経の意・提婆南無と称して仏と唱えざる砌に極悪に依つて堕獄する処に南無の力に依つて獄を出で辟支仏と作るべしと授記せり、或は那先経の意は南無と称えず堕獄するは一の石を水に置けば沈む百石なれども舟上に置けば其の石・水に浮ぶが如し、南無と称えざる者は地獄に堕つ水の上の石の如く、称るは舟上の石の如しと見へたり。

問曰霊山浄土とは何なる経釈に依るや、答経は法花の常在霊鷲山の文に依ると、釈に常在霊山報土と為すと云う者は常在霊山此実報土と謂うなりと、内証相承血脈云山家大師常寂光第一義諦・霊山浄土、久遠実成多宝塔中大牟尼尊か。

尋曰今の霊山浄土とは本門四土一念浄土と同か如何、答曰霊山浄土とは同居の上に置いて法花説処は霊山浄土と云る意か、霊山浄土と云ふ故に知ぬ余は穢土と聞えたり、但台家の意は法界浄土と云るは善悪凡聖・仏菩薩一切法性を出でず正く実相を指て以て正体と為す意なり、迹門理内の筋か、霊山浄土と本門の四土一念の同異の事、実相同の方にては同と云ひ口言の異の方では別と云うべきか、始終迹機の方では一部共に迹ならば機性昇進に依る・四土は異を堅く立てん其時は三教の説処は穢土・法華の説処は浄土と心得べき、始終本機の方で見れば種々の法を説玉ふ事も御本意の為めと見ときは四土の異を立てたるなり、四土一念なりと存ずべきなり、此四土一念の法門は本国土妙ならでは何を顕んか、世を挙げて信ぜざる所の人多して信ぜざれば四土一念の義も無し、法華説処の霊山浄土穢土ならん信不信を以て成立すべき法門なる故測り難き事なり、いかん本門の意と申すとも教主の有無・教相の権実・知識の善悪を弁えずば立て難き事なり、同とも別とも分け難き事なり、法門の位・行者の時節勘合すべし、台家の意は記九に豈離伽耶別求常寂光非寂光外別有娑婆の意を以て同居即寂の義を申し募るなり、霊山の伽耶・常寂光土の義・娑婆の外に無しと云ふ事、他宗の義は之を置く聊爾に法門の馬庭を定めずして云はん事口惜事也、本迹に勝劣無しとは此義とも浅深有るべからず・若有勝有劣常寂光の浄土と霊山浄土に不同有るべきなり。

浄土の本門迹門の違目の事、迹門は宝塔品の意は八方各二百万億那由他国を変する故に八方三千二百万億那由他の国を広ぐる故に際限を論ず、本門の意は十方通同如一仏土と云云、分限無し争か一浄土と云んか、霊山浄土は同居の上に説法華の浄土なり、十方通同は本国土妙の浄土也、我浄土不毀・此にも次の文に不聞三宝名と不見の因縁を明す、此浄土を知らずんば過阿僧祇劫不聞三宝名と云云、諸有修功徳○久修業所得と得見の因縁を明す本疏の義斯の如し、不見得見之を思ふべし不同有るべしと存ずる計りなり云云。

厭離穢土・欣求浄土の西方浄土・霊山浄土の不同事・西方は好世の浄土とて浄土を好む者の為に一往設たる浄土なり、既に十万億の世界を過ぎたる浄土なり、阿弥陀経曰過十万億仏土有世界と、此浄土は迹門宝塔品の時崩れたる浄土なり、去れば即往安楽世界の文を以て法華の行者みだ浄土期すべき者有らばと云云、記十・直此の土を観する四土具足す故に仏身を指す即三身なりと、此直観此土浄土は四土具足なり、彼同居土好世の浄土也意大に替るなり、観経の疏云四種仏土各浄穢有り、五濁軽重・同居浄穢・躰折・巧拙・有余浄穢・次第頓入・実報浄穢・分証究竟・寂光浄穢と・意は同居浄穢・五濁の軽は浄土に至り重きは穢土に有故に法華の霊山直観此土に準ずべきなり、又本門の常在霊鷲山の文は常住不滅神通力を顕す、斯くの如く所々に用の三身を顕す時、自受用報身如来の浄土を常在霊鷲山と説くと意を得べし、此本門の一品二半は一代正機の為の本なり、日蓮聖人の迹なり、さて本果の国土迹土なり、御書云下種三土は迹・常寂光土は本なり・四土即寂光と云云、四土の浄土は唯本門弘経の道場なり云云、脱益脱迹三土本迹・報土は本・同居方便は迹也云云、釈迦牟尼仏名毘盧遮那其仏の住所名常寂光と此意も用の三身の住処寂光土と云ふ意なり、当宗折伏の行者なる故何の所も不信々心の異を論ずれども彼の観心は此迹門と心得べし。

問曰釈迦牟尼仏の飜名云何・答曰度●と飜す其故は大海の底に石有り、此石に火有てもえこがる故に二万五千の河より流れ入る水を吸いて干すなり、此の如く釈迦如来は一切衆生の悪業の多き事水の如し是を以て慈悲三世常住に利益し座す故に度沃●と名づくるなり。

問曰一礼に付て礼拝の義種々有りと云云其姿云何、答曰礼拝式・地持論云五輪著地と・長阿含経云二肘二膝頭頂之を五と謂う、輪とは円輪の義なり、亦云五躰凡礼拝は必先ぞ足を並べ身を正し掌を合せ首を俯し手を以て衣を●げ右膝を地に著け次に左膝を下げ二肘を以て地に著け二掌を舒べ額を過て空を承け構足の敬有るなり額を以て地に在りき、良久く方に一拝を成し若し中拇指を以て相●へ或は掌を以て承け或は地に捺す並に儀に非るなりと、智度論云礼三品有り一日但南無と称す是下品礼なり・二膝を屈して地に著け頭頂地に著けず是中品の礼なり・三に五輪地に著く是上品の礼なり・又云下者揖・中者跪・上者頭面著地文。

一 三拝は白虎通云く人の相拝する所以は何ぞ表情を以て意の屈節を見る尊重を卑する者なり之を拝するをば服と言ふなり、俗中両拝と云ふ者蓋陰陽に法るなり、今釈氏三拝首を以てする蓋し三業の帰敬を表すなり、智論云内式礼拝大に身口業に約するなり、仏法は心を以て本と為す身口を以て末と為す故に三拝を礼敬と為すなり。
一 稽首・々々は謂く頭を屈し地を望む故に・又稽は謂く首を地を望む稽少時に留む、此即周礼九拝の初拝なり。
一 額首・稽額と云なり謂く額を屈して地に望む即周礼の第五拝なり。
一 拝首・謂く頭を以て手に望む即第三空首の拝なり。
一 頓首・謂く頭下に向て虚揺す而て地に望まず、即周礼第二の拝なり。
一 揖・即周礼第九の粛拝なり又是内法下品の礼なり、書に云く揖・磬折は若仰首直身・又手不謹は即慢の甚なり、故孔子曰く礼を為す敬はざれば吾何を以て之を観ん。

示して云く此一拝は首を稽け且く有るべきなり・是粛敬の儀式・此礼拝の義マデ末代初心の行者は麁動すべき故に是を以て一礼と書くなり。
問曰宝浄世界多宝仏の一礼何故有るか、答曰迹門勧謂の時は釈迦に娑婆有縁の導師・多宝は宝浄世界なる故に霊山浄土の釈迦・宝浄世界の多宝仏と列り玉ふ。
尋云多宝仏を礼拝するに二仏並出と仰ぐや、答曰然るに非ず亦得開三不得顕実の故に何れの仏なりとも、法花を説く処へ行て法華を証明すべし云云何ぞ拝せざる、釈迦は本仏・多宝は迹と云ふなり、此土他土の仏共に法花を以を本懐とし玉ふ多しと●も之を略す。

問云十方分身の諸の釈迦牟尼仏の釈迦一仏有るべし・何ぞ十方分身の諸釈迦牟尼仏と云ふや、何の仏を信ずるも釈迦を信ずるに成べきや、答曰く十方分身の諸釈迦牟尼仏とは釈迦の本仏は釈迦如来なり、五仏道同の時一切の仏の八相作仏するは皆釈迦の変作か各別発願各修浄土するなり、本仏の法華を説玉ふ事、久遠より道心する事を顕んが為に来り玉ふ、釈迦は天の一月、十方分身の諸仏は万水の影なり、諸仏慈悲広大深遠なり・虚空会の時本仏を訪うを最も礼すべきなり、人間すら礼有り況や仏に於てをや・今吾宗に他方無縁と申すは諸仏尚本仏を以て本意と為す凡夫釈迦に背き他方の諸仏を帰敬す縁無きを知らず故に本仏迹仏を弁へざる故禁るなり釈迦は本仏・十方は迹仏・何も惣別二願衆生利益の方を礼すべきなり、例せば国王を拝し執政家を礼して拝する如きなり、分身既多し当に知るべし成仏の久きを雨の猛を以て竜の大なるを知り花の盛なるを以て池の深きを知る・仏の本迹を挙玉ふと存すべきなり、御書云脱益三世三仏利益本迹、世々番々の教主は本・所化の衆生は迹なり、世々已来常受我化師倶生と機縁有て師弟と成る事斯の如し迹の上の本迹なり、去れば今の祈祷経に南無薬王薬上普賢文殊妙音観音等云云、十方分身の諸釈迦仏の御弟子各将一大菩薩を列ね玉ふなり、釈迦の御弟子に身子目連なり、本仏を以て論ずる時は皆釈迦の御弟子、迹仏を以て云へば他仏の御弟子と云ふべきか、旁以て此下をも本迹と分つべきなり何ぞ勧請せんや。

問曰此祈祷経の意は一経三段か正意か二経の分別正意か、答曰二経六段の分別正意と見たり、難曰一経三段正意と覚たり、其故は初に序品の文は見えたり、涌出品の文は見ず序品を序とも・方便品より分別品の弥勒格量の偈に至るは正宗・偈より以後十一品半は流通分なり、涌出品の文を略する事・正宗の内に取て此序品は一経の序なる意を以て涌出品を挙げずと見たり如何、答曰二経六段正意なる事は仏には迹仏・菩薩には迹化の衆・声聞には内秘菩薩行、外現是声聞の類を列して迹問勧請の義を顕たり、本門の時は久遠実成本仏上行菩薩の本眷属、開迹顕本常住の一切三宝を挙げられ二経六段肝要と覚えたり、迹門の意は題目と一反と云云、迹門の時なれば未だ口唱せず本門口唱の妙法なり、師匠の仏も南無妙法の唱に依つて得果す・弟子の上行も妙法を以て利益有るべき意にて二反あり、但涌出品の文を挙げずと云うに至ては涌出品の意は当流の第一義悉檀の釈の意にて大聖人列ね玉ふと意得べきなり云云。
一惣受持者擁護し玉ふ諸天善神・末法々花の行者に於て息災延命・真俗如意せしめ広宣流布得已満足し玉ふ。

問云法華行者擁護文何しぞや答云現世安穏後生善処・無量義経云三世諸仏守護此経文、此経是一切過去未来現在諸仏神力所護故文と・又云諸天昼夜○護之と・天諸童子○能害と・除其衰患と諸悩人者皆不得便文、諸願虚ならず忽に現世に於て其の福報を得・当に今世に於て果報を現ずるを得べし文、普賢経曰正法治国と・涅槃経曰是大涅槃微妙の経典の流布する処当に知るべし・其地即是金剛なり・是中諸人亦金剛の如し文、伝教云国謗法の音無くば万民数を減ぜず家に讃経の頌有らば七難必ず退散せしめん文。
上宮太子・伝教大師・鎮護国家三部に法華第一と置かせらると云云、問曰広宣流布証文如何、答曰我滅度後五百歳中広宣流布於閻浮提と委は上の如し。

問曰題目一反とは口唱せず云云、迹化の導旨も玄旨伝に天台大師唱玉ふ様を記せり・其上顕に唱る事之多し、又論義の時必ず二反唱ふ争か唱えずと云ふべけんや、答曰台家にも唱る所の題目は已弘迹門の題目なり日蓮唱う所の題目に及ばず、彼は摂受順化天下の師匠として勤行に唱ふ、或は弥陀の名号・或は観音の名号・或は法華題目・双用権実の故に唱えざるが如し、日蓮聖人の唱玉ふ処は逆化にて崇敬無く猶多怨嫉数々擯出遠離塔寺二島の左遷・不惜身命の唱へなり、其上台家の意は花厳経の論義には花厳経題を唱へ・心経の論義には心経の題を唱る事色々に替るなり、唱えざるに似たり故に心に観する行者なりと意を得べし、たとひ唱とも末法の唱へ唱導の師には非ず譲り無きの事なり、彼は惣付属・是は別付属也云云。

涌出品を以て本門の序と為すと依て涌出一品の意を取て書せり、去れば寿量の大薬師も此祈祷経の此等の文を見るか、他人云法華宗は薬師観音を真実に守にはかくると云云、此薬師とは東方浄瑠璃世界の薬師に非ず釈迦を薬師と申すなり・大なる薬師なり・無量義経には医王大医王なり、寿量品には譬如良医と、中古の義として寿量品の教主薬師と得たる人も有り弥陀と云ふ人も有り、此等の義は天台の釈に違う者なり、此の大薬師とは十種の医師の中には第十の医師なり、既に大薬師と有る東方の薬師には大の字無し争か同等ならんや。

種智還年の薬者の事、種智の薬は三智の中には種智の薬とは一切種智の中道を薬と云ふ・此中道は中為経躰の法華の躰法華の名異議無く妙法蓮華経なり、之を唱うる処が則道に中る還年の薬とは文句九(涌出品第一義悉且下)寂場の少き父寂光の老る児其の薬力を示し咸く知るを得せしむ故従地涌出品とも、寂場の少父者今日の教主釈尊常少不老の徳を具へていつも廿四五の人の如く、而も涌現せし大士は寂光の老たる児とて例せば百歳の翁の如し、然る処に若少の仏・老躰の菩薩を指して我弟子と号す此事第一義の内証なり、第一義の中道第一義の心地なり、其中道は常楽我浄の四徳波羅蜜を示すなり、仏年少の形は四徳の中の楽波羅蜜を示すなり、菩薩の老躰の姿は又常波羅蜜を表する間・少老共に中道第一義の内証故に之に依つて第一義悉且と取るなり、六祖の大師は示其薬力咸令徳知の処を下の薬王品に譲り玉へり、依て薬王品は何文ぞと云時不老不死の四字なり、去れば彼下の消文を見るに不老是楽不死是常と判ぜり、不老不死が自の四徳の中には楽常の二波羅蜜と見へたり、之に依て第一義悉且ど取るなり、本末釈意斯の如し祈祷経の意にて深意有るべし、私一義云此の方を見るに種智還年の薬を服すとは老いて少きが如く、是は釈迦如来本果妙の成道已来・世々番々に非生現生せしか、番々の成道に於て妙法と説く処か服薬にて不老の妙薬なれば廿四五なり、良薬付属の地涌の大士久く常住不死の法を稟け少けれども而も老たるに似たり、本因妙のとき妙法蓮華経の不老不死の薬を稟取し守にし玉ふ故不死常住の不滅の事を思へば老る義を顕し玉ふなり、

一義云仏菩薩師弟寄合て不老不死を示し玉うと師弟共に不老不死なり、仏の不死には寿命海中惣在如来の何れも仏として果後方便の利益、所成寿命今猶未尽常住不滅なり、仏の不老は第二番の成道にて仏娑婆往来八千反と見へたり、其間の年か八十計にて見えさせ玉ふ、八千反と寿命生滅の久き事を以て思ふ寂光に久く御座す年八十と見たるは一歳に足らざる事なり・不老の証拠には六十一の遷化は四十計の御貌なり、卅二相の相好も有るか関東一の美僧にて御座す、不死の相は宝塔品の密表の涌出品を顕し給、而本地の寂光に帰入して出家在家と顕して衆生が此の経の信を取る豈彼の応作に非るか・能竊為一人行者尚則如来使如来所遣行如来事なり、何況信を取る人を教化す専ら是地涌の一類なるをや、取分け広宣流布の時は日蓮二度出世と見たり、不老不死共に日蓮の御身にも有り、元より釈迦の内証にも外用にも之有り、此経則為○不死と法花の行者得聞是経不老不死なりと存すべし、就中本門取要抄に末法の中に日蓮を以て正と為すなり、法華行者の正也・去る時は釈迦と日蓮と互為主伴し玉ふと存すべきなり。

是故に我等深斯の旨を信ず父母既に然り子豈疑ふべけんやの事、寂場の少父寂光の老児此父子の故に此の如く書き上け玉ふか、父の義は聞たり母は如何と云ふ時・諸仏国王是経夫人和合そ共に是の菩薩の子を生すと・法華を母と為す故我亦為世父・救諸苦患者と説き玉ふなり、末代今比の衆生は為治狂子故と、法華経釈迦は父母の義・日蓮聖人は子の義なり。
法華妙理○虚妄と是は日蓮聖人の御釈なり、法華妙理とは題目釈尊金言なり信心を生ずべし、末世の我等は此御釈を法華一部の肝要・天台妙楽の釈よりも大切に存るなり、法花妙理の題目を名字初心の行者信心を生ぜよと御勧信なり、此の理は廃事存理所益弘多なる理なり、此理とは内証を弁へず味を知らずに唱れば当位即妙不改本位するなり。
南無妙法蓮華経一部八巻廿八品・六万九千三百八十余字・乃至自ら現在前す。

問云此文は本迹一致の証拠なり、一々文字皆金色仏躰なり何か劣り何か勝るか、南無妙法蓮華経に於て本迹を分たず覚へたり如何、答曰不同有るべしと、覚たり・迹門の文は迹門の教主の如く本門の文は本門の教主の如く・題目に於て天台所弘の題目と日蓮弘通の題目に不同有り、最も一々の文字に於て不同有るべきやの事疑い無し、他云一々文字皆金色仏躰故に不同有るべからざる如何、自云一々文字皆金色仏躰と同上の一々か・不同上の一々か、他云同の上の一々文字の仏躰也、自云若不同の一々の文字ならは如何、既に勧請の趣き迹本と二重に見えたり、不同は治定なるにや若不同無しと云はゝ大に不同有り此経文をば如何見るか。

尋云真仏説法利衆生と真仏とは法身なり法身とは我等か躰なり、此身に南無妙法と唱へば本迹と云ふ不同有るべからずと覚たり、答て曰く流れを酌んで源を知り華を見て根を糺すべし、高祖修行の弘法は天台伝教と同ずるか、他云同ずべし吾師天台伝教と同ずべし、自云吾師天台は当宗弘通の初つ方なり何して同有らんや、天台の開悟すら因在り必ず師に藉りて果満を保ち称して独悟と為す、本地上行の後身・塔中付属大菩薩争か迹化の衆と同じかるべきか、既に寿量品の迷遠の謂の時は他方来の菩薩は迷とこそ見たる、能迷所迷の不同無く同物●●と本化迹化の本迹に迷う云云、本迹不同ならずんば題目に於ても不同無しと募るべし。

示して云惣じて本迹と云はずんば不同有るべからず本迹と云はば必不同なるべし、知ぬ台家の抄に(作者一海)明伝抄と云ふ文に爾前迹門本門三重実相教行証の不同の事を挙げて此下に実相同口言の異を挙げんとして本迹の実相の不同を分つ、東陽和尚曰く迹門実相迹仏の躰・水中の月に譬ふ、雲の下にて月を見る九権一実にして実仏に非ず、本門の実相は本仏の内証無作実相なり、雲の上にて月を見る雲月同躰二譬に非ず本迹実相不同なり云云、檀那御抄(一実菩提心偈)迹門実相迹仏躰・是則猶水中の月の如し、本門実相本仏躰・諸仏の本雲月の如しの文証分明なり、実相同に於て尚不同有り・何況や口言の異をや台家の意とて経旨本末の釈の立処不同を弁ず、当宗として天台過時の迹門と本化弘通の本門に不同無し菩薩に本化迹化仏に本仏迹化・月の躰用分たざるか、但題目に不同無し云はば日蓮聖人の出世何の為に出世し給ふや其本意を尋ぬべし、本迹一致か勝劣か此重が定らば自ら落居すべし、されば本理大綱集云(山家大師)観心を尋れば法花観心・瑜伽観亦二有ること無し、本仏とは本仏の上の本仏なり心を以て本仏と名づくと為すのみと文、

意は善悪の心を隔てず心法を以て本覚と名づく、故に此本覚の三身を爾前に之を明すと云はゞ二乗成仏等忽に顕れて一代の教相悉く壊るべき事なり云云、当家云此の釈の如く本仏の上の本仏は伝教大師も未だ証得し玉はず心を以て本仏を為さば迹門真如の袋に万法一如の心を収む心法本仏なり、未だ事の成仏の本仏と致さず、去れども本仏の上の本仏と釈し玉ふ何様一仏にて有るべしと存ずるなり、去れば若無心而已介爾有心則具三千と文、意は心法具す三千具す三千所具の当躰を一家は本覚と得玉へり、心法当躰十界々々心々を嫌はず心法を以て本覚と為すと云云、当家の義さては心法無き草木は仏体無きや台家云草木無心の言は小乗より起れり、大乗の内証を顕せば草木有意・介爾有心・即具三千と、当家の意は迹門には草木成仏の文有り草木成仏の義無し疏九云問一切諸経乃至草木理等しからざる無し、何ぞ独り法花の教なるや、答数同異具に玄文の如し、○現在今教諸経の中に此の問答釈無きこと分明なり、法花開会の下に之を出す、何独法華之言は開会と云はば草木成仏を顕と云法門なり、草木成仏は上の如し・上行菩薩等の本地寂光開て云ふ法門なり・所詮開会の草木成仏が顕れずんば無作三身有るべからず・無作三身は本門の極談なり、何独法華は本門の事と取置くか、中んづく已前存するが如く介爾有心即具三千の釈を以て三千互具の義信用し難きか、其故は介爾有心者が謗法なれば三千具足すべきか、高祖の御法流は折伏門が面となる故に本有の種子を置て之に背けば堕獄す、之を信ずれば三千具足自他の異を堅く立て云うべきなり、若其の義無くんば弘通折伏無益也、折伏を致しながら不同有るべからず・三千具足などにては信心相違の失出来すべきなり、言ふが如く聞くが如く行うべきなり、譲り無れば末法に送れ釈段の意趣は知れず、天台の独歩と云ふ止観の釈は今約法華迹理と云云、爰本の義能々意を得分くべきなり。


六波羅蜜自然在前之事、是は菩薩の行なり今の法花行者の菩薩に非ずと難ずべし、此経の行者は必菩薩なり上の如し諸仏国土、是経夫人と和合して共に是の菩薩の子を生と文、諸菩薩衆信力堅固の者を除く者其十信と釈せり、十信は聞経の位也諸法実相種子の妙法を聞んが菩薩なり、当に知るべし此人是大菩薩と、あまつさへ法師品の時は若善男子善女人の当躰本来の諸仏に法華の行者菩薩仏と見たり、去れば松野殿御抄に云く法花経を持つ人は皆仏也仏を謗して罪を得るなりと書せり、六波羅蜜自然在前は諸仏とも菩薩とも云はるゝなり、等妙二覚一仏異名と云ふ此事なり、釈迦地涌菩薩誠に一仏の異名なり云云。

一切業障海皆妄想より生ず・衆罪霜霧の如く恵日能く消除すと此経の文の意は法花の内証顕れば悪業衆罪を消すべしと云はば答ふべし、新池書に云く縦ひ世間の悪業衆罪は須弥山の如くなれども法花経の日輪に値い奉れば消ゆべし、爾れども此経の十四誹謗の中に一も二も犯したれば其罪消え難し云云、法華を持たば世間悪業は消ゆべし謗法罪は消え難し、去れば不軽軽毀の衆の千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く文、去れども法花経の功力に依り悪業に由る故に還て値不軽せり。

問曰法華を持て不信の者と極謗法の者の軽罵の多からん者は何か下種を施すべきや、答曰謗法は下種無し・但し善住天子経の文は法を聞て謗を生じ地獄に堕るは恒沙の諸仏を供養するに勝る、日蓮聖人仰云信心薄短の者臨終に阿鼻を現じ或一無間二無間乃至十百無間疑無し、天台の評判蓮祖の御製謗法の方は成仏有る様に聞たり、此両ケの義進退谷れり、涅槃経云一謗大乗・二五逆・三一闡提也、此の如き三病其病治し難し悉く声聞縁覚菩薩の能く治むる所に非ず文、此文謗法罪甚重也と聞えたり、経には十四誹謗云云此事は更に料簡に覃はず、然りと●も愚筆を遺す誠以て管見なり彼釈御添削有るべきなり冥感如何、愚意は極謗法より不信の人は科条多かるべしと覚えたり、其故は舎利弗等の声聞が三千塵点劫迷ひ末代今此の行者は本末有善の機性と云へども業性の眷属にてもや有るらん、去る時は六万恒沙の一類なり、既に今日法華の行者となり一句一偈も講ずる者なり、何に依つて迷ひけるぞ不信の失と覚たり、不信是経即為大失の故なり、五百塵点劫迷ふとや云うべき信心不具足の故に既に一代の正機をば以信得入非已智分と文、三五塵点劫の間迷ふは不信の者なり、之に依つて一無間○十百無間と書くか、五百塵点の間は幾千万の無間にか落る、適法花の持者と成ると●不信懈怠ならば幾程の地獄をば経可きや、生悪道と文、但此文は正の地獄には非ず、悪道と云へばとて三悪道ならぬ事有り、先師聖人の修行に背かば悪にてやあらんずらん、不信とは謗法なり謗法は堕獄なり。

難じて曰く謗法堕獄は治定めは至て謗法の軽罵の者如何と云ふ事なり、聞法生謗堕於地獄と云云、答曰不信の者より謗法の軽罵は勝るべしと覚たり、至て法華を謗るが下種なる一義之有り、何とて虚空を打ては拳もいたからず砧を打ちては拳は痛む、敵弱ければ拳痛からず、夫の如く強き謗法は拳也、法華は石也法華の石に拳を当て縁と成るなり、例せば日蓮聖人の御身方より敵が人を能く成すと妙の吉き敵に値て終に成仏する如きなり、去れば信心強盛の者は順次生に成仏す、薄短の者は一劫一劫に落る共得道する事有り、一向謗法は展転無数劫と定まりたる処、法花流布の世に生れて謗法軽罵の人毒皷の縁を結ぶ也、是妙法の強敵なる故也、牛と牛主と牛飼とに妙法蓮華経と付て之を呼んで尚成仏したること宝物抄に載せたり、何ぞ唱えんを軽罵して妙法と呼んで下種ならざるや。

若末法弘通の志の行者法華金口の明説に於ての事、金口の明説とは法華なり金口に付ては台家には金師の祖承・金口の相承とて二筋の法門有ること常の如し、当宗の金師金口共に伝たるなり、釈迦の金口を動かず塔中にて別付属せし上行菩薩なり、取りも直さず唱るは金口なり、金師は釈迦も三十二相地涌の菩薩も身皆金色にて請取玉ふなり金師なり、此金口の明説を上行に授け上行再誕の日蓮日興に授く、されば日興を以て解悟の知識と申すなり。

新池抄の御使ひ日興と云云、此僧を解悟の知識として法門御尋ね有るべく候・聞かずんば・いかでか迷闇の雲を払はん足無くば争か千里の道を行かんやと、此妙法を持ち唱へて成仏すべきなり・去れば仰云我不信を以て金言を疑はず、若其信心の強盛甚重の息災延命決定得楽なり返々も信心肝要なり・外典云信をば義に近づけよ言復すべし云云、只信とはまこと也思無邪の三字外典の涌法也、仏法亦以て斯の如し法華の信者の名字計にては後生如何有るべかるらん、信心を致し現当二世の所願決定円満せしむべきなり。
御書曰仰を●り候・末法法華行者息災延命祈祷経・別紙に任て進ぜ候毎日一反○成就すべきなり云云。
右 畢りぬ

編者曰く陽山本の奥書に云く。
「時に天文十六年丁未八月十日書写し畢りぬ、住本寺本是院日叶所談なり、十二代日在在判」とあり、又何れも富谷日震師より借用の二本誤脱少からず、漸くに校正を了したるも未だ完からざるを憾む。

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