富士宗学要集第一巻

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対 俗 三 衣 談

予元来茅屋柴門の中に長して漢魏晋宋の昔を弁ぜざれば六義四律の句逗に暗く、道教儒典の門に遊ばされば六義八躰の文才無し、但暗然として空く壮年を過し今は遠霑の衆上に坐するのみ○、遠霑五十二代持宝院日芳。
 
吾は是れ元来卑賤の者、累年遊学衆徒に越ゆ。
猿の木に登り蝿の頂に留るが如し、冥に非ずは如何そ頑愚の堪ゆるところならん。
 
夫れ駿州富士大石の精舎とは院の東に大石有り其の出つること丈余にして坤岫の底、幾涯なるを知らず昔人呼んで所の名と為す、吾か祖、艸創の始め時を待ち名を秘して大石寺と云ふ寔に是れ仏法護持の正統、三国無雙の霊境り 、凡そ厥れ開闢より已来星霜四百七十一年を過ぎ累代三十二世に及ぶ、本門戒壇の御本尊并に宗祖の生骨を安置し奉り、三箇の秘法曽て退転無く、金口の遺附は凡下の知る所に非らざる唯授一人の相承なり、原ぬれば夫れ正像未弘の 要法にして本末有善の群族を益し久遠本因の金口は如来在世の巨益に勝れたり、一代五十年の説教、地涌出現の希奇皆是れ末法下機の為に大聖出現の先序なり、大聖の秘法は久遠不改の仏法、名字即の本源なり、然るに今当世大聖の 流を汲み名を法華宗門に借ると雖も曽て末法の時機に相応せず、権に執し迹に著して躰相以つて観行已上分身究竟の荘りを成す誠に猿の冠を著るに似たり、拙い哉底下白地の凡膚、高位に上るとは、然るに富士大石の一統は薄墨の法衣 を著する厥れ時と謂つべきなり、爰に野夫一人杖を携へ学室に来りて本山の流儀、粗問尋して後、法衣の趣きを問ふこと頻りなり、爾るに予は頑愚短才にして曽て其の拠ろを知らす況んや深意に於いておや、然りと雖も黙止に堪えず且 は彼れが謗意を退けんが為め野夫の問難に酬ふは仮に会答を設け俗情を慰むるのみ、対俗法衣評論序。
 
 
     対俗三衣相論 富士大石沙門日芳述
 
問ふ三衣とは鬱多羅僧、僧伽梨、安陀会なり此の三つゆ物は仏制なり、然るに今富士山大石の門流此の三衣を用ゆるや、答ふ然らず。
問ふて云はく何等を以つて此の三衣と為るや、答ふ袈裟と衣と珠数と此の三の品を以つて三衣と為るなり。
問ふ其の袈裟とは其の躰如何、答ふ五条の袈裟を用ゆるなり是れ行道雑作衣なり資持記に曰はく院内則寺中の居房室等を道行し昿路中を行くを謂ふ、雑作は則諸の作務なり已上。
問ふ衣とは其の躰如何、答ふ素絹重衣なり。
問ふ其の袈裟と衣とは諸色の中に何色を用ゆるや、答ふ袈裟衣、皆薄墨色なり或る時は袈裟は白衣なり。
問ふ其の所以如何。
答ふ開山已来作法の故に之れを著す。
問ふ其の作法とは其の意如何、答ふ知らず。
 
問ふ如何、答ふ云云。
野夫重ねて問ふて云はく法衣皆其の品有りや如何ぞ必す是くの如き法衣を用ゆるや、答ふ重問に酬ふるに其の意を知らずと雖も愚意に任せ正義に非ずと雖も之を評論す、殊に宗祖大聖の尊影並に大聖尊直に是の如き服を著し給ふに拠り  此の制を作す者か。
問ふ大聖人の尊影如何、答ふ重須本門寺安置の生御影、又大石寺の最初仏皆薄墨の袈裟衣なり。
問ふ現身に著し給ふ其の証如何、答ふ録外十五(卅三宀)四菩薩造立抄に云はく白小袖一つ薄墨染の衣一つ同色の袈裟一帖と云云、右富木殿への御返事なり故に師に順して作法と為す者か。
問ふ大聖人薄墨を著し給ふ其の子細如何、答ふ久遠最初の自受用身にて在す故なり。
 
問ふ久遠最初の仏の身相必す爾るや、答大聖の尊影を測量するに全く爾るべきなり、既に大聖尊の意業口業に久遠を移し給ふ、身業何ぞ異ならんや、故に信行所説の全躰、久遠に同すべし、之れに依つて久遠最初の仏身相好必す是くの 如くなるべきなり、其の故は外典なれども孟子の十二告子章句の下に曹交問ふて云はく人皆以つて沛wたるべしと云ふ諸れ有りや、孟子曰はく然り子氓フ服を服し氓フ言を誦し氓フ行を行なはゞ是れ氓ネらくのみ、又申鑒に云く之を前に行へ ば古の沛w、之れを後に行なふは今の沛wなりと云云、爾れば夫れ言は久遠の妙法を弘め行は但久遠の妙法を唱ふれば服何ぞ別ならん、是れ久遠に同しく薄墨の服なり、之れを前に行ふが故に久遠元初の自受用身なり、之れを後に行ふが故に 末法今時の大聖人、久遠と色もかわらぬ今の自受用身なり、此の意を以つて知るべきなり。
 
問ふ興尊已来歴代の先上尊等の其の意如何、答ふ興尊の末代に残し給ふ制戒、廿六箇条の第十九に云はく直綴を著すからず云云、第廿に云はく衣の墨黒くすべからず云云、然れば薄墨の素絹重衣なるべき事顕然なり、又本山九世日有尊上 の百廿一箇条の第廿に云はく紫香青香等の色有る袈裟を掛くべからず、律師已上の用ゆる処なるが故に、但五帖長絹重衣等計りを用ゆべし已上、然れば開山興尊已来皆以つて少しも違ふこと無し。
 
問ふ大聖尊は久遠元初の自受用身なれば久遠を移して著し給ふ道理然るべし、興尊已来は如何、答ふ富山大石寺の仏法は久遠元初の自受用身所立の仏法なり、故に師弟檀那一同に久遠最初の妙法を信行するなり、夫れ久遠最初の本未有善、 理即名字の当躰なり、末法今時又以つて爾なり、故に富石の仏法は一文不通の愚人の上に建立あれば全く久遠最初に同しく本未有善の機、六即の中には理即名字の修行なり、故に師弟同く愚人にして大聖尊は是れ今時の一迷先達の大導師なり 、仍て興尊已来我等如き者までも薄墨の長絹重衣なり。
 
問ふ久遠最初の衣なりと云へども仏子の通途にあらず何ぞ違して之れを著るや、答ふ先に論する如く大石の仏法は本未有善、一文不通の愚人の上に建立なれば漸く理即名字の修行なり何ぞ直綴并に諸色の法服を著るべけんや。
 
問ふ直綴等の紫青赤紅緋等如何んが意得て爾か云ふや、答ふ諸門流は其の伝有つて著るべし、然りと雖も其の信行する処を以つて之れを計るに全く是れ観行已上脱益の躰相なるか、階位亦高位なり、然るに富山大石の一統は本未有善、 理即名字下種の躰相なり位亦下劣なり、謂権宗迹宗等一同階位は僧正、法印、僧都、法眼、律師等の官位を用ひ服は紫衣紅衣、七条九条等の大衣を用ゆるなり、大石の一統に位は但有職迄なり是れ仏教の最初なる故なり、六即の中には名字に 到ると雖も始中終の中には初心聞名の分なり、是れ久遠最初の本門下種の仏法なれば権迹に簡異するなり、彼れは教即権迹なる故に今日の位を以つて法に替ゆるなり、是れは教即下種本門なれば教を重んじて位は人に任かす、天台大師の云く 教権なれば位弥高し教弥実なれば位弥下くし云云、教権迹なる故に僧正律師等の官位を以つて其の身を荘る是れ教の権迹にして下種本印に劣る故に官位を以つて衆生の崇敬を受くるなり、何ぞ大石一統の法服を謗るや、問ふ素絹重衣の制立如何 、答ふ国土の風俗に随ふなり戒法の中には随方毘尼戒なり、先は袍(ホウウヘノキヌ)又直衣(ナヲシ)之れに依るなり次に之を図す。
 
(図、略す)
今謂く十徳に襴袗有るものなり、此れを長絹と云ふ、襴袗有る故に重衣と云ふなり、襴はシタがサネと之れを読む袗(ウヘノカ ヒト ヘハダ サリ キヌ ギヌ)素飾なり又小襦袢○。
 
今謂く襴袗は裾付の絹なり横幅なり、然れば竪は十徳、横は裾付の襴袗なり、是れ則ち竪に十界を益し横に四海に流布するの衣なるか。
なにこそも時そと思へ薄墨の錦にかはる富士のころもて、日芳。
仏滅後正像二時の間、所弘の法は権教実教の迹門等なり、其の機を論ずれば本已有善、仏種純熟の衆生なり此の時何ぞ名字初心の衣を著すべきや、尤も摂受たる三千の威儀赫々として執持鉢座具等の備へ有るべき事なり、さて末法今時は所 弘の法華は本門にして其の機は本未有善極悪不善の愚人なり此の時何ぞ摂受の服を著すべけんや、尤も折伏弘経にして或時は刀杖を執持す、時機を知らず摂折二門を弁せざる輩は権教に執し迹門に著し時機不相応の観行已上の色衣を著て其の身を 厳る、適ま勝劣と号する徒も像法所弘の法華経に執見して如来化導の始終不始終を探り廻し、未得謂証の大慢の念ひを為して在世脱上の四八の身相を信し、紫衣青衣緋色等の服を著して如我等無異と願ふと雖も曽て一分の得益無きこと民の王位 を望むが如く却て堕在せんこと尤不便の至りなり。
 
結ほれす乱れす千代も白糸の、たてよこ山の富士の衣て、日芳。
 
誠に富士大石の仏法は久遠最初の色も替らず絶えず乱れず嫡々附法の白糸の法衣、煩悩業苦を覆ひ隠して清浄不染の自受用身の尊躰とならん事当躰義抄頼み有り毎自作是年の悲願は叶はん事甚深々々。
問ふ更に久遠元初の仏身何ぞ薄墨なるや、答ふ謂れを知らず。
 
問ふ紫黄青緋等は五運五行に当る世法既に爾なり、今薄墨五行の中何れに配当するや、答ふ汝は世間の五行五運を以て仏法の衣色とするや、富石は純ら三諦に当つ、白色不染は空諦無相なり、青黄赤黒紫等は仮諦有相なり、薄墨は是れ中道実相 の本色、無作本仏の衣色なり、六即を以つて論するには白色は理即但妄薄墨は名字即等なり、日蓮は理即には秀で名字には足らずと云云、又日蓮は名字即、弟子檀那は理即と云云、此くの如き等の得意常に有るべきか但人軽法重専一なり、但し深 く謂んみれば富士山大石の仏法は久遠本因下種の妙法・権にあらず実にあらず無二亦無三の独一本門、無可終待の実法なれば尤も是れ甚深至極尊貴の大法、縦令ひ理即名字の凡夫なりとも此の大法を持つ奉らば法妙なるが故に人貴く人貴きが故に所著 の法衣尤も尊重り、紫衣紅衣緋等は却つて下劣なり是れ権迹の法なる故に法是れ権迹なる故に人又下劣なり、人下劣の故に所著の服尤も下劣なるべし、諸勝劣の軰色衣を著し禅念仏に相似すること大謗法の至りなり悲むべし云云、富士大石の一 統は意に爾前迹門謗法対治を忘れず口に爾前迹門謗法対治と演べ身に此の薄墨の長絹重衣を著して爾前迹門謗法対治の相形を示すなり豈三業相応に非ずや、彼の諸勝劣は口に勝劣を演べ意に本迹一致を念し身には他宗所用の服に同す三業各別何ぞ本意 に叶はんや、蓮祖の本意に非ず天台の法流にも非ず何れと定むべけんや、是くの如き愚人と同座も大謗法なり、南無妙法蓮華経。
 
右一章富山の甚深量り難しと雖も愚意の趣きを評論するのみ、希ふ所は皆順但し法ならしめ給へ、後人此の一章を見て本山の正義と謂ふ勿れと爾か云ふ。
宝暦元年(太歳辛未)十二月廿八日、持宝院日芳在判。
 
 
珠数の事              日芳之を述ぶ
牟梨曼陀羅咒経に云はく梵語には鉢塞莫と梁には珠数と云ふ、此れ即ち下根を引摂して修業を牽課するの具なり文。
 
木槵子経に云はく昔し国王有り波流梨と名つく、仏に白して言さく我か国辺小なり頻年寇疫し殼貴く民困しむ我れ常に安んぜず、法蔵深広なり徧く行することを得ず、惟願くば法要を垂示し給へ、仏曰はく大王若し煩悩を滅せんと欲 せば当に木槵子一百箇を貫き常に自ら身に随え至心に南無仏陀、南無達磨、南無僧伽の名を称へ乃ち一子を過すべし、是くの如く漸次に乃至千返して能く二十万返を満てゝ身心乱れず諂曲を除けば命を捨てて炎魔天に生るゝことを得、若し百万返 を満てば当に百八の結業を除いて常楽の果を獲べし、王の曰はく我れ当に奉行すべし已上、要覧中十往見。
 
珠数校量功徳経に云はく迦湿密羅国、三蔵法師宝思惟詔を奉して訳す、曼殊室梨、大衆に告けて言さく汝等諦に聴け珠数を受くる功徳を校量するに差別是くの如し、若し鉄を用いて珠数と為し一遍を誦搯するは福を得ること五倍、赤銅十倍 、真珠珊瑚は百倍、木槵子は千倍、蓮子は万倍、因陀羅・叉は百万倍、烏蘆陀・叉は千万倍、水精は万々倍、菩提子は無量等と云云、拾言記下(廿九ウ)往見。
 
付り菩提師を用ゆるに益を獲るの最初は、校量功徳経に云はく過去に仏有ます世に出現して此の樹下に在して菩提正覚を成したまふ、時に一りの外道あり邪見を信して三宝を毀謗す、彼れに一男子あり忽に非人に打ち殺さる、外道念言すらく今我れ 邪盛にして諸仏に何の神力有るを審にせず、如来既に是れ此の樹下に在して等正覚を成す若し仏是れ聖ならば樹に感有るべし、即亡子を将いて菩提樹下に卧著して是くの如きの言を作さく、仏樹若し聖ならば我か子必す蘓らんと、以つて七日を経 へ爾も仏名を誦するに其の子即ち重蘓することを得たり、爾時に外道讃めて言はく諸仏の神力我れ未た曽て見ざるに仏の成道の樹に此の希奇を現す甚大威徳にして思議すべきこと難しと、諸の外道等、皆悉く邪を捨て正相に帰し菩提心を発し信して仏力 の不思議なるを知る、諸人悉く号して延命樹と為す、是の因縁を以つて其の二名有りと已上。
 
凡そ数珠を以つて頂上に安けば無間の業を脱れ、頂に懸くれば父母師長の苦を救ひ腕の上に掛くれば平生所作の罪業を消尽す、常に手の中に把れば妄語賊論等の過ちを除き眼見に一切種々の妄想悪念の咎を離ると已上、拾言往見。
 
数珠の惣算は一千八十を以つて上と為し、百八を以つて最勝と為し、五十四を中と為し、廿七を下と為す、百八の数を成することは要覧等の意皆以つて、小乗の見道所断の八十八使の煩悩と、修道所断の欲界の貪瞋癡慢の四使と、上二界の貪癡慢の 三使(合六使)都合十使の煩悩と、又十纏を加へて已上百八箇の数を成するなり等云云、諸伝。
 
又珠数経に云はく母珠を越ゆべからず驀の過か越法罪千万なり已上。
又録外御書の四(四十五を)戒法門の妄語罪の下に云はく天魔外道平形の念珠を作り出して一遍の念仏に十の珠を超えたり、乃至万遍を十万遍と申す是れ念珠の薄く平らたき故なり、其れも只申すに非らず念珠を超るに平数珠を禁めたる事諸経に多 く候、繁き故に但一二の経を挙ぐ、数珠経に云はく母珠を越ゆべからず過が諸罪に越ゆ数珠は仏の如くせよ、勢至菩薩経に云はく平形の念珠を以ゆる者は此れは是れ外道の弟子なり我か弟子に非ず、我か遺弟は必す円形の念珠を用ゆべし、次第を超越す る者は因果妄語の罪に依つて当に地獄に堕すべしと云云、此れ等の文の意、能く々信すべし平たき念珠を持って虚事をすれば三千大千世界の人の食を奪ふ罪なり已上、御書往見、類雑三(五十七)に勢至経を引く同意なり。
 
珠数の出処、類雑三(五十六)、要覧中(十)、塔婆抄下(廿二)、他受用抄二(卅)、拾言記下(廿九)、名義集七(十一)啓運抄一(四十八)、等なり。
 
又録外御書廿一(卅ウ)云はく黒衣並に平念珠地獄に堕つべき事、法皷経に云はく黒衣は謗法なり必す地獄に堕す文、勢至経に云はく平形の念珠を以ゆる者は此れは是れ外道の弟子なり我か弟子に非ず、我か遺弟必す円形の念珠を用ゆべし次第を超 越する者は妄語の罪に因つて必す地獄に堕す等云云、又名義集七に云はく鉢塞莫、或は阿唎吒迦と云ふ、二合して此には珠数と云ふ云云、又啓運抄一(四十八)に云はく大論に百八三昧を釈せり、念珠の百八有るは是の義なり只是れ一の 首楞厳三昧り、百八煩悩の散したるをしづむる故に百八三昧の名不同なり等云云、已上往見。
 
此れより下は愚意を述ぶ。
問ふ、今世在家出家共に珠数を用ゆる其の意如何、答ふ牟梨曼陀羅咒経に云はく下根を引摂して修行を牽課するの具なり云云、爰を以つて釈氏必用とするなり。
問ふ仏世に珠数之れ有りや、答ふ木槵子経に云はく仏、木槵子一百顆を以つて珠数として波流王に授け彼の国の困民を救護したまふ、此の時に 初めて珠数成るなり。
 
問ふ百八顆とする所以如何、答ふ百八顆は仏の百八三昧を形どる、百八三昧は是れ百八の煩悩を滅除する能滅の躰なり、煩悩は所滅なり、木槵子経に云はく当に百八の結業を除いて常楽の果を獲べし已上。
 
問ふ仏法要を垂示して波流に授け彼の国の困民を救護したまふこと下根を引摂せんが為なれば凡俗之れを把つて修行すること今時も最も然るべし、但し出家 の人は仏弟子なり何ぞ凡俗に同して此の珠数を持つや、既に波流王は凡俗なり在世の仏弟子、曽つて珠数を持たず何ぞ当世是くの如くなるや、答ふ仏世に於いて は此の珠数無き故に仏弟子之れを用ひざるなり、況んや仏在世の比丘は断惑証理の人なり何が故に珠数を用ひんや、既に「諸漏已に尽くして復煩悩無く己利を逮得して諸有の結を尽くす」と説けり、何等の結業を断せんが為に此の珠数を用ひんや、仏弟 子は具さに戒定慧倶に備ふ何ぞ三昧を象とらんや故に在世の仏弟子は之れを用ひざるなり、然るを今仏滅後に至つて下根未断の凡僧此の珠数を用るに非ずんば何ぞ破惑証真を願求すべけんや、猶又在世の仏弟子に准して末代の凡僧此の珠数を用ひずんは 恐らくば多くの失ちを成すべし、謂く一には仏敵と為るべし既に世尊の教示に随はざる故なり、二には師敵対、既に祖師の末流を酌まず、諸流の元祖は仏の教示に依つて皆珠数を以つて下愚を勧めて後世を願はしむるを修行の掟とす、之れに背くことは 豈に師敵に非ずや、三には法敵対なり、既に未得謂証の大上慢なれば法水は慢の高山に留まらず、何に依つてか大道を得ん豈外道の非ずや、猶又此れ等の失無しと雖も此の珠数、仏世に之れ無きを滅後弘経の祖師巧に百八煩悩を断除する所表の物と作し て之れを与へば豈に之れを捨つることを得んや、是くの如く多失を成する故に末世下根の未断の凡僧俗共に此の珠数を把つて破惑証真の利益を得べきなり。
 
問ふ、冨山大石の一統之れを用ゆる其の意如何、答ふ曽つて知らず。
問ふて云はく如何、答ふ知らず。
問ふ汝が得意如何、答ふ当家の深意に契はずんば罪業恐れ有り但信心の手前得意の趣を述べん、先づ当流に於いては袈裟と衣と珠数とを以つて此の三の物を三衣とすと伝へ聞けり。
問ふ、先づ百八顆は如何、答ふ大旨諸経の如く百八三昧を象りて百八の煩悩を破るなり。
問ふ経に母珠を越ゆべからず過か越法罪と云云其の意如何、答ふ梵には達磨と云ひ此には法と云ふ法を越ゆる者豈に罪業に非ずや、又諸経に妄語罪と云ふ故に越隔の咎、越法罪なり。
 
問ふ一貫の珠数の当躰如何、答ふ無作本有の御本尊の当躰成るべし、先づ左右二つの大珠は則是れ親珠は則是れ親珠と云ふ是れ父母なり、父珠は妙に形とり母珠は法に形とる是境智の妙法なるべし、既に父は天なり母は地なり父は陽なり母は陰なり、 天地万物父母に依つて成る境智の父母諸の功徳を成す、父珠は智断の徳有つて諸の煩悩を断し母珠は能生の徳有つて諸の善根を生す、境智豈妙法に非ずや、さて左右の百八顆は因果不二の当躰なり、則百八の三昧に依てつ百八の煩悩を滅する事、境智冥合 して定慧不二を顕はす是れ則煩悩即菩提、業即解脱なれば自ら是れ蓮花の因果不二の当躰に非ずや、扨て終に一貫したる処は経の都名なるべし、然れば珠数即妙法蓮花経の五字、此の五字とは本有無作の本仏の当躰なり、四つの小顆は地水火風、是れ併ら 本化の四大菩薩なりとも見るべきか、左右の房に貫く三十の顆は三千を表すべきか、然れば本有の五字の当躰は仏界にして所断の煩悩は九界なれば能断所断取りもなをさず十界互具、百界千如、一念三千、倶躰倶用、本是理性不改の一幅の御本尊を表顕し 奉る者か、然れば此の珠数を以つて下種本因の仏宝、法宝、僧宝に向ひ奉り南無妙法蓮花経と唱へ奉つれば衆罪如霜露疑ひ無きなり、録外御書巻一(四十七ヲ)南無妙法蓮花経と唱へ奉つらば滅せぬ罪や有るべき、来らぬ福や有るべき、真実なり甚深なり と云云、然れば所有の百八煩悩皆以つて断除せんこと此の珠数の功徳なれば珠数経には仏の如くせよと云云、珠数の円形なるは大円鏡智、房の長きは一閻浮提広宣流布、一天四海へなびかす意なり。
 
問ふ、三衣の中の一衣とする其の意如何、答ふ深意量り難しと雖も此の一貫の珠数を以つて南無妙法蓮花経と唱へ奉つれば煩悩業苦の三道、法身、般若、解脱の三徳と転ずべし、若し爾らば有為の当躰に無畏の三徳の珠数を持ちぬれば煩悩を覆ひ除く 豈に衣に非ずや、又常に仏拝の装束といへり此の意もあるにや、夫れ三衣とは鬱多羅僧、僧伽梨、安陀会なり、此の事諸文に之れ多し、此の三衣を天台は貪瞋癡の三毒の醜きを隠す意ぞと釈したまへり、又此の三衣を福田衣と名く飢饉を除く故是一、又解脱 幢相の衣と云ふなり、譬へば軍陣の中に幢を挙ぐる時、敵之れを見て大将と知つて畏れを成すが如し、仏弟子、三衣を著すれば三障四魔の怨敵怖畏するが故なり、是二、其の外莫大の功徳を具せり、今富石門流の袈裟と衣と珠数との三衣は貪瞋癡の三毒を除 き法身、般若、解脱となす、爾れば貪瞋癡の醜きを隠す徳あり豈衣にあらずや、中んづく此の珠数、福田衣なり既に飢饉を除く仏波流王に授けて困民を救ふ故なり 是一、又解脱幢相の衣なり、既に珠数を持って三障四魔を除き怨敵を伏せしむ、是の軍中に幡を挙ぐるが如し、然れば当流の袈裟、衣、珠数は前談の如く皆以つて折伏の法衣なれば他に簡異して袈裟、衣は薄墨の長絹重衣、珠数は房長なり、爾前迹門の輩、 此の三衣を見て直に日蓮大聖人の弟子檀那と知って怖畏を成す豈解脱幢相の衣に非ずや、五条の袈裟は聚落に出つるに用ふる衣なり、末法今時誹謗本因妙の群賊を対治せんに何ぞ摂受の七条九条等の大衣を用ひんや、七条は食時に用ゆる衣なり、九条は説法 に用ゆる衣なり、故に当今は五条と成るべき筈なり。
 
さて白色なるは不染世間法如蓮華在水の一意もあるべし、これ白染清浄を表するか但し深意は理即名字の心得有るべし、故に御書には同色の袈裟と云云、此れ理即に秀いで名字初心の服なる故なり、衣も亦是れ折伏衣なり、薄墨は名字の初心に約し 直綴に非るは簡異の義か亦摂受に非る故なり、直綴黒衣は天台六即の中に相似分身なるべし、末代下根は名字に至ると雖も始中終の中には初心聞名の分なり、故に当流の初発心は一向白色、それより次第に薄墨なり、況んや亦大聖人の御尊像薄墨なり 末流何ぞ余色を用ひんや、所詮下根愚輩のために興る所の仏法なり故に此の三衣最相応なり、故に末法今時の出家、此の薄墨の袈裟、衣を著て手に房長の珠数を把らば是名持戒の人なるべし、薄墨の袈裟衣は不浄の身を覆ひ隠せば身は不浄なれども 其身甚清浄なり、又不持戒の身なれども此の珠数を持たば是名持戒疑ひ無し、既に百八の結業を破除する百八三昧を持てる故なり、況んや一幅の御本尊を表題し奉つる心得猶以つて持戒能持の人なり、此れ等の意に依らば三衣は仏の如く重んずべき事なり 、上根上機は観念観法も之れ有るべし、下根下機の愚悪未断は一向に信心肝要に此の三衣破惑証真の大法衣と心得べきなり、当流の深意量り難し但愚案の一判是くの如し、之れを以つて正とすべからず後人は明師に値ひ奉り正義を信すべしと而か云ふ。
 
(図、略す)
大旨斯くの如くなるべきか、水精の珠勝るゝ事は倶舎頌疏、世間品第四(廿八ヲ)云はく頗梨底迦宝の事、此には水精と翻するなり此の水精珠は水火の二徳あり、日月の火珠水珠の二徳之れ有るなり、惣して赤、白の二色之れ有り取意して心得べき 事なり、大論に云はく石室の中に千年を過ぎて水此の宝となる、されば日は火珠所成なる故に熱照するなり、恵云く日は初めて見るには即益し久しく看れば眼を損す火有るを以つての故なり、さて月は水珠所成なる故に冷照するなり、一の頗梨底迦宝に此 のの如く有るぞと云ふに即是れ水精の玉の一の内に水火を具る故なり已上。
愚得意畢る。
宝暦元(太歳辛未)十二月 日、冨士大石の沙門横山阿闍梨日芳在判。
 
(図、略す)
今云はく珠数を指に掛くる事、父珠の方を以つて右の手の人指しゆびに掛け母珠の方を以つて左の手の中指に掛く、是れ則ち右の人さし指は風大に当り左の中指は火大に当るなり、菩提の風を以つて煩悩の火を消して法性の智火を吹き起す意なり已 上房州日我の義なり、後人添加して云はく火大は上行、
風大は無辺行なれは諸仏の国王と此の経の夫人と寄り合って菩薩の御子を生すと云云、此の深意ありと云云。
  日芳愚意して云はく左右共に中指なるべきか、既に中指は火大なり菩提の火を以つて煩悩の火を滅すべし、菩提の火は智火なり智は是れ断徳の徳あり何ぞ外に求むべけんや、況んや又境智冥合せずんば所願成るべからず、左右中指なれば合ふなり右 は人さし指、左は中指とせば掌合せず、其の上左は大指を地大と定むること然るべし大指は親指なり能生の徳之れに依るなり、右の小指を地大と定むること何の故ありや己情に任せて一判なるか、又後人の火大上行、風大無辺行の義余りに義勢過ぎ己が 智力に任かせて却つて信心の本意を失ふなるべし、合掌以敬心とあれば掌をとくと合せて仏を拝すべし能く々思惟して信心すべきなり、要覧に云はく掌を合せざれば驕恣罪を得と云云、予拝し奉るに宥師、寛師、養師、詳師東師何れも中指なり近代教師 も中指なり。
及はぬ口すさみに一首 日芳
 
誰もきけ鷲の御法は日の本に、つたへするかの冨士にこそあれ。
 
編者曰く雪山文庫蔵の芳師(後の日元上人)の正本に依る、但し完本にあらざれば冨士見菴蔵孝迢日久写本にて此を補ひ多少の校訂を加え少しく延書にしたる処あり。

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